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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2016年11月09日
JETROさんの商談会の日程が気になって、申し込みを確認すると、申し込みフォーム入力ができていないということに気がつく。午後3時までにということで、ぎりぎりで、気がついてよかった。

今日は大統領選挙の結果が出てトランプ。大統領選で気が付くのは、その裏で経済までもが動くこと、日本の経済までもがダメージを受けるとか。力になびいた安倍総理が2ヶ月前に訪米してクリントン支持の表明、トランプ勝利で鞍替え。こういうのが一番駄目。力になびくだけで日本が国家として半人前なのを露呈、日本の総理ですら政治主張すらもなく保身そのものとか。政治が着地していないと法律や経済、生活にまでも影響を及ぼす。

アメリカの場合には、国内法や外交に一貫性があり、その利害が一国で完結するが、なびいている日本の場合には、国内法や外交が一貫せず、その利害も完結しない。戦争をするアメリカ以上に死の商人国家となりうることもありえる。原発にしてもアメリカからセールスされて断りきれないのが、日本の原発推進行政につながったのであろう。国民を代表する総理大臣や国会議員たちですらも自分の考えがもてないのが今の日本、民主主義国家としての部分すらも怪しくなり、国会じゃなく、他国で日本の政治や法律が決まってしまう部分が多い。

これは軍事的な力にゆだね、国内での生産活動がなくなって、アメリカと同じようなデスクワーク的な産業の高度化をしていくと権利や法律、裁判だけで生きてゆく人が増えてゆく、より自分たちが食べていくときに軍事依存的な部分が高まり追随していくしか仕方ない。トランプ批判は多いけども、日本の国の行政も他人に厳しく自分に甘いトランプみたいな人が多いと思えるので他国ごとではないのである。そして、安倍総理が応援していたクリントンさんは、いろいろと財団関連の疑惑をもった今日からは一市民なのである。フジモリ大統領も日本政府が日本人としての資格があるというが、彼自身がペルー大統領選で、日本人疑惑を否定しペルー大統領にまでもなった人。法律があろうがダブルスタンダードで何でもありなのが法治国家といえない今話題の二重国籍問題と重なる。

アメリカの大統領が立派だなあと思っていたのは、大統領を終えれば引退し基本表に出ない。日本の政治家は元首相とかで居残り政治が腐る。それと似てファーストレディーだったヒラリーは国防長官やったり、ビルもヒラリーも講演会収入などでがっちり。ヒラリーが大統領になったらビルがファーストジェントルマン?だったのかと思うとその美徳も完全に崩れる。人生というのはある時点で次に譲り世の中を支えていく立場に戻るのもよい方法だろうと思える。
2016年11月08日
今朝は、朝に、お餅を溶かして餅のりを作って、型染めのテスト。市販のお餅を買ってそれを溶かしたので固まり具合があんまり良くなく、外で乾かしたら雨も降ってきて、今回は失敗、工夫が必要。何か新しいことをするときに、最後に絶対に成功するという想定で物事を進めていくのは大事で、そういうのが仕事だろうと思うので、失敗も経験のうちで最後に形にすればよいと思うのだ。

午前中に出荷した後、昼すぎに、倉庫の検反機を使いながらストールの撮影とか。午後の海外発送の後に、八日市のたねやさんでお土産を買おうとして立ち寄るとどうやら休みっぽくて、近江八幡のたねやさんに向かう。小雨の中、店内に入って、いくつかお土産を購入を検討中。お土産選びに一生懸命になっていると、「林くん」と声が掛かって、あらまあ、滋賀麻の社長が私がいるのを見つけて声掛けて下さる。子供の頃から知っている仲同士なので、50手前でも、私的には、なんか小学生同士か中学生同士が会う感覚である。

会社に戻ったら、昨日出荷した荷物が届いていないということでそれの対応と、JETROさんの12月の商談会の提出締め切りが明日なのでその準備をした。夜には、クリエイターの方が東京に戻るので夜行バスの乗り場に、今まで知らなかったが西武バスが夜行バスをしていて、駐車場が無料らしい。早朝に東京に着きたいときには、他の会社の夜行バスよりも便利かもしれない。
2016年11月06日
今日は風の強い一日、朝、来春から林与に在籍してくれるクリエイターの方がすむところの下見に来るので草津に迎えに行って、そのまま京都の川端商店さん。万葉添めの染料キットを購入する。ついでに京都の秋の雰囲気を満喫。会社には午後に戻って、午後、住むところの下見。たぶん、築、80年くらい以上にはなるのか。古い1軒屋がいいというので探していたところにたまたまの会社に近い物件で、家の中も毎月1度持ち主の方が管理してくれていてすぐにも住める状態。気に入ってくれて決まった様子でありがたい。














2016年11月05日
ハリスツイードがなぜ今も生き残れるのかというと、織機が量産向けに改良をされていて、現代的な広幅対応でおることができるからである。電気を使わずにペダル式にしたりして、織機を動かす。現代的な機械技術で動力を使わずに人力で動かして手織りを謳うという形。日本の伝統工芸の世界とは異なる概念で進化しながら普通の工業として生き残っている。

8割以上が日本へ出荷されて日本でブームとなっている。語られるのは昔ながらの手作りの世界であるが、どう考えても普通の手織りであの量産は無理、機械技術で人力で動くようにしてのところで、日本でやってしまうと日本の概念からすると手織りとはいえない。ハリスツイードのほとんどが日本向けながら、一方で、日本の伝統的なものがヨーロッパで評価されるのもそういう部分があるからだろう。

織物のプロがみれば、今のハリスツイードは、一見して手織のラベルをつけるのが無理な織物なのである。日本ではその手法は、もはや手織りとは呼べないながらも、現代的な人力織物と呼ぶにふさわしく別の意味での評価はあるだろう。琵琶湖の鳥人間コンテストで、人力で飛ぶ飛行機を思わせる。人間がエンジンの変わりに、こぎ続けることで織物が生まれるのだろう。逆に単なる動力の代わりが人力というのも少し悲壮な気もするが、自転車をこぐような気分で織物が生まれていく世界も悪くないだろう。

商社というのは売れればよいという感覚なので、消費者に真実が伝わらないことも多い。日本というのは食品でも偽装が問題視されるもので、そういうところが一番気をつけないとならないところだろう。手織りを謳えば、日本の消費者が勘違いしてしまうケースが人気のハリスツイードにも存在してしまっている。私自身、ハリスツイードの技法や設備を知っているので、一般でいうところの手織りとは解釈していないが、ラベルのHANDWOVENは、当初の頃の本当の手織りの説明が技法が変わっても続いているのだろう。

手織りをやめて人力でどこまでできるのかがハリスツイードが生き残れたことに大きく関わっているだろう。
2016年11月04日
仕事というのは誰にでもできるものではないと思うのは、覚悟の問題から始まる。今の時代には小学生が最初にミシンを触ってかばんを作ってしまうが、大人というのはその覚悟がなくて最初からできないのが当たり前みたいなところから始まってしまうケースが多い。今の学生さんたちというのは優秀であって、初めてのことでもすんなりとできるのだが大人がどうしてなのと思うことが多い。

林与は小さい会社なんで、私が決めることがほとんどすべて、逆に大きな会社の方と話すると自己決定が難しくものづくりの会社機能が成り立っていない気もする。特に小さな費用も検討しないといけないとかは、費用を最低限に抑えて最大の効果を出せばそれは検討の余地すらもないことだと思うのだ。普通は費用以上に自分が何十時間もインプットするから費用は無視できるような範囲であるが、規模が大きくなると自分自身のインプットがなくなってしまうからだろう。

私の場合には、試作材料費なんか自費で済ませることも多い。何かするときに答えをださなければマイナスであるという自分に厳しい考え方。何をやって答えがでるかとうのは自分だけでなく外の評価もあるので、とりあえず、いろんなことにインプットして何が成果があるのかをトライアンドエラーで見出してゆく。結果が出て成果がでれば自分も食べてゆける。

小さな会社の場合は、会社として外から見て特別な感じがしないと、普通の会社に見えたらそれで終わりかもしれないと思う。産地でも、ある会社の社長さんが、私にこの産地は織物工場はゼロになると断言をされていたが、生産規模からすると実質ゼロに近い状態であるという裏返しであろう。もう、実際に織物を織っている工場は林与のほかあと数件。技術と創意工夫をもって魅力的な麻織物を生み出せる人がいなくなれば、織りにしてもデザインにしても他で代替できるような辺りになってしまう。

ものづくりしてもそれを流していく販路をもっていないとなかなか難しい話である。今は、既製服で、1着が10万円を越えるようなものが国内では流れにくくなっているので海外を目指してゆくべきなのだろうなあと考えている。海外にこだわるというのでもなく、自然に流れてゆく場所を探してゆくと海外なんだろうなあと思える。楽しみにしているのが林与のオートクチュールを目指すライン。量産可能な一点ものとして現物商売で提案をしていく予定。まだ、準備段階であるが日本のものづくりの歴史も詰め込み無限の可能性を感じる。
2016年11月03日
今日は、米原の伝統産業会館でのロビー展示。朝から準備。想定以上の300人ほどのお客さんがおられて、びっくり。リネンのキッチンクロスのワークショップを子供向けにさせていただこうと考えてミシンをセッティングして持っていったのだが、会場では落語ということで、小学生から大学生の方というのは少なく。主に550歳以上くらいの方がほとんどだったような感じでした。

他の展示は、陶器、和ろうそく、仏壇鋳造、観光案内などがあって、林与は5年目くらいになるのですが、今回は飛び石的な日程で、会社の仕事の関係で本日のみの展示となりました。来場のみなさんにとっては、特別にプレゼント企画しましたので、多くの方が近江湖東の麻織物に関して知ってもらえたものと思います。

帰ってから出荷の準備。ぎりぎりのぎりぎり。

2016年11月01日
今日はこの前に考えたことを実験する。やってみたがうまくいかない。糸が緩み、このまま絣に織るのは難しい。次に別の案を試してみる。これもまた糸が緩み駄目。そして次の案を試してみる。少し緩む感じ、やはり別の問題があるこの方法しかないのか、という問題。この方法で一回進んでみるというのが一つの方法だろう。11月中に試作を10点くらいは完成したいと考えている。

他にも方法は考えていて平行していろんな方法を実際に試してみるのが大事だろうと思える。これは普段の仕事と同じで、頭でデザインしてもそれを実際の形にするという部分が何十倍も時間が掛り、手間的に小ロット生産のレベルだと可能なのか、オートクチュールであってもリピート生産にも対応できるかどうかという部分との兼ね合いもある。

ひとびとに感動してもらえるような麻布を生み出したいと考える。
2016年10月29日
広い幅のストールを二つに分けて半分の幅のストールを作るときに、左右をかがる作業が必要となってくる。せめてサンプル分だけでも時間短縮のために社内でできないかと検討中なのである。通常はシャトル織機でストールの幅で織るのが一般的なのだが、ジャガードのものをストールに仕上げたりする必要があったり、広い幅でプリントしたものを半分にするとかのときに小ロットでの対応が必要となってくる。

キッチンクロスの縫製なども小ロット生産や急ぎの分は中でできるような仕組みにしてあるからまだ、先に1枚づつとかでも店頭に置いてもらう事ができたりする。今は、最初の1点がとりあえず必要であったりする。生地にしても製品にしても、30cmだけ先に確認したいとか、1つだけ見せてほしいとか、在庫があれば対応できるが普通は難しい話が多い。それをさらに縫製して仕上げるとなると、内部でやる場合にはサンプルなどの控えも必要はないことが多いが、外に出してサンプルをつくるとなると、量産を想定して、弊社控え、縫製工場控え、お客様控えと3点が必要となったりするものである。出来上がったものが、OKでない場合はその繰り返しとなる。やり直したりして指図が増えるとどれが最終的に選ばれたのか縫製工場がわからなくなってしまうこともありうる。

内部でできるとその場で縫製してみてOKが出ればその場で済むので、試作開発的なことが内部でできるということはメリットは大きいのである。最終形が決まったところで外部で縫製を頼むとかが一番良い形だろうと思える。一回の量産で済むような形に持っていけるのが理想ではある。
2016年10月28日
広幅の絣織物の横糸に柄をのせる方法がまとまった。昔の近江上布は金枠を使うが、広い幅の金枠に糸がうまく巻けるのかという問題があって、またその糸を巻き戻す作業などもどうするべきか答えがでずに、この半年、検討や試行錯誤を繰り返してきた。広い幅で絣を完成するというのは、広い幅の機材をあつらえるところから始めないと出来ないのかというところ解決したかったところが、一番問題となっていた部分が解決できた。2月のミラノウニカ、3月のインターテキスタイル上海に向けて見本を作製することになる。

5月に東京に出向いて二宮先生の工房を訪ねて、いろいろと教えていただいた後も、横糸に色を奇麗にのせる方法が思いつかなかったが、この方法だとうまくかすり柄を再現できそうで着分程度の3mの生産ならできそうである。林与にある何千種類の色柄が、広幅の絣として海外の高級ブランドのオートクチュール向けのドレスやワンピース素材として蘇る第一歩。初年度はストールとして、広幅で織り上げる。まずは技法を確立できたということがうれしいことである。

従来の近江上布の技法とは異なる技法を用いることになるのも新しくてよいと思える。私が一番心配する排水問題に対しても、この技法だと社内工程では横糸を染めても汚水が出ないプロセス。生産効率を上げるためにもこの技法は非常に良いし将来的には量産への応用も利き、着分ベースでの量産への対応も可能になりうると考える。日本の麻布の力強い世界を再現することが私の目的で、私自身の力だけでなく、林与の歴史の持つものづくりの力を借りて、さらに発展してゆきたい。別に売れるとか売れないじゃなくて、布の世界で感動や共感してもらえるようなものをつくり、みてもらいたいと思う。

スマップ解散で、ナンバーワンよりオンリーワンみたいなところがあるけども、私から見ると若い世代に思えるメンバーたちが実際にオンリーワン的なものを大事にしているから解散なんだろうと思い、分かる気がするのである。普通になると見失うものがあって、それを通常の慣例とは異なるということで騒動になっているが若い世代の人が真剣に考えているということ、逆に捨てたもんじゃないと思える。アメリカでは反戦派のボブデゥランがノーベル平和賞にそっけない対応、メダルとかノーベルプライズとかじゃなくって、賞を与える側もその中身が大事で、IOCやノーベル財団の資質というものが、個人のほうがモラルが勝るというのもありがちな話で、偉そうなおっさん連中からすると厳しい話ではある。
2016年10月27日
今日は、東京でミラノウニカの打ち合わせ。昼食の際に、お隣に静岡県の加工メーカーさんがおられて、お話を聞いていると、やはり180度の転換期というものを持っておられて、動かれたことが今につながるみたなお話。なかなか、組織が成り立たない壁にぶつかったときに人の問題もあって180度の方向転換というものはできないものであるが、結局はそれが必要だったりするんだろうと思える。人が考え方、働き方、変われなければそのあたりは本当に難しい。新しい方も入れられているというお話で、聞くとやはり現場というのは定着率が低いといわれる。12人採用されたのに、1人しか残らなかったとか。現実的な話なのである。

お話のなかでも、オールラウンドに動ける人がやはりいてほしいと思われているのも良く分かる。今までやっていたことが成り立たなくなるってことも多いから、そのときに新しいことをやっていくということが大事だが、今までのとしかできな人がほとんどだと新しいことは難しいだろう。新しいことをやるときには、新しい人という結論になるのは酷な話なのだが危機感なく変わろうとしない人がほとんど。

林与がシャトル織機を入れ戻したときにも感じたのが、仕事しなければ仕事はないというのを何十年の経験者の人たちが分かっていないというあたり。シャトル織機を昔から使っていた工場長がシャトルは怖いわという言われ、仕事はいろいろとあるけども、してもらえる仕事が本当になくなってしまったなあと感じるばかり、結局、熟練者よりも素人のほうがやる気が上だったりするもので経験者ほどなにか新しいことをやろうとするときに重荷にしかならないことも多いものである。やる気のある人が集まって仕事はやっていくしかないのであろう。これは本当に残念な話である。

今日、仕事の体験もしてもらった方が仕事に合わないという返事をもらってほっとする面もある。合わないと思う人が仕事を毎日するのは合う仕事を探してもらうほうが幸せだろうと思うから、簡単に絶対にできると感じるくらいでないと何十年の職人さんでも仕事しなければ食べていくのが難しい世界、合わないなあと感じるなら早めに判断をしてもらうほうが双方にとって良いと思える。口で仕事の説明をしているうちはいろんなバラ色の世界であるけども、実際に仕事をしてもらうと簡単な作業でもマッチするかしないかが双方みえてくるものである。

夕方は、三宿のハンカチ店「H TOKYO」さんに立ち寄った。夜、月島のセコリ荘に行ってご飯を一緒にいただいた。隅田川の河口近くの下町情緒を感じるロケーション。週末だけが基本オープンらしいですが、今は、山形の作家さんのイベント中、山形というと米沢のシルクかと思いきや、作品はリネンや大麻のワンピースなど。車で東京に来られたそうで、その帰りに滋賀県に来てもらうような話も実現すればシャトル織機で自分で織られいるとかなので楽しみである。金沢にも逸材がおられるとかの情報もいただいた。宮浦さん周辺には自由人というか夢を持っておられる方がたくさんおられて一般のサラリーマンとは違うライフスタイル、それが本来のアーティストな生き方なのかもしれない。そういう生き方をするから作品に生き方が反映されて作品に力がこもるということもありえるだろう。手の込んだものも売ることを目的とする会社組織からよりも自由人から生まれてくるものである、自分の好きなものをつくるためにバイトしてものづくりに励むとか。そういうのがある人は本業として仕事しても強いのである。自分の作風とかを持つまでに仕上がっている人は強い。

みかんを差し入れに持っていったら娘さんの大好物で良かった。
2016年10月26日
アイリッシュリネンのハンカチの裁断を行う。この生地をみると本当に特別なリネンなのでうれしいのである。世界で数トン残っているかいないかと推定されるアイリッシュリネンの糸なのだが、現行の150番手を織って同じ加工をほどこしたものと比較しても、しなやかさなど格別である。真っ白のハンカチも良いかもしれないが、ビンテージらしい色が私は好きである。

真っ白のリネンハンカチが良いなあと思って最初真っ白のバージョンも作ったが、ジャパンクリエーションで調査すると、9割以上の方がオフ白を選ばれる。リネンの理想はやはりナチュラルな感じなのだなあと実感。私も自分の好みよりも皆さんが好まれると思って真っ白にしたけど、自分の好みのオフ白が人気でちょっと良かった気分。それ以来、オフ生成を晒すことなく、アイリッシュリネンらしいゴールドがかったビンテージな感じのオフ生成のままで提案させていただいている。

作るのに整経だけでも半年とか掛かって、織るのに3ヶ月とか掛かってしまったアイリッシュリネンのハンカチなのだが、このオフ生成で仕上げるために余計に時間が掛かってしまったともいえる。生成のままなので、色むらやフシなどが目立つので、そういう部分をなるべく取り除きながらいい感じに最後1枚のハンカチに仕上げようと裁断などの際にもなるべく良い場所を選んで裁断。

このハンカチにストーリーがあるのは、アイリッシュリネンの象徴の一つでもあった、2004年に閉じられた北アイルランドのハードマンズ社のサイオンミルで紡績された最細番手の糸で、1970年代に手に入れられる世界で一番良いリネン糸であったということ1枚のハンカチですが、アイリッシュリネン糸の歴史を語る遺品なのです。

140番手の糸の話は何度か聞いていたのですが、実際どこにあるのか知らず、先代が亡くなってから倉庫の2Fで、ちょっと大きめの未開封の箱をいくつか見つけました。箱の中をあけて糸を触ってみると細すぎて、綿麻か?と思いましたが、紙管にSION MILL T12とあり、箱の横にはMADE IN NORTHERN IRELAND と輸入されたときの表記があり、ラベルには、HERDMANS SION MILL LEA140。これかあと、先代が一番大事にしていた糸でした。その倉庫の別の場所には、アンドリュースの80番手、別の倉庫には、ハードマンズ社の100番手の生成が何百キロづつ今も眠っています。
2016年10月25日
今日は工場見学の方が午後から2名来られて、糸を結ぶ練習などを行った。人の指の感覚というものは普段使いながらも案外と新しい動きには苦手なもので、頭で理屈は分かっても、糸を結ぶという作業でも、それを実現するということは難しいことも多い。機結びの作業だが、私も最初の1週間くらいは作業して違和感があったが、それを超えると別に仕事でもなんとも無くなる。人の体が作業に対応できたということであろう。

他にも織機をさわって糸を通してもらう作業なども行ったが、正しく覚えるためには、手の使い方などからまったく同じにしないといけないのだが、なかなか、目で見た作業をそのまま自分がやるとなると難しいのである。ここも理屈ではなく慣れるというところ。できるできないだけでなく、習得する時間の短さというのも大事な要素であったりもする。新しいことを的確に前に進めていくという姿勢が大事だったりして、そういうタイプの人を作り上げていくのが、本来の教育というものであろうと思う。

学校教育の問題は、非常にスローというところ、カリキュラムを決めて全員が分かるレベルで進めていこうとする。実社会でそれをやると専門的な高度なものづくりは無理で、食べてゆけない集団となりうる。常に高度なことができるように進化していかないと、他の誰かが高度なことができるように進化したときには、自分が食べて行けなくなるのが普通だろうと思える。日本の昔ながらのアパレル業界が大手SPAのものづくりにシェアを大きく奪われたのも、技術的にも進化より退化してしまったからだと思える部分も多い。

手織りをしていたころの人というのは織物に対して面倒さというものがなかったというか、やるからには当たり前にそれを乗り越えていたが、機械化されてからの人というのは仕事を面倒なことととらえることが多いものである。機械化により人が労働から解放されると、人の力が落ちる。働いている人も機械が悪いとか他人事のようにいうけども、機械化されたときには機械の面倒をみるのが仕事であると進化しないといけないのだが、と思うことも多い。繊維の仕事なんて、それほど高度でないことも多いので努力次第でなんとかなると思うが、人が面倒に思うとかやらないとかの問題は、仕事の本質を欠いているので論外だろう。
2016年10月24日
夜中、出荷の際にバッテリー上がりがあって、自動車のバッテリーって進化していないんだなあと思った。一方で、自動車にはカーナビやキーレスでボタンでエンジンが掛かるようになって、バッテリーがローだと車を停止することもできないという問題がある。どう考えてもバッテリーがローの状態で車を停止できないという回路、回避しておかないと危険である。

バッテリーは昔のまま、せめてバッテリーが低下するときに警告がなればよいと思う。バッテリーのスペアを積んで置くという手が一つの方法かもしれないが、今はリチウム電池からエンジンを起動するジャンプスターターリチウム電池というのがあって、それを車の中に持っておくというのもスマートフォンを車の中で充電したりもできるし便利かも知れない。

調べてみると、材料のリチウム電池も電気容量が偽物が多数出回っている。海外物はノークレームノーリターンな、書いてあることもすごく、爆発しても一切責任は取りませんというのが、アマゾンで売られていたり。たまに爆発するというのを安く売っているようである。安全を考えないから安く物がつくれるんだろうなあと思う。日本も原発が爆発してあとの処理も殿様対応というのは、日本の実質国営企業の電力会社もノークレームノーリターンの海外レベルに対応が落ちているということで、電力会社も安全よりも安さを追求する海外のメーカーとモラリティが変わらなくなってたりで、国内に海外のあやしい世界があるなあと思える。

日本中にプルサーマルのために保管しておいた使用済み燃料をばら撒いてしまった、ダイオキシンばら撒くのと放射能ばら撒くのとではもちろん放射能のほうが世代を超えて遺伝子に問題を起こすなど危険。福島の所長もあんなに元気だったのに典型的な甲状腺癌ですぐに無くなっちゃって、原発事故とは因果関係がないとか。まさに、国すらもが人命を軽視してボロボロな説明ばかり。

プルサーマルやろうとしていて、世界が福島から原発は無理と学んでも当事国の日本というのは世界一の原発推進国なのである。日本の原発プラント開発企業なんか、バブルのころに原発に社運を掛けた博打的な投資してしまっているので、それがうまくいけば仕事がうまれおいしいが、消えてなくなると何兆円規模のビジネス損失となる。大手企業でも本業がそんな政治と癒着した博打になってしまっている。

バブル期に、原発に博打張った国や企業や電力会社は、原子力発電なんてそろそろ旧式の環境破壊型発電システムだということ気がつかないと。太陽光発電で十分に電力をつくり、それを蓄えることのできるシステムを構築することが大事であろう。原発も電力会社も必要ない社会が来る日も在りうるだろう。オリンピックなんかも同じでバブル期のおっさん政治家たちが絡んでバブルなことをしようとさらなる尻拭いが必要なことばかり増やそうとする。みんなが小さな節約を考えている裏で、それを無にするかのごとく大きな垂れ流しするのが国ではいかんだろう。人々が節約したものが国や大企業によって湯水のごとくに浪費されてゆく。

オリンピックにしても、予算など詐欺に近いのはなんとかならないのか。行政も絡んでこんな話だから。
2016年10月21日
日本の株式市場がどうも怪しい。国民から資金を吸い上げすぎて資金が回らなくなって、株式市場が落ち目の状況で、手をつけ始めたのが年金資金という一番安全に資金運用が必要なところ。優良企業の株を保持しただけで資産が増えるなら、だれもがそれをするだろうけど。国民もそれを信じて株式投資して手持ちのお金を機関投資家に吸い上げられた、次に、株式市場で国民の老後の年金資金が吸い上げられる予定とは、年金の破綻が加速する話。

胴元や海外の機関投資家からすれば何十兆円というお金がばら撒かれるのを見逃すわけもなく、上手に回収。今までは創業資本家のもっていた分が手を離れ国営化が進む。企業家自身が株を持って裁量を振るうのと、ものを言わないものが株を持って企業家一存では、株式企業の意思決定のバランスも崩れてしまう。株式会社のメカニズムを根底を揺るがすような部分もある。

笑える話だが予想通り、国民の老後の年金を5兆円も下手に溶かした、その年金積立金管理運用独立行政法人の代表が独立行政法人の中では日本で1番給料が高いとか、日本の人材に関する市場メカニズムが成り立っていない部分。結果としては、その人が仕事しなかったほうがよかったという結論なのだ。国民が働いたお金を取ってそれを溶かす、働く人や企業から、強制的に税金として徴収する社会保険とか、自分がお金をなくすことはよいけど若い世代の借金として残っていく。これから生まれてくる次の世代は今の世代の奴隷ではないが、それが日本は昔は次の子孫のために自分たちを犠牲にしたものだが逆転してしまったなあと思う。

社会構造がサステイナブルでないと駄目だろうと思うが、無理なものを法律で正しいの概念までゆがめて成り立たせているが多くなりすぎて、まあ、トップリーダーや指導する行政が一番モラルがなくなってることも多い。その変のゆがみを立て直さないと駄目だろう。行政のやっていることが何一つ正しくないというようなのが、豊洲問題で説明すらも元都知事が逃げていたり、まさにだらしないわなあ。すべて正しくないほうに引きずり込まれる行政。行政の末端の人間でも偉そうに民間に説教したりするけど、トップや行政が騙すのが基本では駄目だろう。
2016年10月20日
2017SSものの生産の時期。今のタイミングで本来なら決まっていないともう間に合わないタイミングに差し掛かって、今からサンプルからの話を進めて、1月末納期の話もあったりするが、どうクリアしていくのかのところ。春夏物の厳しいのは年末年始ともぶつかる。休みの前後がどこもパニック状態なので、実質12月27辺りから1月10日の連休明けくらいまでの2週間がないのと同じ。

年明けの加工投入で、なんとか1月末の納期に間に合うかどうか。もしなにか問題があればすべてがかわってくる。一からやり直すとかだともう地獄の世界だが、新しいものをやるときにはそのリスクがのしかかる。12月に本生産が決まっても、そこから染めるとなると年内に何色染めてもらえるかという話。仕事するのがその空白の2週間ということが多い。まあ、軽く見られるコンビニとかでも24時間動いているから、生き残れるのだろうから、本業が本職でやっていてそれ以下の覚悟だと春夏物なんて海外に越されていくのもあたりまえなのかと思う。

日本の春夏物が苦戦しているのは、たとえば、中国やベトナムなどの旧正月のタイミングが日本と同じだったら、状況は変わっていただろう。それだけで、海外のデリバリースケジュールなども含めて日本以上に苦戦していたはずである。しかも、年によって前後するとか、旧正月明けには生産力が落ちているとかの要素が海外にはありうる。2月に旧正月というのは、2月、3月店頭を目指す春夏物の生産にとってはある意味、労働力が減っても影響は少ない。海外縫製も1月1日に正月で、旧正月明けに人が減ったら、春夏物の生産は大打撃をうけるだろう。

日本も正月を旧正月にすると同じスケジュールで企画が始まっても春夏物の生産がかなり楽になるのになあと思うが、今の遅い立ち上がりの企画の背景には、店頭である百貨店バイヤーさんの方向性が決まっていないので、企画が進められないということがあろう。数ヶ月での試作から本番への移行と言うのは、小物ですらも結構、地場産業的な分業のなかでのテキスタイル生産では厳しいところがあるけど、アパレルともなれば、品質面の確立や、納期リスクも高すぎて手を出さないほうが安全というところになってくる。

今は、アパレルは難しいという話が麻関連の素材を扱っておられる方々からは声が上がる。安いものなら品質なども目をつぶるということがあるけど。百貨店の高級ブランド向けでは、厳格な百貨店基準やブランド基準などがあるとすれば不安定な要素が多い麻では難しいことが多いのである。今から林与も新規の案件が入り始め予定されているけども注文が入ってもタイミング的に頭を悩ませることが多いものである。出発は簡単だがゴール予定が1月末だとかなり危うい。
2016年10月19日
昔のファッション雑誌なんかをみていると、型パットが強烈だったりとか、その時々のモードが感じられるが、ベーシックなものというのは、ファッションフェチ以外に受け入れられやすい。私自身もそのときどきの流行よりもベーシックなものを探しているので、今の店頭に行ってびっくりするのが、ベーシックなズボンがないとか。

ストレッチ素材をつかっているので、スリムタイプにしようとしているが、それが長続きするようなものであるのかは微妙、今、そういう技術ができて新しいからそれが流行るというようなだけだろうと思える。

そういうのを積極的に取り入れて新素材開発されるブランドさんもあられる。私自身はどちらかというと、そういう流れに乗ってのものづくりは好きではない。技術依存的過ぎて、本来の織物のベーシックな規格のありがたみみたいなものがみえないから。

織物というのは用途に応じてちょうどよいくらいの風合いなんかがあったりして、それを改善するために、他の素材を入れ込んでまでしてしまうのは、お店に並んでいる加工食品と類似の要素を感じる。出来上がったものに、いろんなほかの添加物までいっぱい入っているということ。なるべく、定番らしく、その素材本来の感触を他のものをあまり足さずに味わえるのがよいんじゃないのかと思うのだ。
2016年10月18日
今日はものづくり求人に関する企業交流会に参加をしてまいりました。会場で知り合いの野瀬精機さんのご夫妻とお会いしていろいろと近況報告など。すでに前回の交流会を通じて一人雇い入れられたということで、いろいろと教えていただきました。野瀬精機さんはNPO半田付け協会も運営されておられ、1年に全国6箇所での半田付け講習もされておられるとかで、日本の半田付け業界では権威的な企業さんです。

今日は、ものづくりを目指される若手の方の求人と企業とのマッチングの会で、ブースで企業が面談をします。林与の求める人材というのはオールラウンドプレイヤーみたいな人で、何でも仕事みたいなのを当たり前に考えてくれる人。何でもといっても、製造販売に関すること全般ということなので、別に他の会社の事をさせるわけじゃあありません。ひとつの作業ができてもそれは今の時代では海外の大きな大量生産の流れ作業の単純労働者の世界で、その人の力は外から見れば海外でも現場では置き換えが可能な一番底辺にみられる作業員にしか過ぎません。

どんな仕事でもいつまでも忙しく同じ仕事が続くとは限りらないので、その仕事が下火になったときに、他の作業を忙しくこなせる力がなければ、会社に仕事があって人がいても仕事ができる人がいないという状態が続きます。新しいものをつくるというのは誰かが教えてくれるのではなく自分で生み出していくというところで、基本のことをマスターしたら応用を自分の中で他の上手な人から教えてもらうのではなく自分が見て真似て上達して、ゆくゆくは自分が新しいものを生み出す力を持って新商品の開発を手がけていくものです。

今は、百貨店にでも売れるものが安く飽きられるほどにある中で、新しい商品の開発ですから、一日一日が勝負で30年40年の経験者も素人も関係なく、素人でも最初から教えてもらったら正しいものが生産性をもってできるようにならないと、いつかできるようになるでは新興国のものづくりにも追い越されても当たり前。数ヶ月もすれば自分が一番上手だと思えるくらいになって、他の作業も同様、いろんな作業をこなせるという人は、人の力が高いということで私の中ではそれが人材育成だろうと思っています。

あと、求職者の方にお話したのは、限られた時間の中で仕事をマスターしようとすると、仕事が自分に合う合わないはあるだろうし、会社から見て仕事がその人にに向く向かないはあるだろうと思います。また、仕事だけでなくその会社の仕事に対する考え方が自分に合う合わないはあるだろうし、会社にとって求職者が会社に向く向かないはあるだろうから、その双方がマッチしないとお互い納得して仕事は続かないだろうと思うということです。

仕事ということを求職者の方も理想も持っておられるでしょうし、学ばれているのだろうと思うのですが、大手のやっている方法を零細企業が真似しても絶対といってよいほどに零細企業では成り立たないことも多いのです。同じことをやっても、立場が違えばうまくいったりうまくいかなかったり。だから、小さな企業というのは大手のやり方と違うやり方をするところに生き残れる道があり、大手のものづくりというのはシステム的に大量生産を目指すのでコスト重視で案外平凡なものづくりが多い思うのですが、小さな企業というのは人の力でものを生み出していくので大手のできない人の力の強みを生かしたようなものづくりが生命線のような気がします。案外、美観が生きたりするのもの小さな企業のものづくりではないのかと思えるところだったりするのです。作れる環境があるとものづくりの深さって変わってくるし、何に価値があるのかというのもぶれないものがあったりするものです。

普通以上に苦労や努力するレベルで仕事して続けて、他の人が超えられない壁を当たり前に毎日苦労や努力しながら超えてで、他とは違う世界が生まれてくると思ってたりするので、私自身じゃなくても苦労や努力してがんばられている人が成功されることを望むし、そういう価値観を育める場所があっても良いと思えるのです。そういう人たちがつくるものづくりを、多くの日本の消費者の方が高いものに対しては求めてくださることも事実だと思います。

あと、仕事というのは頭で理解するというのが先に立つ人というのは最後まで仕事としては成り立たないことが多い。頭で理解することを仕事と考えているから。仕事というのは体を動かして目の前のことを勧めていくのが仕事。手や体が動くことが大事なのである。そういう意味でも、林与の場合には実践派でないと難しいのかなあと思う。
2016年10月17日
今日は体力がようやく回復して、仕事に復帰。朝、加工工場に反物を投入、出荷の案件がいくつかあって急がねばならない。何から手をつけてよいのか分からないほど、ちょっと難しいことが残っている。ちょっと難しいことは他の人にはこなせないことが多い。どこの会社もいっしょだろうから機屋というものがこの産地で廃業していくんだろうと思える。

これは今に始まったことでもなく、私が仕事に付いたときからちょっと難しい仕事は私に回ってくることが多く、整経をしていた方以外の、他の人のする仕事というのはすごく簡略化されていたように思える。仕事はいくらでもあるのだが、できる仕事がないかったりして待っているという状態が、工場の中でも出機さんでも。一人ひとりができる仕事を増やさねばならないのだが、職域みたいなものが勝手に出来上がっていてこれはだれだれの仕事みたいな感じ。

私自身はもっと高度なことをやりたかったのだけど、私に現場の作業のちょっと難しい作業が回ってきて、高度なことのできる会社にはなりえないところもあった。何十年も仕事をしていてると外の進化のスピードに追い越されてしまうのだが、歳を取るごとに仕事も気力もなくなり難しくなる一方の現場、これは田舎の普通の暮らしも同じで、若い者が活気を持って仕事するというより、年配の人が多いと年配の人のできない部分の手伝い仕事ばかりになってしまう。

ある糸商さんが自分を経由してリネンの細い糸を買ってほしいと頼まれて、間に入られるなら糸商さんがリスクをもって糸を引っ張ってきてほしいと頼んだがそれは無理な話といわれて、結局、自分で糸を注文して引っ張ってきた。それが私にとっては何も難しいことでもなくて、リスクも自分で張って在庫も持つ。糸商さん経由だと在庫がないときも多く、結局、いざというときのものづくりに支障が出るのである。特殊な糸だと見本を作って注文を受けても、本清算のときに糸の背景そのものが見えなくなるので余計に怖く、糸があるときにある、糸がないときにはないだけでは、提案するのも危険すぎるのである。糸商さんからは定番の糸は買い続けたので別に糸商さんとの関係を潰したくもないし、糸商さんの限界があるときには自分が動いて解決しないと、特別な糸も手に入らないのである。

糸商さんでも問屋さんでも、林与のような小さな会社が自分で動くと相手に嫌がられるといわれるけども、糸商さんも問屋さんもお付き合いで関係が成り立っているということを、特に年配の方たちは認識されていないケースも多く、自分の考えている商売がうまくいかないときには、敵か味方かみたいな考えをモロに出されて基本の礼儀のない方が多い。こちらがゼロで動くときにはゼロで動けるような人が普通の仲間てきなものづくりなのだが、利益が先に頭にあってそれを譲れない人とは損から始まる新しいものづくりなどは難しいだろう。

日本の中の口座商売とか、疲れるんだよなあ。世界を見渡せば湯水のごとくに物が流れているのに、日本の中が昔ながらの誰を通しての商売とか、私も自分の会社で値段が会わないときには、私に相談された方のために同業の他の会社を紹介するとかまで来ているから、誰の目の黒いうちはみたいな、小さい概念は捨てたいなあと常々思っている。私を慕って相談くださった方が私を立てるばかりにその方の仕事がうまくいかないというのも不憫な話で、そういうのは避けたいと思う。ワシに相談したので他でやりよった、一緒にやらんかったらお前は敵だ、嫌なら自分でやれ、みたいな、田舎の足引っ張りのおっさんレベルでは、田舎の過疎化の問題解決や繊維の世界で若い人たちが活躍する場をつくるとかは無理だろう。

私が思うのに、林与は全国の暖かい気持ちで支えられている部分があってなんとかやれている。でも、ある方にいわれたのが、自分だけのことじゃなくて、産地のことを考えて産地のためになることをやってほしいということを言われた。そういうお言葉がありがたい。思いを持っている人々のことを思える人を集まって、思いを持っている人々のために仕事するということが今の理想。それでいて世界一みたいなものが作れるって理想な会社じゃないのかなあと思う。
2016年10月16日
3日ほど前に、ファミリーレストランの駐車場でライトをつけたまま駐車してしまったようで、夜にバッテリーが上がって、家まで2kmほど歩いて帰って軽トラをつないで、バッテリーを充電し手持って帰ったが、その日は寒く、そこから風邪を引いてしまったようで、土曜日にセキが出たので、今日日曜日は休養。一日中、寝る。体調がよくなく休む。
2016年10月15日
田舎の過疎化の深刻化を感じる。近所の方が家を持ってほしいと頼まれる、名義を変更して所有権を移すだけのこと。売買ではない。土地や家がマイナスの資産となってしまう状態に早く手を打たれるのだろう。住んでいないとするなら固定資産税を払い続けることや取り壊すだけでもかなりの費用が掛かるので、双方の思いが合えばよい話なのだが、住める家を無料でもというのはこれからは当たり前になっていくだろう。田舎の土地というのは更地にしても売買となると、司法書士の先生に払う手数料や境界を決めるための測量費用なども掛かり、売る相手がどんな方であるかも大事だったりするので、売買が簡単ではないことも多い。

ある工場が、廃業されるときに事務所と工場と土地を含めて買う話があったが、築50年を超える建物というのは10年とか先に取り壊すことを考えると一般的には実質一千万円コースのマイナスの伴う資産なのである。土地の評価があっても上に古い建物があると余計に評価が下がるみたいなところもあって、固定資産税の評価額でも私が買ってくれる人を見つけようとすると苦戦するだろう。不動産会社が入って3ヶ月以内にすぐに売れる金額というのを私に提示した、工業団地に10倍もの面積のきれいな更地で土地が手に入る金額。断る話になったが、その金額で3ヶ月以内に不動産会社もちゃんと土地と建物を買い上げて、工場の片付けをちゃんと見てあげてほしいと思うところ。

東京の土地だと人が多いので場所さえ良ければビジネスチャンスあるけど、滋賀県は主要な駅前の平和堂などでも3階、4階、5階には店舗が入っていないような状態になりつつある。土地というのは国有そのものだなあと思うのは固定資産税のシステム。土地をもつだけで国に地代を納めることになる。なぜ、駅前のショッピングセンターからお客さんが消えたのか、郊外店に流れたということもあろうが、インターネットが商売の立地としては最高な場所のひとつになったからとういことだろう。これを書いているうちに、平和堂の近江八幡店が閉店するというニュースがネットで目に入った。

何百人がやっている商売でも立地も良くても成り立たないという状況。日本は田舎はますますと厳しいのである。画一化的に行く流ればかりではなく、ここで思うのが無理だといわれるものの特色を強く出していくという方向性も大事じゃないのかと思う。繊維産業というのは基本厳しくて無理だといわれるけど、日本のすごい分野のひとつであるのも事実。東円堂の林与のような小さな家の中から近江上布の絣織物が生まれ、半世紀以上前のその色柄に世界のデザイナーが注目するとか。

そういうものを生み出した気概といものは、もはや集落にはないけども、新しい形でそれを復活したいなあと考えている。村が明治以降に産業としていた織物を復活できるのも私しか居ないのも事実で、17歳で與次右衛門爺さんは、機元のひとつをたちあげた、今、もう47のおっさんが、それをやるのが難しいなあとかいっていても当時の人からすれば笑い話にしか思えないだろう。あのころは厳しいことが正しい時代ですべてが成り立ち、集落としても豊かな集落となった。今は、成功のための厳しさすらも禁じるばかりで、政治的には愚民ほど扱いやすいものはないのかもしれないが、田舎ほど自由に活動できるのが本来の田舎の強みであるはず。いつの間にか、隣と密集している都会のほうが自由に活動できるようになって、田舎の人のスケールが小さくなってしまっている。

芋粥の話でなければならないのだ、田舎というのは都会以上に大きなことをやってないと本来成り立たないのである。
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