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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2018年06月27日
今朝は、ぎりぎりまでテキスタイルマルシェの準備をして午前9時に売り場に到着。他の出展者の方が手伝ってくださってなんとか、準備ギリギリ開店に間に合う。東京から昨日の夜帰って、一人でなんとか準備できるところまでやって出発。留守にする現場の準備もしないといけない。現場を助けながら外のことをやっていくというのはどれだけ時間があっても足りない話になる。

どこの会社も同じような状況なのかもしれないと思うのが、テキスタイルマルシェが成り立つのも自分たちでそういうイベントをやっていこうという人がいるからというところでしかない。逆に、会社が大きくなるとテキスタイルマルシェのようなイベントには参加するのが難しくなるのではないかと思うこともある。テキスタイルマルシェは自分で作ったものを売るために準備して自分で売って行けるような理想的なチャンスで、テキスタイル以外に小物を売ることもでき試行錯誤できる自由度も高い。

実際のものを見てもらう場所としては一番くらいによい百貨店の売り場で自分の作ったものを販売できる。そういうチャンスがあるのだから、それに掛けてみないで他のチャンスを探しても仕方ない。今回は、リネンガーゼストールを藍染にしたストールをワゴンに並べてみて、勉強になったことがある。藍染ならすべて同じに評価してもらえるのかというと非常に大事なポイントがあるということ。

今後の藍染するときの参考になった。
2018年06月26日
今日はジェトロの商談会。夜行バスで東京に向かい、豊洲のアパレルさんのところでお昼過ぎまで滞在させてもらう。今扱っておられる商品などをみて、どういうものづくりが許容範囲に収まるのかとか、求められている生地を頭の中で整理する。築地市場の移転問題で豊洲という場所に興味をもっていたが、地下鉄の駅で、半分以上の方が降りられるほどに、活気がある。人が動く場所でないと成り立つような活動は生まれてきにくい。

今、型紙のデータをつくるのにイラストレイターの機能を使おうと考えているのだが、できるのかどうかわからず、イラストレイターが得意なスタッフの方がおられたので、私のやりたいことがイラストレイターでできるのかどうかをその場で教えてもらって思わぬ収穫をいただいた。自分で作業することが自分の仕事が進むこととつながってくるので、壁にぶつかったときにはとりあえずアクションを起こして超えていかないととおもっているのが、今回も人脈の助けで思いがけず前に進んだ。ありがたい話である。

ジェトロの商談会は3時半過ぎから欧米の4社が来日される。前田源商店さんやカゲヤマさん、宮下織物さん、福田織物さんなど、いつも親しくしていただいている会社さんも近い時間帯でご挨拶などさせていただけた。宮下さんとお話していて、宮下さんのところの本業は織物ではなく神社ということやはり織物の歴史と日本の歴史とはつながっている。すごいなあと思うのは技術をもった織物が続いているところ。新しい取り組みもいろいろとされていて、今のアパレルにも評価をもって受け入れられるものづくりをされている。

ジャガードなんか、本数も多く、データをつくるのもされているということでそのものづくりの手間はよく分かる。データつくりなんかも自分ででき問題の修正なんかも自分でできるから強いのだろうと思うのだ。私も型紙のデータつくりなどとことん強くならんとと思う。福田さんのところは娘さんと新しい女性の方がおられて楽しそうな感じで、会社の中にも現場で5人も男の人がいるということで、びっくり。強いわけだなあと。だれもが織れるようにというのをおっしゃっていた。社長が老眼で現場の人が社長が織ると問題が起こるからと笑い話だったが、若い人たちが現場を担っておられ理想的な現場を持っておられる。

帰りは新幹線で帰り、夜中前に帰宅、明日から阪急うめだでのテキスタイルマルシェ。朝まで作業と準備して、久しぶりの百貨店の店頭。いい流れになるとうれしいのだが。明日27日は私が終日立つ予定です。お時間のあられる方は、お立ち寄りくださいませ。
2018年06月21日
今日は、神戸に納品があって、その後、大阪に中古の大型のスキャナを引き取りに行った。近江上布のアーカイブの画像や昔の型紙のデータ保存して、活用できるようにするための大型のスキャナ。近江上布の柄は何千種類とあるので高速にスキャンできるのが良いと思って、大型タイプでは一番くらいに早い現行機種の上位モデルの中古。ドライバーなども手に入れやすい。

実際に業務用の機種というのは販売される個体数が少ないのでパーソナル向けよりも問題が多く、中古を手に入れても情報も少なく、自分で解決していかないといけないことが多い。昔の渋紙の大きさは60cmX50cmくらいなので、パーソナルなA3スキャナでは無理で、A2でも厳しく、A1、A2のスキャナが必要。

最初は、スキャナよりもデジカメのほうが便利じゃないのかと考えたが、レンズによる歪を補正するのが手間といえば手間。スキャナの場合には、補正が基本不要なだけでなく、実物大に取れることも用途的には便利な部分である。
2018年06月18日
今日は、地元のテレビ局の撮影。入社1年のスタッフ斎藤が、シャトル織機を動かしたりインタビューに答えたり、手タレやったり、傘モデルやったり、一方、ギクシャクで取り直しばかりの林与。撮影を通じてこの10年ほどでやってきたことが思い出された。

10年前にスタートしたアイリッシュリネンプロジェクト。当時は織れるか織れないか、織れただけで大成功だと思っていた、1970年代初めに購入した140番手のビンテージアイリッシュリネン糸。織り上げた布は隙のない完璧に思える美しさ、やわらかさ、しなやかさ、そして光沢感。まさにアイリッシュリネンらしい。

追い求めたものが初年度で出来上がり、2年目、3年目と進化させていった。同時に現行の最細番手の150番手を織るプロジェクトもスタート。そちらも成功をして150番手を通常の技法を磨くことでアパレル向けに織れる技術基盤を確立できた。ビンテージの140番手と現行の150番手では、明らかに、ビンテージの140番手のほうが糸が均一で強い。

ビンテージの140番手は基本、リネンハンカチ専用だが、シャツ、インナー向け、ドレス向けにも高価ではあるが生産はしている。


2018年06月15日
今日は、私以外に、3人の林さんと接点があってびっくり。生地商の方、金融関連の協会の方、自動車の保険の担当の方。今日も色々なことがあって早朝から夕方過ぎまで。合間の時間に書類関係を少しはできた。

今日は、午後からジェトロの彦根事務所の方が来てくださり、輸出案件でわからないことあったときには問い合わせなどできそう。今月末、東京のジェトロ本部で欧米ブランドさんとの商談会があり、広幅絣プロジェクト見てもらおうと思う。秋冬向け商談会なのでリネンのストールやリネンの厚手素材をブースに並べよう。

今月27日からテキスタイルマルシェで予定もつまっている。
2018年06月14日
林与の大きな欠点は、家族経営的な会社なのに家族の他のものが織物を織れないところで、レピア織機なら普通私が指導すれば、未経験者でもほとんどの人が、1日で織れるようになるのだが、そういう基本の仕事の作業を評価できないところが昭和の組織的なレガシーなものづくりの問題の一つ。仕事があっても出来る仕事がないという問題につながる。

この問題というのは組織的に大きくなった機屋が直面する問題で、何十年も現場を任せた方々が年を取って難しい仕事や新しい仕事ができなくなってくるとそこで終わりを迎えることになる。産地の機屋さんにしても、経営者は残り、デザインや企画はできても、それを織れる人が居ないと言う問題。まさにそこが日本の織物業での致命的な問題の部分ではあろうかと思う。弊社も常に意欲的にものづくりできる人を探してはいるので、いろいろと好き嫌いな苦自分で作業してみる覚悟のある方にとっては魅力的な現場ではないのかと思う。

地道な作業ができるかできないか、繊細な作業ができるかできないか、力作業ができるかできないか、急ぐ作業が急げるか急げないか。その辺りがかつて言われた日本人は器用だというところで、日本らしいものづくりの質に影響してくる。作業を突き詰めると特別の世界が見えてくることも多い。何十時間費やした作業が、一瞬で駄目になることもあるし、何が大事なのか見えてくる。

素敵に見える布が簡単にできれば、それは他の人でも簡単につくれるから、自分だけしか作れないものというのはやはり自分で作るしかないのである。自分の限界を知るところが一番大事で、自分の限界から規格を10%ダウンしたところで量産のものをつくるとか、量産も難しいものなので他も真似は難しい。

自分のデザインで勝負というのも、自社ブランドで他に販売しないというケースなら成り立つだろうけど。自分に生地を量産できるだけの販路が十分あるのかという問題につながる。普通は、量産のボリュームを狙おうとすると、ブランドさん向けのものづくりとなり、バッティングの問題もあって色と柄を変えてそのブランド用に味付けするケースが多いので、デザインで勝負のはずがデザインはブランド任せになることがほとんど。相手の思うものを自在に作りこなす力が必要で、それは自分が自分の思うものをつくる以上に費用もエネルギーも使うし難しいことが多い。

ものづくりというのは、機械を使おうが人の力の限界がものづくりの限界なので、人の力の限界が先進国?である日本でやるならやはり高くないと難しいと思う。私も外資系の世界で一番よいと思われる電子部品の製造現場も経験したことがあるけど、半分以上の時間を検査に費やす。これは職人が不在ということで、どこの国でもできる装置産業的なものづくり。人の能力が要求もされていないから楽に働けるけど、人の能力も引き出せず落ちて、千人以上も働いていたその工場が閉鎖され、海外に移転されてしまった流れは当たり前といえば当たり前。

そういう優良?な工場が消えた後、その工場で働いていた人たちのかつて経験したことのない苦悩が始まる。別に他の仕事にしても普通なのだが、普通に働くことも難しい体質になってしまうのである。甘やかして駄目にして捨てるパターンに近い。
2018年06月13日
マサチューセッツからクリスティーナとご主人のディエゴと息子さんのパトリシオ君と友達4人が日本に来日。今日は奈良からお客様で、夕方6時に京都で合流。

クリスティーナは、サンディエゴでクラスメート4人でアパートをシェアした友人で法廷通訳の仕事、ご主人のディエゴは、マサチューセッツ大学の教授をしている。息子さんお二人で、今回は次男のパトリシオ君が仲の良い友達4人と一緒に日本に来たいというので、保護者的な来日。

京都の八坂神社で合流後、鴨川の床で、3人でビールを飲みながら雑談。サンディエゴでは、9ヶ月ほど一緒だったので、いろんな思い出話がありすぎてつきることがない。食事は、場所を変えて木屋町の居酒屋に。学生時代、コンパは木屋町が多かったので賑やかなイメージがあったが、もう学生時代に多久さんあった大きな居酒屋は消えてしまっている。こじんまりとした居酒屋を見つけて入る。

パトリシオチーム4人は、新京極、寺町で買い物して、マクドナルドで食べてから、居酒屋に合流して、そのあと、歩いて宿泊先の町家で話して終電で戻るつもりが、京阪電車乗り過ごし東福寺、京都駅についたときには終電がない。ネットカフェで4時間仮眠し始発で帰ることに。
2018年06月12日
今の日本、あり得ない詐欺が放置されてしまっていて、電話番号つきの詐欺のハガキ、警察やNTTも、事件性があるなら対応簡単だろうけど、放置するのがなぜか。

母親にしても、初歩的な詐欺だから放っておけというのだが、警察に行って捕まえようかみたいな楽しそうな感じで、世の中分からなすぎ。警察に相談して警察がちゃんと動いていればこんな詐欺は簡単に解決しているのだ。

豊田商事事件思い出させるけど、騙される方が悪いというのが、駿河銀行問題でも一般のものならヤバさわかるけど、そのヤバさもわからず駿河銀行を優良モデルとして扱ってきた金融庁。詐欺事件の裏方の立役者が行政で、問題が起こってそれを行政指導しても意味はあるまい。

豊田商事にしても目が狂えば優良企業で、法的に問題もないと放置。今の詐欺ハガキ企業も法的に問題がないと放置で、優良で、政治献金もしてるからつかまらない気がする。
2018年06月07日
美学を突き詰めて行くと廃墟になるというのを、大学の一般教養の授業で学んだが、大学で学んだことの中で一番社会に出てから学生時代は分からなかったけど世の中の価値というのはそういう部分で成り立っているのだなあと、林与が追い求めるものとの共通的な要素。木が枯れてその枯れたのがいい感じに思えるとか。

一般的に意味のないものに価値を感じたり楽しめる目を養いなさいということじゃないのか。それこそ豊かな精神なのである。茶道の利休が求めたのも作法じゃなくて精神の部分だろう。絢爛豪華な世界を求めるでなく、ワビサビの世界こそが一番贅沢な世界。これは方丈記ににも通じる。自分の身の丈を知りそのなかで自分の世界を作り上げて行く贅沢。普通のものが最高に感じられるとき、価値観のリセットが起こって、本当の価値観というのが見えるときがある。それは自分の中の問題である部分が大きい。
2018年06月01日
今日は、林与の倉庫のお隣のおばあさんが満93歳でお亡くなりになられ夜伽。お手伝いに行かないとならないのでなんとか時間に間に合わせようとするも間に合わない。母親に本日は代わりに出てもらうことに。時間の掛かる作業を他のものができればよいが、時間の掛かる作業というものほど難しいので私しかできない仕事になることが多い。単純な作業が100点にできないと高度なものづくりには進めない。

作業の動作のひとつひとつに確認作業が容易にできるような動きが含まれていたりするのだが、右利きの人が左手で作業をしたりとかを注意するとその意味を理解してもらうことが難しいことが多い。実際作業の動作が大事なのではなくて、糸の感触を最大限に捉えていることが大事なのであるが、そのために、毎回一番ミスの少ない同じ方法で作業することで、これでよいのか悪いのかというのが分かる。

わずかな引っかかりとかを駄目だと感じられないと駄目で、それを毎回微調整することで、糸の感触を捉える感度が養われてくる。動作が毎回正しくないといけないのもそこ。歩く動作も含めコンスタントに一定のスピードをもって自分が安定した動きをすることで、織物の問題が見えてくることが多い。そういうところが織物の難しいところで、それが感じられると感じられないとでは、仕事一つでも大きな差となるので、早めにそういうのが感じられるようになるためにも、毎回の作業の一つ一つの動きを極めることは大事。
2018年05月30日
今日は、雨が降って肌寒い。Tシャツと短パンでブルブル。気温に合わせて服で調整するもよいけど。まあ、体が気温の変化にある程度適応できるようにしておかないとオールマイティには動けない。基本作業していると動くので寒くはなくなる。体を動かすのが面倒に思うことが多く、体を動かさずに頭で仕事みたいな考えになってしまうけど、体を動かしていることが結局健康につながるものである。たぶん、一日工場の中で織機を動かせば5キロくらいは歩いているだろう。

先日、繊維の仕事は仕事に見合った工賃がもらえないという話が出ていた。その見解は正しいのかもしれないが、どう解決してゆくべきなのだろうかを考えるときに卸先に工賃の値上げ交渉をしたところで限度はあろう。よい頃の時代と比べると流れる量が昔の10分の1とかになっているので、工賃を2倍にしてもまだ足りないとかの話も多いだろう。自分で作って自分で値段を決めて売る部分をもてばそういう不満もなくなるだろう。また普通の仕事は生産性を上げて同じ時間の中でも2倍3倍仕事して差をつけるとか。通常の織物よりも難度が高い麻織物の場合、できる人とできない人では10倍の差どころか、働いていても仕事が正しくないとマイナスもありえるからそういう状態から抜け出さないとならない。同じ時間の中でも海外では作れないような難しいものを正しく作れるとかなら仕事の中に自分の存在価値を埋め込めるだろう。

昔、アメリカでホストファーザーに、アメリカで学生の頃、織物の話をしたときに、需要が減っているものに一生懸命になってやっても無理があるとストレートな結論を持っておられた。繊維とかそういう枠にとらわれず旬なものを手がける考え方である。アメリカらしい雇われ経営者的な考え方でもあって、一般的には正しい話だと思うが、考え方が一般的になってしまっては、難しいだろう。経験もあって技術もあって、伸び白がないという状態が終わりな状態に近い。同じことをやっているだけで、仕事が減って同じことをやっていては、難しくなるのも当たり前で、仕事が減った分、新しいことを考えてやって行かないと仕事していないと同じ、できること考えて行かないと。考えるだけでなく、自分がそれを実行して行かないと。実行するのを他の人に期待してもそれをできる人を探すのが難しい。ホストファーザーは自分で業種の壁を越えて旬なものを取り扱われていたので、それはそれで苦労がある、結局は、方向性は違えど、打開して行くというのは同じ結論につながるのではないのかと思う。

国が豊かになるとものづくりが難しくなり、国から逃げて行く。県内の会社さんで繊維製品だが自社一貫生産で有名な会社さんがあるけど、その会社を私よりよく知っておられる方の話だが、そこも中途の材料を購入から始まるのでどこまでが国産なのかも分からないという成功しておられるにみえる裏の話を聞いたりもした。昔からありえないPRとかが繊維では多く売るためトークは嘘で塗り固められた世界。手の込んだことをしっかりやるという方向よりも、トークで商品価値を高めればよいというテレビショッピングには多い世界。

林与にお越しのお客様が、林与の一番の特徴はなんですかと聞かれて、案外普通に思えるかもしれないが、私の答えは、「自分の工場で作っていることや、産地でつくっていること」だったりする。たぶん、アイリッシュリネンとかフレンチリネンとかの言葉が素敵に響くのを期待しておられたのだろうけど、軽々しくは、アイリッシュリネンとかフレンチリネンの言葉を使いたくない事情がある。
2018年05月29日
手織りというのは楽しいと感じてもらえることが多く、そして、それほど難しいものではなく。楽しみとして作業ができるところがある。一方で、アパレル生地の生産というのはシャトル織機やレピア織機を使ってつくるのだが、作業する人は仕事として苦になってしまうことが多いようである。

手織りというのは自分のペースなのだが、機械織りは機械のペースだからだろう。機械のミスの面倒をみることになるので、面倒を覚悟していないとなかなか仕事にはならない。手織りの場合には麻糸でも切れることは少ないので自分のリズムで織ることだけに集中が出来る。手織りは自分を生かせる部分が多く、機械織りは我慢しないといけない部分が多い。同じ織物でもかなり違いがあろう。

その両方を両立させることは案外難しいのである。たとえば、林与が仕事で手織りをしていたらアパレルの生産は難しくなる。アパレルの生産は、どれだけ機械の面倒を見るかに掛かっていて、織る作業そのもの自体はそれほど負荷の掛かることではないが、それをどう並行して行うかということに尽きる。また織機の調整が主な仕事になってくる。手織りのように張り付かないといけない作業が生まれると、他の作業を並行してすることは難しいのではあるが、手織りしながら織機が止まったら動かすという形なら、織機を動かしながら縦つなぎするのと似ているのでできないことはないが、手織りした織物の安定性がたぶん落ちるだろう。

織物の仕事での第一難関は、糸を結ぶ機結びという結び方。糸の種類にもよるが、麻糸は機結びが非常に難しい。強く結ぶと切れたり抜けたりすることが多いから。機結びが苦痛でなくなるのは、たぶん、現場で1週間くらい作業した後くらいから。手が糸を結ぶ道具になる。上手な人の機結びと下手な人の機結びでは同じ機結びでも形状が異なる。その違い細番手の麻織物を上手に織るためには本当に大事。
2018年05月28日
カッティングマシンというのを買ってみたのだが、用紙を切る動作まで結びつけるのが一苦労で、付いてきたソフトそのままだと買った機種に対応していない状態で、バージョンアップが必要であるとか、丸は切れても直線は切れないとか。なんで普通にできてほしいことが普通にできないのの状態。

プロ向けなので親切な説明がなく、ネットで調べても答えが探せない。メーカーに問い合わせて尋ねてヒントを得るとなんとなく動くようになってきて。たぶん、普通だと買っても途中であきらめてしまうレベルの面倒さなんだろうけど、なんとか思い通りにカットできるようにたどり着けて最初の目的を達成。

プロ向けのカッティングマシンというのもいろんな機種があるけども、カッティングマシンを使ったこともないのに機種選びからして難しいのである。カッティングマシンというのは、カットできる幅が広いだけでなく、カット圧というのがあってそれが大事で、カット圧の高い機種というのはカット刃も根本的に丈夫にできていて長持ちするだろうという私の想定。仕事で使いたいので耐久性が一つの重要な要素。実際、カット数の多いカットを硬い用紙でカットしてみたけど刃の劣化はほとんど感じられない。

こうやって買ってみるのも一か八か、これができないと自分がやろうとしていることはできないので、やってみて正解を見つけてゆくしかないのである。カット刃にしても消耗品である。それが1枚2枚カットするだけで消耗して使えなくなるようでは、業務用としての実用は難しいのである。複雑な機能ができるよりも、単純な機能しかなくても堅牢な機種を手に入れたいという思いがあって、一番堅牢だと思った機種を手に入れ、やりたいことが基本できるようになった。

頭の中で、こんなことしたいと思うのに1年くらいあって、それを実行するための機種選びで1ヶ月ほど、捨石的に、テスト的に幅の狭いのを買ってできたらステップアップしようかと思っていたが、思い切って、思っている幅がカットできる値段が2倍以上はするが行ける予感で購入。マイナーすぎてあまり出回らない機種のようだが、次々と新製品がでるメーカーのものより、ロングランで販売されている機種のほうが安心感がある。買ってみて実際に使えるようになると十分価値があるけど、使えない状態ではテスト失敗の苦痛ばかり。乗り越え答えにたどりつくって本当に大事なことだなあと思う。
2018年05月27日
林与の工場の中には、たくさんの織機があるけども人は少ない。人が少ないから織機が沢山あっても織機が足りないということになる。織物の作業の中で、織る作業というのは一番負担が少ない仕事である。織機の機を乗せ換えしたり、縦を繋いだり、調整したりは、負担の大きな仕事で、その手間を省くためにそれぞれの織機には違う規格の機を乗せてあり、人の手の掛かるのを少なくしている。小ロット生産向きである。

一方、普通の織物工場というのは10台程度のことが多く、家族経営規模だと6台とか、フルに動かさないと食べて行けない量産型モデル。産地には産元があってそういうところがつねに仕事を斡旋する。この形で残っている産地は多い。1台とか2台の織機の機屋さんが仕事をこなしてゆけることは難しいだろうなあと思う。京都の西陣織物なんかだと台数も少なくても、高価な世界で、それが成り立つのかもしれない。

織機は多いに越したことはないが、みんな織機の台数を最小限に減らそうとするのは、工場の土地建物も織機も固定資産税が掛かってくるし、電気料金も織機の消費電力に対して固定電気料金が掛かってくるからコンパクトにまとめたほうがよいという結論からだろう。織機を動かす環境というのは持っているだけでは費用が発生するだけの負の資産なのである。愛知県一宮市では、大きな土地を有する織物工場が、廃業して、工場を貸土地するケースが増えているのも働いても税金に追いつかないという現象まで起きていて、土地を貸したほうが成り立ちやすいという話。

中国で上海の沿岸部から繊維企業が消えて行く話を中国の国の政策としての話としてゲンキンな話だなあと思うが、日本では税金の徴収を介して、利益率の低い繊維企業が泣く泣く廃業や不動産業への転身を迫られ、似たような話もあったりする。なぜ、都市部では織物工場が成り立たないのかも地価の問題と密接に関係しているのである。京都の捺染工場も市内の中心部にあったところは近郊への移転が相次いだ、衰退気味の繊維産業が同じ場所で同じことつづけようとしても、新しい産業が繁栄して地価を維持あるいは上昇させると、衰退気味の産業はラストストローを超えて立ち去らなければならないことが多い。それを考えると林与の住んでいる地域が過疎化しているのが救いになって織機をたくさん持って動かしていられる部分あるのかも知れない。
2018年05月26日
今までスウェットの上下だったのを、Tシャツと短パンに衣替え、暑苦しいのから開放されて仕事を軽快に出来そうなのだが敵は蚊。子供の頃から比べるとめっきり減ってしまった蚊だが、それは集落の中を流れる農業用水の中に防虫剤が投入されているからだろうか。それでも蚊は襲ってくる。この蚊がいなくなったときが自然破壊が完了したときだろうと思う。夜、隣を流れるアンコ川を見ると、蛍が飛んでいる。

スズメがいなくなり、トンボがいなくなり、でも、最近、キツネやタヌキが出没。子供のころも見なかったキツネやタヌキを道路で見かけるのは、食べ物を取り隠れることのできる森がなくなり、食べ物のある人家に住み着くようになったからか。自然破壊の危険信号。

何が自然破壊なのかを定義するときに、人それぞれであったりする私は原子力発電というのは明らかに自然破壊の一つだと思うが、それが地球温暖化防止ということで自然破壊を防ぐとする人も居る。ハワイで観測史上もっともCO2濃度が上昇していることが地球の温暖化問題と結び付けられていたけど、ハワイでの火山爆発。特殊なデータで警笛を鳴らしてしまっていたのではなかろうかと思える部分もある。

心配するのが、エルニーニョはまだしも、ラニーニャ。これは、太陽の日照時間に応じて気温が決まるという基本原理を離れて、緯度方向で温寒の帯ができるという現象。北海道で30度とか、沖縄よりも近畿が暑いとか。40年ぶりの大雪とかも。一つ思うのは地球全体も日本も砂漠化は著しいということ。子供のころと比べて雨の日が少なくなったことが気になる。夏には夕方に夕立が降ったのが昔で、今はそれもない。ダムなどが出来て、水のめぐりが悪くなっているのだろう。夏でも水のない川が一番の高温になってしまっている。田舎でも日の当たらない日陰が少なすぎるのである。本来なら動植物も死に絶える環境がデフォになっていたりする。
2018年05月24日
今日は午前中に近くの繊維の会社の方が海外展示会に興味があるということでお越しになられた。日本だとどういう方々がそういうプロジェクトをやっておられ支えておられるのかとか、どういうルートがあるのかとか、どういうものを提案してゆくべきなのだろうかとか、私自身が試行錯誤しているあたり参考に聞いてもらった。たぶん、社長の奥さまのキャラクターの強さが、きっと海外展開含め新規の市場開拓には生きてくるのではないかと思える。

林与と違うのは、林与の場合は、お客さまが生地という素材を求めてくださるところ。その会社の場合には最終商品を卸す卸先を求めておられるところ。その会社の商品はすでに最終消費者向けにパッケージ化されているのである。オリジナルの自社製品として、卸す形で、それを販売してくれる店舗を探しておられるというところ。出展される展示会の性質もだいぶ異なるだろう。

私も海外展開で自分の力というよりも、自分が前向きに動いているのを支えてくださっている日本の繊維業界をPRされている方がいてくださる。その方々がすごいのは林与のような家族経営規模の会社でも日本の企業の一角として一押しくださることで、生地とかものづくりとか、大事に守りたいものを守ろうとしてくださるところ、その方々の余力を林与がいただいていることには感謝して、普通になっては駄目で、その期待にこたえるべくハチャメチャかもしれないがトコトンな日本の繊維の世界を貫きたい。

この10年ほど林与は本麻を守りつつも、本麻でのものづくりが難しくなってきたのを感じ、了承得て無理のない流れに合わせる形で、日本でも一番くらいに強かった本麻のアパレル素材を前のお客様の成り行きに任せる状況に。小千谷縮がこの10年でかなり業界での評価が上がり、がんばられたのをすごく感じ、産地は別としてもやる気のある人たちを応援する気持ちが一杯なのが私だったりする。

小千谷が衰退したのも、近江の産地がアパレル対応するため広幅に転進し成功を収めたことがあったと思う。それを先導する結果になったのが林与の先代で昭和50年代初めに広幅のレピア織機を産地で一番に導入し成功、それを産地の他の業者さんが続く形で、1970年代の日本の空前の麻ブームとなった。田舎の機屋が何億円もの投資で麻が織れるか織れないかやってみないとわからない賭け、失敗すれば後戻りは出来ない賭けだった。そういう賭けをしていなければ近江湖東産地も小千谷と同じ世界が続いていたかもしれない。
2018年05月23日
朝から、レンタカーに積んであった反物用の蒸器を降ろす作業。これが大きいので、パレットを台車にのせて軽トラの二台と同じ高さに積んで、水平移動させて、体力を消耗せずに軽トラからは降ろせた。レンタカーの返却岐阜羽島まで、朝7時に出発も午前9時に到着。返却後、無事にマイ軽トラのエンジンが掛かって、下道で、午後11時に家に戻る。心配していた軽トラが岐阜羽島で動かなくなるという状況は回避できた。時間に追われている状況なので余分に解決する時間が増えるのは厳しい。

帰ってから、昨日注文した捺染の型紙に使うマシンが到着。苦戦するもうまく動かず、今も苦戦中。一番自分の目的に合った機種を選んだのだが選択ミスしてしまったのだろうか。マシンのソフトウェアメーカーの人に電話で設定で問題があるのかどうか教えてもらう。最悪は、運べないほど大きくはないので、ショールームに持ち込んで、そこで使い方を教えてもらうとかすれば解決するだろう。

今日は雨が降っているので、昨日八王子に行ったことは大正解だった。明日は補助金の確定監査があるので、証拠書類などの原本がすぐに出せるように経理のものと原本資料の用意。月末に向けて納期のあるものに動く必要がある。
2018年05月22日
今日は、朝から軽トラで八王子に向かう。高速道路を1時間、岐阜羽島までいくと、朝8時過ぎに軽トラがオーバーヒート気味で、不安定なので、作戦変更で、レンタカーすることに。養老を過ぎたあたりの休憩所で、10件ほど探して軽トラの在庫があるレンタカー屋さんが見つかって、1日6000円ほどで借りられることになり、羽島で高速道路を降りて、うまく借りられた。

レンタカーの軽トラは新しくて、乗用車並みの走り。快適に八王子に向かうことになり、2時間のロスを皆さんに伝える。八王子では、反物を入れることのできる大型の蒸器を譲っていただくのだが、それが100kg?ほどあるので、一人で取り外し積み込みは無理なので、八王子の奥田染工の奥田さんに頼んで、奥田さんとスタッフの方がきてくださり、3人で積み込み作業。

30分ほどで積み込みは終わり、近くのレストランで食事。食事しながらいろいろと近況の話。奥田さんも自分でいろんなことをやっておられるのでこういう作業も普段当たり前のようにこなしておられる。でないと、昔と違って今の時代はやっていけないわなあ。スタッフの方も優秀で一番に何でも動いておられそういう方だから経験も豊富で目の前のことを解決に動ける。

岐阜羽島のレンタカー屋に停めたマイ軽トラがちゃんと動くのかが心配なり。夕方6時に八王子を出発して家に着くと午前1時過ぎ。
2018年05月21日
今日は東京方面からのお客様、お一人は山神シャツの山神さんで、もう一人はお友達の方。シャツ作りの山神さんと室内装飾の方、織物の林与の3人なのだが、なんか、目指しているものが境遇も規模もそれぞれ違うけどもものづくりに対する高い意識が共通していて、林与の動きも応援してくださっている。

山神さんはいつも3ピースに近い格好で生活をされておられるそうで、そういう辺りも自分が理想とされていることを貫いておられ、その世界を育まれておられる。シャツ作りに費やされている時間がほとんどでいつもシャツのことばかり考えているとおっしゃっておられ、雑用、下積み的なことを今も当たり前にこなされるから仕事に対する価値観がぶれるところがないのだろうと思う。

日本の洋服の業界の中でも山神さんのやっておられる世界というのは特殊な世界に入るのだろうと思うが、そういう特殊な世界というのは違う価値観から生まれて違う価値観に支えられているから成り立つんだろうと思える。私自身もたかが麻機屋ではあるけども、麻布をつくる世界というのは特殊な世界になりつつあって、違う価値観を持っていないと維持して行くことは難しいだろう。

私自身、織物やっているんだから、自分がすごいと思うことをやってみようと、やってみているのが広幅絣織物の世界。すごいことやっても儲かるとかじゃなくて深みにはまることが多いけど、深みにはまってみると、普通の仕事の見え方も変わってくるだろうと思う。絶対に無理と思っていたことができるような目から鱗が広幅絣の実現。

そういう世の中にない織物が、惑星直列的な要素あって現実的なものになって生まれてくる。惑星直列的な要素の一つが欠ければ現実味は極端に落ちてしまう。お金を求めないで動く世界が一番超えて高いものづくりにつながっているというのも。利益とか考えると一つ一つが限界とぶつかる。目の前の作業に没頭して無心になったときに誰もがたどり着けないアートやクリエイティブな世界にたどり着ける。物に価値を詰め込み、価値を生み出すためには普通と違う価値観が必要なのだろう。そういう特別な世界は評価が分かれるところだけど、あってもよい世界だと思うし、今の繊維の高級な世界というのがラベルや広告じゃなくっての本質なところに通じる。

海外の高級ブランドのデザイナーさんやいろんな素材を見てこられた繊維業界のカリスマの方にでも、布の価値観とは何かを語る田舎のおっさんがいても良いじゃないのかと思う。私が子供のころ、NEC、日立、富士通、東芝に比べて、2流だったシャープという会社が、私がものづくりに憧れた会社、一流企業になって成り立たなくなったのが残念で仕方ない。でも、わかる、シャープがものづくりじゃなく、営業でコピー機を売ろうと代理店に投げた。シャープのコピー機の斡旋の迷惑電話多かったから、買収されてシャープのコピー機販売の迷惑電話なくなった。
2018年05月20日
東京に数日いたので、滋賀県に戻ったときのギャップというのを感じたのは林与の住む東円堂という集落に入る瞬間。懐かしいああこんなところに住んでいたのだという感覚。何もないだが自分たちが何か生み出してゆかないと画一化された感覚に憧れるとその差は広がるばかりだろう。多くの人が高齢化してしまいこの地域はいったいどうなって行くのだろうか。活力みたいなものが感じられないと他に支えてもらうが先行し寂れて行く一方であろう。

私が活動的に動くのはその反動なのかもしれない。人生観から派生される哲学や価値観がアーティト的なものづくりには大事なのだが、あまりに周りが伝統とか文化といいつつも結局普通を後追いするようなことが多く、70歳以上の方が多いなかで50歳手前の私が一番頑固爺みたいなところがあって揺るがないものをもっている。それは普段自分がやっていることから来ている部分が多い。困っている人がいれば他の人を助ける余力や協調性は必要だし、信念的なことに関しては他の人に流されない感覚が大事だと思う。他の人の信念を大事にすることも大事である。

こだわりのものづくりを紹介する本を、スタッフの子が中古で手に入れて読んでいた。麻布や布に近い布製品もあるのだが、見ても自分たちのやっていることのほうが複雑で、そういう外のものに憧れないで、彼女自身の手でそれ以上のものを生み出す力をもてはそれよりも評価される話をする。弊社に入って1年の女性スタッフも日本の織物の若手としては一番の注目株で能力も高い、あとは実践あるのみで自分自身がそういうものを生み出してゆくだけのこと。誰もが期待してくれていて応援してくれる人ばかり。

作られたものに憧れるというよりもものをつくれる人の能力に憧れてつくる人を応援くださる方が多い。若くして20代半ば、仕事初めて数年で同じような力を持てば、日本だけでなく世界から注目される織物作家の一人となれる。私が織るのも一つの価値だろうけど、女性の方が圧倒的に布の世界には憧れてくださることが多く、女性がデザイン染織加工をこなし生み出す力を持っているのが素敵に見える。

多くのデザイナーが憧れるデザインの世界も近江上布のアーカイブには詰まっている。それは今の布の世界が求めているデザインの要素。外を見るでなく、手元の昔の資料が世界中から評価される。今まで一度もこんなのは見たことがないと驚かれる日本のものづくりの世界。それを広幅で再現してゆく壁があるけど、いろんな壁を乗り越えればつくる楽しみに変わるだろう。そのために私は今の時代のものづくりの技法や道具をいろいろと考える。織物をつくる環境をつくることも私の仕事。
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