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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2016年08月19日
夏休みインターン2日目。午前中にもろもろの出荷のあと、午後からレピア織機の基本動作の練習。基本動作とは、縦糸切れと横糸切れの対応。そのためにまずギアを一個戻すという作業が正しくできるように練習。

ギアを正しく戻すことができるようになると実際の織機を触る作業。織機を始めて触るので、一番の心配は正しく動かすよりも、怪我をすることがないかどうか。正しい作業手順を守っていると怪我をする確立は非常に低くなるが、正しい作業手順以外の動作をすると、怪我をする確立は高くなる。

正しい手順を見てもらって、それと同じ動作を繰り返してもらう。正しくついてこられない人の場合には要注意で、こういう単純な作業でも作業する人の今までの仕事経験なんかが見えてくる。うまくできるできないかはその人自身の能力というよりも、その人が今まで経験してきた環境が大きく影響する。今まで、新しい作業を覚えることに厳しい環境にいれば、初めての織物のような作業でも同じように飲み込める。

今回のレピア織機の練習は1時間で終了。1時間で基本動作をマスターできるというのは今まで教えた中では最短であるほどに早い。単に、頭で作業を理解するだけでなく、コツをつかまないといけない部分が多少時間が掛かるものである。通常、私の頭の中では一日練習すればレピア織機は基本的には動かせるようになると思う。レピア織機というのは、基本、素人でも織れるように作られているものである。

素人でも織物が織れる織機が生み出されると、それは織物の織りの現場に携わる多くの人の夢ではあっただろうが、結果、簡単に織物が量産されるようになり、織物の価値が落ちることになり、多くの人が仕事を失う結果につながった。そこで思い出すのが、近江商人の逸話のひとつ、「この山がもっと高ければよいのになあ」というあたりである。
2016年08月18日
今日から夏休みの学生インターンが始まる、琵琶湖と麻布から総合商社になった伊藤忠兵衛記念館と豊郷小学校など挨拶。今日も、伊藤忠兵衛記念館には東京から役員15人がこられたというが、いくら大きくなっても創業の精神という原点というのを忘れないということであろう。家とすれば豪華ではあるが、その成功の規模からすれば質素倹約的な精神が感じられるのは私だけだろうか。

会社で糸番手の意味と糸量の計算を覚えてもらう。1mに必要な、糸量を計算するだけでなく、原糸コスト、染コスト、糊付コスト、織コスト、加工コストなど一般的な知識を持ってもらって、生地生産のコストというものがどのように決まるのかというところを実際の数値に近い形でシュミレーション。直接的な費用以外に、固定費用としてかかる間接的な費用もコスト計算には必要。

麻番手でも、メートル番手に置き換えて計算するのが一番わかりやすいだろう。メートル番手というのは1gで何メートルあるのか。毛番手とメートル番手は同じである。NM36なら、1gで36mの長さのある糸である。


2016年08月16日
関東より北側に台風7号。8月後半になってようやくの本格的な本州上陸。水不足の関東にとっては恵みの雨となりそう。水というもののありがたさというものを実感するところである。

東京湾の河口付近の放射線濃度が驚くほど高い。福島原発から飛び散ったセシウムが川下まで流れてきて、河口付近に沈殿するからだという。遊泳できる浜辺は少ないと思うが、河口付近の砂浜で泳ぐというのは放射能汚染的にはよくないだろう。これからも何十年かは濃度は上がっていくことになるだろう。

東京の人は現実の原発の危険を見据えているので、電力の消費地でありながらもできるだけ遠いところに原発があってほしいというのが本音だろう。東京に限らず、日本全体で、全員がそう考えても不思議ではない。放射能汚染土を処分するのも、やはり、ぜんぜん原発と関係のない田舎。本来は、環境庁が守らねばならない田舎の環境が脅かされる。埋め立てに使うという計画もあるけども、東京ディズニーランドの液状化とか、地震大国日本であるという想定は当たり前に必要であろう。アメリカが直接処理をやっていて、濃度の高いまま地層に埋め込むという手法。地震大国日本でこれがどこまで通用するのかは微妙だが、薄めてばら撒くよりもまだリスクは低いのではないか。

安全というならオリンピック予定地に使えばわかりやすいが、安全だとは言っている本人たちも安全とは考えてはいないので、危険すぎるのは十分承知。国も、人命を守るために例外として遠洋投棄を国連にでも申し出ればよいと思うが、原発行政の面子がそれを許さないのだろう。愚策そのもので隠匿が伴う。一般の企業がこんなことやったら国から叩かれて犯罪企業として干されてしまうが、国が絡んでの悪事はさらなる利権を生んで国民に負担を背負わせ解決される。国が悪徳企業のような環境破壊やってはいけないと思うが、それが国の環境意識である。

諸悪の根源のように国民には処分の適正を厳しいほどに要求してきたアスベストも普通にばら撒かれるということもあれほどアスベストが危険だと喚起してきた国なら対応を考えないとならないはずだが、規模が大きすぎて逆にばら撒いてしまうしかないというのも、まことに不適切な対応であろうかと思える。アスベストは100年経とうが掘り返したら問題は再発だろう。小中学校では昔、子供が平気で扱っていた石綿、それほど危険性のないものを利権のために騒ぎ立てていたような気もするが。アスベストも100年埋めれば解決なら、何のためのアスベスト関連の法律であったのだろうと思える。

プルサーマル計画は事実上破綻したということも公にはされていないが、今も原発を動かせば、以前はプルサーマルに使うといっていた再処理核燃料だが、今は原発を動かせば使用済み核燃料はどうするのかという問題も原発の初歩的な問題だが、未解決な新たな問題と化している。日本が依頼していたイギリスでも再処理工場がストップとなり、使用済み核燃料の行き所すらない。
2016年08月15日
日本の若者というのはオリンピックを見てもすばらしい。体も小さくても世界の場で、一人の人間の力で戦う。10代から20代というのは人生では、技術的、体力的にだけでなく、精神的にもピークだろうと思う。

昔だと日本一を目指したり、日本の国内での競争もなく作れば売れたがほとんどだったが、今はスポーツにしても仕事にしても世界に通用するレベルでないと生き残れないから、今の若い世代は大変だと思う。学生にしても、日本の中に国際的な競争があって、力強くがんばる海外の学生たちと競争。

今、関西の繊維関連の若い世代の人と接させていただく機会が多いけど、田舎のおっちゃんおばちゃんのレベルじゃない強さがあって、ものづくりの苦労を背負ってまっすぐと仕事も捕らえている方が多く、そういう方と接せることはありがたいなあと思える。謙虚でハングリーな精神みたいなものがあって、仕事に正面から取り組むみたいな若者たちがいるのを応援したい。
2016年08月14日
以前、ネットで、マネーの虎というものをみて、その後が一番樹になっていたのが、トルコの青年2人がやりたいというケバブ屋さんのことだった。うまくいったのだろうか心配していたが、屋台タイプから始めて、オフィスをつくって、実店舗も作って、利益も上がって成功して、その利益をトルコの学生を支援する奨学金にした。でも、31歳でジョギング中に心臓発作でなくなられたという。マネーの虎という番組で知っただけの実際に会ったこともないトルコの方だったが亡くなられた話を聞いて泣けてくる。

マネーの虎たちも、その当時は飛ぶ鳥を落とす勢いで、今はそのほとんどの虎たちが絶するほどに破綻してしまっている。けど、この人たちが経営者で虎だと思うのは、その失敗した責任を背負っているところ。自分に失敗が降りかかったときにそれを被る。ああやってテレビで、志願者たちに厳しいことをいうだけのことはあると思うのである。そういう厳しさを知っているから、夢を追い求めて独立するとかやめておいたほうがよいという、見下したように聞こえるが、志願者への親身だと思えるアドバイスも多いなあと思いえる。
2016年08月13日
柔道というのは、柔らの世界。たぶん、柔らの世界をやったら攻撃していないということで指導を受けるのだろうが、なぜか、攻撃ブンブンと逃げるばっかりで、柔らな世界がないのが、柔道らしくない。柔道は力じゃなく、柔らの世界であるべきだろうがそれが理解されることは難しいだろう。本当の達人の柔道は攻撃する意思がなく逃げているという意味で指導を受けるだろう。

剣道なんかも、勝負を超えた礼儀の世界があるが、日本のオリンピックのメダル思想とは相反するところがあり、勝つ負けるだけが勝負ではないという方向転換が戦前戦後の剣道の世界にあって、それが大きく影響をしているだろう。剣道が東京オリンピックの正式種目になることは念願かもしれないが、剣道の精神というのはそれほど浅くはない気もして、国際種目になった柔道みたいな道を歩んでは、剣道の中にある価値観みたいなものが流される気もする。

もう生存されている方は少なくなっただろうけども、敗戦で捕虜となった日本人がいたのである。捕虜となった日本人は、あまり捕虜となったときの話をしない我慢強いのである。生きて帰ってきて、それが恥ずかしい。まさに金メダルを取れなかった日本人の恥ずかしさと通じるものがある。しかし、そこから戦後の日本社会を支える土台となった。剣道を教えて下さった先生の一人もロシアで2年捕虜になってシベリア鉄道の建設で仲間を失われながらも帰還された、中学生のときに先生のお宅にお邪魔したときに、その話を一度だけきいてそんな過去を背負っておられたのをびっくりした。

その先生は、当時70歳で、高校生、大学生やほかの先生を相手にできる強さだけでなく、剣道という世界を築いてこられた部分が勝負の世界以上に意味のあるところ。強いものだけを集めて金メダルを目指せみたいのとは違う世界。オリンピックで勝った時に柔道でも、負ける相手がいて自分が勝てるということがわからないと、難しいだろう。誤審なんていうのももちろんあるけども、選手にもフェアな精神がないから誤審が起こるのである。自分で一本取られて負けたと思ったら参りましたと頭下げるくらいでないと一流選手とは呼べないだろう。

日本の卓球男子ダブルスで、審判の判定が日本だったのを日本選手がエッジボールで相手のポイントだったというのを自己申告して審判が訂正。競っているときに2点の差のマイナスが生まれるが、この選手のフェアな精神は、勝っても負けてもこの人は強いと思えた。ドーピングや審判の買収工作なんてしてるくらいだと判定に対する、そんなフェア精神はまったくないだろうが、そういう選手だけでなくコーチまでもが溢れているのは自浄努力がないと成り立たない部分。

クウェートという国が国家が選手の選抜に際し、クウェートのオリンピック委員会に干渉したということで、クウェートは選手が表彰台に立ってもクウェート国旗と国歌が流れなかったという。政治家や企業による裏工作でフェアな選手の選抜が認められないなら、それほどオリンピックの精神に反することはないということだろう。注意しておかないとならないのは、東京オリンピックのエンブレム問題でもオープンを嫌って政治にありがちな不透明な部分だらけで力で押し切ろうとしていたところ。誘致にしても裏では金で解決できるかもしれないが、フェアな精神でやって負けても多くの人は文句はいわないどころか、負けてもフェアであったことを賞賛するだろう。裏では大きなお金が動いているのだろうけど、政治とは違うのだから騙しては駄目。
2016年08月11日
今日もなんかおかしいと思ったら、昼過ぎに、初めて今日が山の日の祝日だと知った。まったくノーマークの祝日で、電話掛けても休みのところが多くお盆休みにしてはおかしいのでネットで調べて「山の日」ができていたことにびっくりした。

逆に外は休日で丁度よく、今日は、携帯電話の電話帳を新しい携帯電話に手動で入力して移すのに5時間くらい掛かって、古いほうの携帯電話をポスト投函して返却。仕事をしようと思ったが、終わった後も首の辺りが詰まってしまって、どうしようもない。

弊店間際のK’S電気に駆け込んで、肩と首のマッサージできるハンティタイプの大きな山芋のようなタイプのマッサージ器で一番強そうなのを買う。頭に血が行くように肩と首を1時間くらいたたくと、首も自由に回るようになって、スポーツをした後のような爽快な気分になった。

ふだん仕事で考え事が多く、体を動かしていても歩くこともそれほど多くない、体中が凝っているのを感じる。頭に血が回っていないだけでなく、リンパの流れも悪かったのだろう。首を一周きれいに回すのが上手にできない、もう、おっさんだなあと実感。
2016年08月10日
昨日、小幅織物が上がってきて物性検査など行う。非常に安定しているが、これから幅を目標値に合わせていくとか、白度の調整など、もう一度細かな詰めが必要。昨日は発送できなかったので、今日はそれを京都に持込み。高速道路ももうお盆モードに入りかけていて、普通の2倍くらい時間が掛かる。京都市内も賑やかに思う。商いの街ならこんなくらいが丁度よいのかもしれない。

ほかにしないといけないのが、携帯電話のデータの移行。液晶が割れている今の携帯電話を携帯補償サービスで交換なのだが、中のデータは自分で移行する。これが結構時間が掛かる。今もまだ携帯電話の機能をはっきりと把握していないので、バックアップとかは携帯のアプリをインストールしないとならないのだが、携帯電話メーカーというものは一方的な契約が多いので必要ないアプリはなるべくインストールしないようにしているので、手作業でデータを移し変える。

携帯電話、機能が複雑になりすぎて、何をするのもパソコンのほうが簡単じゃないのかと思えるほど。一番好きじゃないのは、日本語入力。キーボードが小さくてもよいので本物のタッチキーがついているスマートフォンがほしいが、小型でそういうのには、出会いにくくなってきていて、マイナーなメーカーものとなって、余計に使い方がややこしくなりそうで。私的には昔のポケコンっぽい携帯電話が一番なのだ。ノートパソコンのように画面が折りたためれば一番よいが都合よくそんなものはない。極論、携帯電話は電話とデザリングできればそれでよい。

そろそろ使っているパナソニックのノートパソコンも寿命に来ている感じだ。同じタイプが中古で手に入らないだろうが探している。新しいのに変わるのは私の中の問題があって、多少早くなっただけの新しいモデルのために、また微妙な使い方などの違いを覚えるのは疲れるので、買い換えるにしてもまったく同じモデルがよいのだ。プリンタも同じで、気に入ったプリンタを使い続けている。壊れても同じタイプをまた買って。5年とかして大きな違いが出てきたり、逆に消耗品などが手に入らなくなったら新しい機種に移行することを考える。今も私のノートパソコンのオフィスは2003で止まっていて、ちょっと不便なのだがそのままだったり。

大事なのはハードの性能よりも、パソコンを何かの目的のために使いこなすことだろうと思う。WINDOWS7は安定して動いていてくれる。WINDOWS10に移行するのはまだ先。今のパソコンは面白くない。メーカーが違ってもどれもが同じで…。車も同じかもしれない。だから買い換える必要なんてないと思えるのだろう。昔はメーカーごとにプログラミング言語の仕様も異なっていたりして手作り感があったのだ。どのメーカーもオリジナルで切磋琢磨しないと生きてゆけなかったが、基本どこもが同じで看板が違うだけ。APPLEは結局オリジナル性を貫いたから強いんだろう。繊維の世界でも同じじゃないのかと思う。
2016年08月09日
今日はお客様が3歳の子供をお連れで来てくださる。3歳のお子様は、いろいろと興味を示してくれてフレンドリーなのであるので、有望株なのだが、仕事してもらうと一気にその興味も冷めて大人しくなってしまうのだろうかと試したい気分になる。悪い大人である。

ものごとというのは興味をもった時には、とことんまで極めておく必要があろうと思える。そういう情熱みたいなものは、ものごとなんてどうでもよくなるものだから、物事に興味が沸くうちに飽きるまでやればよい。高校、大学のときの友達の一人は、高校のときにはアニメオタクと思えるほどうるせいやつらのラムちゃんファン、森高千里ファンで、大学になったらミスターマリックの手品に興味で、やはり普通とは違うほどの感覚があって、人としての魅力があった。

普通に勉強しているだけの学生時代では、カチカチの優秀なだけの大人になってしまうだろう。そういうのは弱くて脆い、守られた中にいれば食べていけるだろうけど、自分でやらないとならないときには難しいものである。学校の勉強というのは与えられたもので、どの分野でも与える側になれるほど強くならないと駄目だろう。

強くなるためには自己責任で自分でものごとをやっていけるような自由な環境を作る必要があるだろう。案外、成熟した産業ではそれが難しいもので、これをしてはいけないとかあれをしてはいけないとかいう人が多いものである。情けもあるので敷居というものは守りたいけども、敷居ばかりを盾にされるような昔ながらの業者さんというものも多く、プロのプロが素人に負けることが多いというのも、ウサギとカメの童話の世界。

日本政府もウサギを理想として働く気すらも感じられなくて、よい大人がこれから生まれてくる子供たちの負担増やして駄目なんじゃないのか、という、ほかの国では当たり前に心配することを今の日本では気にしなくなっている。総理大臣の失敗の片づけをするのが今から生まれてくる子供たち、力で、どこまでも食いつぶすというのは厳しすぎるんじゃないのか、と思える。ほんとうに重荷を背負って働いている人を、我慢してまで耐えている人たちを悪いことのように食い潰して、食う側の人間ばかりになっては終わりに思える。
2016年08月08日
テイラードなものづくりというのは、ひとつひとつものを作っていく世界で、その世界というのは今の日本のものづくりにあっていると思える。昔から変わらないままに今の時代にも対応ができる。林与という会社もそれに近いものづくりなのでなんとかやっていけているのだろうと思うところがある。

織物だと、昔は整経1人、経繋ぎ1人、織一人、企画染加工指図出荷一人、営業一人、経理一人の5~6人くらいの作業を、今は、無理すれば一人の仕事としてこなせる力があれば、仕事なんていくらでもあるといえばある。逆に昔ながらの分業だとほかの人が準備してくれるまで自分の仕事はないことになる。

何かひとつの仕事を毎日続けていると、自分には常に仕事があって自分がいないと会社が回らないというような錯覚に陥ることがあるかもしれないが、人の力や、会社の力に合わせて仕事の内容が調整されているだけのことも多く。できないならできないなりに仕事はほかに置き換えられていく。これは、厳しい話、人の力、会社の力というだけでなく、日本でできないなら海外でという形になってしまうのだ。海外でもできるような仕事の内容だと、コスト面で国規模で切り捨てられてしまう時代なので、先進国では違ったスタイルでの仕事が必要だろう。

日本の大手の自動車メーカーだと大まかに30兆円売って、5%から10%の利益。これを考えると数兆の利益をあげる勝ち組といわれる自動車メーカーでも、国の為替介入、購入補助金、国の雇用補助無しには、殿様商売といわれる大手でもまったく生き残れていないという現実もある。自動車だけでなく、電器関連でも同じだが、自動車の場合には登録や車検制度という法律の縛りがあるが、電器関連では携帯電話以外ではそういう縛りもなく、一般商品である、テレビ、パソコン、洗濯機、冷蔵庫、電子レンジなどは、ほぼ海外生産となり、海外生産というのは海外での雇用や生産基盤を守り、日本企業が海外生産で利益を上げる10倍から20倍、外国経済を支える結果に繋がってしまう要素を秘める。

繊維でいうとそれが日本の繊維業界のものづくりを食いつぶしてしまった感がある。日本でつくると高くつくものを海外で安くつくって、国内市場をコスト競争で成り立たせるという商売が当たり前になりすぎ、海外の物価が国内にも浸透しすぎてしまった。安いのが当たり前で安いものでも売るのが難しくなったときに、見直されるのは日本の良い物というあたりなのだが、それが一点物に通じる概念で生き残りのひとつなのだろうと思える。
2016年08月07日
今日は大阪のりそな銀行本店の地下の講演会場で、西日本のテイラーが一年に一度集うイベントがあり、会場の中で生地を展示させていただきながら、今回のイベントの発表や映像をじっくりと眺めることもでき、高級スーツの世界が必要としている生地とはどんなもの一番なのであるのかを考える参考になった。

夕方6時からは懇親会、展示の撤去作業などやってて遅れての会場入り。こういう会も年配の方が役職に当たられていて、次の若い世代を育てようと若手デザイナーの作品発表などに力を入れられているのを感じ、繊維産業のものづくりの担い手というのは、一世代違うと10分の一の規模になっているような気がする。

今回の弊社の出展は大阪府さんが声を掛けてくださって、松尾捺染さんや細川さんとも時間が空くとお話を聞かせていただく、ものづくりの部分で深いのは当たり前なのだがどうやって自分のやっている自分の世界を提案していくのかというような部分がやはりポイントなのだろう。

テキスタイルマルシェの企業経営者のみなさんは、職人以上に仕事の内容にも詳しく、職人というよりも仕事の内容を熟知し、新しい取り組みも常にされている私が思うところの理想的な経営者像を持っておられる方が多い。で、経営者でものづくりされて経験が豊富で、作っておられるものに対してのセンスみたいなものも商品からだけでなく、人からも感じられる。なにかやろうとするときにはゼロから立ち上げて、自分で自分の目標目指して動けるノンリミットみたいなタイプの方が多いので、経験も豊富で自分の経験をもとに話をされるので笑い話のように話されている言葉にも精神的な強さを感じ重みがある。

テイラードな洋服の世界も、価値観はどこどこの誰につくってもらったとかいうのが、ものだけに終わらない、話が広がるところなんであろうなあと思える。林与の生地を自分でお使いいただくハンドメイドのお客様のほかにも、テイラーで仕立ててもらうといわれるお客様も多い。テイラーの皆さんというのはお客様を大事にされて、お客様もテイラーのことを大事に思って、高級な価値観というのはそういうところから生まれるのだろうと思える。
2016年08月06日
今日からブラジル・リオデジャネイロでのオリンピックが開幕。ジカ熱、現地の治安の悪さに加えて、ロシアのドーピング問題などで、いつものオリンピックのお祭りモードとは行かない様子。林与のある愛荘町でも多くのブラジル人の方が仕事に就かれている。平成20年ごろのピークは過ぎたようだが、ブラジル人というのは外国人の中では一番多いようだ、でもその存在があまり目立たないのは、普通の日本人と同じような生活をしておられるからだろう。

オリンピックに関して思うのは、選手が一番楽しめればいいじゃないのかと思うところで、その範疇で力を出し切って勝ち負けをすればよいと思うが、オリンピックもスポンサーがついてビジネスになってしまって、カネがあるかないかでオリンピックに出られるかでられないかが決まる。オリンピックというのはアマチュアリズムが基本なのに一般のものが出られるケースは少ない。本当のプロか、企業に所属するプロでないと出られないということは、選手の人生にも大きく影響する。

普通に仕事している人がオリンピックに出ていれば、選手としてピークを過ぎても企業の中で仕事をすることができるが、大体が、スポーツ選手として活躍できなくなれば一般人として働く力もなく、第一線を外れたときには悲惨な生活である。普通の人のように働くというのがあって、それでスポーツがあればよいと思う。スポーツでは体力使うが、一般の力仕事はできないとか。良い体しているんだから、運送会社なんかででも働けばよいと思うが、そういう普通が受け入れられないのがオリンピック寵児たち。暑い夏が繰り返されるように、次の人に栄光というものを譲ってゆくのも大事だと思う。そうすれば全体的にはドーピングに頼るような腐敗も少ないだろう。

スポーツなんて血統的な要素も左右する。競技が強いだけでなく、人間性において存在の大きな選手がいてほしいものだと思う。引退して普通の一般人よりも、普通に働く能力がなく、食べていけないというのも大きな問題で、日本のスポーツ界ではそういう人を増産しすぎているのではないだろうか。

ひとつの分野での専門的な限界の厳しさもわかるが、人生というのはピークもあれば次がピークを迎えるように譲る必要もあろうから、それにあわせて広い範囲での応用力が必要に思える。これは人の力というものの差の大きい繊維の仕事も同じじゃないのかと。そういうところに産業も衰退から逃れるヒントがあると思える。
2016年08月05日
除染というと、放射能が消えてしまうような錯覚に陥るかもしれませんが、放射能は除染ではそこから取り除いてもほかに移動しているだけのことで、除染で放射能は移動するだけで消えることはありません。

放射能に被爆した場合に、皮膚をはぎ落とすかのように擦って表面被爆を取り除きます。体内被曝はどうしようもありません。一番怖いのは重いセシウムのような元素が肺に入ったらとか、ストロンチウムのように体内に取り込まれやすい元素です。

基本的に、濃度を高めて人から離すか、濃度を極端に薄めて危険のない範囲にするのが解決方法なのですが、国際基準の100ベクレルの80倍の8000ベクレル/kgを、公共工事に使うというのは危険すぎます。まだ、絶対に人の近寄らない無人島など探して、濃度の濃いまま一箇所にまとめてしまったほうがましでしょう。百数十年管理するなんて、原発すら40年の管理が難しく、廃炉すらひとつも成功していないのに、言うのは簡単ですが、やってしまったら後の祭でしょう。地下水を汚染するのが心配だし、魚で起こったような濃度の蓄積が、土中の生物でも起こりかねません。土中の生物の体を構成するのは土中の養分なのですから体内に蓄積される可能性はあろうかと思います。

1.5mほど地下に埋めて土を被せるという話も驚くところで、なぜ、何十メートルもの地中にまとめて埋めてしまうとかしないのかという疑問が沸きます。東京の地下鉄でも50m下を走っているのですから、技術的にはできないことはないのです。無人島案が駄目なら、深い穴を掘って数メートルのコンクリートの壁で囲い込んでコンクリートで蓋する方法もあろうかと思うのです。全国の公共工事に使うなんて、道路工事や埋め立て工事に使うんでしょうが、水俣病なんかもまさかという結果でだれもが予期していなかったことが起こったのですから、そういう問題があえて起こりそうな種を撒く愚行をすべきではないでしょう。放射能を人の手で全国に拡散ですかほめられたことではありません。
2016年08月04日
普段、建物の中にいることが多く、今日は出荷の際に、倉庫の入り口で、シャッターが開く間、数十秒太陽に当たる。ほんのわずかの時間でも、体中から水分が蒸発していく。たぶん、30分も立っているとかなり水分が足りなくなるだろう。皮膚というのは循環器官としても大切だなあと思う。

食べ物なんかでも栄養を取るだけではなく、体の機能を働かせるということも大事だろう。ビタミン剤なんかで栄養の吸収のよいものばかり取っていては、普通に体によいはずの野菜を食べても、体が野菜から栄養を吸収できないような体質になる。健康なときにビタミン剤とかで栄養を取るのは大事な部分で不健康であろうと感じる。

最近、大手のファーストフードで人工保存料の使用をやめるという話があったが、いつまでもカビないというのはそれが理由であって、結局、体の中に入っても人工保存料を食べるという部分と、人工保存料がついた食品が体に吸収されるのかという問題があろう。まだ、ほかのハンバーガーショップのハンバーガーが数日でカビが生えていたというほうがまだ安心できるのである。

大手のファーストフードは30秒でパンズを焼く手法だが、冷凍されたものが30秒で完璧に焼けていることはまずなく、一部冷たい部分が残ってたりするがお腹壊さないのは冷凍と人工保存料で菌の繁殖を抑えているせいであろう。人工保存料使うのやめて30秒焼きで大丈夫なのかは別の心配である。
2016年08月03日
キャラクターグッズというのは、素材の品質などを求めずに安く作って、著名なキャラクターの利用権を買ってキャラクターの人気で利益を生むというのが基本であろう。人気のキャラクターに便乗してという商売で、キャラクターが利益を生む構造。よほどの問題がない限りキャラクターグッズに完成度を求めることなど必要はないのである。

ブランドビジネスというのは本来キャラクタービジネスとは違うと思う。高級ブランドで品質が高くないものを流し続けると高級イメージはなくなってしまう。利益は上がるかもしれないがブランド自体のイメージが下がる。構築したブランドイメージを消耗しながら利益を上げてしまう形もあるだろう。

たとえば、今までは10万円したコートが、多くの方が手軽に手に入る2万円で手に入るようになって、高級ブランドには親しみ易くなったが、もとの10万円のコートが売れ筋の流れに戻すのには、またブランドの再構築が必要となってくるだろう。価格を下げて売れるというのは、高級ブランドにとっては次の手段がなくなるので黄信号でもあろう。安いから魅力ということもあれば、高いから魅力ということもあるだろう。それは人によって価値観は違うと思う。

自分で作りたいものがあって、外に頼んでも満足なものができないからということで、製造部門を作られた女性オーナーというのを5人知っている。そういう方たちとは話がよく合う。自分でできるものも限られているけども自分の中で解決方法を見つけるということ。至ってそういう方々のつくられるものは支えられているものが多く、商品の価格設定は高いが品質や創作性を求めて自社生産なんて高級ブランド以上の贅沢だろうと思える。
2016年08月01日
政治だけではなくて、何か人が集まれば考え方がみんなことなるので、しばらくすると、中でいがみ合いみたいなものができてくる。いわば、派閥みたいなものが生まれてくることが多い。なんかすごくよいことをしておられる人でも、その人が中心でないとならないタイプの人は、ほかの人が同じことをやってもそれに賛同するとかなく無関心だったり逆に自分が仕切ろうと出てしまう。

考え方というのは別々でよいのだが、選挙なんかであった政党が候補者を立てれば、政党の全員がその候補者を応援しなければ除名みたいなのは、悪政の基本である。自分の我を他人に強いる人が増えれば暮らし難い世の中になる。集まって誰か一人の意見しか通らないなら集まることが無駄で、集まらないで自由にいたほうがよいだろう。人を自分の支配下におきたいというのは支配意識の強いテロ的行為や独裁国家的な思想に繋がる。自分以外の多くが幸せになることを願うのが代表として立つものの立場であろうが、利己的や保身的に我を出してしまうのが、政治家や行政などには多い。

たとえば、原発事故でも自衛隊員や消防隊員というのが職務として命を覚悟してというのが美談化されるが、地元の自警団員というのは、何の補償もなくても命を投げ出す覚悟で津波に立ち向かっている。いわば、チェルノブイリでいうところの象の足に立ち向かったのは、津波が襲ってくるのを知りながらでも地域の安全のために命を投げ出した自警団であろう。

国がそういう人たちの命を投げ出す犠牲を評価しないし、国もその犠牲を公にしたくないのだろう。消防隊員や自衛隊員が被爆しない範囲で命を犠牲にしての覚悟を美談で、実際に、地域のために命を犠牲にした人は死人に口なしなのだろう。消防隊員や自衛隊員以上に、命をなげうって地域を守ろうとした250人の自警団員がクローズアップされることはない。

自警団員はボランティアとして災害の前線で、役人は前線に立つリスクもなく仕事感覚。なんのために役人がいるのかがわからないほどに、自警団の覚悟こそ、職務を越えた自己犠牲も覚悟で他の人を救うという人間のモラルで動いた、チェルノブイリの石棺化で犠牲になって自分の命を投げ出した人たち。消防隊員や自衛隊員にも命を投げ出した人がいるだろうが、それ以上に覚悟を決めているのがボランティアの自警団であるというのが実情ではある。

実際に、自警団活動で命を失った家族からも不満が聞こえてこないが、国レベルとなると消防隊員の安全とか自衛隊員の安全とか保身的な姿勢が目立ちすぎでそれでいて美談にしすぎ、自分の地域や家族を守るために普通に命を投げ出した人たちが250人もいることを忘れないでほしい。そういう人たちをカバーする共済が賄いきれず1200万円だとか。国もなにもしてあげないのかという問題。それが地域や国のために尽くした人の価値であるなら、行政に携わり仕事でする人というのは危険な情報もあって命の危険すらなく、万が一の保障もある。何十倍も一般からすれば恵まれすぎている。ボランティアとされて、行政の末端として、働きながら、労災も適用されないというのはどういうことなのだろうか。地域や国を守っているのはそういう下でも覚悟して我慢できる民間の人たちがいるからだろう。

公務員なら安全に守られて万が一の場合も数億の補償で、強制的に前線のリスクを立たされる自警団が、ボランティアだとして亡くなられても、大した保障もない、アルバイトでも適用される労災くらい適応してあげろよと思う。自衛隊員で放射能防御服、自警団員は放射能漏れも知らずに柔道着程度で前線の処理。東電や政府関係者ならわかっていたメルトダウンを水蒸気爆発と隠匿して、しかも、保安院なんてのが水蒸気爆発だと放射能漏れを隠匿、明らかに犯罪なのだよ。総理や大臣クラスが国民の命や健康を軽く考えすぎているが、それを罰する法律がないというか、作らないように細工してうまみだけで成り立っているのが原発行政。

津波が来ているの覚悟で海の方向に向かって任務遂行、原発の放射能漏れが隠匿されているのわかっていても、防御もせずに、前線でほかの人の命を救うために働くとか、行政以上に一般は何倍も覚悟して動いて、行政のいうのは原発は大丈夫。損得勘定で動く電力会社や国が、損得勘定もなく動く善良な国民の命を犠牲にしすぎだよ。

今、8000ベクレルの汚染土が全国にばら撒かれるのも、目的は、ビジネス。金儲けが先に立って、撒かなくてよいものをばら撒いて人々を危険にさらしてしまう。国連の負担金でも10%も出しているのだから、国連と交渉して、海に流して解決する方法が一番人の命を救える。国民の許可もなくしかも、環境庁が勝手に決めてるけど、まさに環境汚染庁だぞ。日本の行政だからこんな愚かなことが許されるのだろうが、もう少し、国も国民の生命の危険とか正しく考えないか。地下水汚染してからでは必要のない体内被曝を全国にばら撒く、手のつけようがない。

全国にばら撒かないと薄められないほどのセシウムやストロンチウムが放出されてしまったのは分かるが、ばら撒かないほうが絶対によい。普通は、一箇所に固めるか、無限拡散だろう。金に目のくらんだ原発行政がらみの業者がやるんだから20000ベクレルであろうが、ばら撒かれる可能性も否定はできない。それが金儲けの秘訣なのだから。本来100ベクレルという国際基準があるのに、日本国民というのは命が軽すぎる。途上国の国民が行政の未熟さで命の危険にさらされるのと同じ程度が日本の行政のレベルかと思うと、目先の金に目がくらんでばらまいてしまったら、将来の日本中の残土を回収する羽目になる、その費用は数十倍に膨れ上がり、それもまた利権が絡む。そのあたりが原発行政に携わる人の怖さ。
2016年07月30日
なんか、今日は今までで一番くらいに夏を感じさせる熱さ。お客様で、倉庫の生地を暑さに耐えながらみてもらって、お付き添いの方が初めてお越しの方なので、休みの工場の中を少し見学してもらう。ブランドオーナーはシニカルな冗談言いながらも積極的に在庫生地のバルクでの活用を考えてくださってて普通とは違う考えのオーナー、付き添いの方に林与がものづくりは職人的だというあたり説明くださってる。

細かいことを深く考えていると仕事ができないので、細かいことは考えずに目の前の仕事をこなすこと優先のスタイル。普通は無理なんだわ、と思うことも多いが、それをどう成り立つビジネスモデルに変えるのか。また、そうやっていると普通とは違うものづくりになって、つくる素材も一直線みたいなものが増える。一直線とは、こんなのが作りたいと思ったら、それだけのために糸を考え、デザイン考え、機から作って、同じ麻布でもほかの布とは違って見える布つくり。その布をつくりあげたいがために没頭、時間が許せばというか追い込まれると無制限勝負ということも多い。一ヶ月、1メートルも織れずに路頭に迷うこともあるが、そういう経験をしたことの無い人がほとんどなので、そういう経験の積み重ねが自分のもっているほかの人には無い力なんだろうと思える。普通は仕事と割り切ればできるみたいな話だろうが、実は仕事と割り切ればできない世界であるのだ。

織物の仕事って基本はそれほどは難しくない世界で、壁にぶつかっても下手でも下手なりに自分の時間をつかってやれば、それなりに答えに近づいていくものである。だが、一回一回が薄いというか浅いタイプの人というのは何も成し遂げられないままに答えにたどり着けずで、全体がそうなると、それでは海外の量産型の織物生産の単能工主義型が理想ということになろう。

人の力が生きるのが、人の力を必要とする現場なので、できないのが当たり前と人の力を否定してしまえば仕事として成り立たせることは難しいだろう。そういう普通はできないと思えることをできるということがプロの仕事として成り立つのであるだけだろう。機械が発達しようが今度はその機械をどううまく使いこなせるかが、人の力となる。機械任せで人の力が落ちては取り返しのつかない方向性。

コンピュータの世界なんて、機械が発達しても昔はマシン語くらいがすごいなあだったけども、今はどんどんと新しい技術が導入されてそれに追いついていくことができなければ、つくる側の世界は成り立たない。先進国でやるとするなら、繊維も同じだろうと思うのだが、数年前にできたことが今はできないとかが多くなりすぎてどうしたものだろうかと思うが、それが産業が一年たてば一年を取ってしまうという状況なのだろう。逆でないとならないのだが、仕事の考え方のすべてをリセットするくらいのことしないと、日本全体も一年たてば一年年を取っていくだろう。

私にしてももう若いとはいえない年なので、次の世代の繊維の人たちには日本の繊維を盛り上げてほしいと思うことが多い。一番期待するところは技術とかではなく、リスクを被って仕事するような部分、また、自分でいろいろと試行錯誤すること、いろんな修羅場を乗り越えるような強さというのはものづくりの深さにつながる。新しいものづくりをするときには需要を生み出す努力も大事だろうと思う。提案だけでなく、実際に自分がそれを使って売る努力するとか。材料費を何十万円も試作に使うのは簡単でも、その使った分を回収するのは難しい、努力などもすればそれで仕事の幅が広がることが多い。

昔、私も先代が糸がもったいないから要らないもの作るなといわれ、一切、自分で考えてのものを作りを封印したことがあったが、時代が変われば何が正しいか変わることがほとんど。今日も倉庫で昔作った布を見て、若かりしころの情熱を感じた。あの時の感覚が戻ってくることがあるだろうか、すごく綺麗な気持ちでものをつくろうとしていたと思う。

自分で仕事以外で自分の時間使って、売れると思う布をつくろうなんて人は繊維の仕事の世界では少ないだろう。まだ、ゲームとか漫画とかの世界ではそういうクリエイター的な世界がある。プラスアルファ必要なのは、自己犠牲で他を支える気持ちで、そういうものづくりというのは好き嫌いじゃないから強い。人の避ける部分の仕事を自分が担って全体を成り立たせるとか人の面倒をみるという仕事をいとわない人が貴重なのである。
2016年07月28日
化学物質や電磁波に弱い方がお客様におられて、通常の方の10倍以上は敏感だろうと思える。林与の素材はまだマシだという話をしてくださるが、染の強いものなどはやはり絶えられなく、立っているのも苦しくなるといわれていた。

今、国が、それまでは、上限が100ベクレル/kgの基準を80倍緩めて、8000ベクレル/kgの土壌汚染を全国にばら撒こうとしている。内部被爆を考える市民研究会の http://www.radiationexposuresociety.com/archives/1706 によると、このばら撒く汚染土の8000ベクレル/kgという数字、チェルノブイリで言うと、土壌汚染 2846~8538ベクレル/kgが移住権利対象区域(国家補償による移住の権利)ということらしい。ちなみに、チェルノブイリでは、8538~22769は義務的移住区域らしい。(チェルノブイリの場合は、セシウム137による測定なので、日本のがセシウム135と137による測定ということなので若干の違いはありそうだが調べてみるとセシウム137が重要であるので大きな違いはなさそうである。セシウム135は230万年とかの半減期で放出量も少なく逆に被爆も少ないだろう。これは私見であるが。)

日本政府もチェルノブイリの強制移住区域と移住権利対象区域の境に近い、8000ベクレル/kgを安全としたのだろうが、チェルノブイリでは移住権利対象区域のレベルの放射能を全国にばら撒くことになる。道路工事などに使われるのだろうが、今も、福島では地下水汚染を引き起こして大問題なのに、道路工事に使われた汚染土が、地下水に染み込んで体内被曝というのにつながれば、想定外だったとか後で言っても素人考えでもわかる怖さがある。

130年管理するというが、地下水を汚染するのも管理できるのか、今でも福島の地下水の汚染を止めることもできない、福島の場合には海に漏れ出して薄まるが、全国の地下水を汚染してそれを解決することは、地下水を抜いて地盤沈下、その抜いた地下水もどこに捨てるのかという問題になる。

水蒸気爆発といい逃れて、放射能レーダーが放射能の拡散を捕らえていたのに、放射能漏れを隠匿、自分たちの保身が、何十万人の命よりも大事というのも、電力会社や国の政治家や役人的な考え方、改まるものではない。インターネットで、ニュースを見たが、数日後の被災地で、一般市民や自警団が普通の格好なのに、自衛隊員だけが被爆完全防御の防御服とマスク、防衛庁も知っていて隠匿して日本の国民の命を危険に晒していたのだろう。日本国民の命を守るとか不可能だろう3月11日の時点で放射能漏れを感知していたことを公にしたのが半年後、やっていることが笑えるとしかいいようがない。

あの緊迫した状況の中で、放射能漏れを隠して、水蒸気爆発と偽る。米兵が被爆して訴訟問題に発展、国にとっても国民の命というのは軽いということだろうが、今また、日本中に、旧ソビエトの安全基準以下の汚染土がばら撒かれ、日本中がチェルノブイリレベルでは、移住権利対象区域レベルの危機に直面する。日本がソ連だからと笑っていたチェルノブイリ以下の安全意識であるというのも馬鹿すぎると思うが、日本の現実としてそのリスクも明らかにされずに全国民でリスクを分かち合えるだろうか。

法的な基準となってしまえば、どこに具体的にばら撒かれるかもわからずに日本中の地下水を汚染する。水俣病、アスベスト、HIVどころじゃない、規模的には、それらの何万倍も健康被害をもたらし解決費用も何千倍となるだろう。アメリカ政府の発表では福島の放射能はチェルノブイリを上回ったとか、それが事実出ないとしてもチェルノブイリの半分。チェルノブイリが30年ほど前なのに今もその傷痕は悲劇なまま、チェルノブイリの場合には石棺化でなんとか拡散をとどめようとしたが、日本の場合は、失敗した人間たちが拡散をしようとしてさらに無限の被害をもたらす。放射能漏れ隠匿どころじゃないことが、また、リスクも知らされるに安全だ管理できるとして行われようとしている。かつての基準値の80倍を安全というか、法律や基準値なんてあってないようなものである。

日本の水というのは、世界に誇る資源だといわれたが、体内被曝は1000倍という怖さ。ピロリ菌もびっくり、8000ベクレル/kgがばら撒かれると地下水なんて考えると飲めなくなる。セシウム137が重いからといって安心はできない、地下水にしても雨が降ると泥臭くなる地域もあったりするから。

地下水に流れ出してセシウムが体内に取り込まれるとか想定していないとかだとすごいね。魚でも地下水からセシウム取り込んで被爆しているのに。人間でも体内に蓄積され、人体が内部から除染されないとならない事態になる。魚ならごみのように捨てればよいけど。人がそうなったらどうするの。そんな技術ないだろうに、8000ベクレル/kgを全国にばら撒いちゃうのか。裏では議員や役人も絡んだ汚染土ビジネスが動いているんだろうけど、130年の管理なんて絶対に無理、堤防決裂の土砂災害や何十年に一回の巨大台風で一発で終わり。第一候補は道路工事、リニア工事とかだろうけど、工事作業員の安全とかも考えていないのではないか。

また、縦割り行政の日本、道路を何回も掘り起こす、そんな想定もなく管理できるとか。よく、土壌汚染を法令違反だと土を入れ替えさせてからでないと工事しないとならないというのがあるけど、国が公共工事で放射能汚染土を使ってやったらまずいだろうね。環境庁が動いて8000ベクレルと決めたというからびっくりなのだ。環境破壊庁と庁名を改めるべきだろう。いろいろと危ないというケースが想定されすぎだけど、汚染土利権に目がくらんで想定しないだろう。電磁波どころじゃないよ。また、食物連鎖の怖さも注意、植物ですら放射能を取り込むんだから。後世には、安全な国土を残すのが現世代の努力すべきことのひとつだと思うが、原発を受け入れて、一番避けなければならない放射能を国内にばら撒くことに傾いてしまうというのはどういう判断なのだろう。利権や保身が動いているとしか思えない。

どんな国際的な約束があろうが、国連でも日本国民の蒙る被爆被害を訴えれば、鬼じゃない無限拡散を認めてくれるだろう。原発を地球環境に良いとして推奨した国連にも原発というものの実態を正面から見据えるチャンスである。日本国民が将来の健康被害蒙ることになれば、日本国の失態を人道的でないと国連が追及する羽目になるのが流れだろうが、国連も原発利権にとらわれずに人道的な判断をすべきであろう。CO2とか、原発はそんなきれいごとのレベルじゃない、国民の命すらも考えないような利権が働いて成り立っている。

たまたま、人の力が及ばず放射能の大半が地下から流れ出したから、石棺化を免れただけで、下手に新しい技術でとか利権にまみれた人間の力で原発を抑え込もうとしても、無理なところ。今の国民を救うはずのミイラ取りがまさに国民を食いつぶすミイラみたいな状態では駄目だろう。8000ベクレル/kgの汚染土をばら撒いてそれを管理するなんて絶対に無理。国の指導で、ダイオキシン、アスベストでさえ、諸悪の根源のように、大掛かりな対策しているのに、その何千倍も危険な放射能ばら撒く。他国の核の脅威とかじゃなく、日本の国が国民に大きな放射能の脅威を与える問題、もう一度考え直してはどうかと思う。私みたいなおっさんなんかはどうでも良いが、なんの罪もない生まれてくるこれから日本で生まれて暮らす人たちが、その被害者になる可能性というのは、今の世代が自分かわいさを優先するのではなく避けるべきではないのかと考える。
2016年07月26日
三方よしの三方というのは、「仕入先、自分、お客様」という意味だと自然である。商人が三方よしを語るときに、売り手(自分)よし、買い手(お客様)よし、作り手(仕入れ先)よし、だとイメージがわきやすい。そして、それがよい関係で商売が永続し、誰もが幸せな状態が生まれるというのが、三方よしであろう。わたしが聞いてきた三方よしは、「売り手よし、買い手よし、作り手よし」というものであった。

いつの間にか、作り手よしの部分が忘れられて、普通にありがちな二方よしになってしまったのではないかと思える。売り手よし、買い手よし、で世間よしになるというところでは、故郷とか作り手とかいう、近江商人特有の滅私奉公的な概念が見えない。近江商人の基本は、次男、三男であるという辺りで、長男が実家の家屋敷仏壇を守るのを助けるという思想がある。だから、自分の生まれ故郷の産品を全国に広めることが、故郷のためにもなり、母屋の名声が地域で高められるというあたりが世間よしに繋がったのかもしれない。それすなわち、世間というのは作り手のことであろう。今の解釈というのが、世間に悪いことをしてはいないかという部分とは違うと思う。

外の人からみればそういう地元主義というのはきれいなものには映らないかもしれないが、海外産や多産地のものを扱うでは、海外や他産地の業者さんががんばられるべきところが普通というか理想ではないのかと思えたりする。やはり自分が手がけたものが売れていくというのは、お金儲けとしては遠回りになるし、つどの苦労だけでなく、常に生産する環境を維持する必要があるが、それが本場の産地を謳うだけの価値に繋がろうといえる。

こういう考えは持論過ぎて、商売としては成り立ち難いものであるが、今、自分で百貨店などの店頭やネットでの販売を手がけてみて、自分で作っているということがやはり一番の売りだろうなあと思えることが多いのである。


2016年07月25日
今の時代の繊維の仕事において、初めて数年の人だけでなく、何十年の経験のある業者さんでも、無理ができなくなっていることがほとんどで、それは販路の問題があろう。自分で店舗というか販路を持っているブランドさんだと計画生産も可能だろうが、多くの場合は展示会ベースの受注生産という形がほとんどとなって、新商品に使われる素材もベーシックで安定的に確実に売れるものよりも、今だけみたいな新規性のものづくりが求められたりする。量産にしても振ったら出てくるようなものでもないので、一からものをつくるとなって、しかもそれが生産量が少なく企画もの的なものであるなら、一般的にはほかの利益を当てて成り立たせるタイプのものづくりが必要となってくるがそれができるのかできないのか。そういう意味でも、ブランドには定番的な毎年確実に売れるようなベーシックな商品構成が必要ではないのかと思える。

産地の商品というのは本来それが一番適しているだろう。ほかからも出てきても本場の産地産ということでほかが真似できない差別化ができるから。売れるから作るというのではなく、売れる量が少なくなっても作り、守り続けるというような要素こそが強い差別化の一つであろうとは思える。案外、消費者というのはそういうところ大事にしてくださるのだが商売でやってられる方のほうが、そういう重いものから逃げて、安くできる手軽な軽いところでものづくりをされようとする傾向があったりして、それは一つ別のアパレルとしての差別化の方法ではなかろうかと思える。安い素材をアイデアで手をかけたりして高付加価値を生み出すというような手法。そういう努力をされて成り立たされているブランドさんが使われる素材というのは安価な素材が多いので、なかなか話がまとまることはないのだが、素材に重点を置く企業や、アイデアに重点を置く企業、自分で価値を生み出す企業などいろんな差別化はあるだろう。

最近のものづくりでは、私自身、近江上布プリント柄リネンストールを企画したが、ターゲットは海外がメイン。海外での販売比率が8割、国内は2割程度である。海外では、素材のオリジナリティが求められインパクトの強い近江上布プリント柄はやはり注目される。海外ではブランドオーナーやデザイナーさんがサンプル兼自分用に欲しいということで買ってもらえる。それって林与にとっても光栄なこと。

商売のアイテムというよりも、まず自分が欲しいということで海外の有名なストールの会社の社長婦人が自分に合うかどうかでどれを買うか考えてくださったり、デザイナーさん自身が自分の欲しいものを買ってくださったりする。商売云々よりもいろいろなものを見慣れておられる方が、林与のリネンストールを自分用に使ってくださるというのは評価という面では嬉しいことである。

昨年買ってくださった方がまた買いに来てくださるとか、展示会に来た記念として自分用に買ってくださるとか。3日間言葉も通じずに挨拶もしなかった前のブースのお嬢さんたちが最終日にみんなで来てストールを買おうとしてくださるとか。林与のことなんて知らないのだから、日本製というのがそれだけ評価が高く憧れてもらえるということなのだろう。おっさんの林与ですらそういう態度で接してもらえるのだから、日本のイメージというのは相当強いと感じる。

国内は国内の商売スタイルがあるのは金融面なども絡んで仕方のないことだろうが、海外は海外らしく国内ではあまりない展開があって面白い。海外の出展者のみなさんというのは若い人でも語学堪能で優秀で礼儀正しくてそういうの見習わないとなあと思う。昔、フランスの展示会に行ったときも、麻関連は他は中国企業で、中国を代表するような大手5社ほど出展されていて、そのどの企業の若い営業の方もが話に来てくださりフレンドリーであった。そんなにほかのブースにはいかれてはいないので、相手にとっては唯一くらいなコミュニケーションをとった出展者であったろうと思うが、日本のブースは麻関連ではひとつだけで、また、私のブースだけは一人で出展していたのでそういうのに気配りもつような優しさも感じたのである。
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