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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2016年03月25日
ここ数日体力がかなり落ちてきている。ふつうだったらやりきれないような仕事の凡ミスも仕事で重なって起きていて納期に追われ、そのフォローで私の時間もどんどんとなくなる。

体力の回復が必要ということで、リアルゴールド、MATCH、DEKAVITAのそれぞれ500mlのを2本づつ買ってみた、どれもイエローの飲み物。おっさんだったら、普通はリポビタンDみたいな小さなものを飲むのだろうが、林与は、大きな500mlタイプ。あの小さいタイプのタウリン系はなぜか苦手、飲むと逆に調子が悪くなる。

500mlのほうが、飲むと元気が回復してくるのを感じる。どうちがうのかと思って3種類飲みくらべてみたがどれも同じ感じ。続けて飲むと効力は落ちてくると思う。体力が落ちたときに飲む最初の1本がなぜか体に溶け込むようで元気回復。砂糖をほとんどとらない食生活なので、ビタミンとともにロイヤルゼリーとかブドウ糖なんかが体力回復を助けているのだろう。MATCHにはロイヤルゼリーは入っていないようだ。

2016年03月24日
桜が咲くのは一斉である。ツバメが飛び出立つのも一斉。たぶん同じ原理だろう。木というのは植物で、植物は感情がないように思われるが、黙って動物の世界に恵みを与え見守って支えているだけ。

桜のほとんどが、人の手で移植されたもので、私の住んでいる町でも、桜の街を目指しているようだが、人造的すぎて、私自身はもともとあったカブトムシやクワガタなんかのいた雑林なんか消えてしまっているほうがさびしい。

今はなくなってしまった豊国小学校の巨大松の木も、小学校のころ、30cm級の超巨大松ぼっくりを落とすために、何十メートルも石を投げ上げて、たまたまうまく当たれば落ちてくるみたいな。中の種ひとつがトンボくらい大きかった。あの木を切ってしまったのもすごく残念だ。

モンシロチョウも今の時期になると何百匹といて、虫かご一杯にとったあと、虫かごをあけて逃がしてあげた。そしたら、もう次からは簡単に取れなくなって悪いことしたなあと。でも、もう今はモンシロチョウすらも珍しい。まさに、サイレントスプリング。実は、害虫として一番嫌われるゴキブリや蚊すらも消えて、生存力が強いそういう動物でも生き残れない人に理想的な環境というのが、極端な話、砂漠の中のラスベガスを目指しているのだろうと思える。

ラスベガスに関して別の視点からの話になるが、日本の観光地なども人を引き寄せるためにラスベガスを理想としてはどうかというのもあるが、日本全体の観光ビジネスをゆがめる結果になるだろう。末期の患者に対し医師があきらめ最後好きなもの食べて下さいみたいな状態なのだろうが、そもそも、そういう末期に法律などが産業をもっていってはならないのだがよくありがちな話である。

笑える話がクリーンディーゼルの話も日本のシェアのそれほど高くない1社以外ほとんどが実際の走行では達成していないような、実際は、そういう車が莫大な数字で売れてしまっていては業界をあげて環境破壊そのもの。それで自動車産業というものが回っているのをかんじる。そういう無理な理想を強いてご満悦な無知が駄目そのもので、正しい情報が伝わらなくなる諸悪の根源である。

オーガニックに関しても、あるオーガニックの協会の理事長からは、オーガニック原料もどんどんと管理すらも不明瞭な国に動いてほんとかうそかわからないというところまできている正直な話。それでも国際認証が下りているのだから、国際認証に関してもそんなものだというところだし、国際認証機関に対しても厳しい指摘や指導は使用するものからすると必要だろう。

そういう理事長がおられる機関が認証されているオーガニックで、オーガニックじゃないものがオーガニックだと謳われて流れていますよねえという話をすると、それは企業の問題だと理事長という立場の人があっさり逃げられる。それで認証機関が莫大な利益を上げていては、存在自体がごみすぎてそういうアイテムに対して高いお金を払っている利用者や消費者は怒るだろう。その理事長も正直なかたで、国際会議に出ていてなまった英語を聞いていると訳がわからなく眠くなって苦痛で質問されても答えられないんです。実質日本のオーガニックの指導もされてトップを謳われて指導もされている人がそのような状態で、私はその人に眠いくらいで嘆いているならオーガニックなんて無理、早くやめろといいました。ボランティアでやってるとか逃げられて、ほんとそういう方がやってられると困るんです。もうすぐ辞められるという話も本人からきいていますが、国際認証機関の認証を司られる方が、オーガニックを信じて買われる方未満の、そんなまともじゃない気持ちで役をされていては困るんです。偉そうに外には指導されている方が、自分のことに関しては逃げ逃げで、どこにでもいるような単なるサラリーマン程度の限界を盾にされて大丈夫なのかと。

オーガニックというのは、実際は過酷なんです。林与もオーガニックを使っていますが、オーガニックものを織るのはいろんな問題が出てきてそれを覚悟してリスクも被ってやっているのです。また、それを乗り越えているところに一般的な価値があるのです、単なるラベルじゃなく、自助努力のもとに成り立たないとならなず、運営や指導する立場のものが、自分は指導だけみたいな高飛車な役人的な意識では使う側からすれば、苦労を踏みにじる一番駄目な普通すぎて、その人たちは単にオーガニックを利用して搾取しているだけじゃないのかと、オーガニックの概念そのものを否定するような普通未満の高飛車な対応改める必要があると思うのです。
2016年03月23日
リネンやラミーは原料が低下しているといわれながらも細番手化が加速している。今回の展示会でも、リネン150番手とか、ラミーの500番手とかは注目される。

リネン150番手では、かなり密に織ったハンカチにつかえるようなアパレル素材も開発しているが、ラミーの500番手も極力密に織ってはみたものの薄すぎて目ズレがどうしても微妙に起こる。縫い目滑脱の問題を抱えているので、ストールっぽいもの以外には使えないだろうが薄さ繊細さを出すのにはいい感じ。

紡績メーカーにもとことんまで極限を目指してほしい。リネン150番手でも、ストールの密度なら無糊で織れる。織るのはまだ余裕があり、あと1.5倍くらい細くて大丈夫そうです。

スペックや技術自慢じゃなく、細番手使いの生地は見た目に高級感が溢れる。高級な提案には最適なのである。手にとって触るだけでもきれいなので満足できる。そういうものを追い求めるのって本能的な部分だろうと思う。
2016年03月22日
今回の展示会も正しい用意ができなかって、リネンの文字を壁につけたかったが、印刷する紙がなく、100円ショップで2巻き買っておいたマグネットテープをカットして、LINENの文字。それがなかなか良い感じで、お客さんでそれを撮影したいという人が3人もおられた。

壁のアイボリーとマグネットの茶色がカラーコーディネイトとしては良い感じで、ちょっと立体になっているので高級感もあった。それをつくっているときに、登場したのが、JFWのトレンドを握る井上さんと久山さん。LINENの文字を等間隔にならべたら、Iの文字は幅が狭いので、幅を詰めたほうがよいといわれ、アドバイスにしたがってバランスよく配置しなおして、よい感じを増した。

壁に貼った即席のLINENの文字に惹かれて、それを撮影させてほしいという人が3人もいたのは、LINENという文字だけでも人々を惹きつける要素があるということだろう。林与のリネン日記は文字ブログなので、どんな感じなのかは皆様の想像にお任せします。これができたのもLINENならでは、直線だけで文字が作れるから。ほかの素材だと難しいだろう。LINENというのはLINEと語源を共にしているところもあるので、文字もラインで構成できるという謎が潜んでいる。
2016年03月21日
今回も空港からリニアモーターカーに乗ったが、時速300kmでの運行となっている。以前はもっとスピードが出ていたと思うのだが、時折強い揺れなども感じるのでスピードは控え目のほうが良いだろう。新幹線乗ったが同じで、以前よりも振動や音などが大きくなっていた。

機械と言うのは最初が一番良い状態で、それを維持していくというのはなかなか難しいものだろうと思える。リニアが往復で1500円程度で乗れ、新幹線も1時間乗っても片道2000円ほど。地価からして日本と並ぶくらいになっている中国でその価格で鉄道インフラというのは日本の5分の1以下。車両なんかのメンテナンス費用が生み出せるのかというと難しいのではないだろうか。

地下鉄は、1時間乗っても100円ほど。上海の給与水準が日本と並び始めている中で、うらやましいとしか言いようがない。一方で、自転車なんてほんとうに見かけなくなった。バイクですらも、市内とかは禁止されているのだろうかほとんど見かけない。中国も完全な自動車社会になってしまっている。

織物に関して思うのは、機械技術じゃないところが大きな要素であるところ。林与でも40年、50年前の織機が今も動いて、それは中国だと時代遅れで評価されにくいところ。今の全世界的なリネンブームの流れの中で、楽な方向には逃げずに自分の限界の蓄積でものづくりを経験しておきたいと考えている。

国際展に出ていても、なぜそんなに高いのか驚かれることが多い。麻の中では相場度外視で、世界でも一番くらいに高い麻のテキスタイルメーカーなのは承知しているが、林与のような個に等しい小さなものづくりが世界の麻のトレンドを形成していることも多い。長く続ける秘訣はと聞かれて「我慢」という答えが浮かんで来るのも事実で、決して楽をしているわけではない。

先代の葬儀のあとに、親身に私を応援し見守って下さっている大手の住宅メーカーの本社工場の工場長も経験された親戚の方から、「製造業は日本では無理だろう」と助言をいただいたこともあるが、自分の力で試してみたい気持ちのほうが強かった。それから8年、何とか会社も自分の思う方向も大部分で貫きながら続くことができて。日本で繊維が難しいというけども、普通では考えられない大きな重荷も背負いながら十倍働けばなんとかなるだろうと楽観視しているので、普通以上に頑張っている人なら繊維というのは日本でも十分に成り立つ世界だろうと思える。

一方で、キズを出したり、失敗しても、それを自分で挽回する気持ちのないような人はほかの人の正しい仕事を台無しにするので去るべきだというのも事実である。タクシードライバーに例えるなら毎日物損事故を起こして事故が起きるのは当たり前というタイプである。そのレベルだと仕事の問題じゃなく人生観の問題があって直すことは本当に難しい。
2016年03月20日
私が上海滞在中に、第二次審査のあった近江上布横絣織物を広幅で織るプロジェクトが、しが新事業応援ファンドの審査を通って、4月から近江上布横絣織物を広い幅で織るプロジェクトがスタートする。

このプロジェクトは半手織の要素を含んでいるため大量生産は無理で、また、受注生産も無理だろう。昔の渋紙などを活用しながらできるだけ生産して在庫を買ってもらう形になるだろう。今の時代に在庫を積むというのも逆によいんではないかと思える。

ポイントは、横絣織物は広幅で織るのは難しく、それを林与が得意とするシャトル織機を活用しながら半手織で織るというところ。着物にも使えるほか、幅が112cmと広いのでアパレルやインテリアにも使いやすいというメリットがある。

展示会などでも多くのブランドが高くても欲しいと思われる生地である。柄は、林与のたぶん2千柄はあるであろう近江上布アーカイブを活用する。初年度はストールから着手して、2年目はワンピース、3年目は着物の製品も試作する。これもまた、超細番手リネンプロジェクトやアイリッシュリネンプロジェクトに続く、林与の特色をより強く出すプロジェクトになる。

麻に絣はよく合うのだ。50年昔におじいさんが手がけていた世界を今の形で再現することになる。与一爺さんのころは、林与が機元として村規模で近江上布を生産していた。今の小さな林与がそれにどこまで迫れるのかやってみないとわからないが、3年間かけて基礎を作り上げたい。
2016年03月19日
昨晩から、通訳の夫妻に招かれて常州を訪れる。レストランで火鍋を食べた。ブッフェ形式で、好きなものを食べることができる。火鍋の食べ放題がとても人気があるというだけあって、平日の遅くでもレストランには多くの人がいる。日本の食べ放題よりも野菜類が何十種類もあって充実しているのが私好みで良かった。

今日は朝から常州の生地街を訪れる。朝の10時だが生地屋だけでも百以上のお店がありそうだ。しかし、通りもどのお店の中もお客さんがほとんどいない状態。数年前まではにぎやかだったそうだが、今はまったく駄目だそうだ。中国でも織物産業というのはピークを過ぎ、すでに過去のものとなりつつあるのを感じる。

それでも実際に織機が動いている工場がたくさんあって、私自身が思うのは、中国でもこれからもっと大変になるだろうが織物産業が残って欲しいと思う。織物というのは多くの人を支えることができる仕事で人の力を生かせる仕事だと思う。そういう産業が一国から消えていくと、多くの人の行き場所がないのである。結局は、国自体が行き場所を失うことになりかねない。多くの人口を支えるのには一番適した業種であろうと思ったりもする。
2016年03月18日
今日は、最終日。最終日というのはお昼からは片付けモードなので、お客様は最初の2日よりも少なめ。サンプル用に持ち込んだ林与のリネンストールなどもこの3日で、40人以上のブランドオーナーやブランドデザイナーさんたちが買ってくださった。サンプル用というよりも、自分用に欲しいから買ってくださる方が多い。

売りますとも書いていないけど買えないかと尋ねて下さる。買ってくださったお客様が影響力が大きい方たちなので、そういう方々が身につけてくださる。「これは日本のリネンストールなのよ」、ということで林与の製品のよいイメージも国際的に広がるものと思うと嬉しいことである。

今回もバタバタの出発で、着替えなどもまったく持っていかずにスーツケースに展示会道具を詰め込んで飛び出し、準備の日に服を買いに南京路のお店にいった。上海で服を買うと日本で買い物をするよりも高いのではないだろうかと思える。いかに日本国内の洋服が安いかを感じてしまう。

日本の大手SPAのシャツが3000円から4000円でほとんど値引きなし。日本店頭だと投売り状態で、半額当たり前で、処分価格で1000円とか。その大手SPAでも海外が好調と言われるのもわかる気がするのだ。

今回の展示会の一番最初のお客さんが中国でアパレルでは一番成功されているブランドといわれるブランドの方で相当の思いをもって来てくださったのだろう。ブースにはこの4年、毎年みにきて下さっているのも私も認識しているのだが、中国語しか通じないのであとの対応が難しいのを感じてスワッチサンプルを送っていなかった、反省することは多い。林与も会社の中、もっと対応できるようにしないといけない。
2016年03月17日
今日は、朝、遅れそうなので、バイクタクシーに乗って上海北駅に向かおうとすると、反対方向の駅の方が同じ1号線でも近いということなので、中山北路駅から地下鉄に乗ろうとするが、来る電車がどれもすし詰め状態で乗り込む余地がない。仕方ないので反対方向の電車にのって4駅ほど上の駅から地下鉄に乗った。

結局それだけで1時間ほどのロスで、海外でもやってしまう失敗は多い。まあまあ、何とか準備ができて追い付いた感じで、今日もたくさんすぎるほどに午後5時までお客さんが続いて、最後の1時間も最後にもう一度会いに来てくれるお客さんがあって、片付けが遅れて、来るのも一番遅い、出るのも一番遅い1日。疲れていたので地下鉄の駅まで歩くよりもシャトルバスがあるのでのったら、今度はホンチャオ空港について、バスを降りてから地下鉄の乗り場までが遠いこと遠いこと。空港の中を20分くらいは歩いたと思う。
2016年03月16日
今日はインターテキスタイル上海初日。地下鉄に乗っていくけども駅についてもそれほど人が溢れているわけでもなく、今回の展示会、ブースに来客があるのかどうか心配。

最初の1時間くらいは静かな流れで、その後は最後までお客さんが続いてブースの中が人がぎっしりで対応がしきれないほど。この新しい会場が欧米のお客さんにとってはアクセスが悪いということもあるだろう。現地のお客さんが非常にたくさんで素材に対する熱が高まっている感じ。ブースの前の人の流れもホールの中でも一番多い感じのところで場所に恵まれているのを感じる。

地下鉄がそれほど混雑しておらない理由も、夕方、主催の方から教えてもらったが、中国現地の人たちも今は、今は車で移動するので、帰りなど混雑して切符も買うのが難しいので地下鉄は使わなくなっているからだということ。

夜は、ホリディインでのインターテキスタイルナイト。ワイン飲んで、いっぱい食べて満足でホテルに戻る。
2016年03月15日
今日も留守の間の仕事の準備で、ぎりぎりのぎりぎりの出発、準備は30分もない、スーツケースに展示会に必要なサンプルなど詰め込んで、着替えも一切持たずに貴重品もパスポートとお金だけ確認するだけ、また、あかんやん。中部国際空港から出発なのだが、空港が人気でないのかとおもいきや、空港の駐車場は結構混んでいて、駐車スペース探しに一苦労。でも、なんとか乗れた。

今回の中国南方航空の往復チケットは、諸税燃料チャージ込みで2万円。航空会社には本当に気の毒な値段。なぜ、中国南方航空にするのかというと、二つスーツケースを持ち込めるから、荷物の多い展示会には最適。二つのスーツケースだけでも制限の23kgX2の46kgをちょっと超えるくらい。

手持ちのスーツケースのタイヤがどれもまっすぐ走らなくなって、スーツケースを近くのショッピングセンターに買いにいったのが、昨日で、たまたま、大きなタイプが安くて2個買えて本当によかった。なぜか、あと二つ欲しいくらい。

空港からはリニア、終点で通訳と合流して地下鉄で会場に向かう。新しい会場も2回目なので、迷わずたどり着いて、他のブースはみなさん飾り付けが完了していて、一番最後くらい。会場設営の担当の方の助言で、ストールを掛けるように、サイドにもハンガーラックを2本つけてもらった。これが正解。

会場準備を終えてホテルに向かう。ホテルの場所がわからず、やっと着いたときには、疲れ切って横になる。上海のホテルというのは、なぜか、地下鉄の駅から遠いことが多いのだ。リニアの龍昇駅でみかけた漢庭あたりに泊まったほうが便利そうだ。次は本チャオ空港周辺でもホテルを探してみよう。
2016年03月12日
京都の三条京阪の事務所に、今日は机とミシンを運び込みました。小さな事務所なので原反を置くことは難しいと考えて、でも一般の方に生地サンプルをみてもらえるような場所としてスタートできればと考えております。リネンキッチンクロスやストール、ハンカチ、リネンの染糸などの小物も展示してご覧いただけるように予定しております。
2016年03月11日
自分自身が、46というたぶん、人生の真ん中過ぎたあたり、というよりも、実際に90まで生きたとしても残りの半分はそれまでの半分よりも何倍も時間が過ぎるのが速いだろう。

将棋なんかでも、本来なら経験を積んだ80とかの人のほうが強くないといかんのだが、名人であろうが、歳も半分の経験も浅い人たちに負けることのほうが多い。仕事も同じだろう。40歳の人が20歳の人に負けることも多い。また、20歳の人が10歳の人に負けることも多い。経験というのと吸収というのとの戦い。ものごとを吸収できるうちが花で、ものごとを吸収できなくなったら、それは一回のことでなく、そのさきずっと続くきやすい。

70歳、80歳まで物事を吸収できるひとがいればすごいことだろうと思えるが、なかなかそういう人というのはおらず、先生ぶってしまったときに結局は投了が待っている気がする。最後、先生になるよりも、下積み作業に戻って次の世代をサポートできる人のほうが私的には業界を支えるような正しい生き方のような気がする。日本の繊維が強かったのは歳をとっていくごとに能力の高い次の世代に譲れる人が多かったことがあろうと思える。

賛否両論あろうが、産業界においても歳をとっても下積みにもどれるような形で現役でいられる形を残すべきじゃないのかと思える。変な国の制度がそういうのを阻害して、本来実現できるような人生の幸せという形のひとつを実現できないようにしている可能性もあろう。老人ホームやゲートボールなど、そういう新しい形だけが老後の幸せではないだろうと思えたりする。

60過ぎたおっちゃんとかが自分の足を使ってクロネコメール便配達していたり、弁当の配達していたり、何か少しでもと励んでおられるのをみると立派だなあと思うことが多い。そういうのが年配の方を尊敬できる要素のひとつだったりもするものだ。同級生の醤油屋の70過ぎの会長さんが息子さんに会社を譲られて、醤油の御用聞きされて私の家にも回ってこられた。

今の時代、スーパーに行けば醤油なんて買えるものだが、醤油屋の商いを担ってこられた方が、やはりその商いの原点を忘れておられず、何十人の社員を使われ社長されていたながらも、次の世代に譲られて、自分は御用聞きに戻る覚悟というの普通はありえない光景だけに、業種は違うけども同じ商いとして商いの基本を教えてもらった気がした。
2016年03月10日
昨晩は、夜10時半の出荷の案件ぎりぎりのぎりぎり。林与も最近手伝ってくれる人が増えて良い感じ。織物の現場なんてものづくりそのもので人の能力が必要そのもの、日本の職場も日本の国が産業を駄目にしてしまって、時間いればよいみたいな風潮になりつつあるけど、それも責任逃れのひとつで、国には大臣クラスから仕事の本質わかってしっかりとしてもらわないと駄目だろう。

働く人が手取りアップするために、生産性を挙げてとか、それほどの需要が日本にあるのか考えたことないひとが大臣経験者だったりで学生かと思える。新車でも余りまくってるの無理やりな国の介入で買い替え促したりで上場大企業のビジネスが成り立っているのは、シャープの二の舞。シャープにしても松下(サンヨー)にしても日本の行政ビジネス臭くなりすぎて、地デジとか太陽光とか、その場しのきで、暴利を上げるような政策が、長く続いてきたものの歯車を狂わせた。

日本の国の殿様商売感覚が関与していると日本の経済は立ち直るのが難しいだろうなあと思える。法律作って無理やり買わせるとか、無理やりリサイクルとか、そんな悪政の連発でなりたつ商売ってアウトでしょう。まだ使えるものや、本来なら資源であるものが海外に流れていったのは、江戸時代に世界一の金の産出国だったまさに黄金の国ジパングの金が海外にすべてほどに流出したのと似ていて、元に戻すのは難しい。
2016年03月09日
今日から阪急うめだ本店10Fでのテキスタイルマルシェ。あいにくの雨のなか、徹夜で仕事して、その後出発準備、始発に乗り遅れ、2番電車で大阪に向かう。今回は初日の朝に会場準備するというパターン。林与自身は、会社の作業に追われていて、今回も準備だけして売り場には立てない。テキスタイルマルシェの会場、場所がエレベータ上がってすぐの場所で、イベントの会場としては広くてすごく良い感じ。前には、流しの縫製屋原田さん。

会場につくと、3ヶ月ぶりに出展者の皆さんと再会。前回も売り場に立てなかったので、いろんな人が話しかけてくださって、話し込んで準備が進まず、あっというまに9時前の準備終了時刻で準備はまだまだ。そこから20分で、加速度的に準備を仕上げて、10時前には大阪を出発して会社に戻る。会社に戻って心配な急ぎの小幅の案件で問題が起こっていないかみたあと。今日は二人ヘルプで入ってくれるので、その人たちを12時駅に迎えにいき、現場で仕事を教えながら作業する。

糸量の計算がどうしても合わず、足りない糸が出てきている。これは仕方のないことで、最後どう収束するのかを計算で足りない糸の量を求める。これがかなり複雑で検算検算。シャトル織機の右左なども絡んで、織機で長いカードで4色が織れるかどうか不透明な部分もあって、予測含みででも仕方なく計算。整経するときにそういうのすべて含んでやらないといけないので、単純な整経作業も簡単に始めることができない。

残りの糸量も正確に出すために、すべて残量をカウントして計測。織る仕事よりも準備する仕事で人の力が必要。機屋でも織る仕事はだんだん重要ではなくなって、織るために準備と織った物を後片付けしたり、データとして保管するする部分のウェイトが大きい。
2016年03月08日
オーガニックの糸はやはりリネンにしてもラミーにしても癖がある。それが本物の証なのだろうが、今、織っているオーガニックラミーは、昨年の最初の試織で、織機を4回載せ替えるなど横糸の打ち切れの問題で苦戦した。その理由がわかったのは今日。

本生産にしても苦戦するだろうと予想をして台数を増やして納期対応したが、予想に反していい感じに織れて驚くほど、最後に一番織り易いだろう白を残した。ところが、染糸を白に交換した途端にあの去年の悪夢が再来。片側の耳が縦の綿の耳糸に負けて打ち切れを起こす。回転数を落としても駄目で結論からいうとオーガニックラミーは、耳が締まるシャトルで織るのには糸の強度の面で白は向かないということだろう。

試織をして苦戦したのも、色糸が染まってくるまでに、白を織っていたからということで、織機や織機の調整に問題があったわけではなく、織れない謎が解けたような気分である。しかし、今から白を問題なく織らないとならない状況で、何台か掛けているどれかの織機で織ることができるのかできないか試してみるしかないだろう。

染めた糸のほうが強いというのは不思議に思える。反応染料の結合が糸を強くしている可能性もあるだろうが、薄い色でも染めてあるだけで全然違うことからすると、糸の状態で100度近い温度でラミーの毛羽などが複雑に絡んでオイリングでしなやかになって、伸度が増して強度が増しているのじゃないだろうか。
2016年03月07日
昨日の晩は、となり組の会で、恒例のすきやき。本来だとお酒を飲む人ばかりなのが、田舎の集まりなのだが、私が46で、54歳の方のほかは60、70代で、皆さん、あんまりお酒は飲まなくなっておられる。東円堂も変わってきたように思う部分である。

興味深かった話は、川のこと。不飲川(のまずがわ)というのがあって、それは、愛知川地域を流れる川だと思っていたが、東円堂の端のあたりに湧いているところがあってそこが始まりということ。その下流一体というのは沼地化してしまうことが多く、8号線ができるまでは、ただでも貰い手がなかったといわれるような場所だったという。それが今は一等地になったということ。

東円堂という集落が恵まれていたかというと、水害との戦いであったようだ。大川と呼ばれる、林与の隣の家の東側を流れる川が氾濫をすると、道が川になったということ。伊勢湾台風のときに、林与が3歳で、道一面に水があって道のとなりの水路が認識できない状況で、道が川という普通とは違う光景に三輪車で楽しそうに走り出して、道の角っこで、川幅30cmほどの大月川に落っこちて溺れて人生終わりかけたのもなんとなく覚えている。道一面が雪のようなイメージだった。

そういう川の水も昔はもっときれいで、戦後のころは、その川の水を汲んで、五右衛門風呂をしていたそうで、けっこう大変だなあという印象。もらい風呂の風習もあったそうで、子供のない家には家を持ちに縁組が行われたことや、兄弟が姉妹とそれぞれ結婚したとか、たかだか100年もさかのぼれば、生きていくこと自体が近所の助け合いでなりたってて、そういうのが集落の結束を高めてきたともいえる。
2016年03月06日
すいません、ご発送の遅れならびに、いくつか漏れてしまっている件が発覚しまして、現在、すべてのご発送状況を確認中です。

昨日リネン糸のご発送の件でメールをいただきましたお客様、申し訳ありませんが、メールを読ませていただいて再度メールを開いてそのあと再度メールを確認しようとしましたが、メールが見当たらないような、不思議な状況にあります。

リネン糸届きません、という内容でメールいただきました。申し訳ございません。再度、メールいただけますでしょうか。受信トレイ、迷惑メール、削除したメールなども探しておりますが、見つけることができず、お手数ですが再度、ご連絡いただけますと幸いです。できましたら、ウェブのお問い合わせからご連絡いただけますでしょうか。

よろしくお願いいたします。
2016年03月05日
私も仕事を始めたときに、勉強と仕事の違うのは、仕事の場合には、記憶しなくてもよく、記録すればよいということ。仕事って勉強と比べると簡単なのだ。そして記録したものを調べればよいのだ。でも、田舎の年配の人というのは、総じて記録を取るのが上手じゃなくって、農業感覚でアバウトに仕事している人が多い。仕事も同じ定番のものが流れているだけだとそれでよいのだが、新しいものをつくるとかなると厳しいのだ。

専門学校の先生の紹介で、卒業された方が林与で働き始めてもらっているが、先生の紹介だけにとくに優秀なのだろうが、初めてでもわからないとかできないがほとんどないのがありがたい。織り子さんや職人にありがちな限界がないのが高度なものをやっていこうとするときに助かる。

よくいわれるのが、日本でのものづくりの理想は高度なものをつくることなのだが、毎日ご飯を食べるように高度な織物が出来上がってこないと、今の日本では織物を続けることは無塚しいだろう。あるいは、生産性重視で、国際競争に勝てるくらいに品質の安定したものを大量に生産するか。前者の場合には、機械よりも人の力が必要で、後者の場合には日本だと人を減らして設備が大事でとにかく設備を動かし続けることで勝敗が決まり、いつかはコストの面で海外生産の流れに向かう。

国産を謳われていたデニムの会社が中国生産に移行されるのも。その客さんである大手SPAが日本の大手生地メーカーのどこもの主たる需要先なので、縫製工場までもが海外なので国産ではほぼ無理だろうという結論。これは自動車だと国産へのこだわりを謳っていたトヨタがいつのまにか海外生産に移行しているのと同じで、規模が大きいと値段が通らないので仕方ない流れなのだろう。縫製が海外に移行して国産生地を使うというのも難しい話なのであろうとつくづく思える。

先日の取材でも話をしていたのだが、林与にしても綱渡りが奇跡的になんとか続いているだけのことで、奇跡を呼び寄せるために努力や失敗を重ねている部分が、実際には一番大事なのだろうと思える。というのも、結局はリスクから逃げないで経験をどこまで積むのかが商売の基本だろうと、これは外部にリスクを分散するジャストインタイム思想とは正反対の本当の意味での日本的なものづくりシステムだろうと思える。自分がリスク被って仕事しようとする考え方自体が日本的でいわゆる職人的で、日本の商売の基本だろう。

ある会合の講師が、トヨタ流の人が近江商人の三方善を持ち出しておられたが、哲学がまったく整合しとらんとおもえるばかりで、そういう講師の先生を生み出してしまう風見鶏的な結果至上主義というのも経営の哲学がなさ過ぎて情けない話だなあと思える。
2016年03月04日
昨晩は、朝まで掛かって、しが新事業応援ファンド2次審査のパワーポイント資料作成。今日は朝一番に大阪に納品。お昼過ぎから、東京から日経PBの記者とカメラマンの方が起こしになられ取材を受ける。話がクラウドファンディングの話から、途中で大幅に脱線して、林与の機屋珍道中みたいな流れ。

ファンドの担当者によるプレゼン資料の添削が帰ってきて、私が作成した文字だらけのパワーポイントが、すっきりとキーワードとポイントを押えていい感じに、流石です。林与は2次審査は上海の展示会と重なって出席できず、姉が代役としてプレゼンを行う。当初は、まったく、想像もしていない流れなのだが、なんとかなるだろうしなんとかならんでも。

今回、しが新事業応援ファンドで出した内容は、林与の近江上布アーカイブを広い幅で横絣織物で再現するというもので、プレゼン資料の中の事業目的も、「麻織物作らせたら林与には敵わんなあ・・・と思ってもらう」だったりする。自分で作ってなんじゃそれはなのだが、やる中身は大真面目なプロジェクトで、国際的な舞台にもっていっても、日本の布の力を感じてもらえるような布の世界を生み出したいと考えている。私が近江上布みて感じるのが与一じいさんには敵わんなあなので、まず、その域に到達したい。

もっと落ち着いて上品にものづくりをしないと駄目なのだろうが、所詮機屋、どったんばったんの中で、自分の手と目と足と他の感覚を使っていろんな経験を積みながら、結果としてできあがるものって自分が作った実感があってよいんだろうと思える。
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