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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2017年06月27日
今日は午前中、朝早くに起きて織っていたものを朝9時に加工出しを終えたあと、明日からのテキスタイルマルシェの反物を大阪の阪急の配送倉庫に自社便で届けるために準備。いつもと同じくらいの全部で6袋の荷物。配送倉庫での荷物の引渡しも順調に終わって、戻ってきて、早朝から何も食べずに午後3時で、超空腹だったので久しぶりにスタミナ太郎で食べ放題。1時間半食べまくって、もうこれ以上は食べられない状態。


2017年06月24日
昨日から、工場の照明をLEDに交換。デザイナーのお父さんが電気工事の仕事をしておられ、相談すると早速きてくださり照明を交換くださる。新しいLEDも2灯式照明器具と蛍光灯のセットを買ったのだが、それがやはり安いだけに蛍光灯はそれなりに良い感じなのだが、届いた照明器具が思ってた以上に安っぽいので、既存の照明器具の配線を安定器への配線を外すような作業をしてLED化に対応する。結論からすると、1灯式の器具一体型の蛍光灯はなかなか良い感じなのだが、2灯式の器具に関してはあまりにお粗末な感じで、既存の照明器具を残して蛍光灯だけを購入して対応するのが一番よいということ。

工場の蛍光灯も30年経って寿命を感じるのでこの機に交換しようと思ったのだが、交換した結果相当明るい感じになった。LEDでも明るく透明感の高いタイプで、40Wの普通の蛍光灯と比べると18Wながら1灯でも2灯分くらいの明るさに感じる。単純に4分の1の電力消費で従来の明るさが達成できるということになる。工場の中は、1階だけでも、マックス300本程度蛍光灯が使われているので、それをマックスで、200本程度にして、今までの倍以上の明るさにできればという計算である。たぶん常時は、200本のうちの半分くらいの蛍光灯を付けて使用する形になるので、常時100本点灯とすれば、1.8kwh程度の電力消費で、悪くない。1階全体で、1時間50円くらいか? 計算あってるだろうかなあ?

全部電気をつけるとコンビに位の明るさで、織機の上には2灯式、織機自体にも蛍光灯を1灯タイプを織機の前後にそれぞれ取り付けてもらって、蛍光灯4灯がそれぞれの織機を受け持つ形。黒い糸までもが1本1本輝いて見えるくらいに明るくなった。早くすればよかったというよりも、タイミングとすれば高輝度の蛍光灯が安価に手に入るようになり、照明器具自体が寿命で、平成30年には従来の蛍光灯が販売されなくなるので、ちょうど良いタイミングでの交換に思う。

今までも、LED照明に関しては、勧誘の電話が多かったけども、電話セールスというのは相手の迷惑も気にせずになんども電話でうさんくさい話が多い。従来の照明器具を加工して、蛍光灯の球だけを交換する形で対応するほうが今までの丈夫な器具も使い続けることができよい。そういう業者さんの話の多くが、実際はリース業者なのにリースのことは隠して、無料で新しい照明器具に交換でき電気料金が下がるというようなトーク。なんか、業者さんからすればLEDも商材なんだろうけど、そういう業者にとってはお客も自分が扱う商材みたいな感覚のトークが多く接する気持ちになれない。

一番自分の思っていたとおりの形に、LED化ができてうれしい。織機に蛍光灯をつけることは長年の夢だったけど、従来の蛍光灯は割れるので難しいと思っていた。またLEDも丈夫かどうかわからなかったので実際に付けてみてよい感じである。作業いただいたデザイナーのご両親には感謝である。仕事されるのをみていても淡々と仕事を進めていかれ結果を出して行かれさすがだなあと思う。明るくなったので仕事もはかどることになる。
2017年06月22日
デザイナーの家に猫が2匹来て完全な家猫として育てるということ。外に出さずに家の中で育てるということで、会社の周りにいる野良猫たちとは別世界で生きる。かわいそうだからと外に出してしまうと守られた猫だと食べて行くのも難しいだろう。野良猫のほうが自分で生きる力を持っていてみたいなのは人間の世界にも共通する。教育を受けると守られて生きてゆくことが普通になって、生きていく力が乏しくなる。

猫の手も借りたいという表現があるけどもこの2匹の猫は仕事はまったく無理そうであるが、リネンには興味を示して、デザイナーの家にあるリネンの切り房の耳などをかんだりしている。早速、新しい環境になれないからか治療したという目の病気がぶり返しちゃって、動物病院に連れて行き、目薬をもらう。

動物病院というのは、建物もりっぱでスタッフも多い。あまり詳しく知らなかったが、薬代があっても、診察費がないというシステム。保険も掛からないので、いくらかかるのか心配だったけども、目薬代1000円の請求しかされなくって、薬剤会社が動物病院を経営しているのか?あるいは、動物を愛する人たちがボランティアに近いような経営なんだわと思った。犬か猫が先生やスタッフに化けて病院経営しているんじゃないのかと思えるくらいどうして成り立つのか不思議すぎる。
2017年06月13日
今日は丹後織物工業組合の皆さんが午後からお越しで、林与を会社を見学いただく。皆さん織機調整のプロフェッショナル。工場の中で動く織機を想像以上に注意深く眺めておられる。皆さんにとっては織機なんて珍しくもないはずなのだが、動きを入念にチェックされている。

織機を動かすのは、この春から林与で働き始めた女性デザイナー。元気に動かしている様子は、織物界にとっては、明るさを感じてもらえるだろうと思う。シャトル織機、レピア織機、ジャガード織機の織りだけでなく、たて繋ぎも、整経もこなすし、検反もこなす。3ヶ月で、守備範囲はかなり広い。

事務所に移動して、林与の取り組んできたプロジェクトなどの説明をさせていただく。皆さん、職人さんながら経営者なのでそういう辺りも若い私が前向きに取り組んでいるのに共感くださって、私自身織機の調整も必要に迫られての我流なのだがアドバイスもいただいて調整すると框がしっかりと止まるようになっていい感じになった。早速、ひとつ林与にとってプラスになった出会いである。嬉しかった。
2017年06月10日
仕事には単純な作業と創意工夫の必要な作業があるけれども、時間を使うのはどちらかというと単純な作業で、それを正しく出来る人が少ないのが繊維業界における人材不足の原因だろうと思う。教育が整うと仕事をできる人が少なくなるというのもよく分かる部分がある。教育というのは手品の種明かしを教えてもらっているようなもので、自分がマジシャンになったかのような錯覚に陥る。マジシャンを目指すような人が増えるのであるが、繊維産業というのはマジックではないという問題で、マジックであったとしてもそのマジックをお客もいない状況で一日に何百回と正しく実演するという作業なのであろうと思う。

物事をする前には、多くの人が、教えてもらったらできますということを言う人も多いのだが、言うは易し行うは難しというようなことに直面することも多い。ファッション関係の方にお会いすると、よい素材を使ったこだわりの商品を作ろうと考えているというプランを聞くことが多いが、何か余っている処分するようなものを安く分けてもらえませんかなんてお話をされる方も多く、ものづくりのスタイルがガラッと変わらないと、そういうものづくりのポイントというのが、自分が譲らずにほかの人に譲らせての商売であるあたりで、自分が一番ほしいものしか買わないのにそういう想定から話が始まる人が多い。

これも一回のマジックで成り立たせようとしている節を感じるのである。小ロット多品種型のものづくりというのは、複雑なマジックを単純作業のように淡々とこなしていくところであるのだが、一つの仕事を進めるのにも迷いがあるようなスタイルではそれは難しいだろうと思う。困るケースが、商品企画を始めようとしているのだが自分は初めてなので教えてほしいという話とか、私自身でも自分が商品を企画するときには時間やお金を捨てる覚悟が必要なのだが、そういう覚悟も無く人に尋ねて商売を成り立たせようとしている方が多く、手品の種明かしを教えてほしいというレベルで、そういう安直さは、一日一回の手品で成り立たせようとしている感じで、お話の相手をさせてもらうのも本当に疲れる。

林与のリネンストール生機はプロの方が多く使ってくださっているけども、細かい説明すら必要も無く、皆さんが自分なりの創意工夫でストールを作られているのに、プロで商売としたい方が自分でキバタを買って試しもせずにストールビジネスを展開しようとされているあたりが、今の日本のほかの人にこだわりを求めるこだわり企画の典型であったりする。オリジナルとか難しいものというのは、一回で成功しない可能性も高いから価値があるけど、普通の商品のような感覚で扱うと難しいもの。

日本の麻織物の本場近江湖東産麻布というのは、私が携わった20年前でももう産地の麻の組合の会合ででも、麻布を織っているところは林与だけだと言われていたほどで、私が当たり前のことが特別だというのがびっくりしたほど。林与はそれからも麻織物路線を貫いているので本場の麻織物の濃さを凝縮して、世界にPRできるような日本の麻織物の究極的な部分を商売でなく、自分が自分で作って食べていくという商売の基本の部分として提案をしたいのである。

世界の最高峰が、自分が自分で食べていくというあたりにたどり着いてしまうのが、一般的には矛盾すらに思えるのだろうが、世界でオンリーワンが食べていけるのには普通であって、ハリスツイードでも日本が85%の力で支えているから成り立っているだけのこと。日本の力がハリスツイードを支えている。私自身がハリスツイードが、ちょっとやばいと思うのも、本当のプロの方ならあれは昔ながらの手織りじゃなく、存続させるが為の手織りじゃない人力を隠した危うい日本向けのラベル商法になりつつある。ハンドヲーブンではまったく無く、動力を自転車的な人力でやっているだけのまやかしに過ぎないのが、ラベルに依存した手織り?今なら、ソーラーパワーでもハンドヲーブンチックで売りになってしまうビジネスライクなハリスツイードの感覚で残念に思ってしまう。努力はしておられるのだから、人力ということを謡ったほうがよいと思う。

日本の百円ショップに並ぶハリスツイード残念なのかもしれないけども、日本の百円ショップしか生き残りの道がないのも世界的にみたプラグシップすらもが日本の百円ショップに頼るような繊維ビジネス。100円ショップで有名な日本資本の企業が世界の繊維ビジネスまでも支えるがビジネスライクで無味乾燥なものの変えてしまう。100円ショップに並ぶものがハンドヲーブンなのかを考えると日本の感覚からすると、動力を人力自転車にしてが現実で世界に有名なハリスツイードが成り立っている現実は、手織りを謳うこと事態が日本の繊維業界の基本的名基準からして外れ始めていてビジネスライクといわれるハリスツイードのハンドヲーブン自体が偽装レベルで危ういレベル。動力を人力自転車だと手織りを謳えば、食品業界なら回収レベルのラベリングで日本でそれをやったらアウトだろう。それが日本の繊維関係の化かす商売そのものであったりする。本当の手織りが100円ショップに並べられるのかというと無理なのを、日本では世界的には有名なハリスツイードすらもが無理やり手織りを謳ってしまって厳しいのが日本の繊維業界がモラルを越えたビジネスライクなところ。日本以外ではハリスツィードもあまり評価がないのも日本だけで化けてしまっているという100円ショップでお値打ちな怖さがある。

アイリッシュリネンも同じなのだが、日本の商社がブラックボックス的に化かして、やっている本人たちは人力自転車だろうが精一杯なのに、それをなぜ、昔ながらの手織りのイメージで売ってしまうのかは、日本の扱う商社の問題だろう。動力を人力で取るだけで手織りを謳えるなら日本の手織りは全滅するだろうと思う。ハリスツィードの人力も残ってほしいが、あの昔ながらのラベルの使用は本当の手織りの人を潰してしまうのでやめてほしい。人力でもそれは本当に評価するべきところだろうけど、手織りを謳うには無理がありすぎで、他国では評価が低いものの85%が日本に流れているというのもそれがあるからで、ブランドの謳いそのもの偽装では駄目だろうと思う。100円ショップだけでなく、百貨店でもハリスツィードは手織りとして昔のラベル、有名どころすらもが、日本の織物基準で大丈夫なのかと思うところ。それが大丈夫なら織物業界の手織りの定義すらもがすべて変わってしまう。ペダルミシンで縫ったものを手縫いといってしまうのと同じレベル。ハリス島にも昔ながらの手織りがあるはずで、それは本当に希少なものだと思うし、ハリスツィードが食べていくために本来の手織りをやっていけないなら、あのラベルは偽装につながるので、新しいラベルを作るべきだろうと思う。hand-wovenから、humanpower-wovenに変えて、85%が流れるという日本の消費者に対する手織りされていると思わせる部分をなくせばよいだけだと思う。
2017年06月06日
地場産業の衰退を考えるときに、林与は日本の麻織物の高級な産地のイメージとして存在をし続けている会社なので、一番典型だと思える。私が先代や母親でもだらしないと叱責するのが口だけで自分が働かずして回るような勘違い。自分が主なら最低限現場の人以上に正しくする気持ちがなければ駄目で、地場産業衰退の一番の要因が正しいものが作れなくなったこと。これば、納期云々とかじゃなく、仕事をする気持ちすらもが希薄になっているのがサラリーマンチックな実力すらもが伴わない便乗主義。

これが共通するのが組織的なところで、自分が仕事しないのに体制だけで搾取構造。それの一番がオーガニックの一番偉そうなところで、その理事長が国際会議でなまった英語聞いていると眠いんですよとか、あなたはやめたほうがいいよといいましたが、だれもほかに受ける者がいなくてだらしなく請けているというオーガニックの世界における最悪の事態。現場はオーガニックを守るために、天候や朝早く起きるが当たり前なのに、10時出社の月曜から金曜がオーガニックを牛耳っては、オーガニックが否定する搾取そのもので、フェアトレードじゃなく、フェアトレードを搾取するだけのオーガニックラベルビジネス。それが日本のオーガニックならつぶれてもよいと思う。

インドのオーガニックはほんとやばいですよといいながら、日本で一番とか世界で一番偉そうなオーガニックの認定もされているという認定殷兼、日本でたぶん一番と歌われているオーガニックの理事長がだらしなさすぎて、面倒だみたいな話ばかりで、逃げてばかりで、本当かう嘘すらわからず、現場で本気な人間に茶々、GOTSの代表の方にいうとすぐに電話をかえされたけど、日本のGOTS事務所はボロボロで高飛車の素人の集まりで取次ぎませんみたいなところから始まる。

GOTS認証を得たものを使っているのだから普通には対応しないといけないのにそれもできていず、ラベルだけにこだわって有名無実では駄目で、オーガニックのものがトラブルが多く、解決する問題も抱えているのも分かっておられず、オーガニックも普通のものも同じとか、認定委員をされているとか理事長を名乗っておられるものがその現場の問題もわからずに理事長されていては駄目と思う。それが日本のオーガニックの現状でさびしいのである。厳しく突き詰める必要がるは日本の国と同じであるがだらしなくえらそうな存在であったりして、自分が認定しているのに怪しいという問題にはそれは不精している企業の問題で自分は関係ないですよ、軽く逃げられる。その理事長には、十分な手当てももらいながら自分はボランティアだとかそんなこといってると思うので、早くやめなさいといいました。オーガニックが怪しいが蔓延してしまいます。自分指針が消費者に対しての信頼とかもなく、勘違いして権威主義で、本当か嘘かも分からないものをラベルつけて販売してしまっている事実は、まさに日本のオーガニックの危機そのもの。そしてまともに信じている理事長以上に腐らずに厳しくものごとを貫いているものを指導すら無理で、こっちがオーガニックやるなら一般の消費者以上にモラルを持ちなさいと説教、自称オーガニックのトップの理事長すらもだらしなく本当か嘘かわからんものまで流れてて放置で営利主義そのもので駄目なんだよ。

オーガニックの素材のトラブルの多さとオーガニックでない安定した素材との違いすらも分からない理事長ってなんなんだと思う。それが日本のオーガニックのラベルだけの本当か嘘かも分からない世界。代償すらも伴わずにオーガニックと謳うと売れるという怪しい世界が広がっているだけというのが怖い。
2017年06月03日
あまりにすることが多すぎて、人手が足りていないので、整経の作業を役員の女の子のお父さんに手伝いに入ってもらって覚えてもらう。この前、北原君と原田さんが来てくれて、クレールに糸を立てて最初の何バンドか巻けたのでその続きを、何バンドかを一緒に作業して、あとは一人で作業をしてもらう。

整経の作業で難しいのがバンドの端を前のバンドの端にぴったりと合わせるところ。私自身が整経をはじめてやったときにその目で合わせる作業がなかなかうまく出来ずに難関ではあった。その合わせるのがうまく出来ないと巻き取りのときに苦戦する。お父さんの一人の作業、心配していたのではあるけども、夜までに問題なく最後までやってもらえて、この作業がバンドが重なったりするトラブルなくできた人は初めてなので作業に慣れておられるのを感じる。

私が最初、整経を教えてもらったのも作業しているのを見て、いきなり実践。織物の作業というのは、1時間の説明を受けてできることを一生の仕事にするようなところがあって、職人さんというのは同じ作業をやっているうちに、考えもせずにできるようになって楽に仕事をできる感じで同じ作業を時間するのが仕事という錯覚に陥り、それ以外の作業はほかの人の作業という感覚になるものである。

私自身はその考え方というのは今の海外の新興国の量産型のものづくりと同じで、それが日本の繊維産業が発展を終えると変わらないままだと衰退のモードに入り抜け出せない原因だと思える。やれる仕事は一杯あっても出来る人が少ないという問題。機場の人が整経を出来れば仕事は回りやすくなることが多いものである。

たとえ1日のことであっても覚える気持ちがあるから覚えられるのだろうと思う。繊維の現場で新しいことを覚える力を持っている人というのは少ないものであり、そういう部分が変われないと、仕事があっても出来る人は少ないという問題に遭遇する。2日間のヘルプで入ってもらったのだが、2つ整経を終えてもらって助かる。

2017年05月24日
ちょっと昔のことで、小学校の頃は、授業で作品つくりなんかがあると金賞か銀賞をもらうことが多かった。才能があるんではなくって、時間の中で精一杯やってみることが多かったから他の人よりも完成度が高かったということだろうと思う。中学、高校のときも、走ったりするのも得意ではないけども、全力を出すのが強く、思いっきり走るので、脈拍が、普通のひとは150回も行かないのに、一分220回とかまで無理をする。一番で走れるけども一番疲れているとか。今も全力タイプであるけど、みんな体力が落ちるときなのに、私の場合、まだまだ無理ができそうで。

布をつくろうとするときに、機械でつくった綺麗なものが売りにくくなっている。新興国で機械依存の量産プリントなんかが綺麗にたくさん出来るようになって、綺麗なものが安く溢れるようになって、細部で違いはあるのだろうけども、日本の限られた時間の中で一回勝負でつくるようなものづくりでは海外で作ったものと変わらなくなって来てしまっている。

煮詰めて煮詰めて完成にたどりつくようなものづくりが日本でも出来なくなってきている。これはお客様から仕事を頼まれるときに、見本の予算も見ないで一回で売れるものをみたいな考えは無理だとおもうし、一方で外部に何かつくろうとして協力を求めても一回の試作が何十万円コースで掛かってしまうと、両方からの板ばさみに合う。

本生産のコスト面でもアパレルの世界では厳しい状況が続いており、プリント関係であるような版代に相当する十万程度の見本作成のコストなども先染織物に対してはプリント以上に手間が掛かるのに捻出できるところは少ない。先染織物がプリントよりも先に消えて行くのはプリントのほうが柄を生み出すのに手間が掛かりにくいからかもしれない。また、デザインも普通のPCがあればそれをプリントに落とし込める。

こういう背景だからこそ、日本らしいものづくりのところを生かして日本の力強い布の世界を復活したいと思うのだ。

2017年05月23日
今日は午後からファンドの監査で産業支援プラザの方が3人お越しで、28年度分の提出した書類などの交付申請のための原本確認。大きな問題もなく済んで、雑談として、今年の案件で技術的な壁にぶつかりかけている打開方法について尋ねる。

染色のオリジナル機材を3Dプリンタで作れないかと考えたが強度の問題とあとコストの面で高くなるということ。最初に思いついた手軽な方法を実現するためには、ステンレスを綺麗に裁断する必要がある。

夕方、インクジェットプリンタの件で東北部工業センターに連絡すると、新しい担当の方が3Dプリンタに詳しかった。3Dプリンタでの製作は断念し、ステンレスを綺麗に裁断する方法を取ることにした。
2017年05月14日
今日は48の誕生日。普段誕生日すらも気にしないが、新しく入ったデザイナーが林与のインスタグラムを私の誕生日から立ち上げるということで、今までの文字ブログのほかに、画像で林与の情報発信ができるのではないのかと期待をしている。

天才バカボンのパパでも41歳の春であのオヤジ風、48歳の林与がもっとおっさんぽくって良いのだろうと思うが、今の40代というのは子供より子供かもしれない。今は小学生の子供たちのほうがけっこう真面目に物事考えてたりするもの。

私自身は、一生現役というスタイルも一つだろうとは思うけども、地場産業的なものが戦後の復興とあいまって戦後の一代が長く続いて継承するも人が変わらなければ考え方を変えないとならない局面で変わることなく、次の世代に自分を譲れないとかは駄目だろうと思うところなのである。

なぜ、昭和の繁栄を期に何代も永続してきた商売や産業の営みが消えて行くのか。

2017年05月13日
東京の月島のセコリ壮を運営する宮浦さんが、PTJで、弊社ブースにお越しくださり、新しく立ち上げられた産地の学校のプロジェクトを林与にも伝えてほしいとおはなしくださった。

電話でお話をお聞きすると、もう25人以上も生徒さんが集まられたと言うこと。情報発信を目指しておられる方は多く、一方で、産地にはいってバリバリと自分が作っていきたい人は逆に少ないと聞く。

そういうライター志望の方々にも、職域なんて考えずに両方やってほしいがと思うのである。その辺りも産地が抱える問題と共通する要素だったりする。デザインや企画志望の方は多いけどもものをつくる部分を受けられる人が少ない。

きっと実際の作業すればものづくりの何が価値がるのかがみえてくるはず。そういうのに付いて行けない人も理想だけでなく現実というものを知ってみて、どこが大変なのか分かるだろう。センスとか技術よりも、人が真面目に打ち込んで仕事して食べて行けるレベルになるという地味な部分こそ、なかなか出来ないことで、産地が消え行くことにつながっているのだろうと思う。
2017年05月12日
最近は、体重が増えない。高校生から大学のときくらいまでは63kgという体重で、80くらいまで行って、今は、68kg程度か。

私の場合に、2日3日で、仕事し続けることで、4kg、5kgの減量をすることがある。一日食べないで仕事すると、体重が2kgとか見事に減っている。1年半前のミラノウニカの時には、仕事に追われて食べる時間もなく、イタリアに着いたときにはやせ細っていてみんなに心配してもらった。

主に水分が体から出て行くのだろうと思う。水を飲むときには、1日5Lから10L飲むこともあったり、結構、毎日体力も使っている。

昔、私が20代のときに、40代の方が天下一品のラーメンが濃くって食べられないといってられたけど、50手前でまだまだ天下一品のこってりラーメンもおいしいし、食べたら食べたでその分動くから大丈夫。ココイチのカレーは、いつも10辛だし。

10年前には、気合で130kgのビームを一人で肩に担いだこともあったが、それは今は無理だろうが、100kgくらいなら今も普通に肩に担ぎ上げてで運ぶ。

視力も、細番手の黒い麻糸の縦糸を織るのは至難の業なのだが、まだ今も普通に黒い細い麻糸をめがねも掛けずに織ることができる。林与に50で老眼の洗礼があるのかどうか。ノートパソコンなんてもっと字が小さくて情報量が多いと助かると常に思っている。

1日3時間程度の睡眠でも、疲れるまで仕事して熟睡というモードなら毎日でも大丈夫。いろいろと普通と違うところがあって、今も20代の人以上に体力もあって、この仕事だけでなく、一般的にどんな仕事にでも向いているのだろうと思う。
2017年05月10日
今日はプレミアムテキスタイルジャパン2日目、最終日。今日の繊研新聞の2018PTJの注目素材の10のうちの一つに林与の近江上布絣の広幅プロジェクトの素材が取り上げてもらえた。自分たちのやっていることが日本のテキスタイル業界に向けて情報発信が出来ることはありがたく、恵まれていることの一つである。先日も業界紙に大きく取り上げたもらった。それは別のプロジェクトなのだが、できるかできないかわからないことに対して、外に出るだけでも100万円くらいの持ち出しから始まるプロジェクトで、内部でも半年掛けて3回織りなおして完成したもの。

小さなことにはこだわらず、自分の時間とお金を使い、失敗したときには大きな損だけが残る覚悟がないとできないプロジェクト。普通はそういうの一緒にできるような人などほとんどいないと思う。また、そういう特別な生地というのは、つくるのに時間が掛かるので、糸を手に入れてから何百メートルが1年掛かって織り上げるとかもありうる。出来たら教えてほしいというお客様が待ってくださっている状態で納期とかは約束もできないような仕事なのである。出来上がった生地をみて、真似して作るというようなことよりも、自分自身が試行錯誤で生み出したという辺りが作り手としては一番大事なところ。

ブースに立っているデザイナーから連絡があって、昨日もお客様が続いていたけども今日はもっと多いという話。みなさんお越しくださりありがとうございます。顔を見に来てくださった方も多いでしょうけども、会社で林与志雄は今回の展示会は留守番していますのでまた連絡くださいね。6月中ごろまでは仕事が手一杯で、落ち着くのは6月後半から。

デザイナーが学生時代にいいなあと思っていたブランドの方々が生地を探しに林与に来てくださったということで、一般のお客さんとは違った立場でそういうあこがれていたブランドの方々とも接点を持っていけるのが、林与の仕事。一つのブランドさんからは、早速、近江上布柄の広幅織物に期待するようなメールもいただいたということで、ありがたい話である。また、上海では、一番くらいに、私自身がよい素材づくりをしておられ、熱い思いももっておられると思うあるテキスタイルメーカーの社長は、林与のアーカイブをあこがれておられ、まだまだオリジナルと違うから駄目だよというコメントを斎藤が林与に伝えてといわれたそうで、伝統的なものづくりなんかも含めて業界の熱い気持ちを持つ人間が国境を越えて、世界の繊維を盛り上げていければと思う。ちなみにオリジナルの着物生地は3年目の予定である。オリンピックまでには完成したい。
2017年05月09日
今日はプレミアムテキスタイルジャパン初日。本来だと林与志雄がブースに立つ予定だったのだが現場の案件でどうしても時間が足りず。デザイナーがPTJに一人で立つことに、予期せぬ展開で開場10分前なのにまだブースが空だと主催の事務局から心配の連絡をいただいて、それでもなんとか10時頃には会場に到着してブースも設営ができたようでほっとする。会社に役員として入ってくれてまだ2ヶ月未満、大役を果たしてもらうことに。

近江上布絣の広幅プロジェクトとは、林与に50年以上眠っていた近江上布のアーカイブを、現代に広い織幅で絣織で再現するプロジェクト。昔の近江上布は着尺はばなので、幅が36cm程度なのだが、それを1年目は、リネンストールの場合には幅70cm程度で10柄再現した。2年目はアパレル向けにワンピース向け素材としてリネンで5柄を再現する予定。3年目には、ラミーで着物向けにオリジナルに近い形に再現する。

JETROさんの商談会などでも、近江上布のアーカイブをご覧になられた方が、これらの布というのは今まで見た布のなかで一番すごいといってもらえるくらいの一つ一つの完成度の高さと、数千種類に及ぶ柄のすべてが絣で織られているということ。林与自身も自分の小さな家の中で世界的に見ても価値のある織物が作られていたこととまたそのアーカイブが今も良い状態で残っていることはバックグラウンドとして恵まれているなあと思う。

1年前まではそのアーカイブというのは林与が昔に作ったメモリアル的な存在で、近江上布のすごさを語る資料であったが、この1年の取り組みの中で、それらの色柄が、私一人が数日気合をいれると一柄づつ再現できるようになってきた。村規模でやっていたことや職人が何人も集まってやっていたことを、一人で背負えるような形で、しかも柔軟性と応用性をもった広い幅で再現でいる。

1970年代の初めに北アイルランドのハードマンズサイオンミルで紡績された140番手のアイリッシュリネン糸を織り上げるプロジェクトを立ち上げ、日本の麻織物の本場近江湖東産地の染色、織物加工の力を借りながら自分の考える現在作れる世界最高峰のリネン生地に取り組み、それまでは、リネン66番手くらいが林与の細番手だったのを一気に、世界最細番手の150番手までのリネンを高密度で織ることができる技術基盤も通常の技法を高めることで確立をした。

今は、デザインでも世界に日本の織物の力を感じてもらえるような布を生み出してゆきたいと考えていて、林与の場合にはおじいさんの時代につくったアーカイブが眠っているのでそれらを再現するのがストーリー性もあってよいのではないのかと思える。しかし、その実現のためには、昔の技法をアプライするのでは職人が何人も必要で、新たな技法を生み出して、私一人でもその世界を再現できるようなプロセスを生み出す必要があると、織るだけでなく、型紙、染、加工までも、小ロットで出来る体制づくりも考えた。

日本の織物が消え行くのを防ぐためには、自分自身がすごいというのではなくてが大事で、一人ですべてできることが最終目的でもなく、今の日本の現状では形にするためには、とりあえず、一人で出来る形で構築して万が一のときも一人が踏ん張ればしのげるようなものづくりにしておかないと続かないのである。最終目的とすれば、それに多くのやる気持ちのある人が携わって、その人たちの織物を柱としたライフスタイルを支えていくような流れを生み出してゆかないとならないと思える。

仕事という感覚では、こういう織物を生み出すことはできないだろうと思える。
2017年05月08日
この2ヶ月ほど毎日、リネンの60番手が織れない問題と取り組む。取り組むといっても3台の織機の調整をしながら織り続けるしかない状態で、織れないからその分長時間織機を動かせるだけ動かす。夏も近づいてこの夏のものを作られるための生地なので機屋ができないという結論では企画されたすべても転んでしまう。

もう、一年半ほど前になるが、リネン100番手を染めて一本のりをつけた濃色が織れないという問題で2ヶ月。そのあと、ラミー100番手の糸が縦糸が切れて切れて織れない問題があった。そのときは、シャトル織機だったが、糸に伸度がなく、切れた糸を直そうと縦糸を開くだけで隣の糸まで何本か切れてしまうような話とか。その後も横糸がうち切れするとか。その次には200mほどの仕事だったが、織れないということで4回織機を載せ変えた案件があった。

林与は、リネンの100番手とか150番手とかも無糊ででも織ったりすることもあるので、今回の糊をつけた普通の密度の60番手が織れないということはまずなく、3台掛けて3台とも織れないという状況は織機の問題でなく、糸の問題であるという結論。3台とも調子よく動くタイミングもあれば、調子よく動いていたのが急にどの台も動かなくなるとか。そのことが断定的になったのは、夜中どうしても織れなくなったので、万策尽きた感じで、久しぶりに5時間ほど寝た。そして起きて織ってみたらどの台も調子よく動く。織機の調整の問題ではないのだ。もちろんどの台も噴霧以上のこともしてみて湿度対策なども徹底的にやった上でも織れないのだから、外部的な湿度も、今の時期は田植えの時期で周辺の水田も水で潤い湿度も適度なはずなのだが…。

麻織物の会社というのはリスクが高いなあと思えるのはこのあたりで、一つ大きな問題に直面してすべての時間がそれに費やされることになり、なだれ式にすべての仕事での納期の遅れが出ることになったりする。請けた仕事を織れないから断わるができれば簡単な話なのだが、それは一番最悪の結果だろうと思うから問題に直面したときには普通以上のことをやってみようと万策を尽くす。
2017年05月06日
今日は、大阪からハツトキの女性の方が東京の友人と滋賀県に来て、林与の見学というより林与の手伝い。遅れている整経作業などを立替してくれて助かる。ハツトキの女性の方は、社会学を専攻されたあと、川島テキスタイルスクールで織物の勉強をされたということで織物に興味があるだけに、整経の作業も初めてで説明をさせてもらう時間もなかったけど理解されてやってくださった。お友達の香港のジョイスさんも、日本語ペラペラで織物とは関係のない建築のイベントのお仕事なのに、現場作業手伝ってもらって、時間に追われすぎて十分にお話しする時間も取れでしたが来て下さって、林与の仕事の現場の雰囲気というのもダイレクトに分かってもらえたかもと思えたり。お手伝いくださり助かりました、ありがとう。

相変わらず、私のほうは織機を止められない状態が続いている。デザイナーも織機を動かした経験がほとんどないが、才能があるので、シャトル織機もレピア織機もジャガード織機までもぶっつけ本番でミスも少なく織っていてくれる。よくありがちな新しいことでもやってみるといっていきなり本番体当たりタイプ、検反機にしても、2回ほど教えただけで、使いこなしているような感じで。何十年の経験をもつ人が何十年たってもやらないままのことを、デザイナーはいきなりやってのけるので新卒で若いのに立派、今の若い人というのはすごいなあと思う。
2017年05月05日
今日はデザイナーの妹が滋賀県に遊びに来てくれる、が、林与が納期に詰まっているので工場の中でいろいろと手伝い。法律系の大学院生でてきぱきと仕事をこなしてくれるものの、私自身は織れない織機3台を動かし続けなければならず止めることが出来ない状態でテンションは高いがヘトヘトの状態。せっかく来てくれたのにもてなす時間もなくって申し訳ない。今度はゆっくりと滋賀県のおいしいものを食べてもらったり観光もしてもらえるように。
2017年04月23日
今日は、つなぐ通信の撮影で、朝から工場や林与の家や前栽での撮影。アイリッシュリネンや近江上布絣などの撮影をしてもらう。今日は午後からあと2件の撮影があるということで、お昼前には次の目的地東近江に向かって出発された。私自身は織機がうまく動かないので立ち上げなどを行い、十分なおもてなしもできず新人デザイナーと時間を過ごしてもらいました。

近江牛のすき焼きを食べているときに、副編集長の方が、今は家や自分の趣味のことよりも、仕事の最初なんだから、まずは、しっかり仕事よみたいなことを冗談めいていわれていましたが、やはり自分自身が仕事を独立されてやっておられるかたなので、仕事のできる人の感覚を第三者として発して言葉にしてくださった感じ。するどいなあ。
2017年04月22日
今日はつなぐ通信の成田さん一行が4名で弊社に来て一泊し、明日の朝取材。普段は成田さんとはテキスタイルツリーのブログなどで取り上げていただいているが、今回は、つなぐ通信6月号で、近江湖北湖東地域の取材ということ。あまりに仕事に追われすぎていておもてなしも出来ない状態ながらも、夜だけは、すき焼きをご一緒にデザイナーのお家で食べる。

近江八幡で近江牛をおいしいと評判の近江牛を食されるもあまりに薄く小さなお肉だったことなどのお話を聞いて、すき焼きにしてよかったなあと思えた。お越しいただいた4人の方はそれぞれが独立して仕事をしておられ、つなぐ通信の編集のときにはチームとして取材をして動かれ、つなぐ通信が出来上がるということ。初対面なのに、林与のことを成田さんからお聞きになられてか、良くご存知で。キッチンクロスなんかもご愛用をいただいている。

一泊泊られた際に、デザイナーが夜、ギターリサイタルやったそうで。4人の皆様にも、林与の新人デザイナーの強さみたいなものが伝わったと思うのである。
2017年04月15日
旧来の伝統的な手の仕事から近代化した機械仕事に変わると、生産性というものは上がるのだが、人の能力というのは落ちてくる。人の力のインプットを落とすことで生産性を上げるようになると、人の能力というのは一度落ちると元に戻るということはないものであったりする。本来は人の能力を落とさずに生産性を上げるような方法を取っていかないと新興国の人のほうが人の力のインプットが大きいことが多いので、装置産業になると、人材が豊富で人件費の安い海外に移転されがちである。

たとえば、日本の織物の場合、織っている人がボタン一つで織れるようになったなら機械の調整やメンテナンスも仕事として行うというようにすればよいだけのことである。さらには、自動に織れる様になった分、検査作業や、検反、補修作業を織り手が行うというように進化すればよいだけのことで、単なる織り手なんていうものは海外でいくらでも育てることができるので国内で成り立たせるのは難しいということになる。織り手が織物を織るために自分の織る仕事の準備したり、織ったものを片付けることが必要になる。新興国だとそれが分業という中で行われるものだが、先進国では逆にそれが一人の仕事として必要になってくる。

デザインなんかでも、新興国ではオートスクリーンや最新のインクジェットでのプリントが普通で、それなりの量が流れる。一方、イギリスやフランス、オーストラリアのデザインオフィスでは、布に手描きの形に逆戻り。高いものは流れる量が少なく先進国で量産は期待できず、クリエイターたちが原始的とも思われる手書きに戻る。そして、自分自身で販売してゆくという形。先進国ほど一つの布に対する需要が少なく、価値を人の力で生み出してゆかねばならないというパラドックスが潜む。

これは巨大化した日本や先進国のSPAでも、自国一国の需要ですらも支えてゆくには足りず生産国である新興国の需要に期待する。先進国で売れるものというのはごくわずかな量の手の込んだもの、一方で、多くの手の仕事ができなくなった製造現場の人を抱えながら、需給のニーズのパラドックスが先進国では存在することになる。

数年前、ある大学の経済学部の先生が、ニッチェに対する講演をされていたが、毎朝、漁に出て10匹だけとって、その限定のその日の取れたての魚、通常300円が市場で10倍の値段の1匹3000円で売れるとか。なんか、フロック期待でそんなのに期待しては駄目だろうと思うようなあたりなのだが、日本の成功事例がそういう類のものでしかなくなりつつあり、まともに商売をしている人がそういうのに走るというのも危ないことである。

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