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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2017年12月10日
一つの仕事の出荷が今日で完了。遅れないように平行して仕事を進めようとしても動いていても何かトラブルがあると、その対応というのはその仕事で時間を使ってしまうとほかの仕事が遅れが出る。今の時代の織物の仕事というのは並行して作業ができないと駄目なところが大変なところで、少しの開いた時間を有効に別の仕事に使える人でないと成り立たせるのは難しいだろう。

私が織物の仕事に就いたときに一番初めに大事だなあと思ったのが、自分が問題から逃げずに解決するために動くこと。織機の問題があれば、織機の下にもぐれないと駄目なのだが、それは当たり前に自分が今でも動くから仕事ができるのだろうとおもう。仕事に入ったときに一人の従業員の方がいろいろと動けることを動いて会社を支えられていてその方に仕事を教わったのが幸いであった。

昔ながらの織物の仕事のスタイルというのは、一流企業的なのだがそれが長持ちしないスタイルであるのもどの国のどの製造業の業種にもほぼ当てはまる話で、ものは世界中を動くので一番上手につくれないと生き残れない厳しさがあろう。一番上手とは効率性をもとめるものに偏るでなく、非効率なものをどれだけ効率よく生み出すかが先進国らしい効率的な生産だろう。

ものづくりの原点に近い生産だけでなく材料から販売までの広範囲な職域が求められ、生産をいくらがんばっていても、材料や販売がスムーズでないと成り立たない今日らしいスタイルだろう。良いものをつくればつくるほど売るのも逆に苦労する。リネンの150番手の織物というのは、カシミヤの何万倍も希少で糸も高いのだがあまりにもレアすぎて市場がないに近い世界で評価は低かったりするものである。実際に織るのが難しすぎて糸の希少性だけでなく、織りにくい事情からも流れ難い。
2017年12月09日
冬場のナチュラル仕上げは、太陽の光が当たりにくく気温も低いので天日干しがなかなか厳しくて、春夏物の生産時期なのに冬場の生産は厳しい事情があったりで早めに9月に仕事をいただけて本当にありがたかったなあと思える。

織物で、オーガニックリネンの糸なども、全世界で一年にコンテナ数本程度しか流れていないような糸で、世界中に糸の在庫も少なく入手から困難で数千メートルの量をつくろうとしても世界中の糸の在庫を探す話からとかでこれも外部要因の一つだろう。

最近は織れないことも増えていて、実際、リネンの糸の強度は極端に落ちてきているのを感じる。以前は、150番手の糸でも糊をつけずに織ったりもしていたが、今では、100番手だけでなく、60番手クラスの糸が糊をつけないと難しくなってきている。リネンの世界的な需要は旺盛なもののそれに見合うだけの原料が足りていないのであろう。

リネンというのは農作物なので、豊作の年には品質もよく安い、逆に不作の年には品質も落ちるのに高くなる。1960年の後半に原料となるフラックスの不作でアイリッシュリネンが壊滅状態に陥ったのも天候が左右したからだろう。一年掛けて植えたものが実らずで、紡績もうまくいかず、織ることもうまくおれず、次の年も回復するかどうかも分からない状況ではやめるしかなかったであろう。
2017年12月07日
今日は岐阜と滋賀県内から、フェアトレード関連のアイテムを販売されている方とカンボジアの籠を企画販売されている方がお越しくださった。お二人の携帯電話のなかには、アジアの織物の現場の画像、アジアンテイストな絣織物が、超高速で手織りされているのを見て、やはり、そういう国の人々というのは強いなあと感じる。

イカットと呼ばれる現地の特色のある色使いの織物を手織りなのだが柄合わせしているのかどうかもわからないほどの、すごいスピードで織っている。織っているのは綿らしい。大変そうにみえるがそれがその人たちの普通のスピードで、ほとんど考えることもなく、織れて行くのだろう。
2017年12月06日
今日はミラノウニカの素材相談会で、福井に向かう。電車より車のほうが便利そうだったので、朝7時に出発して高速道路。木ノ本から先がチェーンが必要ということで高速道路を降りる。財布を忘れたことに気がついて、たまたまポケットに4000円。本当にラッキー❗

木ノ本から敦賀、敦賀からはサンダーバードで、11時からということに電車の中でメール確認して気がついて、珍しく早めの会場入り。帰りは、残り1500円しかなく、鈍行で木ノ本まで戻って会社に戻ったのは午後4時過ぎ。そこから仕事。

今年は、アパレル業界はここ何十年来の不況と言われるが、麻はブームは落ち着いたもののエコな流れでトレンドとしては根強いのが救われているところ。林与も会社が小さいことと、多能工化とアパレル向け以外の仕事の比重を増やしてきていたのでなんとか。染工場さんの話を聞くと今年はまだ落ち着いているということ。
2017年12月05日
国際化の流れのなかで、世界的に価値観すらもが画一化され、日本的な考え方というものも失われつつある。今日は東京からお客様で日本の布ということを考える機会があった。林与の中で、時代を越えて現代でも日本の布として世界に通用するのは、近江上布のアーカイブであろう。

一つ一つが伝統工芸の域で、数千柄の規模。日本的な西陣織や友禅とは違った麻に合うワビサビの世界、和そのものを感じる久留米絣とも違うモダンにも思える柄。ものなる布だけど日本の布らしさや布の魅力を人の心に伝える要素を持っている。

私の目には、その一つ一つが布の厳しさ。なぜ60年ほど前に、これほどの世界がこの田舎の村の林与の家から産み出されたのだろうというのにもいろいろな事情がある。子供を育てるのが難しい親戚の子供を自分の子供と同様に家で育てたり、終戦ですべてを失って日本に戻ってきた親戚にすむ場所と仕事を与えたり、早くに父親を失った親戚の面倒をみたり、そういうなかで林与の近江上布は生まれてきた。

仕事というより、ほかの人の生活を支える責任を背負う中で、厳しかったと言われる与一祖父さんだが大きな甲斐性を持っていた。出丁奉公にしても悪く言われるが、民が貧困に苦しみ、親の代わりに食べ物と教育、仕事を与えた。甲斐性のある家が不幸な家の子供を養子するに近い制度であったろう。昔の食べ物も満足に食べることもできない時代ほど、人の心の優しさがあったのに、金銭勘定ばかりの目でみると残虐にしか見えないのだろう。もちろんうまくいくことばかりではなかったろうが、人が人を支えていた時代。不幸な親戚の家の子の面倒を見て育てるなんて美談そのものだろう。恵まれた人には理解できない状況も昔は多かった。

そういう不幸とされる時代に育った人は強く、ほかの人を支える優しさを持つほどの強さがある。布を織る人も自分がこの仕事に憧れてとかでなく、自分の家族を支えるために仕事を求めた。家族を支えるために懸命に織ったから良いものが出来たのだろう。自分のために仕事するスタイルでは無理もせず自己満足に終わり良いものは出来にくいだろうと思う。
2017年12月04日
業界で仕事していても少数派なのが、現金で10万円と10万円を材料や労力につぎ込んだ布とどちらが大事か。実際に仕事している人にとってはもちろん後者の自分が10万円使った布のほうが現金10万円よりも価値があるだろう。買う人も同じように感じるはずであるから買うということだろう。

でも、今の日本ではこれは少数派で、最後に現金がいくら残ったかがバロメーターであるような、商売の考え方が主流である。日本の文化に対する価値観が落ちてきているのもそのあたり。大きな会社だと資本家である株主がみているものはまさに現金を勘定するだけのことで、それなら、ものづくりなんてやめて金融業や投機筋を業としてやったほうがよいのではないかと思える。

百貨店がプライベートブランドの在庫が残ってしまい、利益路線に戻るという話も、株主側から見れば、どれだけ利益を上げるかが目的だろうけども、在庫を積んで失敗に思えることが産業を支援しているというあたり。意義という部分がなくなれば、国内でものをつくる意味や国産の意味もないだろう。世界の一番安い材料を捜し求めるマクドナルドスタイルを百貨店が目指せば利益率はマックスになるだろうし、地代を求める形に戻れば当面の収益はマックスになるだろうが、長い目でみれば、百円ショップ化するだけのこと。

これは私の商売も同じで、化かしたものを売ると利益は上がるが、意味すらもないところ。自分自身がどこまで自分の時間と覚悟を注ぎ込んでいるかが要でしかなく、利益を最優先にする薄っぺらい経営ならやめたほうがよいだろうと思うところも多い。日本の大きなイメージのブランドや百貨店が無味乾燥な配当目的の株主目線での利益重視になったら、世界で一番安いところを探し、国すらもハイエナする悪意すらもない奴隷制度そのものの感覚に陥る。

海外を利用すれば法律の抜け穴で、行政も航空会社の外交特権なみの差別を平気にやってしまう狂った、自分は特別という差別が一番強いだけのあたり。苦労もしらない外交官の子供が、航空会社の外交特権待遇でちやほや、みるからに餓鬼でしかないが、それが日本の力に弱く差別する公務員行政で、国民主権とは180度反対のことやって民主主義も成り立つまい。アメリカ人の一人の命と日本人の一人の命が同じ程度には守られないとならんだろうなと思う。

米軍が日本人をレイプしても治外法権でうやむやというような、国政。日本人の命を守るのが日本のまさに国益なのに、日本人の命すらもが日本の特別階級の行政の利益とか欲の前には単なる消耗品であるのが残念すぎる。
2017年12月03日
目の前に仕事があってそれをやるかやらないかというだけのことだと思うが、やらない選択をすれば仕事をしないだけ、やる選択をすれば仕事をするだけ。そういうのが見えなくなるのが分業の世界、会社の中だけじゃなくて外も同じで仕事はいつでもあるものと思うと目がくらむ。

目の前の仕事をどれだけ当たり前にこなせるかだけのことで、目の前の仕事も見えなくなったら仕事は無理な話なのだが、今の織物の現場というのは目の前の仕事も他人事になりがちで、自分がやらなくても誰かがやってくれるものという感覚も多い。普通に目の前の仕事をこなしてゆけばよいのにと思うがなかなか仕事も自分がする覚悟がないと見えないもので、仕事に対する文句が出てくるけども仕事している人間というのは自分がするかしないかだけなので仕事しないで仕事に文句いってても仕方ない。

仕事なんて目の前のやればできる仕事に文句いってしないような部分がなければ簡単でシンプル。これは中にもいえることだし、外にもいえることで、普通にある仕事を足元をみてもったいぶるとかの人がいたり、自分がしきらないと気に入らない人がいると、一つの仕事もややこしくなる。私情をいれずに目の前のことに前向きにうごけば形になるのに、欲を出したり我を出したりすると普通に動く仕事も回らなくなる。自分自身で立とうする人の足を引っ張ったり、食いつぶしたりすることで自分の存在感を出すタイプの人というのは厄介そのもので関わらないほうがよい。

2017年12月02日
昨日、夜に愛知川の平和堂で滋賀麻の山田さんに久しぶりに出会って、ミラノウニカの話になったのだけど、今年も林与は今の仕事で手一杯で後手後手になってしまってのお話。昨年出展された会社さんがミラノウニカで大きな仕事が入ったというお話でその話を聞いて私自身もうれしかったことをご報告。

イタリアは、リネン、ウールなど、天然素材がそろった紡績の本場でもある。日本で1960年代後半にメゾンが立ち上がったのもイタリアでミラショーンをはじめとするブランドが1960年代中ごろにコレクションを始めたのを、日本版として今の日本のファッションブランドの大先生とされる大御所の先生たちが続いたことがあろう。続いたと書いたがそれはヨーロッパの流れからの還流で、イッセイミヤケ氏などはすでにヨーロッパを舞台に日本の布の文化を広められた。

林与の布も布として洋服になるが、デザインをみても布を布として魅せるような見せ方をされるのは、布に対しての思いが基本であられるあたりだろう。布を羽織るような形で贅沢に使い、布を盛り上げることに力を注いでおられるところが、布から受ける感性を大事にされているのではないかと、大御所たるスタイルなんだろうなあと。一枚の布を羽織るようなスタイルが多いのもイッセイミヤケの特徴。洋服問いうよりも布をまとうようなみせかた。

求めようとすれば欲のように広がる創造の世界なのだが、自分の出会う人が作り出すものごとを支えようと最後は人を支えることなんだろうと思う。イッセイミヤケはアパレルでありながら多くの布を生み出すところに力を注いでいるのが、着物の世界の織元と似ている。

林与自身が布そのものが最終的な作品であるように思えるのもまさに衣(コロモ)に対する評価で、天婦羅でいうとどうでもよいようなコロモノの部分の美を求めるというより、そこが自分の人生を反映するキャンバスである。デザイナーにとっても、自分の人生を布というキャンバスに表現するというだけのことだろう。それに憧れなのか情けなのかで人々が自分のつくった布をまとってくださる。

価値を見出す布というのはそれを作る人なんだろうと思う。昔は農家だったら若い母親が自分で家族の着る服の布を織った。裁縫して服にまでして、優劣などもなくできた形を受け入れるだけ。布を織る、裁縫する母親がへたくそだったら子供は我慢すだけの世界。別のチョイスはないあたりが、自分のつくったものを子供に着せて、自分の作ったものに世間の評価を受け、母親の技術も向上する理由だったのだろう。
2017年12月01日
12月に入って、それなりに冷え込んでいるけど。昨年はあれほど雪が降ったので、今年は雪があまり降らないと予測。クリスマスの日あたりに1回、年明けに1回、2月頭に1回の3回雪が降るが昨年以外の通常の流れ。

雪の降らなくなった原因は地球温暖化だけじゃなく、水の循環がなくなって砂漠化したからだろうとおもう。実際に木も水が立っているような状態なのだが、この何十年かで、平地の雑木などは一掃されてしまって、田舎でもうっそうとした森や林は消えてしまっている。田舎ですら雑草も生えることもできなくなって、虫をはじめとする小動物にとっても居場所がない。

小動物を食べる鳥などの動物も消え果た感がある。先日だが、宇曽川ダムの上流の田んぼを30分ほど散策したが、田んぼは柵に囲まれて、野生動物への分け前はない。野生の大型の動物が生きてゆくには厳しい環境だろう。人が心地よい環境と動物が生存できる環境とは相反する部分があろう。

人の求める理想郷は砂漠の上に人口で作られたオアシスなのだろう。作り上げられたオアシスに住むと、体調の管理も必要がないので、耐性が落ちてゆくもの。私も、以前、世界一よいだろう工場の中で働いたことがあるけど、外は暑くても寒くても、工場の中にはいると湿度も温度も完璧で、働きやすいものの、そういうのが当たり前になって、体が寒さや暑さに耐えられなくなってほかの会社で働くことは難しくなるだろう。

自分自身の体が環境に適応する能力というものを失うといろんな衝突が起こる。別のプログラミングの会社にいたときは、夏なのに18度もないほどに冷えている。風邪をひくくらいに寒いのだ。でも、それに慣れてしまっている人にとってはまだ暑いなあだろう。一般的に男性は暑がりで女性は寒がりみたいなのも、男女が集まると室温調整一つで意見がばらばらという光景もよくある。料理の味もそう。結局、だれが我慢するかなんだろうということ。

多くの人が集まって一つのことをするのはその一つの実際の仕事がというよりも、仕事以外の部分が難しいことが多いので、日本の国でのものづくりが難しくなった部分が大きい。他国のほうがものごとが簡単に進む。
2017年11月29日
日野で滋賀県として最大規模の大麻栽培が摘発された件がある。近いところで大麻が栽培されていても、県警すらもがゆるすぎるのが原因ではないのかと思う。大麻栽培というのは警察も真剣に動かない案件で問題すらもが大きくなりやすい。もちろん、所轄によっては相当に厳しく動く所轄もあるけど、全国的に特に鳥取なんて大麻栽培に関しての緊張感すらもなく、取り締まるのも一般の国民の大麻意識からすれば後手後手で、違法大麻は栽培されていないことになっているけど、現実年手は違法大麻が栽培されていたような状況で、それを警察が動かないので、私が自分で明らかにするというと訴えられますよと、警察の方に言われた。

日本では大麻栽培は無理な話が、日本の行政のレベル。組織化しすぎて違法大麻を取り締まることも取り締まる立場の警察があしらう。一応東近江署に電話したけど、大麻問題東近江所も本気で日野の県下最大の大麻栽培の撲滅に動いたのも2週間ほど前に日本の大麻栽培を野放しにしているような警察(すくなくとも滋賀や鳥取県警の地元所の現実)の事情もあろう。組織だから自称があって無理とか。日本では大麻栽培は、末端の県警や警察暑の許認可レベルでは本当に無理だろうと思う。民間の厳しさすらもなく、大麻が栽培されていたちごっこで、国民のいかりすらも理解できないようでは大麻栽培は無理そのもの。

日本のまともな麻の業者が大麻禁止を真摯に受け入れて大麻の違法縛滅に動いていながらも所轄がそれ以上の覚悟がなければ違法大麻を取り締まることも難しいだろう。2週間ほど前に大麻栽培の話で厳しい話を東近江署にぶつけたら日野の違法大麻栽培が滋賀県警が摘発。どんどんとやってもらえることはうれしいが、違法大麻栽培を軽くあしらわれるような警察には、滋賀県警は違法大麻養護じゃないのかと思えるほどの苛立ちすらもある。2週間前に東近江暑に電話で、滋賀県警最大規模の大麻問題の摘発が起こったのも私の電話も一員じゃないのか。

警察もほっておいたら駄目で、アル中以上の大麻中毒廃人が滋賀県をはじめとする近畿圏内で増える話。警察も素人以下の大麻問題対応では廃人が増えるだけのこと、本気でというが、窓口が署長にすらも話ができないとか、署長すらもが国民に対する覚悟なく日本で大麻栽培は絶対に無理な話。



2017年11月26日
今朝、起きると足の甲がヒリヒリと痛む。両足ともだが、右足の甲の内側が流動化してしまったようにまともにあるけないくらい。どうも、原因は、電気毛布。寒かったので一番厚くしてうつ伏せで寝て、足をまったく動かさず数時間だったのだろう。あるいは、2年前に骨折したのが戻ってきたのか。

まともに歩くのも痛むが、織機は動かし続けないので、無理して動いていると痛みも忘れる。が、夜中になって、糸を繋ぐために立っている状態で鈍痛が耐えられないほどになったので、右足の甲にシップを貼ってみる。プラス、寒気がするので貼るカイロを肩に2個貼って、これが調子がよいのだ。

薬という感じは楽になる草という意味だろうが、かぜなんかでも治す薬はないとよくいわれ、痛みを抑える程度であとは、自分自身の体が治癒する力を発揮するかどうか。痛みを感じるのもまた健康な証拠なのだろう。回復力なんかも仕事の能力の一つ。林与の取得のひとつは体力だろう。
2017年11月25日
今日はリネンデニムの出荷。リネンデニムは思い入れのある生地で、インターテキスタイル上海と合流して行われた国際テキスタイルコンテストでも3位に入賞したのも懐かしい。難点は織るのが難しいという問題があって、イメージ普通の生地よりも織るのが3倍ほど難しい。また、糸を1.5倍から2倍ほど使うので、生産コストが成り立ちにくいという問題もある。

今回も細番手を織っていた織機に掛けたので、まったく織れないような状態から織機の調整が始まり、調子よく数分織れるような状態まで持っていって、蒸気を発生させ工場の湿度を上げることによって、糸に湿気をもたせることで調子を上げる。2分から3分くらい動くような状態になった。糸が黒いので、糸も太いけど筬とおしなど見極めが難しいので、経糸切れはできる限り起こらないほうがよいのである。

L25のリネンデニムも織っていただけに、今回のL40はそれよりは生地の重さ的に3割ほど細いのでうまく織れないといけないのである。最近の染め糸の糊が硬さを感じるあたり、糸の伸度がない感じでその影響もあるだろう。これは一概に染の問題なのかというと、この数年でも糸の質は、染めをしない場合でも、通常の番手、中国のオーガニック、イタリア銘柄のチュニジア紡績のオーガニック、リネンL100番手、ラミーなどの細番手、どれも弱くなって、そのままおる場合数年前より織り技術がより必要となる。糸の値段のほうはリネンは為替が円安の影響と関税で4割ほど上がってしまっている。

日本のリネンブーム落ち着きを見せたのも為替の影響が大きいであろう。世界的にはリネンはエコな側面からも根強いブームとなっている。
2017年11月24日
織物は分業でというのは、今の中国の工場をみていると、男性が織機を修理調整して女性が織たり検反補修というような分業がなされている。昔の日本もそんな感じで、一つの現場を一人が担当することが多かった。織物工場に来て、最初の数日で覚えたことが一生の仕事としてのパターンで、その仕事以外はできないのが当たり前というスタイルなのだが、今の日本ではその大企業型の量産システムを理想としては存続すら難しいだろう。

私自身、織物の仕事をしているけど、織物が好きだからというような単純な理由ではなく、織物の中に、仕事という基本の要素を感じているから。織物の仕事といっても織るだけが仕事ではないところ。仕事をしていると見えてくるものも見えてきて、仕事とは何かということも自分なりに意味が出てくる。仕事をやらされている状態だと見えてくるものも見えてこないだろう。仕事があって「ありがたい」という基本を感じていなければ、生産には自分の時間、気力、体力を使うので、うまく回らないだろう。

仕事があって「ありがたい」と素直に思える人がどれほどいるだろうかと思うと私はその点で仕事に向いていると思える。自分一人で業を成している人は若くてもそういうあたりもって仕事されている方が多い。組織の中に入ってしまって守ってもらえるような立場の人だと仕事に文句が出て、仕事しないことが自分の仕事みたいになってしまう人も多い。そうなってしまうと、ものづくりの問題をどうこう話す前に、人の問題がややこしすぎて仕事なんてしないほうがよいだろうと思う。精神とか責任感とか、心の問題の部分。

仕事をする気持ちでどんどん仕事していると技術が身についてくる、これは、ビデオをみて技術を修得するのとはまったく違うのである。自分がまず真似してやってみて、下手なのがなぜ同じようにできないのかしることも大事で、自分が自分の体を動かして、よい方法、悪い方法の区別をはっきりと分かることが大事で、たとえば、草木染するにも、公式的な薬剤の分量をしっていることは大事だが、それを間違うとどうなるのかも本当なら自分が失敗してその失敗を被って正しいことを身に着けるのだが、今の仕事にはそういうチャンスはないので、失敗してもあまり深く考えないで、また仕事があると思うのだろう。これも人の問題ということにつながるが、この部分が技術。

あと、自分自身がコンスタントに作業をできるのかは、技術とは別の部分で、こなしてゆけるかどうかという体力的な部分。仕事を教えてもらって仕事が理解できてもそれを自分自身では与えられてもこなせない。体力、視力、聴力、忍耐とか、集中力というのもここと関係をしてくる。

いろいろと偉そうに硬そうに書いていても、実際には目の前の一つに仕事をやるか、やらないかだけのことで、それは総合的な力が必要とされる。人が集まれば仕事がスムーズに動くかというと、逆のことも多く、仕事があって「ありがたい」と思えるような人が集まらないと仕事があって問題ばかりが増えるだろう。
2017年11月14日
今日は産業支援プラザのよろず相談に午後から、いろんなことを乗り越えてゆくために、行政支援の窓口である滋賀県産業支援プラザとも助成金関連や専門家相談など活用をさせていただいていて、今日は、近江八幡でいろいろと解決したい問題などの相談。今、加工の機械を作りたいなあと思っているので、モーターとかと融合できる機械部品を一部オーダーメードが必要で、それをつくれるところがないかとおもっている。

織物にしても、織物を織るのが仕事のように思われるかもしれないが、織物を織る技術があっても食べてゆくことは難しいだろうと思う。普通のものでは溢れすぎていて、普通のものを織れた所でものが溢れている今日では興味を示してもらうことは難しい。そこが昔のよい時代の織物のものづくりとは違うところだろう。より働かないスタイルを目指す日本で、より良いものをつくるとかは、すごいギャップだなあと思う。日本人がパクリ上手になったのも自分が生み出さないから。

自分で作るよりアウトソーシングというのを理想にするのが組み立て産業。自動車や電機が元気なのは、そのあたりなのだろうが、
2017年11月13日
今日は長英座の2回目のロビー展示出展、琴の弦の丸三ハシモトさんと北川織物工場(ファブリカ村)さんの間のブースで、両隣が馴染みの糸編の方で久しぶりの再開で、途中の雑談なども弾む。私も十分おっさんの域だが、糸偏というのは、70歳80歳でも現役というケースが多く、50歳あたりではまだ若い方で、3人ともまだまだ若手として次世代を担う若手なんだろう。

こういう場所に出てくるのも自分がやっている人がPRのために出てくるというのが普通で、こういう場所でやっている姿を認識していただけることが大事なんだろうと思える。近江上布の柄を復刻した広幅のリネンストールはリクエストも多く、現実的な作品あるいは商品として形にしてゆければと思う。

今日も宿題で修正作業を持ち込んで、舞台の最中に修正をする。糸の目とびを直すのだが、インチ70本くらいの織物なので、1ミリに3本程度の黒い糸を模様にあわせて拾ってゆく、顕微鏡で修正するので、1本の糸は150ミクロンから250ミクロンくらいだが、画面では1ミクロンに相当する毛羽まで見える。針が太すぎて厚みがあって扱いにくい。

帰り、南彦根にある手芸のお店TOKAIに寄って針を探す。普通の手芸コーナーでは手に入らない細い針が売っていて、ビーズ刺繍用の針が細くて扱いやすそう。帰って使ってみると糸を針先で裁きやすく、作業がやりやりやすくなった。私自身は、1日中でもこういう作業大丈夫なタイプであることが特殊だとは思う。時間があれば食べる以外ノンリミットで過ごせるだろう。でも、現実は、いろんな仕事に目をかけて動かないと、追ってくるばかり。

お医者さんで頭は優れていても手先が器用とは限らないだろう。ミクロン単位の毛羽を見極めて作業するのは医者の手術と似ているだろう。作業だけなら医者以上に上手にできるかもしれない。

2017年11月11日
昨日は長野県の織物工場が社員旅行で滋賀県に来られ林与の工場を見学。シャトル織機なども動かしておられるので、設備的にはそれほど新しい情報もないだろうけど、ジャガード織機などはないということでご覧になられていた。麻とシルクとの織りの違いなど差があるのだが、シルクの場合はテンプルを使われていないということで、テンプルがシルクを傷つけてしまうからだろうとおもうが、麻の場合織りにくいそうだ。分かる気がする。

後、湿度の問題もあって、麻の場合には糊のついた糸などは湿度を与えてあげないと織れないことがある。シルクのちりめんの場合には、撚りが戻ってしまうので、湿度はよくないということ。ほかにちがいといえば整経のときのビームで機草紙を入れて巻き取るそうで、基本、フリンジをつけて巻き取る量産のスタイルの林与とは異なる部分である。林与でも、2重ビームの場合など消極送りの場合には機草紙を入れて巻取りするが、着物の世界というのは量産対応が難しいのもそのあたりだろう。ビームに巻き取るは巻き取るで、微妙な幅の調整がうまくできないと織りにくい問題が起こりえる。小ロットの生産だと機草紙を巻いてするほうが楽なことも多いが、大きくまくとなると糸以上に紙をたくさん巻いている感じになるので、ぎゃくに大変。

事務所では、近江上布の絣のものをごらんいただくと、やはり伝統工芸的なものづくりもされている工場の方々なので着物の世界の織物のほうに味を感じてもらえる。でも、需給の関係などもあって、今のアパレル向けの織物を織るほうが糸の手配、納期の調整、生産量の調整など、実際の労力や覚悟は大きかったりして、広幅絣織物のほうが私にとっては高度でありながらも趣味に近く気軽にできたりするあたりなど。

長野の工場では10数人が分業的に仕事をされているそうで、林与からすると産地がまだ元気だった頃の林与の昔みたいな体制の整ったものづくりでうらやましく思えるが、それはそれで大変な部分もあろうかと思う。現実、今の日本の現場ではちょっと難しいことが出来ないというのがありがちなので、長野の工場さんのように設備と新しいことでも学ぶ力のあって実線してゆく意欲のある人が揃っていると今の日本では例外的に元気に仕事が舞い込んできてこなしてゆけるだろうと思う。仕事があって天国と地獄の差というのも壁を越えてそれをこなして行ける人がいるのかいないのかの差だろうと思う。8
2017年11月10日
織物に修正作業が伴い、それは織るよりも手間が掛かることが多い。麻の100番手クラスだと、インチ70本だとセンチ30本ほど、縦横それぞれの1mmに3本の糸が存在する。麻糸は凸凹なので、それぞれの糸がまっすぐに走っていようが、織られた状態で一本一本の糸を把握しようとすると、肉眼では難しいことも多い。今、修正しているのは黒い糸がベースになった織物で織ること自体も、細番手の麻糸のような場合だと、白の織物を織る何倍も難しくなる。

布(ヌノ)という言葉はオを縫うことが語源となって、ヌウオが布(ヌノ)となったといわれる。日本で最初の織物というのは、日本でもアンギンだとされるけども、アンギンというと上から下に糸を平行に等間隔でたくさん垂らしてそれを編むような感じで横糸を通す。私が思うのに、木の棒2本に糸をぐるぐる巻きにして、それを縫うスタイルの織物もあったろうとおもう。地面においてやったほうが簡単だろうなあと思う。

織物を縫って作ることが可能なのだ。織物は、居る(イル)が転じてオルとなった説と縦糸を折って織るので織るというようになった説などがあるが、オルのは布で、古代に布というのはオを織ったものを指した。絹は、打面して綿として使ったので織るものではなかった。近江真綿なども、綿ではなく、絹の布団綿のことを指すのを初めてしったときには、何で綿布団なのにシルク使っているのか疑問だったけど、絹を打面してワタとして面にして、それを肌に当てて服としたのが始まりとされる。
2017年11月09日
昨日は、麻の古い布をみる機会があって大麻が原料になっているというお話。近江上布ということだが、絣ではなくプリントが施してあった。白く晒した生地にプリントというのは珍しく、私としては初見で柄と色合いからすると京都の捺染の世界の色合い。地場の江戸時代の麻というのは、藍染が主体で、絣になっているものが近江上布とされる。

近江では野洲晒が有名ではあるが、愛知川の晒も野洲晒の職人が移り住んで愛知川での晒が始まったといわれている。野洲晒しは、奈良に野洲の職人が技術を勉強に行って覚えたとする説が有力だそう。今も野洲には紺九さんを初めとして京都の国宝や重要文化財を守る藍染の技術がある。野洲では晒すだけでなく藍染屋さんがたくさんあって、古来の藍染めの技法を再現したのが紺九さんである。

彦根城のすぐそばには紺屋町が残っており、彦根では織物はあまり織られていなかったとされるが、染屋は存在していて、高宮布を藍染していたものと思われる。彦根には京町という名も残っており、小京都の名残で、京都の文化さながらだったろう。江戸時代にも、京都のものが入って売られていた可能性は高い。彦根の呉服商の旧家をゲストハウスにしておられる無我さんでみせていただいた着物は、まさに金襴の世界で、彦根の地場産業である仏壇の技術などもシルクであろう素材には京都の室町の金襴織物を感じる。彦根城博物館にあった大名の衣装も麻は確認が出来なかった。素材に関するドレスコードがあったに違いない。

シルクというとやわらかいイメージがあるだろうけども、必ずしもやわらかいとは限らない、シルクを精錬する技術もたしか江戸時代に完成したような説があり、それまでのシルクというのは麻を思わせるような表情のしっかりしたものだったろう。着物の世界ではハリやコシというものは大事だったりするもので、光沢感のないマットなものは安いものとしてとらわれたのだろう。
2017年11月08日
昨日はタイイングマシーンの使い方を教えるというところ。自分がタイイングマシーンを使う分には、どうでもよいけれど、慣れない人がつかうとなると。使いやすいように準備作業が必要で、タイイングマシーンの糸を押さえるラバーゴムを変える作業を数時間かけて行う。タイイングマシーン本体が問題なくても、糸を押さえる4本の棒のゴムが経年劣化して硬くなっていると糸をしっかりとホールドできず、糸が緩んでサクサクと作業が進まないことがありえる。

作業というのは自分の作業が正しくても使う道具の扱い方が駄目では駄目で、そのあたり分かっている人でないと全体のバランスも取れずにになってしまうので、分かっていくことが仕事としては大事。タイイングマシーンのラバーゴムも、1台4本、8本分でタイイングマシーン2台分買うのに15000円くらいかかるけど、それ以上にそのゴムを交換する作業が苦痛であるのも仕事のうちとして経験がの世界。

そういう仕事をどれだけ当たり前に仕事して流せるか、それが継続してできるのがほかの人にできない私の強みだったりする。私自身なれているかというよりも、なれなんて必要なくてやるかやらないかだけのことと割り切っているので、慣れとかいつかできるみたいな憧れみたいなことは職業体験の子供の世界。目の前のこと慣れてなくてもこなして行けば素人でもやらない講釈ばかりの熟練者よりもよい仕事ができる。

ラバーゴムを替えたタイイングマシーン、今までとは違う糸を確実にホールドして、カチカチと音を立ててキビキビとした動き。苦労してラバーゴムを替える意味もあるのが分かる結果。ほんとそうで、何十年の現場というのは新しい現場とは違って、より厳しい目をもっていろんなことを見据えていかないと難しい一例。何十年前に、一台自動車が買える値段のタイイングマシーンを新品で買ってスムーズな作業をしていたとしても、それが何十年も経てばタイイングマシーン本体も古くなるが、本体だけでなくゴムなどの消耗品も交換が必要。消耗品を買うはよいけど交換作業をする覚悟があるのかないのか、その程度が当たり前でなければタイイングマシーンをもっていてもまともな仕事を続けてゆくこともできない。

糸を繋ぐのは糸をつなぐ専門の人の仕事とか、整経は整経屋さんの仕事とか、検査や修正は専門家がとか、自分がやってみればわかることも多いし、プロよりも自分が上手に出来ることも多い。収縮物性なんて、自分で生地を洗えば分かることで、さらには、加工工場が難しいという収縮の問題すらも、収縮の問題が問題であってが何が問題なのかも分かることも多い。素人の人が使えば問題がない生地でも量産の世界では現場のまさに素人が扱うので問題になることが多い。その現場の素人に合わせて生地をつくるとなると安全な生地しかできなく、プロの匠の技を素人中の素人のために用意することに力を注ぐ必要があるのが今の品質検査の問題の一つ。

神戸製鋼の問題があったけど、JISの規格なんてものの強度は最低ラインとして定めているようなものではないか産業用のものは何十年ともたないとならない。タイイングマシーンも昭和51年に導入したのだが、1976年ということになる。41歳の精密な機械。シャトル織機にしても、シャトルに使われる木が丈夫なのは30年も掛かって乾燥させるからみたいな話。日本のものづくりを世界の画一的なところに落とし込んでいけば、日本のものづくりは薄れるだけで、考え方一つから世界のほかの国のひとと違うのが分かる程度でないと、特別な世界は維持してゆけないであろう。

実は日本人よりも海外の人のほうがものづくりに熱心になってしまっているんじゃないのかと思うことが多い、着物の世界も日本人は飽きてしまっていて海外の人のほうが着物の世界のものづくりに憧れる。布にしても同じで、日本の布の世界というのはすごくハイレベルだったのにどんどんと出来なくなってしまう。一つには、行政による規制などが軒並みなものが多くて普通のものしか作れないところに落とし込まれてゆく流れ。

私自身は自動運転車に関して反対なのは、日本では、バックするときにカーナビの画像を信じることも許されず目視確認義務があるのに手放し運転を推奨する流れは一貫性がなさ過ぎる。アメリカだと人の命というのは、戦争もそうだけど軍人が亡くなるような悲劇も本人の意思で納得しているから済む話。20ドルも払えば1日で運転免許が取れるアメリカと、30万円40万円コースの教習所が当たり前の日本の違い。20ドルも払えば1日で運転免許の世界が自動運転の発想なんだと思える。アメリカだと小学生が車運転するのが夢の世界だろうが日本だとそんなんは許さない土壌があるだろう。
2017年11月07日
植物から繊維を取り出すよい方法は、茎を蒸すこと。だから茎蒸(カラムシ)といわれるのだといわれるが、そうやって取り出された繊維というのは、苧(オ)という名前で表現され績(う)まれる。績む作業というのは、昔から年寄りのおばあさんの仕事とされていたが、私の大ばあさんも、もう紡績の時代の人だったけども、10cmの糸でも足して使ってたのは、糸というものは績む作業から始まることをしっていたからだろう。

今もリネン紡績の現場にいったりすると、麻糸というのは草の茎なんだなあと思えたりするものである。形は変われど自然の草を身につけているだけのこと。今日も工場の中で、リネンの100番手の切れやすい織物を織りながら、カラムシの繊維を取り出す作業をしていると、どっちも雰囲気は同じなんだなと思える。リネンの100番手を織るのも、手績みの糸をつくるのもほとんど同じ感覚。

簡単な作業なんてないと思えるのが、作業というのは自分のペースと関係しているので、どの作業も簡単で終わらない。今手元のことをやりながら、あんなことをやってみたいなあとか、少しづつ準備を始める。仕事を自分で生み出して行くことが出来る人というのは、繊維の業界ではほとんど稀である。仕事というものは与えられたことをするのが当たり前の感覚があったりするのだろうけど。自分で仕事を生み出してゆく、生み出すだけでなく、成り立たせてゆくというのが私にとっては仕事。

私が自分自身を職人だとも思っていないし、職人っぽくないといわれるのも、新しいものを生み出しているからだろう。一般的には職人というと与えられたことを慣れでするのが職人らしい仕事。私自身が作業をしていると慣れはほとんどなくって、厳しい感覚で常に注意をしていることがほとんど。慣れというものは今の慣れていない人が携わることの多い繊維業界では、自分がいくら正しくてもほかから生まれてくる問題すらも解決していかないと難しい。

作業が機械化されてしまうと機械が悪いとか言う人が出てきたりするけども、それは本末転倒。機械なんていうのは自分が単に作業をしやすいようにするための道具で自分が使いこなさなければならないものだろう。鋏が切れないという人がいるけども、鋏なんて使いようで、切れる使い方をできるかできないかの部分も大きい。だれもが切れないという鋏でも私の場合、コツ次第で問題なく切れることがほとんどだったりする。職人が何十年使う鋏というのは、普通の人がつかうと、切れるようで切れないことがほとんど。職人にとって使うとき意外に切れる鋏は危ないのだ。使うときだけ切れる鋏が危なくもなく一番よい。
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