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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2016年09月18日
私が思うのは、若い世代は私の世代よりも一般的に優秀だなあと思う。大学生や専門学校生とも接するけども、厳しい時代を覚悟しての人生観があるので、仕事なんかも正しくできるしまじめである。若い世代のまじめさというのは、繊維の仕事には向く人が多いのではないかと思えるのだ。

社会にでると、ハードルが逆に下がってしまうのではないかと思えるくらいで、学校の勉強のほうが大変だろう。私も、学校で、経済学や経営学を勉強したけども、今の仕事ではほとんど役に立っていないと思え、普通の逆に張らないと5年後の成功はないみたいなのが現実。無理だとか駄目だとかいわれることが、5年後には普通になっていたりも、多い。そう考えると、今は成果に結びつかなくても、ほかのひとがやらない今やりたいと思っていることを精一杯やっとくことがひとつの強い特色になる。

あることが行けると思っても急に勢いが落ちることがあるけども、ひとつのことにオールインは、時代を見失いやすい。常に、方向転換ができるように、仕事の中でいくつものことを並行してやることで、広く、なるべく深く。そのいろんな分野の知識と経験の組み合わせが、新しい出会いも生むきっかけになる。多くの人が、考えの違いの言い争いしていたりお金の取り合いしても全体では何も生まれてこないけど、自然の恵みを得るとかものを育てたり生み出すことが大事だろう。
2016年09月17日
今日は、麻、京都の藍染作家の梅崎さんがお越しくださいました。大学の講師もされておられお忙しい中、近くのお客様のところにお尋ねになられるということで、知り合ってから、たぶん5年越しくらいで初めてお越しいただけました。梅崎さん以外でも何人か大学で講師をされておられる先生がおられますが、多くは女性で、私が思うに大学みたいなところは企業以上にかっちりとしているので計画や準備なども企業以上に必要で、お忙しいのもよくわかります。

近江鉄道というJRと比較して運賃が高いということで有名かつ利用者も少ないローカルな鉄道があるのですが、その八日市駅に梅崎さんをお送りしたときに、今年一番の大雨で台風の接近と関係があるのだと思いますが、1秒でびしょぬれの雨。滋賀県の印象が魔界のような大雨の印象となられては誤解が大きいので、たまたま、異常な大雨がお送りしたタイミングで降ったということを書いておきます。

2016年09月15日
今日は朝からシャトル織機を調整。たぶん、道具があれば1時間くらいあれば調整ができると思っていたが、予定通り、部品を移設して、若干の調整を加えて動かし始めると、スムーズに動いて、私が動かすだけでなく、初めて力織機を触るお二人に使い方を教えさせていただく。お二人とも非常に飲み込みが早く、正しく糸も触って確認作業も行える。

私が調整したのは4箇所から5箇所程度。調整を加えるのは勘ではなく、感覚。前回に触ったときにすでにほぼ良いところまでの調整がなされていたけども、それ以上の調整ができない無理があるのを感じる。調整しても織れない気持ち悪さの問題がある。たまたま、その原因が見つかったので、道具さえあれば1時間で動くようにできるだろうと思えた。

たぶん、正解だったのだろう調子よく、元々の織機のタイミングが良いのか、前の方の調節が良いのか、シャトルを叩くタイミングと開口のタイミングとは合っている。スピードを落としても問題なくシャトルがキャッチボールするように飛ぶ。ゆっくりと寸動で動かしても段もできない。悪くない。でも、自分の力で動かされるときに、注意していただくのは、安全。動かすときにシャトルが飛び出る可能性のある範囲に人がいないか。電気が入っている織機を二人で使ったりしていないか。回転部分に髪の毛や携帯ストラップや服の端が巻き込まれたりしないか、など。

目標とされる織物も今の設備の中で生み出せないこともないだろう。この織機たちが動くようになれば、産地での織りが新しく生まれるきっかけになる。新しく産地で織物が生まれていくことは素直に嬉しいので、積極的かつ献身的に乗り越えて目標とされるものを生み出してほしい。そして、自分が作ったものを売って成り立たせる試練を経験し、乗り越える、それこそが仕事の基本、食べていく基本。一台の織機でも、気持ちもって動かしてあげれば、いろいろな色柄を生み出すことは可能であろう。

私自身、どんな織機なのか、動くのかどうか興味があって触らせていただいた。今日の一台にしても調子もよく、十分にいろいろなことができる織機である。仮に一台でも、経本数を増やしたり整経なども色柄くわえればできることは無限大。林与も理想とする、ご飯を食べるように、自分が作りたい織物を産地で生み出してほしい。今日のお二人、吸収力と素質ある。林与でも現場、実質数人なので同じこと。
2016年09月14日
織物の仕事で経験者も初心者も土俵は同じ。私からすれば、どの工程でも1週間2週間仕事すれば基本はマスターできると考えている。昔なら、その1週間でマスターしたことを一生するというのが一生の仕事だったのだが、それも今は生きているのは海外の大量生産の世界の仕事スタイルでしかなく、生産量が少なくなった日本ではそれが一番脆い形態である。仕事がないときに自分で仕事を生み出せる人でないと一日仕事がない。小さな織物工場でも、仕事というのはあふれているのだが、それをこなしていける能力というのは人それぞれで、ほかの人が準備しないと仕事ができないとか、自分のやった仕事が管理できないとかだと、仕事があってもできないばかり。

夏のインターンで、織機のアンダーモーションが外れて、また私が直さないと駄目なのかと思って2日寝ないに近い状況で少し休んでから直すからといったら、インターンの子がそれを自分が直してみると素でいう。その最初の一言で、インターンの子が現場の子を抜いてしまう。手を真っ黒にして1時間半ほど、曲がった部品をまっすぐにしてくれていた。そこで、私の手がいつも汚れている理由が分かったという。誰かがやらないといけない仕事、誰がやるかだけ。ほかの人に期待してほかの人に仕事してもらうのか、自分がその仕事をやるのかだけのこと。
2016年09月13日
OSAKA手づくりフェアで、リネンガーゼの生地が予想以上に人気で、お手ごろなこともあってだろうけど。生地というのは海外産であるのがほとんどなので、1m600円で、国産生地であるということに驚かれる。基本、リネンガーゼ生地は、縦糸はケース買いした新しい糸を使い。横糸は、生産のたびに数キロ残った糸を使うことでコストを下げている。残った糸を使うといっても、箱に残った未使用のきれいな糸を使っているので、数百メートルごとに糸のロットが変わるけど、まっさらの縦糸X横糸の商品となんら違いはない。シャトル織で1m600円はお買い得だと思います。

この生機は、加工して林与の製品となることもあるが、多くの作家さんなどが作品作りにも使ってくださっている。染色作家さん、プリント作家さん、ストール作家さんなど。プロの方も、毎年継続して使ってもらえるように定番の商品として用意している。バルクになると安くなるかというと、実は、段なく、きれいに長く織ることが難しく、反買いいただくときれいな一反をご用意することが難しいこともある。バルクで買っていただいても値段が下げにくいのがその理由である。

この生地をお洋服に使おうとされる方がいてくださるのだが、できないことはないだろうけど、縫い目滑脱という問題があって、縫製の方法を工夫していただけば、羽織物やカーディガンなどにお使いいただけないこともない。相当の縫製の腕が必要ではある。このリネン66番手タイプの上のグレードが、リネン100番手タイプのガーゼストール生地で、こちらも林与の細番手リネンストールのベース生地になる。こちらだと同じ目付けながらより一般の生地に近く目ずれが起こりにくいがそででも縫製の技術が必要な目の甘さがある。

一般のアパレル向けの生地とガーゼストール生地では、用途が最初から異なる。それをうまく乗り越えていただくと、市販のものにはない素敵なものが出来上がったりする。ハンドメイドの祭典だけに、お客様のお洋服など拝見していると、リネンで決めておられる方も多い。3000円から4000円あたりの素材しか持ち込まなかったが、L150のアパレル素材とか、アイリッシュリネンとか別格もたぶん、見たい方はおられただろうなあと思う。5年10年が早い、というのをいつも思う。その意味は、5年前にできたことが5年後の今はできなくなってしまっているということ。今できているようなことを継続していくだけでもたぶん、10年あとには、国内ではより希少な存在になっているだろうと思う。私自身、産地でほかの機屋さんが辞められていく理由もよく分かるのである。

昨年廃業された和装系の機屋さんの場合、やっておられる仕事は基本量産のみで、一度縦を作るときには1000mとか巻かれて、何ヶ月も織り続けられ、同じものを10年繰り返し生産し続けるというような仕事をされていた。それだから一人で最後まで守ってこられたのであろうと思える。ひとつの生地を正しく作って回転させるという当たり前のことに思うようなことでも、一時間に1メートルしか織れない物をキズも出さずに、一日8時間動かして、7万円の売り上げを作られるとおっしゃっておられた。7万円のうちには、糸の値段、糊付の値段、染の値段、加工の値段、その他固定経費がすべて入っているので、残るのは1日、1万円から多くて2万円だろう。一日に何十メートルかを織って、一人が働いた分が正しく出るを繰り返して商売を成り立たせておられた、70歳過ぎておられながらも、本当に立派であり、そういう方に辞められる前に出会えたのはうれしかった。

こういうオンリーワンなことでも、欲を出せば終わりだろうと思える。無駄をすべて絞って自分が働くことで解決されるような形だったから生涯の仕事として続き、きれいな形で仕事も閉じられた。お話を聞いていても仕事ということを当たり前にこなして、考え方もまっすぐでおられて、本当に気持ちが良かった。商いとしては、コンビニで働くほうが良いかもしれないが、コンビニでもそれなりには大変だろうが、ほかの誰もできないことを欲も出されずに全うされていたというのはすばらしい。私も微力ながら片付ける生地などおありなら買ってくれる人を探すの無償で協力しますよと申し出たけど、従来のお客さんを大事にしておられて、その方たち優先で安くても処分したいといわれ、本当に作った生地にも愛着をもち、欲のない方だなあと尊敬の気持ちになる。こういう方がおられて、国産の和装の麻織物の守られていたという日本のものづくりの背景なのである。
2016年09月12日
今日は地元の工場の社長さんが朝に電話くださった。仕事がこの3ヶ月ほどほとんどないという厳しさで、従業員を抱えておられ仕事が少ないという気の毒な話であるが、仕事を作ろうとすると見本が必要で、そのあたりが昔と違って難しくなってしまって、見本を作らない流れで仕事が少なくなる流れ。工場さんにも仕事が少なくなってもよいと合意もいただいて見本も作らないのが数年も続いた結果のことだが、数年もその流れが続くと市場自体が小さくなってしまう。

地元の機屋さんの情勢というのは数年前から予想もできて、機場を抱えて動かしておられるところほど苦戦されているのがよく分かる。地元でも座布団で一番元気にされていたところが機場を閉じられたりとか、私には座布団というものの価格や需要の低下でよくいままでやってこられたものだと逆に感心するほど。先代なんかは最後まで残ればなんとかなる、とか言っていたけど。傾いた流れを変えるには新しい感覚が必要。昔の流れで最後まで残れば大変なことになるだけだと思える。昔の流れを残そうとすれば別腹で残し、食べていく道はまた新しいその道を探していかないとならないと思える。そういう時に変われない現場があるとしたら現場を支えていくことはまことに大変である。

その座布団の工場も現場を閉じられたものの別の新事業で生き残られる道は残され、先見の明のある事業転換を行われていたので結果よかったのではないかと思える。経営者というのは従業員のことを考えて方向転換できないことも多く従業員を抱えつづけ事業を続けることで、経営者自身が仕事続けてお金を失う状態で破綻してしまうことが多いから、状況に応じた経営判断は将来のことを考えて必要だろう。失ってしまうと惜しいと思える現場であり、働いていた人も自分で採算を成り立たせるすべがあれば残せるのだろうがそこが難しいのだろう。近くの金襴の工場も、社長が亡くなられて、従業員さんは何人もおられたけどそれを成り立たせて動かしていく人はいなく廃業された。

結局は、商売は誰が背負っているのかという問題につきないかと思うのだが、本来、背負われているものがいつしか背負う側に回るのが正しい流れに思うが、背負われる人生を歩む人と背負う人生を歩む人の線引きみたいなものがあって長年続いた商売でも終わりが来るのだろうと思えてしまう。大企業でもあるまいし、大企業と同じような経営者と従業員のような線引きしてては優秀な人の集まる大企業と比べて、大企業でも苦戦の日本で、中小零細というのは普通の人の集まりで普通にしていては成り立つはずもないと思える。そういう線引きがないのが本来小さな企業の一番の強みではないのかと思える。
2016年09月11日
マイドーム大阪のOSAKA手づくりフェアで、林与の地元の清水惣の会長さんが、朝、顔を見にブースに来てくださった、今回のOSAKA手づくりフェアの役もされていて、林与が出ているのを知って、がんばってるねえ、と激励に来てくださった。私のほうが滋賀県の地元の方が大阪で役をされているのがびっくりなのだが、清水惣さんは全国展開+海外展開されている会社なので、国内だと東京や大阪にも根付いておられる。

林与も、営業を考えていくとやはり、東京や大阪に営業所を持つべきなのだろうかと思えたりもするけども、先代のころは、東京や大阪にある問屋さんに営業をゆだねて商売を行ってきた経緯がある。私自身、よい売り場に立たせていただくことも多いけども、店頭もなかなか生地売りというのは苦戦ではないのかとも思えたりする。生地屋さんのほとんどが、自社生産ではないので、林与のように自社で生産して販売する会社なら店舗を持ってもそもそも在庫リスクがあるのだから負担が大きくなるわけでもないからよいのかもしれない。

織物工場持つのは、布のお店もつのよりも大変なことやっていると思っているので、お店願望は後回しでよかろうと思える。百貨店さんのイベントなんかに参加していても、常設店って維持していくの大変だろうなあと思えるところもある。今後、林与もウェイトをおいていくべきは自社の販売ルートの拡充になるだろうと思えるが、自然な形でルートを増やしていくべきだろうと思える。一般に、林与の生地は高すぎて一般の生地屋さんだと重荷になってしまわれるだろうから自社ルートの確立が必要だろうとは思う。OEM的に、生地のお店に卸販売させてもらっているケースもある。
2016年09月10日
今日は、朝から刺繍の先生にヘルプで入ってもらう。土曜日の朝だったので私のほうが道が空いていたので、早く着いて新しいキッチンクロスなどを準備。初めてのフェアなので、まだ、どういうものがお客さんにウケるのかがわからず模索、リネン糸ももってきて販売してみる。今回は、リネンキッチンクロスもリネン糸も値段が折り合わない感じで、無理して生地を持ち込んだのがよかった。

ストール用のガーゼ生地などが手ごろ感からか人気で、洋服をつくられる方もやはりあった。ストールの製品は高すぎて売れ難いだろうと断念、正解だったと思う。キッチンクロスの売れ行きはあまりよくなくても、触って下さるお客様はいっぱいあったので、ブースはキッチンクロスのおかげで賑やかであったと思える。生地を販売しているのは数社だけしかなく、まあ、売り場に生地があるというのは素敵じゃないのかと思う。

今日は、刺繍の先生のお子さん二人も手伝ってくれて、礼儀正しくいろいろと手伝ってくれた。小学2年生の女の子は掃除好きらしく、林与にきたら掃除いっぱいできるよ、というと、目がピカッと光ってにっこり嬉しそう、本物の掃除好きマニアなのだ。小学2年生にして能力高く、時間をもてあまして、難問に挑戦したいタイプなのだろう。一応、大きくなったら林与で織物の仕事やってみようと誘っておいた。はい、と元気な返事なのである。

終了時刻になって片づけを始めようとすると、生地の撤収が予想以上に困難を極める。なんと、刺繍の先生+お子さん二人+ご主人、カンファの数人、大城戸さんの専務とマナちゃん、私を含め、合計10人弱での撤収作業となったが、それでも一番遅いくらい。来年は撤収も考えて生地を用意しよう。今年で何が好まれるのかもわかったので、もっていくものも絞れそう。みなさん助けていただいてありがとう。

無事に2日間が終わって、朝から食べていず空腹のなか、ひとり帰路。大阪で食べるのか、京都で食べるのか、はたまた滋賀県で食べるのか。結局、滋賀県の地元の台湾料理のお店で食べた。このお店は空腹の私でもセットメニューを食べきるのが精一杯なくらいにボリュームが多い。お店の子供が遊んでいる、こういうお店が地元でもほとんどなくなって、きれいだがありきたりなお店ばかりになってしまった。

セット定食を頼んだが、なぜか、から揚げが1個じゃなくて、今日は2個ついていた。このから揚げ1個だけでも、食べと十分胃がもたれる大きさ。ウェルカムしてくれているのがすごく伝わってくる。完食して、ありがとう、また来るよ。台湾から来て日本であこがれのお店をもたれたのだろうが、土曜日の夜でどこもお客さんが一杯なのに、ここはお客さんの数が少ない、外からみると中が見えなく、やっているのかどうかわかりにくいのと、本格的な台湾料理の味というのが日本では馴染まれ難いのだろう。子供をターゲットとしたメニューが、お子様ランチ的に必要だろう。
2016年09月09日
朝の電車に乗り込んで、キッチンクロスを2つのスーツケースに満タン。駅の階段を上ると腕が抜けそうである。一つのスーツケース30kgは軽く超えている。なるべくエレベーターを使うが、会場までの道のりが遠い遠い、本町の駅から時間節約のためにタクシーに乗る。

朝から手づくりフェアは人がすごい。会場の瞬間にお客さんがマラソンのスタートのように、目の前を走って行く。用意して行ったキッチンクロスよりも生地を探される人が多く、生地を売るほうが良いのではないだろうかと思える。キッチンクロスが1枚1000円でお買い得なのだが、一枚1000円のキッチンクロスが手づくりフェアの相場からすると高く思えてしまうようである。場所も、一番良い場所をもらったような感じに思える。

お隣の増田哲さんのところでは、2枚で1000円のスモッグエプロンが大人気で多くのお客様が買われていた。また、大城戸さんのところでもレピア織機の捨て耳を販売されていて大人気であった。結構、時間が余ってお話できると思っていたのだけどもお客さんが続いていたのであまり話せず。

林与の生地のほうは、1m600円のストール生地などがよく売れていた。ほかの展示会ではストール生地は持ち込んでもあまり売れないが、ハンドメイドされる方が多いので、ハンドメイドストール生地が売れるのだろうと思える。PR用につくったパンフレットもたくさん配ることができてそれはそれでよかった。
2016年09月08日
今日は、マイドーム大阪での手作りフェスタの準備。キッチンクロスを内職さんが仕上げてくれるが裁断が間に合わず足りない分を会社で昨日から作っている。午後3時に出発するも高速道路が事故渋滞で下道走って午後6時過ぎの到着。藤原織布さんがご夫婦で同じ到着、心強いが、午後7時までの準備で、反物の梱包を解いてダンボールに突っ込んだだけで、キッチンクロスは明日の朝の準備。

林与の出展は初めてなのですが、売り上げよりもPRの意味と、場の雰囲気を盛り上げるために反物を持ち込むのだ。秋に突入していて麻にとっては販売が難しい時期ではあるが、大阪はまだまだ暑いよ。明日も最高気温31度になる予想。

大阪からの帰り睡魔が遅い、途中休憩3回ほどして夜中の帰宅。1時間ちょっと寝て、シャワーして、朝の出発の準備。キッチンクロスとハギレ布をスーツケース2個に満タン詰め込んで朝6時半の電車。すいません、ネットの出荷の指図などが適切にできず、遅れ気味になっております。お仕事のお客様も対応が遅れ気味で申し訳ありません。

そろそろ、来年2月のインターテキスタイル上海、ミラノウニカの航空券やホテルの検討。

2016年09月06日
繊維の世界で、食べて行くことが難しいのは、素材に関しては手の込んだものをやればやるほど食べて行けなくなることだろう。そういうのは別腹でやっていける人でないと仕事の食べていく部分だけでは、あまり面白くない仕事人生になるだろう。組織も人が増えると強くなるばかりとは限らず、普通の考えの人が増えて、中に温度差ができて、崩壊に向かう。少人数で濃い要素というのが強いものづくりの理想だろう。

林与にしても、滋賀県では一番強いくらいに絣の近江上布を生産していた主体の一つであっが、小さいながらも出機さんを含めると村規模の生産。人を多く抱えるがゆえに逆に衰退するときには早いもの。旧愛知川、今の愛荘町に麻織物伝統産業会館が出来上がるきっかけの一つとなっている。林与の近江上布の世界は地元でもあまり知られてはいないが、近江上布が国指定の伝統工芸品としての「近江上布」に認定される流れにも影響を及ぼし。近江上布という言葉も、「上布」とはいわれていても、近江上布とは言われていなかった。実際には新しい言葉説がある。林与の近江上布にしても、認定される前につくられた林与の箱には、近江麻上布という言葉がついている。そのときはまだ近江上布という言葉が定着しておらず、ほかの産地と同じように、認定の際に「地域名+上布」という形に落ち着いたのだろう。

本麻の甚平やシャツ、ハンカチ、ネクタイなど、生地だけでなく、いち早く製品化したのも林与で、産地の製品のPRにも貢献をさせていただいてきたとは思えるが、販売して売るの本業は生地売りであって、製品販売はそれほど強くなかった。今はそれをほかの企業さんも地元PRの気持ちでリスクを覚悟で行われているのは大変な苦労だと思える。商売としてはなかなか成り立たないものだろうが観光の要素としては実物に触れ、買える機会というのは大事。一度傾いた産業を復活させるには、違った視点が大事だと思える。生地を人に任せて売るのが難しくなれば自分で売ればいいじゃないか、製品にして売ってみればいいじゃないか、自分で食べる道を考えて仕事を続けられるようにしていくことは大事なのである。

1970年代の麻ブームが起こった背景のひとつも、林与がヨーロッパで広幅で麻織物が織られているという話を聞いて、織れると信じて、人柱的に産地で最初にレピア織機を導入したことにある。昭和50年代初頭に、繊維産業が傾く流れの中で、親族経営の会社が生き残りを掛けての何億円もの投資で、うまく成功して織れた。短期間のうちに産地のほかの会社も次々とレピア織機の導入が行われ、加工工場でもアパレル向けの広幅での生産が主流になり、アパレルにも使える麻生地の生産が国内でもできるようになり1970年代の日本の麻ブームが巻き起こった。

林与がレピア織機の導入をしていなければ、ほかの機屋さんがやったかもしれないが麻ブームも数年遅れていただろう。あるいは、産地も小千谷のように麻の小幅織物の産地として残っていたのかもしれない、近隣の長浜は浜ちりめんながら小幅のままに織物が残っていて、昔ながらを守りながらも高級着物の需要が減る流れの中で苦戦中の苦戦を強いられている。実は林与の絣織物が、色使いやテイストからしてハイカラであまりに似通っている小千谷上布の絣織物に影響を及ぼしているのである。林与は、小千谷の一つの業者さんとも友好的な関係にあったから。小千谷の機屋さんが送ってくる封筒には記念切手が貼ってあり小学生の私にはそれが楽しみであった。

あるべき姿というのは最先端なことをやってきたということで、伝統技法を守るというよりも伝統技法を生み出してきたのがこの産地。守る部分ばかりでなく、自分たちが食べて行くために絶え間なく新しい技術を取り入れ進化させてきたのである。私自身、シャトル織機に傾倒をしているが、昔のものを織るばかりでなく、リネンの細番手に挑戦したり厚織やってみたりと、シャトル織機の長所を活用しながら自分の麻織の世界を展開している。こういうのも惑星直列ではないが、奇跡的にいろんな要素が縦に並んで、続けることができているだけと思う。ときには、1ヶ月1mも綺麗に織れずに苦戦する織物もあるけど、それとは別に普通の仕事もこなしながらなので、何とか食べて行ける。高度な織物や新しい織物というのは仕事とは別腹で形にして継続していかないと。最近は現場の力が落ちているので高度なものが少ないがあっと驚くようなものをまた再開したい。
2016年09月05日
昨日の夜、インターンの生地の織り初めで、一つ大きなトラブルがあった。ヒガエを使わない横糸が一色の織物だったのでインターンの生地を織るのには問題がなかったがダメージ大な出来事。

生地を織るときにシャトル織機の左後ろのほうで異音がした。シャトル織機がヒガエをした途端に、角材がなぜか機械の下にあって、ヒバコが下がるのを邪魔して、鋳物でできた部品が割れて壊れ、異音がしたのだ。何十年も使う織機の一台が大きなダメージ、使えなくなってしまったのである。溶接すればなんとか直るだろうが、調子のよかった織機に分解修理が必要となり、また大掛かりな修理の一つ仕事が増えてしまった。昨日の夜は相当へこむ。でも、その話を今朝すると、現場の女の子が昨日掃除をしたときに角材をシャトル織機のヒガエの機構の下のスペースに置いてしまったということをすぐに話して自分の失敗を認めてくれ、その自分の失敗を認める素直さが逆にうれしくて正しくて立派だと思い褒めた。

ダメージ大な出来事がよい思い出に変わった。ものづくりというのは人なんだわなと思うのもそういうところ、失敗や困難な出来事があっても本人が責任感を持って対応してくくれれば、それがうまく解決できないとしてもなんとか納得できることもあるものである。法律や規則というのは厳しいもので、私自身は社会を豊かにしていくためには、法律よりもモラルが優先されるべきだろうと思える。

たとえば、失敗したことを罰しない法律が存在するのかという問題。本人が、交通違反なんかをして認めないと罰せない。人間がモラルがあって正しく認めると罰する。たとえば、都知事たるものがが悪いと認めないことで、万引き少年すらも罪悪感を持って物を盗み罰せられるのを恐れるだろうが、地位のあるものは罪悪感も無く罰する法律も作らずに刑務所に入ることも無く、法の下の平等を謡うゆがんだ法治社会の典型なのだ。行政に携わるものが上のものが悪いと分かっていても自分の所属する組織が民主主義だとすれば許されない行為だと分かっていても正すことすらできない。結局、市民革命てきな要素が働くしかないのが、日本の法律が国民や市民を守るためでなく、為政者が傲慢に国民や市民を縛るだけになっているという行政の巨悪が正当化みたいな法治社会における未必の故意敵な法が適用されない無法国家を生み出す。法が力を持つものの犯罪を正当化してしまうというのも心が綺麗な素直な小学生が考えるとおかしなこと。でも、そういう素直さに便乗して、法を強いていくと、いつのまにかゆがんだ大人に教育されてしまっていくものである。政治や行政というのは力、そうなり易いものである。

ある大臣がオービスによる速度違反で処分されたニュースがあったが、法治国家が正しく機能しているのに驚いたくらい。主義主張は分からないが、十分に、もみ消せる立場で、もみ消す出なく罰せられるほうを選んだ素直でよい大臣であるような気がする。普通は立場を利用してもみ消して正しい人を装い上に立つというのが今の日本でも主流になりつつある。砂上の城、それでは素直に法に従って裁かれるものがかわいそうなくらいになってしまう。法律というものがどんどんと複雑化してすべてを罰する方向に、自転車の国道すらも車道走れなんかは、田舎だと人が死ぬ可能性が高いがそれも法律として正しいとされると、普通に法律を守って生活して人の命を法律が奪う可能性があるということに気がつかない人が法律をつくっているのだろうとしか思えない。この件では警察官ともぶっちゃけ話で話したが、警察官ももちろん危ない法律だと分かっていて、それをとがめることはしないというが、馬鹿な警察官やその上司がいたりすると人が死ぬ可能性のある法律を優先して、権威振りかざし取り締まるんだよなあ。

日本の政治利権にまみれたETCなんかでもETCの業務員すらもが轢かれて死んでいるけどそれがまさにシステムの問題なのだがそのプロの命を奪うシステムを裁く法律がなくだと、不幸な事故は決してなくならないよ。ゲートが降りているところにとまらずに車で飛び込むというのも暴走的だと思え、機械を信頼してのことだが、そういう死亡事故につながっているが利権優先かよと思える。日本では遮断機のある踏み切りですら遮断機が下りていないのに止まり、止まらなければ罰せられるのに、目の前にバーが閉じているところに突入というのも、理不尽で、法を支配するものの利権や保身が絡むとなんでもありでは法律がゆがみ困るのだ。国際基準地の80倍の放射能汚染度がばら撒かれるのも、法律のなす業。それをやるのが環境庁。

国民の健康を守るために動かないといけない省庁が、利権や保身が絡んで国民の健康を損ねることを正しいとして推進。法律つくって罪悪感のない殺人というのもそろそろやめないか。ずるい目的で法律が出来上がり始めると、そういうずるいに妥協できる感覚の人しかついてゆけなくなる。チェルノブイリ以下なのは、炉心誘拐で放射能がばら撒かれているのに国民に知らされず隠匿して6ヵ月後の放射能漏れ公表。日本が笑ったチェルノブイリよりも隠匿の度合いが高いのが日本の行政、人も死んでいても事故とは関係ないと否定して済ませている。国民は利権を搾取される側、公務員以上に我慢もしているし、行政の利権や保身優先の結果の失敗も被らなければならないのも耐えている。でも、軽い気持ちで人の命も絡む問題に対してもうそばっかりでは困るんだよね。

保身だらけで自分の失敗を認めるが少なくなった世の中で、失敗を素直に認めるのも大事じゃないのかと思える。家で働いている子にしても、この国の自称トップリーダーたちより人間としてまともなのだ。私が東電の社長なら、福島原発所長の甲状腺がん死は、福島原発事故の放射能漏れを伏せたが故の死亡事故として原発行政に生かすけどなあ。一番くらいに危険なものを安全と言い切って進めるのがすごいよね。原発行政も推進するにしても、安全じゃないけど経済的にで正直に進めるべきだよ。関電の値上げ告知の電話担当、値下げのために原発は安いというだけで、事故の起こったことや安全なんて何にも考えてない。いやなら契約破棄だとさ、性質すらも悪い。値上げしてもよいから原発止めてほしいと言ったが、それに答える言葉も用意できていない。ほんと腐りきっていて駄目なんだよなあ。選択肢に、他人の命が犠牲になろうが利益優先で原発を止めるがないのが原発運営、原発行政。国が絡んでいるとこうまでも無茶苦茶になるのかの典型。トップだけでなく末端の対応するものまでもが、放射能漏れなんてしったことじゃないという感覚。利益や保身が一番では、原発は今後も事後が続き爆発し開き直るの繰り返し。

国の組織なんて、生地の話じゃないけどズルズルな組織。それが国民に対しては、すべて完璧な組織であることを要求する。国のズルズルなしわ寄せも吸収させながらだから、いくら完璧に穴のもれていないバケツだとしても、一生懸命に水が漏れないように頑張っているのに、穴を開けられて穴を開ける人に水をもらすな指導を受けるようなマッチポンプ。穴を開けるスピードのほうが速く、経営努力というような水漏れの修復作業にも似たわずかな努力の積み重ねでは、日本経済という全体が成り立たなくなっている。
2016年09月04日
今日が夏のインターンの最終日。機も立って、糸も繋ぎ終わった状態で、糸を送る作業でまたもや、苦戦。縦糸が100本以上切れてしまっているのを直す作業。前と後ろに分かれて作業してもらう。そのスピードは相当なものだと思うけども、それでも延々と何時間も作業。腰も痛くなられたことだろう。でも、まだ布を織る作業にはたどり着かない。筬通しなども必要である。並行して、チーズワインダーでは、次の整経の糸を割る作業。

夜には、織る準備がやっとできて織り始め。想定していたよりも組織が甘く、組織の変更が必要であり、カードを作り直すことに。明日からは学校、今日の夜中の夜行バスで東京に戻られる。Sさんも作業は楽しいと頑張ってくれるけども眠さも極限だろう。寝る時間を惜しんで仕事しても、一本一本の糸を扱う麻織物の作業が進むというものでもない。最後まで布が出来上がらない状態でのインターン終了で、そういうのも現実の仕事でもいくら無理をしても納期に間に合わないこともあるのと似ている。

すごく能力も高くがんばり屋なSさんで、2週間週末もなしに朝から晩まで自分なりの力も出し切ってくれたけど物事が予定通りにできないこともあるのも分かってもらえ、それが現場の現実なんだということも体験してもらえたと思う。最後も夜行バスの出発ぎりぎりにバス乗り場に到着で、やることだらけが残っていて目の前のことに追われるというような状態も見てもらえたのではないだろうか。

Sさんも新しいことでも何でも自分がやりますというタイプの方でそれゆえに、仕事が理解でき仕事が見えてあれもこれもやらないとならない作業が頭一杯手一杯になってしまうのも分かってもらえたと思う。ほかの人がいてもその人たちができないと逃げる部分を自分がそれを抱えて解決して行くという経営者的な視点も、今は専門学校の学生であられながらも来る前から持っておられるというのは驚きであった。今の若い人たちが意欲さえもっていれば、数日で経験者を越えるような力に達してしまわれるあたりが恐れるところで、日本の地場産業というものが衰退して行く背景には、海外ではそういうなんでもやりますみたいな力があふれているのに先進国とされる日本の繊維ではそういう力がなくなって仕事の本質も見失い、軽く考えがちな新興国にも追い抜かれてしまうのだろうと思うのだ。学校教育を受けていない子供たちのほうが日本の大人よりも仕事を覚えて実際にする力では強いことも多いのが日本の抱える課題ではないのかと思える部分がある。

小さな企業が大手企業のものづくりシステムを理想とするようなことしてては大きいところにも負けて行くのも当たり前で、小さな企業のものづくりの魅力を発信して行かなくては駄目だろう。規模の小ささを利用してカラパゴス的な世界を作り上げるしかないんだろうなあと思えるのだ。今回のインターンのSさんでも、二十歳半ばながら、一見、中学生か高校生のバスケ少女が、どこでも生きていけそうな力もっていて、私も含めるおっさん連中以上に仕事に対しての意欲があり、地力もあるというのも怖い話なのであり、それが今後の日本の繊維産業の希望であり魅力の一つだったりするんじゃあないだろうか。私のお客様や知り合いの方でも、ほんと繊維にあこがれもって貫いておられる女性の方が多く、気持ちからして本物だから強いのだ。自分じゃなくても、自分は消耗品でもよいから、そういうやる気のあるだけでなく実際にやる強い人が生き残って日本の繊維業界や世界の繊維業界を盛り上げてほしいと願うのである。
2016年09月03日
シャトル用の12枚の機が完成して、それを織機に載せて、整経したインディゴ染の紺色の糸を繋いで、縦糸を送って、筬を通し直す作業。4枚の機から12枚の機に変更するのが予想以上に梃子摺ってしまって、それを待つ状態で2日間が過ぎてしまった。その間というのは倉庫での作業やワンピースつくり。

自分の企画した布ができるまでに、工場の中で人が作業をし続けていても何も生まれていないように思える時間が非常に長いのも経験をしてもらいたい。2日、3日何も進んでいないようでも人が働いていて少しは進んでいるのである。それがこだわりを生むためのものづくりだったりするものである。また、人が働くにしても現場の人の力というものもいろいろと異なるということも実感をしてもらいたいし、それが結果としてものづくりの強さ弱さにつながってくるものである。

自分が作りたいと思う布を得ようとするときに、外を探すのか、自分で生み出すのかでは大きな違いだろうとは思う。あるものを探すよりも自分でつくるほうが何倍も労力が掛り基本成り立つものではない。でも、それをやるところに意味を感じることでものづくりが成り立つみたいな部分を、繊維の業界に携わっていかれる方には知っておいてもらわないと根本の部分でミスマッチばかりだろう。出来上がった布を探すのと一から布を作るのとは、同じ布を手に入れるにしてもまったく別の話なのであって、プロとして洋服を作るために布を探される方ならその意味の違いを理解しておいてもらえたらと思う。
2016年09月02日
今日は、午前中に、インターンのSさんが彦根のコミューンさんでシャツを仕立ててもらいたいということでコミューンさんに伺う。作るシャツのイメージは順当に決まり、コミューンさんのボタンに関するお話などを聞かせてもらう。琵琶湖で取れた貝の貝殻からつくるボタンに拘られているお話や、陶芸の森でされる展示会のことや東京で参加される展示会のことなどもお聞きする。

ものを作るだけでなく、魅せて行くという部分も計画して進まれていて理想的に思えるが、大変だなあと思える部分も多いが、大変なことやっているからほかにできない強みとなるのだろうと思える。彦根のテナントの中でも、シャツの仕立屋さんがあるというのは地域にとっても素敵なことではないのかと思える。お店の中から外を通られる観光の方々を眺めることができるのだが、コミューンさんの店舗に興味を持たれてお店を眺めておられるのが分かる。買うシャツじゃなくって作ってもらうシャツという世界は、ものだけじゃなくて作り手とのコミュニケーション的な要素が多いんだろうなあと思える。

今日の夏のインターンは、機を4枚から12枚に変更する作業待ちで、出荷や倉庫作業などを手伝ってもらう。検反機のメーターが正しくカウントされない状態で、手で測って巻くなど。初めて本格的に検反機を使うのに検反機の使い方も案外上手で、検反場で一人作業数時間もクリア。電話なんかが掛かってきてこれとあれの仕事があるとやらないとならない作業を伝えると、しばらくして私が忘れていてもあれとあれをまだやらないといけませんねと、覚えていてくれてるところとか優秀。今回のインターンでは、来てすぐにトラブルがあってそれを対応する様子を連日見てもらっていたから林与の仕事の本質なども見てもらえたかと思う。
2016年09月01日
今年の春から事務所前の外に置いてある織機に蜂の巣が作られていたが、今朝、事務所の階段を下りようとすると、蜂が攻撃的に迫ってくる。今までは蜂は私が巣の近くを通っても私のことを大家さんと思って攻撃もしてこなかったのに、突然、大家への逆襲が始まったのか。巣を調べてみると、蜂の子たちが孵化したようで、今日が飛び立つ日のようだ。巣もほとんど空のようなので、蜂スプレーを掛けてもう蜂が近寄らないように対処。

昨晩織機から下ろした反物の織りあがりの状態があまりにひどくて、今朝、その織機を動かしている人に問題があるのかないのかを確認。織機に問題があるのではなく、織機を使っている人に問題があって織機を調節すれば直る話なのに、報告もせずに、どうしようもないレベルの話。どうしてかと思うほどかなり無茶苦茶に4箇所の調整の位置がずれているのを15分ほどの調整で直す。織機には何も問題が無い話で織機を使うものがその調整を覚えるかどうかの話でしかない。私が、織物というのは織機ではなく、人であるというのはそういう部分。織機があっても正しく仕事しないとまともに布が織れるとは限らないものである。

夕方には、急ぎの小幅の反物が上がってくる日、問題が無かったようで直接お客さんのところに出荷済みであった。注意点として、何点かのことをお客様に電話で伝達。加工工場さんの協力も得てなんとか納めることができ、このあとお客様の手で商品としてうまく仕上がってほしいと願うところである。

2016年08月30日
今日は、夕方から京都の料亭でミラノウニカに向けての初会合。たまたま地元の組合の皆さんと電車で合流でき林与は遅れることもなくに普通に到着。いつも準備足らずなんでちゃんと行けてよかった。会合では、浜松の鈴木晒さん以外は顔馴染みの皆さん、鈴木晒さんガッツあって海外でのヤバい事件に遭遇など、それが営業にもいきるところあるんだろうなあと思う。企業のトップが前線開拓というのがノーリミットな企業風土作りに役立ち成功されているんだろう。

帰って、出発前に教えてたインターンの整経が正しくできているのかを確認。正しくできていた。一方で、機の準備は現場の別のものが担当、4枚の機を12枚の機に変更する作業を行う。インターンのSさんは、作りたい布が二つあってこの夏のインターンでその二つを織り上げるという覚悟。私も、使い方などは指導するが作業そのものは手伝わないで、糸を整経からはじめて織り上げるところまで自分でやりなさいという流れ。インターンの終了のあとは、その布を東京で自分で服に仕上げるという。糸の状態から服になるまでを自分が考えて卒業制作に使うという。

この夏のインターンが卒業製作のための生地作りに来てもらったのではなく、織物の現場を体験してもらうためで、普段やっている他に流れている通常の作業を手伝うのが基本想定。この人ならすべてマスターして時間もありそうだから、最後に糸から布になるまでできるんじゃないかと思って、インターンの最後数日で、最初から最後までを自分でやって布を織り上げるという一人プロジェクトを提案。布の企画も自分でしなさいという部分もあるので、たまたま卒業製作の洋服に使いたい布を作るということになった。本人の希望でそれが二つの布を作ることになった、やる気のあるうれしい話である。
2016年08月28日
今日は、やや遅めの午後からのインターンスタート。今日は整経の筬通しから始まるが、私が確認すると真ん中あたりで一本糸が無い状態で筬を通してしまっていてそこからやり直し。インターンの子にとっては初めての作業なので、ここの糸が一本無いでしょうといってもその意味が分からない、そのあたりが麻の整経をさせたら世界でたぶん三本の指に入るだろう林与との違いであると説明。織物の問題に直面したときに整経の作業が分かっていると原因を見つけることができるケースもあるし、整経作業に慣れているということは織の作業でも優位に働く部分があり、私が、織りに関しても織機の調整が上手なのは整経の経験がとことんあって一瞬で糸の調子が分かるから。

今日は、しかしながら、私のほうが自治会の組長という役があたっていて、午後3時からは工場にいる時間がほとんどないので、今日のインターン作業のメインはワンピース作り。途中、どこまでできたか確認すると同じ型の素材違いで4着を並行して作っているということで、口を出さなくても過激にものづくり。

夜の8時過ぎに隣組会が終わって、工場で整経作業の続きをするために工場に入る。チーズワインダーの一番注意しないといけないと注意したことが守れていれずに、その意味を再度注意。厳守事項を守らずに、20個あるローラーの1つでも傷がつくとこれから何十年作業で苦労することになり、ローラーひとつつぶれることが、自動車どこかにぶつけてお釈迦以上に私にとってのダメージは大きい。チーズワインダーのローラーの交換もやったことがあるが大変な作業なので、部品も手に入りにくい。

2016年08月26日
インターンの9日目。今日は、朝からドビーのフィルムカードの説明。組織とは何ぞやの部分から入っていく。組織自体の理解はそれほど難しくないけども、フィルムカードをつくることは案外、熟練のコツが要る。パンチングは難しくなく、難しいのはフィルムカードの接着で、接着専用の装置もあるようだが、林与ではボンドとホッチキスが活躍している。綺麗にホッチキスで留めるのが難しいのだ。この作業も私の会社できるのは昔から私だけだったりして、毎回神経を使う作業の一つ。インターンの子にできるかなあの仕事でやってもらうとやはり無理。

今日はお昼、1時間ほど小幅織機の調整。これでは織るのが難しいだろうと思う要素がいくつかあって順番に調整を掛けていく。モンキーレンチなどの基本的な道具が足りず、途中で調整を断念。現状の判断からすると織機の部品が一箇所足りていないから調整が難しいと判断している。なぜ足りていないのかは疑問だが、それがないゆえに調整に無理が生じているように思う。たぶん、錆びていて使えないと外されてしまったからだろうか。伸度のある綿糸ならそれは無くてもほかの部分の調整でなんとかなるのかも知れないが、麻だと難しいだろう。林与にある織機とはタイプは違うが構造は似ていて、よりシンプルで大きさも小さいので普段触っている織機と比べると可愛い。

午後4時くらいからつくったカードをセットして、シャトル織機を動かす作業。ちょっと自分で織ってみてということでインターンのSさんが織る。しばらくするとハプニングで、織機に問題があったとの報告。見に行くとアンダーモーションが左右3箇所外れる。あちゃー、今日は寝不足で体力がかなり落ちてしまっていて、これを私が直す役目がまた回ってきたと思いきや。これをはめればいいのですねと自分で直してみるというので、1時間半林与は睡眠休憩を取る間に、直せるなら直してみてと任せてみる。6時に織機を見に行くとアンダーモーションの部品が曲がってしまったようでそれを直してくれていて、最後、力の必要なはめる仕事は無理そうなので私がする。

アンダーモーションが直ったあとも平織りとは違ってフランス綾のような変形組織なので、糸のテンション差が出てたて切れがいろいろと起きる。それを直してもらうこと2時間、何事もなかったかのように織機が問題なく動き始めた。直して織っても糸が切れて直して織っても糸が切れて、根気の必要な面倒な作業だけどもそれを経験してもらって、毎回こんなものだと当たり前にこなしていけるのが織物の仕事。それを今日は時間をゆっくり使って経験してもらった。
2016年08月24日
夏のインターン7日は、ワンピースの型紙の補正を行いワンピースを仕上げ、いい感じに仕上がったって喜んでいたのだが、後身頃の生地がプリント柄なのに横に向いているという大ポカがあって、作った本人は明るいもののどうなったらそうなるのかという疑問。体育会系なんでそういうこともありうるのかと思うが、お花畑系なのではないのかと不安もよぎる。体育会系的なミスであることを祈る。

夕方、出荷と関係してチーズワインダーの使い方を覚えてもらう。チーズワインダーというのはほかの機械と比べると非常に簡単なつくりになるが、使い方が正しくないとパーツが壊れやすく、使う人によって何十年も使える機械が、数回その人が触るだけで駄目になってしまうこともある。注意点を注意して必ず守るように言ってチーズワインダーで糸を巻いてもらう。

チーズワインダーで分割するという工程でも、量がたくさん流れていたときには一日中、チーズワインダーが回り続け、昔なら、どの工場でも専属の仕事として、一生の仕事というケースもありえた。小ロット多品種の今は、余計に小割作業の必要性は増しているはずなのに、専属でやってもらうほどの仕事とはならず、整経ての合間の並行作業に過ぎない。一人二役的にこなせないと手が余る。

彦根の宿泊先にインターンの子を送っていった後、今晩は小幅織物の納期を詰めるために朝まで織る必要がある。昼に織り上がり幅が計算どおりの適切な幅でない問題があってその分も織りなおしが必要な形になり徹夜での対応。ほかにもいくつか織りの問題が見えてきて加工出しが24時間織機を動かしても一日遅れてしまいそうな流れに。夏の夜は長いが夜ながらも工場の中は昼間のように暖かく体力の消耗は少な目か。
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