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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2017年11月10日
織物に修正作業が伴い、それは織るよりも手間が掛かることが多い。麻の100番手クラスだと、インチ70本だとセンチ30本ほど、縦横それぞれの1mmに3本の糸が存在する。麻糸は凸凹なので、それぞれの糸がまっすぐに走っていようが、織られた状態で一本一本の糸を把握しようとすると、肉眼では難しいことも多い。今、修正しているのは黒い糸がベースになった織物で織ること自体も、細番手の麻糸のような場合だと、白の織物を織る何倍も難しくなる。

布(ヌノ)という言葉はオを縫うことが語源となって、ヌウオが布(ヌノ)となったといわれる。日本で最初の織物というのは、日本でもアンギンだとされるけども、アンギンというと上から下に糸を平行に等間隔でたくさん垂らしてそれを編むような感じで横糸を通す。私が思うのに、木の棒2本に糸をぐるぐる巻きにして、それを縫うスタイルの織物もあったろうとおもう。地面においてやったほうが簡単だろうなあと思う。

織物を縫って作ることが可能なのだ。織物は、居る(イル)が転じてオルとなった説と縦糸を折って織るので織るというようになった説などがあるが、オルのは布で、古代に布というのはオを織ったものを指した。絹は、打面して綿として使ったので織るものではなかった。近江真綿なども、綿ではなく、絹の布団綿のことを指すのを初めてしったときには、何で綿布団なのにシルク使っているのか疑問だったけど、絹を打面してワタとして面にして、それを肌に当てて服としたのが始まりとされる。
2017年11月09日
昨日は、麻の古い布をみる機会があって大麻が原料になっているというお話。近江上布ということだが、絣ではなくプリントが施してあった。白く晒した生地にプリントというのは珍しく、私としては初見で柄と色合いからすると京都の捺染の世界の色合い。地場の江戸時代の麻というのは、藍染が主体で、絣になっているものが近江上布とされる。

近江では野洲晒が有名ではあるが、愛知川の晒も野洲晒の職人が移り住んで愛知川での晒が始まったといわれている。野洲晒しは、奈良に野洲の職人が技術を勉強に行って覚えたとする説が有力だそう。今も野洲には紺九さんを初めとして京都の国宝や重要文化財を守る藍染の技術がある。野洲では晒すだけでなく藍染屋さんがたくさんあって、古来の藍染めの技法を再現したのが紺九さんである。

彦根城のすぐそばには紺屋町が残っており、彦根では織物はあまり織られていなかったとされるが、染屋は存在していて、高宮布を藍染していたものと思われる。彦根には京町という名も残っており、小京都の名残で、京都の文化さながらだったろう。江戸時代にも、京都のものが入って売られていた可能性は高い。彦根の呉服商の旧家をゲストハウスにしておられる無我さんでみせていただいた着物は、まさに金襴の世界で、彦根の地場産業である仏壇の技術などもシルクであろう素材には京都の室町の金襴織物を感じる。彦根城博物館にあった大名の衣装も麻は確認が出来なかった。素材に関するドレスコードがあったに違いない。

シルクというとやわらかいイメージがあるだろうけども、必ずしもやわらかいとは限らない、シルクを精錬する技術もたしか江戸時代に完成したような説があり、それまでのシルクというのは麻を思わせるような表情のしっかりしたものだったろう。着物の世界ではハリやコシというものは大事だったりするもので、光沢感のないマットなものは安いものとしてとらわれたのだろう。
2017年11月08日
昨日はタイイングマシーンの使い方を教えるというところ。自分がタイイングマシーンを使う分には、どうでもよいけれど、慣れない人がつかうとなると。使いやすいように準備作業が必要で、タイイングマシーンの糸を押さえるラバーゴムを変える作業を数時間かけて行う。タイイングマシーン本体が問題なくても、糸を押さえる4本の棒のゴムが経年劣化して硬くなっていると糸をしっかりとホールドできず、糸が緩んでサクサクと作業が進まないことがありえる。

作業というのは自分の作業が正しくても使う道具の扱い方が駄目では駄目で、そのあたり分かっている人でないと全体のバランスも取れずにになってしまうので、分かっていくことが仕事としては大事。タイイングマシーンのラバーゴムも、1台4本、8本分でタイイングマシーン2台分買うのに15000円くらいかかるけど、それ以上にそのゴムを交換する作業が苦痛であるのも仕事のうちとして経験がの世界。

そういう仕事をどれだけ当たり前に仕事して流せるか、それが継続してできるのがほかの人にできない私の強みだったりする。私自身なれているかというよりも、なれなんて必要なくてやるかやらないかだけのことと割り切っているので、慣れとかいつかできるみたいな憧れみたいなことは職業体験の子供の世界。目の前のこと慣れてなくてもこなして行けば素人でもやらない講釈ばかりの熟練者よりもよい仕事ができる。

ラバーゴムを替えたタイイングマシーン、今までとは違う糸を確実にホールドして、カチカチと音を立ててキビキビとした動き。苦労してラバーゴムを替える意味もあるのが分かる結果。ほんとそうで、何十年の現場というのは新しい現場とは違って、より厳しい目をもっていろんなことを見据えていかないと難しい一例。何十年前に、一台自動車が買える値段のタイイングマシーンを新品で買ってスムーズな作業をしていたとしても、それが何十年も経てばタイイングマシーン本体も古くなるが、本体だけでなくゴムなどの消耗品も交換が必要。消耗品を買うはよいけど交換作業をする覚悟があるのかないのか、その程度が当たり前でなければタイイングマシーンをもっていてもまともな仕事を続けてゆくこともできない。

糸を繋ぐのは糸をつなぐ専門の人の仕事とか、整経は整経屋さんの仕事とか、検査や修正は専門家がとか、自分がやってみればわかることも多いし、プロよりも自分が上手に出来ることも多い。収縮物性なんて、自分で生地を洗えば分かることで、さらには、加工工場が難しいという収縮の問題すらも、収縮の問題が問題であってが何が問題なのかも分かることも多い。素人の人が使えば問題がない生地でも量産の世界では現場のまさに素人が扱うので問題になることが多い。その現場の素人に合わせて生地をつくるとなると安全な生地しかできなく、プロの匠の技を素人中の素人のために用意することに力を注ぐ必要があるのが今の品質検査の問題の一つ。

神戸製鋼の問題があったけど、JISの規格なんてものの強度は最低ラインとして定めているようなものではないか産業用のものは何十年ともたないとならない。タイイングマシーンも昭和51年に導入したのだが、1976年ということになる。41歳の精密な機械。シャトル織機にしても、シャトルに使われる木が丈夫なのは30年も掛かって乾燥させるからみたいな話。日本のものづくりを世界の画一的なところに落とし込んでいけば、日本のものづくりは薄れるだけで、考え方一つから世界のほかの国のひとと違うのが分かる程度でないと、特別な世界は維持してゆけないであろう。

実は日本人よりも海外の人のほうがものづくりに熱心になってしまっているんじゃないのかと思うことが多い、着物の世界も日本人は飽きてしまっていて海外の人のほうが着物の世界のものづくりに憧れる。布にしても同じで、日本の布の世界というのはすごくハイレベルだったのにどんどんと出来なくなってしまう。一つには、行政による規制などが軒並みなものが多くて普通のものしか作れないところに落とし込まれてゆく流れ。

私自身は自動運転車に関して反対なのは、日本では、バックするときにカーナビの画像を信じることも許されず目視確認義務があるのに手放し運転を推奨する流れは一貫性がなさ過ぎる。アメリカだと人の命というのは、戦争もそうだけど軍人が亡くなるような悲劇も本人の意思で納得しているから済む話。20ドルも払えば1日で運転免許が取れるアメリカと、30万円40万円コースの教習所が当たり前の日本の違い。20ドルも払えば1日で運転免許の世界が自動運転の発想なんだと思える。アメリカだと小学生が車運転するのが夢の世界だろうが日本だとそんなんは許さない土壌があるだろう。
2017年11月07日
植物から繊維を取り出すよい方法は、茎を蒸すこと。だから茎蒸(カラムシ)といわれるのだといわれるが、そうやって取り出された繊維というのは、苧(オ)という名前で表現され績(う)まれる。績む作業というのは、昔から年寄りのおばあさんの仕事とされていたが、私の大ばあさんも、もう紡績の時代の人だったけども、10cmの糸でも足して使ってたのは、糸というものは績む作業から始まることをしっていたからだろう。

今もリネン紡績の現場にいったりすると、麻糸というのは草の茎なんだなあと思えたりするものである。形は変われど自然の草を身につけているだけのこと。今日も工場の中で、リネンの100番手の切れやすい織物を織りながら、カラムシの繊維を取り出す作業をしていると、どっちも雰囲気は同じなんだなと思える。リネンの100番手を織るのも、手績みの糸をつくるのもほとんど同じ感覚。

簡単な作業なんてないと思えるのが、作業というのは自分のペースと関係しているので、どの作業も簡単で終わらない。今手元のことをやりながら、あんなことをやってみたいなあとか、少しづつ準備を始める。仕事を自分で生み出して行くことが出来る人というのは、繊維の業界ではほとんど稀である。仕事というものは与えられたことをするのが当たり前の感覚があったりするのだろうけど。自分で仕事を生み出してゆく、生み出すだけでなく、成り立たせてゆくというのが私にとっては仕事。

私が自分自身を職人だとも思っていないし、職人っぽくないといわれるのも、新しいものを生み出しているからだろう。一般的には職人というと与えられたことを慣れでするのが職人らしい仕事。私自身が作業をしていると慣れはほとんどなくって、厳しい感覚で常に注意をしていることがほとんど。慣れというものは今の慣れていない人が携わることの多い繊維業界では、自分がいくら正しくてもほかから生まれてくる問題すらも解決していかないと難しい。

作業が機械化されてしまうと機械が悪いとか言う人が出てきたりするけども、それは本末転倒。機械なんていうのは自分が単に作業をしやすいようにするための道具で自分が使いこなさなければならないものだろう。鋏が切れないという人がいるけども、鋏なんて使いようで、切れる使い方をできるかできないかの部分も大きい。だれもが切れないという鋏でも私の場合、コツ次第で問題なく切れることがほとんどだったりする。職人が何十年使う鋏というのは、普通の人がつかうと、切れるようで切れないことがほとんど。職人にとって使うとき意外に切れる鋏は危ないのだ。使うときだけ切れる鋏が危なくもなく一番よい。
2017年11月04日
林与のオリジナル的な加工方法を考え中で、この加工で加工したものをネットなどでも販売していく予定である。味があってやわらかくて皺にならないような加工、そんな布を生み出すことが目的である。

今日は私自身は、一日その作業に取り組んだが、加工の力が足りずに方法を断念。新しい機械のメカニズムを考え直す。現場では、環境の勉強をしている大学院生の女性が織物の製織や整経作業を経験。卒業したらシンクタンクに就職を予定の女性ではあるが、こういう町工場的な現場を見て作業を経験して、ものづくりの仕事というのは頭で考えるのと現実は違うという部分も経験はしてもらっておくと、考え方が変わることがいろいろとあるだろうと思う。

日本人が農業をしたり織物をしたり必要ないのではないかと思われるかもしれないが、農業も織物も優秀な人だけが携われるというような作業でもなく、間口が広いのである。真面目に作業をしようとすれば、それほど頭の良し悪しなんて関係はなく、学校のように単なる成績で、できるできないが決まるわけでもない。貧しくみえる途上国の人のほうが農業や織物の仕事は上手なことも多い。

右から左の仕事が多くなってしまっている日本で、それを理想とする考えがあれば、右から左の仕事というのは駄目な仕事としてはじき出されてしまうことになる。右から左の仕事なんて誰でもできるので成り立ちにくくなるのが当たり前なのだがほとんど何もせず利益率が高かったりするのでよい仕事に思う専門家も多い。それを日本が目指し、みんなが生き残れるのか。

日本人が器用とか、忍耐強いとか責任感があるとかいう部分、世界の中でもほんとうに強みなのだと思うけど。世界でも日本は裏方で面倒を見る側だったけど、そういう要素がなくなって、名前はあっても実質が伴わなくなってしまっている。神戸製鋼の問題なんかもというよりJISの規格にしても、通常に流れているネジ一つにしても耐久性のないのものが多くて数ヶ月で使い捨てのレベル。自動車メーカーなどがJIS規格以上のものを求めるのも当たり前に分かる。一般に流れているものではJISがついていても満足できない日曜大工に使うレベルのものが多い。
2017年11月03日
今日は文化の日で、米原の伝統産業会館で長英座のロビー展示のイベント。仕事に追われていてあまり準備ができないが、昨年、しが新事業応援ファンドで試作した近江上布の絣柄などのストールを展示しました。次は12日にロビー展示予定です。

今年は、ワンピース用の生地を試作予定で、染料も手に入れることができ機器も作成ができたので、次は、捺染してシャトル織機で織り上げるステージ。今年は年内には完成が必要なのだが年内の仕事もかなり埋まっている。

時間の流れるのは本当に早い。人一人が、1日にできることなんて限られていてよほど前向きに取りくまないと。店頭に安くていい感じのものがたくさん並んでいてもなかなか売れるのが難しい状況で、売れるものをつくることは難しいだろう。

しが新事業応援ファンドのような助成金を受けて行うプロジェクトは、お金儲けというよりも、この仕事をするなら自分が本来はやっておきたいプロジェクト。できるかできないか分からず、時間と労力を要するプロジェクト、本業のつもりでやったら失敗するだろう。別腹で、時間を見つけて動く。自分の頭、時間、体力を使う。まさに自分がつくるものだから、無理してでもしっかりと作りたい。

2017年11月02日
今、自分自身にとっては織物の新しい加工に取り組んでいる。柔らかくシワになり難い麻を目指す。このメリットは、小ロット、クイックレスポンスという対応も兼ね備えているところで、今後、林与の生地の風合いの特色のひとつとなっていくものと考える。林与のナチュラル仕上げを一歩踏み込んだ形で、ナチュラル仕上げの3倍ほどの時間を要することになる。

今は世界中、やわらかいリネンストールも今は普通になったが、当時は麻のストールといえば、腰のあるものや濡れ雑巾をしぼったようなものがほとんどだったのに、やわらかいリネンストールができないものかと細番手で織り上げて林与が会社の中でリネンストールを柔らかくしようと洗ったところから始まった。ほかの人に頼んでもなかなか難しいことが自分の手の中では簡単にできたのが不思議だったが、織りだけでなく、そういう切っ掛けから、加工や染のことをやったり、糸の仕入れなどトータルに自分でこなしていくようになった。

今回の新しい加工も、見せるのはこの春夏物向けからプレゼンをしていこうと考えている。ナチュラルな風合いながら柔らかくシワになりにくいリネン。ただ、手間が掛かりすぎるので、卸売りはせず、当初は切り売りベースでの販売になろうかと考える。この加工方法もオーガニックなので、従来の生地では難しいアレルギー体質の方やベイビー用途にも対応できるのではと思う。
2017年10月29日
織機を調節して調子を上げると、やはり織りやすい。織機というのは上手な人が織っているとどんどんと調子がよくなっていくのだが、下手な人が織ると調子が落ちてゆく。調子の悪い織機を直そうとして、問題のない場所を触ってしまって、織機がボロボロになってしまうこともあり、織機を調整するときは時間のあるときに私自身が織りながら調整を掛けてゆくのがベスト。

この1週間で7台の織機に調整を掛けた。最近、リネンの60番手を織るのに苦戦をしたので、調整をしまくったがためにその調整が仇になっている。織る前の糸や糊付けなどに問題があると問題のない織機に調整を掛けることになって織機の調子が狂うのだ。出来上がった糸を織れないといって織れないままにしておくことも一つの方法だろうけども、それだとあまりに芸がなさ過ぎて、素人に近いのではないかと思うところがある。

現場というのは「織れない」「できない」「分からない」ということを口にするが、問題を乗り越えることに時間を使っていないことが多く、「織れない」「できない」「わからない」の積み重ねが、何十年の経験があっても惰性では続けてゆくことは難しいだろう。新興国で何千人がそれなりに正しい織物を作れるのが当たり前なのに、先進国の日本では正しいものをつくるのが難しいとかでは厳しいのも当たり前だろう。

展示会などで海外の繊維関係の人と話していると仕事に前向きで気持ちよいのだが、日本の繊維関係の経営者の多くが面倒な仕事はしたくなくお金儲けしたいだけみたいな人も多い。結局、海外に仕事が流れてゆくだけで自分たちがよいものをつくろうとする気持ちすらがないことが多い。できることを減らしてシンプルに仕事みたいなスタイルがほとんどで、それだと海外の何千人の工場に分があると思う。
2017年10月28日
蒸し器の水の量を多く入れすぎて水が配線部分に滴って、電源を入れてもブレーカーが働いて使えない。大満足で使っていた蒸し器、本来は染色用の蒸器なのだが、温度制御もできるので、ちょっと寒くなってきた工場の暖房代わりにも使って便利だった。長く使って行こうとおもうと、ここで一気に分解して原因を探る。

中のパーツは、それほど多くなく、電気の流れを追っていくと大体の動きが想像できる。一番疑ったのはヒーターへと制御を繋ぐ配線部分のコードが濡れて駄目になってしまっている可能性。そこで、コードを新しく付け直したが同じ結果。

ブレーカーが、30アンペアを超えてしまって働いているのか?それとも漏電して30mAの電流の差が出てしまっているのか。この装置を作ってくださった方にも問い合わせて知恵をかり手伝ってもらいながら。たぶん、水に濡れた部分がまだ濡れていてということで、配線をはずしてみることにする。配線を外してみると、ヒーターの中の配線と外側とは完全に絶縁していて問題ない。

絶縁のシリカを守るためのワッシャーが悪さをしているような気がして、ワッシャーをはめて抵抗値を探ると、ワッシャーがはまると絶縁状態が緩まってしまうようで、ワッシャーを外して絶縁用のシリカをつけてやると問題が解決。この数日、直らないのではないかと悩んでいただけに、問題が解決して気分晴れ晴れで、その後は仕事に打ち込めた。

これからもこの蒸器は活躍してくれる。
2017年10月27日
古代において大麻というのは粗いもので、太麻と書くこともある。神事で大麻がつかわれるのも高級品とされる細いものではなく、逆に麻本来の味のある質素であるからだろう。高級なものにこそ人の欲や邪が潜むだろうから、原始的ものや祖なるものを大事にしているあたりが神道の精神にも通じるのではなかろうか。

大麻が古代から高級であると当てはめるのは、今の感覚過ぎるんじゃないかと思う。大古の時代にもカラムシやアカソなどより細くてやわらかく未精錬のシルクにみえるような繊細な麻があったけども、神社で大麻が使われるのは、素や粗であることこそが大麻が神社に使われた理由だと思う。麻らしい粗野に思える部分が神事にはよいのであろうとおもう。神社に供える麻というのは鰹節のようなイメージに近いものであり、洋服に使えるようなものではないようにみえるところがよいと思う。大麻に関して細くてやわらかいものがよいというのは、あまりにも現代の感覚過ぎるのではなかろうか。それを古代の大麻に求めるのも無理があろう。

リネンでも本来丈夫でよいとされるのは、ラインや一亜と呼ばれるものだが、硬さがある。グレードが低いとされる、トウや二亜と呼ばれるものは落ち綿なので糸にしても柔らかく、ホームファブリックなどには適していると思う。なぜ麻が高級とされるかの背景には、細くて長い繊維を取り出すことができ細い糸が作れることがあった。細い糸をつくるのは手間がかかり、また、織るのも手間がかかるから。しっかりと織っても細い糸を使っているので、柔らかさや軽量感、清涼感が伴うことになる。

日本の着物の世界ではしっかりと織ったものが良いものとされてきた経緯があって、江戸時代は、日本中で苧績みが行われていて、一般の人でも、自分自身が苧を績むという作業を行っているので、着物を見る目も高く。高級な着物に対する価値観も、高かったといえる。成人するときの晴着のために、親がコツコツと蓄えをしたというのも日本的な部分で、年配の方とお話するとその方々のおばあさんの時代の着物が残っているという話をよくお聞きする。
2017年10月26日
実際に目の前の仕事に打ち込める人というのは少ないものでそういう人って希少になりつつあると思う。私自身は目の前のことに打ち込めれば幸せだろうなあと思うけども、あれもこれもと追われることが多く、じっくりと打ち込めることは少ない。

やらないと行けないと思っていても、ほかの人がする仕事の準備や後片付けなどで後回しになって、結局、追い込んで2日折り続けたというのがあった。その2日で5kgほど劇痩せした。2年前のイタリアの展示会に行く前も同じように、ほかの人が私が留守中に仕事できるように織機を立ち上げたり準備をして、これも3日ほど食べる時間と寝る時間も惜しんでの準備作業。こんなに追い込まれてではなく、じっくりと仕事できれば幸せだと思う。

よくあるのが出荷時間に追われて仕事するよりも徹夜ででもじっくりと仕事をして、朝、相手先にもっていったほうがよいと思えたり。私の場合には、ほかの人のトラブルを解決したり、難しくてできないこと、失敗すると取り返しのつかない部分が仕事なので、そういうことが完璧とはいわないまでも出来る人がいれば、もっと難しいこともできるだろうにと思うが、普通に仕事をするも難しいが今日の現場。

昔、出機さんが間違わないようにわざわざ新しいビニール袋に分けて袋ごとに、糸の名前、どの織物に使う糸なのかなど、注意して書いておいていても、そのビニール袋を農業かほかの用途に使いたかったみたいで、ビニール袋から糸を全部出してしまって一まとめ、糸を小分けして色番号を書いたビニール袋が消えてしまって適当に織ってしまっているとか。失敗も多く危ないから注意して注意して用意してあげてもどんどんとずさんなことやってしまわれる。

何十年の経験者でもその程度であることが多く私自身は経験の長さは意味がないと思えたりする。経験の長い人というのは出来ることでも面倒がってやらないことも多く、素人未満の仕事しかできないことが多いのもよく経験することで、日本の国が新興国にものづくりで負けてしまうのも、経験があるとかのおごりでいつの間にか抜かれてしまっているというだけのことだろう。
2017年10月23日
麻というものは昔は全国で織られていたものだが、よく、琵琶湖の湿気が要因の一つに挙げられるものの、なぜ、湖東産地では麻なのかという問題があろうとおもう。彦根藩が麻織物を奨励したことや、冬場に雪に包まれる農村であったことがあるだろう。また、機屋というのは母屋が親戚を束ね、集落規模の産業としていたのが、明治大正の時代でそれが戦前まで続いた。

近江湖東産地というのは、農村が主体で、神仏信仰が非常にあって、先祖代々の祭られている仏壇を守るという思いが強く、丁稚奉公にしても、次男、三男が、外に出て母屋を守るために仕事に励むのが正しい人生観としてあった。私の住んでいる東円堂という集落も他の集落と比べると高齢化は進んでいるもののまだまだ勢いがあってその傾向があるように思う。

和装が衰退して和装に残るでなく、昭和50年頃から広幅の織物に転換をうまくしたのが近江湖東産地であったことが、他の麻の産地をリードしていたといえる。林与は昭和50年の初頭に、麻が織れるか織れないか分からないもの産地では一番にレピア織機を導入し無事に織る事ができ、他の会社さんも導入が進んで、1970年代の麻ブームにつながった。近江湖東産地が今も日本の麻織物の代表的な産地として名前が残っているのも、それがあったからで、もし、和装に留まっていたとしたなら麻織物の主産地は他に移っていただろうと思う。

今は、日本の麻織物の主産地として名は残るものの、近江湖東産地で織られる近江麻布は出会うことも難しいものとなってしまっている。逆に小幅織物で残られた小千谷の産地のほうが麻を織るということでは元気かもしれない。
2017年10月17日
海のイベントで、インクジェットプリントしたTシャツの前処理剤が適切でなく、やけど被害があったとネットでみました。そのTシャツも、2年目で、1年目は同じ業者がつくって問題が無かったとのこと。京都の名の知れた薬品会社さんの仕事だったそうですが、新しい前処理剤を使ったとか。

新しい薬剤をつかったりすると怖いのがこれ、たぶん自社製の新しい前処理剤なのだろうか、責任を認められているも、案外起こりがちな事故であろう。薬剤メーカーさんというのは、新しい薬剤を作ったはよいけど、プリントテスト程度で、実際の人体への影響などテストせず、世の中に流す傾向があったりする。

新しい加工などには新しい薬剤が使われたり、組み合わせが変わったり、今回のは、体に直接影響が及ぶような事故だが、体に影響が見えない程度のことも起こりえることはあるだろう。そういうのが新しい加工を飛び歩くときにいつかはあったってしまうこともありがちなこと。薬品メーカーでも分からないことが多い薬剤の世界、ある程度安定した定番の実績のある加工方法を林与が提唱するのも安全性の面では大きなブレがないと思うから。
2017年10月16日
私が作った麻糸は世界際最細番手じゃないかと思うくらい本当に細い。フラックスの単細胞繊維だと思う縦に伸びた一本を寄り合わせた麻番手で1000番手を超える糸、同様にラミーでも同じくらいの細い糸を作った。リネンもラミーも見極めがつきにくいほどに違いが無い。どこかにおいてしまうと目に見えないだけでなく、手に持っても空中を漂っているから。

リネンやラミーの繊維一本を繊維に繋いで糸にしたのは私が初めてではないかもしれないが、驚くべきはそれを織機の縦糸のうちの1本として繋いだら、織機がちゃんと動いたこと。そこが麻のすごいところで、シルクだと蚕の糸一本では織るのは難しいと思える。現状では私はやったが生糸は駄目だった。でもそれをシルクの世界のプロの方に相談したりして、成し遂げたいと思っているのが私。カシミヤも世界際細番手の織にに挑戦したいと思っている。

誰もやらないかもミクロンの世界を経験して(それもそんなに難しくないミクロンだと目に見えるのが今の私ごときの糸の素人クラスの技術で研究段階では到達できる、日本繊維のプロの研究とすればその先のナノの世界が必要で、航空関係では日本の技術としてそのレベル)、麻の世界最細番手の糸のすごさを感じる。それをハンカチ程度なら縦密度インチ300本X横密度200本くらいなら、手織りできるのではないかと思うのが、私の考えで、昔の人ならやってただろうと思う。私も状況が落ち着いたなら、本業とは別に趣味の範囲で挑戦をしたい。この文章を読まれて、勢いのあるかたなら私よりも先に挑戦をしてもらって、アマの最細番手とされる660番手を軽く超えていただきたい。

私が自分の手の中で見たものは、麻の究極の細番手の世界。ある展示会で、リネンの140番手を展示していると、ハンカチの会社では針の穴をスッと通る糸があるという話だが、1940年の手織りのリネンでは当たり前。本当に細い麻糸というのは目にも見えなく手にもてば天女の羽衣のごとく空中を当たり前に漂うから怖い話のが分かる。見えないものを無理やり見つけて持って、親指と人差し指でぎゅっと捕まえても逃げるように空中に漂う。人は浮き上がらなくても布は天に舞うように浮き上がっていたというのもありうるんじゃないのかと、天女伝説を読んで思う。たぶん、天女伝説は質量の重い麻ではなく、蚕の糸一本を織る技術が古代にはあったのだろうと思う。そのクラスなら絹の布が天に舞うのも不思議ない。

科学では解明できるのだろうけど、まだ、解明されていない神いるような世界が現実だったって、昔だったらありえたのかもしれないと思う。今の科学での子供だましな手品では神を語るには失礼すぎるだろうと思う。人が神のような力を持っていた昔、祖先が神的な存在だったのも現代につくれないようなものを祖先たちが自分を犠牲にしてつくっていたから、それを化学で騙してはちょっと違いすぎるのじゃあないかと思う。

古代麻布の再現に、大麻の名乗りを上げて、水溶性ビニロン混の意図を使うのが適切なのか思うと現代の最先端あるいは普通の化学技術で悲しく思うほど。誰がそういう路線を主導してしまったのか。覚悟決めて地道に守るべきが麻の道じゃないのかと思う。70過ぎるその麻布研究家のかたも、スポンサーのサポートがなければ辞めるという話。そこまでやって消費者に商品買ってもらってスポンサーがいなくなったら辞めとかは駄目というのがその方の肩書きを信じて買われた消費者の立場を守りたい私の役目。神とか持ち出すなよ。

日本で手広くやられているオーガニックコットンの協会の理事長も70過ぎているが同じように自分自身はオーガニックコットンじゃないものがオーガニックコットンとして売られてもそれをやった企業の責任で自分とは関係ないとまったく責任を感じる覚悟もない、手績みしている人やオーガニックコットンを栽培している人以上に人生の覚悟決めていないと70歳超えていようが実際に覚悟決めてやっている人から見ればトップですらもヘナタレそのもので駄目。実際話してみるとトップですら責任から逃げるだけの自分は責任ないと逃げるサラリーマン以下、高齢だからもう引退したいという理由も騙す理由にはならないし意味分からん。謳いが、百貨店でものを買う消費者の信じるものとは別の世界。私は専門家や認定するだけの商売の素人だから、現場では業者が騙しているだけみたいな逃げ口は通用もしない。

名誉欲、金欲の材料として、オーガニックとか、神が持ち出されるのは筋違いだろうと思う。あるオーガニックコットンの人たちは本当に心が優しく、大手のオーガニックコットンの理事長の権威主義とは待ったく異なる。そういう気持ちがあってオーガニックコットンを扱うべきだと思うのだが、電話でも、科学的に安全というだけにしてほしい、エシックスとかフェアトレードとかは面倒で嫌だといわれていた。人々を救うためと信じて高いお金払って買う消費者としたら厳しすぎないか。
2017年10月15日
私が思うのが、私の周りで新しいことを出来る方が3人いてくださって、その方々というのは、織機や装置から自分で考案してつくる力を持っておられ、一日中仕事みたいに動いておられる。みんな70歳を超えておられて実力主義の中で生きておられる方々、一人は2年前に引退された機屋さんで、最後一人で綺麗に片付けて終わられ、もう一人は大手の家電メーカーの開発の方で織機をリストアされることを楽しみに貢献されそれも今難しくなりつつあるということ。もう一人が蒸器を手伝ってもらった大手で開発をされている方、その3方というのは人としての奥行きの深さが半端ない。なかなか出会えない方々。

業界を引っ張ってゆくような力をもたれていて人間としての余力が半端じゃない。そういういろんな人の問題を解決できるような方々の次があるのかというとこれからそういう甲斐性のある方があるのかというと難しいかもと思う。私もいろんな相談を受けるけどもなかなかできていないことで手一杯になってしまって自分の普通のことでもできないことが多いから。

私自身、いろんなことに追われていながらも、ものごとを前に進めてゆこうと気力があるのが救いだろうと思う。ものごとをどんどんと前に進めてゆける人って、私的には気持ちのよいタイプであり、私自身もそうありたいと思う。こんなことやりたいと夢をもっているひとでも自分が前に進めないで、実際にやってみて結果悪くてもやらないで夢のままよりはましだろうし、今のタイミング、実際やってみると現実と直面することが多いもの。

手の込んだすごいことをやろうとしても、その毎回の作業が忍耐だったりして、頭で考えるのと実際に自分で実行すると夢から覚めることも多い。何か手に入れたいものがあって、夢見ているときが一番幸せで、手に入れたら最初だけで使いもしないことも多い。自分が動かないといけない部分が伴わないと最終のゴールにはたどり着かないのだろうと思う。他の人に私がするアドバイスは、自分の出来る範囲でとりあえず前向きに動いてみること。他の人に動いてもらうのではなくて、自分が一番動くということが大事で、自分の手や体使って経験してみること。いろんなことが見えてくる。
2017年10月14日
普段織機などを使っているので思うのだが、自動って人の能力がとことん落ちるので、自分のせいじゃなくて機械のせいにしてしまうことになるんじゃないだろうか。そうなってよいんだろうかと思う。性能がすごいという自動ブレーキがあって動画みてると時速45kmで走って、横から出てくる人を検知して止まる。が、みていると相当の急ブレーキになってしまっていて、後ろで走っている車からすれば追突する可能性すらある。もちろん後ろの車も十分な車間距離は必要だが。また、もう2m近くで人が出てきた場合には完全にヒットしている。結論から言えば45kmで走ってはいけない状況で走り、また、ちゃんと止まれるように計算して人形の模型が飛び出しプロモーション動画が出来上がっているだけのこと。自動車のような命の関わるもので自動運転というものを過信するのは時期尚早すぎるだろう。
自動運転でも手を離して運転するようなことが想定でデフォルトになっているけども、今の日本の運転マナーとは逆行するような流れ。

日産自動車やコベルコの話もあったが、働く時間が短くなると完璧なものは作り上げにくくなり、日本で作るのは難しくなるという結論。家電メーカーは国内の電化製品の製造からは撤退してゆく流れになるだろう。繊維でも外部の検査機関に検査を出すので再検査になって再加工や最悪最初から作り直しなどでその仕事だけじゃなく、他の仕事もできなくなり大変で困っていることも多い。ほかの大きな仕事を元気にやっておられる風にみえるテキスタイルメーカーさんは検査の数値がまず通ること無いので数字を書き換えて出すという話もしておられた。
2017年10月13日
私自身、麻織物をやっていてなぜこのような技術が発達したのだろうと不思議に思うことが多かった。特に古代の織物のほうが精密に織られているとか、筬も今のほうが精密なものができるはずなのにどうして?と思っていたけども。古代の日本の技術水準の高さは現代以上なのかも知れないと思い始めた。身の回りのもので生活できる力、自分で自分の服もつくれる力など、現代だとプロを超えた作業を人々は当たり前にこなしてきた。

日本人にありがちなのが日本の織物のルーツを探るときに日本人がすべて生み出してきたような錯覚があるけども、1万年前までは地球が氷河期のアイスボール状態で日本列島は氷に覆われていて人が住めるような状況ではなかった。1万年前に氷が溶け出して日本列島に中国の南のほうから来たのが日本の縄文人の始まりで、弥生時代というのは徐福という人物が生み出したと考えるのが無理のない日本の織物の歴史を解明する説ではないのかと思える。

日本の昔の織物はどうこうと探すよりも、天然繊維に関しては、徐福が持ち込んだ中国の織物の技術が今の織物に発展してきたと考えるのが一番で、縄文時代の日本の人口は6000人程度といわれていたときに、徐福一行は童男童女3000人、中国最高の技術者500人という規模。その技術者たちが童男童女3000人を八丈島で教育した。それが七夕伝説という説。古代の神の持つ日本刀にしてもたらら製鉄のような技法で作られていたと考えられるが、そのような技術は徐福一行の技術者がよい鉱源を見つけ日本で応用したものではないだろうか。ヤマタオロチ伝説も、ヤマタノオロチというのは悪い奴を蛇に例えたのだろう、まさに今の農家つながる年貢制度の始まりで、当時の様子が伺える。鬼が島の洞窟も渡来の悪い奴がいて桃太郎がそれを成敗したというあたり実話だろうけど大蛇伝説と被るところが多い。秦氏というのは、秦の国の人々ということあろうし、機という言葉とも関係している。

古代の麻というと大麻だみたいな人がいるけども、昔は青苧、赤苧のほかもっといろんな植物から繊維をとって服にしていた。麻という言葉が日本で生まれたわけでもなく、少なくとも徐福が日本に来ていたのが事実なら、インドと中国の繊維の最先端の技術が日本に持ち込まれたことになる。皇族行事で稲を植えたり機織をするなども徐福が五穀を持ち込みそれを、日本中に指導者として広めたのと被ってくる。

日本の古代の麻織物は大麻だなんて決めつけはどうかなあと思う。渡来人が持ち込んできた織物技術が日本の織物のベースとなって始まって、その後の発展もあっただろうけど、そういうのを受け入れるべきだろうと思うのだが…。商品として出てしまったら軌道修正も難しくなってしまうので、その後は柔軟な対応もできなくなる。大麻栽培の件でも、飛びつきはよいけど、食べてゆこうとするとそれをお金にしないといけないし、現実考えれば成り立ち難いケースで副業でやるのがよいと思う。それだと大麻栽培免許は下りないだろうけど。まともな大麻栽培で日本で食べて行くのって厳しいから人が食べてゆかないといけなくなると、結局、海外の大麻吸引ビジネスのような展開になるオチだろう。麻を地道にやってるものからすると結局悪い流れにしかみえない。神社関係の理由を正当な理由として大麻合法化で大麻ビジネスというのが政治的な動きだろう。海外と同じような大麻ビジネス展開目指しているだけのことで、それにはわたしは反対の立場。繊維の話とかは正当化の単なる隠れ蓑で騙されたでは遅い。
2017年10月12日
仕事で思うのが技術じゃない部分が大事じゃないのかと思う。同じ環境で上手にできるひとと出来ない人の差があったりするけど、上手な人というのは出来て当たり前と物事を考えているが、出来ない人は出来ない理由を探す。いろんな企画を考えたとしても、企画自体よりも誰がそれをやるかで、成功するかしないかが決まる気がする。

はらっぱさんという会津木綿の会社があるが、小幅の織機で横は単丁杼の小幅の織物。ストライプ柄などが特徴だが、昔ながらの出来ることの限られている設備で自分のスタイルを作り上げて元気にしておられるのは見習うところが多い。しっかりと自分のやっておられることに価値観を持っておられ、いろんな気遣いもできるかたが運営をされているので、色や柄にもセンスを感じる。ありがちな、うぬぼれがちな職人の世界に陥ることもない。でも支えるすごい苦労がある気がする。

技術よりも支える苦労が大事なんだわなあと思う。もちろん昔ながらの織機をメンテする技術は相当なものだけども、それ以上にそこで働く人を支える苦労を誰かがしてそういう織物が残り続けているのだと思う。学んだだけでは技術継承なんて無理で、自分は他の仕事をしてでもそれを支えるような気持ちがなければ、難しいだろう。自分の好き嫌いで残れるようなものではなく、他人のために働く覚悟のある人がいないと、技術を持った職人にしても残っていけないと思う。

そういう力はビデオで技術学べば修得できるとか、勉強して修得するものじゃなくて、人の部分。
2017年10月11日
仕事があるのかないのかは自分が仕事するかしないかだけのことで、あったとしてもやらないと仕事をとることもできない状態になる。できない仕事よりもやらない仕事のほうが多いのが、日本の繊維の現場。旧の共産主義国の仕事しない現場のイメージに落ちながらも、日本だから高度なものづくりができないとという妄想から始まる勘違い。基本の仕事もできないというかやらないままに、意識高い系の先進国では旧来の産業というのはほかにあこがれ手も動かなくなり落ちてゆくことが多い。考え方次第では日本の繊維にもチャンスは多いのだけど、手も体も動かさないと目の前の簡単なことも進まず、食べてゆくことも難しいのが先進国というタイタニック。

日本人というのは目の前の損得にとらわれないみんなを幸せにするような深さがあって、それを実践して成功してきたのに、教育が普及すると逆に自分本位になって分かち合うという気持ちすらもなくなり、同じお金をもらうなら仕事すればそんみたいなタイプの人が多くなりすぎで、もうすでに仕事量を増やすでなく、仕事もない状況で、仕事しないで自分のペースで好きなことだけやって、難しいことは逃げながら養ってもらうタイプが増えすぎた。

今も選挙だけど、選挙の時にはよいことをならべて何でもやりますで、当選すると私利私欲にというか、選挙に出ること自体私利私欲で、仕事やらないタイプが増えすぎた。どの候補も働かずして選挙活動で大丈夫なのが不思議?その日暮らしのアルバイトの人のほうが選挙に出てる人たちよりも自分で働いているだけまともなのかもしれない。選挙にでている人も、就職活動みたいなもので学生と同じ。できますやりますで、何で解散なのという話。結局、選挙して選んで権限を与えてもやらないのだから何の意味もない。解散しても株式市場は好調で何の影響もないということは、存在そのものからして無意味で、選挙しても変わらないということ。法案なんて議論したところで運用しだいで180度方向は変わる。法律なんてあってもすべて力によるさじ加減で、力を持つものだけが排他てきに特権を享受し潤うような法治国家としても末期症状。

国難に陥るのも当たり前で、責任感のあるまともな人ほど抱え込むことが大きくなりすぎ、そろそろ歯止めが利かないと難しい。GDPの数値も2%だろうが5%だろうが、年金バブルに支えられた数値改善で、実質的な成長ではなくなってしまっている。何十兆も株式市場に資金を流しても2%程度の成長も難しいほどに、日本で物事を成り立たせるのは難しくなってきている。国会議員にならなくてもまじめに働いて生み出してしまった国難を身を入れ替えて支えてゆくことは簡単だろうが、国難は仕事もせずに身を入れ替えることもなく、だらしなく生み出されてゆき続けるのが問題。

自分が生み出さねば、朝三暮四か朝四暮三の選択しか、よくてもなかろう。
2017年10月10日
今日は蒸器の試運転。装置の上に乗せる木箱をつくる作業からで、コメリでコンパネを買って大きな長方形の箱を作る。心配していたのが、蒸気が十分に発生するのかという点と、発生した蒸気が箱から漏れないかどうかという点。100度で10分から15分蒸して反応染料を反応させる必要がある。

箱もいい感じで出来上がってから、スイッチをいれる。10分ほどで蒸気がかなり出始め、箱を設置して蓋を載せる。しばらくして箱を空けると蒸気が漏れ、やけどしそうなくらいに熱々で、外への熱の漏れもほとんどなく、中だけが蒸気で強烈に充満している一番理想的な状態。中も蒸気が水滴化して結露しているということもないので、水が垂れて捺染した部分がにじんだりもすることはないだろう。

1年目からの最初の構想で、こんなものができればよいなあと頭の中に描いていたがそのままのものが出来上がって機能する。最初の1年目は染の技法の確立からで、自分で木とステンレスのピンを買って捺染台をつくった、また、蒸器も鍋を改良してつくった。そんな手製の機材の中からいい感じに絣のストールが10柄生まれた。2年目幅の広いものを織るため機材を大型化するにあたり、捺染台もパーツの加工をプロに頼んで、蒸し器も信頼できるプロのアドバイスをもらった。これもまた偶然にアドバスをもらえる流れになって不思議といえば不思議で、恵まれているなあと思う。

2年目の今年はワンピース用の生地ということで、幅もより広く、長さもより長くつくる必要があるので、今日の機材の完成が到達できるのかできないのか心配をしていた。これから実際の捺染と織りに入る。楽しみである。

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