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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年03月26日
3月27日28日、ヒルサイドテラスアネックス A棟で行われるNINOW展に、今朝から弊社の女性デザイナー斎藤が準備のために出発。若手のテキスタイルデザイナーたちにスポットを当てたイベントということで、私は会社で留守番。斎藤が染の作業を担当した広幅絣織物もハンガーを並べる。

横絣の織物が味があるなあと思えるのには裏にいろんな苦労があったりする。横絣というと技法だけが持ち上げられるが、デザインの部分も大事で、林与の場合は、おじいさんの頃につくられた近江上布の柄を広幅で再現するという形で林与の昔のものを継承しているので、NINOWのコンセプトにも合うのではないだろうかと思える。

元となる近江上布はあそびのような余裕を感じさせるデザインなのに、完璧な材料と技法に支えられていてそこも見逃せないところに思える。お釈迦様と孫悟空の話のように。そういう余裕みたいなところが力を感じる布なんだろうと思う。そういう技法の面白さやデザインの面白さをリネンワンピースにしたら布の力が伝わるようなワンピースができるだろうなあと、いう思い。6点の試作だが、私が見ていい感じに思える、力の伝わるような布ができたんじゃあないのかと思う。

今は、現場で通常の生産の仕事に手を動かしながらも、頭の中は、どうやって広幅絣をつくる機材を工夫するかというところ。広幅に織るだけでなく、捺染するのも広幅。頭で考えるだけでなく実際に形にするために実用に耐えうる機材を外部の協力も得ながら自分で一つ一つ揃えてゆく。それぞれの機材の製作で、ブレークスルーが必要だったりする。横糸に捺染すること、横糸を蒸すこと、横糸を巻き返すこと、横糸をシャトルの管に巻くこと、そしてその横糸を織り上げること。また、力を感じるようないい感じの布の風合いに仕上げることも大事な要素。

こういうクリエイティブな部分も単純作業も仕事は仕事。私の中で、どちらが大事かというと単純作業の部分だったりする。単純作業をこなせないとクリエイティブな世界が絵に描いた餅に終わることがほとんど。頭や口じゃなくて体や手、足を動かすことが大事で、面倒がらずにいろんなことを前向きにやって行く姿勢を貫いていれば経験の長さではなくて経験の深さでできることも広がってゆく。
2018年03月23日
地元の商売の多くが小さな頃から知っている同級生や私の兄弟姉妹の同級生が担い手となっているケースが多い。地域の受け皿的な部分があって、商工会の活動などもボランティアを超えたような持ち出しの行事であったりするが地域を盛り上げようと活動されている。

業種は違っても苦労は同じだなあと思うのは経営者の抱える悩みの部分。働く人は普通を経営者に求めるけど普通だと生き残れないもので、特に田舎の商売が生き残るためには、個の力の重要性が必要かと思う。特に先日まで中国にいて、非常に高速な地下鉄に1時間半のって9元、150円ほどというのも、上海全域がビジネスチャンスの好立地となるインフラ。人が都市に集い、商業が自然と成り立つようにインフラが整備される。政治家や行政の人間が国民を騙したり食いつぶさない、騙したり食いつぶしたら反感を買って、退陣後犯罪者となり投獄まであるのが、

旧共産主義国のほうが資本主義的な発展が容易なのもそのあたりだろう。たとえば、私自身は問題を生み出しやすい仮想通貨などには反対の立場なのだが、政治家や行政は、それにこれからの日本のビジネスモデルを賭けたところがある。通貨そのものが持つ、借用書的な意味合いがすらないのに通貨と呼ぶのは、「儲かる」からという要素で買い手が増えているだけに過ぎず。人からお金を借りて返すという要素もなく、お金を吸い上げ、国もそれに便乗し税金とっては、そういうものの価値が将来落ちたときに自殺者や国が救えないものを増やすだけのことだろう。

株式市場とも似ていて運営側の裏の工作は容易であったりして一般は鴨になる確立が高い。アメリカの株式市場でも、コンマ何秒先に運営側が売り買いできるようなシステムで一般を欺き利益を上げるのが問題になった。Fxに関しても、為替相場だと思いきや、そうじゃない戦い、自分がお客さんになったFx業者とのお金の取り合いというのが本質で、ラスベガスのカジノそのもの。560億円の事件でも返金しないで破綻というケースも普通だったろう。560億円が消える事件、裏の闇は深い、そんなものを認可出して問題は増えるだけだろう。本来なら国が認可出すなら、それを追い詰める能力がないと、なくなりました終わりでは騙したもの勝ちに認可を与えるようなもの。
2018年03月19日
今日は最終日、最終日はお客様は初めの2日よりは少な目。今日は勉強になったのは、私のブースの前はデザインを販売する会社が集う場所で、イタリアやフランスのデザイン会社がデザインを売っている。ジャパンパビリオンのブースを設計をしているクリプトンの中筋さんとお話していて、デザインを売るというのはどのような形で成り立つのだろうかという疑問。

一般には、一つのデザインを買えばそれは買った人のものという概念。そのデザイナーやデザイン会社のデザインに関する著作権そのものを買って自分のものにするということ。この2日、目の前のデザイン会社の展示会の様子を眺めていて、サンプルをみせてはいるものの、そのサンプルをお客さんに渡しているような感じがしなかったので、何が本当なのかという疑問。斜め前のイタリアのデザイン会社の人が、お客さんがおられなかったので、デザイン会社の商売というのは何なのか聞いてみた。

サンプルはインクジェットプリンタで、ポリエステルの安い布にプリントアウトされていて、お客さんがそのデザインを買うとそのサンプルそのものを渡すということ。値段はその会社の場合、3000ドル。著作権が買った人に移る。世界中でそのお客さんがそのデザインの著作権を持つということになり、お客さんはその作品そのものだけでなく、そのデザイン会社の場合、その作品の一部を部分使いするような権利も有することになるそうだ。

その会社の場合、40人のデザイナーがいて、一ヶ月に1000点くらいのデザインが生まれるそうで、日本にも代理店があるそうだが、その代理店の抱えているデザインは、その代理店しかもっていないということで、買ったお客さんは世界で唯一そのデザインを有するお客さんということになる。非常にクリアな形にしてある。なるほどなあと思う。

でも、私がみていてデザインをお客さんが手にして持って返るということがほとんどないのもうなづける。見せるはするけど、お客さんは買わないというパターン。見るだけ見て買わないで、似たようなものをつくるケースが多いのではないだろうかと思う。デザイン会社が、お客さんにデザインを見せるということは危険な側面があると思える。

林与もそういうところには注意をしていて、林与のブースにくるお客さんも1割2割の方は、携帯で隠れて撮影している人がいたりして撮影は禁止であることを注意すると去ってゆく。アパレルの世界も盗むことが仕事の人も多く罪悪感すらもない。自分自身が作る場所ももたねば、アイデアというのは実現もしないもので、身軽に企画をしようとすると自分で生み出すより外からヒントを貰ってそれを真似る程度の企画しか生まれない。

私自身、ほとんど外を見て回らない、自分の中でものを作り上げてゆく、だから新しいものが生まれる。仕事のスタイルも独自で外の仕事のスタイルを真似ることはしない。仕事哲学的なものも他の人とは異なるが、それでよいと思っている。インテキ上海や海外の展示会に出展している会社ではそういう会社は少ないといえる。会社の体制を整えると体制がものづくりを制約し、できないが増えてくることが多い。
2018年03月15日
今日はインテキ2日目、朝は通訳の人と北京のサイモンさんとホテルの近くで朝食。3人でいっぱい食べて24元。超大食いの林与にとっては天国。会場に地下鉄で向かおうとするも、地下鉄が込みすぎていて乗り込めない。3回くらい乗れず、あきらめて、逆方向の電車に乗って地下鉄が空いている駅から乗る作戦。この作戦は、遅刻覚悟の作戦。

東京も同じなのかもしれないが、2分後とにくる電車がほとんどの路線で満杯で乗れない。東京以上だと思う。これくらい混んでいるから中国の経済は順調なのだろう。名古屋空港からの上海の飛行機が往復で2万円というのも不思議な話だが日本国内はなぜか難しいことが多いような気がする。北京のサイモンさんが上海に来るのに往復で2000元というから、日本から上海の飛行機のほうが安い。

会場でも、絣のストールはひとつしかないサンプルで売れないのだが、全部絣のタイプは1枚が10万円だといってもほしいという中国の方が何人かおられる。1年前にストールブームは終わったような気がしていたのだが特別なものは流れる。ジャパンパビリオンは常にたくさんのお客さん、林与も今日もお客さんが途切れることがほとんどなく、たくさんの方が絣のプロジェクトを見に来てくださる。

林与の近江上布のアーカイブは布を探求しておられる多くの方に驚いてもらえる。そのひとつひとつが力が篭っていて、何千とあってもどれひとつ失敗がないように思え、どれ一つ今つくろうとしても、技法的に限界を超えていて、また、技法だけでなくデザイン性が人の心を捉える。テキスタイルデザイナーにとっては数百枚のハギレでも美術館以上の価値を感じてもらえるかもしれない。その世界を今、広い幅の織物で再現でき、日本の布の力を世界に発信できるような準備ができつつある。

伝統工芸じゃない世界で日本の布の力を発信する。布は、世界中の織物職人たちのコミュニケーションの手段。インテキ上海でも、40cm角の6つのハンガーが人々の目を引く。一晩でスタッフの斎藤と二人で染から6柄織る所まで、覚悟を決めた1日。そういう思いを詰め込んだ一日で出来上がった特別のものが人々に語り掛ける。
2018年03月14日
今日は、朝、今回はじめての通訳の人と出会わないのといけなくてそれがうまく行くかどうか心配していたがうまく地下鉄の出口で合流できて、展示会スタート。中国のお客さんが3分の2以上くらい。海外のお客さんは3分の1以下だった。

中国でのリネンの人気は高く、高級なブランドやお店がリネンの商品を探しに来る。今回は、広幅の絣織りのプロジェクトをメインにして、どういう反応があるのか、多くの方々が絣のサンプル生地に興味を持ってくださる。絣織物の想定価格は1m2万円から3万円、説明するとその価値を分かってもらえる場合が多い。ただし、商売として売れるのかどうかは別の問題であろう。展示しているストールサンプルなども想定価格を説明しても売ってほしいといわれる方も多かったが、ストールなどもまだ本生産ができておらで、それらを売ることができないのだが、本生産するのが楽しみである。

リネンのワンピースになると広幅絣は10万円くらいのものになるだろうと想定。ネットでの直売や百貨店イベント、委託などでの販売を考えている。染も昨年よりも品質を上げたので、プリントでの染よりも色がしっかりとしている。これは、布を染めているのではなく、糸を染めるので、色がリネンの中まで入っているから絣ながら色がしっかりとしているということだろう。

お客さんだけでなく、手織りを自分で仕事にされている方や手刺繍をされている方などが、絣織りに興味をもたれて、絣の技法に関してのものづくりの部分の話をさせていただいた。なかには自分がテキスタイルに求めているものの答えがこれだ、という方も居られたりした。たぶん、インテキ上海のテキスタイルの中では一番くらいに手の込んだ特別な世界の布に見えると思う。

日本の布が世界に出てゆくときに、日本の布の力を感じてもらえるようなものを作りたいと思って、通常の仕事の合間を見つけて試作をつくっているが、私としてはかなり十分な出来であとは実践の中で完成に近づけてゆくべきだと思う。絣に興味をもってくださる方が多いのが本当によかった。

夜は、インターテキスタイルナイト。近くのホテルのバルーンルームで、各国の招待された出展者やVIPバイヤーが500人くらいブッフェを楽しむ。私も遅れてだが通訳の方と参加して食事を楽しんだ。北京で生地商やってる展示会で知り合ったここ5年くらいの友人サイモンも、一緒のホテルに部屋を取って夜遅くまでコンピュータで辞書引きながら話。
2018年03月13日
中部国際空港に8時過ぎについて、チェックインを済ませてから、海外WIFIを空港で手配する。

朝9時半の飛行機に乗って上海に向かう。上海の会場までの行き方は簡単で、地下鉄の2号線の出発の浦東国際空港から終点の徐経東まで途中乗り継ぎあるも1時間30分乗るだけ、分かりやすくてよい。

会場には、午後4時前についてブースの飾りつけ。ブースは白い壁なので、それがうまく埋まるようにラベル用紙にプリントした文字を貼り付ける。テーマは、KASURIという言葉とLINENという言葉。今年度つくった、広幅絣織物と前年度の絣のストールをメインにして、回りを近江上布のアーカイブで囲んでそれなりに賑やかな感じなってなんとかなりそうで落ち着く。

ホテルは、地下鉄で30分くらいのところ、駅から歩いて5分くらいか、1泊165元で上海では安すぎるくらいのホテル、初めてのホテルでどんなびっくりがあるのか。ホテルについてチェックイン、日本語と英語は通じないが、チェックインもできた。窓のないような部屋になりそうな気がしたが、割り当てられた部屋は、部屋が広すぎて、バスルームも4畳くらいある。びっくり。シングルベットルームが空きがなく、3人宿泊できるような2ベットルームを割り当ててくれたのだろう。

近くの海鮮料理店で一人で夕食を取って早めに休む。
2018年03月12日
今日は、インターテキスタイル出発のための準備作業。林与のカタログを準備して、ハンガーを作ろうとするもののタイムオーバーで、近江上布絣プロジェクトのための、壁にディスプレイするラベルを印刷するのが精一杯。

とりあえず、スーツケースに必要なものを順番に詰め込んで、留守にする間の工場の仕事の準備をする作業に入る。縦糸を送って、横糸を準備するなど。出発時間ぎりぎりまで、作業するも終わりきれず後は留守のものが前に進められるかどうかは心配なところ。

とりあえず、朝まで作業を続けて空港に出発。
2018年03月11日
昨日、夕方綾部から戻ってから、夜、機の乗替と経繋ぎ。冷え込み寒いので休憩して朝から続きをする。昨日、綾部の行き返りの5時間くらいの高速道路での運転途中、広幅絣の効率化のための道具の考案方法を考えた。そして、朝起きたら別の考えが浮かんできてそちらのほうがうまく行きそうで、材料をネット手配しようと計画。今までがんばっても丸一日掛かったひとつの工程がたぶん3時間でできるようになるのではないだろうか、後の工程もスムーズになり、一日で捺染を含め織る前の横糸の準備が完了するような形、織るのが1日なら、2日あれば、1柄分の生地が完成することになる。頭の中で考えるようにうまく行くのかは実際に機材をくみ上げてやってみないと分からないところもあるが、ブレークスルーできたのではないかと感じる。

昨年のゴールデンウィークの5月3日に、東京の二宮とみ先生のところに午後、お邪魔して型染めの基本を半日教えていただいてできそうな気がして、それでも、ライフワークで完成かと思いきや、2年で本生産も視野にいれた形になりそう。2年前までは近江上布のアーカイブは再現不可能だったものが、今は、再現も近づいてきた。

ファンドの事業の2年目で、リネンワンピース用の生地の試作を行うということで、通常の本生産の傍ら構想を練って失敗も重ねながらこつこつと自分でやってきたことが現実のものとなりつつある。たぶん、自分だけが夢として思っているだけではできていなかったであろう。切羽詰って無理して動いて経験値がどんどんと上がって効率的にするアイデアも浮かんで本生産が視野に入った。

助成金というのは活用次第であろうと思うのはそこで、自分で夢で思っているだけではなかなか現実のものとならない話が多いけど、デッドラインが決まっている話になると、それを目標に形にしようと動けるメリットがある。また、勉強も活用次第だろうと思う。私が二ノ宮先生に頼んだのもそこで、自分でやりたいから分からないところを教えてほしいということで自分でやれるように教えてもらった。

視点としては、私自身は、何千点ものアーカイブを、いろいろと形にしてゆきたいので、それひとつが出来上がるのに1年掛かっては、楽しみが少ないのである。毎日ご飯を食べるように、近江上布のアーカイブが広幅の生地となって再現できることが、自己満足ではない、仕事らしい仕事。自分の環境の限界を知りながら、同時に、手元にあるシャトル織機を活用しオンリーワンなものづくり。

量産の世界はプリント工場の協力をお願いすれば、今までご協力をいただいた皆さんにもよい話を共有させてもらえるのではないかと思える。
2018年03月09日
今日の夕方にファンドの審査の結果の連絡があり、今年もファンドの適用を受けることができることに決まり、よかった。今年は着物向けのラミー素材を広幅絣で織り上げる。リネンではうまく行ったので、ラミーでもうまく行くのではないかと考えているが、縦糸に糊が強くついていることなどがどう影響してくるのか。また、加工工場での揉み工程で色落ちなどしないのかの心配。まあ、そういう問題も乗り越えることができれば楽しみのうちのひとつになるのかも知れない。上等の布が出来上がることを目標に動いてみたい。

補助金というのは使い方次第だろうと思う。うまく使えば、自分のやろうとしていることを単なる夢で終わらせることなく、形にするところまで期限を決めて持ってゆける。よく出会う人たちがこんなことがしたいという将来の夢を聞くけども、できそうなことなら今日、明日にでもやってみないとと思うことが多い。

実際、夢を持っていてもそれを実現することは決して楽なことではないので、現実が伴う。現実が伴うと逃げ出してしまいたくなることもあるだろう。夢が大きければ大きいほど、直面する現実の壁も大きいものである。自分の能力を高めないとそれは超えられないだろうから、理想は高級な生地だけど、自分自身が高級な生地を作る覚悟をしないといけない現実がある。

2018年03月08日
今日は午後から、しが新事業応援ファンドの審査会、会場に行くと近江八幡の清原さんもプレゼンでお越しで「いつもダンディーですね」と率直な感想でご挨拶。プレゼンは、4分、質疑応答も4分で、ほんと時間が短すぎて、最低1時間ほどはほしい気持ちがある。肝である絣織物が何なのかを説明する局面にも遭遇するがそんな短い時間でその価値を分かってもらえるのかどうかという不安もある。

来年度は3年目で、着物向けのラミーの広幅絣織物の素材開発になる。より近江上布のオリジナルに近いものを目指す。

プレゼンはプレゼン、終わって帰ってきて仕事。リネンの厚地を織るのにここ数日没頭。織機の調子をどんどんと上げてゆく、糸を替えるだけくらいに簡単に織れるようになって、打ち込みが少ないので1時間3mほどは織れるまでに。なかなか難しい織物だけに、うまく織れて本当によかったのである。夜中も、動かし続けてなんとか。疲れたら寝るパターン。



2018年03月01日
林与のシャトル織機には、シャトルが4個入る杼箱というものがついている。それが上下してシャトルのお尻側をピッカーと呼ばれるもので叩くことで、シャトルが飛び出す。今日はヒガエがうまく行かず、2番から4番のヒガエに変わるときに咬んでしまう。本気の手術開始。

どこが本当に悪いのか分からないところからスタート。予測したのは、まず、ピッカーのバックするときの位置の調整。駄目。次に杼箱に問題があるのではないかと推測、杼箱の2つのねじが外れていたので、杼箱が上下方向に広がっている、また、横方向にも広がっている。結局、他の織機の杼箱を取ってきて交換してみるがこれでもない。その次に推測したのは杼箱を上下させるカムのストッパーがちょっと左右に位置がずれていて上下してカムを回すギアと引っかかってではないか。調整したがこれも違う。次に、シャトルを叩くタイミングの調整これも違う。その次に、ドビーでヒガエを取っているのだがその途中のバネの具合を見る。これも違う。結局のところ、ピッカーが戻りにくいという問題を解決しないと。それで思ったのが、ピッカーの2本の棒が少しぐらついているのではという問題。これが答えだった。

普通、それまで問題なく動いていた織機にこれだけいろいろ調整を掛けると織機がガタガタになることが多い。そこはほんと気をつけていつでも元に戻せるような形で調整を掛けてゆくことが必要。これだけで、丸2日ほど時間が潰れてしまった。
2018年02月26日
3月27日、28日に、若手デザイナーのNINOWという一般向けではなくプロ向けの展示会が東京である。https://ja-jp.facebook.com/ninowtextile/ NINOWには産地を担うという意味がこめられている。弊社からも仕事経験1年の斎藤がデザイナーとしてたつ。私自身は、産地を担うというスタンスはあまりなく、自分がやることで産地が産地として残るだけなんだろうと思う。たとえば、先代のころのものづくりを担ったところで、テイストも異なり、売ることも難しいだろう。かといってよいものづくりだという評価はあるがそれが通用しない、でも、残していかないといけない。そうなってくるとそれは残すために新しい他の仕事で埋めてゆかないといけないことになる。

参加させていただく弊社デザイナーの斎藤にも、展示会に出て一番最初に気がついてほしいのは、自分が企画してものをつくっても売るのが難しいという現実。会社で仕事していると仕事した気分になってつくったものは売れるという前提で給料ももらえるのが普通に思うが、実際、ものをつくってもそれが売れる確立は低い現実を知って、売れるところまでを考え自分が食べていけるような感覚と力を身につけてほしいと願う。ひとつの企画が駄目なら並行して企画を立てて、そのうちのひとつでも注文が入ったら自分から生産に動いて仕事を一貫して成し遂げる気持ちが大事。

常に新しいことをどんどんとやって自分自身がいろいろな経験をして現状の問題を打開してゆくことがその人の力となる。高齢化する産地を支えるためには、熟練の方の仕事の準備や後片付けをすることが不可避であったりする。私も仕事に入ったときから、雑用や他の人ができないところばかりしてきたから、一人でも全部の仕事ができて新しいことでも簡単にこなせる力がある。

何十年の職人さんが動かしてこられた織機を受けても、その織機を動かせばその職人さんの抱えられていた問題が包括的に見えてくる。織機には正しく動くようにするための気配りがいたるところに込められていて、そういうのを無視しては織機は動かず単なる鉄の塊。それを理解してさらに自分自身の手を掛けてあげることで織機が問題なく動くようになる。若いころに自分の担当以外に、その職人さんたちの仕事の準備と後片付けをしてものごとが回るというのを感じていただけに、ものごとがうまくまわるように動くのが私の仕事で、全員ができないと諦めた仕事が私の仕事であることが多い。正しい織物をつくれない原因は、織機の問題ではなく織機を動かす人の問題であることがほとんど。

現場の人間が手が空いているのに、他の人にこれやってあれやってでは駄目で、私も若いときから現場の人間以上に難しいことや面倒なことをこなしてきたから、仕事をするのが当たり前の姿勢を誰に対しても言える。先代や先代世代に対しても自分が仕事するのが仕事であるということを常に説くから、先代世代からも方向性が逆なので嫌われることが多いけど、実際にいろんなことを自分が仕事して経験していると見えることもある。

問題解決には自分が仕事することが一番、仕事に自分の仕事じゃないとかなんてまったくないのだから、自分が本気で最後形にする覚悟もつところから。一人でも仕事をすれば仕事は成り立つというところまで持っていかないと一番大事な仕事が成り立たない。新しいことやりたいなら、今の仕事よりも難しいレベルのことだろうから今の仕事くらい普通にこなせないと理想のところで止まってしまう。年配の人たちがやってる仕事を若い人が面倒がるようなら駄目で、軽くこなせないとその人の仕事の力と考え方に伸び白もない終了サイン。

日本で織物つくるも海外の人が織物つくるも同じ競争の話。日本でつくるなら違う考えをもって仕事以上の気持ちがないとなかなか評価すらももらえない。若い人が仕事するときも年配の人以上に上手に仕事こなせないと食べても行けない現実。方法論ではなくて、目の前の仕事を前に進めてゆくことで、仕事というのは成し遂げられるし生まれてもくる。
2018年02月25日
展示会のブースのコマ割の発表があり、よい感じの場所が当たったようでお客様には見てもらえそう。昔、展示会に出始めたときにはブースの場所がすごく大事に思えたのだが、力のあるところがあえて悪い場所を取りに行き全体にお客さんが回るような話を知って、展示会も時間なく準備できないけども、自分のこと考えているようでは駄目だなあと。新しいところによい場所が当たって全員が盛り上げていかないと展示会だけじゃなくいろんなことが難しいだろうと思う。

愛荘町の町長選挙があって現職が負けて新人が当選した。優先的に新しい人に仕事を任せていくようなことも大事だろう。町長なんてのも落ちた後でも地域の区長やボランティアやれば町長の役目以上に地域に現実的に貢献をできるものである。下から地域を支えるようなことができる人は、人間的には町長よりも上のクラスだろう。新しい町長も何十年も居座るでなく理想の形ができたときには次に譲るを考えてもらいたい。

町長が一番若く新人で43歳、町の議員の一番若いのが新人の58歳、議員の平均年齢が70歳くらいというのが愛荘町議会。この構造は、旧の集落が人が減り始め、新興住宅に若い世代が入ってきて、高齢の議員は票の取り合いになり、若い世代が少ないので若い人に若い世代の票が集中する傾向がではじめているのだろう。

新しい人が入って来たいようなコミュニティを常に目指すくらいでないと、古い人たちが自分たちの満足を求めていると後がなくなる。新しい人たちに役職を担ってもらって早いうちから全体を見てもらい世代交代してゆくことが大事ではないだろうか。別に熱い思いをもっていれば年齢は関係のないことなのだが実際に自分が動ける人が役職を担う形が理想であろ。
2018年02月21日
アメリカのフロリダ乱射事件のあと、トランプがその高校の生徒たちと話をしたときに、その高校生たちが銃を規制してほしい思いを伝えたが、トランプは教師が銃武装して戦うというような案を提案。国民の代表が国民の声を聞けない民主主義。武器を武器で押さえるという哲学。問題は警備体制の問題かというとそうではない。アメリカの銃が蔓延する社会の問題で、一般の人でも拳銃が手に入る以上、銃で他人に危害を加える以外に、銃での自殺、また、警官による銃を持つ相手を射殺することの多発、警官が銃を持った相手に発砲しないと警官が罷免されるなど、警官ですらも銃をもったものがいれば自殺志願者であろうが射殺しないとならないような制度である。乱射事件のようなことが起こることを受け入れ、警備員を配置することで銃ビジネスが成り立つ。疫病を撒いて薬を売るビジネスじゃないのかと思える。銃をばら撒いて利益を上げ、それから身を守るために銃を持てで利益を上げる構造そのものが駄目だろう。
2018年02月20日
織物の仕事が手間の塊だなあと思うのは、染め上がってくるのに3週間。織る前の準備、整経の糸を割るのに2日、整経に2日、つなぐのに4日、送るのに2日。織る前にですら働きづめでもどこまでも時間が掛かる。織る仕事はたぶん順調にいけば動かす時間をマックスにすれば5日くらいかと。綿の強撚糸の先染で、柄ズレが許されない。織り上げたあとは加工工場で加工。1ヶ月ほど掛かってなんとか一つの仕事がこなせる。

ちょっとの休憩時間に、染料の型染と蒸しのテスト。直接染料だと型染めして終わりだけど、堅牢度が悪いので高級な長く使えるアイテムを染めるのにはより堅牢な反応染料での染。その分蒸す工程を管理する必要がある。先月やったときには、蒸しの温度が十分に上がらずに、洗いを掛けたら色が落ちて3分の1くらいに。温度も管理していたので、温度が足りないことが把握できていて原因も分かっていた。蒸し器の内部温度を100度で12分程度蒸す必要があり、それも技術的に実現可能となって、今の仕事が落ち着いたら広幅の絣織物に着手。

今の段階では小ロットの試作段階ながら、すべての作業を一人の人間がこなしてできるように工程も考えたので、本生産も、極端な話、私一人が数日籠もれば一着分の布ができあがることになる。今年度はワンピース向けのリネン。来年度になる4月からは、本麻での試作に着手ずる。10年前まではできるとは思っていなかった50年前の林与の近江上布を復活させること、さらにアパレルにも使える広幅での復活が見えてきた。オリンピックのころには、より多くの作品を完成をして多くの海外の方に日本の布の力をご覧いただきたいと考えている。
2018年02月19日
オーガニックのラミー糸の強度の問題で色によってうち切れが起こり悩むところ。紡績した錐の問題かもしれないが、一番うち切れの問題の起こりにくい台に掛けて、速度も落としていても、うち切れの問題が発生で他の色に横糸を変えると問題が消える。10m織るのにもなんどもやり直し5日目。なにか工夫して解決方法を探すが、折れないと断念すべきかという局面。2年前この問題で数ヶ月が費やされた悪夢の再発。残り100mちょっとに悩まされる。

5日といっても普通の人の仕事換算だと、2週間分くらいの仕事の労力を費やしての感覚。普通だとその仕事だけでも百メートル以上は織れているはずなのに、10m織るのも張り付いてどうしようもない。他の仕事の手も足りなくなる。麻織物の仕事が怖いのはここで自分の責任じゃない問題ですらもモロにかぶってしまう。こういう問題を助けようとすると自分がボロボロになる。

ラミー糸にはいろいろな問題が潜んでいてかせ染めでレピアで織ると年輪のような模様が浮かび上がる問題や、糸が切れて尾を引いて、横糸切れを感知できずに横2本入ったように見えるキズの問題とか。横糸が途中で切れて2本入ったように見える問題は、細番手のリネンでも起こりうる現象で、糸が細すぎ、弾力性がないゆえに普通の糸だと切れれば認識できるような糸切れも糸切れとして感知できない問題である。

麻糸は均一ではないので、リネン糸などでも、細いところと太いところがあれば、染めた場合に、太いところは中まで染料が浸透しにくいので薄い。平織りの織物でも糸の太いところは色が薄く見えたりする。ラミーの場合でもスプライサーヤーンのように、ノットレスにするために貼り付けてつなぐ紡績では同じような問題が、スプライサーでつないだ部分で起こる。
2018年02月17日
今朝、三角形のガラスの欠片のような形の結石が出て結局は結石が足元の寒さや風邪の原因であったようで体が2年ぶりくらいに相当軽くなった気分。イタリアでの体調不良の原因も分かって、日ごろから水分を多めに取ることを心がける必要がある。結石があると横になりたくなるのは、横になると結石が詰まっているのが解消されるからで、人の体というのはよくできているなあと思う。なぜ、結石が落ちたのだろうと思い当たる節を考えると久しぶりに重めの糸を巻いたビームを肩に担いだからだろうか。

イタリアの展示会で思い出したことに絹織機はなぜ後ろが長いのかという問題。長年の疑問の答えを展示会場で富士吉田の方に教えてもらった。絹を織るために後ろが長い必要があるのかというと、そうではないようで、昔は絹糸の問題を人が織機の後ろで手を加えて解決するために織機の後ろが長いそうだ。今の安定した糸だと絹織機の後ろは長い必要はないことになる。

麻の糸でもときどき、糸質が悪いと私が整経するときに、巻きとり時に手を加えて糸の節などを取り除いてあげることがある。2年前に久しぶりに織った、アイリッシュリネンのハンカチ生地は糸の節をできるだけ取り除こうと巻き始めから巻き取りまで6ヶ月掛けた。時間は掛かって整経機も一台が長い間使えなかったが私なりには満足な結果。人の手を加えることでより完璧に近づくこともある。

なぜ、織物の筬は基本2本通して織るのかという問題もそれなりの答えがあるので一度考えてみてくださいね。1本で織ると、綺麗な碁盤の目には織れるのだが…。
2018年02月12日
昨日の夜、薬局で市販の総合的な風邪用の持続性カプセルの風邪薬を買って飲むと、今まであった脚の寒さや不安感がなくなり頭もすっきりして、イタリアの風邪薬とはかなり違い明らかな体調回復。イタリアよりも近江湖東地方のほうが寒い気がするが、寒さの種類が異なる気がする。

今日は、糸を染工場に持っていって気がついたのだが振り替え休日。糸と指図を置いて帰る。工場を1週間離れていると工場が懐かしい。出発前に行っていた染色関係のものを眺めると、染めたものを織り上げることができればよいものになるだろうと思える。

古い型紙などもきれいに順番どおりに積み重ねられていたようで、続いた何枚かを使えば1柄できあがる。基本、型紙は何千柄分すべて残っているはずと思う。春に暖かくなったら倉庫の型紙を分類してみようと思う。


2018年02月10日
昨日の朝の便でイタリアを出発しヘルシンキ乗換えして、大阪に10時に到着し、家には午後3時に戻る。あったかい食べ物が食べられていなかったので、体力も落ちていることから、天下一品のラーメンを食べることに。食べると味覚音痴になっているのか、しょっぱいだけでいつもの豚骨のスープの味がしないのと、温度音痴になっているのかぬるく思えて仕方ない。こんなことは初めてで、飛行機のなかでずっと、のどを癒すために、オレンジの飴を舐めていたから、普通の味がしょっぱく思えるのかもしれない。途中、在来線に乗る前にコーンスープを飲んだときも同じで、しょっぱくてぬるく思える違和感。そのうち直るだろう。

両足が力が入らず寒気がしてならず、これはもしかすると風邪というよりも、腰に違和感があるので結石が降りてきている可能性。今日は一日体を休めて明日から仕事。
2018年02月08日
今日は最終日、午前中お客様は少な目、午後からはお客さまが数件来られて、午後4時くらいには他のブースも撤収を始められる。今日も体調が優れず、寒気がするので風邪薬をカドルナの駅の薬局で買ったのを飲み続ける。通訳の皆さんが、心配くださり、お茶とかご飯系を差し入れくださる。食欲があまりない、林与としては珍しいほどに体調が落ちている。

それでも、十分な感触を得て今回のミラノウニカ出展は終了。近江上布を広幅の絣織物で再現するプロジェクトは、ヨーロッパの高級ブランドからも注目してもらえるテーマであるというのは実感できた。近江上布のアーカイブから、気に入った柄なども選んでいただいたのも試作に生かしながら独自な世界を作り上げれればと考える。

他の出展者さんも継続されておられるところも多いがいろんな変化があって、どこもが、そのときどきの局面に対応してゆかないとならない厳しさを乗り越えられて出展を続けておられるように思った。自分で準備して覚悟して出てきておられるだけに、皆さんとお話していてもどこも気持ちは一緒なので心が通じるものがある。
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