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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2017年04月06日
急激に暖かくなって、今日はお客様3人が山形お一人と、大阪経由で東京お二人。納期のものに追われているのであまり時間がなくって、山形のお客様には仕事の試作品を手伝ってもらってうまく出来上がってありがたい。9時頃に出荷のあと食事に出向いて、いつも行く台湾料理のお店なのだが、ビールセットを頼まれて、3品ほどついているが、それぞれのあてがボリュームありすぎて。見ていてまいった感じ。

私は、鳥南蛮みたいなラーメンセットを食べたが、それもボリュームがすごくて、食べきるのに体力を消耗しそうになった。お客さんを彦根のゲストハウスまでお送りして、会社に戻ると11時。仕事する予定が疲れて休む。

今日の東京のお客様がいっておられたのは、つくるのと同様に売るのが難しいということ。それでも、相当の工夫をされてどんな素材でも売れるように持っていかれるようなものづくりの力をされているので、売るのも同様に上手に展開されていて素敵だなあと思える。お話を聞いていていろんなことを経験されていてリスクも背負って動かれているのを感じ、ものづくりの現場がベースになっての企画なので強いのかなあと思える。

このアパレルが厳しいといわれるときにも、面白い企画でヒットするものを生み出しておられて、やはりいろんなこと動かないと駄目なんだろうなあと、私自身も似たような境遇にあるので職種は違えども、業界をプロモートしておられる人の力を感じる。
2017年04月04日
4月4日、午後にお電話いただきましたアパレルのお客様メールをお問い合わせからいただいたのですが、そのメールがみつからず再度、お問い合わせフォームからご連絡先ならびに発送先をご連絡いただけませんでしょうか。よろしくお願いいたします。
2017年03月31日
今日は行政の年度末、今、新しいデザイナーの子が入ってくれて、林与もこの春からは動きがスムーズになれると思う。仕事をする前というのは、仕事が何かという辺りがなかなか飲み込んでもらえないことが多い。林与も対応が悪いことが多く、時間に終われて出来ないことが多いのが実情である。外から見るとちゃんとすればと思われることが多かったりするのだが、言うは安し行うは難しも多いのである。

社長なんで最後の責任は私がで、社員の失敗も注意はするが失敗するタイプの人というのは直すこともできないので代わりに直したり、現場でもできない難しいことは私がやることが多かったが、これは今に始まったことではなくて、伝統産業の流れを汲む産業の衰退の状況では良くありがちなこと。途上国のものづくりが上達して、先進国のものづくりは落ちてゆくというパラドックス。人の手間を惜しんで効率を求めたときに、誰でもできる作業の行く付く先というのは海外生産。先進国、日本で残るからには、人の能力が必要な作業を行って、他では難しいといわれるものを作らないと残れないだろう。日本製というだけで、メイドインジャパンというブランド意識や伝統や経験に溺れると、いつのまにか、普通の仕事もまともに出来なくなるものである。

私自身が、勉強になるなあと思うのが海外の展示会である。日本国内で、麻のニットといえば、40番手くらいでとどまっていることが多いが、海外では80番手クラスが、量産で流れてしまっていて、40番手と80番手では難度は、たぶん、5倍くらいの差があるだろう。国内の麻のニットが急減速したのも、技術力というか技術欲の差で、日本のものづくりがフラグシップでなくなってしまったからということだろう。もちろん、百貨店など向けは、品質ならびに安定性重視なので、40番手でとどまる選択もありかと思うが、日本の素材には、品質と安定性が要求されて海外の素材はノークレームが当たり前でというのも流通面からくるものづくりへの責任転嫁が厳し過ぎるところであろう。

40番手のニットを販売しようとしても、80番手のニットが流れている市場では、地味に見えてしまう。もちろん、リネンニットのパンクする問題などとの兼ね合いになるのだろうが、そういうのを流通サイドも責任を分担してやっていかないと、もう日本の流通やものづくりって安全思考で地味になりすぎて。実は素材を使う技術も大事で、面白い素材というのは危ういのだが、縫製の技術でカバーするとかすれば他にない特別のものとなりうることが多い。

日本も縫製が海外よりも落ちたと思えるのが、海外ブランドの一流縫製では、反物をすべて検反して一番よいところを料理するという腕がある。日本ではそれができるところが少なくなっていて、反物にキズがあると使わないということにつながり、結局は、安全な素材しか企画にのらないという話になる。アパレルにお勧めできるのが安全な生地だけになるのは残念なことではあるが、一着の一つの生地の一つのキズでも、百貨店さんからアパレルに戻って、林与にきて、修正工場に出して、その反対に、修正工場、林与、アパレル、百貨店へと戻ると、2000円X6回の送料プラス皆さんそれぞれ伝票作業が伴うので、無理はしないほうがよいのかもと思える。林与もあまり表には出さないが普通アパレルさんにはお勧めしないような生地もあって、もしお時間があられるなら、伊勢丹新宿本店1F婦人雑貨売り場での伊勢丹のみの市で、本麻やアイリッシュリネン140番手や、ラミー500番手をぜひご覧いただきたい。
2017年03月23日
もう3月も残り少ないというのに寒すぎる。林与の周辺は、春らしい穏やかな感じではなく、まだまだ肌寒いばかり。この冬は例年にないほどの雪が降って、春も遅い。私が子供の頃までは、今年くらいの雪が毎年降るのが当たり前だったので、この40年くらいの間に、人類が温暖化を進めていなければ正常な冬だったのかもしれない。

40年というと、原発の日本の歴史と重なる。私自身は日本の近年の地球温暖化の主因が、熱量保存の法則が働きにくい原発や水の循環をさえぎったダムなどではないかと考えているので、今、原発が稼動を停止している数年の日本の気温や降雪に関する影響を見てみるべきだろうと思う。CO2濃度が上がるとというのは、宅地化や開発などでコンクリートジャングル化による結果論ではないのかと思えたりするのである。

基本、人間が新しく生み出したものが環境によいなんてことはまずないんだからという原則。
2017年03月19日
林与に、この春から新しく所属するデザイナーの方の引越しが午後から始まる。三連休初日でお天気もよく、裏の畑では集落のおばちゃんたちが畑仕事で、見守る中、荷物を運び入れ作業が進む。林与が気になったのは、家の屋根の瓦の状態。築70年くらいは経っている家だろうから、屋根の瓦もひびが入ったりしている。

ちょうど、30年前に今の工場を建て替えたときに、古い建物の瓦を工場の裏にたくさん残しておいたのが、日の目を見ることに。瓦というのは大きさが同じだったのでびっくりした。昔ほど、再利用できるようなユニバーサルデザインが当たり前だったんだろう。どこものメーカーが同じような汎用的なものをつくっていたのが昔で、今は各メーカーがそれぞれ独自のものをつくって、部品も特殊化し合わないので修理も自分ですることは難しくなっている。

瓦も、瓦自身の重量が掛かって組み合わせられているので、それが長時間経つと、正しい形から角がかけたりして隙間ができたりするとそこから雨漏りがして、かわらの下の木材が歪んだりして余計に瓦が乱れることに。正しい瓦に交換してあげることで、屋根も長持ちすることになる。30年とっておいた何百枚の瓦がこんなところで役に立つというのは驚きそのものだが、この瓦を残した人にとっては、それが当たり前のことだという認識なんだろう。これも頭で考えるとかではなく、経験法則そのものなんだろうと思う。

夜は親御さんとご一緒に近くのお寿司屋さんで晩御飯。無事に、林与に来てもらえてこれからは林与もさらに活気が増すと思うのだ。

2017年03月18日
滋賀県に戻って、まだまだ寒い日が続く。上海というのは雨も降っていたりしたが、それほど寒くなかった。今年は子供のとき以来の寒さに思えて例外的に寒いように思える。例外的な年があってもよいのだろう。なにか、天候すらも期待して予定通りが当たり前というのは都合よすぎるような気もする。

上海から帰って来て、出発間際もできていない状態で出発したことがたくさんだったので、帰ってきてその出来ていないことにまた着手してゆかないとならない。早速に助成金の審査がとおり、プロジェクト2年目もうまくスタートが切れそう。

もうすぐ、伊勢丹新宿本店1Fでの蚤の市のイベント。その準備を進めないとならない状況。
2017年03月17日
今日は、インターテキスタイル上海最終日。今日も朝、市場に向かう。小さな市場なので通訳のものいわく、どのお店の席も空いているわけでもないけども、お店同士がお客さんの取り合いになっているらしい。野菜売り場も一周してみて、市場の周りも一周してみると、市場のあるブロックは、一つの村になっていて、洞窟のように入り口がアパートの密集する中にあったりするのが裏側。裏側から市場に入ると、サトウキビの茎をそのまま人力圧搾機でジュースにするのをやってたので、1杯飲んでみる。

一杯が8元と言う少し高価な飲み物ではあり、子供たちが気軽に飲めるようなものでもないと思う。私は飲んでみたい気分にそそられて飲んでみる。市場の中では売るのは難しいかもしれないが、外に出て実演販売ならそれなりにインパクトあるので10元未満なら買う人もそこそこいるだろうと思える。見た目黄色くにごりはあるけど、飲んでみると野菜っぽい臭みもなく、甘い砂糖ジュース。絞るだけでこの甘さはよく出来ている。

そのあと展示会場に入る、最終日はフライトの時間のこともあって、午後2時前くらいで終了を予定していたものの、林与的に時間は短いものの最終日がお客さんが多かった印象。海外の展示会で難しいのが最終日の取り扱い、昔、海外のある展示会に初めて出展したときに、最終の時間までいようとしていたら、朝から、主催の方に、今日は朝から片付けてよいですよと声を掛けられ、そんなものかと納得。できるかぎり最後までいようと思っていたけど、昼には、まだ片付け始めないの?と催促があって、片付けて次の日のフライトにしたのを失敗という経験があってそれ以降は当日便で帰ることが多くなった経緯がある。

空港に着いて飛行機に搭乗を問題なく出来たものの、2時間半以上飛行機の中で待機。その後2時間半のフライトで日本に帰れた。海外旅行というのは計画通りにいかないことが普通にあって当たり前だと思う。ものごとというのは、予定通りに計画して予定通りというのが、求められることなのかもしれないが、そういうのってそういう環境にいる人だけの守られた世界。航空会社にしても悪意で飛行機を飛ばさないというのではなく、飛行機を飛ばせない事情があるから、遅れているだけのことではあろう。

飛行機が何時間も遅れると迎えの人と会えないこともあるだろうし、帰りの電車終電に間に合わない人もあるだろう、でも現実というのはそれが普通なんだろうと割り切ることも必要なんだというのを実感する。上海の地下鉄で、時刻表すらもなかったのが面白い。だれも時刻表を知らないままに次に来る電車を待つというスタイル。順調に5分刻みくらいで地下鉄がくるので時刻表なんて必要ないのだろう。そちらのほうが不確かな要素に適合できる信頼できるシステムのように思える部分もある。地下鉄を延長し、効率よく便利に走らせることで、路線一体に、都市が広がりやすいように思える。需要にあわせるでなく、供給をしてそれに需要が付いてくるという形で広がっていくモデルなんだろう。
2017年03月16日
今日は、二日目。朝ごはんは、昨日と同じホテル近くのローカルな市場の中。市場も少し見学する。惣菜、肉、野菜、魚、お茶、乾物など、いろんな食材を売る市場があって、その市場の住人たちは市場の上の建物に住んでいるようである。私の京都のおばちゃんが、京都の南区の昔ながらの市場の中でお店をしていたが、京都の市場というのはお客さんも少なく運命共同体でなかなか成り立ちにくいということだが、中国の同じような古い昔ながらの市場が、まだ、それなりに活気があるのは国の違いを感じる。

こういう古い市場も10年前にはもっと活気があっただろう、近くにスーパーなどができるとお客さんが少なくなるのは仕方ないだろう。周りが新しくなると古いものが淘汰されてしまう。でも、中国に来て魅力に思うのはこういうローカルな世界が残っていることで、それが中国にいって日本と変わらない状態だったら楽しみがないだろう。私自身はそういうのを味わうのが楽しみの一つである。

ラーメンも野菜がちょっとのって日本のラーメンの2倍くらいの麺の量で、6.5元(約100円)とか。味は、日本人はおいしいとは言えないかもしれないが、テーブルも満席で現地の人には人気の店、そういう環境が残っていることが、東京をしのぐほどに上海の高層ビルが立ち並んだりする中国の原動力だと思える。連なる10平米にも満たない物が溢れたお店の中に一日というのではなく、一生の職場として、来るお客さんを待ち対応する仕事。改善の方法もなく、周囲に脅威が迫らないことだけが商売を続けてゆくすべだろう。

今日は、揚げパンの店で食べた、一つが、1.5元(25円)ほどの揚げパンを3つも食べればお腹いっぱいすぎるほど。コメで作った揚げパンもあって、そこそこ固いんだが、年取ったおじいさんたちでもそういうものにかぶりついているのは強さを感じるほどである。今日は、私が展示会に中国に来ているということで、北京のお客さんが私に会いに来てくださった。また、アメリカ人のインターナショナルなスポーツブランドのパーチェスマネージャーの方がこられて、仕事で扱われているものはまったく別だということだが、アジアの布に興味があっていろいろと見ておられる中で、近江上布のアーカイブをご覧になられてすごく喜んでくださった。

夜は、通訳の方が最終日に帰る新幹線の乗車券の手配のため、ホテルに戻る前に、ホンチャオの鉄道の駅に立ち寄る。中国の場合には、席に全員が座ることが前提で、新幹線の自由席に立って乗るということが出来ない。日本以上にサービスがしっかりしているけども、予約がとれなければ新幹線に乗れないというマイナス面もある。
2017年03月15日
朝6時出発の地下鉄の始発に乗って、ホテルに向かう、ホテルで通訳と合流できたのが8時半とか、チェックインも済ませて、軽く朝ご飯を食べて、展示会場に向かう。展示会場に着いたのは、30分くらい遅れ。もう展示会が始まっている!!!

初日のお客さんは、ジャパンパビリオンには溢れていたものの、林与のお客さんは少なめ、助成金のストールがメインなので、中国のストールブームが落ち着いてしまっているというあたりだろうか。まあ、それでも、近江上布を再現するプロジェクトの話は、期待される方が多く、洋服の布ができたら教えてほしいといってくださる方が多かった。

夜は、インターテキスタイルナイトというパーティが、展示会場に隣接するホテルであり、主宰の方のほか、日本からは林与のほか、もう一社招待を受け参加されていた様子。パーティ会場では、中国の切り絵や、竹細工のようなもの、縁起物の紐細工飾りなどの実演が行われている。私自身、フォーマルすぎない、こういうくだけた形のパーティって好きで、ブッフェの食事を楽しみながら、同じテーブルにおられたベトナムのガーメント会社の社長さんと世間話。その社長さんもお若いのにVIPバイヤーとして招待されていて、ベトナムは勢いがあるなあと思う。

さすがに前日も寝ていないので、疲れているのでそれほど長居もせずにパーティを抜けてホテルに向かう。足がくたくた。救われたのは、ホテルが地下鉄の駅を出てすぐの場所にあること。部屋も静かでクイーンベッドで一人で広々、シャワーを浴びてぐっすりと体を休める。
2017年03月14日
今朝は、朝の5時半に、インターテキスタイル上海に出発する。中部国際空港から上海浦東まではスムーズ、そこから地下鉄の2号線で、2時間ほど掛けて展示会場の駅に到着で、展示会場のブースにたどり着いたのは、午後3時半。林与のロゴ看板だけを取り付けて前日の準備は完了。後は、明日の朝に、ハンガーバーにサンプルを並べる作業をすればよい。林与が予定通りにちゃんとたどり着いたので、皆さんから、日本は大雨でしたかとかいわれたり。

夜は、東京からのアシスタントが上海入りで、空港に迎えに行くも飛行機が、1時間遅れで、合流できたのは15日の午後1時前。完全に地下鉄もリニアも、バスもなくなって、タクシーに乗っていこうとするとホテルまでは3時間、500元から600元コースだろうか。手持ちの中国元が数百元しかなかったのと、上海の空港のタクシーも悪質な運転手が多いので、タクシーは乗らないほうが無難は無難。ホテルの業者と交渉するが、車に乗ってホテルに行くという危険さと、朝、始発の時間にちゃんと送り戻してくれるのかなんかも、大丈夫大丈夫というだけで確約がないので、ホテルは断り、空港ロビーで始発を待つことに。

常州の外国語大学で日本語を勉強しているレイさんという方が、そのホテル業者のホテルに泊ったということで、間に入って通訳してくれたのだが、レイさんも空港で始発を待つということで、3人で朝までいろんな話して、始発の時間に分かれる。レイさんは日本に来たこともないのに、日本語1級とかすごいなあと思う。あと感じたのがすごく真面目で、私が会った中国の方のなかでは一番真面目。社会に出て、悪い人に騙されないか心配なほどで、社会にでるよりも、大学の先生を目指されたほうがよい気がするほど。
2017年03月13日
明日からインターテキスタイル上海の出発。私が、不在のときに代役のものが助成金のプレゼンをする必要があるので、そのスライド作成と説明などを伝達。また、絣の織物を織り上げるのが3月末までなので、その作業に追われる。シャトル織機を使って広幅で絣で織るのは、林与にとっては、それほど難しいことでもなく、問題は、広幅の絣に染める手法の構築であった。

初年度はストールという形なので、生地の大きさなども限定的で、設備も限られた中、自分なりの解決法を見つけてストールを絣で織り上げるということを完成できた。これらのストールは今後、ホームページや百貨店イベントなどでこの4月から販売を行ってゆく。来年に向けてはワンピース素材を開発するということで、さらに高密度、広い幅に対応してゆくことになる。

近江上布の過去のアーカイブを広幅で再現するというプロジェクト、到底無理だと思っていながらもやると決めてスタートした。糸を染めたり、型紙を彫って、織り上げ、加工までするという作業を基本一人でも行えるように考えているので、昔のように職人が何人もいないと生産ができないというような今の時代には通用しにくい問題をまずクリアしている。自分ひとりでも、数日から1週間かければ、伝統工芸品を広幅にしたような織物を作り上げることができる。

また、今はアーカイブの色柄をそのままに再現することを目標としているが、新しい柄をつくるなどもオリジナル再現よりも簡単だろうと思われる。アーカイブの柄の場合には、上下左右のリピートがうまくいくようにしてあげなければならず、着尺幅で長さ20cmほどの端切れから全体の柄を想像しながらミッシングな部分は、自分で柄を補完しながら型紙の元となる図案を作り上げなければならない。

今までは、近江上布のアーカイブがありながらも、その中の柄で出来る柄が限られていたけども、自分の中で図案から作ることにしたので柄を復刻するにしても、自由度は増した。織物の世界で、このような作業が出来る人というのはもう限られているのである。林与も会社としても、この50程は、捺染の作業をしておらず、技術は過去のものとなり、内には先生がいない状態の中で、自分自身で技法から再構築していってこそ、今の時代に適した新たなものづくりが生まれるのだと思う。

初年度、助成金の申請が通ったものの、やらねばと思いつつも、何から始めてよいのかわからない状態で、まず、お願いしたのが、東京の二宮とめ先生に、ベストな方法は何なのかを教えてもらうことで、半日で、反応染料を使った型紙捺染の基本を教えていただいた。半日でここまでできるのかと思えるほど、手ごたえがあって、これなら自分で現実のものにできると思えたのである。二宮先生でもご自宅のコンパクトなアトリエですべてをこなしておられ、別に大きな設備なんて必要もないし、必要なら無いものは何でも自作してゆけばよいという結論に達したのである。

話はそれたが、今回も出発間際の1時間でスーツケース2つに荷物を詰め込んでの展示会出発。4日間留守にするために、その前に織ったり、加工に出したり、片付けておかないとならないことありすぎて。
2017年03月04日
アニメ「君の名は」を見たのが、イタリアから帰る飛行機の中。興味のあったのは、口噛み酒と組紐、糸守という地名。私自身が、日本人や日本文化のルーツを考えたときに、そういうのに似た普段聞くことの少ない、消えてしまったような単語などがキーワードとなる。

思い出したのが、小さな頃に行事があると引き出物の料理の木箱を縛っている、組紐ではないけど、赤と白の紐。あれが、解ける糸でいつも残しておいて解くのを楽しんだ。それをやるのが子供の中では私くらいだったと思う。小学校に行くまでの、子供の頃というのは時間が長く、時間が長いのが苦痛だった。5分経つのが1時間のようにも思え。時間を使えるような何かを探していた。

今は、なぜ一日、一週間、一ヶ月、一年がこんなに早いんだろうと思えるくらいに、早く時間が過ぎてゆく。起きてちょっと仕事すれば夕方、夕方から出荷とか始める、すぐに夜中である。時間があればもっと本格的なものを作りたいと思うけど、時間に追われるばかり。仕事なんて誰に権利があるとかではなく実際に最後までやって達成した人が、仕事をしているということで本物なんだと思う。仕事をする気がなければ仕事しないほうが問題も起こらない。

従来やっていた人がやらなくなって、新しい人がそれをやり始めたときに、知識や頭じゃなくって、自分自身でやった人が強いんだろうと思える。成り立たなくなってゆくものを背負っていけるような人でないと、成り立たなくなってゆくもののレベルにも到達ができず浅いところで終わってしまうだろう。今の繊維関連の人が求めるのは広い人間関係みたなもので、新しいものを見つけるというような感覚。自分で生み出してゆくとかそれを育む土壌自体を支えてゆくとかが大事で、そこにはそれで自分が生活してゆくという覚悟みたいなものが必要だろう。

アニメの中で、小学生と中学生の女の子二人が、結構、大人以上に運命を背負って、村を救おうみたいなところ、案外、大人って誰かが助けてくれると安心してしまっててみたいなところもありがちなんだよなあ。あの東日本大震災でも、大川小学校では教師と子供が校庭に避難して、高台めがけての移動中に多くが飲み込まれた。裏山に逃げろという選択を誰かが叫んでいれば、君の名と被るところがある。君の名みたいな、時間を越えた奇跡が起こるのだろうか。
2017年03月03日
今日は、京都の法衣を作っておられる会社さんがテキスタイルマルシェの会場にお越しになられるということで、お会いしたかったのだが、代役の姉にテキスタイルマルシェの会場を頼むことに。今日はそれほど忙しくないという途中情報。

会社は、仕事関係の方から電話がいくつもいただいて、いつなら空いているかというお問い合わせ。3月は最初の週のテキスタイルマルシェが終わって、真ん中は上海の展示会、そのあと伊勢丹のみの市とイベントが続く。初年度の補助金プロジェクトの追い込みと、次年度のためのプレゼン資料作りなど。これはちょっと手一杯すぎて…。月末納期の生産の話もあっててんこ盛り状態。

とくに今年は、決して国内のアパレルの状況が良いわけではなく、ゼロからのものづくりだとオリジナル生地では採算のボーダーラインまで数量が行きにくいというのがどこのブランドさんでもある話。ショップを持っておられるオーナーさんとお電話でお話したが、いろいろと動いて特別なものを製品にされているので、やはり強いなあと。この春、弊社に役員として来て女の子が、そこの鎌倉のお店で、高密度の綿の洋服をお店で買った話をしたら、やはりすぐにあの生地を使った茶色の服ですねと。自分で動いておられるから細部まで知っておられ、一つの商品がというのでなくって、その方の考えがそのブランドそのものを感じる。というよりも人生がブランドそのものなのもお話して感じるのは、林与も同じだなあと思ったりする。

商品を企画するとかがすごいと思われるかもしれないけども、それ以上に大変なのが自分ですべてを支えてというところ。それは技術や職人がというよりも、それらを支える覚悟みたいなものがあられる。業界でもお出会いする方の2割3割の方というのは、支える側の立場の人が多く、それが出来ない人というのはセンスとか好みとかそんな軽いところに終わってしまって話がかみ合わないことが多い。自分のためじゃなく、他の人を支えるために働く覚悟のある人って強いなあと思うのもそこ。
2017年03月02日
今朝も、電車ぎりぎりで、小雨のなか、階段も駆け上がってホームに着いたと思ったら、電車が7分遅れでほっとした反面、急いで損をした気分。でも、携帯電話を駐車場の車の中に忘れたのを思い出して、どうしようか迷いながらも、7分あれば取りに戻れると思って、急いで携帯電話を駐車場に取りに戻る。すると、車に行くまでの途中に私の携帯電話が落ちていた。人生というのは不思議であるのを感じる。携帯電話には仕事の画像や情報なども入っていて失うと大変だから。

大阪に着くと、遅れも取り戻し、オープンに間に合う。でも、朝体力を使いすぎていて、一日の終わりは足が相当疲れていて、帰りの電車で能登川駅で降りるの忘れて、彦根に着いて、もう、戻る電車が無い。どうしようの状態。まあ、朝一番まで待つかと思いながらも、11時過ぎなので、母親を起こす作戦で、家にたどり着いた。寝て足を休めると自分の足に戻った。
2017年03月01日
今日はテキスタイルマルシェ初日、朝、電車に乗り遅れて開店ギリギリの到着。朝から他の人たちに助けてもらっていただき助かりました。

初日のお客様の流れは順調な様子で、10階のテキスタイルマルシェ付近は活気づいた雰囲気。林与は、キッチンクロスの値札つけなど落ち着かないまま、最初のお客様が終わってテキスタイルデザイン協会の大場さんが今月末スタートの伊勢丹蚤の市のサンプルの受け渡しで近くの会場での講演会前に売り場によってくださる。

午後2時にご飯休憩中に、松井さから電話、すごく忙しくなり、値段のわからないものあって売り場に戻る。

夜は、ゆうきテキスタイルの社長と食事。電車、睡魔に襲われ乗り過ごしそうで、なんとか1時前に無事に能登川駅。
2017年02月23日
今日は、午前中、横糸が良く切れるということでシャトル織機の調整。見てみると案外とうまく動いていて、眺めながらもう一台の調子の悪いのを調整。こちらのほうが難解で、革のピッカーが引っかかってステッキが戻らない問題で、戻っていないところにシャトルが飛んで行くので、シャトルを挟むという状態。革のピッカーを引っかからないように、金槌で叩いて変形。強引なんだけど仕方ない。グラインダーで削ったりするよりもこのほうが良いと判断。

他に、縦糸切れの検知がうまくいっていないので、それを調整。綺麗に動くようになって、この織機も問題なく織れる状態に。織機というのは正しく動くのと動かないのでは価値がぜんぜん違う。正しく織れないと織機を動かしても、動かすことが苦痛なだけでなく、時間を掛けて織っても使える代物にはならない。今まで動かなかったものが正しく動くようになると、すごく気分が晴れ晴れ。

シンプルな織機なので、どこに問題があり、どこをどう調整すればというのが簡単に想像がつき、順番に手を掛けて行くと正しく動くようになる。でも、どこが問題なのかを間違えて、正常なところを下手に調整するとその下手な調整がいつまでも正しく動かない原因になりかねないから、問題を的確に見つけ出すことが大事。

調整の済んだ織機というのは、麻であっても普通くらいの番手の糸なら、ほとんど縦切れも横切れもなく問題なく織ることができる。今までの苦痛はなんだったんだろうと思えるくらいに調子よく動き出す。乗り越えられず止まってしまうと残念、乗り越える苦労が常に伴うのでできるというのは楽なことではないが、私の場合時間が足りてないが時間さえあれば楽しめる。綺麗に整備された織機がちゃんと正しく動いて本当にうれしいことである。織機が正しく動くと、次は、こんなものを織ろうあんなものを織ろうと夢が広がって行く。

私自身、ものづくりの正しい答えを出していくというのが基本なので、正しい答えが出せなければやってもできていないのと同じと考える。織機が正しい答えというのではなく、最後に正しいものが織れて、さらには、その織れたものがうまく売れて、全体として完結し、それの繰り返しがあって持続性のある形。常にそこに目標を置いて、結局は、物事は成り立って長く続けるということが成功の定義なんだろうと思う。
2017年02月21日
今日は2週間のインターンの最終日、宮崎から来てくれたYさん、ありがとう。滋賀にきてくれて、学ぶというより一緒に作業をして手伝ってくれて、主に捺染関係のことを手伝ってくれた。今の学生さんは、社会人よりも仕事に対しての意欲があって当たり前に仕事を受け入れてくれる。

私も50歳で、40歳、50歳となってくると田舎では仕事が面倒そうな人が多いのに、今の学生というのは真面目だなあと思え、教えたことを前向きに動いてやってくれる。聞いていると、自分から進んで留学や海外経験をし、他にもアルバイト経験が豊富で厳しい中で鍛えられているそうで、私はそういう環境で仕事して仕事に対する正しい姿勢を見に付けておられるということは、恵まれていることじゃないかと思うのだ。たぶん、20代のころの学生の私より、Yさんのほうが何倍も大人だと思え、これから就職活動され仕事を見つけられるだろうけど、力があるんだから早いうちに自分が思いっきり力を発揮してほしいなあと期待。

日本の国の行政なんかみてても、自分たちが悪いことを捻じ曲げて適正というケースが多く、そういうなかに若い者が入ってしまうとすぐに人間が腐ってしまうんだろうなあと。若い人には、日本の外にでてそういう腐った部分を駄目といえるような強い力に育ってほしいと思うのだ。

2017年02月18日
この春休みに林与の春のインターンの募集を行います。期間は、3月21日ころからの2週間で現場での実際の作業を通じて織物に関する作業を体験できます。現場作業で決してファンシーな内容ではありませんが、経験されたい学生の方でおられましたら履歴書をメールに添付して応募ください。毎回1名限りの募集です。

今日は、午前中から型紙をカットする作業で芋虫ドットと呼ばれる模様の製作。水玉が白で浮かぶような模様で、単純な柄だが型紙としては難度は高い。それを淡々と前に進めるのがインターンの女の子。一緒に食事をする以外の時間は作業を続けてくれる。版を大きくすれば一回で刷ることが出来るのだが、版を彫る作業が時間が掛かるのと版の洗い作業や扱い、置く場所などに困ることになるので、2回くらいに分けて刷るのが良いのではないだろうかと思えてきた。他に、赤地に白の水玉模様も草花もより綺麗に捺染するためには版を大きく、再度彫りなおす必要がある。年度末までに10柄を目標に完成度も上げて行く。

夕飯に、贅沢なものではないけども、近くのスーパーで特売のブリのアラが閉店前にたっぷりなのに安く売っていて、それで味噌汁をなべにたっぷり作ったらおいしくていい感じ。寒いときに、そういう煮込んだ暖かいものがおいしくて元気になる。そういう一番自分が食べたいものが他の人からするとアラだったりして大量に売れ残って見向きもされない。こういうのが本当のおっさんらしい贅沢に思える。おっさんとして合格だろう。



2017年02月13日
今日は、夕方6時ぎりぎりの駆け込みで洋型紙を買いに行った。正しい巻きのもののほか、1mの端切れ的な洋型紙が少し安かったのでいくつも買った。たぶんこれだけ買えば、何種類ものストールの版をつくれるだろうと思うが、あまり大きくしすぎると3色の版だと1色1mだと、一柄で3mとか使うことになってしまう。やはりリピートをつけて捺染することを想定したほうがよいように思える。というのも、汚れた版を洗うのも難しいから、新聞紙よりも版が大きいと新聞紙で拭くのも難しいだろう。

私のやろうとしている広幅絣プロジェクトは、他ではたぶん工業的にはやってないと思う。あるとすれば、ほぐしという技法で、縦糸に捺染するタイプ。近江湖東産地でも座布団などではよく使われた技法がほぐし。伝統工芸品のものづくりと同じような技法を使うのだが、オリジナルな要素もいくつも採用して、極端な話一人ですべての工程をカバーできるようにしてある。伝統工芸品である近江上布というのは何人もの分業が基本だったりするが、それと同じようなことを作家的に私一人がすべてするということも可能にしてある。それが私一人でも数日あれば図案を考え型紙を彫って横糸に捺染して蒸して一着分を織りあげることができるみたいな一人の人間でも没頭すればいろんな色柄を一年を通じて生み出し昔のものづくりを再現できるような形で技法から再考案したのがこの一年。

近江上布の羽巻き捺染なんかも、ヨジヨモン爺さんの時代に、長年かけてというより短期間ですべて生み出したのだと思えるのだ。なぜなら、近江上布は毎日のように新しい柄が生産されていたから、やろうとおもったことを簡単に形にしてしまうのが当時の人の意気込み。仕事に携わる人も自分のために働いたのでなく、食べるものは農業で養って、その収入を家族の将来を支えるために蓄えたような部分がある。戦後のご子息さんたちが当時では珍しい大学まで行かれるケースが多かったのも近江上布があってそれに打ち込んだから。羽巻き捺染のような生産効率のよい技法が生み出されてその余力を色柄の充実に費やしたところが近江上布がワビサビの色使いながらも見る人々を圧巻するような大きな芸術の世界をもてた理由だろう。

なぞとして思っている、なぜ、近江湖東地域で麻織物がさかんだったのか。日本中で麻織物なんて盛んにおられていたというのが事実である。嫁ぐときには機をもって嫁いだというのが日本中の光景であって、近江湖東地域だけが特別というわけでもなかったと考える。琵琶湖があって湿潤だというのが一部、近江の特色を生み出している可能性はあるのだが、それは細番手の麻糸は織りにくくて湿度があるほうが糸が乾燥しにくくて扱いやすいということはあるだろう。でも、一番の理由というのは、人という要素でなかったのかと、現在、産地の麻織物が消え行く流れのなかにあるのを考えると思う。他の地域以上に麻織物の仕事に打ち込んだ人がいたからだというのが麻織物が栄えたという一番の理由に思うのだ。

今は豊かになると仕事の手を緩めるということがほとんどで、それがまた厳しい時代に厳しさに耐えられるのかというと使い物にならなくなっていることがほとんどで、他に代替されてしまい消えてゆかざる終えない。うまく回っていたとしても厳しい感覚で仕事に打ち込んで他とは違うような人生観があったから近江上布が戦後も復興して、産地が産地として残りえたのだろうと思える。広幅織物への移行も産地で林与が一番にレピア織機を入れて、他の企業さんがレピアで麻が織れるということを知り、産地全体のレピア織機への移行が進んで1970年代の麻ブームが起こった。これも、人の要素が強いのであり、近江湖東産地が現代においても日本の麻織物の本場といわれる理由の一つであると思う。繊維だけに限らないが産業にとって大事な綺麗な水という要素にも恵まれていた。琵琶湖もその綺麗な水という要素に恵まれてかつては水の綺麗な湖として存在していた。琵琶湖にしても水が作り出す一つの産物なのである。
2017年02月11日
今日は、祝日なのを忘れてて、捺染の必要な型紙を買いに土曜日は営業しているのを確認して京都の田中直染料店に行くが、閉まっていることで、祝日であることに気がつく。

私が祝日なのに気がつかないにはよくあることなのだが、田中直染料店に行った事がないので一度売り場を見ておいてもらおうと一緒にいったインターンの女の子も祝日であるのに気がつかなかったので、祝日が祝日でないのは私だけでなく、小さな機屋を手伝おうと動いてくれているインターンの子も世間離した感覚で動けるから来てくれたんだろうなあと思える。

まあ、確認不足ということで、帰路について、会社で食事をとる予定で数日分の食材を買い込み、昼食をとってから今日の作業開始。夜は宿泊先の彦根のゲストハウス無我さんまで来るまで送るが、9日からの雪相当なもので、車での運転が危険である。
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