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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2017年10月09日
今日はミルツルさんのご夫妻がお越しくださった。今年は春から生産が糸が織れないトラブルで大ピンチに陥ってしまってて、ようやく落ち着いてきたのでお会いできるタイミングとなった。春には、お子さまも生まれられて、会社化されご主人も携わっておられる形。

生地や洋服の世界で自立して業を成り立たせて食べてゆくことというのは本当に難しいことだなあと自分自身でも感じているので、ミルツルさんもいろんな大変を乗り越えられ作品作って立っておられるのはすごいなあと思う。アトリエも自分で内装をされたということで、やはりそういうくらいでないとデザインの仕事というのは人任せになりすぎると逆にお客さんで終わってしまう。

今日は、本麻の手揉みの生地でつくったワンピースを着てこられたが、生地でみていたときには青いなあと思っていたが、洋服になると黒が勝った落ち着いた感じで、百貨店にもなかなか売っていないような高級感が出ていて、林与のデザイナーの子も驚いていた。夕方まで、ゆっくりと倉庫の生地などをご覧いただいて、昨日の運動会で全身疲労からも回復し、夜は織機を立ち上げるところから仕事を始める。
2017年10月08日
今日は東円堂の運動会。とくに私の区は高齢化が進みすぎて大人の男の中では私が若手の一人だとされている。昨来年の体育委員が回ってくるという話で、私にとっては2度目、体育委員の仕事自体はそれほどのこともないが、毎週毎週会議したりするのが時間的に厳しい。1回目の時は町の体育委員も兼ねていたので不透明な部分がありややこしかったが、今は字の行事だけになりややこしくない。

隣のおっちゃんがいろいろと昔のことなどをしっておられるので、この前読んだ東円堂史の不明な点など教えてもらった。昭和の中ごろに改修される前のアンコ川というのは今よりも小さな川だったようだ。流れもそれほどなく、水が溜まっていた感じの川だったそう。もうそういうのをしる人もいなくなる。結局は愛知川も改修されて、あんこ川が昔の愛知川の名残として残っていたということだろうか。東円堂の家々が石垣をつくって道路よりも50cm以上はかさ上げして家が立っているのも何百年前にはよく水がついていたのだろう。でも、そういう場所でないと水利というのは難しく、農業が発達しやすい場所ではあったに違いない。

夜、平和堂に買い物に行くと、昔勤めていただいていた親戚の方と出会い、昔の林与の近江本麻上布の製造工程についていくつかの疑問点を尋ねた。いくらか新しいアイデアも浮かんできた。昔の設備などは残っているけども今は人がいないので、最悪は一人でもすべてをこなせるような工程を生み出したいと考えている。発展させないで古来のものを守るも大事だろうし、一方で発展させてゆくことも大事だろうと思う。
2017年10月07日
この仕事に入って感じたのが不自由さだったりするところ。何をやろうとしても偉そうな人がいて自由に動けないところ。すでにやっているものが食べても行けないのにそれに従ってやっていかないといけないとかで、フレームが成り立っている。そういうことをやっていると新しいものをそとの素人の人に作られて越されていってしまうとかでプロとしても厳しいところ。できないにぶつかったときにそれを自分で超えて行くかどうかでその後の仕事の深さも決まってしまう。後で超えられるようになるということはなく、目の前のことを越えないならその目の前の越えないところがその人にとっての壁であり続ける。
2017年10月06日
連日の雨、秋雨という類なのだろうけども、肌寒さも伴う。うれしいことが一つあって、今のプロジェクトで使う蒸し器が完成をした。どうやって蒸すべきかを思案していただけに、出来上がった蒸し器が届くのが楽しみ。織りの技法だけでなく、蒸し器もそれに合わせて、考案したほうがあとの本生産も含めて可能性が見極められる。本格的なものなので今までのものと違って試作も安定して出来るようになると思う。

初年度は、染色の技法からの考案で、すでにあるものを活用して組み立てて道具としたが、今年度は、捺染台と蒸し器を本格化して、捺染幅も織り幅に合わせて自由に後で組み変えられるように工夫してある。林与の中にあるシャトル織機と連携ができるように捺染サイズなども合わせて作った。昭和の型紙などが手元に残っていたりするのでそれをデータとして活用するのがよいと考えている。また、直接それを使うことができないかとも考えているが、渋紙に紗などもカシューで貼ってあるものなので、できれば昭和の型紙はよい状態のまま残しておきたい。

織物の世界で人々に感動を与えるような布を自分の手で生み出せないかと思う。林与の近江上布のアーカイブは、量と質的に、今まで見た中で一番すごいと思ってもらえる方が多いものであるのだけども、その世界を自分の手で作れればと思うだけでなく、過去と同じものを作ってもそれは使うことの難しい幅の狭い生地なので、アパレルの1点もの向けにでも、一つ一つ作り上げて欲しい方に買った貰うようなものにしたいと考えている。作品としての布かもしれないが、自分が作ろうと求めて作る世界で、過去の林与のものづくりの蓄積の上にある点もオリジナリティがあろうかと思う。



2017年10月05日
今日はオス猫の去勢手術のために朝オス猫を動物病院に連れてゆく。メス猫の手術よりもオス猫の手術のほうが簡単なようで、手術後帰ってきたオス猫のほうは、手術を受けた気配もなく、元気そうでなにより。

雨が続いていて、外と中の出入りがうっとうしい。今日は工場では、朝から職人さんに、先日手に入れた中古の材料で、高密度向けの本数の多い機を作り始めてもらう。タペットにしようと思ったが、あまりに本数が多いので、タペットだと4本しかソウコウ枠がないので、かざりが混みすぎて無理と判断。ドビー用に機を8枚で作る。織ってみて織るのが難しそうなら機をバラシテ2台の機にすればよいだろう。



2017年10月04日
中古の織機に限らず、シャトルというのはもう日本で1社しか生産していないという状況で、シャトルを作ろうとすると何十個かをオーダーメイドするような形になる。1個が1万円ほどするので何十万円かの出費を覚悟しないといけないのだ。ある機場でシャトルが少ないので機料屋さんから預かったシャトルが使えるかどうかを試に行く。2種類のうち長さの短いほうが使えそうでよかった。

縦糸を繋いでおられる途中だったので経て繋ぎの早くする方法を覚えてもらう。経てつなぎも基本の技術の一つではあるけども、1時間に400本程度繋げるようになるためには、コツが必要で、それができると機械で繋ぐ半分くらいのスピードにはなるし、この1時間400本というのは、10秒に一本程度で、早く繋ごうと常に思っていれば、ほとんどの人が達成できるスピードではある。でも気持ちがないと難しい。私は無理だけども早い人だと1時間500本以上も繋げる。

スピードに慣れないままの人だと、慣れないままの仕事が続くので仕事が苦痛で仕方ないように思える。1時間400本となると慣れて意識をせずに手が動くスピード。理屈を覚えるのではなく、作業するときに早く仕事するということを常に頭に置きながら多くの仕事をこなしてゆくことで、仕事の生産性は上がり、より高度なことにも挑戦をできる時間の余裕も器用さも生まれる。

午後からは、お客様で能登側駅にお昼過ぎに迎えに行く。
2017年10月03日
今日は、デザイナーの女の子が飼っているメス猫の避妊手術に朝から動物病院に向かう。なぜか、保険も効かないのに費用は2万円まででそれほど高くない。たくさん人も居られて、どうやって運営されているのかが不思議なくらいに治療費が安い。たぶん、先生もスタッフも猫か犬が化けているとか。

飼い主の居ない保護された兄妹の2匹の猫を貰ってきたので、同じように保護される捨て猫が出ないようにも避妊去勢手術は必須。元気にしているのに手術してしまうのはかわいそうな気もするが仕方のないことだろう。野良猫というのも昔ほどもみないけども、人が昔以上に敏感になっているので野良猫を許せないような状況なのだろう。

猫にも猫肝炎や猫エイズのような病気があるようで、人には移らないけども、他の猫から移ったり、他の猫に移ったりするので、予防接種も必要とかで、野良猫も昔のようには、存在ができない状況のようである。猫というのは家の中で飼い、外に出さないようになってしまったのもそのあたりも理由だろうし、昔だと猫が自由にフンを出来たが、飼い猫が勝手に他所の家の敷地や街角にフンをしてしまうようなことも今は許されない。

動物病院でも、暴れる犬はほとんどおらず、人間のように大人しい犬や猫がほとんどで、病院のようななれない他の犬や猫がいる環境でも落ち着いていられるなんて人間以上に理性があるような気もする。
2017年10月01日
今日は図書館に立ち寄るついでがあって、まえまえから読みたいなあと思っていた東円堂の歴史という本を借りて読んでみた。お寺の和尚さんが編集長として書かれており、あまり、住人からは昔の記録などは集まらなかったようで、一番歴史に詳しいのが和尚さんで、読んでみてなるほどなあと思うところも多かった。

織物に関しては、平成2年では、私が織物に携わった頃で、もう、ほとんど手織りされていた方がなくなられて、記憶からも消えてしまっているのだろう、ほとんど書かれていない。新巻のほうで、手織りされていた方の話があって林与の仕事も受けて織っていたということが書いてあった。簡単なものだと、1日に1反を織ったと書いてあるが、それが昔の織りのスピードだろうと思う。

今の時代の何千本もある麻の織物のほうが1時間に1メートルとかなので、手織りよりも技術も必要で手間が掛かっていることも多い。難しいものは手織りでやったほうが簡単なのである。林与が今、取り組んでいる広幅絣織物も半手織りで織る。広幅なので狭幅の何倍も手間だが、ほとんど糸も切れることもなく、何時間も心地よく作業が続けられるのは手織りのメリット。
2017年09月30日
今日はなぜか焦っておられる電話が入ってカウンターが欲しいといわれるが目的が不明瞭で動くべきか動かざるべきに思うところ。結構、カウンターだけ取って他の会社の開発の参考見本に使ったりとどうしようもないタイプも多いから、そのあたりがお客さんが開発費用も掛けない競争相手であることも多く、繊維業界の難しいところ。自分で開発することもせず、パクルのが仕事なのに落ちてしまいすぎている繊維業界。でも、そういうところほど元気に大きな商売をされていたりして強かとしか言いようが無い。

以前も、他の方で、サンプルを渡すときには、こちらが一番心配しているのが2万円あたりまでの上代の洋服を販売されているので生地のお値段大丈夫ですかといっても、他で費用を薄めるから慣らせばこれもあれも大丈夫と20点以上サンプルを貸して欲しいと持っていかれて、結局、値段が無理だからという話で一つも決まらないとか。ネタ切れでネタ探しに、弊社にこられたのだろうがそういうスタイルの会社さんで、何十年も仕事されている方がそんな感じじゃ、若い子達も同じような感覚で機屋を漁ってしまうだろう。何十点も漁ってしまわれるのに、一つのマークも決められず。オリジナルはできませんかというお話で話が変わるとか、つくったらつくったで今度は見本だけで買わないとかも想像がついてしまって。

今は本当にそういうタイプのブランドさんが多く、国内の機屋は便利屋でしかすぎない。でも、わかるのは、百貨店でも店頭の上代が2万円程度のものが数量が流れる限界、そこからは数量がガクンと落ちる。そういう現実もしって仕事をしていないと自分の仕事を過大評価してうぬぼれだけで終わってしまう。問屋さんが昔と違って高い生地を売れない状況も良く分かり、昔と同じ感覚で生地を作り続けていたとしたら、ギャップは大きくなるばかり。昔以上に仕事に身を入れてやっていかないと何十年の経験であろうが昔ながらの仕事のペースで食べて行くのは難しいだろう。

お客さんは小さな仕事を求められ、下請けさんは大きな仕事が欲しい状況。下請け企業さんも小回りが利くと仕事はいろいろと拾えるのだが、下請け企業さんで見本を作るので食べて行けるところはないだろうし、小ロット生産も同じく人を抱えている会社さんでは難しい。人が多くなると小ロット生産が難しくなるというのもパラドックスに思えるけど分業体制の生産システムというのは大量生産型であることから。
2017年09月21日
麻糸には向きがあって、紡績を始めた側が頭で紡績の終わり側がお尻になるように、糸を扱うと一番織りやすい。厳密にはそこまで神経質にならなくてもよいのだが、織り難い織物を織ったり、毛羽や毛玉の問題を少しでも解決しようとすると、糸を扱うときに、向きまで気にすることになる。

一本糊付けで上がってきたいとは正しい方向で出てくるので、その糸を普通に糸を分割すると、糸の向きが逆方向で整経をすることになるので、今回は、一度、分割した糸をもう一度逆に巻き返してから、整経に使う。

ここまで神経質になる必要はほとんどないのだが、小幅の本麻の着尺なので1反のキズを最小限に抑えるためにも、糸の向きに注意を払いながら作業する。
2017年09月15日
今日は午前中お客様、生地商社のものづくり部門の方で、ものづくりを大事にしておられる話。私自身にとってはものづくりというのは自分が自分の体や時間を使ってリスクを背負って動く部分が多いのでという話。目指すところは今までにないような麻生地なのだが、私自身も今ある生地を探すのでなく、自分が新しい生地をつくる側なので、もっと面白いことをしたいというアイデアもいっぱいあるけど、糸を原料からから開発するとなると数百万から一千万を超える話になる。そういうのって大手の企画でも難しい話であるというのが現実。

今回、求めてくださるものは現実味のあるもので今までトライして実績もあるものと似ていて、もうちょっとブラッシュアップすればいけそうな感じでたぶん求めておられるようなものとして提案もできるだろう。ぎりぎりの世界というのを追い求めているので、それがニーズと合うのはよいところ。でも、専用の機から作り、織機を開発用に1台割り当てることになるのでひと仕事ではある。コンスタントに織れる織機をおいておくことが本生産やそれ専用の調整を加えてにもつながる。

林与も少数精鋭でいこうと考えているので数ヶ月先まで仕事ややらないといけないことを抱えながら人手が足りなく、普通の織物でも出来る人は少ないので限界に挑戦するようなところは私の余力があるかないかで決まる。糸は糊付けで10月はじめにあがり、整経に2日、機をつくるのに2日、糸をつなぐだけで3日必要だろう。筬を通すだけで丸々1日。目の前の生産をやりながら合間をみての長丁場のトライアルが始まる。今日はその開発ように特別なアイテムを発注用意した。
2017年09月14日
今日は、夕方から地元の同世代の社長と会う。林与もいろいろとアドバイスもらった方があったので、そういうアドバイスのいくつかを実践したことが、もちろんうまくいかなかったこともあったが経験として経営者としては一番大事なことだろうと思っている。迷っていずに行動みたいなところ。

海外のネットモールに何百万円つかったけど成果がゼロに近かったというのもお聞きした。よくある話だけどもそういうのも1回はやって失敗してみないと憧れだけが続いて現実がみられないとか、現実をしって夢のような話はないと割り切って、自分でできることを増やしてゆくというような形が私のスタイルなので、はちゃめちゃ話も交えながら遅くまで雑談。

その方のお姉さんとは同級生だったので、小学校の時にはその会社に工場見学に行ったこともあった。繊維関係というのは続いていたとしても、30年前の10分の1の規模になっているところがほとんどで存続してゆくのが難しい。働いている人の考えが変わることができれば、新しいことにも対応してゆけるのだろうけど、これしかできませんという程度の仕事なら、海外のほうが若い人たちが数日で覚えて日本の何倍もの生産性で、日本の職人さんとかもサラリーマンチックなリズムではまったく太刀打ちできないとかも多い。

ものづくり企業なんて競争相手は海外であることがほとんど、大手の日本の繊維企業も生産は海外企業でやって実質海外企業であるということもあり、そういう大手のやり方を真似ても難しいだろう。日本でやるならせめて一人の力が、海外の素人を集めたような何百人何千人企業の一人の力の何倍かくらいはないとと思うが、そういう意識からしても現場にないと難しいだろう。

ほかで働くなら簡単でも自分が事業を成り立たせるのは難しいのは、ほかで作るのは簡単でも自分で作るのは難しいと似ている。まあ、自分がやるのだから、事業も作るものもオリジナリティが生まれるのだろうし、あってよいだろうと思う。林与も、デザイナーさんやクリエイターさんに囲まれていてそういう皆さんに提案をしていくことも多いので、そういう人から見ても普通な提案や普通の会社というのは面白くなくって、自分なりに仕事をとことんのとことんやって乗り越えているうちに人間味の違いなんかも評価をしてもらえるようになろうかと思う。
2017年09月12日
いろんな仕事に追われている中、シャトル6号機も立ち上がり厚織りが順調かと思いきや、モーターが回らなくなる問題。モーターを交換して、モーターのVベルトも交換して、インバーターも交換しても駄目で、結局、クラッチレバーの加減を調整することで元に戻った。一つの原因を探すためにいくつもの探りをいれる、体力も使うけど、すべて短時間で試して、最終正しい答えにたどり着く必要がある。

レピアでキズが出て織れなかった60番手をシャトルに乗せ変えして、ほとんどキズもでることなく織れる様になった。結論として、まだややねちっこいので織る前の糸に問題があるように思える。原因は糊の問題だろうと思える。織物というのは織機が動けばよいというのではなく、糸という材料が問題のことも多い。2年ほど前は、筬が横糸を打ち込むときに横糸が打ち切れする問題で数ヶ月を要したことがある。調子のよい織機に掛けていって織れるように調整しようとするとその織機でも織れなく織機がガタガタになる。調子の良い織機が糸のせいでボロボロになる。

同じ規格の織物ばかりを織っているわけでもなく、織機に違う糸を掛けて織れないということがあったりするのが普通で、織機を調整して織れる状態に持っていく、太い糸と細い糸では、織ったときの糸の食い込みが違うので、太い糸の場合には多めに縦糸を送ってあげないと駄目だったりする。だから、同じ織機の状態で同じ織物を織れる様に、織る人の人数は少なくても織機は織物の縦の規格の数だけあるほうが良いと思うのが林与のスタイル。織るのがシビアな織物を織る場合には余計な調整が必要なのでそう思うのと、今は、カウンター見本、展示会、本生産となると半年くらいの間に3回同じ織物をつくるような話になるので、それなら1年中同じ織物を織れる様に放置したほうが生産の多様性を保つことが出来る。
2017年09月11日
リネンキッチンクロスHDの生地を織るために、久しぶりにシャトル6号台を使う。この織機が一番厚く織りやすいのでこの織機でいつも織るのだが、びっくり、10箇所以上も織り出すまでに調整が必要。織ってた人がこの織機の部品をほかの織機に使ってしまって歯抜けになってしまってて、動き出すまでに半日以上調整を掛ける。でも、なんとか動き出して思った以上に調子が良い。よかった。

こういうのが直線的にできなければ、注文を受けても困るだけ。中古の織機というのは、正しく動けば貴重なものなのだが、正しく動いて、正しい生地が織れなければどうしようもなく、そこには織機を正しく動くように修理や調整ができる力が必要。織り手が上手なら織機もどんどんと調子があがって行くが、下手な人が織機を使うと織機自体がボロボロになる。

極端な話、ねじ一つ大事にするかしないか。織機の何千回緩めて閉めようが、ねじ一つも一生ものというのが基本だけど。そういうのが分かっていないと1回でねじを壊してしまう。ねじ一つ閉めるのに加減があるので、そういう加減的な要素こそが人の技術なのだが、技術というと工程や技法だけと思われがち。同じ工程や技法を使おうが、それが長持ちして成り立たないと駄目で、こういう感覚に陥るのは、私が普通の職人ではない、場や仕事をつくる立場からだろう。だから、林与の生地の一番の特徴というのは、自分の工場で織っているという部分だったりする。

それが普通のことに思われがちだけど、それが一番大変なこと。よくサラリーマンちっくな考えで、技術なんてビデオで継承とか提案があるけど、大事なのはそこじゃない。そのビデオをみて技術を得た人に仕事を与えて養っていくとか、そういう人が働く設備を維持してゆくとか、の部分で、そういう提案する人がそれが出来るのかというと、部分しかみえていないだけの提案に過ぎない。そういう提案をされる方にねじ一つ、糸一つ結んでもらうと、それから無理な話だったりするもので、それを正しく上手に何百回何千回繰り返す現実的な部分は、ビデオの逆戻り再生ボタンを何百回間違わずに交互に押す作業と似ている。

織機も、素人でも動かせるように簡単なものに進化して、また、作業も分業化してシンプルにして、誰でも仕事ができるようにみえるけども、そういう世界は存在していて、それは大量生産型の安い世界を追い求めるそのもの。機械の力でできるので人件費の安い場所にもってゆくのが要素。人の力を無力化して莫大な設備で、ボタンを押せば飛び出してくる製品というのは勝ち組かもしれないが、量を売らないと成り立たないので逆に高級ラインは難しいだろう。

結局、面倒なことが嫌というのがチャンスの部分だったりして、険しい山を登る話で、もっと山が高ければよいのにと思える人が残れるのが現実的な仕事のできるタイプの人だろうと思う。自分でものをつくるだけでなく、ものをつくる機械もつくるとか出来るタイプの強い。意欲が大事で、1ヶ月、2ヶ月で何十年の職人さんを上回れるような人が今の時代だと必要。とことんやる覚悟があれば、それほど難しいことではない。
2017年09月10日
糸を巻くおじいさんのところに行ったついでに、多賀大社を久しぶりに訪れる。つなぐ通信で気になっていたカフェ「あさひや」さんにも立ち寄って、料亭のような和の雰囲気の間でコーヒーを飲み1時間ほど休憩した。境内の長寿そばも良いかもしれないけど、「あさひや」さんはカフェで一人1000円もあれば、気軽に立ち寄れるのだが、京都の祇園のお店より雰囲気があった。

境内の祈願のしゃもじを見ていると、小さな文字でぎっしりと具体的なお願い事を複数書いてあるものがあってその人の祈願の本気度が伝わってくる。境内の能舞台では8年ほど前になるだろうか、ファッションショーをさせていただいたことも思い出す。伊勢神宮が陽とすれば、多賀大社は陰、ひっそりとたたずむようなところが素敵である。

多賀大社の前に、駐車場があって、車を止めてもお気持ちをポストにいれてください、という駐車場。観光ビジネスと変わらない営利バリバリの観光地の神社やお寺とは違って、訪れてほしいという多賀大社を支える人々の気持ちも伝わってくる。
2017年09月08日
自分が手がけて育てたものというのは、別の価値を感じるもので、たとえば、自分が布を作るときに、自分の時間と労力を使うのに巷にあふれているようなその他大勢の部類のものをつくろうとは思わない。普通にみえるものでも、一つのスタイルを持っていて、妥協のないものづくりを考える。それは自分がものをつくる環境から作り上げて相当な時間と労力を使うから妥協したくないということがある。自分の中でそのもの自体のできあがり以外にも、それを作った背景があるから自分なりの価値を感じていたりする。

ほかから引っ張ってきたものには、自分が作ったときの苦労などはないから価値は商業的な価値が先に立ってしまうだろう。よく、生地のことに関して、どこの糸を使っていますか、という話になるけども、私にとってはそこは一番のポイントではないことが多い、一番大変なのは自分自身で生地をつくることのできる背景を維持していて、自分が生地を生み出しているところで、それなりに良い糸を使うことはチョイスの一つでしかない。

良い糸の定義にしてもほかの人が良い糸といおうが自分が使ってみて、糸の良し悪しを判断するのが一番大事だと思っていて、使って布になったときの、その味わいがよければ良い糸だなあと思う。リネン糸は同じ銘柄の糸を使っていても、年によってもロットによっても、毎回微妙に違うのが普通でそれを扱うことによって五感で感じる。糸以外の要素に染めという要素も入って織りやすさ織り難さが決まり、それを吸収して織り上げるのが今の麻機屋に必要となる技術だろう。横糸だけならよいけど、麻糸を縦糸に使うときには織りの問題が起こりやすいものである。

最初、まったく動かない状態から、何事もなかったかのように、何千本もの繊細な糸が織れ出すというのは、布という製品がどうというよりも、人間の本能的なものづくりの要素を引き出す崇高な儀式に近い。手織りは大変だといわれるけども手織りよりも何倍も大変だったりするのが、麻糸を縦糸に何千本も操る織り出すまでの毎回の作業で、それを淡々と人の力で解決してゆかないとならない。
2017年09月07日
今日は、朝から雨。梅雨のようなうっとうしさ、工場の中のほうがひんやりとしていて心地よい、めずらしい状況。こんな感じで思い出すのが、今年の2月のミラノの天気。連日、雨が降っていてうっとうしかった。アメリカに居たときには、世界で一番天気がよいといわれていたアーバインという砂漠気候の場所に住んでいて、年に3回くらいしか雨が降らず、連日エアコンの効いたような自然の中で太陽を楽しんだ。蒸し暑さがないので、晴れていても喉が渇く暑さ、屋外でペットボトルにいれた飲料を飲むのが心地よい。

でも思うのは、天候というのは、人の性格なども影響を及ぼすもので、いわゆる南国的な場所の人は楽天的でものごとを深く考えないといわれる。雪に閉ざされるような場所では織物が発達して、我慢強いライフスタイルが普通だったりする。緻密な織物が生まれるのは雪国や島だったりするものだ。近江湖東産地も村社会が生活の基本で、冬ともなれば完全に家の中に閉ざされてしまうような雪国っぽかったことが近江上布のような緻密な織物が発達したと思う。

この前の冬は何十年ぶりかの大雪で、車を動かすこともできずに、雪に閉じ込められたような冬だった。地球温暖化の流れはあると思う。滋賀県がというよりも、北海道が夏に30度を超えるというような状況で、これは40年前には考えられなかったこと。まあ、雪が降ったら降ったで、外に出て雪遊びをするというのが昔の光景だろう。暑くても外で虫取りに夢中になるとか子供ほど激しい環境で育っていたものである。
2017年09月03日
機能から調子よかったシャトル織機の1台の右側のクラッチの軸受けの辺りから異音。この織機は、2年ほど前に最初に動かしたときに、クラッチが切れずに、夜中勝手に動いて、縦糸が全部切れてしまっていた悪魔の台。あまりのダメージにその織機を部品取りにしようかと思ったけども、Vベルトを代えて、数箇所調整を加えて、ほかの台と同様に動くようにまでもってきて、つい先日まで安定的に動いてきた台。それが、クラッチに近いところで異音を出していて、今、掛かっている縦糸が全滅する可能性もあろうかと心配。

今日は、その織機に10回近い調整を掛けたが異音が収まらない。1日中いろいろやったけども、異音が収まらず。織ることができない状態で、異音がなっている状態で軸が回り続けると軸が削れてしまって修復不能になるか、クラッチを拾って勝手に動き出して、縦糸全滅とかが想定。織機を動かしても離れることも出来ず、異音対策。最後、油さしをクラッチのアナに思いっきり突っ込んだら、油さしがかなり奥まで突き抜けてびっくり。すると異音も収まって、今までの安定した状態に戻った。ゴミが使えていてクラッチが切れるのを悪さしていたのか。

10回の調整というのは、1回が30分から1時間掛かり、腕まで油にまみれてドロドロになって、腕から指先までを綺麗に洗って試運転をする。原因箇所が調整したところでなければ元に戻して、腕から指先までを綺麗にまた洗いなおして、試運転の繰り返し。ほかの織機も動かすことができないので、一番苦しい仕事をしているのだけども、仕事がまったく進んでいない状態で、仕事が出来ていないに等しい。

織機なんて、あってもそれがまともに動かないなら仕事をしていてもマイナスそのもの。まともに動いても正しいものがつくれなければマイナスそのもの。それがサービス業とは違うところで、ものづくりというのはそのものをつくる人の作業の正しさがものに現われ、正直だなあと思う。織機というのは正直。人というのは正直じゃないことが多く、いい加減な作業をするもの。本来人が素直で正直な作業ができれば機械を上回れるのだけども、人というのは面倒とか適当にやってしまうので、機械よりも劣ってしまう。

機械化されて人が機械を操ることが仕事になって、余計に仕事内容が行動になったのに、人の代わりに機械が仕事するみたいな感覚だと人の力というのは正しいものも作れないところに落ちてゆく。携帯のようなガジェットにしてにより身近になっているけども、自分がそのガジェットを使うのが目的というのではなく、ガジェットを活用して自分の目的を果たすということが必要だろうと思う。
2017年09月02日
数年前に、プリンターを使ってP下にプリントしたものが出てきてうまく出来ているなあと思った。それをプリントした当時は、出来上がりに満足できずにボツにしたものである。10年前の自分の写った写真を見ると、写真を撮った当時はあんまり良くないと思っていても、今見るといい感じというのもあるのと同じだろう。今、もうそういうものを再現する力がなくなってその力にあこがれてしまうのだろう。

周りにいろんなことが出来る状況だとそれが普通で価値を感じないことが多い。そういう価値観というのに気づいて蓄積してゆくことが大事なのだろうけど、そういうのを価値を見出せずに活用も出来ずに失ってしまって後であのときにやっておけば出来たのにとか思うこともいろいろとある。今よりも、将来が天然繊維の世界が技術的に進化しているのかといえば、劣化している可能性が高い。その一番の要因は、人という要素だろう。

恵まれるほどにどんどんと落ちてゆく。先進国ほど人の力が劣り、途上国の人のほうが働く力を持っていたりするもので、憧れと現実のギャップなども先進国の人のほうが大きく、特に日本が先進国の中では自殺率が高い傾向にあったりして、教育の前に正しい躾などがないとギャップに悩むことになるだろう。先進国の中では日本ほど生まれてくる子供に年金の問題を背負わせるほどばかげた国はなく、行政のメンタリティは落ちた途上国そのものになりつつある。

次の世代に自分たちのツケを回さずに成り立つ社会を目指すべきだろうと思うが、年配の方が多い会合などに行くと、年金にあこがれ、年金で支えてもらう話ばかりで、社会全体のことが考えられるお年寄りがいるのかというと自分のことで精一杯だろう。行政がそういう風に教育してしまったから、行政の人間の問題なのだろうが、次の世代に問題を先送りするような日本の行政感覚、モラルとしてはまったく正しくないが一人歩きして情けない。
2017年08月30日
困ったおっさんというのは近所の先代世代の一人の方。昔織物をされていて残った糸をもっておられ、明日私の家に持っていくから、2万、3万くれたらいいとか、勝手な話。まったく駄目な話で、あかん、あかん、と断っても、勝手に自分で決めておられるのか、明日持ってくるというので、近所のおっさんをいい加減にしろと思いっきり叱る。それで、まだ、つぎの朝、私の家に電話してきて、私が突然、大声をだしてどなったとか自分の悪行を反省もせずに、同年代の私の母親に私が悪いかのように説明したそうで、こういうおっさんの悪行に対しては70過ぎた年配の方でありながらも人に迷惑を掛けさせないような躾が必要。

コンサートのメンバー紹介でソロの演奏を止めず、ほかのものを扇動して乗っ取ろうとした一人の中学生がいて、指揮をしていた有名なトランペッターがオウフクビンタしたことがこの件と重なる。自分だけのことしか考えない人というのはいるもので、普通の感覚がない。小さなころから躾がされておらず、制止が利かないのである。今回も指揮者がビンタを含んだ指導をしなければ、この子は気がつかず、余計に自分がコンサートを乗っ取ってやったと勘違いモンスターになるだろう。本当なら教育委員会も絡んでいるので、こういう場をつくっている教育委員会のものが迷惑を掛けないようにこの子を制しないといけないが、そういうのをとめられるほどの判断力もなくこういう子を作り上げてしまう。

以前も書いたけども、小学校にミシンを教えに行ったときに、女の子が一人ミシンを準備していて、準備できた段階でそれを遊んでいた男が取り上げる。とんでもない学校だと思ったが、親と先生に問題があるのはしかたない。その女の子が一番最後チャイムがなってから作業を始めて、それを5分ほど応援をしたが、その子もあせってしまってうまくできず、家で縫うということに。校長室に行くと、まずいわれるのが、給食時間なので「時間を守ってほしい」と、子供たちが「お腹を空かせて、親から文句いわれます」からと。駄目だわ、この学校。かわいそうなのはまともな女の子で、だれもその女の子を救う大人がいない。校長をしかるべきかと思ったが立場上止めておいた。悪がきと校長は同質なのである。

次の年、またミシン教室で別の小学校に行くとまたその校長先生で、訳がわからなかったが。校長の態度がまったく違う。校長をとりまく環境が違って、その校長をそれでは駄目ですよと叱咤するようなおばちゃん先生がいて、自分の子供を育てるように正しい教育を子供たちに与えていた。引退間際であろう校長が教育されていたように思う。正しい姿勢にももっていけない学校が存在しては世の中の迷惑、一番の被害者はその指揮者だろう。10分以上も我慢していたし、それでも続けたので、止めるために、自分が貧乏くじを引いたように思う。それをしなければ、ほかのまともな生徒も大人がこんな子を放置してしまうから社会不信で正しく生きられなくなる。どうしようもない子を擁護するものがその子の面倒をみられるのかというと、面倒もみないものがいい加減に問題から逃げているようなことばかりなのに、面倒をみているものに説教とかが、ありがちなパターン。
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