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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2017年02月21日
今日は2週間のインターンの最終日、宮崎から来てくれたYさん、ありがとう。滋賀にきてくれて、学ぶというより一緒に作業をして手伝ってくれて、主に捺染関係のことを手伝ってくれた。今の学生さんは、社会人よりも仕事に対しての意欲があって当たり前に仕事を受け入れてくれる。

私も50歳で、40歳、50歳となってくると田舎では仕事が面倒そうな人が多いのに、今の学生というのは真面目だなあと思え、教えたことを前向きに動いてやってくれる。聞いていると、自分から進んで留学や海外経験をし、他にもアルバイト経験が豊富で厳しい中で鍛えられているそうで、私はそういう環境で仕事して仕事に対する正しい姿勢を見に付けておられるということは、恵まれていることじゃないかと思うのだ。たぶん、20代のころの学生の私より、Yさんのほうが何倍も大人だと思え、これから就職活動され仕事を見つけられるだろうけど、力があるんだから早いうちに自分が思いっきり力を発揮してほしいなあと期待。

日本の国の行政なんかみてても、自分たちが悪いことを捻じ曲げて適正というケースが多く、そういうなかに若い者が入ってしまうとすぐに人間が腐ってしまうんだろうなあと。若い人には、日本の外にでてそういう腐った部分を駄目といえるような強い力に育ってほしいと思うのだ。

2017年02月18日
この春休みに林与の春のインターンの募集を行います。期間は、3月21日ころからの2週間で現場での実際の作業を通じて織物に関する作業を体験できます。現場作業で決してファンシーな内容ではありませんが、経験されたい学生の方でおられましたら履歴書をメールに添付して応募ください。毎回1名限りの募集です。

今日は、午前中から型紙をカットする作業で芋虫ドットと呼ばれる模様の製作。水玉が白で浮かぶような模様で、単純な柄だが型紙としては難度は高い。それを淡々と前に進めるのがインターンの女の子。一緒に食事をする以外の時間は作業を続けてくれる。版を大きくすれば一回で刷ることが出来るのだが、版を彫る作業が時間が掛かるのと版の洗い作業や扱い、置く場所などに困ることになるので、2回くらいに分けて刷るのが良いのではないだろうかと思えてきた。他に、赤地に白の水玉模様も草花もより綺麗に捺染するためには版を大きく、再度彫りなおす必要がある。年度末までに10柄を目標に完成度も上げて行く。

夕飯に、贅沢なものではないけども、近くのスーパーで特売のブリのアラが閉店前にたっぷりなのに安く売っていて、それで味噌汁をなべにたっぷり作ったらおいしくていい感じ。寒いときに、そういう煮込んだ暖かいものがおいしくて元気になる。そういう一番自分が食べたいものが他の人からするとアラだったりして大量に売れ残って見向きもされない。こういうのが本当のおっさんらしい贅沢に思える。おっさんとして合格だろう。



2017年02月13日
今日は、夕方6時ぎりぎりの駆け込みで洋型紙を買いに行った。正しい巻きのもののほか、1mの端切れ的な洋型紙が少し安かったのでいくつも買った。たぶんこれだけ買えば、何種類ものストールの版をつくれるだろうと思うが、あまり大きくしすぎると3色の版だと1色1mだと、一柄で3mとか使うことになってしまう。やはりリピートをつけて捺染することを想定したほうがよいように思える。というのも、汚れた版を洗うのも難しいから、新聞紙よりも版が大きいと新聞紙で拭くのも難しいだろう。

私のやろうとしている広幅絣プロジェクトは、他ではたぶん工業的にはやってないと思う。あるとすれば、ほぐしという技法で、縦糸に捺染するタイプ。近江湖東産地でも座布団などではよく使われた技法がほぐし。伝統工芸品のものづくりと同じような技法を使うのだが、オリジナルな要素もいくつも採用して、極端な話一人ですべての工程をカバーできるようにしてある。伝統工芸品である近江上布というのは何人もの分業が基本だったりするが、それと同じようなことを作家的に私一人がすべてするということも可能にしてある。それが私一人でも数日あれば図案を考え型紙を彫って横糸に捺染して蒸して一着分を織りあげることができるみたいな一人の人間でも没頭すればいろんな色柄を一年を通じて生み出し昔のものづくりを再現できるような形で技法から再考案したのがこの一年。

近江上布の羽巻き捺染なんかも、ヨジヨモン爺さんの時代に、長年かけてというより短期間ですべて生み出したのだと思えるのだ。なぜなら、近江上布は毎日のように新しい柄が生産されていたから、やろうとおもったことを簡単に形にしてしまうのが当時の人の意気込み。仕事に携わる人も自分のために働いたのでなく、食べるものは農業で養って、その収入を家族の将来を支えるために蓄えたような部分がある。戦後のご子息さんたちが当時では珍しい大学まで行かれるケースが多かったのも近江上布があってそれに打ち込んだから。羽巻き捺染のような生産効率のよい技法が生み出されてその余力を色柄の充実に費やしたところが近江上布がワビサビの色使いながらも見る人々を圧巻するような大きな芸術の世界をもてた理由だろう。

なぞとして思っている、なぜ、近江湖東地域で麻織物がさかんだったのか。日本中で麻織物なんて盛んにおられていたというのが事実である。嫁ぐときには機をもって嫁いだというのが日本中の光景であって、近江湖東地域だけが特別というわけでもなかったと考える。琵琶湖があって湿潤だというのが一部、近江の特色を生み出している可能性はあるのだが、それは細番手の麻糸は織りにくくて湿度があるほうが糸が乾燥しにくくて扱いやすいということはあるだろう。でも、一番の理由というのは、人という要素でなかったのかと、現在、産地の麻織物が消え行く流れのなかにあるのを考えると思う。他の地域以上に麻織物の仕事に打ち込んだ人がいたからだというのが麻織物が栄えたという一番の理由に思うのだ。

今は豊かになると仕事の手を緩めるということがほとんどで、それがまた厳しい時代に厳しさに耐えられるのかというと使い物にならなくなっていることがほとんどで、他に代替されてしまい消えてゆかざる終えない。うまく回っていたとしても厳しい感覚で仕事に打ち込んで他とは違うような人生観があったから近江上布が戦後も復興して、産地が産地として残りえたのだろうと思える。広幅織物への移行も産地で林与が一番にレピア織機を入れて、他の企業さんがレピアで麻が織れるということを知り、産地全体のレピア織機への移行が進んで1970年代の麻ブームが起こった。これも、人の要素が強いのであり、近江湖東産地が現代においても日本の麻織物の本場といわれる理由の一つであると思う。繊維だけに限らないが産業にとって大事な綺麗な水という要素にも恵まれていた。琵琶湖もその綺麗な水という要素に恵まれてかつては水の綺麗な湖として存在していた。琵琶湖にしても水が作り出す一つの産物なのである。
2017年02月11日
今日は、祝日なのを忘れてて、捺染の必要な型紙を買いに土曜日は営業しているのを確認して京都の田中直染料店に行くが、閉まっていることで、祝日であることに気がつく。

私が祝日なのに気がつかないにはよくあることなのだが、田中直染料店に行った事がないので一度売り場を見ておいてもらおうと一緒にいったインターンの女の子も祝日であるのに気がつかなかったので、祝日が祝日でないのは私だけでなく、小さな機屋を手伝おうと動いてくれているインターンの子も世間離した感覚で動けるから来てくれたんだろうなあと思える。

まあ、確認不足ということで、帰路について、会社で食事をとる予定で数日分の食材を買い込み、昼食をとってから今日の作業開始。夜は宿泊先の彦根のゲストハウス無我さんまで来るまで送るが、9日からの雪相当なもので、車での運転が危険である。
2017年02月10日
びわこドリーム号という夜行バスで滋賀にもどる。夜光バスの八日市営業所の駐車場は、雪、雪、雪。乗っていった軽バンは、四駆ながらも駐車場からでるのも雪が多くて要注意。

会社に一旦戻って、彦根の無我さんにインターンの女の子を迎えに行く。すると、無我のマスターも出てきてくださり、駐車場の件で動いてくださって、私のために来月から借りるとおっしゃってられた駐車場を前借りしてくださった。1日数百円で駐車できるのは他の駐車場より安く便利。

インターンの女性の方も海外経験のある方なので始めてのゲストハウス体験ながらも問題なく順応してくださって、雪以外は問題のない状況。

今日は芋虫ドットを、インターンの方に気合いをいれて彫り進んでもらうが、夕方確認すると外枠が切れてしまってて、振り出しに戻る。

プロの捺染家がやるのと同じ洋型紙にカシューで紗を貼る作業の前行程の型紙を彫る工程。私も最初試行錯誤で失敗しながら何回かのあと、成功にたどり着いたので、手取り足取りでなく自分で考えながら失敗しながら成功にたどり着いてほしい。今の時間に縛られた仕事の世界だと趣味の素人にもプロが負けてしまうことも多い。

例えば、縫製工場で働いている人が自分の洋服を作るのかというと、何十年働こうが単能工としてしごととしてしているだけで、洋服を作ろうとも思わないとか、織物でも何十年働いていても自分で織物を一から作ってみようと思わないとか。趣味の手織りの人が織物を作り上げることができるのに、プロがそれができないとかが、今のサラリーマンチックな世界だったりする。

失敗するのは大事で、失敗しても自分の責任でやり直し、とことんできるところまでやって食べていけるようになるのが大事。講習会なんかに行くと、ステップバイステップで、全員が正しい答えにたどり着きできたような気分になるが、いざ自分一人でやろうとすると全然身に付いていなかったり。材料があるんだから、基本、自分が時間使っていろんなやり方試してみて一番うまく行く方法が正解だと思う。

なんか、イタリアでその辺の人に道を訪ねると適当な答えが返ってきて、全くたどり着けなかったり、最後は自分自身でというのが、こういう作業に関しても言えることだろう。私もカシューの説明書を読みながらやってもうまく貼れず、自分で、もうちょっとこうしたほうがよいと思う方法がやはり正解だった。教え方が悪いとか、説明書が悪いとか、教えてもらうも説明書も参考程度に、一番正しい方法を見いだすのが仕事では大事。仕事に先生はいないから、と自分が仕事するときにいつも思う。

そうでないと、自分の経験として他の人に教えることもできない。だれがこういったということより自分が経験したことが全て。

2017年02月09日
夜行バスで、池袋到着。虚は有明のビッグサイト近くの会場でrincrossingの商談会。十分早い時間について、珍しく準備万端で、開場。

左側が、西脇の織機も動かしてられる産元の阿江ハンカチーフさん、正面は、藍染織物の児島織物さん。右前が藍染まいかけのエニシングさん。

阿江ハンカチーフさんは、セコリ荘の宮浦さんとか、ハツトキのデザイナー村田さんとかとお知り合いで、弊社の子ともよく知っていただいていた。
2017年02月08日
今日はインターンの方には型紙を彫る仕事。私と3月から林与に新しく席を置く女性デザイナーが織る仕事。ジャガード織機の使い方を練習してもらう。彼女は織機を触るのは3日目くらいだが、ジャガードの縦糸切れの処理をマスターできたので、ジャガード縦糸切れマスターの称号を与えた。

あと、横糸切れをうまく処理できるようになると、ジャガード横糸切れマスターの称号を得ることができ、ジャガードマスターの称号を得る。前向きに物事を進めようとする人が覚えようとすると、現場の職人が意識もせずに当たり前にこなしている仕事というものは、数日で修得できることがほとんどである。

繊維の世界というのは、数日で覚えたことを一生の仕事としてやっていくのが、戦後の人の多かったときの大量生産型モデル。働く人が減り、需要や人口も減った今は、いろんな仕事を覚えて、一人が最初から最後までの仕事をこなせるようになって、自分自身で創意工夫を試行錯誤、失敗を重ねながら、思っている布を生み出すのが理想じゃないのかと思う。

デザイナーが思っている布を頼んでうまく出来上がることはまれで、そういうときに、デザイナー自身が動いて生地を試作できれば、自分の考える新しい生地も出来上がりやすい。昔、同じような発想で、問屋の方にそういうアプローチしたことがあるけども、少し経験されて、やはり問屋は問屋みたいな結論を出された。

企画や依頼されるもアイデアを言われるとおりに作っても、売れそうなものにならないことが多いと、機屋はその方のアイデアを実現するために協力すると体力を消耗することになる。私自身は生地を企画するときは、出来上がるだけでなくそれなりに販売できてやはり成果であり、それが仕事だと思う。一つの生地をつくるためには何度もの試行錯誤が必要で、アイデアが不十分ならそれを改良していく努力をアイデアを出す人がして、何に問題があるのか分からないと、全体としても、毎回の企画が成り立たないような良くありがちなケースに陥る。

殻をやぶって、動かないと駄目なのだが殻を破ることができない人が多く、それは現場だけでなく企画するものや販売とか経営者とか、小さな枠にとらわれて全体が見て動けないとまったく逆の判断に陥ることが多い。ものづくりの問題よりも、構造的な問題とか人の問題とかいわれるような話。同じアイデアでも、柔軟に実現出来る人と固く考えて出来ない人がいるみたいな話である。

若い人というのは経験が少ないので新しいことに取り組める。経験が長い人というのは自分の経験したことのない新しいことをやるのが難しいことが多い。経験が長く新しいことに常に前向きに取り組んでいるところがやはり元気にされていて、それはうらやましいことでありそうありたいと思う。
2017年02月07日
今日は九州から大学生の女の子が2週間インターン。というか応援の気持ちで林与にきてくださる。こちらはやはりすごく寒いので、工場内の作業は寒くてきつすぎるだろうから、事務所でプリントの型紙を作る仕事を担当してもらう。早速、今日から、型紙を彫る作業。

女の子が、田舎の小さな織物工場を手伝おうと応援に来てくれるのは、自分も驚くくらいにありがたい。現役の学生の方というのは経験がないのだが、その分、新しいことを素直に受け入れて作業してくれるので、目の前のやらなければならないことを自分がやるという仕事に向く素養がある。

人数が増えたときにみんなが一つのことをしているのが正解なのかというと、時間の掛かる作業を交代で担当してボトルネックを軽減するというのが正解だと思う。優先順位をしっかりと見極めて、大事な仕事を交代で担当できる力がないと、仕事が増えれば増えるほど出来る人の仕事が増える。

織る仕事というと平行して何台もの織機を動かすことのように思うがそれだけでなく、今一番重要な仕事が多少技術の居る仕事の場合もあるし、新しいことの試行錯誤かもしれない、また、根気の必要の時間のかかる仕事かもしれずそれを急いでやることが大事かもしれない。でも、誰かがそれをやらないといけないときにやれる人がいないと全体の仕事が回らない。すべてが現場の仕事なのであるが現場のものがそれをこなせないと現場が回っていないことになる。

普通はそういうボトルネックになりがちな仕事というのは出来る人が限られてしまう。急いでいない単純な仕事は並行してやる雑用のようなものだったりして一人前の仕事には満たない。仕事の出来る人には仕事があって仕事ができないと仕事がないという、働く人の能力次第で仕事も生まれたり生まれなかったり。

新しいことを吸収する力のある学生の方なので、今後のために通常の忍耐の要る仕事も経験をしてもらいたいが、新しいことをやってもらおうと思っている。
2017年02月03日
今日は、ミラノウニカ初日、お客様は少なめで、ジャパンパビリオンのロケーションがメイン通路から一番はなれた場所にあるからだろうということと、お天気が悪いということで、2日目に期待するような流れで、お客さんが少ない。1年前のミラノフィエラシティと比べると5分の1くらいだろうか。

ブースに来てくださったお客様の目にには、近江上布柄の広幅での再現というものは、応用範囲も広くて期待してくださっているのが伝わってきて、やはり、自分がやっておかないとならないなあと思えるテーマ。JOBのトレンドコーナーに展示してもらって、自分が作ったときよりもかなりよい感じに見えてよかった、安心である。

日本も捺染系が少ないので、日本の中ではそれなりに目だっていた。ただし、モーダインなどのブースから見えるイタリアの素材などをみていると近江上布の絵柄っぽいプリントものが多くある。自分が面白いなあと思う柄とイタリアの方が興味を示す柄では違いがあって参考になる。自分が面白いと思ったものが、これはイタリアではありきたりみたいなことを教えてもらった。今年度の柄は10柄選び終えているので、来年の試作の参考にしたいと思う。

夜は、雨の振る中、コルサコモ10のギャラリーとか、紹介いただいたレストランにいったり、イータリーという食品館を眺めたりする。イタリアというのは、一つのお店がというのではなくて、全体が統一されている中にスポットがあるといえる。一度作ればそれが何百年も続く石の文化を強く感じる。2月の寒さの中で、石の文化というのも、相当寒いものであるが、人々が洋服を着込む事で対応している部分もよく見かける。ヨーロッパも同じだろうとは思えるが、石の文化というものが雪が降らなくても日本以上に冬の寒さを感じさせる。

もう、一つ前回気がつかなかったのだが、今回は、ミラノに来てから、ずっとお天気が悪くて、でも、それが今の時期のミラノというものらしい、朝は9時になっても薄暗く、夜は夕方4時くらいに暗くなりかけ、太陽の当たる時間が日本の半分くらいか?そういう点では日本という国は恵まれている国だなあと思える。レストランなんかも7時とか8時くらいに閉めるところが多くて、日本料理のお店がたくさんあって人気だったりするのだが、通訳の方にお聞きすると、その多くの経営者は日本人ではなくて、中国系が相当多いらしい。ファーストフードっぽいラーメン屋さんを一軒だけ見かけたてお客さんも数人ははいっていたが、なぜかラーメン一杯が20ユーロを超えているとか?

こういうのは、食文化に終わらず日本のイメージを形成するものだろうと思う。日本料理は高級に見えながらも手軽でおいしいようなイメージ。日本人がこれをミラノでやると日本料理店としてしか存在できず、イタリアで日本料理がブームみたいなことにはなっていないだろう。イタリア人が日本のテキスタイル素材に求めるものと共通する要素を感じ、林与が高級な日本素材そのものを日本感覚で高級なまま作って提案しようとするのが、イタリア人の日本素材のイメージと微妙に異なるのも感じたりはする。もちろん、一般論としてで、例外はあって、展示会場でも、一着が50万円のオートクチュールなものづくりのブランドの方とも出会え、近江上布の広幅絣のターゲットにはなるだろう。日本のブランドさんというか市場では、一着50万円の洋服を提案して成り立っているブランドさんというのはほとんど聞かないが、イタリアにはまだノンリミットなものづくりが通用する部分がいくらか残っている気もする。
2017年01月31日
今日はミラノウニカ準備日、正午過ぎに会場入りする。会場ではJFWの皆さんのほか、今回から出展される地元の企業を含む麻紡の皆さんや、富士吉田のみなさんなどとご挨拶。JOB3のブースで出展される福田織物さんも見えられ、大体のハンガー展示のイメージをくみ上げ片付けて明日に備える。

ホテルにチェックインして、夜は小雨の降る中、ミラノ市内に出る。ミラノのイタリア通り周辺のお店を散策。日本料理店が結構多いのに驚く、日本ブームなのである。イタリアに来てやはりイタリア料理を食べておこうと、ピザのお店に入るが、ピザを今の時間は焼いていないということで、パスタディナー。イタリア料理はパン。やはり、散策した後に食べたパンは、運動誘発性アナキフィラシーを引き起こす。

食事後、歩いて地下鉄の駅に戻る途中、これ以上動くと危ういほどになったので、ゆっくりと休憩しながらホテルに戻る。やはり、レストランでの食事でパンや小麦系は控えたほうが良いようである。
2017年01月30日
今日は、ミラノウニカ出発、セントレアでの午後からの出発。いろんなものがやはり今回も準備できずに出発することに、出発間際ほど、やらなければならない案件が増えてしまって、いろんな案件が前に進まなくなる。今年はミラノウニカには2名での出発でまだ落ち着いているほうではある。昨年は、ミラノウニカ出発のぎりぎりまで、留守にする間の仕事の準備に追われていて数日寝ないような状態で、ぎりぎりのぎりぎりまで私が留守にする間の仕事が回るように仕事の準備して乗る予定の電車も2本遅らせて、京都で関空行きのハルカにも乗り遅れたと思ったけど、まさかの大逆転で新大阪ではるかに追いついたから助かったというのもあった。
2017年01月26日
なぜか、今日は暖かく思える、気温は氷点下ながらも天気が良いからだろう。今、絣のベースとなる捺染しながら、織機の立ち上げ。縦糸が切れたまま放ってあるのを3日がかりで修復から始める。仕事というのは途中までやったは、マイナスで、ちゃんと最後まで出来ないとすべてが無駄に終わる。できあがるというのが最後かというと、売れるところまでたどり着かないと仕事してもマイナスなのだが、そういう問題にすべての人が気がついているのかというとそうではない。

ものづくりというのは正しく仕事してもちゃんと売れなければマイナスというのは厳しい話。それ以前の話として正しく仕事できていなければ売るのも難しい。それも分からない人だと作業するのは難しいだろう。自分がつくったものが売れるようなものでなければ仕事として成り立たせるのは難しいという普通のあたりだが、そういう感覚を持てる人は少ない。

産地で、麻織物が盛んだった理由は、琵琶湖の湿気だといわれるけど、私は一番の理由は違うと思う。昔から基本、琵琶湖側は太いもので、細くて切れやすい麻織物は山のほうが盛んだったから。琵琶湖に注ぎ込んでいた河川の水や地下水が綺麗なことは理由としてあげられるだろう。山側は冬場雪深く、隣村にもいけないような雪国。冬場の仕事として織物に精を出した。雪包まれているのが麻を織るのには良いのである。これは新潟などと同じ。昔は、それ以上に、人の要素があったろうと思う。今は恵まれた地域で、織物が盛んでなくなった理由が裕福になったこと。豊かになると働かなくなる流れになるという世界共通の要素。織物でももちろん計算もするし頭も使うがそれはものに組み込まれた世界。サービス業だとものづくりでは無料な部分がその質素倹約という、手が空いたら何か仕事を探すみたいなのが他の地域以上に当たり前だったのだろうと思う。昔のおじいさん、おばあさんたちは、時間があれば何か仕事していたようなイメージがある。わたしも時間が出来たらできていない仕事や自分がやりたい案件をしたいと常々思っている。
2017年01月22日
今日は朝早くに起きて作業開始、製造業というのは製造だけでなく販売も伴うので、よくいわれるのが、作るのに集中して販売はまかせてよといわれることだけど。作るのに集中できるほど注文を出せる業者さんがおられるのかというと、新しいものを、小ロット多品種、見本からということで、小さな仕事が2回に分かれるが注文されたい内容であることが多い。

計画的に生産してそれを販売してゆく形を独自にもっていないと、林与のような小さな会社でも回っては行きにくい。ブランドのオリジナルの新しい生地をつくるというのは消耗品的な企画だと成り立たないことがほとんど。小ロット生産では無駄も多い。たとえば、足りないとかだともう一度生産。多くても駄目。自社企画で作りこんでいくほうが在庫もできるし、販路は広がるしコントロールもしやすい。

目の前に生地があっても買わないお客さんというのは、新しい企画でつくってほしいといわれても買われないタイプがほとんど。よく聞かれるのがオリジナルでつくれますかという話。作れないことはないのだけども、試作からしてちゃんと買ってくださいますかという話になると分からないとか。歯車が合わない。作らせて買わないとかが、大手生地商でも多かったりして、そんなことがあると、在庫のものを買うなら販売しますが新たにつくっての話はお断りになる。信用枠の設定という面で、相手がお客さんでも相手に与信するかしないか。

大手商社系はブランドさんに振り回されて、相手の都合を鵜呑みでしわ寄せを自分が被らずに機屋にかぶせてくることがある。対等な関係なんだから、相手にしないほうがよいのである。最短を求められて、それで最短を答えると最悪な目にあうのも商社系、最短というのは何かあれば伸びてしまうのが当たり前で、それは十分に覚悟してほしいと思える。

以前、できないから助けてほしいといわれて協力したが、その方が二股三股掛けておられて、人間としてアウトな世界。それで、ほかでもやっておたくのが一番良いから使うんですみたいな話で、勘違いも多すぎて。協力いただいた撚糸工場さんが、同じ仕事が別から打診があってと誠意のある対応で笑える話。かわいそうなおばちゃんをおっさん連中が善意で利益も考えずに試作費用もすべて持ち出して一生懸命に支えようとしてあげているけど、それが当たり前に思われて、納期ぎりぎりで善意で他の仕事そっちのけで動いてくださった撚糸工場さんの手違いもあって、迷惑かけることになって謝ってもいるのに、最初からできないならできないといってほしいとか、言われて、最初から従来やっておられるところでもやめられる話をかわいそうに思って善意で助けるなんて商売だったら出来ないよ普通はの話。頼まれた百貨店の部長さんが話も聞いていると、私のことを気の毒に思ってくださっていたのが救いではある。新しいことなんて一生懸命、持ち出しでやってあげても成り立つことないのが普通だったりするのは、実際に責任被って動いているから分かる話で。

困っているといわれて、1ヶ月ほどで試作も済ませ、そのときも、通常の時期で、2ヶ月納期掛かるからといっているのに、二股三股かけられて、時間食いつぶして、年末年始挟んだ1ヶ月納期ぎりぎりに何とかのお願いで、撚糸工場さんに年末年始挟んで1ヶ月納期ですごく迷惑かけて頼み込んで受けてもらった話。約束の納期を守るために直送したら、あなたは確認もしていないで送ったとか批判されて、確認する時間すらもないのも当たり前で直送したのに、その意味すらわからないと駄目。助けようとしている人を撚糸工場さん含め酷評される温度差がありすぎて、私自身1円ももらわないで、百貨店の部長が、エコなことやっておられて、できなくなって助けてあげてほしいといわれて、善意だけで、糸代金や撚糸工場に4点の試作費用も自腹で払って、それでいてその方がそのあと、三股かけてはアウト。業本位でやってられる方というのは無情だなあと、エコを謳いにされてブランド展開されているけど、考え方からして隠れて二股三股進行で当たり前というのも、あなたのが一番良かったから使ってあげるみたいなのもエコじゃない話。そのかたも、別のグループの関係で私が関係しているグループに接点もたれているけども、価値観からしてご推薦すらもできないのである。困っておられる方を救おうとすべての費用を被ってまで動いた私の価値観が間違っているなら、それはそれでその困った方のいわれることが正しいで、最初から一切協力もしない話。試作だから今回試してみるだけなので少量とか受けて。

たぶん、関西の実際に費用と責任も被って繊維業界を善意で業としてとか損得も度外視で育んで守り立てようと動いているグループに関係され始めると分かられこともあるんじゃないかと思える。自分の会社のことじゃなくって、みんな持ち出し覚悟で日本の繊維業界をもりあげようとやっているのが実情で、自分だけの損得考えての話すらもがアウト。仕事にしても業界を支えていくという自分が損覚悟で動かなければならないことも多い。自分が企画したいならすべての責任を自分が被る覚悟も必要で、私も、自分が企画したことは、最後、染色工場を正月三が日15万払って借りてまで解決している。その染色工場も水代ほしいといわれて、使った水代って千円にも満たないだろ、3日で設備と染料2万円程度の費用も含んで、正月三が日だったら使わないので大丈夫問うことで、使わせてもらったが、水道代がとか、大手証券会社に勤めていた子供が今、コンタクトレンズが原因で治療費が掛かって困るとか、私にそれを助けてほしいも困る話。お前いい加減にしろというレベル。

どこまでもつけ上がると覚悟決め手掛かる費用以上に払っているまともに動いているものを食いつぶす世界。繊維業界がエコを謳いにされていても、自己犠牲も覚悟しない、損得だけの偽善レベルでエコを謳いに利用で成り下がってしまっては、消費者のエコを支えようとする気持ちすらも裏切ることになるので書かせていただいた。現実的な問題だが、ブランド名すらも伏せさせていただいている。助けてほしいと頼まれた百貨店の部長がいきさつは聞いていると申し訳なさそうに考えてくださっていて、本当に男はつらいよの世界。出来ないなら、最初から相手にしてほしくなかったといわれて、自分が損得度外視でかわいそうな人を助けようとすべて被ったことすらが間違い。プロがそれじゃ駄目ですよとかいわれて、その方の考え照られるのが業本位の人情すらもない世界なのかと気がついた。

私自身は、こんな無理しながらも、全国の善意のシャトル織機の移設の件でも成り立たせていただいたので、私が全国のみなさんから善意をいただいた部分は他の方にも私の出来る限りの助けはしたい。業としては異常かもしれないけど、それなりに覚悟のある困った人がいれば自腹も切る覚悟で、私を助けていただいた善意の皆様と同様に、できるかぎりは助けたい気持ちはあったりいたします。自分自身が覚悟がない困った人もおられたりしますが、そういう方は、自分で解決していただくのが良いのかとも思います。やる気がなければやらないほうが良いというのも正しいかと思います。
2017年01月21日
今日は寒い、昨日、事故の際に免許証を財布から出して、そのあと車のどこかにおいて、財布の中のものを全部出して調べた。今日は、エアチケットを予約しようとして、法人クレジットカードがない。クレジットカードを使わないと航空券が取れないし、また、補助金の関係で会社名義の支払いが必要。法人クレジットカードを使う必要。交通事故の際にか、レッカー移動のあとディーラーで車の中のものを出したときにどこかにやってしまったか?とりあえず、クレジットカード会社に紛失の連絡。

昨日をとめることができるけども、再発行するのには、1週間から10日掛かるとのこと、イタリア行くのに間に合わない。ホテルなんかもそのカードの番号で予約してあって、現地払い。カードが無効化されると、予約自体が解消されてしまう可能性も高く、不透明なことが多すぎて、月曜日まで探してみるということに、するとそのあとすぐに見つかって、ほっとする。結局2時間くらいロスしたか。

航空券を取るのにも、補助金が絡んでいるので、いろんなシュミレーションをしてプリントアウトなどもして記録をとっておく。いまだと、2月15日締めで、3月10日払いで、年度内の処理が可能で今年度の補助金のルールを守ることが出来る。この作業も2時間くらいかかったか。寒い中であわてて仕事していて、工場の作業に戻るが体が冷えて寒くて、今日は早めに休んだ。
2017年01月20日
今日は補助金の提出締め切り、午前中から最後の資料のまとめをして、謄本を取ったり、午後3時が締め切り。すこし余裕を持って1時半に出発。途中、信号のない交差点で、四車線の白い実線が交差点内も高速道路のようにすべてのレーンに通った優先道路で、一方通行の路地からトラックが渋滞で止まっていて死角にもなっているのにその四車線を右方向から突き抜けようとしてきた車にぶつけられた。締め切りの15分くらい前だったので、先に警察にその旨も連絡してコラボに提出。現場に戻って警察も来てくれていて事務的に処理は済む。日暮れも近く、右側のライトが破損しているので保険会社を通じてレッカーを呼ぶ。修理には時間が掛かりそうである。

四車線の優先道路を走っていて徐行義務もないのに、次の交差点の信号が赤というのともうひとつの要因で注意もしブレーキも踏んで、相手の車が見える前から速度を徐行並みに落としていたことが幸いしている。それが青だったら、速度を緩めていることもない、事故はもっとひどかっただろう。相手が怪我するようなことだと、補助金の提出もできない話になっていたと思う。

仕事でも物損事故というのはよく起こる。作っているものの失敗とかも結局は作業者の不注意が原因となることが多く、被害に関しては交通事故のようなもの。また、織機というものは、使っているものが危険であるという要素をしっかりと認識していないと、その認識していない人が怪我をする。私でもシャトル織機を使うときには、万が一を考えてつねに周りに居る人をシャトル織機の横側から完全に退避してもらって動かす。自分が上手だと過信して自慢げに動かすなどはなく、そういうタイプが一番危ない。工場見学でこられる方にシャトル織機が動く様子を見せようとすると、シャトル織機というのは一台一台に癖があるので、シャトルが飛ぶスピードも異なる。麻糸は切れやすく、切れた糸が織り前の開口を妨げると、そこからシャトル織機が飛び出す可能性がある。

以前、養護学校の学生さんが動力でシャトル織機で織物を織るという計画を聞いて、リネン日記に危ないと否定的に書いたのも、やっておられる方のやられようとすることを邪魔するつもりはまったくなかった。実際危ないからアドバイスなのである。シャトルが飛び出すのみても、何が起こったのかわからないほど。飛び出すシャトルから逃げる方法はない。シャトルが体に当たったで済めばよいが、先がとがっているのでかなづちのとがったほうで思いっきり叩くよりダメージあるだろう。私がシャトルの使い方を教えるときにも、必ず、シャトルがしっかりとボックスに入っているか確認が出来る人でないと、シャトルの初速が付かないので、反対側で半たたきになり、飛び出す可能性が高い。織機が悪くなくても使う人次第で危険が増す。

ちゃんと確認が出来ない人は危険すぎて織りの仕事は辞めてもらうほうがよいというほどの判断しているので、養護学校の人だからという話でもない。なかには、養護学校の人でも使える人も当然いると思うが、一般の人でも正しく確認作業できる人というのは何人かに一人なのである。養護学校の人でも、何人かに一人だと思う。シャトル織機をみんな正しく使えるということは、全員が常に正しく確認毎回できるかというと、人というのは慣れれば慣れたで、大丈夫大丈夫の人も多く、なかなか難しい話なのである。私は使い方を教えるときに、シャトルがしっかりはいっているか、くどいほどに確認しろというが、それを馬鹿にする人もいたりして、そういう人が一人でもいると危なさが他の人にも広がるので、辞めてもらうのが正解と考えている。

シャトルが飛び出すのには麻織物特有の問題もある。縦糸が強く張りすぎるとシャトルが飛び出すとか、綿だと伸張性があるので強く張っても大丈夫だけど、伸張性の少ない麻糸は、織り前が後退して織り辛くなり、シャトルが飛び出す原因になる。そこまで行くと、だれも何が原因かわからない世界だと思う。一見、どこにも問題ないけど、縦糸の張りが強いという微妙な感覚に気がつかなければ、他をさわって直そうとすると織機自体のバランスが崩れる。そのあたりはもはや理論とか経験じゃなくて、ものごとを正しいかどうか正しくみえるものでもいつもと違う何かを探すために確認する感覚があるかないか。
2017年01月18日
原発事故で、甲状腺がんを発症した東電の社員に、2年半たって労災が認定された。本当に国って、身内が絡んでいると労災も不透明な理由で認定したがらない、むちゃくちゃだよなあ。人の命とか考えていない連中が労災をつかさどっている状態では労働者も守れまい。所長も事故後すぐに癌で亡くなったけど、原発事故とは無関係とされた。体内被曝は1000倍といわれる。5年経たないと因果関係がないとか、素人すぎて。所長の場合は、労働者じゃなく役員だから、原発推進の当事者でもあるから自業自得で切り捨てるべき存在なのだろうが、あれが原発の死に様であるのは国民が見たけど、国とかは否定。薬害エイズから体質は変わっていない。因果関係がないと切り捨て、ギャップがある。

国の責任は重大で、メルトダウンを隠して放射能漏れを隠匿した。国が、現場で作業していたものたちの命を考えていないどころか、住人の命すらもないがしろに考えている。処罰されるべきだろうと思うが、チェルノブイリでも放射能漏れを隠匿しなかったのに、日本は保身のためにそれをやって、まだ、因果関係すらも認めない。今回も、労災を申請してから2年半、厚生労働省や労働基準監督局の対応を考えるとその社員が死ぬのをまっていたのだろうか。悪質すぎる。

年金と同じで、労災の保険料が正しく運用されているかどうかすらも不透明なのであって、いざというときに払わないような労災では、労働者の命や健康が報われもしない。結論ありきのお抱え専門家の判断というのは、素人判断未満なのだが、それで切り捨て。原発とがんの因果関係、所長を含めると2例目だぞ。癌の発生率が、すごい確立なんだけど。短期間の甲状腺がんの発症の因果関係を一生懸命に否定しているが、そろそろ、体内被曝という常識を持つべきだろう。水俣病や薬害エイズと同じレベルの厚生労働省の対応、本来、国の大臣クラスに厳しい指導が入るべき問題である。

原発事故で典型的な甲状腺癌になっても因果関係を一生懸命に否定して出し渋る労災保険って、運用している連中がひどすぎる存在。国が放射能漏れを隠匿したことは、殺人行為に匹敵するだろう。国のメルトダウン隠匿による被害なのに罪悪感すらない、認定してあげたみたいな対応。最悪な厚生労働省、国民の厳しい目が必要だろう。企業に対して労働者の安全をとくものが、労災の保険料まで取っておきながら労災認定をしぶる対応、労働者からすると罪悪感すらもなく詐欺行為を国がやっているようなもの。申請から認定に2年半というのは迅速さに掛け、だれがそんな法律違反やっているんだ。放置して申請者が死ぬのを待っていたとしか思えない。東京電力は労災申請を手伝っているから原発事故との因果関係を認めているのだろうが、国が原因となる犯罪を犯したからといって、それを認めない姿勢駄目だろう。労災をつかさどっているものが、自殺事件で叩かれている大手広告代理店と同じ対応以下では駄目なんだよなあ。
2017年01月17日
時間に追われての捺染、なんかちょっと失敗が多く、捺染というのは正しいものを仕上げるためには、それなりに正しい設備と時間が必要だなあと思う。でも、デザインして型紙捺染で型を彫っても、半日もあれば一柄できあがるという林与のスタイルは、インクジェット並みのスピードで、外部に依頼するスピードの何倍も速いと思う。色が多いと、色出しに時間が掛かるけどもずばりをつくることが目的じゃないからそのあたりはアバウト。

色を出していくときに、色味だけでなく、濃度の問題が重要になってくる。その辺りも、今回は試作向けということでアバウトで、濃いかなあと思うことが多いがGOしている。最終は、絣に織り上げるので、たてが白だと、横糸の色が半分に薄まると考えると濃いくらいの色のほうが仕上がったときに、現物に近くなるだろうという計算。

型紙を彫るのは、デザインカッターでするのだが、これが、子供の頃に年末の大売出しのときに一日中没頭したテキヤのガムの型抜きに似ている。やってて、何時間やってても苦痛じゃなく、はまっている。一番時間が掛かった型は、やはり大判のもの。型紙を彫るのもあとで機械を使うなどすると効率化はできるので、シルクスクリーンの場合には基本アルミ枠につけないとならなく枠のコストや場所が必要だけど、型紙捺染の場合にはそのまま版を保存できるので悪くはないと思える。大きい版の場合にも型紙のほうがメンテが簡単かもしれない。

それ以上に型紙捺染が素敵だなあと思うのは、ゆらぎ、シルクスクリーンのようなシャープな感じじゃなくって味のあるラインに仕上がる。たぶん、シルクスクリーンだと絣には向かないかも知れないなあと思ったりする部分もあるが、その辺りは実際に試して違いを見てみないと分からないところがある。海外からアイロンで固着させるタイプの水性顔料も手に入れて試してみたが、糸への色の乗りの悪さから染料を使った染にしたが蒸しが必要だったりと手間が増えるがトータルとして良い結果が出ている。
2017年01月15日
雪の中に閉じこもって仕事。私自身は近江上布を育んだのは琵琶湖よりも雪深かったことではないのかと思っている。というのも、滋賀県でも、細い緻密な麻織物は山で織られたというのが定説である。琵琶湖の周辺での織物というものは粗い織物が多かったといわれている。琵琶湖の周辺の生活というものは、私の母親の親元は農家であっても、川魚や琵琶湖の魚など水産業が副業であったりした。同じ、滋賀県で、車で30分琵琶湖に向かって走ると水や水辺を中心とした生活がある。

山側というのは木の生活で、そこには、麻という植物も含まれていて、夏は農業、冬は織物という形。林与のある場所も山とはいえない、山と琵琶湖の間の辺り。農業でも、水利からしても山に近いほうが稲作には良いのであった。今の琵琶湖周辺一体は戦前は沼地っぽいところが多くて、戦後の人口の増加に伴い、干拓され農地になった地域である。

戦後においても、夏場農業をして冬場にする仕事がない状況で、村人たちの生活の支えとなったのが織物であった。林与の住む集落の名前も、東円堂ということで、文献によると西暦700年代には、相当裕福な村であったことが書かれている。弥生時代のあとに条里制がしかれて、都のような碁盤の目に区画が整理されていた。たぶん、その頃に1村50戸ができあがって、そういう村が点在しているのが林与のある地域で、なぜ裕福だったのかは、律令制度の影響も少ない寺領だったということがいえよう。

近江で、明治以前に牛食が許されたのも、寺領であって律令制度の影響を受けていないかったからというあたり。その一方で、神仏信仰が全国でも一番くらいに強いといわれる地域であったりもするのもその名残であろう。織田信長の安土城も車で30分くらいだが、織田信長というのは私の住む地域では何も語られることはなく、寺を燃やしたとか悪い話が多い。

近江牛ついでに、鮒寿司という文化がある。子供のころは、家で漬けた鮒寿司というものは臭すぎて風邪をひくと食べさせられた。今では高級品であるけども、あの臭さこそが本物の鮒寿司だと思う。腐ってないというより、腐った匂い満々の鮒寿司。日本最古の寿司も、近江から始まっている。
2017年01月14日
今日は、底冷え、年末からこの2週間ほど正月もなく型紙捺染を四六時中。ほかのことが手がつけられないほどにはまって、一つの柄をつくるのにも、何度もやり直して、この2週間が1年2年の感じ。染を本格的にやるのは数年前に、正月3日間、京都の染工場を借り切って朝から晩まで作業をして以来。あの時は、サンプルを試作してくれた人が音信不通になって自分で本番を染めないと解決しない話。

昔は、林与も横糸に捺染していたので、柄をプリントするプリント工場と同じ側面があった。近江上布というのは、横糸に捺染したものを一本一本柄をあわせながら織り上げるのが近江上布絵絣。産地の機元とよばれる機屋は染の現場も工場内に持っていたのが産地の特色でもあった。近江上布の機元を構成したのは麻組合の湖涼会を形成した六軒の家で、林与もそのうちの一軒であり東円堂という村の産業として近江上布の生産を行っていた。戦後の一時期も村の多くの家が林与の仕事の近江上布を織っていてくれた。

たかだか、50年ほど前の話なのだが、それを知っている人も少なくなり、もう遠い昔のような話である。今、林与が、広幅の絣を織るというのはおじいさんの頃の時代に戻る。会社にも、基本、私一人しかこういう新しいことを出来る人もおらず、先生も居ない。薬剤メーカーの説明を聞いて、自分でいろんな染料や薬剤を試してみて、うまく染める方法を見つけ出すだけのこと。おじいさんの頃にしても同じ感じだったろう。今日は虹の模様を手がけている。ストールとして羽織るだけでも優雅な気持ちになれる。

3日に一つ柄を生み出してゆけるようなものづくりが復活できないだろうか、広い幅で、1年に120柄の復活が可能になる。日本の麻織物の歴史が巻き戻されることになる。そういうものづくりにたどり着ければ、林与のものづくり世界でも一番面白いと思ってもらえる人多いんじゃないだろうか。出来上がるものは商品というよりも作品というか、絵画に近く、身に付けることができる芸術品。
2016年12月31日
年末も、洋型紙を手彫って版の作成。いろいろとやりたいことはあるけども考えながら順番にするしかない。途中、コンピュータで図案を作成しているのをレーザープリンタでプリントアウトしようとしたら、レーザープリンタの赤色が出すぎて問題発生。用紙つまりが用紙を取り除いても起きる原因不明で、レーザープリンタの紙の版走路を分解して確認。なんとか問題はなくなった。こんな作業に2時間、3時間かかるというのは、やはり、織機も同じだが、機能の豊富さよりも期待しているものが正しくできあがる堅牢さが一番大事である。

A3のプリンタも会社にあるが、それのインクを交換してもインクを認識しない問題。大きな版用の画像を作ったりするのには、やはり大判のプリンタがあると便利だと思う。一台、中古で大型プリンタも持ってはいるけども、買ったまま工場の2Fにおいてある。それにインクを放り込めば基本、テキスタイルプリンタになるのだが、今は手作業でものごとを進める。

手の世界をやってみて感じたのは、糸1本の大切さ。普段は残糸に思える糸すらも、それだけを使うのに何時間も時間を費やす。自分自身も含めて贅沢になりすぎているのを感じる。まだ使えるものを処分してしまう。人間なんて贅沢をしなければ、自分の動く範囲で十分に生きてゆけるのだろうと思う。昭和30年代に、林与の近江上布がピークを迎えていたが、それって、わずか60年ほど前の敗戦でものがない時代のものづくり。そんな中で、人の力の詰まった材料を使い、人の力を遣って、戦後の近江上布の復興を成し遂げた。

敗戦で、引き上げてきた親族の面倒をみるために仕事と住むところを用意して向かえる。一人のおじいさんは敗戦時に海外にいて百貨店の店長をしていたそうだがすべてを失って日本に帰ってきた。八王子の親父さんも敗戦時に高校生で、日本に引き上げてきて親戚の世話になり、大阪に丁稚奉公で、ストールの企画会社を立ち上げた。何もない人、何もないところから自分たちで自分たちの生活を成り立たせるために自分の手で生み出してゆく。

それこそが自分自身が他の人を搾取しない自分の力で生きてさらに社会を育む方法。たとえば、公共的な側面から放射能だけでなく、電線を張り巡らせる権利をえているのに電力会社が原子力発電嫌なら他でどうぞみたいなテロリストのごとく、独占の利をえながら一般の生活も考えずに脅迫。勝手に私有地の上空に電線を張り巡らせたのさえも本来は違法行為から始まっているが、人々はそれすらも許容しているのに、自分たちの権利だけ主張するようになっては電力会社というのは一方的な搾取で成り立つのかと思う。寛容に受け入れてられているだけだと感覚がなくなれれば、電力会社も単なる放射能テロリスト。世界中で電気くらい生きてゆく主眼として当たり前な今なのに、一般の利用者をあなたが原子力に反対なら、電気止めますよみたいに脅してどうするのだ。

まずは、電力会社の経営努力が必要でテロや搾取でなりたくなら別のものにまかせるべき、面白いのが原子力に反対するならあなたの電力止めますよみたいな電話窓口の社員かどうかもわからない人が、それがお金をもらうだけの仕事としてノルマをこなしている。自分自身が、放射能漏れで全国民や極端な話全世界に地球緩急協破壊して迷惑をかけているとかすらも考えず、人の命すらも考えずに金儲けに無責任に邁進するのはいかがなものか。政治献金にしても、政治献金の裏側は巨悪、命を犠牲にして、命を犠牲にさせて金儲けありがちだが、途上国で批判されるレベルが日本の政治家や行政、一流とされる上場企業が法律をつくって、無責任に搾取しているような話。

林与別に、電力止められてもいいよ。仕事できなくても、それで、原発テロなくなるなら、人が死なないなら、人の健康が守られるなら。ほんと、自分自身が働いて他の人の面倒もみているというのは、損得の世界じゃないんだよ。びっくりするのが行政の人が自分が生きているだけでお金がもらえるみたいな感覚。世界を救えないよ。日本の国の中に、それを肩代わりして何十倍死にそうになる人が増えるだけ。それが見えないのが日本の極悪な行政の問題だろう、まともな人ほと殺すような法律って何なんだろうね。途上国以下のブラックな日本の行政なんとかしないとと私はそんな無責任な相手がいたら首相であろうが大臣であろうが国会議員であろうがいつでも相手に何が正しいか話はするよ。仕事でも同じ、管理職がモラル的に正しい分かって頭下げているのに、下はその意味も分からず偉そうとか。
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