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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2016年10月18日
今日はものづくり求人に関する企業交流会に参加をしてまいりました。会場で知り合いの野瀬精機さんのご夫妻とお会いしていろいろと近況報告など。すでに前回の交流会を通じて一人雇い入れられたということで、いろいろと教えていただきました。野瀬精機さんはNPO半田付け協会も運営されておられ、1年に全国6箇所での半田付け講習もされておられるとかで、日本の半田付け業界では権威的な企業さんです。

今日は、ものづくりを目指される若手の方の求人と企業とのマッチングの会で、ブースで企業が面談をします。林与の求める人材というのはオールラウンドプレイヤーみたいな人で、何でも仕事みたいなのを当たり前に考えてくれる人。何でもといっても、製造販売に関すること全般ということなので、別に他の会社の事をさせるわけじゃあありません。ひとつの作業ができてもそれは今の時代では海外の大きな大量生産の流れ作業の単純労働者の世界で、その人の力は外から見れば海外でも現場では置き換えが可能な一番底辺にみられる作業員にしか過ぎません。

どんな仕事でもいつまでも忙しく同じ仕事が続くとは限りらないので、その仕事が下火になったときに、他の作業を忙しくこなせる力がなければ、会社に仕事があって人がいても仕事ができる人がいないという状態が続きます。新しいものをつくるというのは誰かが教えてくれるのではなく自分で生み出していくというところで、基本のことをマスターしたら応用を自分の中で他の上手な人から教えてもらうのではなく自分が見て真似て上達して、ゆくゆくは自分が新しいものを生み出す力を持って新商品の開発を手がけていくものです。

今は、百貨店にでも売れるものが安く飽きられるほどにある中で、新しい商品の開発ですから、一日一日が勝負で30年40年の経験者も素人も関係なく、素人でも最初から教えてもらったら正しいものが生産性をもってできるようにならないと、いつかできるようになるでは新興国のものづくりにも追い越されても当たり前。数ヶ月もすれば自分が一番上手だと思えるくらいになって、他の作業も同様、いろんな作業をこなせるという人は、人の力が高いということで私の中ではそれが人材育成だろうと思っています。

あと、求職者の方にお話したのは、限られた時間の中で仕事をマスターしようとすると、仕事が自分に合う合わないはあるだろうし、会社から見て仕事がその人にに向く向かないはあるだろうと思います。また、仕事だけでなくその会社の仕事に対する考え方が自分に合う合わないはあるだろうし、会社にとって求職者が会社に向く向かないはあるだろうから、その双方がマッチしないとお互い納得して仕事は続かないだろうと思うということです。

仕事ということを求職者の方も理想も持っておられるでしょうし、学ばれているのだろうと思うのですが、大手のやっている方法を零細企業が真似しても絶対といってよいほどに零細企業では成り立たないことも多いのです。同じことをやっても、立場が違えばうまくいったりうまくいかなかったり。だから、小さな企業というのは大手のやり方と違うやり方をするところに生き残れる道があり、大手のものづくりというのはシステム的に大量生産を目指すのでコスト重視で案外平凡なものづくりが多い思うのですが、小さな企業というのは人の力でものを生み出していくので大手のできない人の力の強みを生かしたようなものづくりが生命線のような気がします。案外、美観が生きたりするのもの小さな企業のものづくりではないのかと思えるところだったりするのです。作れる環境があるとものづくりの深さって変わってくるし、何に価値があるのかというのもぶれないものがあったりするものです。

普通以上に苦労や努力するレベルで仕事して続けて、他の人が超えられない壁を当たり前に毎日苦労や努力しながら超えてで、他とは違う世界が生まれてくると思ってたりするので、私自身じゃなくても苦労や努力してがんばられている人が成功されることを望むし、そういう価値観を育める場所があっても良いと思えるのです。そういう人たちがつくるものづくりを、多くの日本の消費者の方が高いものに対しては求めてくださることも事実だと思います。

あと、仕事というのは頭で理解するというのが先に立つ人というのは最後まで仕事としては成り立たないことが多い。頭で理解することを仕事と考えているから。仕事というのは体を動かして目の前のことを勧めていくのが仕事。手や体が動くことが大事なのである。そういう意味でも、林与の場合には実践派でないと難しいのかなあと思う。
2016年10月17日
今日は体力がようやく回復して、仕事に復帰。朝、加工工場に反物を投入、出荷の案件がいくつかあって急がねばならない。何から手をつけてよいのか分からないほど、ちょっと難しいことが残っている。ちょっと難しいことは他の人にはこなせないことが多い。どこの会社もいっしょだろうから機屋というものがこの産地で廃業していくんだろうと思える。

これは今に始まったことでもなく、私が仕事に付いたときからちょっと難しい仕事は私に回ってくることが多く、整経をしていた方以外の、他の人のする仕事というのはすごく簡略化されていたように思える。仕事はいくらでもあるのだが、できる仕事がないかったりして待っているという状態が、工場の中でも出機さんでも。一人ひとりができる仕事を増やさねばならないのだが、職域みたいなものが勝手に出来上がっていてこれはだれだれの仕事みたいな感じ。

私自身はもっと高度なことをやりたかったのだけど、私に現場の作業のちょっと難しい作業が回ってきて、高度なことのできる会社にはなりえないところもあった。何十年も仕事をしていてると外の進化のスピードに追い越されてしまうのだが、歳を取るごとに仕事も気力もなくなり難しくなる一方の現場、これは田舎の普通の暮らしも同じで、若い者が活気を持って仕事するというより、年配の人が多いと年配の人のできない部分の手伝い仕事ばかりになってしまう。

ある糸商さんが自分を経由してリネンの細い糸を買ってほしいと頼まれて、間に入られるなら糸商さんがリスクをもって糸を引っ張ってきてほしいと頼んだがそれは無理な話といわれて、結局、自分で糸を注文して引っ張ってきた。それが私にとっては何も難しいことでもなくて、リスクも自分で張って在庫も持つ。糸商さん経由だと在庫がないときも多く、結局、いざというときのものづくりに支障が出るのである。特殊な糸だと見本を作って注文を受けても、本清算のときに糸の背景そのものが見えなくなるので余計に怖く、糸があるときにある、糸がないときにはないだけでは、提案するのも危険すぎるのである。糸商さんからは定番の糸は買い続けたので別に糸商さんとの関係を潰したくもないし、糸商さんの限界があるときには自分が動いて解決しないと、特別な糸も手に入らないのである。

糸商さんでも問屋さんでも、林与のような小さな会社が自分で動くと相手に嫌がられるといわれるけども、糸商さんも問屋さんもお付き合いで関係が成り立っているということを、特に年配の方たちは認識されていないケースも多く、自分の考えている商売がうまくいかないときには、敵か味方かみたいな考えをモロに出されて基本の礼儀のない方が多い。こちらがゼロで動くときにはゼロで動けるような人が普通の仲間てきなものづくりなのだが、利益が先に頭にあってそれを譲れない人とは損から始まる新しいものづくりなどは難しいだろう。

日本の中の口座商売とか、疲れるんだよなあ。世界を見渡せば湯水のごとくに物が流れているのに、日本の中が昔ながらの誰を通しての商売とか、私も自分の会社で値段が会わないときには、私に相談された方のために同業の他の会社を紹介するとかまで来ているから、誰の目の黒いうちはみたいな、小さい概念は捨てたいなあと常々思っている。私を慕って相談くださった方が私を立てるばかりにその方の仕事がうまくいかないというのも不憫な話で、そういうのは避けたいと思う。ワシに相談したので他でやりよった、一緒にやらんかったらお前は敵だ、嫌なら自分でやれ、みたいな、田舎の足引っ張りのおっさんレベルでは、田舎の過疎化の問題解決や繊維の世界で若い人たちが活躍する場をつくるとかは無理だろう。

私が思うのに、林与は全国の暖かい気持ちで支えられている部分があってなんとかやれている。でも、ある方にいわれたのが、自分だけのことじゃなくて、産地のことを考えて産地のためになることをやってほしいということを言われた。そういうお言葉がありがたい。思いを持っている人々のことを思える人を集まって、思いを持っている人々のために仕事するということが今の理想。それでいて世界一みたいなものが作れるって理想な会社じゃないのかなあと思う。
2016年10月16日
3日ほど前に、ファミリーレストランの駐車場でライトをつけたまま駐車してしまったようで、夜にバッテリーが上がって、家まで2kmほど歩いて帰って軽トラをつないで、バッテリーを充電し手持って帰ったが、その日は寒く、そこから風邪を引いてしまったようで、土曜日にセキが出たので、今日日曜日は休養。一日中、寝る。体調がよくなく休む。
2016年10月15日
田舎の過疎化の深刻化を感じる。近所の方が家を持ってほしいと頼まれる、名義を変更して所有権を移すだけのこと。売買ではない。土地や家がマイナスの資産となってしまう状態に早く手を打たれるのだろう。住んでいないとするなら固定資産税を払い続けることや取り壊すだけでもかなりの費用が掛かるので、双方の思いが合えばよい話なのだが、住める家を無料でもというのはこれからは当たり前になっていくだろう。田舎の土地というのは更地にしても売買となると、司法書士の先生に払う手数料や境界を決めるための測量費用なども掛かり、売る相手がどんな方であるかも大事だったりするので、売買が簡単ではないことも多い。

ある工場が、廃業されるときに事務所と工場と土地を含めて買う話があったが、築50年を超える建物というのは10年とか先に取り壊すことを考えると一般的には実質一千万円コースのマイナスの伴う資産なのである。土地の評価があっても上に古い建物があると余計に評価が下がるみたいなところもあって、固定資産税の評価額でも私が買ってくれる人を見つけようとすると苦戦するだろう。不動産会社が入って3ヶ月以内にすぐに売れる金額というのを私に提示した、工業団地に10倍もの面積のきれいな更地で土地が手に入る金額。断る話になったが、その金額で3ヶ月以内に不動産会社もちゃんと土地と建物を買い上げて、工場の片付けをちゃんと見てあげてほしいと思うところ。

東京の土地だと人が多いので場所さえ良ければビジネスチャンスあるけど、滋賀県は主要な駅前の平和堂などでも3階、4階、5階には店舗が入っていないような状態になりつつある。土地というのは国有そのものだなあと思うのは固定資産税のシステム。土地をもつだけで国に地代を納めることになる。なぜ、駅前のショッピングセンターからお客さんが消えたのか、郊外店に流れたということもあろうが、インターネットが商売の立地としては最高な場所のひとつになったからとういことだろう。これを書いているうちに、平和堂の近江八幡店が閉店するというニュースがネットで目に入った。

何百人がやっている商売でも立地も良くても成り立たないという状況。日本は田舎はますますと厳しいのである。画一化的に行く流ればかりではなく、ここで思うのが無理だといわれるものの特色を強く出していくという方向性も大事じゃないのかと思う。繊維産業というのは基本厳しくて無理だといわれるけど、日本のすごい分野のひとつであるのも事実。東円堂の林与のような小さな家の中から近江上布の絣織物が生まれ、半世紀以上前のその色柄に世界のデザイナーが注目するとか。

そういうものを生み出した気概といものは、もはや集落にはないけども、新しい形でそれを復活したいなあと考えている。村が明治以降に産業としていた織物を復活できるのも私しか居ないのも事実で、17歳で與次右衛門爺さんは、機元のひとつをたちあげた、今、もう47のおっさんが、それをやるのが難しいなあとかいっていても当時の人からすれば笑い話にしか思えないだろう。あのころは厳しいことが正しい時代ですべてが成り立ち、集落としても豊かな集落となった。今は、成功のための厳しさすらも禁じるばかりで、政治的には愚民ほど扱いやすいものはないのかもしれないが、田舎ほど自由に活動できるのが本来の田舎の強みであるはず。いつの間にか、隣と密集している都会のほうが自由に活動できるようになって、田舎の人のスケールが小さくなってしまっている。

芋粥の話でなければならないのだ、田舎というのは都会以上に大きなことをやってないと本来成り立たないのである。
2016年10月14日
今日は仕事で昔からの馴染みの方が来てくださって、ある方が最近お亡くなりになられたお話。私以上に業界を良く知っておられたそういう方でも60半ば近くになられると仕事も難しくなられ、会社から離れられて独立されるもなかなか食べていかれるのは難しいものである。60過ぎて始めての独立というのは厳しいだろうと思う、いろいろと最後ご苦労が多かったのではないだろうか。人にはそれぞれ事情があるので、勤め先を退職しても、自分で仕事して食べていくという基本で生きていこうとするのは普通のことだと思う。だが、独立してやっていくときに、誰かスポンサーしてくれると簡単だが、自分が資金から準備し在庫も抱えないといけないところから始まる。自分が今までのように普通に働いている程度では働いてお金を失うモードに入ることが多い。

私でも40手前で社長になったが、それ以前の商売的に成り立ちにくい流れというのは続けていれば、自分で解決のしようのない部分が多く増え過ぎた。自分で解決できるような部分を増やすためにも自分らしいものづくりを取り戻したのがビンテージアイリッシュリネンプロジェクト。今のリネンの細番手化の流れを生み出したのもそのプロジェクトに付随する現行の100番手以上の細番手リネンを織るプロジェクト。それまでは、織れないといわれた100番手以上の細番手のリネンを通常の手法で織るというチャレンジ。現行の150番手リネンまでをかなりの密度で織り上げアパレル向けに提案できる、世界中の会社を探してもなかなか難しいんじゃないかという課題クリア、日本の麻織物の本場近江湖東産地でそれを実現できたことは織りだけでなく、糊付けや加工を含め、近江湖東産地の企業さんの持つ技術の高さではないのかと思える。ビンテージアイリッシュリネンプロジェクトは脚光を浴びたが、そのサブラインの現行の100番手以上が通常の方法で量産対応できるというのは業界の不可能を超えることができたと思う。

高級なものに特化すると高いものをやってキザに思われるかもしれないけども、良いものを作っているからというからには、世界一を目指すみたいな、そういう華がないと駄目だと思うことも多い。別にナンバーワンじゃなくてもよいが、他とは違う世界を持ってそれに掛けてみるというのも大事に思える。そういうのをやったのも、日本がデフレで高いものなんて売れないといわれたとき、1mが1000円より高い布が売るのが難しいといわれる時代に、1mがバルクで、5000円から5万円の布を提案した。5000円から5万円の値段をつけた布は、普通とは違う上品な顔をしているのでセレクトされる方が多かった。特別なものを見分ける目を持っておられる方も多いのを感じる。でも値段に驚かれることは多く、買われる方というのはそう多くないがないこともないし、売り急ぐ商品でもない。そういう世界を見てもらうのも大事だろうと思う。

今も、小さな林与のリネンの中に世界でも一番高いゾーンのシリーズがある。近江上布の世界も、林与には何百反かの着尺の現反が残っていてそれは家宝的な意味合いがあって非売品である。小さくても守り続けたい麻の高級な価値観はあって、一般に流れるものとは別の世界として手元に残していければと思う。普通は分散してしまうものなのだが、林与らしい麻織物の価値観は四代に渡って共通の部分がある。
2016年10月13日
結局は、仕事している国が勝つということだろう。たとえば、商店街を見ても分かるのは、商売が廃業するとその場所がゴーストタウン化する。コンビニがある場所が繁栄する。田舎の場合、最初は点で、ポツンポツンと点のつながりがコンビニができてゆく。コンビニも雇用を生み出す。中国なんかが、中国元が21.5円まで上がったときに、仕事がなくなり国の経済が傾く。通貨切り下げ。結局安くして仕事を得ようとする。

仕事をしてる国というのは次の世代があるけど、仕事をしなくなった国というのは、国民は楽にしばらく生活できるが変に法律が出来上がってしまって、後戻りできない状態になり、楽して働くが普通になるだろう。国の援助や配給で生活できるようなシステムは、昔の配給制の共産主義国家状態になるだろう。一人ひとりの仕事の力も落ちて、諸外国の人たちのほうが日本人よりも器用で能力が高いということが普通にありえるようになる。普通に働いているあらゆる国にどんどんと追い越されてゆく。

これは、たとえば、日本だと、大人に物事を教えるよりも子供に教えるほうが簡単で、子供のほうが正しくものごとができるという矛盾。法律なんかも普通じゃなくなってしまって、子供にはできるまで正しく厳しく教えられるけど、大人にはできるまで正しく厳しく教えるのが難しいとか。苦労していない人がつくる法律が楽なほうになびき始めると、原発と同じでいつか爆発しても無責任なところまで肥大化する。

実際、大手企業はブラックボックスになりやすく、原発なんかも爆発しても当たり前くらいに利権も絡みすぎで推進。昔、小学校のときに、鶴のマークの航空会社の社長が、スポーツ少年団の小学生が乗る飛行機が万が一落ちたら切腹してお詫びさせていただくのが私ができる精一杯ですと事故もないのに送迎会でその覚悟、その社長の孫娘がピアノを弾いて出発前の送別会を盛り上げておられていたのに。小学生の私はその重さも理解できずに大げさすぎると思ったが、引率する先生方も万が一の覚悟も承知で、また、覚悟を決めた人の仕事というのはそんなものであろう。命を預かる覚悟ってそんなものだろう。
2016年10月12日
今日が、ミラノウニカの出展申し込み締め切りで、昨日の午後から昨年の書類を捜して申込書を作成、提出サンプルなどを決めて昨晩送付。なんとか、締め切りに間に合った感じなのだが、今まで、プリンタトラブルが多かったけど、最近買った2万円未満のプリンタがシュウィーン、シュウィーンと印刷してくれて、相当の時間節約。画質は悪いが腐ってもレーザープリンタ。プリンタトラブルも少ない。ミスを見つけての再プリントも快適である。

今朝は、シュワイターで糸を管に巻く作業。前に試したときにうまく巻けた錘が今日はうまく巻けない、何も触っていないのに。でも機械は人間よりも正直で、最後管の取り方が悪かったのが、すこし持ち上げられた上体でローラーが止まってて、それが下に下りずにうまく巻けなく。結局ローラーの根元の注油部に油を差してやわらかくしたら正しく巻けた。今日は、はじめてシュワイターを使う人がいたので使い方を教えるが厳しいところは厳しく、シュワイターも案外怖いから。

あと別の問題もあったようだが、その問題は夕方までに解決ができたようで安心。とりあえずゴールを目指してたどり着いてもらいたい。
2016年10月11日
ものづくりの会社の弱みというのはものを作るところに力を注ぐので販売に力を注がないところであったりする。販売というのは営業マンをたくさんもっている会社がやはり強いだろうが、林与の場合には営業マンは基本いないのも特徴である。営業マンを雇いたくないのは、自分が作らない人がたぶん意味がわからないだろうなあと思うところ、自分たちが作って自分たちが売るほうが不細工だろうけどいい感じじゃないのか。

昔、私が20代のころに、縦糸が切れる問題があって織っても傷が増え商品にはまったくならないと思ったものがあって、それを織っても加工しても大きすぎる問題になる何千メートルの話。私はこんなの問題が増えるだけだからストップして新たな方法が必要というが、納期があるからとGOしてしまって結局何百万円の仕事がやり直し。最終的に納期ももっと遅くなるし、糸も染め直して縦糸の損だけでは収まらない。ボタンの掛け違えをどこまでも。これは後で問題を解決しようとする営業マン的な考え。

外の問屋さんの企画した仕事などもトラブルと後で何とかなりませんかが多い。営業の人とかはものごとを簡単に考えられていてだから、いろんな問題が見えていてそれでもいいからで進んで、問題が出てきて何とかならないかと相談されたり、だからあの時言ったでしょうが多くその軽さが大きなリスクにつながる。営業というのは外に振られて本質的な問題を見失いがち、個人の問題じゃなく、みんなの仕事がパアになる。

図体の大きい人でも、繊維業界に経験の長い人でも、なんで自分で問題の解決もやろうとしないのに、業界で生きているのかなあと思うことも多い。私自身は自分の作るものが悪いものに思われるのが嫌で、間に人が入っていてもそれなりにベストは尽くすが、基本見ているのは最終のお客さん、間に入っている人はお客さんじゃないというのが品質を守るための基本。

ブランドさんたちも直接来てくださり、お会いすれば本質的な話からになるけど、イメージだけでOKならそういうものはいくらでも安く手に入るし、それを求められているブランドさんも多い。イメージ商品なら値段も合うけど、本物だと値段が合わない問題がある。林与も自社で織っていない布が、誰かのために取り寄せしたとかで、それを他の方に販売するときなどは、自社で織ってない布であるとお話もして、安く提供したりする。自分の会社で織った布と他の会社が作った布では価値がまったく別である。そういう歯止めが利かないと、何倍にも化かせるビジネスになる。海外から生地を仕入れて、それを伝えずに林与で作ったといってうれば看板ビジネスで、楽して儲けられるだろうが、いろんな仕事らしい苦しみ味わいながらも自分で織る環境をもって続けるという道を選びたい。それが林与の布を高く買っていただく皆さんの期待を裏切らないということと整合すると思えるから。
2016年10月10日
昨年につづき、上田安子服飾専門学校のトップクリエイターコースの皆さんがパリコレに学生ブランドとして参加され、林与の麻素材もお使いいただいていていくつか注文が入りそうといううれしい連絡がありました。若い皆さんが高いハードルを越えてチャレンジしておられ、成果も出るってすごいこと。社会人になられてから同じように自分の力で海外に挑戦していかれるのだろう。

ブランドを自身で立ち上げていかれることは並大抵のことじゃないと、ブランドを立ち上げて動かれている皆さんとお出会いも多いから思える。洋服を作る以外の仕入れや販路などの壁も多いと思える。販路を少しでも自分で確保できるネットショップをもっているブランドさんがやはりPRの面でも強いのではないかと思える。理想はあっても、現実的な一個売ることの難しさをクリアしていくことなんだろうと思うのだ。
2016年10月09日
今日は集落の運動会、でも、雨が朝から降って中止。勢いのある先代世代に昭和の時代に運動会や盆踊りが始まった。自分たちが夢に重いやりたいから始めたというのが始まりで悪いことではない。気のあるものが持ち出して運営が成り立った。なぜ、そのようなことをやったかの背景にも戦後貧しい家も多く、集落が催す無料の行事が、みんなに楽しみを分け与えたということがあろうと思える。

私が20の頃、若者が盆踊りの主催なのに、ある件で先代が出しゃばったのに腹を立てたことがある。自分がなんでも決めるのが当たり前みたいに仕切ろうとする先代。あなたが始めたかもしれないが、それを引き継ぐほうがいろんな苦悩を乗り越えないといけないのをわからないあたりが難しい。始めることはできても後を考えることも大事でそれがなかなか難しいのだ。

集落の衰退というのはそのあたりにも見えてくる、いつまでも主役の人たちがいては駄目なのだ。これは日本の政治も同じだし、たとえば、アメリカの大統領ですらも、トランプやクリントンレベル。もう世界が終わってるのを引き起こす。自分が支配したい欲望の強いものが地位に固執する。他を支える気のないものが、他を支配しようとして上に立とうとする。日本の天皇が生前譲位をお考えなのは、やはり世の中のことをお考えだからだろうと思う。同じ問題を考えておられるんだろう。石原元都知事もボロボロのようで逃げているし、稲瀬元都知事もボロボロ、枡添前都知事は最悪レベル。役なんていうものは持ち出す気持ちのあるものでないと、地位というものにすがろうとする連中にろくな奴はいない。
2016年10月08日
今日、出荷に行くと、運送会社の事務所に一人だけ事務員の年配の女の人、しっかりと一人で事務所を守っておられる。この人は中のこと全部わかっているんだろう。この女性に仕事を頼むとすべて確実であったりする。

ここも大きな運送会社のひとつの営業所なのだが、他の大きな運送会社の場合は、そういうできる人ほとんどいない。電話で確認するとか、他の人に聞くとかいう人がほとんど。日本の運送会社というのはよく成り立つなあと思える。500円から1000円までで荷物を運ぶのに、日本中、翌日あるいは翌翌日に届くとか。そういえばEMSが値上げした。封筒ひとつ、DHLやFEDEXだと何倍もするけど、郵便局がコスト未満でサービスを1000円で提供していたのである。

上海で郵便局を使って江蘇省の会社に荷物を送ったこともあるけども、上海の郵便局は日本よりも荷物を送るの高かった。それで、一般の運送会社を近くで見つけて頼んだ。荷物が届くのかかなり不安だったがちゃんと届いたようだ。たしか、10kgで2000円くらいだった。

物流サービスが結局市場の鍵を握るというケースが、全国送料無料のサービス。弊社でも1万円以上お買い上げの場合には送料を無料にさせていただいているが、日本の場合には送料が安いのでそれが成り立ちうる。メール便が運送業者の収益改善のために廃止になって、お客さんが逃げ出したので、また、類似のものが復活してきている。昔はクロネコも殿様商売の郵便局に対立して運送業を立ち上げて、郵便局以上のサービスを全国に自社網で展開したので応援していたが、数年前に殿様商売そのものを見せ付けられて、やっぱり民間も大きくなると初心を忘れて、利用者の弱みにつけこんでがみえて値上げ、サービスの廃止で、郵便局でも良いんじゃないかと思えたりもした。
2016年10月07日
昨日の午前のお電話で、林与の布に興味を示していただいたお仕事のお客様がある。林与の麻布は他社さんと比べると卸でも2倍から3倍するものも多いので、普通のお仕事のお客様ではなかなか手を出してもらいにくいところがある。弊社で、値段が合わないときには、他社さんをご紹介することも多い。自社で工場を持って生産していると、工賃仕事では済まない部分があるのと、林与が賃機屋さんとは違うので、自社リスクでいろんな商品を開発したり、新たな設備投資をしたり、自分が面白いなあと思うテキスタイルビジョンを持ってPRしたりしている部分が、費用として跳ね返ってしまうのだろうが、そういうことやらないと自分の力で新しいものを作れないし、産地で産地の特色のあるものづくりを続けていくとかもできなくなるとも思える。

お客様が一般的に使われている布というのが、切り売り屋さんに並んでいるあたりの想定価格で、便利に1mから手ごろに手に入るのに、200m、300m作ってもその2倍とか3倍が林与の値段だったりして、切り売り屋さんの布が悪いわけでもないし、林与の布にしても原価を計算して一からつくるとかするとそのくらいになっても仕方ないところである。何かひとつグレードを落としても、他のものが自分なりに妥協ないチョイスなので、ひとつなにかグレードをを落とすのがもったいないという感覚が私の中にはある。

2年間に廃業された機屋さんが、林与の50年前に手がけていた織物を織られていたが、その生地の販売価格を聞いても成り立つ値段ではないのも事実。林与に仕事を譲ろうとしてくださったのも、織機を動かせる力を見込んでのこと。その設備を私に売って儲けようという気持ちも持っておられなかったし、私も簡単にも考えていなかったので、独占したいとかの気持ちも儲ける気持ちもなかったしお客さんが困られるということで誰かにバトンを引き渡したがられていたという事情で、一肌脱ぐ覚悟であった。手もないほど忙しいのに他のことに手を出すというのはばかげたことだろうけど、何かの巡り会わせと思って一生懸命に動いてそれが自分なんだろうと思う。

私自身もその採算性が合いにくいのも承知で、それまで私と関係のないその方のお客さんも困られないようにと思うところもあったけども、話が途中で変わり費用が掛かりすぎる話になって、私自身が実質無料で働いても、移設費用と維持費用だけでも、その方の既存のお客さんが今までの2倍の値段で生地を買わないといけなくなるとお客さんも喜んでもらえないとなるともう無理な世界だろう。将来的にはそういう麻織りの技術が日本に残っていることのほうが産地としても大事だろうと思えるが、新規のお客様の開拓なども含めて成り立つ道も探そうとしたが、和装の高級バルク素材、市場が小さくなりすぎて、難しい問題である。

そういう織機を動かす技術が産地に残っているのかというと、いろんな普通の織機でも動かすのが難しいというのが現状で、案外、途上国なんかではレピアもシャトル織機も普通に動いていたりするのだが技術があるといわれる日本ではそれが難しいとか。それは技術があるなしだけでなく恵まれた国になると、働く人も働くという意味がわからなくなったりするもので、仕事なんて自分がやるかやらないかだけなのにと思うことも多く、やるから仕事があってやらない人には仕事がないのは当たり前だと思う。日本もひとつのものをつくったりする技術が残っているのはそういう技術というよりもやる気のある人が個の力の中で残っているから、組織とかそんなんじゃあなくて個の力があるから組織が意味のあるものであったりする。

海外の何千人の企業でも数人が意味のわかっての仕事、他のほとんどの人が収入源としての仕事であったりして高度なことは経験も少ない。品質的な優位と価格のリーズナブルさで成り立っているそうだが、いずれ繊維産業に危機が訪れたときにどうするのかという問題もあろう。日本もほとんどの場合に同じじゃないのかなあと思える反面、私自身、この仕事が逆に仕事らしく、やる気があれば高度なこともチャレンジできるし、繊維の中でも機織というのは可能性のある仕事だと思う。

どの仕事にも共通する要素があってその最低限のところまっすぐにやれば案外強いんじゃあないかと思えるが、普通の仕事が面倒な方向に流れていくケースも多い。自分の作ったものが売れなければ食べていけないが当たり前という厳しさもそれで生きていくんだからあって当たり前なのだが、その厳しさをないようにしてしまう偽善な方向はいかがなものなのだろうか。日本のボランティアでも大手ボランティアビジネス、自分の生活費を稼ぐために海外の子供たちを出汁に活動ではいただけない。
2016年10月06日
今日はお昼から東京からのお客様。ちょっと近江商人を味わってもらうため伊藤忠屋敷を訪ね、今回は初めて弊社の工場の現場と、加工工場の現場を見ていただいた。生産の工程や産地の状況なども知っていただけたのではないだろうかと思える。人生だなあと思える話もあって、しばらくお会いできなくなる前に見に来ていただけたのも良かったなあと思えたり。ありがたいなあ。

別の仕事の案件も進行がストップのものと、進行しないといけない案件とがあったり、そのほかの案件も判断がでてその判断を元に進行していく形。夜には、旅券やホテルの案件を調べるが、直行便などが消えてしまっていて選択の余地が少なくなっている。トランジットに長時間コース我慢できる人は多くないのかもしれない。私の場合待つのも案外大丈夫なほう。他に時間に追われていることすらなければ、自由な時間を楽しめる。
2016年10月04日
今日は、東京からのブランドのお客様、ニットの縫製業からブランドを立ち上げられたという。昔はブランドのOEM生産をされていたという、アパレル関連のOEM製造が難しくなって転換されたということでなかなか思い切った転換だなあと思える。縫製工場も今もあるのでファクトリーブランドとして成功しておられるということになる。

ものづくりに関しても共通的な認識があって、受注生産ということよりも目の前にある反物をどう商品化して販売していくかという目の前の課題をクリアしていくタイプで、普通のブランドのお客様とは異なる感覚。縫製をするだけでなく、プラスアルファなご自身のやりたい強い要素を掛け合わせて製品にされていて、知識も広く謳いの要素のある強いものづくり。

日本の製造業の今後の流れなども想定をされて準備もされていて自己で解決して乗り越えてゆかれるみたいなお話も、聞いていて気持ちよくなるくらい。
2016年10月03日
会合で、ハンガーの件が出て、ハンガーのフックのプラスチックな部分がエコじゃないという話なのだが、ここまでファッション業界のエコ意識はきているのかと私は驚いた。そうなると展示会でも、もう天然繊維以外は提案ができなくなるレベル。私自身、鉄やプラスチック製品も使い捨てにしなければ別に悪いことじゃないと思う。

携帯電話でも今は2年で買い替えとか壊れたら交換で、使い捨てに近い時代。日本の場合には商業エコ的な部分があるので、電化製品にしても1年の保証期間以内しか動かなくなったときの保証がなく、いまの壊れやすさは異常で、1年とかで壊れるものをつくって買い替えなさいという日本的なエコモデルのビジネススタイル。昔はすぐ壊れても海外製品だからといっていたのが、今は日本メーカーのものでも同じ、日本のメーカー物でも海外でのOEM生産であるとかが多い。

よくいわれたのが、保証期間が過ぎるころに壊れる家電製品。コンデンサーの問題だろう。今の自動車に使うコンデンサ以外は1年ちょっとが寿命のものが多い。保証期間が1年なので一年しか持たない部品を使うのもメーカーのコストダウンの手であって、昔の日本製品というと何十年も持つものだったが、今は日本製品といっても海外製品と同じ水準の部品を使用していることが多い。それが多くなると結局、何十年も持つコンデンサーの製造なんて無意味になってしまう。

古くなればゴミみたいな感覚や発想が一番エコとは違う。必要なだけを買うのがエコなのかというと最終の消費者であれば使わないものを買うのはエコではないだろう。業者ならいつか使えるときまでもっているのもエコのひとつ。その概念が日本のエコにはないのが不思議なほど。その分、商品に耐久性なども必要となってくるだろうけど、それが良いもののひとつの価値基準でもないのかと思う。
2016年10月01日
産地というのは行政もそれなりに大事にしていると思うが、産地も一年たてば一年歳を取るという状況。20年、30年前に活躍されていた方がもう仕事もできなくなってしまわれているケースがほとんどで、織りの世界においては次の世代が育たなかったことが一番の問題だろう。織りというのは織る技術だけでなく織機を調節する技術が必要で、産地にも織機を上手に操れる人もほとんどいなくなってしまっている。

もう10年ほど前になるけども、シャトル織機を10台移設してそのうち9台がまったくほど織れない。その原因が不明ということで私自身が考えると1時間で答えが見つかった。次に2台を移設したときも2台とも動かない、そのときも私自身が考えると問題が1時間ほどで見つかった。原因がみつかったのもどっちも偶然かもしれない。一年前の移設でも織機は入ってきたけども、シャトルやシャトルの管がないという動かない状態から。織機の移設というのは問題だらけから始まることがほとんどで、それを解決する力がなければ移設前よりも悪い状態になるのが普通。

他の会社でも織機を移設したあと動かないという話を何件も聞く、どこの会社でも職人さんが動かそうとするが原因を探ってもわからない場合は、動かないままほったらかしになるという状態が普通だったりする。新しい中古織機を入れてそれが動かなければ、今までやってたこともできなくなって仕事自体がジエンドのケースも多いだろう。織機を入れられて20年一度も動かなかった織機が知らずに、林与にきたケースもあり、その会社が他の会社よりも早い時期に従業員さんを少なくされ、織りを辞められた原因のひとつにつながったんだろうと思うが、弊社にその織機が来たときにそれも何とか乗り越えられた。

繊維産業を取り巻く状況は、普通だとつぶれて当たり前のような爆弾事も多い、注文が入っていても、実際に1mも織るのが難しいとかの仕事も、昨年も3件あって、普通に織れればトントンの仕事が、それぞれの仕事が糸の問題で解決に3ヶ月から5ヶ月掛かったりもした。他の仕事がまったくできなくなる。はっきりと織れない状況で納期を約束させられるのはありがちなのだが、それは酷過ぎる話。結局、問題が支給された糸にあるというのは厳しい話しである。いくら調整しても他の色は織れてどれかの配色が糸切れなどでキズなしに織れないと言う3件の問題。調子の良い織機に優先して掛けてゆくが、調子の良い機に調整を掛け、駄目で別の織機に。機場が墓場と化した。

支給された糸の問題なので織れないですめば良いけど。3つの仕事で他の仕事ができないくらいになる。使える織機も今の時代の普通に働いて幸せの生活みたいな流れだとこういう問題は吸収できない。なんとか奇跡的に解決になったからよかったけども幸運がなければこのうち二つの仕事はできないで終わった。これの繰り返しは次は無理だろう。誰が悪いわけでもないのかも知れないが、仕事を請けるだけで正しく働いていても会社がつぶれる可能性は高い。

面白いことだが、織機の問題なんかでも、昔から他の人が、違うよとか、関係ないよというところに、正しい答えがあることが多い。その織機をずっと使っている人たちが否定しても、それが原因であると思うとそれを確かめることから始める。普段仕事している人が、見えないことって多いものだから。麻の織物をするときに大事なのは糸の強弱の感覚、それが私も最初どの強さが普通というのがわからなく迷ったが、自分が始めて本生産をした日にクリア。

すごい人はもいる整経をしていた人に、織る人の品質の問題で、納期の厳しい一回勝負の仕事、織る仕事が必要で、教えるから織りなさいと教えると、その日から織機を上手に使えた。面白いことで機場の人は私が織れるのを知らないとか、ひとつのことをしている人は自分だけができると思って職人的な傲慢になりがち。機場の人たちに織れないと馬鹿にされていたところもあって、織れたのをすごくうれしがっていた。整経のバンドの始めの目合わせや巻取りの幅の設定が、一回勝負のコンマミリの感覚なんで、私は整経は一番正しく仕事できる人に仕事してもらうことにしていただけのことなんだけど、小さな会社の中でも、川上の仕事は軽く見られたりするものである。
2016年09月27日
今、調整を加えている案件、ちゃんと前向きに動いて積極的に動いてくださるので形になりそう。自分自身が積極的に動いてすべてを覚悟も背負っていくというのが一番難しいところで、それは技術とかじゃなく人間性。一つ一つの作業が時間すれば仕事というのではなく、動かないものを動かすだけでなく、思ったものを正しく作れるようにして初めての仕事としての最低ライン。

私からすると日本の仕切るアメリカの大統領候補のクリントンとトランプでも、中身の薄い保身的な論争の政治、国内の政治家の論争も自分が楽して食べていくのがまず先にあって、自分自身が捨て身じゃなくて自分の立場を守るのに必死で、保身的なサラリーマン大統領?ソ連のプーチンが力を伸ばしてきているのもわからんでもない。

トランプ氏が、メキシコ、中国、日本に仕事を取られたといっているけど、多くの日本人も中国などに仕事をとられたというが同じ感覚。自分のほうが優秀と思っていてもいつの間にか追い越されて、たとえば繊維製品に関しては、中国で作るもののほうが日本製品よりも、国内で受け入れられる流れになっている。中国の数千人規模のいくつかの企業集団の方々と話していても、皆さん紳士そのもので業界を作っていくという覚悟がある。逃げるがないのであって、今の日本国内の逃げるよう案ものづくりとくらべるとしっかりとしていて、仕事をとられても当たり前じゃないのかと思える。大統領になろうとして、70歳の人が、子供で、世界のリーダー、厳しい。クリントンにしても同じで、トランプ薄めたJr.にしか思えない。そに日本の政府とかが媚を売って、子供の子供社会。日米の小学生のほうがまだ純粋に人々の幸せを考える。人は年をとるごとに歪んでいくというのが多すぎて、アメリカの人がクリントンを駄目な奴と当たり前に批判していても、役職重視の日本だと、そういう駄目男ほど地位に居座る世の中。

私自身、日本の政治家たちが地位にすがる一方で、天皇が生前譲位をいわれたのも、地位に対して欲がなく、正しく公務としてなされているというのは、今の政治家たちが見習うべきところだろう。私利私欲にまみれて、政治資金、政活費、国民を欺く手段に対して取り締まるべき法律がないということで、弱者に対しては負担を義務としてかぶせて、江戸時代の悪代官の政治がよみがえったかの今の日本的な行政。正すべきところは多すぎる。
2016年09月23日
人が変わらなければ町の風景もほとんど何十年も変わらない。私の子供の頃と比べて、道路の側溝の上に道路が広がったりしたこと以外は、子供の頃にあった木が今も生えていたりすることがほとんど。20年、30年がほとんど時間が過ぎていないのと同じ。これというのは悪いことではないと思う。というのも田舎でも移り変わりの激しい8号線沿いなどは、全国チェーンの新しい店舗が生まれ新しいほうが勢いがあり、スクラップアンドビルト。

たとえば豊郷のストアー競争も激しく、地元スーパー丸善対Uストアー対決は丸善の勝ちで、Uストアーが閉店。Uストアー跡にピアゴが開店。丸善も平和堂の傘下に入って、競争色はなくなったものの、いついってもお客さんが少なかったピアゴが閉店。地元スーパー対全国チェーンスーパー対決。全国チェーンスーパーもこんな小さな田舎を的にしても仕方ないだろうと思うが、何百万点もの商品がお店に溢れていてもそれが回転していかない、どこのスーパーにいっても同じように大手メーカーのものが並んでいて普通の経営が基本。コンビニの何十倍も広さのあるスーパーでも、立地のよいコンビニのほうが一日のお客さんが多いのではと思えてしまう。スーパー対決やっているうちにコンビニがいつのまにか競争相手になってしまっているのだ。

スーパーの中に入っているいくつもの小さなお店。スーパー自体の集客力がなければその中にお店を持つことは自滅行為であろう。地元の勝ち組である平和堂の大津彦根米原などの駅前の上層階は、シャッター街を思わせる空き店舗となってしまっているところが多く、駅の中のコンビニがあれば駅前のお店にわざわざ行くという必要すらなくなってしまった。100円ショップがあれば、ほかの雑貨屋さんの存在が難しい状況。100円ショップもよくやっているなあと、逆に不思議に思える。お店というものの存在価値はあってしかるべきなのだろうが、普通に働いているだけでは成り立たせるのが難しいのが商業地でもない滋賀県という立地なのだろうと思える。

情報が動いて探さなくてもすべて手元で入る時代になった、地図、電車の時刻、商品の詳細。田舎でなんでこんなにたくさん家電メーカーができたのかなあと思うほどに、ジョーシン、K’sデンキ、ヤマダ電機などなど。店頭で買うよりもネットで買うほうが選択肢が多かったり、また安かったりと。実店舗で買うと店員の知識のなさなど経験することも多く、質問も時間の無駄でネットで調べたほうが確実だったり。本来は逆でないといけないと思うけど、そういう流れなのである。
2016年09月21日
レーザープリンタだが、到着して事務所の入り口に置いたままは邪魔すぎる。本当は時間をみつけてじっくりと作業したいのだがそうも行かない。もしも動かないなどの問題があったら初期不良で返品するなどしないとならないので、梱包を解いてセッティングしてみる。プリンタのセッティングというのは意味のわからないままにプリンタのメーカーの指図どおりに作業をするしかない。

USBでのセッティング、USBの認識が説明の紙どおりにはいかず、ネットでの新しいドライバ検索をしているような状態が続いているので、なにやら想定どおりにはドライバのインストールすらがうまくいかない問題に遭遇、それを中止するように適当にさわってドライバーがインストールされた。よしとする。プリントを始めて、きれいに印刷され始めた。

でも、違和感がある何百枚か印刷しているうちにだんだんと紙の地色がピンクに、一方で画像の赤みが消えてゆく。初期不良の個体に当たったようだ。今は電化製品も初期不良が数台に一台はあるだろう。メーカーにしても動かしてみないと本当に正しく動作するのかはわからないものである。消費者が製品の最終テストをする役目ということも多い。電化製品も安くなって海外生産になり、わけもわからないままに組立作業が行われているだけのことで、中のパーツとパーツの合性問題で、こういった不具合は起こりえる。

携帯電話と違って動作部の多いプリンタ。より不具合の起きる確立は高いものである。メーカーに返品したとしても、メーカーの人でもわからないことも多く、時間の無駄ということになる。修理よりも、返品交換の手続きをするほうが後々の問題も少ない。ハズレ個体というのは組み立てた人が下手なのでいろんな問題が潜んでいるものだ。一人の人の作業がわるいと、その製造ロットすべてに問題が生じたりするもので、家電メーカーが日本から消えていく背景にも海外で生産しても同程度の品質であるというあたりになっているのだろう。あとは修理対応などで対応する。どこの量販店も5年保証とか、今の家電製品は正しく使っていても5年も持たないことが多く、数回使って壊れそれが使うたびに起こるとか。

日本でも国内生産が消えて、メーカーが企画と販売だけをするようになるとそういう問題が増えてくる。動作部品に関していうと、実際の現場の作業のばらつきが不良の原因であることは多いが、それは製品が悪いのではなく作業している人の理解度の低さからでる問題だろう。現場でも、何が正しいのかわからずに作業しているケースがほとんどだろう。その理解度を高めるよりも作業を簡単にして理解しなくでもできる作業に落とし込もうとするのが、単能工。

メーカーでも製造の現場の人なら何パーセントかの不良があるのが当たり前と思うが、セールスや修理の人にしても単能工的なので正しく作られているという前提で話を進めると前提からことなりややこしくなる。
2016年09月19日
なぜか、今日は冊子印刷のためにレーザープリンタをネットで買う。今までも冊子を印刷してきたがインクジェットプリンタでは時間がかかりすぎるのと、色の滲みなどが気になって、大量印刷に向く、コストパフォーマンスの高いレーザープリンタに移行してみようと考えた。昔、20年ほど前に、C社のカラーレーザープリンタを買って正しく1枚印刷するのも大変苦戦したことがあって、その経験からC者のレーザープリンタは買わないと決めて、ほかのメーカーのを買おうと考える。

最近は、時間がなくて、使い方を覚える時間がなく、使うときも何一つ迷わずに使えるような機種が一番よい。なんで、マニュアルとかあんなに分厚いのだろうと思える。携帯電話なんかも、契約も複雑すぎて理解ができないが、取扱説明書も巨大化しすぎて駄目だろうと思えるほど。作っている人たちも使い込んでいないから不具合なんかもメーカーの人でも分からないケースが多い。

私自身、何かが欲しいという衝動は大事にしたい。というのも、普段、食べ物以外は何かを買いたいと思うことが少ないから、そんなことしていると取り残されてしまって、田舎の爺でしかない。年をとっても新しいことに目が向いて吸収する力がないと仕事するにしても小学生や中学生にも負けてしまうだろう。林与なんて小さな会社がそこそこ生き残っているのも、私の趣味的な部分が案外仕事と結びついているから、じっくりする時間はないけど、そういうプラスアルファな部分で仕事が支えられているようにも思えて、まれに、なにか欲しいと思ったときには買って試してみるのがよいだろうと思える。

稀の衝動買いとかいいながらも、たかだか、数万円のことなのだが、変なものを買いたくないのだ。吟味はそれなりにした。数年は使う気持ちで、つぶれても同じものを買いなおし同じ機種を使い続けたい気持ちで、レーザープリンタ、買ってみた。
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