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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年02月17日
今朝、三角形のガラスの欠片のような形の結石が出て結局は結石が足元の寒さや風邪の原因であったようで体が2年ぶりくらいに相当軽くなった気分。イタリアでの体調不良の原因も分かって、日ごろから水分を多めに取ることを心がける必要がある。結石があると横になりたくなるのは、横になると結石が詰まっているのが解消されるからで、人の体というのはよくできているなあと思う。なぜ、結石が落ちたのだろうと思い当たる節を考えると久しぶりに重めの糸を巻いたビームを肩に担いだからだろうか。

イタリアの展示会で思い出したことに絹織機はなぜ後ろが長いのかという問題。長年の疑問の答えを展示会場で富士吉田の方に教えてもらった。絹を織るために後ろが長い必要があるのかというと、そうではないようで、昔は絹糸の問題を人が織機の後ろで手を加えて解決するために織機の後ろが長いそうだ。今の安定した糸だと絹織機の後ろは長い必要はないことになる。

麻の糸でもときどき、糸質が悪いと私が整経するときに、巻きとり時に手を加えて糸の節などを取り除いてあげることがある。2年前に久しぶりに織った、アイリッシュリネンのハンカチ生地は糸の節をできるだけ取り除こうと巻き始めから巻き取りまで6ヶ月掛けた。時間は掛かって整経機も一台が長い間使えなかったが私なりには満足な結果。人の手を加えることでより完璧に近づくこともある。

なぜ、織物の筬は基本2本通して織るのかという問題もそれなりの答えがあるので一度考えてみてくださいね。1本で織ると、綺麗な碁盤の目には織れるのだが…。
2018年02月12日
昨日の夜、薬局で市販の総合的な風邪用の持続性カプセルの風邪薬を買って飲むと、今まであった脚の寒さや不安感がなくなり頭もすっきりして、イタリアの風邪薬とはかなり違い明らかな体調回復。イタリアよりも近江湖東地方のほうが寒い気がするが、寒さの種類が異なる気がする。

今日は、糸を染工場に持っていって気がついたのだが振り替え休日。糸と指図を置いて帰る。工場を1週間離れていると工場が懐かしい。出発前に行っていた染色関係のものを眺めると、染めたものを織り上げることができればよいものになるだろうと思える。

古い型紙などもきれいに順番どおりに積み重ねられていたようで、続いた何枚かを使えば1柄できあがる。基本、型紙は何千柄分すべて残っているはずと思う。春に暖かくなったら倉庫の型紙を分類してみようと思う。


2018年02月10日
昨日の朝の便でイタリアを出発しヘルシンキ乗換えして、大阪に10時に到着し、家には午後3時に戻る。あったかい食べ物が食べられていなかったので、体力も落ちていることから、天下一品のラーメンを食べることに。食べると味覚音痴になっているのか、しょっぱいだけでいつもの豚骨のスープの味がしないのと、温度音痴になっているのかぬるく思えて仕方ない。こんなことは初めてで、飛行機のなかでずっと、のどを癒すために、オレンジの飴を舐めていたから、普通の味がしょっぱく思えるのかもしれない。途中、在来線に乗る前にコーンスープを飲んだときも同じで、しょっぱくてぬるく思える違和感。そのうち直るだろう。

両足が力が入らず寒気がしてならず、これはもしかすると風邪というよりも、腰に違和感があるので結石が降りてきている可能性。今日は一日体を休めて明日から仕事。
2018年02月08日
今日は最終日、午前中お客様は少な目、午後からはお客さまが数件来られて、午後4時くらいには他のブースも撤収を始められる。今日も体調が優れず、寒気がするので風邪薬をカドルナの駅の薬局で買ったのを飲み続ける。通訳の皆さんが、心配くださり、お茶とかご飯系を差し入れくださる。食欲があまりない、林与としては珍しいほどに体調が落ちている。

それでも、十分な感触を得て今回のミラノウニカ出展は終了。近江上布を広幅の絣織物で再現するプロジェクトは、ヨーロッパの高級ブランドからも注目してもらえるテーマであるというのは実感できた。近江上布のアーカイブから、気に入った柄なども選んでいただいたのも試作に生かしながら独自な世界を作り上げれればと考える。

他の出展者さんも継続されておられるところも多いがいろんな変化があって、どこもが、そのときどきの局面に対応してゆかないとならない厳しさを乗り越えられて出展を続けておられるように思った。自分で準備して覚悟して出てきておられるだけに、皆さんとお話していてもどこも気持ちは一緒なので心が通じるものがある。
2018年02月07日
イタリアの食事というのは暖かいスープのようなものがないのが寒いときには残念に思うところ。朝食のビュッフェも暖かいものといえばコーヒー。暖かいものを食べようとパンを温めて4枚食べたそれがやっぱりパンプロブレムか、食べた後部屋に戻るのもなんかめまい気味。部屋に戻ると体が寒くて、格好も気にせず今日は思いっきり着こんでの会場入り。お隣の宮真さんの社長も昨晩食べ物でアレルギーだろう症状で、私以上にやばい状況になられたということで遅出で会場に入られる。

今日はほとんど一日体調がすぐれずに放心状態で椅子に座っているだけのような情けなさ。寒さからか風邪も引いてしまったようで肌寒さが増し、今日は自分の体調をコントロールすることだけで精一杯な状況。帰りの地下鉄と電車も2回とも乗り過ごしかけ飛び出してセーフ。駅からホテルの部屋までの300mほども歩くのがつらかった。

今日のブースには十分お客さんにもお越しいただけ、30分以上近江上布の何百枚かのアーカイブなどを眺められるグループも二組あって、私も知っている海外の高級ブランドが近江上布のアーカイブに注目してくださる流れは、今の広幅絣織物のプロジェクトが海外の高級ブランドにも評価されていて形にしていかないという思いが高まる。

自分でもまだ未熟だなあと思う染と絣を織る技術で織ったものでも評価が高いので、力強い布の世界を目指してそれがある程度感じてもらえているのだろうと思う。普通のアパレルの布にはない味の世界。近江上布のアーカイブを再現して行くことで持てるのは夢だったことで、それがオンリーワンで海外の方にも評価してもらえたのは幸せ。

今日はデザイナーの子が夕方から昨年友達になったイタリア人と結婚されたインド人の女性とミラノ観光を少しして、ホテルに帰ってきてからどんな感じだったかを報告してくれた。会場でみかけたときすごく急がしそうで2回、3回もうちょっと待ってといい感じに仕事をされているのだろうと私は感じたのだが、話を聞くと、今年はコレクションをしないで、イタリアのメーカーの生地をドバイに売るエージェントの仕事をしているという、また、それが完全な歩合制でまだうまくいっておらず、自転車でデリバリーの仕事をしながら映像関係の学校にかよって、最終的にはまたコレクションをやりたいという思いがあるそう。話を聞くと大変だなあと感じ、一方で、林与がイタリアに来てジャパンのパビリオンに出展することでいろんな方と出会えるのは恵まれているとしかいえない。

今日は麻紡協会の方ともお話して昨年よりは完全によい流れで場所もコーナーのよい場所。地元の企業さんも3社出ておられ予想通りの私が経験してきた海外での好感触を体験してもらえてよかった。
2018年02月06日
初日、朝予定通り7時30分前にホテルを出るも、乗り継ぎの駅で25分ほど電車が遅れているということで、開場9時にブースにつけない可能性が高くなって、スパー焦りモードで、最短で開場へ行けるルートを探す。大きそうな駅で降りて、スーツケースを転がしながらタクシーを探すも、10分、15分のロス。あきらめかけたときにタクシーが来て、なんとか開場9時前にブース入りして展示を完了。

ミラノウニカ初日、会場が変わったばかりの昨年はお客様が少なめだったので、AW展に出られた出展者の前回の話からしても同じように、今回も同じ流れを覚悟していたが、今回は、初日から、ブースにもインターナショナルなブランドさんが来て下さって、昨年以上によい流れを感じる。麻紡で出展されている滋賀麻の社長も同じことをいっておられて、せっかく、海外に出てきて活気みたいなものがないとというレベルはクリア。

3年前に通訳をしていただいた方が、今年の林与の通訳を担当くださる。2年ぶりにお会いする、うん、少し太られたか。ご主人がフランクフルトの展示会に行かれる予定がミラノウニカの後ということで、無理モードで受けてくださっている。また、2年目にお世話になった通訳の方ともお会いできて、今年は福田織物さんの通訳を担当されお会いでき、お体が悪いということではなかったようで少し心配していたので安心。JFWのスタッフの皆さんにも声を掛けていただいてアットフォームな感じでスタート。

初日はそれなりによい成果だったと思う。夜は、ドーモの近くのハッピーアワー。9ユーロほどのワインを1杯注文すると、おつまみが好きに食べられる。私なりにはハッピーアワーが気になっていたので経験できて満足。ホテルに早めに戻って休息、なぜか、足がゆっくりしか歩けないほどにすごく疲れすぎている。
2018年02月05日
イタリアに来て、レストランにいっても鉄道なんかも内装がモダンさを感じるのだが、一方で材質がプラスチックであるなど安っぽさを感じるだけでなく座り心地が悪いのも観点が違うのだろう。イタリア人が日本に来て日本文化に憧れるのも分かる気がするのである。一方で、昔からのイタリアの街並みは石の文化で何百年の重みを感じる。暮らしにくさはあるかもしれないがそれにはすごく憧れる。

今回乗った飛行機はフィンランド航空で、いつもとは違う感じ、JALと提携もしているので、安心できる便感はあるだろう。機内の乗務員の対応も非常によく、電気機器などもマナーモードにするなどすれば飛行中も使えるなど、乗客に対して緩やかなところもくつろげた。

しかし、ヘルシンキでの乗り継ぎ時間が45分しかなく、航空券購入時にフィンランド航空にも確認をしたのだが、迅速な乗り継ぎができるようにしてあるので大丈夫ですということだったのに、実際には、イミグレーションで1時間はかかろうかの大行列。時間がないので航空券を見せて優先してイミグレーション窓口に誘導してもらったが、10分くらいやりとり、滞在目的、Eチケットの確認、ホテル予約、展示会の資料などを見せないとならず。そこそこプリントあうと、PC内にデータあって見せることができ、要求するものをすべて見せることができパスしたが、準備不足だったり英語ができないと乗り継ぎもできんのじゃないか。

今回、なぜか不吉な予感がして、出発直前、いつもになくEチケット、展示会の入場パス、ホテル予約などプリントアウト、PC保管して持ち込みかばんに入れておいた。いままで、そういう資料を催促されたことがなかったので準備したことなかったが、準備していなかったらと思うと。ヘルシンキトランジット、ハードル高いなあ。でも、ホテルについて、日本円で現金はもっていったがクレジットカード2枚、家に置き忘れたのに気がついた、アベシ。

おなかがペコペコで、ホテル内のレストランで食事をたっぷりと取った。出発の準備に追われて食べるのも寝るのも節約して時間作ってはいつもどおりだが、今回はデザイナーも随行で一人でスーツケース2個ということもなく、出発してからは体力の消耗もなくありがたい。
2018年02月02日
私自身50歳に近くなって、この業界というのは70歳でも80歳でも現役だったりするので、若い人たちが仕事や業界の中で活躍できる場を見つけることは大事だろうと思う。私が業界に入ってくる若い人に提唱するのが、できる限りカバー範囲を広げ、織物を一人でも作り上げる力を持つこと。これで、自分の思う織物が自分で作れることになる。

別にこの業界と合わないとかでも目の前のことにいろいろと取り組んでいれば、繊維の仕事が繊維の仕事でなくなり共通項も見えてくるものだろうと思う。仕事なんて誰かが進めて完結しないと意味すらもないのだが、守備範囲が狭いと仕事が見えないままのことが多く仕事はあってもできる仕事がないままになる。やるからには能力を高く持つことが大事だろうと思う。

厳しい話になるが先代が長生きしてたら仕事で私の居場所を見つけるのは難しかっただろう。先代が生きているうちはお客様から受けた見本はつくっても、自分自身のつくりたいものというのは一切つくらないということに決めた。亡くなったからには自分が自分でやりたいと思っていたことを思いっきりやってみるという、この仕事についたときに最初の意気込みに戻り20年遅れで再スタートした。

最高のものをつくろうとアイリッシュリネンプロジェクト、現行のリネン150番手を織るプロジェクト、逆にリネン3番手を織るプロジェクト。超高密度織物。ガーゼ織物。シャトル織プロジェクト。柔らかリネンストール、リネンキッチンクロス。糸の直接輸入。海外展示会。ネット販売。店頭販売。自分がやったことのない領域をとことんまでやって、何をどうすれば成り立つのか考えた。生地を企画するとかにはほとんど時間も使うこともできない状況で生地を作る。余力を自分で生み出してやりたいことを実現する。

自分の力だけではなく外の方の暖かい好意に支えていただいたこともいろいろな面であった。今も自分がやりたいことに時間を使えるような状況ではないが、なにかやろうとすると自分で余力を生み出していくしかないと思う。やって失敗を経験するのも別に悪いことではないし、その失敗をリカバーするのも仕事の実力というものだろう。

2018年02月01日
昨年の冬は年末年始の雪がすごくって、1月20日ころの雪もすごくって、ミラノウニカから帰った後も雪がすごかったの覚えているのだが、今年も寒いながらにも、昨年ほどではなくありがたい。夕方は1件プリント工場宛に出荷で検反などをやったけども、小さなキズを修理してキズの箇所が数箇所減って、経のよく切れた織物で織るのにてこずったもののよい仕上がりで安心。

手で触っていてもよい感触で織りにくいリネンというのは、糸がやわらかいからで織り上がった物はソフトな風合いのものであることが多い。それにしても、昨年の糸というのはどうしてこれほどまでに織りにくいのだろうか、おととしの作柄が悪かったという話だが、機屋泣かせの一年であった。この1年は私の経験した今まででリネンが一番織りにくい1年であった。

生成にも問題が多く、シャトルで織ると色段になる問題が顕著で、ワンロットの糸の色のばらつきが激しく今それをコントロール中。レピアだとそれほど問題は起こらないのだろうけどもシャトル織機で織ると大きな問題となる。私の手順どおりに作業をして織ってもらうとシャトル織機でもレピアと同じ糸の連続性を維持でき問題がたぶん回避できるのだろうけど。レピアで織った生成の反物で段が見えなくても、裁断して縫製して、使うと左右の色が微妙に異なるなどの問題はありえるだろう。

この一年リネンの生成の注文を糸が悪いという想定からアパレル向けではほとんど受けていないので助かったといえば助かった。聞いた話によると昨年は全体の5%しか60番手を引くことのできる原料が取れなかったとか。100番手超えの織物などを手がけているけどもよい糸の入手からして難しい状況。100番手だと5年前はレピアででも縦糸に糊も付けずに織っていたのが懐かしい。今の100番手の糸だと、糊を付けてもアパレル向けの密度だと織れずに大変な問題となりえる。
2018年01月30日
広幅絣織物の試織ために機材を考え、改良中。昔の近江上布のときの機材一式はほぼ残っているものの、広幅にするためと、また、自分ひとりでも全工程の作業をこなせるようにと、林与のシャトル織機を活用するということとの組み合わせを考えると、昔の機材では難しい。捺染台、捺染枠、蒸し器、型紙など、広幅に対応させるために独自に新しく作り上げる。

魅せるだけの作品つくりなら途中のことにこだわらなくても良いのだが、生地となったときに品質面でも、今の手捺染と同じ程度の堅牢度や再現性を持ちたいので一定レベルの品質はクリアできる工程を構築しないといけない。展示会などで魅せるだけの色がついていればよいだけのレベルと実際に長い間使ってもらうことを想定した商品レベルとでは、まったく完成度が異なる。

林与は、50年以上前は織物工場というだけでなく捺染工場、染色工場という側面も持っていたが、私自身は、昨年からまだ、1ヶ月ほどの捺染経験でしかない。
2018年01月29日
雪が解けて、近くの家の水道管が破裂。雪が降ると水道管が凍って水が出なくなって、ライフラインが止まることを経験する。手を洗うこともできないとか、お風呂に入れないとか、トイレが水が流れないとか、何年ぶりかの経験で、水が流れ出したときに水の大切さを思う。1日の辛抱なのだが、確実性がないときには焦りが生まれ、その待つ1日が苦痛そのものなのだが、また水が流れ出す。

思い出すのは、子供の頃の家の中の寒さ、雪に包まれた前栽には、鳥が食べ物を探しに来る。部屋の中の温もりは火鉢。大おじいさん大おばあさんの子供の時代からの厳しさを感じる。時間がたつのが遅く、遅く感じられる、厳しい冬。
2018年01月27日
私が、日本のものづくりを考えながらも、徐福を信じるのもものづくりが分かっているから、日本には世界で一番のものづくりが紀元前からあったのも、中国の秦の始皇帝の時代の世界でも最先端のものづくりが日本の2200年前のものづくりの基礎となっているから。日本の皇族が稲作と機織を宮中行事として継承されるのも整合してならないのだ。

日本の着物のことを呉服というけど、なぜ呉服なの。徐福が呉の国の出身で、それが日本に伝わったから。私が素直なのは、自分がとことん仕事していて一人でできる限界も感じているから、秦の始皇帝の時代の何千万人、何億人?が一生ものづくりした2200年前の世界最先端の技術が、今の日本のものづくりの基礎として2200年前に入ってきているから縄文時代の苧を縫う布から、織物に進化した。

日本の古代史にあがる卑弥呼ですら、シャーマニズムという先祖崇拝で、日本の神道と整合し、徐福の子孫であろうと思われる。卑弥呼が、中国からシャーマニズムとして嫌われたのも、中国からすらべ裏切り者である徐福の子孫を嫌ったあたりだろう。卑弥呼にしても大和王朝につながる皇族の流れのひとつであろうと織物という観点から見て思う。

平安時代の織物がまさに中国の織物で、遣唐使、遣隋使とかじゃなくて、縄文人は中国の南のほうから、弥生人が稲の分析からも徐福が皇族であろう可能性は高い。私自身、日本の織物の歴史に関しても素直に自分が織物やってるからわかるところあるし、認めることは認めないとと思う。日本の織物の歴史を考えたときに、結局、徐福にたどり着いてしまい、日本の神道や皇族の由来もそれと整合してしまう。人類はたどれば猿の異常種が濃くなって人類へと進化。近親相姦で猿と交わらなくなったことが人類への進化そのものだろう。人類へ進化する過程にも口うるさい一人の輩がいてそれを守ったから人類に進化したに過ぎないと思う。日本が日本として特色持っているのもそれと同じで、その今の日本文化の祖が徐福だったと思う。

国による人々の特異性の偏りというものはあって、日本人が従順で手先が器用というのは徐福の時代からはじまっているものと思われる。徐福というのは中国の複数の文献では秦の始皇帝の存在と同じレベルの史実として書かれているが、日本でまったくといってよいほど歴史にもあがらないのは、徐福自身が選んで、子孫たちに徐姓を名乗るなとしたことにある。これは秦の始皇帝また、末裔たちからの追跡を逃れるためで、秦の始皇帝と同じような文字を残さない方針を打ち立てたことにあろう。那の倭の国とか、邪馬台国や卑弥呼なんて呼称すら、中国の文献を元にしているから多くの支配されるような意味が含まれている。

古代日本は中国と交流がありつづけていた。本居解説による麻の語源となったヌサにしても奴佐(奴隷の国の貢物)から来ていて、古代日本が中国に使いを送って、その何倍ものものを貰った経緯があって、それに甘んじることが外交なのだ。世界を牛耳るのはどの時代も一人の人間で、今の時代ならトランプだろうというか、それをピエロのごとく牛耳るものたちだろう。イスラエルの問題などはトランプのようなビジネスマンの思想ではなく、トランプすらも裏の力に支配されているのを感じる。アメリカ国民の総意ですらもないところで、日本も支配しているアメリカが動いていて危機感を感じる。

アメリカが国連でも主張しているが、アメリカがナンバーワン、世界の警察国家みたいのは、奴隷制度を思わせる力での支配でしかないだろう。ISすらも話も聞かなくなったけど、世界を騒がせたISの本性や首謀者すらも明らかにならないで放置でアメリカが済ませてしまっているのが不思議すぎてならない。イスラム社会で、イスラムも認めないような資本主義的な傭兵を思わせるISが突然生まれ、急に何事もなかったかのように撤収したで住むのだろう。フセインが不在になって、より残虐なISのような不透明なものが湧きでてフセインの代わりにアメリカがそれに対応しているのかもしらないが、裏ではアメリカの好景気が警察国家や戦争で支えられている事実からしても歯止めが効かない怖さがある。戦争ビジネスがないと成り立たない平和というのも人の命と金儲けを天秤に掛ける悪徳な連中が支配する世界に過ぎない。
2018年01月24日
織物の仕事で食べて行くためには生産性が必要で、良いものを生み出そうとすると、良いものだけつくろうとしていればよいのではなくて、良いものをつくるための余力を生み出す必要があると思う。時間にしてもお金にしても技術にしても。

良いものを生み出すためには、簡単な普通の織物の仕事くらいテキパキとこなせないと、無理だろうと思う。ある伝統工芸の学生さんとお話したことがあって、織物じゃないがひとつのものを6ヶ月掛けて作るという。共感はする部分あるけど、趣味の世界で、仕事の厳しさが感じられないのが伝統工芸としては失格じゃないのかと。

私からすると、同じことを2日、3日でそれをやってみないか、そしてそれを繰り返して、半年で、50倍、60倍やってみたら、食べてゆける本物じゃないのかと。食べてゆくためには、6ヶ月掛けてこれをつくりましたじゃなくて、普通に仕事しながら、そういうものを追い求めないと食べて行くのも難しいのが当たり前。

年末年始手伝いに来てくれた手織り経験者の方が、林与の量産の世界が手織りよりも大変だという素直な印象。私も近江上布絣を広幅で再現するプロジェクトやってるけども、量産の仕事のほうが何倍もプレッシャーかかるし実は作業も高度。だからプロ向けというか、業者向けの仕事というのはみんな背負いきれずでできなくなって日本の麻織物の本場である近江湖東産地から麻織りが消えるのも当たり前。

先月も、先生とされる方にとことん覚悟決めてやりましょうよというと、その先生はスポンサーがいなくなればやめるとかで、私の知らない世界で先生でも、私からすれば子供なんだとおもうのがそこなんだわ。私も本気でやるなら付き合うけど、先生とされる方でもそこまでの覚悟がないのが残念で先生で終わってしまっているのだけど、業界や産地を支えてゆくのは自分がどこまで覚悟して仕事するかだけのこと。

海外の展示会に行くと、どこもが何千人規模の会社、その会社の方々が、日本のどこどこの仕事を請けてやっている話。でも、その方々が林与のこと別に思って商売を別にして素直に覚悟の面で白旗上げて応援くださる。日本だと知識で張り合うばかりで、自分が仕事もしないのに偉そうでつまらない人が多いのだ。今の日本のものづくりの一番駄目なところ。
2018年01月23日
今日は、機を載せ替え。載せ替えて織り出してみると筬割れが気になる。良い筬と交換するべきか、それとも修理するべきなのか、レピアの筬なら精密なので確実に交換するだろうけど、シャトルの筬なので修理しやすいので修理することにする。修理といってもドライヤーともうひとつ道具を使って、ドライヤーで鉄の筬の悪いところの上部を熱して樹脂を溶かして冷ますだけのこと。これで、開いたりしてしまった筬が、鉄が伸びて樹脂が溶けて、冷ますことで樹脂が固まり鉄も縮まりまっすぐになる。1時間半ほどの修理で、ほぼ完璧に元に戻った。こういう作業というのは特別難しいわけでもないけども、私自身時間がないのでなかなかじっくりとはできない。

仕事というのは、どうやるのかが分かっているだけだと何の意味もない。実際にやってそれが普通に続けられないと仕事としては成り立たない。現場では知識を持ってえらそうにしてもしかたないのだ、正しい織物が正しくできるように動けないとなんの意味もないという割りきりが大事で、誰かが自分のために準備してくれるのをまっていても仕方ない。

整経や織なんていうのも、1週間勉強すればあとは実践しかないだろう。最初の1週間に覚えたことを一生の仕事としているのが繊維の現場にありがち。どれだけ、実践したかが成果で、知識をつむのは遊びの部分。広い知識なんて必要はないので、目の前にあるひとつの仕事を確実にこなしてゆくことの繰り返し。問題にぶつかればそれを解決してゆくのが仕事、もちろん、よい先生?に出会えればよいだろうけど、大人がいつまでも子供のように教えてもらえるとは限らない。自分で失敗してでも正しい答えを見つけて行くのが問題解決の正しい方法で、それをすることで失敗を乗り越える力がつく。
2018年01月21日
今日は土曜日、一日工場に缶詰状態。リネンの細番手を織っている織機の調子をできるかぎりあげる。送り、開口と筬打ちのタイミング、あぜ棒、フレームの高さ調整、耳糸の調整、レピアを磨いたり、10箇所くらいの調整を掛ける。経切れで5cmも織れない状態がうまく織れる様になった。丸一日の調整、並行して糸を割ったり、他の台を織りながら。最後にインバーターを取り付けてスピードを落とすようにし、1割ほどスピードを落とすことで安定して織れる。

麻を広幅の織機で織ろうとすると問題なく織れるようにまでもっていくのは、手織りよりも大変だったりする。70点くらいまでは簡単なのだが、100点に近づけようとすると、70点までもっていく3倍くらいの集中力が必要で、絶対に動くと信じて調整を掛けてゆく。私自身の時間は限られているので、常に想定される問題の解決方法を短時間でやってみる。作業している途中で本当の原因が見つかることも多い。

織れるようになるためには織機をみるでなく、糸を見ることが必要で、糸を見ながら織機を調整してゆく。金曜の夜から始まって日曜日の朝まで、仕事する時間がなく、いつもじっくりと仕事できる時間がほしいと考えているので、時間がたっぷり使えることはありがたい。
2018年01月20日
はさみは使いようという言葉があるけど、私自身はほとんどどんなはさみでも糸を切ることができたりするのだが、林与の会社に来て、はさみを渡しても糸を切ることができないところから始まることが多い。何年も使い込んだはさみはシャープではなくて丸くて安全で、そういうはさみを使えるというのもコツのひとつ。

私自身も、普段の作業とは異なる何百倍の精度の修正作業をするときには、よく切れるはさみを使ったりする。そういうはさみはそれように良いはさみとしてとっておく。よく切れるがすべて良いとは限らず、角の丸いよく切れないはさみも、普段持ち歩いてつかうのには安全で便利なのである。あとは使う人次第だったりする。はさみだけでなく織機も同じで、使い込まれた織機というのはすべてが丸い。その丸い織機を使いこなせるのか使いこなせないのか。新しい部品なんかは角がある、新しいはさみと同じなのである。
2018年01月19日
今日は助成金の締め切りで、広幅絣織物で3年目の申請。この助成金では林与が最多回数もらっている2社のうち1社であるそうで、同じお金でできることが3倍になるので、活用させてもらって自分のやりたいなあと思っていたことができありがたいことである。平成30年度はこの助成金の最終年度で、活動できる期間が8ヶ月と限られていて、材料など準備するだけで3ヶ月くらいたってしまうので、実質5ヶ月ほどで答えとなる成果を出さないとならない。

通常の仕事でひとつの新しい企画は2年、3年掛けて構想を練って試作を繰り返し形にして、売れるところまで持ってゆく。林与の場合には、商品というよりも生地という素材の部分なので、検証できる期間が必要であったりするのである。素材というのは変化するので、何年かたったときに問題が見えてくることある。その予兆を感じることができないと試作ができたからすぐに販売に向けて動くと危うい。染色や加工が絡んでくると安全性の面なども検証が必要でそれを考えるのも素材開発の重要なところで、通常の物性検査では見えないことも多いので、実際に使ってみて問題がないのかなど判断をすることが多い。

ブランドの商品開発の方で、「○○つくりたいのだけど、どうやって作ったらよいの?」とかから商品開発を教えてほしいと頼まれることが多くそういう商品開発が一番困る形だったりするものである。正直な話、アパレルの方が麻のものをやりたいのだが麻のことは初めてなのでとかの場合、弊社の生地でなくてもよいので、最初、麻生地を数メートルでもどこかで何点か買って服をつくられてみてを勧めるが、それもされないと、後々問題だらけだろうなあと思う。

繊維の世界が怖いのは作っている会社自体が何十億円の問題でもへっちゃらだったりするところで、年商十億のビジネスが成り立っていたりする。年商100億の急成長のブランドでも数年後には倒産とか。展示会のときに、そんな会社の社長と数人の部下がブースにこられたけども、社長が電話されるならまだしも、部下の方が社長が頼んだサンプルまだですかいやならいいですよみたいなのとか、別の会社でも上の人が林与に挨拶にいってこいみたいな感じで展示会のブースにこられた下の方が、うちとは口座開くの難しいかもとか言い出されて、会社でも力のない社員様だったり。その方が窓口な以上は、もう上の方が頼まれても取引しませんがその時点で決定。

その会社からは別の担当の方から電話で、こちらが客側の立場で100万ほどの材料を買う電話での話だったけど、注文確定書は違う商品。気がつかなければ、弊社の御発注となる怖さ。担当したその会社の社員も自分が手元にないものをあるといって違うものを受注確定書で発送すると送ろうとするミス。いつも買ってほしいという上のものには後日笑い話で伝えたが、私がその社員のファックスを見逃がして原材料を加工工場で加工してしまったら何百万円の実損で、私の受注した仕事はアパレルにとっては1千万円とかの機会損失。斡旋したのが生地商社だったからよかったけど、私自身がそんなミスをして、生産できますと受注を受けたら、そこでその商社からもアパレルからも受注したじゃないの絶対に生産する義務がある話になるだろう。私がファックス1枚確認して気がついて何百万、何千万円の失敗を防いだケース。田舎だと家一軒買えるレベルの怖さ、素人だと本当に怖い世界。

在庫がないのに間違った話をしたその会社の担当も自分が間違っていたことを悪びれる様子もないのが怖いレベルで、年商何百億の会社でもそんなものというの腹がたつ。数年前に、原材料の海外メーカーとその会社の取引の前に、その海外の原材料メーカーから林与にリファレンス依頼があって私が日本の繊維業界でも優良企業だからとその日本の会社をアプルーバルしたのが私だったから余計に腹が立ち、自分の責任だと感じるところがある。その営業マンが他に同じようなことをしていないかが案じられる。上のかたも、その会社も、うちからも買ってほしいといわれるけど買ってみると一番簡単なところでどうしようもないことにつながる危なさ。請けていない仕事だったので笑い話ですんだが、請けてしまって原材料を加工し届いてはじめて気がつくのが数ヶ月あとなら大問題。分かってて間違ったもの押し込んでくるタイプは一番困る。
2018年01月15日
ムーミンがセンター試験に登場したという話だが、クイズ番組かよと思える内容。センター試験というからには、高校の教科書にムーミンが載っていないと不公平が起こる。誰もが日本人だとテレビを観ているという想定があるのだろうけども、親がムーミンを子供に見せない家庭だってあるだろう。ムーミンを授業で教える高校があるのかというあたりに尽きる。

問題作成者は、たぶん私くらいの世代で、昔、アニメを見ていて常識のひとつで、面白い問題だと思っているのだろうけど。これが答えられない受験生にとっては、なんでこんなのが大学受験に必要なのかというあたりだろう。適切不適切の判断力がない人間が問題を作成している。大先生タイプの人にはこういう人が多い。

昔、大学の数学の一般教養の問題で、私は100点とったことがあるけど、それがむちゃくちゃな問題で、計算じゃなく、雑学程度の問題2問を、完結に書けで、1行づつ20文字程度でそれぞれ答え書いた。私は100点とれたがあれでは駄目。0点の子がかわいそう。京都大学の先生だった人らしく、人気講義で1000人近くが受講者となったが、他大学の学生のことなんてどうでも良い先生だったと思う。

しかしながら、これが社会の縮図なのかもしれないと思うことも多い。ファッション関係でもその場限りのブームが多く、正しく仕事をしていてもお金にならないことが多い。正しい答えがその場の状況で変わることが多いし、計画どおりの結果になることはほとんどないだろう。採点する相手次第で、100点にもなれば、0点にもなる。ムーミンの問題の正誤より、ムーミンの出すのはどうなんかなあという感覚が実社会的な問題。
2018年01月13日
整経機が止まらなかった原因の可能性で、3つくらいの原因が考えられ、そのうちのひとつの問題ではないかと想定し、整経機に調整を掛ける。微妙なことなのだが、これが機械、問題がなかったかのように普通に止まる。

機屋さんからの相談に整経をしてくれるところがないという相談が年に何件かあるが、場所があるなら整経機を自分で入れて整経も自分でされるほうが、小回りが利いて将来性もあってよいだろうと思う。それをやられるところが少ないのが不思議なくらいだが、整経機を入れたら入れたでこのような問題があったときに、誰が解決できるのかというと、部品は手に入るかもしれないが、微調整などは自分でやらないと駄目な部分がある。

機屋にしても、織るという一番簡単な作業はできても、織機の簡単な調整ができなくて、みんなこの部分ができなくて、廃業に追い込まれるのだ。工場長をしてもらってた何十年の経験のあるおじさんでも60半ば過ぎると最後は、1分でできるレピアオープナーの位置の調整もできなくなり、私にどうやってやるのとたずねる。そういう傾向は、だれも働いている人なら、慣れて自分がやっている気持ちになった30過ぎからあるだろう。そこからは作業も落ちて行くばかりになる。

ひとつの要因なら簡単だが、2つ3つの要因が重なると調整は、3倍から10数倍難しくなる。これを乗り越えることが何十年の経験者でも難しく、織機がまともに動かない問題があると仕事も受けると危うくなる。日本では織機メーカーが消えて、だれも織機の動きを保障できるものはいなくなり、自己責任で機屋が動かしている。日本ではレピアヘッドひとつが7万、8万でバンドもいれると10万するけど、中国だと2000円から3000円でバンドも含めて新品が手に入る。

この考え方は機械だけにとどまらず、日本の繊維業界というのは人を育てたり生かそうと努力をする。海外は欧米にせよ、中国などにせよ、人も交換して対応のことが多い。日本だとそういう修理や調整ができないと働く人としては難しい問題がある。日本のレピア織機など、鉄の価格が下がって中古だと自動車と同じでマイナスの評価しかない。シャトル織機も重要な交換パーツが手に入りにくくなり、もうすぐそれに近い状態になるのではないかと思われる。

ある場所に入ったシャトル織機も動かせるようにするために、自社の入れただけでは問題が多すぎてまったく雨後かないシャトル織機と同じように、的確な調整を必要とする。ある場所から買っていれたシャトル織機は、その工場では入れて一度も動かなかったという、よく分かる話で、林与に来て経験のある職人さんにさわってもらっても動かず10cmもまともに織れない。つかんだら会社が潰れる話から始まる。

過去に10台入れた織機も9台がまともに動かないとか。そういう原因を究明する力がなければ仕事を受けていたとしたらその時点で廃業になる話。そういうのを乗り越える力がないと難しい。昔と違うのはそこで昔の人以上に今の人というのは総合的な能力を必要とされる。

2018年01月09日
今日は午後から京都、染料店で買い物したあと、卒業展示を観に四条河原町へ、そのあと藤井大丸、錦市場へ寄って、夕方会社に戻る。京都は学生時代に住んでいたのでなじみがあるのだが、学生時代に立ち寄るところとは今は別の場所が京都の目的となる。京都というのはやはり昔からの都で場所が限られている。

人の集まる限られた空間を選ぶのか、人の少ない広い空間を選ぶのか、どちらを選んだほうが自分にとってよいのかという選択になろう。その選択がライフスタイルの選択となる。価値観も変わるだろう、移り行くものを追うことになるのか、同じものを見つめることになるのか。

いろんなものがあるのが魅力だったり、何にもないのが魅力だったり。自分に一番あった場所を見つけることがよいのだろうと思う。それは場所なのか人なのか、ものごとなのか。自分に合った場所を見つけることができなければ作り出すとかも大事だろう。自分で自分のいる場所を作り出せる人というのは幸せなんだろうと思う。

外を探し求めることが大事じゃなくて、自分で生み出してゆくことが意味のあることと気がつくと、自分の価値観でものごとをやっている人というのはそれだけで大きな意味のあることというよりも、それがすべての価値観を生み出す大きな要因なんだろうと思う。

人々は完璧なものを求めるのに、オーガニックのような不完全なものを求めようとする。オーガニックが完璧かといえば、完璧なオーガニックというのは、その考え方自体がオーガニックじゃない。ありのままを受け入れるを基本にして人の努力の積み重ねで完璧に近づけようとすることを評価する。完璧なものを追い求めれば、ラベルだけで中身は別物ということになりがちなのがオーガニックの世界。リネンをやっていると生成やオフ白が、原料のロットによって色ブレがある。それを否定する考えもあるけども、それを許容する考えが消えてしまえば、オーガニックと反対の化学的なものづくり。

生成の色がぶれるのが嫌ならベージュに染めて、オフ白が嫌なら塩素系の本晒にすれば解決だが、オーガニックの良いところは揺らぎで、自然要因に左右されるあたり。林与のナチュラル仕上げも洗い加減、干し加減などに左右されお客さんが困られるれるけど、それがオーガニックな加工の結果。機械で矯正じゃない天然の要素と人の要素で裁断や縫製にはご迷惑かけますが、同じように人の力でなんとか最終形にもっていってもらいたい気持ち。オーガニックは、仕事だけの気持ちでやったらまともなものを出来上がらないのも、人の覚悟と人への優しさ、お客様への正直さが必要なオーガニックな世界。
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