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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2018年01月19日
今日は助成金の締め切りで、広幅絣織物で3年目の申請。この助成金では林与が最多回数もらっている2社のうち1社であるそうで、同じお金でできることが3倍になるので、活用させてもらって自分のやりたいなあと思っていたことができありがたいことである。平成30年度はこの助成金の最終年度で、活動できる期間が8ヶ月と限られていて、材料など準備するだけで3ヶ月くらいたってしまうので、実質5ヶ月ほどで答えとなる成果を出さないとならない。

通常の仕事でひとつの新しい企画は2年、3年掛けて構想を練って試作を繰り返し形にして、売れるところまで持ってゆく。林与の場合には、商品というよりも生地という素材の部分なので、検証できる期間が必要であったりするのである。素材というのは変化するので、何年かたったときに問題が見えてくることある。その予兆を感じることができないと試作ができたからすぐに販売に向けて動くと危うい。染色や加工が絡んでくると安全性の面なども検証が必要でそれを考えるのも素材開発の重要なところで、通常の物性検査では見えないことも多いので、実際に使ってみて問題がないのかなど判断をすることが多い。

ブランドの商品開発の方で、「○○つくりたいのだけど、どうやって作ったらよいの?」とかから商品開発を教えてほしいと頼まれることが多くそういう商品開発が一番困る形だったりするものである。正直な話、アパレルの方が麻のものをやりたいのだが麻のことは初めてなのでとかの場合、弊社の生地でなくてもよいので、最初、麻生地を数メートルでもどこかで何点か買って服をつくられてみてを勧めるが、それもされないと、後々問題だらけだろうなあと思う。

繊維の世界が怖いのは作っている会社自体が何十億円の問題でもへっちゃらだったりするところで、年商十億のビジネスが成り立っていたりする。年商100億の急成長のブランドでも数年後には倒産とか。展示会のときに、そんな会社の社長と数人の部下がブースにこられたけども、社長が電話されるならまだしも、部下の方が社長が頼んだサンプルまだですかいやならいいですよみたいなのとか、別の会社でも上の人が林与に挨拶にいってこいみたいな感じで展示会のブースにこられた下の方が、うちとは口座開くの難しいかもとか言い出されて、会社でも力のない社員様だったり。その方が窓口な以上は、もう上の方が頼まれても取引しませんがその時点で決定。

その会社からは別の担当の方から電話で、こちらが客側の立場で100万ほどの材料を買う電話での話だったけど、注文確定書は違う商品。気がつかなければ、弊社の御発注となる怖さ。担当したその会社の社員も自分が手元にないものをあるといって違うものを受注確定書で発送すると送ろうとするミス。いつも買ってほしいという上のものには後日笑い話で伝えたが、私がその社員のファックスを見逃がして原材料を加工工場で加工してしまったら何百万円の実損で、私の受注した仕事はアパレルにとっては1千万円とかの機会損失。斡旋したのが生地商社だったからよかったけど、私自身がそんなミスをして、生産できますと受注を受けたら、そこでその商社からもアパレルからも受注したじゃないの絶対に生産する義務がある話になるだろう。私がファックス1枚確認して気がついて何百万、何千万円の失敗を防いだケース。田舎だと家一軒買えるレベルの怖さ、素人だと本当に怖い世界。

在庫がないのに間違った話をしたその会社の担当も自分が間違っていたことを悪びれる様子もないのが怖いレベルで、年商何百億の会社でもそんなものというの腹がたつ。数年前に、原材料の海外メーカーとその会社の取引の前に、その海外の原材料メーカーから林与にリファレンス依頼があって私が日本の繊維業界でも優良企業だからとその日本の会社をアプルーバルしたのが私だったから余計に腹が立ち、自分の責任だと感じるところがある。その営業マンが他に同じようなことをしていないかが案じられる。上のかたも、その会社も、うちからも買ってほしいといわれるけど買ってみると一番簡単なところでどうしようもないことにつながる危なさ。請けていない仕事だったので笑い話ですんだが、請けてしまって原材料を加工し届いてはじめて気がつくのが数ヶ月あとなら大問題。分かってて間違ったもの押し込んでくるタイプは一番困る。
2018年01月15日
ムーミンがセンター試験に登場したという話だが、クイズ番組かよと思える内容。センター試験というからには、高校の教科書にムーミンが載っていないと不公平が起こる。誰もが日本人だとテレビを観ているという想定があるのだろうけども、親がムーミンを子供に見せない家庭だってあるだろう。ムーミンを授業で教える高校があるのかというあたりに尽きる。

問題作成者は、たぶん私くらいの世代で、昔、アニメを見ていて常識のひとつで、面白い問題だと思っているのだろうけど。これが答えられない受験生にとっては、なんでこんなのが大学受験に必要なのかというあたりだろう。適切不適切の判断力がない人間が問題を作成している。大先生タイプの人にはこういう人が多い。

昔、大学の数学の一般教養の問題で、私は100点とったことがあるけど、それがむちゃくちゃな問題で、計算じゃなく、雑学程度の問題2問を、完結に書けで、1行づつ20文字程度でそれぞれ答え書いた。私は100点とれたがあれでは駄目。0点の子がかわいそう。京都大学の先生だった人らしく、人気講義で1000人近くが受講者となったが、他大学の学生のことなんてどうでも良い先生だったと思う。

しかしながら、これが社会の縮図なのかもしれないと思うことも多い。ファッション関係でもその場限りのブームが多く、正しく仕事をしていてもお金にならないことが多い。正しい答えがその場の状況で変わることが多いし、計画どおりの結果になることはほとんどないだろう。採点する相手次第で、100点にもなれば、0点にもなる。ムーミンの問題の正誤より、ムーミンの出すのはどうなんかなあという感覚が実社会的な問題。
2018年01月13日
整経機が止まらなかった原因の可能性で、3つくらいの原因が考えられ、そのうちのひとつの問題ではないかと想定し、整経機に調整を掛ける。微妙なことなのだが、これが機械、問題がなかったかのように普通に止まる。

機屋さんからの相談に整経をしてくれるところがないという相談が年に何件かあるが、場所があるなら整経機を自分で入れて整経も自分でされるほうが、小回りが利いて将来性もあってよいだろうと思う。それをやられるところが少ないのが不思議なくらいだが、整経機を入れたら入れたでこのような問題があったときに、誰が解決できるのかというと、部品は手に入るかもしれないが、微調整などは自分でやらないと駄目な部分がある。

機屋にしても、織るという一番簡単な作業はできても、織機の簡単な調整ができなくて、みんなこの部分ができなくて、廃業に追い込まれるのだ。工場長をしてもらってた何十年の経験のあるおじさんでも60半ば過ぎると最後は、1分でできるレピアオープナーの位置の調整もできなくなり、私にどうやってやるのとたずねる。そういう傾向は、だれも働いている人なら、慣れて自分がやっている気持ちになった30過ぎからあるだろう。そこからは作業も落ちて行くばかりになる。

ひとつの要因なら簡単だが、2つ3つの要因が重なると調整は、3倍から10数倍難しくなる。これを乗り越えることが何十年の経験者でも難しく、織機がまともに動かない問題があると仕事も受けると危うくなる。日本では織機メーカーが消えて、だれも織機の動きを保障できるものはいなくなり、自己責任で機屋が動かしている。日本ではレピアヘッドひとつが7万、8万でバンドもいれると10万するけど、中国だと2000円から3000円でバンドも含めて新品が手に入る。

この考え方は機械だけにとどまらず、日本の繊維業界というのは人を育てたり生かそうと努力をする。海外は欧米にせよ、中国などにせよ、人も交換して対応のことが多い。日本だとそういう修理や調整ができないと働く人としては難しい問題がある。日本のレピア織機など、鉄の価格が下がって中古だと自動車と同じでマイナスの評価しかない。シャトル織機も重要な交換パーツが手に入りにくくなり、もうすぐそれに近い状態になるのではないかと思われる。

ある場所に入ったシャトル織機も動かせるようにするために、自社の入れただけでは問題が多すぎてまったく雨後かないシャトル織機と同じように、的確な調整を必要とする。ある場所から買っていれたシャトル織機は、その工場では入れて一度も動かなかったという、よく分かる話で、林与に来て経験のある職人さんにさわってもらっても動かず10cmもまともに織れない。つかんだら会社が潰れる話から始まる。

過去に10台入れた織機も9台がまともに動かないとか。そういう原因を究明する力がなければ仕事を受けていたとしたらその時点で廃業になる話。そういうのを乗り越える力がないと難しい。昔と違うのはそこで昔の人以上に今の人というのは総合的な能力を必要とされる。

2018年01月09日
今日は午後から京都、染料店で買い物したあと、卒業展示を観に四条河原町へ、そのあと藤井大丸、錦市場へ寄って、夕方会社に戻る。京都は学生時代に住んでいたのでなじみがあるのだが、学生時代に立ち寄るところとは今は別の場所が京都の目的となる。京都というのはやはり昔からの都で場所が限られている。

人の集まる限られた空間を選ぶのか、人の少ない広い空間を選ぶのか、どちらを選んだほうが自分にとってよいのかという選択になろう。その選択がライフスタイルの選択となる。価値観も変わるだろう、移り行くものを追うことになるのか、同じものを見つめることになるのか。

いろんなものがあるのが魅力だったり、何にもないのが魅力だったり。自分に一番あった場所を見つけることがよいのだろうと思う。それは場所なのか人なのか、ものごとなのか。自分に合った場所を見つけることができなければ作り出すとかも大事だろう。自分で自分のいる場所を作り出せる人というのは幸せなんだろうと思う。

外を探し求めることが大事じゃなくて、自分で生み出してゆくことが意味のあることと気がつくと、自分の価値観でものごとをやっている人というのはそれだけで大きな意味のあることというよりも、それがすべての価値観を生み出す大きな要因なんだろうと思う。

人々は完璧なものを求めるのに、オーガニックのような不完全なものを求めようとする。オーガニックが完璧かといえば、完璧なオーガニックというのは、その考え方自体がオーガニックじゃない。ありのままを受け入れるを基本にして人の努力の積み重ねで完璧に近づけようとすることを評価する。完璧なものを追い求めれば、ラベルだけで中身は別物ということになりがちなのがオーガニックの世界。リネンをやっていると生成やオフ白が、原料のロットによって色ブレがある。それを否定する考えもあるけども、それを許容する考えが消えてしまえば、オーガニックと反対の化学的なものづくり。

生成の色がぶれるのが嫌ならベージュに染めて、オフ白が嫌なら塩素系の本晒にすれば解決だが、オーガニックの良いところは揺らぎで、自然要因に左右されるあたり。林与のナチュラル仕上げも洗い加減、干し加減などに左右されお客さんが困られるれるけど、それがオーガニックな加工の結果。機械で矯正じゃない天然の要素と人の要素で裁断や縫製にはご迷惑かけますが、同じように人の力でなんとか最終形にもっていってもらいたい気持ち。オーガニックは、仕事だけの気持ちでやったらまともなものを出来上がらないのも、人の覚悟と人への優しさ、お客様への正直さが必要なオーガニックな世界。
2018年01月06日
今日は午前中に1週間寒い中現場に入って仕事を覚えてもらった方をお送りして、午後から仕事。仕事よりも寒さが厳しかった今時の仕事。そんな時期にきてもらって仕事手伝いながら仕事覚えてもらって林与も助かりました。

今日の午後、今年初めての大問題が発生、整経機の最後の1バンドをまわして買い物に出かけて、その織機がカウンターが来ても止まらず、最後の1バンドがいままで整経した全体の上に覆いかぶさって巻かれてしまう形。3000回転以上してしまって、それを復旧しないといけない。何十キロも糸を使ってしまっているので、全滅だけは避けたい。とりあえず、端のほうから反対回転にして解いてゆく、整経の1バンドの終わりは必ず、結んであるので、その結んであるのを目印にその結び目の上に載っている糸は基本全部とりのぞいてよい糸。

3000回転ともなると、解きながらまわすのには、1日は掛かるだろう作業。整経機に建てた糸もほとんどなくなってしまって、それも復活しないといけない。これも半日掛かる作業。まだ、連休中のできごとでよかった。平日だと他のことに追われて落ち着いて直すことも考えられないだろう。

整経機が止まらないのはソレノイドか、リレーに問題があるのだろう。その現象は過去にも起きているので、再調整が必要で、止まらないといけないものがたまに止まらないということは、注意しておかないとそれが原因で何日も時間が消えてしまうことになる。
2018年01月05日
昨日は、体験5日目でシャトル織機は安定的に一人でほぼ並行して3台4台動かせるようになって、飲み込みの速さを感じる。あと手の空いたときに掃除してくれたり、シャトルの管巻きをできるようになって、昨日は経て繋ぎの残りもシャトル織機を動かしながら。手織りをされていたということで経て繋ぎをされていたと思っていたのだが、毎回、へ通しして筬と通しして織りはじめておられたということで、経て繋ぎは今回がはじめての経験ということ。

コツをつかまれるまでが時間が掛かるのだといわれ、ちょっと心配をしたが、600本くらいだろうか完走されてへとへとにもなっておられないので、シャトル織機も動かしながらなのではじめて経て繋ぎをされた方としてはすごく向いておられる。一本も間違いもなく作業も進めておられるので立派。

最後に、夜は2時間ほど整経の作業。建てた整経の糸を前まで綺麗にもってきて、整経の筬通しまで。筬通しも完走。手織りでカイコを育てるところから手織りで織物を織るところまでを経験されていたのと、洋服をつくられる方なので、総合力があるのだろう。コツをつかまれるまでが時間が掛かることがあるけども、私の一番早いと思うやり方を教えるとそのまま覚えてくれるのでコツさえつかんでもらえると私の3分の1から半分くらいの作業スピードには到達で、最適な無駄の少ない手順を忠実にマスターなので結構綺麗で早い。今までの手を動かされていた経験がはじめてのことにも生きている。

贅沢ばかり言うと伝統工芸とか丁寧な仕事の世界の方にありがちなペースの遅さを感じ、それを発破かけてスピードアップしてもらうのが私の仕事、正しいままにマキシマイズすることで今できていることの生産性があがり余力が生まれて同じ時間でもより高度なことをできるようになり、特別の高度なものづくりの世界に到達できるのだという、私のものづくり哲学。単純作業がすばやくできないで高度な作業は難しく、単純作業に慣れてしまって伸白のない職人というのは何十年の経験があっても、簡単な仕事も面倒だとか苦手だとかで後回しになることが多く、目の前の必要なことが仕事にならないという仕事に対する甘さが出て仕事として成り立たなくなる。やればよいだけのことなのにやらないという職人にありがちな体質。それこそが食べてゆけない本質で、仕事があっても前に進まないとか仕事が完結しない原因で、頭の中で分かっているとか知っているだけで手や体が動かずうぬぼれてしまって終わり。

私が先代に対して厳しいのも、体や手が正しく動かせず、経営者感覚で人に頼んでこの仕事は無理というところ。職人たちが単純作業に満足してしまってそれを自分が食べさせているというようなばかげた錯覚が、できることもやらない素人未満のものづくりにつながる。知っているだけで満足するのは先生や専門家、学生の世界、実際に形にして成り立たせてゆくのが一番難しいところで、商売で常に悩むのが技術じゃなくて、人の問題なのである。だから機械化するとか単純化するとかの方向に向かうのだろうけど、先進国なら人が高度なことを当たり前にできないといけないのだと思うが、単純なことも面倒がって働くことも嫌がるレベルでは、一般的に見下してしまう新興国の正しく早いものづくりに追い越されて当たり前。

中国の何千人企業の現場を見せていただいたことがある。設備は日本よりも劣っているか同等程度だが、何千人企業の一人一人の仕事の動きが日本人以上の正確さと速さがあり、自分がした仕事に対しての責任感を持っている。ほんと能力があってホワイトなのであるが、それが中国でも成り立たなくなってきている。日本だとその世界はブラックだとされる感覚。甘い汁を吸って搾取している人からすれば自分を正当化するために、満足もせずに吸い上げて、労使間での対立を生む。中国のその企業にしても繊維のなかでは一番くらいの優良な企業だろうけど優良な企業になればなるほどに限界までの優良な待遇をされていて、限界を感じられている。

中国の何千人、何十億円企業の社長が、朝、6時起きとかして朝食も食べず8時にホテルに迎えにきてくれたが、7時ころに朝食を外に食べに出て私の一行が不在で、その社長はホテルの15元日本円にすると250円の朝食が普通で従業員たちを支えられている。だからまだその企業は回っているのを感じる。帰り駅まで送ってもらったその会社でもドライバーをしていた身内だろうか、古参のものというのは待遇も恵まれているのに態度も悪く、そういう社長に対して、自分が上であるかのような社長を見下すような失礼きわまる振るまい、頭がいたいのも分かる。外のお客さんにしても失礼きわまる面倒な対応で自分が会社を仕切っているかのような態度。中国でも悩みは一緒なのだなあと苦労を感じた。本当の敵が中にいるかのような状態では、お客さん下さったより仕事すらもうまく回らないだろう。

私自身もタイミングもチャンスもめぐってよい仕事があったときに、前もって約束ももらっていたのだが、実際に具体的な仕事になると仕事をもったいぶられてしまったことがあって、「勝手にさわるな、いやなら自分で織れ」といわれ、結局、シャトル織機を自分の会社に入れることになった。何十年の経験の人が仕事があって仕事を邪魔することでえらそうにしても、仕事というのは毎日当たり前にこなしていかないと無理なのである。その年は、半年でご夫婦に工賃として1千万円支払えるような仕事だったのだが、そういう仕事というのはその分責任も重く、最初の見本ひとつが2ヶ月こちらが織れる前まで準備もしても織ってくれないような状況では、仕事をやってもらうのは無理だと判断、急遽、林与の会社にシャトル織機を探して入れることになった。何十年の方々が食べて行けなくなっているのに、そういう方々の言うことを聞いてやっていても成り立たないのは当たり前で、成り立たないには成り立たない理由がある。初心に戻ってちゃんと仕事をするところからはじめないといけないのである。
2018年01月04日
自動運転になると人々の運転能力は退化すると思う。手織りとかだと自分の責任だけど。力織機になると織機の責任にしてしまうから。たとえば、今も能登川駅近くのレール下は、車同士がすれ違えるかすれ違えないかの状況、電動ミラーをたたむ必要すらある。普通自動運転の状況だと、前から車がくれば通れないという判断をすることになるだろう。実際、大きなトラックが前からくれば完全に通れない。

これと似た状況が、工事現場。カーナビにも登録されていないし、人が旗を振っているだけの状況。人が旗をふって行きなさいとか止まりなさいを人がどこにいるのかなんてのもAIが判断するのだろうけども、判断ミスはもちろんあるだろう。片側通行で正面衝突事故につながる。危険な状況か危険でない状況なのかを切り分ける必要性。

面倒くさい者が勝ってしまうような状況をつくれば駄目だろう。たとえば、1車線の道で、自動運転の車と人が運転する車。自動運転の車は止まるだろうけど、バックして譲ることが可能かどうか。自動運転の車に乗っている人はややこしいことにちゃんと対応できるかというと対応しにくくなってて、相手がバックして譲ってくれるのを待つだろう。なんとなく織機を修理するのと似ていて、普段調子よく動いていて動かなくなったときにそれが何が原因なのかまず分からないのが普通で、自動化すると織機を修理する力が必要となってくる。

手機のときには単純な機構で人が織っていたから織機の問題は少ないが、自動化すると複雑なメカニズムを持つことになり、その面倒をみるのが織機を扱う人の仕事となる。素人でも織れるレピア織機というのは、調子よく織れているときには簡単なのだが、なかが電気でセンサーがたくさんついていて動かなくなったときに電気的な働きが見えないのでなにが原因なのかわからない問題がある。今まではなにかおかしいときに自分のなかの原因を探すのに機械が悪いという結論に達してしまうことも多いだろう。

自動運転の車の行動を読むメカニズムが必要で、今はいろんなメーカーが自由に自動運転車を開発できるが、自動運転のシェアが大きくなったときには、今のコンピュータのように、中の制御プログラムは、ウィンドウズのOSとかアップルOSかみたいに1社2社に収束してゆくだろう。自動運転車同士のプログラミングが見え、協調性をとっていないと、交通システムが動かない状況に陥る。数台が協調して動き解決しないといけない必要のある交通事情もあるから。人が自動運転の車の行動を理解しないといけないというのは厳しい話である。自動運転車は人が運転する車に道を譲らないといけないルールか、人が運転する車は自動運転車に道を譲らないといけないルールが存在しないといけないような、何が正しいのかを定義するルールの必要性がでてくるであろう。あと緊急自動車への対応もできるのかとか。

テスラの死亡事故問題でドライバーが警告があったのに手をハンドルから離したままだったからドライバーの責任だとテスラはしているが、結局、車が安全に自動運転で走ってくれていればいるほどそういう人は増えてくるだろう、織機でも自動で動いている織機を人が問題が起こったらいつでも止められるようにストップボタンに手を掛けていろ、みたいな状態は逆に苦痛だから。自動車を自分で運転するのも苦痛になるようだと運転しないほうがましなのではないかと思うのは私だけだろうか。
2018年01月03日
大津の分譲マンションで手抜き工事でディベロッパーが施工会社と裁判している件を知った。他にも家を改築するときなど手抜き工事で住むことも難しくなるケースもあるようだ。建物の場合、見えないところが多く、寄せ集めの外注業者が携わるため、最終が何千万とか、何億円のことでもそれを分業して受ける業者からすると日当をどう浮かすかとか、どうコストを落として利幅を増やすかが仕事となっているようで、話し合いなどでも、1年とか10年で崩壊するということは今までないからというような言葉が返ってくる。

働き方の問題で、普通の人間が週に40時間働くらいで、本当のプロになれるのかというと、10年たっても20年たっても素人なのかもしれない。人が何十年も住むようなものをつくろうとすれば、よほど仕事に力を注げるプロが集まって作る必要がある。手抜き建築では、家の柱が5cm足りないときにどうするかというと、新しい柱を用意するではなく、その隙間に5cmほど木の下駄を履かせることで解決。土台が地盤沈下して土台と柱が離れても、そこの隙間に何か噛ますだけとか。日曜大工レベル以下の工事を一級建築士たちがやってしまって、ばれてもどう逃げるか。ビス釘のほとんどが斜めにえがんでまともにまっすぐ奥まで打てないような耐震工事とか、現場は厳しくしないといけないのに厳しくもできずに素人の日曜大工未満。

大手の業者に頼んで下請け業者が来て仕事するときには手抜き工事になりやすく、地元の大工さんの仕事のほうがプロの仕事を期待できる。衣食住に関して、現場はなにか問題があっても十分働くこともできない状況で素人以下の仕事になりつつある。建築だと分解しないと見えない部分だからばれにくいので横行する。食品でも偽装がうたい文句になることが多い。神戸牛偽装も、こともあろうか農業のプロでないといけないはずの全農兵庫JAの直営レストランがやってしまった。神戸に来たから神戸牛を食べようと思った人が多いだろう。但馬牛の中のよりすぐりの最高峰が神戸牛ということだから最高峰のイメージで顧客の心をつかみながらランクが下とされる一般的な但馬牛を出してしまった。面白いことだが、但馬牛に最初からしておいたらよいものの神戸牛と冠を打って神戸に来た人々の心をひきつける。

今回の偽造とは関係ないけど、但馬より神戸のほうが上なのか、産地である但馬の名前ほうが産地でない神戸より上だろうとおもうけど、基本そこから変な流れだと思う。神戸で育てていないのに神戸牛だと、神戸で育てたみたいなネーミングで、消費者は神戸産じゃないの?の気分だろう。でも、神戸の本店を閉店の選択で、今回の事態を真摯に受けてとめておられるのは再開してほしい気になる。

林与が、本麻織物やリネン100%織物にこだわるのも、日本の麻織物の産地で織られる麻織物を作り続けておきたいから、最近は結構苦戦を強いられることが多いですが、1時間1mとか2mのペースで地道に織りを進めています。
2018年01月02日
今日は夜に整経の巻取の作業。荒巻ドラムに巻いた糸をビームに巻くのだが、シャトル織機が右ハンドルでヒガエが左側にあるので、シャトルの糸がシャトルから出てくるのが中心よりも右寄りになる。具体的には織機の中心よりも糸の中心は13cmほど右にずれることになる。これが曲者で、織物の幅が狭く、整経の回数が多いと巻き取り位置がどうしても左側になってしまうので、この糸のセンターラインを切って織物の端が左側に割り込むと理論的に片四と呼ばれるシャトル織機では織れないことになる。

これをクリアするためにできることはいくつかはあるのだが、ひとつは、反対用のシャトルを使うこと。ヒガエのない織物だとこれで解決できることが多い。でも、今回は巻き取りを反対回転で巻いて、ビームをひっくり返すということで、ビームの巻き取り位置を右側にずらすことにした。

このときに、なぜ座布団の会社では巻取りの回転が逆なのかに気がついた。整経機は幅が広く、織物は座布団なので幅が狭い。たくさん巻くと同じ問題が起こって、右と左のシャトル織機を使っている機場では、逆回転でないと巻取りが難しいことになるからではないのかと推測した。逆回転の場合には、便利なこともあるが、一番怖いのは髪の毛の長い人やエプロンの裾などが巻き取る糸に吸い込まれる危険性があることで、昔、ある座布団工場では巻き取り作業で女性が3人亡くなっているという怖い話。

現場というのは厳しくするとついて来てくれないかもしれないが、厳しく言って常に言うことを聞いてもらっていないと、失敗が多いだけでなく、不注意な状態では怪我をしたりすることも多くなる。厳しくするなみたいな仕事スタイルがどれほど働いているものの危険認識を低下させるか、ゆるい気持ちで仕事をして大怪我をしてからでは遅いのである。織物の仕事は危険といってもスポーツと同じ程度だろう。シャトルが飛び出すのはゴルフのボールが飛んでくるのと同じことであり、ゴルフのスイングは周囲の安全を確認してからするとかそういうレベルの話なのである。水泳とかのほうが溺れ死ぬこともあるので危険ではある。

織機を扱うときにも、最初多いのが、動作ボタンの上に手を置いたり乗せたまま、他の人が作業をしているのを見ているとか。そういうのが気がつかないと体重が掛かっただけで急に機械が動き出すから危ないのだということを説明しないと、初めて織機を使う人や見学の人がやってしまうことの多い危険。シャトル織機に関しても動いているシャトル織機からシャトルが飛び出す可能性を常に考えて立ち位置なども大事である。こういう心配性なことを現場の人に注意するとうるさそうにする人もいるけどそういう人は現場には向かない。なにごとも注意していれば安全なのだが、軽く考えていると一回の事故が大きなこととなる可能性がある。また、一台の織機を二人で分業でするのが、楽しく仕事ができるので、はじめての人に多いのだがこれも本当に危険で、織機はできるかぎり一人が動いて一人で作業するように注意することが多い。例外的に二人でする作業もあるけどもそのときには完全に織機を動かさない想定での作業のときだけ。

今日の巻き取りはなんとか最後のほうまで巻き取り、初めてのことだったがモーターの回転を反対にしてうまく巻き取ることができた。そのほか、今日はチーズワインダーの場所の蛍光灯をLEDに交換、グロータイプなので、グロー球をはずすだけでそのままLED蛍光灯が使える。センサーLEDにしたので使っていないときは消灯の節電タイプ。前よりもかなり明るくなってかせをチーズアップする。
2018年01月01日
あけましておめでとうございます。昨晩、横浜に住んでいる弟が帰省して久しぶりにあう。昨晩は早く寝て万全の体調で新年、毎年よりも好調なスタート。朝8時から今年の仕事が始まる。1月5日が仕事はじめのところが多いので、1月5日の加工出しを目標にいろいろな仕事を織り進める。

昨日は、シャトルの管や木管を裸にする機械(名前ありません)のVベルトが切れていたので、それを補修するためにVベルトをコメリに買いにいった。Vベルトは農業用の機械にも使われているので汎用部品としてコメリのような日曜大工センターにも売っている。コメリで買うものは値段は手ごろであるけどもやはり強度が低いなあと思うことが多く、工業機械専門のお店で買うほうがミツビシとかのしっかりしたものが手に入る。ミツビシのVベルトも以前は国産だったのだが、今は海外さんになって安くなったが残念に思う。

日本というのは品質重視だったので、日本製よりも海外製がよければ海外製のものを高くても使っていたのだが、日本のものづくりが消えてしまった感がある。部品の材料にしても神戸製鋼の問題なんかも大いに絡んでいて特注に謳っていようが実質はJIS規格程度のものしか手に入らなくなってきた。日曜大工につかえても何十年も使う産業用部品としては耐久性がまったく足りないのである。日本のものづくりが部品から海外さんに移行してゆくと機械からして海外の水準と並んでしまう。部品からして一番よいものが海外産ということになりつつあるのだ。

海外の人のほうが働く意欲をもって正しく働いていることが増えもはや追い越されてゆくのは仕方のないことだろうと思う。アメリカナイズドされてしまうと、日本も政治力で押し売りや戦争で取り返すしかない体質になってしまう。もし、タカタのエアバックがメキシコ製でなくてアメリカ製だったなら、タカタも批判されることはなかっただろう。アメリカナイズドされるためにはアメリカと同じように政治的には自由貿易ではなく保護貿易を主張しないと難しいだろう。ほかのメーカーのエアバックでも死者は絶対に出ているはずだろうが一切封印されている。他社製はロケットに使う爆薬が使われているのだから。ロケットの発射よりは低いが失敗はつきもの。

現実の認識が大事で、日本人は狂牛病のときも全頭検査で1頭も許さない姿勢で農家を責めるほどの安全性が基本。一方でアメリカの狂牛病の牛は確率的に安全と危険ゼロでないものを輸入するようなダブルスタンダードで日本とアメリカの関係はなりたっている。アメリカの牛肉は危険と政府もいうべきなのだが、日本の政治自体があってないようなものなのでそこに期待してもしかたないだろう。繊維でも同じで、日本製には厳しい基準があり責任を求められるが、海外製品には甘い基準と責任を求めない形で流通してしまう。日本の政治の場合、海外に対しての捜査権などないので輸入品に関しては何が事実なのかを調べることすら不可能なのである。

ヨーロッパでのアゾ染料規制に引っかかった事例としては、中国製品、インド製品が多く、フランスやドイツ原産も見受けられ、日本はない。輸入品を調べれば、世界ではよく使われている染料だけに、たくさん引っかかっているだろうと思う。アゾ染料の代表であるナフトール染料というのはオレンジ系の赤い色などがきれいに染まる特徴がある。今も、アジア諸国の工房レベルでは使っているところも多いだろうと想像できる。

ナフトール染料も日本でも過去には何十年も使われてきた染料で、今更、危険性を煽るほどのものなのかと思うところもあるのだが、世界的な染料メーカーの力関係なども影響しているのかもしれない。ある世界的に有名な家庭製品を販売するアメリカメーカーの開発などの目的でも、手軽さや安さが重視されて市場シェアを狙いにいくような開発を追い求めているので新しく出てきた技術には常に同じような危険性は伴う。規制がないだけでシェアを伸ばしたときに安全性が疑問視されて、規制ができてひかかるまでが儲けるちゃんすみたいな。日本のシロアリ駆除のPCB規制でも同じようなこと。家にPCBを1980年くらいまでは巻いていたのに、今はPCBを諸悪の根源のように一切許さないみたいなオールオアナッシングのような無知なる啓蒙は人々の健康を守るためにも駄目だろう。
2017年12月31日
昨日から関東から女性の方が工場の中で作業経験。思うのは失敗してそれをリカバーできる力を身に付けてほしいというあたり。当たり障りのない作業をこなすのではなくて、精一杯やっても失敗があってそれを当たり前に乗り越えてゆけるような考え方や力を身に付けてもらいたい。

今できないことを後にできるようになるのではなくて、今できるようになる努力みたいなものができれば、どんどんといろんなことが自分の力で前に進んで行く。シャトルを挟んで縦糸が何十本切れてもそれを直して前に進んでゆく、それの繰り返しをする中で上達があるのだろうと思う。

自分ひとりで物事を前に進めてゆけるようになったら一人前、後で一人前になるよりも最初から一人前を目指す考えのほうが到達も早い。1人前目指さずに半人前目指して半人前になって、経験積んだ半人前が1人前になるのは至難の業だろう。
2017年12月30日
昨日の分の日記の続きです。染を自分でやろうと思ったのは5、6年前のことだったと思う。まず、草木染で再現をしたいなあと思って染料メーカーに相談したら染料店をご紹介くださって、染料店の方は、ボイラーなどの設備がないからやめときなさいという判断。それもプロのアドバイスなのでその代わりに京都の染屋さんの現場を使って染めることになった。

その年の6月に試作をしてもらって順調にひとつ仕事が入ったと思ったら、本生産となるとその方と連絡がつかなくなって、結局、染屋の大将を説得してその正月3日借りることにして自分で染めることにした。正月3日、タイムスの駐車場で寝泊りして、試作したものを自分の手で再現。その後は自分の家の中に染を持ち込んで量産をしたようなこともあって、最後は自分がやらないと駄目だということを悟るに至った。

自分でやると自分が何をやったかがはっきりとわかり、再現性に関しても自分でコントロールができる。外に頼んだときに再現性がうまくいかないのも良く分かるのである。データなどをしっかりと管理しないといけないのだが、職人という感覚の世界になると慣れと勘で仕事をするので、毎回のばらつきが出て当たり前なので、たとえば、試作より色が薄かったら、もうちょっと濃くなりませんかというとなんとでもできるという返答が帰ってくるけど、本生産を1回全滅させてもう一度作り直す話になる。職人というのは出たとこ勝負で責任が伴わないことが多いので再現性の要求される世界では通用しないことが多いのである。

職人の技が上達するとかはよほどその職人がその気になって研究を積み重ねないと難しいだろう。たとえば、どうしても急がないとならない話で、ある京都の染工場に麻の糸染を依頼したことがあったが、加工すると4色が4色とも3分の1の濃さに色が落ちてしまっている。麻は染めたことがあるので大丈夫だ、反応染料なのでフィックスなしでも大丈夫だと自信をもって返事をされていたが、糸で渡してもらったときには色はばっちり合っているのだが、色を合わせるために色を足して合わせてあるような状態で、50度での湯洗だという話。加工工場では70度くらいにあがるので、それをいってもらわないと困ると逆切れされてしまって、50度で湯洗されるという京都のひとつの染工場の技術というのもシルクと麻の技術の違いを知った。糸染めの反応染料の湯洗というと沸騰に近い90度以上のイメージを持っているけども、50度の湯洗を基本とされていると根本的な問題なので改善すら難しいだろう。昔は加工工場さんも90度以上で加工をされていたが、今は70度に落としてやられている。それは持ち込まれる反物の染めの技術が昔よりも落ちているから、90度でやると色落ちなどの問題が出てくるかららしい。

今は状況も変わって来ているが、昔の中国の染めなどは色落ちが激しかったといわれるが同じ問題なのか、あるいはコールドタイプのような水で染めることのできる直接染料とかで染めていた問題だろうなあと思える。水性絵の具にアクリル樹脂を混ぜたようなタイプのアイロンで色落ちをとめるタイプの染料もあったりするが、染や加工というのは同じに見えてもピンキリなので、麻は麻が得意な染工場、加工工場さんに依頼するのが経験や実績などからしても生地の見た目だけじゃないよさがあるだろう。あるいは、自社で生産から販売まで一貫してされているような工場さんだといろんな問題を経験されているので、機屋の抱える品質面での問題なども良く分かってくださる。テキスタイルメーカーがピンチに追い込まれることが織るということだけでなく、糸、染、加工などの外部要因に左右されることも多いのである。
2017年12月29日
今日は実質年度末で今日までお仕事されているところが多い。一年というのは春夏秋冬で、4月から始まるようなイメージがあるけども、旧暦だと2月くらいから始まるというのが一年の始まりで、ちょうど一番寒いときを過ぎて、春に向かうときが一年の始まりとなっているのだろう。子供のころから雪のイメージの1月に迎春というのは不思議だった部分であるが、中国の旧暦の正月という概念を日本も正月として受け入れているあたりなんだろうと思う。

子供のころに、でいに火鉢が置いてあったが、火鉢が暖める手のぬくもりを除いては部屋そのものも冷え切っていて、前栽は雪景色。部屋の中にいてもすごく寒かった冬を思い出す。そんななか外で雪で遊ぶのが子供。そういうのも一種の慣れだろう。工場のぬくもりで解けた屋根の雪が、1mくらいもある巨大なツララを何本も屋根からぶら下がっていて、それを折らないまま落としたい願望にかられていた小学生のころ、それが冬の楽しみのひとつであったのも思い出す。

昨年は今頃、収集がつかないほどに型染めのことばかりをやっていた。12月28日に染料などの手配が済んで年末と正月を使って、初めて本格的に染めることに没頭。基本の色出しから、昔の柄から型紙を作り80cmの幅のストールに仕上げる。頭の中では、小さな版をつくれば縦横の送りを何度もすれば、大きな柄となると思っていたけども、送る数が増えれば増えるほど乾くのを待たないといけないのと、型紙を洗ったり拭いたり、捺染枠も洗ったり拭いたりが増えるのが、本当に手間で、色数も4色で4版とかなると、ひとつの試作で、小さな版だと何十回もその作業の繰り返しとなったり。結論、大きな版でいくほうが綺麗に早くできるということにたどり着いた。そういうのはやってみないとわからないもので、見出した結果が全体像を変えてゆくことになる。

捺染台や適当な蒸し器がなかったので昨年は蒸し器を自作したり、単に刷るだけでなく、一切を自分の中でやれないと試作が完結しないので、自分自身がやってみて何がベストなのかを見出すために染めに関しては失敗の積み重ねであった。染がそこそこ上手にできるようになると今度は織りの工程に入ったが、染めた横糸をシャトルの管に巻き取る作業までがまた一苦労でそれもひとつ機械を作ってみたりした。ゴールデンウィークに二ノ宮とめ先生のアトリエで半日教えてもらったことを半年ほど染料や機材などの構想を練って発展させて自分ですべてできるかたちでの試作にたどり着いた。(つづく)
2017年12月28日
織物の毎回ゼロから立ち上げるような仕事なので、ゼロからでも動いて最後形にできるような力がないと、物だけでなく仕事としても成り立たない。そういう力は、企画力みたいなものに思われがちなのだが、実際問題としては、目の前の物事を自分で前に進めてゆける人が少ないというのが問題そのもの。それは技術とかじゃなくて、文化とか教育とかの部分だろう。

ある方とお話していたときに、今の人というのはマニュアル化して与えてあげないと作業ができないということをいわれていた。口伝えで自分がポイントをメモするができないというあたり学校の授業を思い出す。私がある工場にいたときも、メモとペンをいつももっていて教えてもらったことは必ず自分でメモしたものだが、マニュアル化したものを渡されないと作業ができないプロというのも本当にプロなのかという感がある。

マニュアルをつくることくらいはできるのが自分で何が正しいのかを知っている本当のプロなのだろうが、ゼロのときから学んでいく中で、そういうのを自分で作り上げてゆけるような姿勢がないと本当のプロにはなれないだろうなあと思う。言葉を言い換えれば、他の人を育ててゆくような立場にはなれないだろう。経験を積んでも育ててもらう子供スタイルのままなのだ。

ある大阪のソフトウェア開発の会社に在籍したときに、社員の人たちが仕事しているときにプログラミングを勉強中のアルバイトのものが仕事時間中に休憩場所でタバコを吸ってだべっていたり、それを他の社員たちは注意をしないのだがあるとき一人の人が現れて注意、私はすぐに社長だなと気がついたが、アルバイトの子達はそれに気がつかず、お前は誰だ、なんで文句をいうみたいな。社長も社長らしいのはしっかりと注意をするところさすがだなあと感じた。そういう社長の存在がなければ、人が集まってもたんなるだらしない集まりに終わる。
2017年12月26日
今日は神戸に納品のため東名を走るも吹田から尼崎が事故通行止で、茨木で降りて西宮まで下道を走って長旅になったが間に合った。織物を生産するのは張り詰めたところまでもっていって動くことが多い。車で数時間掛けて納品というのは運送会社に頼むか頼まないかの違いだけのことだとは思うので、追われているときには自分で納品したほうが時間的な問題をクリアできることが多い。

夜9時過ぎに戻ってから、デザイナーの子の猫たちとお別れ、半年前に保護された子猫を2匹譲ってもらったのだが、デザイナーが猫アレルギーが出てしまって、猫アレルギーに効く薬というものはないということで、残念なことなのだが新しい飼い主を探してもらうことに。

ボランティアでご夫婦で、捨てられたりした猫の飼い主探しの世話をされているお二人。本当にボランティアの気持ちだけで動いておられる方って居られるのだなあと実感するお二人、保護された子猫たちを自費で養って幸せな環境がみつかるまで守り、しっかりと引き渡すことを目的に動いておられる。仕事をされながら、今日は11時すぎまでこちらで引き取り帰られると1時くらいになるだろう。

私自身は仕事も責任をもってやるということは同じことなんだと思う。昔の人は自分のためではなく、自分が大事に思うほかの人のために働いた。私自身がこの仕事を他の仕事以上に大事に思うのも、多くの人々が大事にしてきた仕事で仕事らしい仕事だなあと思えるからである。また、自分の手で生み出してゆくという人々を幸せにできる一番の要素が詰まっている。責任を持って成し遂げないといけないというプレッシャーは常にあるがそれは仕事とすれば普通のことで、耐える部分こそが仕事で、その中に幸せがあったりもする。

30歳くらいのお二人だろうかボランティアの人たちも自分が働いたお金をつかってそうやって捨て猫捨て犬たちを守る社会をつくりあげて、社会の問題を解決しておられる。行政も解決手段がなく、最後は不幸な猫たちを殺してしまう結果になるのだが、この方々は、飼い主に猫に虚勢や避妊手術することを契約として課しておられるあたりも、行政やペットショップ以上に現実を踏まえた対応をされていて、いい加減なよい話だけでものごとを進められているのではない。

デザイナーのおうちに来られた友人などの皆さんが猫アレルギーであることが多い、一説には小さなころに免疫ができていないと、大人になってからアレルギー物質が一回体に入るとそれに反応する物質ができてしまい、次からは反応が過敏になってアレルギーとなるようだ。世の中が住みやすい環境になり、自然や動物に触れることが少なくなって、昔以上に良い環境だから人の耐性がなくなってきてしまっているという部分があるのだろう。こうなると動物が人が接することが難しくなる。

人が幸せになろうとすると、砂漠の中のオアシスを求めることになる。まさに地球温暖化の挙句の果て。私も留学時代にカリフォルニアのアーバインというところにいたが、カリフォルニア自体が砂漠に近い気候で、虫すらもが生きてゆけない土地、そこに水を引っ張ってきて、人々が暮らせるようになり、アメリカでも一番気候的に住みやすい一等地なのである。それが人々の求める理想社会で地球温暖化を危惧しながらも地球温暖化後の環境を求めているところもある。地球温暖化も求めているものそのもので、日常社会では雪が降らない住みやすい日本を求めるのが人の性みたいなものではないだろうか。
2017年12月25日
今、急ぎのリネンを織っていて、シャトル織機の中で動くときに異音がしていてときどきクラッチが離れなくなったり、横糸切れを感知しなかったりで、一番調子が悪かった一台。たまたま、その織機につなぐのが一番早かったのでそこにつないだところ、すごく心配していたのだが、前の仕事でかなり調整を加えたためか、すこぶる調子がよく、スピードを上げて織る。

通常はシャトル織機は1時間に1mから2m織れる程度なのだが、この台は急ぎのために回転をかなり上げてもついてきてくれている。ついているとしか言いようがない。しかし、調子に乗って、高速で織機を動かし続けることはよくない。いろんな部品に負担がかかり、何十年使える織機でも1週間で部品が磨耗してしまうとか、プラスチックのピッカーや革の部品が壊れるとか。また、シャトルも消耗が早くなる。急ぎの仕事だけ急いで元のスピードに戻してあげることが大事。ゆっくりと綺麗なキャッチボールをしているような状態が理想のスピードと考える。

一方、小幅を調子よく織っていた別の織機がなぜかスピードが遅くなる現象。スピードを上げてもシャトルを挟んでしまいそうなくらいに遅いので、インバーターを交換してみるが直らない。その状態で織っているとシャトルに初速が付かずに、シャトルを挟んでしまう現象が何回も起こって、縦糸切れなどで直すのに時間がかかるだけでなく織り上げる織物も品質がよくない。これは限界だろうと根本的な原因を一休さんする。クラッチの入りが甘いことが原因だろうと推測して調整を加える。元の状態に戻った。

ステッキの折れた織機がまだ止まったまま、他にもやらないといけない案件と急ぐ案件があって、後回し。今日も朝10時まで織機を直しながら織っていたので2時間休憩する。
2017年12月24日
シャトル織機のステッキが折れて交換。ステッキが折れる事態はそれほど珍しいことでもなく、ものには寿命があっていつか寿命が来ればすり減ったり折れたりして交換が必要になってくる。でも、今回のは織機の杼替えがうまくいかない不具合があって、それを気持ち悪いなあと、6箇所くらいの原因が推測されるので、順番に手を加えていた途中での出来事、ステッキがピッカーに当たる部分がすり減ってしまっていたので、裏表をひっくり返して取り付け、いざ出陣。再始動。

順調そうで、ヒガエが噛むこともなく、ステッキがすり減って、ピッカーの動きが悪くなったのが原因だったのだろうかと結論付けようかと思ったら、織っていた子が、ステッキが動かなくなったと。見に行くとステッキが根元で折れている。ギャー。このステッキはたぶん50年以上前のもので、ステートオブアートなのを、下手くそな修理で壊してしまった。

折れた原因は推測するに、減ったステッキに合わせて、ピッカーが当たるバッファーの革がたくさん入っていたので、すり減っていないステッキを使う時には、バッファーの革を減らしてあげないと、ステッキに負担が掛かってしまう。新しい葡萄酒は新しい革袋に入れなさいという高校時代に意味が理解できなかった聖書の文言が理解できた気がした。新しい部品は完璧であろうが、すり減った部品と合わせようとするときには、全体がうまく機能するためには、すり減った部品側をもとの新しい状態に戻してあげる必要がある。

私が思うのは、新しいばかりがよいのではなくて、ブドウジュースがぶどう酒に変わるように、新しいも新しいままでは駄目だという部分も、シャトル織機にも共通していて、ピッカーなんかは最初平べったい状態からシャトルの先が当たって、安定してシャトルを受け止められるように変化していく、ステッキも同じでピッカーのあたる部分が磨り減ることで安定してピッカーを送り出せるようになる。そしていずれも、磨り減ったりして交換が必要だが、部品なんかは交換が必要だが、人の場合には考え方や仕事の方法を変えることで対応できる。

2017年12月23日
職人というのは仕事しても食べていくのが難しい存在になってしまっていて、これは伝統工芸系の手織りでもそうだが動力織機でも同じこと。糸を巻いてくれるおじいさんは食べていけているのは職人というよりも親方だからだろ。生きるために仕事をする部分が強くその中で技術が磨かれていて、糸を巻くという単純な作業ながらも鉄板な感じ。

私も同じ作業を急いでいるときには林与の工場の中でやることもあるけども、おじいさんにやってもらうと生産性も品質も確実性も高い。頼れる存在なのである。割り切りももっておられて職人にありがちな驕りもなく、一生懸命にさせてもらいますという言葉を常にいわれる。外の世界をしっておられる親方だなあと思う。

中のものというのは仕事がいつもあるという錯覚があるので、仕事のありがたみなどもわからなくなることが多い。職人が食べていくのが難しいというのもそのあたりが関係していて、気を抜いてしまったら外にいる他の人に追い越されてしまっているのにも気がつかないことが多いものである。

経験をつんでも自分が他の人を養う親的な感覚になれず養われるのが当たり前の感覚だと外の世界も仕事も見えなくなるだろう。たとえでは、糸商さん、問屋さん、アパレルの会社におられた方が独立されるでも、独立したときに自分が会社にいたときと同じルールと感覚で仕事をされる方が多い。当たり前だがそうするとうまく行かないものである。何でその会社が小さくせざるおえなかったのかなども考えると自分ひとりで同じ感覚でやっても続くことは難しいだろう。

誰かが養ってくれるという職人的な錯覚が消えないと今の日本の繊維業界で残っていくのは難しいだろうなあと思う。私が知っている繊維業界の若い方々は、一人ですごく動かれている方が多いけども、自分ひとり食べていかれるのも精一杯なのだが、それをちゃんとやられていて若いときから親方感覚なのである。大変だろうなあと思うけど何でもできることはやってみるみたいなのがないと難しいだろう。みなさん自分の世界を作り上げて、すごく光っておられる。
2017年12月22日
私もこの仕事は20数年で、仕事がすごく上手な一人のかたに教えてもらったというより、その人の仕事の進め方を手本としたお陰で、整経の作業の他、他の仕事しておられるかたたちの仕事の準備と片付けをすることが多かった。自分が動いて仕事が前に進んで行くのが最初から当たり前で、苦手と言えばお客さん相手の部分だったろう。

今は、林与の話は、長すぎると言われる。普通のもの作りの話で終わらないし、普通の織物の人が避けるような修羅場続きだが、過ぎれば笑い話が多い。織物の会社を経営することでいろんなピンチとチャンスに恵まれている。

問題を起こさないようなもの作りが大事なのだろうが、問題が起きたときにリカバーできる力がちからが、実力じゃないのかと思う。失敗の経験も大事で、失敗してどうするのが正しい手順なのか自分で決めて行く。

織物の仕事なんて、自分がやるから仕事があるだけのことだと思う。仕事を大事に思い、前に進めて行かなければ他の人が進め、今ある仕事もその人から消えて行く。

2017年12月21日
今日は、晩御飯から帰って書類作成を終えてから夜中仕事、織、整経、糸分割、絣の横糸を作るを並行して行う。並行して行うのでそれぞれの作業のスピードは落ちるが、動きが止まらないので結局はたくさんの仕事の成果となる。書類関係の提出の問題がまだ残っているので、それを仕上げるための時間を見つけようとするがちょっと寝てそれは朝から。もう12月も数えるほどの日数しかない。

糸が染まりあがってきてもそれを仕事に持っていくためには、糸を分割して整経という作業を進めていかねばならないが、分割も、チーズワインダーという機械で、必要な大きさにカウントして分割する。その必要な大きさを計算するのも必須の仕事で、まず、縦と横それぞれに必要なその糸の量を計算し、1mに必要な糸の量が出てくる。染まった糸を縦横で全部使い切るなら、染糸の量÷1mに必要な量=染糸で織れる量が理論的には計算でき、その長さを整経のドラムが2.5mなので、2.5で割ると何回整経ができるのかが割り出せる。

縦糸の総本数割る、整経の1バンドの本数で、何バンドの整経となるか計算し、整経回数X何バンドX10が、チーズワインダーのカウントとなる。10をかけるのは、整経の荒巻ドラム1回2.5mとチーズワインダーの1回28cmの長さが10倍違うから、余裕を1割ほど見ている。

この計算は仕事するときに必須となるので、できるかできないかで自分が仕事するのか他の人に仕事してもらうのかが変わってくる。計算自体は小学生の算数に近いのだが、こういう計算ができる現場の人というのは稀なので、私が新しい人には最初に教える大事な計算なのである。私はいつも外の会社の人に頼まれて糸量の計算をするのも仕事のうちで、こういう計算ができる人というのは自分の仕事を進めてゆけるし、間違いなどにも気がつきやすい。

小学生中学生だとこういう計算問題スラスラとできないといけないのだろうけど、社会人でこういう計算がスラスラとできる人というのは稀であったりする。普段の織物作業でも、いろんな仕事をこなしてゆこうとすれば仕事の中で、面倒がらずに覚えて四則演算を活用できる必要がある。実際にこういう計算があたりまえにすることができると上手に仕事がこなせることになるのだが、日本の織物工場だとそれぞれの工場に一人いるかいないかで、その人が他の人の仕事の準備をすることになってのパンク状態。

そういうできる人がいても計算を間違えたりすると計算をできない人がちゃんと計算してよみたいなことをいったりするとかの笑い話もあったりで、仕事が上手に発展していくいかないは、そういう部分が大きい。昔の分業の時代と違って、今の仕事というのはこういうことがちゃんとできないとなかなか成り立たないのだが、それを実際に正しくやるなら仕事がある正しくできないなら仕事がないということにもつながる。地場産業が衰退していく原因のひとつが、こういう計算などを面倒がらずにできる人が地場産業には少ないことも要因のひとつだろう。

地場産業でも織物会社が製造をやめて企画会社として残る形が多いのも、現場では簡単な計算も働かず仕事が前に進まないとか、ちょっと難しい仕事は理解できないとか確認も働かず作業の間違も多発とか。製造をあきらめて他でつくる流れに移行するからだろう。地場産業の復興とも、面倒で嫌に思うことでも淡々とこなしてゆけるような人が必要なんだろうと感じる。昔は人は自分のために働くのではなく家族のために働いたので嫌なことでも我慢できたとかあるだろう。

ある作家の先生が知人の方から子供に絵を描いてほしいと頼まれて、1ヶ月掛けて絵を描かれ肩が上がらなくなってしまったと楽しそうに話しておられた。他の人のために働ける人は、仕事も卓越されたものがあって、普通の仕事の人が及ぶ領域ではない。若いときに自分から学びたいと弟子入りされた経験などお持ちで、そのときに恩をいただいたことなども感謝され大事にしておられて、能力も高く理想的な社会なんだろうと思う。そこまでたどり着くと仕事で食べて行かれるのも簡単なのだろうが、一つ一つの仕事に注ぎ込まれている力は普通の人以上であり、仕事じゃない普通の話を一緒にさせていただいていても他の人のために生きておられるのを感じる。それが自分の教える生徒さんだったり、被災地の方々のためであったり。人生観が仕事にもものづくりにも表れておられ、先生となられても看板商売じゃなく身を張られ新しいことにも打ち込んでおられる。

心のこもった良いものがうまれてくるのも当たり前に思える。林与の近江上布絣を広幅で再現するプロジェクトもその先生が染めの一通りの基本というか、その先生の普段の作業を、半日で私に享受くださって、私一人でも昔の近江上布を広幅で再現することがやればできるんじゃないかと実現に至った。技術やセンス云々よりも、一人の人としてその方はすごいのである。
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