for English speakers: Welcome to HayashiyoWelcome to Hayashiyo
リネンや麻を織る日々をつづっています。
ホームリネン日記
リネン日記
リネン日記:3680
«前のページ 1 ... | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | ... 184 次のページ»
2019年04月13日
両方の墜落の原因は、AoAメカニズムだろう。パイロットの判断とは別に自動的に失速防止目的で機能しないとならないはずの、急上昇しようとすると、逆に急降下してしまい、急降下を防ごうとしてもパイロットが操縦幹ではどうしようもない自動操縦で、海に相当なスピードで墜落。米軍にはその対処方法がしらされていたのではないだろうか。

似たような技術が似たような墜落を生む、ほんとうの一瞬でレーダーから消えてしまうのもエンジントラブルではなく、急降下の証。低速で上昇旋廻なんてしようものなら、AoAを伴なう自動制御メカニズムが働いて、急降下墜落に繋がる確立は高い。あたらしい自動制御のメカニズム、自動制御させなければ熟練パイロットなら回避できる問題で問題はないのだが、自動制御メカニズムがオンなら機首を上げなければならない状況で、自動制御が機首を下げるように働き、脱出も出来ない、どんどん加速して時速500kmとかで海に墜落とか、自動制御にありがちな事故。

原因究明とメーカーの立場とどちらを重視するかの問題があって、ボーイングのときにもメーカーは原因を予測できただろうに、第二の事故を招いた。自動制御がついていなければ問題ないのに自動制御が付いているせいで墜落事故が逆に起こるという問題。同じ問題が起こったんじゃないかと予測する。また、自動制御をデフォとした飛行機や戦闘機なら機体自身が自動制御が必要な要素を詰め込んで設計されている可能性があり、自動制御があるから安全に飛べるというようなものなら、将来も起こる事故である。

ボーイング737MAXが安定して飛行が必要な理由は、想像するに大型のエンジンを積んで、主翼の下に収まりきらないので主翼のかなり前方に取り付けたことだろう。全体としては重心は中心に収まっているのだろうけど。首尾方向に天秤みたいな状態でバランスが取れていて、機首上げ下げの安定性はMCASがないと難しいのだろう。過敏に反応しすぎるのだろう。エチオピア航空の場合には、手動に切り替えたら空気抵抗が重過ぎて手動では尾翼は操作できなくて、自動操縦に戻して墜落したようだ。旧型の737と同じ位置にエンジンを取り付けていたらMCASなしでも問題なかったろうけど、新しい大型エンジンと機体の取り付けの相性が合っていないように思える。従来の実績のある機体に新しい大型エンジンを取り付けたのが、飛行機として全体のバランスを欠く設計になってしまっているのではないだろうか。センサー一つが壊れただけで自動に墜落するような飛行機で、しかもそれをパイロットが阻止しようとしても阻止できない自動制御。安全装置のはずが人々を危険に貶める装置。安全でないのが分かっても引き下がれなくなってしまっているのも、根本的な問題を認めると代償が大きいからだろうけど、次の事故を避けるためにはMCASのソフトウェアのアップデートではなく、MCASを必要としない機首の上がり難い飛行機を設計すべきだろうと思う。エチオピアの事故で、墜落の緊張の中、機長と副機長がマニュアルに沿って、尾翼の制御を電動から手動にしたら、手動では空気抵抗が重すぎて尾翼を動かせなかったということもブラックボックスの解析で分かったようだが大問題なのである。
2019年04月12日
今日は大阪の上田安子服飾専門学校のトップクリエイターコースの皆さんが工場見学にお越しで、まだまだ生産が続いている状況なので手も足りずに散らかった状況の中、数人の工場でもいろんなことやってるのをお話しさせていただいた。多分、織機の構造の説明とかほとんど服を作られることとは関係ないのも分かってはいるけど、一般的な工業生産にしても、伝統工芸と並ぶかそれよりも大変なくらいの綿密な作業が伴っているのを知ってもらいたく説明。

仕事を優先のため、現在、基本、一般向けの工場見学はお断りさせていただいている状況なのだが、全くもって普通じゃない林与とでも取り組んでくださる先生方の心の広さ、また、学生さんをそういう現場に誘導もくださるというありがたさ、現に今、林与では上田安子のトップクリエイターコースを卒業した方が一人、林与に入って普通じゃないのを支えてくれている。

その女性スタッフも実質、3日ほどの現場経験でシャトル織機を動かしてみなさいと、試練的なチャンスを経験し始める。日本に百台あるかないかくらいの状態も良いヒガエ付きの希少なシャトル織機を任せる。日本では織物経験なん十年のおっちゃんでもシャトルは怖いわで、逃げ腰なシャトル織機をさわってもらうのも絶対無理な世界がある一方で、海外では小学生がシャトル織機を当たり前に動かしているとか。仕事というのは経験の長さじゃなく、一回一回の深さそのもの。

今回の見学も熱心に聴いてくださる学生さんがいてくれてうれしかった。見学後も、家で一度リネンというものを使ってもらえたらよいなあと、シャトルで織ったリネンのキッチンクロスなどをプレゼントさせていただいた。年を取ったらできなくなる一方が普通なので、若いうちからいろんなことに挑戦をして軽く越えていってもらいたい。夢を実現するためには自分自身が一番動かないとと思う。アイリッシュリネンのプロジェクトの冊子も同封したが、現在では幻といわれ手に入れるのが非常に難しいアイリッシュリネン糸を織り上げるプロジェクトのことが書いてあって、林与が10年ほど前、40歳のころに取り組んだプロジェクト。デフレで高いものが売れなくなる流れの中、没頭し、とことんつくりたいものをつくるに挑戦してやってみた思い出、迷ったときに、また、何かやろうとする人に読んでもらうと参考になることもあるかも。探していた幻のアイリッシュリネンの糸が林与の倉庫で見つかり、しかもそれが140番手という超細番手で、いろんなことが惑星直列のように揃って素敵なリネン生地に織り上げることが実現できた話です。

2006年頃に、アイリッシュリネンの糸の情報をネットで探していると、同じような思いをもった方がたしか2000年を過ぎた頃におられ、北アイルランドまで行かれたけどもアイリッシュリネンの糸にはたどり着くことができなかったという残念な話をブログに書いておられたのを見かけました。そのブログを書かれていた方限定になってしまうのですが、もしリネン日記読まれていて、北アイルランドで紡績されたアイリッシュリネン糸を今もご自身で織ってみたいという思いあられましたら林与までご連絡いただけませんでしょうか。
2019年04月12日
F35A戦闘機に導入されたALISという故障パーツを自己診断するシステムがある。これは怖い話で、ALISにプログラムミスがあれば正常な部品が故障とみなされるわけで、みなされた故障パーツはその時点で故障なので機能しないことにされてしまわないのか。最新型の飛行機が落ちる問題が自動制御的な構造が取り付けられてしまうせいではないのかと思える。

また、外部から戦闘機を制御できるという問題は便利なようで非常に危ない機能なのである。パイロットが操縦しようとする意図とは別に、外部信号で戦闘機が簡単に制御されてしまうというあたり、今回の墜落でもその外部制御すらまったく機能しておらず、異常の原因すら外部から不明の状況。完全に問題のある戦闘機なのである。

基本的なことよりも、自動制御的な変なものを詰め込んだせいで、パイロット自体が異常を察知しながらも、敵もいないのに緊急事態を回避できず命を失うような問題。アメリカでは、ALISを使っていないという話もあり、日本の自衛官がALISのプログラム実験に使われてしまっていないか。ボーイング社の737MAX8もアメリカの飛行機会社に対しては解除方法が説明されていたが、他国の航空会社には解除方法がマニュアルにも載っていなかった問題と共通する問題があるのではないか。

ものづくりするものが陥りがちやすい罠で、コンピュータや機械技術がすべてだと思うと、人の判断のほうが正しいことが多いものである。機械化されても機械の面倒を見るのは人だから。機械の面倒を機械にみさせようとして、その機械の面倒をみるソフトウェアが人よりも勝っていると信じているけど、それが誤動作や誤判断したときに、正しい人間の判断が否定されるか、邪魔される。そういう考えには、つかう人を幸せにしたいというよりも、自分の考えでつかう人の行動を支配したい欲望があったりするんじゃないだろうかと思える。そういう人はあたたはなになにしなければならないみたいな一方的に要求するタイプだったりする。ものの問題じゃなくて人の問題だろうなあと思うのである。AIなんて完璧になったとしても、AIが責任を取るとかAIを作ってる人が責任をとるなんてことはないから現実社会からみれば遊びというか他人事の世界、そんなのに本当の人の命が掛かる判断を委ねるような流れはないほうがマシだろう。

予測的な話だけど、737MAXは当面注文するものはいないだろうという話。事故が起これば責任を取らないといけない航空会社の当たり前の判断だろう。小学生のころにアメリカに剣道でいったときに、JALの飛行機にはじめてのったけど、出発前の集いで、JALの社長のお孫さんに当たる小学生のお嬢さんがピアノを披露する中、団長がJALの社長にもしも飛行機が落ちるようなことが起きたらどうされると問い詰めた話をされた。それに対するJALの社長の返事が、「腹を切って詫びさせてもらう」ということ。当時、私はまだ子供で本気の話とは思えなかったが、団長にしてもJALの社長にしても本気で責任をもって子供たちを預かる覚悟。覚えている子供の頃の話の一つ。
2019年04月11日
私の先代もそれなりには仕事はしてきたとは思うが、実際に自分が仕事をして正しいものがつくれるのかというとその辺りがなかなか難しい机に座っての商売型の経営者タイプ。私自身、そういう経営者タイプというのは存在すらもが今の時代には無駄で通用しないと思っているので、経営者たるもの自分が指図をするなら現場の人がする程度のことくらいは当たり前にこなせないと駄目だろうと思う。これは自分だけでなく、ものづくりするチーム全体として一つの企画の達成のために関わる全員ができることをフルに動けないと駄目だろうとは思う。

実際に私が作業全体をできる部分があって織物をつくり続けていられるんだろうと思う。私が作業全体をできなければ、人が少なくなったときに自分で織るのもできなくなって産元的な織物企画会社になってしまっていただろうと思う。林与も出機さんで織物を織っていたこともあったが、出機さんでは縦が何百メートルとか千メートルの一番量のまとまった仕事ばかりを常に頼んでいたので、出機さんでは対応が難しいと思われる手間の掛かる仕事や、小さい仕事は自社内でこなしてきた。高度な仕事ほど負荷が掛かるというのは分かってもらえるかもしれないが、小さな仕事の繰り返しほど負荷が掛かるものであったりする。一般的に、アウトソーシングという意味では、ふつうは逆に手間の掛かることを外部に任せるのだろうけど、本当のものづくりというのは面倒な部分をちゃんと自分たちでこなしてゆくでよいのである。

よくお客さんはオリジナルの生地がほしいのでサンプルをまず見せてほしいといわれることがあるが、サンプルを作ることは量産を想定すれば量産よりも負担が掛かることが多いのである。織物規格を決める必要があるし、染めるだけでなく色ビーカーも必要だったり、機をつくる必要もあったり、そのサンプルのために機の載せ替えをすれば、サンプルが終った後にまた機を戻さないといけないなど。人員的な面でも量産の仕事の手を止めてサンプルの作成に人員を使わないといけないので、一つサンプルをつくる間、すんなりいったとしても実質1週間ほど会社の生産がストップしてしまうことも多い。

学校なんかで手織りで勉強した人が、手機でサンプルをつくることがあるけど、手機というのは量産の織機とはまったく構造が違うので、手機で織った凝ったものを動力織機で量産しようとすると多くの織れない問題に直面する。毛足の長い特殊糸を使っているとかは致命的で、手織りだと毛足の長い意匠糸も織れるが、動力織機だと開口のときに、毛足が開口の邪魔をしてキズだらけで織物にならないとか、根本的に糸から考え直さないといけない問題が生じてくる。あとラメ糸なども非常に細いものが多いので、糸切れのフォークやセンサーが反応しないなど、人がずーっと動く織機の横糸が切れないかを見続けていないといけないとか。縦糸も手織り機にはドロッパーがないので、緩んだ縦糸でもサンプル程度なら織って形になるが、実際の動力織機に載せたときには組織の設計が糸緩みを計算できていないと、組織の甘いところの糸が緩んできて縦糸がすべてボツになってしまうとか。

学校でも食べて行く想定ならば、手織りもしながら、動力織機を導入して基本作業とすればそういう問題は解決するのだろうけども、そこまでできる織物学校というのもなく、どうしても頭の中の織物設計や規格、ならびに1点ものづくりがクリエーションということになる。問題に直面したときに、そういう問題をクリアするためには企画する人以上の解決能力が現場には求められ織機の調整ではどうにもならない問題も多い。

一例では、テンション差、同種類の同じ番手の麻糸でも、色糸と白い糸では糸の性質が異なることが多く、糸の設計や染めのチョイスに自由度や調整が入っていなければ染まった糸というのは糸が硬くなり伸び度が落ちやすい。縦糸切れを直すためにソウコウの間に手を入れると隣の糸が壊れるようにぽろぽろ切れるとか、昔だったらありえない問題が今の糸には存在する。何年か前には100m織るのに3ヶ月以上一つの企画ので費やしたことがあって、その糸の問題ために織機の個体差に掛けて、4回も織機を載せ替えした。でも結局は、それほどまでに問題のある糸は織機の構造の限界を超えていて、奇跡的に新しい織機の導入で解決ができ織ることができたのである。その年には、6ヶ月解決に掛かった問題も同様の問題。もう一つの仕事も100m織るのに1ヶ月とか。細番手の縦糸の縦糸の3つの問題で苦しんだ数年前の1年。

普通だと支給の糸だったので糸が織れないと3つとも断る仕事だったのだろうが、お客さんが困る話だろうから、すべてを捨てるような覚悟で乗り越えた。そういう糸というのは、糊をつけていない状態で横糸としてノーテンションで織っても物性が異なり、白糸と色糸では3cm以上も織幅が異なるなど。自社企画で受けた仕事なら、こういう1回の糸の問題でワンマークの納品ができず織物工場が潰れてしまうほどのダメージもあるだろうと思う。私は他の人の企画でもそれなりに努力はするけど、こういう問題は織機の調節では解決が無理なレベル。それでも奇跡的にそんな織機の調整では織れない糸も織ることが巡り合わせ的な要因でたまたまでき、その一年を乗り越えることができたのである。1年で3つも糸の問題で織れない仕事があると経営が難しくなるだけでなく、普通は、次から同様の仕事も受けてうまく行く自信も無くなり織るのも危なそうな仕事は断る話になるだろう。

こういう仕事も私が現場に入って自分で問題をみていたので最終的には原因も糸の問題だとわかり、解決ができたんだろうと思う。他の人に任せていたら織れないという結論で終っていただろうと思う。シャトルのドビーの織物にしても、横糸切れの処理が普通よりも複雑なので他の人ができないから私が織るということが多い。そういうときに自分だと解決ができるのが強みで、私が普段ほかのものに任せて織っていなくても、普段織っている人が織れないものでも当たり前に織るのを見て、織っている者が、私に織れるといわれたものが普通に織れるんだということを知ることも多いのである。織物経験が長くても基本が正しくなければ織物は織れないことも多いので、そういう基本が正しくない問題に至る考え方から変えてゆかないとならないのも、最初にあげた先代の問題にも共通するところなのである。
2019年04月11日
人というもののいろんな負荷に耐性はある程度は養われるもので、負荷が掛からなければ耐性もなくなってしまうものだと思える。衛生的な環境の中では耐性は劣ってきてしまう。日本人が海外に行くと海外の人は平気に現地の水や食べ物を口にしていても、慣れた食べ物でないと体調を崩しやすいものである。普段から慣れていれば自然と適応しやすいということになるが、普段からなれていなければ適応できないということになる。

日本人が器用だといわれた背景には、他の民族よりも器用さに適応してきたことがあるだろう。日本の神社の儀式や農作業などもかなり複雑で、藁から縄や草履、ムシロなどを作ったりするとか、農家が自分で糸を績んで手織りで切るものまで作り上げるとか、何代にも渡って器用さが培われてきて、単に訓練だけでなく、DNA的にも進化して、日本人は他民族よりも器用であるというあたりになったのだろう。

近代になってからは身の回りのものも自分で育てるでもなく、購入することが多くなり、行事関係も少なくなったために器用さというものは不必要なものとなり、器用さの面では退化したのではなかろうかと。良い時代ほど、人々は退化してしまうもので、豊かになるとより豊かさを求めて、甲斐性を越えた豊かさをほかに求めることになり、国レベルでは戦争や植民地支配などの問題につながって行くのだろう。

麻の生地に関しても、本麻というものの肌辺りが慣れている人にとっては問題がないけども、多くの人にとっては肌触りが硬いという感覚が普通になってきている。これは人々が合成繊維のやわらかさに慣れすぎ、肌が硬さに対しての耐性がなくなってきていることと、人々が汗をかくような想定が少なくなって、汗で体温調整を行うメカニズムも退化して、麻が水分を吸う事で肌当たりのよいものになる流れも生まれにくくなってきていることも一つの原因だろう。

従来型の本麻は人々には受け入れられ難くなって来ていて、スイビ混の本麻のほうがスイビを抜いてやわらかくなりやすいので、受け入れられやすいなど、麻でも合繊ちっくなもののほうが、人々には違和感がないというか好まれやすい状況になってきている。本麻にしても昔のものというのは、原材料からしてもよりピュアな仕上げがされていて、やわらかかったことがあろうかと思われるが、今日では、使う薬剤の制限もあって、昔のようなピュアなテイストの麻は手に入り難くなってきている。

一例では、昔の織物加工の温度は90度を超えていたが、今では70度程度に抑えられている。というのも、90度に耐えられるような染色を施しているケースが稀になってきていて、70度程度に抑えないと色落ちの問題など起こってしまうケースが想定されるからである。本来は、湿摩擦などの堅牢度の問題も、完全に高温で色を洗い流しておけば色落ちは少なくなるのであるけども、加工で高温にすれば色が落ちてしまう問題があるから高温にできないという問題が存在をする。

納期的な問題があって、シルクを染めておられる染工場が麻も反応染料で染められるということで、色落ちも問題ないという話しだったので染めたことがあるけども、加工すると3分の1くらいに色が落ちた。湯洗を50度程度でされていたのだろう、加工での想定温度が50度程度だということを聞いて、70度で加工すると色落ちするのはよく分かる。同じ染でも麻を得意とする染工場と慣れておられない染工場では経験の違いから染まった糸も色は似てても非なるものである。伝統工芸系の染と工業系の染の違いもあろうかと思う。伝統工芸系の染というのは個人が染めるのと近い設備の中で行われ、工業系の染というのはより均一に染められるように設備も大型でしっかりとしている。個人規模でも染の堅牢度を上げることはもちろん可能なのだが、作業工程と作業時間が増えるので、それにどう対応するかの問題であろうかとは思う。
2019年04月10日
ボーイング社の問題で、今回は本社内の開発の問題だったから保身的な構造が働いたように思う。もしもこれが外注部品だったら、ボーイングは失われた命に対する損害や営業上の損害などすべてを外注先の企業に責任を負わせていただろう。本社が問題の根源であるときには、社会的責任は逃れるような対応となってしまうのである。外注部品の問題なら徹底的に外注先に責任を追及する形になったであろう。同じ事故でも本社か外注先かでボーイング社の対応も変わってくるのである。

外から見ればおかしな話だが、責任を逃れたい気持ちは分かる。JR西の福知山の事故でも、JRの人間が130kmで脱線するはずが無いから置石だと、脱線直後から早々に置石説を広めた。100kmを越えるスピードでカーブに突入した運転手個人の過失みたいな話になったが、130kmで脱線するはずが無いというJR技術者たちも含め大きな問題で、重大事故ほどとりあえず問題から逃げようとする構造がある。一番安全な、本部の人間ほど責任逃れの傾向があるのである。

一回目の事故でもボーイング社の中には、MCASの問題であるとう認識はあったであろうが、自分でそれを公表することはしない。人の命を奪った事故ですら、自分の責任を認識できない体質が存在し、2度目の事故で言い逃れができず、事故の責任がMCASにあることを認めた形。安全意識とはほど遠い責任逃れの体質。もちろん、飛行機開発には問題はつきものなのだが、隠匿的な部分がみえ対応を怠ったから2度目の墜落事故が起こった。

MCASの度重なる問題を公表もせずに、1度目の事故が起こり、1度目の事故後も隠匿し、2度目の事故で、ようやくMCASの問題を認める。タカタがあれほどまでにアメリカで叩かれたが、ボーイング社はアメリカの国がらみなので、ここまでむちゃくちゃな対応していてもアメリカの政治に潰されることは無いだろうし、逆で、国家的な保身で守られる。

飛行機のメーカーとしてはボーイング社が世界で一番だろうと思うけども、いざ事故が起こるとこんなものなんだなあという印象。ボーイング社的には自分の問題で落ちてもそんな程度の話なのかと。人が多く働いていると自分の責任だとは感じないというのは仕方ないことなのだろうけど、ボーイング社自身が責任を取らないといけない問題なのであるが、また、上から目線でサポートするとか、注意喚起とか、本来ならリコール、返品の話が普通だろう。ソフトウェアアップデートの話もお粗末で、3度目の墜落が起こっても仕方ないと思う。離着陸という一番のパイロットにとっては緊急時に、頻発するMCASの問題をパイロットが解決しないとならない問題。そんな緊張時に、パイロットの意図と反して逆に動こうとする自動制御に何の意味があるのか。違和感ばかりの操縦になってしまう。MCASは間違っていないという主張なのだろう。たまたま意図しない要因が重なって事故が起こっただけにもっていきたいのだろうけども、MCASはパイロットの正しい判断を損なわせる効果があって、致命的な欠陥であって人の命を奪う原因になってしまう可能性の高いものである。AoAのメンテナンスの問題にすり変えたいようだけども、なぜ左右のAoAの値がタクシーイングの際にずれていることがそもそも想定に入っているのかも不思議すぎ、左右のずれ1度でも駄目じゃないかとおもうが5度も許容範囲とか。人間の感覚のほうが5度のずれを的確に捉えることができるだろうに。人間の感覚よりも鈍いセンサーが飛行機制御のデータを送り飛行機が動かされてしまう。

実際に乗って飛行機が2度落ちて人が死んでやっと改善されるプロセスでしかないのも体制としてはおかしな話。マニュアルの不備の問題よりも、人間が手間取らないように自動化しているのにそれを余計にマニュアルで人間が理解して無効化するとかの話は、自動化の意味すらも不明。離着陸の一番事故が起こりやすい状況で、パイロットが自動操縦の問題も解決しないといけないとなると何十秒かの負担が増えている。自動操縦が人命を脅かす操縦動作を頻繁にしてそれを人間が正しく補正しないといけないなんて、最初からないほうがましそのものだろう。プログラム開発の人間は、ゲーム機のようなコックピットシミュレーターで飛行機が落ちる緊張感もなくシミュレーターを操縦し開発しているんだろうなあと思う。実際に時速500kmで海に突っ込むときに、機械に逆らいながら自動操縦を解除する、解除してもそのあとに復帰しないといけない問題が、誤動作しがちな装置なんて最初から付いていなければよいだけのことなのに、規制というものはそういうものを付けたがるもので、人が死んでも規制のほうが大事となるようなことも実社会ではありがちで、保身構造というものはそういう根本的な危険をはらみ、人が死んでも痛みすらも感じないものたちが存在する。パイロットやグランドオペレーションに改善を求めるよりも、ボーイングに問題の責任と改善をさせるのが筋だろうとFAAのあり方にも問題を感じる。
2019年04月09日
ボーイング737MAX8の問題は、MCASというシステムにあると結論付けられているが、その前提として、燃費を優先した設計で、1回に15%ほどの燃費を節約できるという売りにあるのではないかと思う。急上昇旋廻時によりGに耐え難くなって、そのため、失速墜落するのを防ぐためにMCASというものが取り付けられたようで、低燃費というか、利益を優先した設計が安全を犠牲にしたのではないかと思う。

設計自体がパワー不足で急上昇旋廻の場合失速して落ちる危険性を伴なう想定の機体。利益優先主義というのは、多大な犠牲を伴なうものである。低燃費と絡んだクリーンディーゼルの問題でも、燃費測定時に特別のプログラムを走らせることで、排ガスを押さえるという不正を行ったフォルクスワーゲンも、ディーゼルの排ガスの垂れ流しを何千万台と生み出し、ヨーロッパで人気だったクリーンディーゼルという謳いがもはや大嘘というヨーロッパの巨大企業の構造を露呈した。この20年ほどは大嘘が一人歩きして、不正で大きな利益を得ていたのがフォルクスワーゲン社。地球環境のためにクリーンディーゼルを信じて買った消費者を裏切る行為で、その体質は人間性の問題でマニュアルの整備で治るということはないだろう。原発行政でも、今は地球環境保護のためじゃなく、電気料金が高くなるから原発が必要と電力会社がうたい文句に本音を言い出した。PCBやアスベストどころではない放射能汚染のような地球環境の破壊要素が莫大な利益を生み出す構造で、日本なのだが、日本が一番の原発推進国で、国を挙げて原発輸出を推進してきたような背景すらある。エコノミックアニマルと笑われてもしかたないのかと思う。原発のメルトダウンも隠匿する国家体制と原発行政、旧ソ以下の隠匿体質は、フォルクスワーゲン社の不正などとも共通する要素である。

ボーイング社が、737MAX8を廃止できないのも、ボーイング社の存続という利己的な要素と絡んでいるだろう。1000機以上の販売契約を白紙にすれば、ボーイング社は潰れる可能性もある。安全性の低い機体が今後世界中の空を飛び回る、3度目の墜落が、面倒なMCAS動作のキャンセル手続きで対応しろというのもパイロットにとっては煩雑そのもので、指導もすべきFAAのだらしなさそのものに思えるが天下り構造が働いていそうな穏便なボーイングに対する対応。3度目の墜落を防ぎたければ、構造上危険性のある737MAXは、製造を中止するべきなのであるが、人の命よりも利益が優先される構造がそこにはあり、メーカーだけでなく安全性を統括するものたちでさえも命よりも利益を優先する構造がそこにはある。MCASのキャンセルプロセスがマニュアルになかったのもその辺りでそれで通していたのもFAA、今さら購入した航空会社にパイロットにはボーイング社の指導に注意しろはないんじゃないか。3機目が墜落しないと製造は中止にもならないのだろうが、今後何十年と空を飛び続ける飛行機なのに構造上の欠陥が分かっても後戻りしない殿様商売、過失どころではなく、ボーイング社とFAAの意図的な怠慢が今回の2度目の事故。

最初から無効化しておいたほうがよいMCASだが、無効化するとある想定ではパワー不足で墜落する危険性。利益と乗客の命を天秤に掛けたメカニズムでつくりあげられた737MAX。燃費と絡む設計上の構造的な問題なので解決は難しいだろう、そんな飛行機が今後何十年と世界を飛び回る。新しいものほど危険性が高いのも、カネに目が眩んでのものづくり。アスベストやPCBなんかも同じく、多大な犠牲を伴なわないと危険性すらも日本のレベルでも、被害者である人々を叩き戦うような姿勢に陥る。権威者の保身というものが、人々の命を奪うことも多い。

ちなみに、サウスウエスト航空で、737MAXが、MCASの不具合でのトラブルが8件発生していたというが、オートパイロットを解除して手動操縦に切り替えて、無事に対処できたと報じられている。むちゃくちゃ危ない状況をボーイング社が隠匿している。2度飛行機が落ちて、初めてオートパイロット解除方法が書かれていないマニュアルの不備とかの話。落ちるべくして落ちた事故。サウスウェストのパイロットにはMCASキャンセル方法の教育がなされていたという。ボーイング社やFAAもこういう報告も受けているはずで、危険性も認識をしていただろうから、それを公表もしないのは、命の重さの違いを感じる。

いくらCEOが、ソーリーといっても、駄目なあたり。安全性そのものの軽視。しかも、ソフトウェアアップデートというカネの掛からない方法で解決しようとしているが、MCASを必要とする737MAXの構造上の問題がそこにはある。今更パイロットが自動操縦をオーバーライドできる風に変えるとか、なんたる怠慢なんだろうと思うが、それだと、意図しない自動操縦をパイロットが補正しないといけない自動操縦が危険を招く余計に面倒な問題で、そもそも自動操縦の意味すらもないのである。自動操縦で壁にぶつかりに行く車を運転車がまっすぐ走るように補正しないといけないプログラムが存在しそういう状況が生まれる車と同じで、まともとはいえない飛行機。なぜ製造を中止しないか、自動操縦そのものを廃止しないか、ボーイング社の安全意識の問題の深さがあるだろう。自動操縦が人の命を2度も奪ったのにまだボーイング社は金儲けに目が眩んでしまっている。センサー異常が多発する欠陥が品番に起こりそれを元に自動操縦が働いてしまう飛行機なのである。左右のAoAセンサーが5.5度以上違うという想定すらもむちゃくちゃで、そんなものを自動操縦のデータに使ってもよいのかという話。自動操縦を切って運行したらFAAからオンにしろと指導するんだろうし、飛行機を2度も墜落させた自動操縦をまだ強いるというのもパイロットにとっても酷な話。日本の行政の問題と似ていて、乗客の安全よりも、為政者の保身的な力関係が働いている。

台湾の高速鉄道の問題でも自動運転がまともに働かなかったから切った問題があった。自動運転というのはセンサーが重要だから誤動作するもので、通常の運転よりもセンサーの誤動作対策まで運転手が求められる。自動運転がどれだけ、重大な事故の原因となっているかを考えれば、自動運転は自動運転がないよりも大きな危険を伴なうことは分かるだろう。たばこでも肺がんで死ぬ恐れがあります見たいな注意喚起なのに、自動運転オンにも自動運転プログラムが起因で事故で死ぬ可能性がありますが自己責任でオンにしてくださいみたいな同意が必要だろう。結果はそれだから。自動運転でも偽装が行われ、自動運転の無事故距離がでっちあげられている。自動運転をオンにするとまともに走らないので、オフにして自動運転車を走らせて公表されている自動運転無事故走行距離を稼いでいる。自動運転車のテスト走行で、自動運転車が死亡事故を起こしてしまったら自動運転はオフでテスト運転車が携帯をしていたからではないかと、自動運転の問題ではないと自動運転を正当化。でもなぜ運転車が自動運転をオフにしないと駄目なのかの問題が自動運転車開発メーカーの利益優先で安全偽装の考え方。

役人にしても、人々の健康よりも税収が大事で、たばこは町内で買いましょうみたいな、子供のときに子供ですら違和感を感じるキャッチフレーズでタバコを推進。他人の命よりも自分の立場というのは、役人的な感覚にありがちで、世界に共通するあたり。人々の健康を守るはずの予防接種でも、注射器の使いまわしがもちろん危険だとしっていても、注射器使い回しを許して、家畜のような感覚で子供たちに強制的に予防接種というのも肝炎の問題など何十年も後にほとんどの人が苦しんで死んでから国も腰を上げて過ちを認める。薬害エイズだけでなく、日本の異常の肝炎の蔓延は国がだらしないこといい加減に強制して広がっている。看護婦のお子さんだけが、親の意思で予防接種を拒否していたのも、プロだと分かる厚生労働省の健康を司る役人の国民に対する健康に対する安全意識の低さは犯罪レベルそのもののことが多い、1回で国民の一人ひとりが一生背負う問題が、偉そうに振舞う役人のだらしない行為と保身から生まれる。
2019年04月08日
世界最先端の技術を集めた最新の飛行機が2機墜落。ボーイング社が墜落防止装置に問題があったことを認めたようだが、同じ飛行機自体の生産も続け、FAAも肩を持って、購入者側の航空会社にボーインクの注意喚起を遵守しなさいというようなハシタなさ。

墜落防止装置も2重に掛かったロックを外せば、外せる形だったけども、マニュアルにも装置自体についての記述がなく、そういう装置が墜落事故につながるという危機意識がボーイング社になかったという、原発は爆発しない爆発しても制御できるという楽観的な発想。

自動運転車やETCも同じ感覚だろう。死亡事故が多発するという問題を無視して営利に走ってしまっている。私は運転車が死亡事故を起こすのと同じ問題で責任も同じくらいにあると考えるが、国会議員や国の役人にしても死んでもどうでもよい命というカテゴリーをつくっているのだろう。自分たちは責任がないと逃げるだけで、死者が出たり被害が広がるのである。

たとえば、モサントのラウンドアップを2L飲んでも平気だという科学者。実際に自分が飲めといわれると自分は馬鹿じゃないと飲まない。他の人間の命すらをなんとも思っていない輩が、安全を謳う広告塔になるのである。その科学者のように信じた馬鹿を騙す世界があるのである。

737MAXの製造を中止する措置も取れず、同じ飛行機を今後も飛ばし続けないといけないのは、ボーイング社の体質で、FAAの体質だろう。人の命よりも飛行機会社の利益が優先されるのである。もちろん、ボーイング社とFAAは密接な関係があり、今回の2度の問題でも、2度目の事故はFAAの安全意識の低さそのものと考えても良い。

自動運転車にしても同じ問題がある。国と自動車メーカーは密接な関係で天下りも多い。無車検車の問題にしても、一般のものは車検でも遵守が義務付けられているのに、メーカーが無資格者に適当にやらせていた犯罪そのものである。自動車会社を廃業させてもよいくらいだろうし、事故が起こったときに無車検車だとどういう扱いになるのか、国も即時の車検でなく車検時に対応という車検を見逃す対応。国の車検制度が役人の権益と自動車メーカーの利益を確保するために存在する、そもそもその程度のもので情けない話なのである。実際には車検後に事故や問題が多いのも事実で、まともに走っている車を触れば問題は逆に起こりやすいのである。

今回の飛行機事故でも整備されているという想定があったから、パイロットも地上走行中にセンサーの異常が出ているのに警告を無視して離陸。しかも新型の飛行機のセンサーで、そんなものの左右の角度がずれる問題が続いて、角度がずれたときに大きなほうを優先するというやばさ。墜落事故が起こっても当たり前の墜落防止システムだったのである。これも自動運転車に起こりえないことではない。安全装置が正しく動けば安全装置、だが、万が一正しく動かなければ命を奪うほどの危険装置であるとういうことも、タカタのエアバックの問題でも同じこと。今回のボーイングの問題はタカタの問題どころの問題ではない。ボーイングというよりFAAの体質の問題だろう。同じ問題が日本の国土交通省にもいえる問題で、自動運転車の自動車の欠陥もたくさん人が死なないと国も改善には動かないだろう。
2019年04月08日
遅ればせながらの現在梅田ロフト1Fでテキスタイルマルシェが行われています。林与も出展12社の中に入って出展しておりますが、今回はスペースの関係で生地の持ち込みは少な目です。私も最終日の4月16日には店頭に立つ予定でおります。




2019年04月07日
4月になっても寒い日が続いていたけど、ようやく近江湖東地域も暖かくなり桜が開花し始めた。桜が咲くというのは春ですよということを保証するようなところがあって、水が100度で水蒸気になるというのと似ているほどに暖かくならないと桜は咲かない。桜が咲く前の日の夜の異様なぬくもり感というのは、私自身に動物的なところ残っているからだろうか、暖かさの中に桜の香りすらを感じるのである。

子供のころの近江湖東の冬というのは基本雪に包まれた厳しい寒さなのだが、今はもう日本中どこも同じだろう、それは外の気候がというよりも、家の中も冬でも十分に暖かいというあたりだろう。火鉢のぬくもりだけで手を温めるだけの家の中、雪の中、食べ物を探しに前栽に小鳥が来たことで一瞬寒さを忘れられるくらい。

そういう寒さのなか、子供の頃は剣道をしていたので、私は耐性があって普通の寒さくらいには強いのであろう。今の仕事でも身体的には学生の部活動よりも大した仕事ではないと思う。


2019年04月06日
今日は、自治会のこいのぼり立てに朝から参加。同世代も4人ほど混じっていて久しぶりに出会って話。2歳上の大手織物メーカーの地元の工場に勤めている方が、その工場も人手不足で誰か整経の管理と作業をできる人がいないかという話なのだが、整経という作業は織りの現場よりも難しいところがあって、1回の失敗で何十万、何百万のお金と縦糸を用意するのに使った1ヶ月2ヶ月の時間が消えることになる。私の会社でも整経の作業というのは一番できる人が行う形。

その工場はたぶん産業用の資材織物なので合成繊維が主体であろうから、糸もほとんど切れることなく麻織物よりは整経もしやすいだろうけど、逆に合成繊維は高い基準が求められるので、織物経験者でも田舎だとそういうのに適材っぽい人は少ないだろう。未経験の人のほうが、今のものづくりの現場では役に立つことも多い。

検反機にしても、反物を確認するのには使えないとこまるし、使い方を覚えるのも2回3回反物を巻けば覚えることができる簡単な作業なのだが、経験者や職人と呼ばれる人ほどできないやらない分からないが多いもので、アルバイトに来た人に教えて1日目からできる作業が職人的だと逆にできないということが多い。

仕事というのはやろうと思えばどれだけでもあって仕事があるかないかはその人の能力次第だと思う。できなければ仕事はないのだし、できればどれだけでも仕事はある。

昔、糸の在庫を量るのを頼んだことがあるが、箱を開けて何本木管が入っていて木管1本が50gだから、その分と箱の重さ1kg程度を引いて正味の重量を調べて欲しいという2度3度説明をして、わかった、わかったと返事もらって頼んだのだが、結局、箱を量りに載せてそのままのグロスの重さを書いて終わりだったり。おっちゃんとおばちゃん二人で何日もやってもらって給料は払っても、仕事としてはまったく駄目なのである。何十年の経験者でもその人の経験というのはそんな感じの繰り返しでなかなか通用しないのである。

できる人というのは最初からできるし、出来ない人というのは何かできないやらない要素をもっているから、できるようになったとしても普通に食べて行けるスピードでできるとか正しくできるとかということはほとんどない。早くする方法を一生懸命説明しても屁理屈ばかりでやろうとしない。言われていることに従うと馬鹿にされているように思ってしまう壁があるのだろうと思ったりする。私の母親がそういう逆らいタイプでそういうタイプの人というのは素直に人のいうことを聞いて実行できない。意図はしていないのだろうけども、本能的に、できない、分からないというと相手が困ることで自分が上に立てるような錯覚を持っているのではないかとおもうほど、何でもできない、分からないという。田舎のおっちゃんおばちゃんにはそういうタイプの人が多いのも事実で、力関係に弱く、人間関係ばかり意識して仕事を仕事として見える人が少ないのである。
2019年04月02日
仕事柄、いろんなブランドを立ち上げて立っておられる方々との出会いが多い。ほとんどの場合、普通じゃない努力や覚悟でたっておられるから成り立っているだけのことで、外から見ると理想的な部分しか見えず、憧れる世界が存在している。

でもそれを支えるがわになろうとすると現実の仕事の負荷に追われることになる。理想と現実のギャップ。企画力よりも行動力の方が大事だなあと思うことが多い。プロジェクトを10立ち上げるは簡単だけどそれを形にするには、一つ一つ難しく、一つも形にならないも普通のことだろう。

普通の感覚を持って普通の行動力で普通に終る。やっても成功というか成り立つ確率すら低い考え方の一つだろうと思う。自分自身が覚悟決めて物事をやって経験を積んでいくか、また、動かないといけない環境の中で経験を積むかしないと、普通の経験で時間を過ごしたり、普通を求めて過ごしたりしていると、外からの目にしても普通にしか見えない存在に終る。

ブランドを立ち上げておられる方と言うのは、スポンサーが付いているとかでない限り、相当な覚悟で動いておられ、普通を越えた感覚で動かれている方がほとんど。自給自足的な感覚が当たり前で、他の人に自分の幸せを求めない立場だからだろう。ブランドを立ち上げられて成功に終らず、副業をしながら自分の目標に向かっておられる方も多い。今成り立っている物事でも、何年もうまく行くとは限らないし、華やかにしておられる背景も華やかだと早く終りやすく、幸せに見える裏に苦労があってそれを乗り越えておられると、他の人が真似できないものだとそれが本質的なブランドだろう。
2019年03月28日
日本のオーガニックレベルの問題として、オーガニックコットンを推進する立場のものでも、枯葉剤を使用しているコットン畑の画像をバックに、I support organic cotton.というのは、一般レベルとしても厳しい話じゃないのかと思う。あまりにずさんなので私が指摘したが、指摘からもそのまま、本質的にそれが日本のオーガニックの難しい問題なんだろうと思う。でもそれがありがちで、理想と現実はことなりイメージだけでオーガニックの世界をつくってしまう。オーガニックというのは自身の厳しさがないと消費者騙しになり守れない世界なので、オーガニックを推進する専門家ならしっかりとそのあたり考えて欲しい。

オーガニックコットンの畑の場合でも、大体が、この手の画像の使用が多い。なぜ、綿花がすべて咲いたような畑の画像がオーガニックコットンのPRに使われるのかという問題。偽装のはじまりがそういうところにある。肥料や、雑草、防虫対策をしないといけないのに、人の通路も無い人の手がまったくかかっていないような敷き詰められたようなオーガニックコットン畑の画像が多いのである。国ごとの基準という問題の多いあたりにたどり着き、カンニングすればよいだけにたどり着いてしまっているのではないのかと、繊維業界でのありがちなことを心配する。国家レベルの基準ほど偽装は普通だから。
2019年03月16日
オーガニックな製品は大量生産しても地球環境を守ることができるのかというと、大量消費社会というのはもともと地球環境には悪いことで、オーガニック製品でもそれに当てはまる。たとえば、地下水の問題、農業というのは水を大量に必要とするので、マシンピックトのオーガニックコットンは、基本雨の少ない乾燥した地域で栽培されるために、地下水を大量に消費する。地下水が枯れてしまう問題があり、あと30年とか50年でマシンピックトなオーガニックコットンの栽培を支えている地下水が、農業には使えなくなる可能性が高い。飲料水が優先されるべきだろうから。

雨の多い地域は農業用に地下水をくみ上げる必要がない場合が多く、でもオーガニックコットンは雨に濡れるのを避けるために、コットンボールがはじけるごとにハンドピックトされる必要がある。50年後とか将来的に残るオーガニックコットンは、ハンドピックトなオーガニックコットンではなかろうかと思う。オーガニックコットンでも価格競争力の強いマシンピックされる大量生産型は、その地域の水資源環境の危機を招き、地盤沈下も著しいところが多い。

市場に流れるオーガニックコットンの多くは大量消費型で、乾燥した雨の降らない地域に植えられ、マシンピックされコスト的に優位であり、大量に市場に流れるのだが、水資源の面ではサステイナブルではない要素が大きく、雨のよく降る地域でハンドピックされるオーガニックコットンは人の手間が掛かるので高くつき市場には流れ難いが、より地球環境の面ではサステイナブルという側面があるだろう。

私自身、使い捨て文化が地球環境を破壊する元凶ではないかと考えているので、普通のオーガニックじゃないものでも、長く使えば地球環境を守ることに貢献できるのである。次々に大量に消費するとオーガニックプロダクトであろうが地球環境には良くない可能性が高い。

オーガニック基準があるため、害虫の少ない地域とか、カビの生え難い普通は不毛の地域を選んで、地下水でオーガニックというのが大量生産型オーガニックのスタイルだが、普通の使える製品を捨ててオーガニック製品に切り替えるより、普通の使える製品を大事に使ってから、オーガニック製品に切り替えることがエコなんじゃないかと思える部分。手ごろに手に入る大量生産型のオーガニックアイテムも多いが、長く使うことが地球環境の保全につながる。

スーパーのビニール袋にしてもあれを普通のゴミ袋として使うだけでかなり資源の無駄がなくなるのに、行政というのは新品の指定のゴミ袋をゴミを捨てるのに使わせるとかも改善できないものかと思う。有料になったスーパーのビニール袋でも市町村の回収のごみ袋としても使えるような統一基準をつくるとかすればよいのにと思うのだ。

ジャストインタイムのような、無駄の無い理想的に思える生産システムが、エコではないという問題。自分の仕事の中でも、在庫を持って資源の浪費を節約するよう改善していかないといけないなあと思うところは多い。大手の自動車メーカーが納品時刻にぴったり納品させるために駐車場も用意しておらず、工場周囲をぐるぐる走らせるとか、むちゃくちゃなエネルギーの無駄。低燃費を謳う自動車メーカーが、自分の会社に納品させる商品を届けるトラックを無駄に走らせ、自己基準に従わせるだけのエコ意識とか駄目だと思う。繊維でも大量注文を見せかけて値段を下げさせながら、下請け企業に在庫もたせていつまでも在庫を買取しないという商法で繊維業界でも元気な大手問屋さんがあったけど、そんな手法で年収1億円の社員つくっても誉められた話ではない。
2019年03月15日
児童労働というと悪いことのように思われるかもしれないけれども、インドのオーガニックにしても子供の頃から作業をすることで、世界で一番注目を浴びるインドのオーガニックの世界が出来上がっている。子供の頃から作業することをしなくなれば、大人になって作業しろとかいっても、ミミズや牛の糞を触ることすら拒絶反応が出てくるだろう。日本でも学校教育が普及すると農業や労働集約型の産業は廃れ、どちらかとうとハイテクとかサービス、特許とか認証とかの世界に移って、実際の現場の作業を低く見てしまう傾向になるだろうけど、大学で勉強する以上に高度な農法に子供のころから接しているだけのことで、生きて行くための力を子供のころから身に付けるつと言うのは教育以上のものであることも多い。たとえば、学校で勉強しなくても家で服を作れるようになるのと、学校で勉強した子が大きな工場で本縫いミシンだけしか縫えない単能工に育つのとの差があるだろう。親が子供を育てるという基本部分は一つのオーガニックではないのかとも思う。

オーガニックを持ち上げていても日本でも自分がミミズや牛糞を扱うような農作業を避ける人がほとんどだろう。遺伝子組み換えの必要性が生まれてしまうのだと思う。オーガニックと遺伝子組み換えは相反する概念だけど表裏一体的な存在でもあると思う。学校教育を受けたとしても誰かが一般的には底辺に見られがちな汚れる作業を行ってオーガニックが成り立つのである。学校教育を受けたからといって国によっては職業選択の自由が認められていない部分も大きく、そういう国では農業に携わる人々は残り続けることになる。そういうのに支えられている部分があるのもオーガニックの一面で、オーガニックで普通の理想を求めるとオーガニックの自己矛盾に陥ることにもなる。テキサスの人造的に思える大型機械を使ったオーガニックですら、これなら学校教育を受けたものでも引き継げそうな形に見えても、継ぎ手はなかなか見つけ難くくサステイナブル性は低いのも、日本でも大学教育を受けて田舎の行事や考え方が難しいのと似ているだろう。

ベトナムに行ったときに子供が織物の作業をしていて、大人は井戸端会議。一番駄目な社会構造だけど、国や役人や認証機関にも共通するところがあって自分たちがクーラーの効いたところで認証しながらは現場は自然との戦いで過酷では駄目で、オーガニックを支える体制が偽善で終わり支えられないだろう。自分自身が問題と向き合って解決する姿勢が必要。児童労働を批判するものが子供が労働していることを担えるのかというと、批判はできても自分自身が代わりにするということは難しいもので、日本でも今の年金制度なんてのは児童労働みたいなもの。生まれてくる子供たちに自分たちの面倒をみさせようとする大人は多いのである。

大人よりも子供のほうが仕事が真面目に上手にできたりする。日本という国も高校大学の教育が普通になったけども、そういう新興国の教育を受けていない子供に負けてしまう日本の大人は多いだろうと思う。新興国でも学校教育が始まると子供の力は落ちる。教育というのはできることを制限する部分も大きいから、新興国の中卒の子と大卒の子では、大卒の子のほうが仕事すると子供の能力だったりする。日本でも大人は普通の人はミシンできない人が多いけど、子供は初めて触って教育を受けていなくてもミシンを使いこなせるのである。言語と同じで、後からではなかなか難しいのが器用さの習得。

GOTSには有機栽培の規定がないのに、GLOBAL ORGANIC TEXTILE STANDARDというのも、オーガニックを有機栽培と捉えるときに、大きな矛盾を感じ、スタンダードとはいえないのを感じながらも、オーガニックは標準化すること自体が駄目で、みんなが信じている3年間化学肥料、殺虫剤、枯葉剤無使用も、現実的には不可能なことも多く、今は移行段階での原料を使うこともGOTSは内部的に認可しているのが、最終消費者が得る3年間化学肥料、殺虫剤、枯葉剤無使用の情報とは食い違い、エコやエシカルなことをとるのが基準を取るのかで判談は分かれる。消費者が最終的なオーガニックかどうかの判断者であればよいと思う。オーガニックかどうかよりも生産者を思う気持ち的なエシックスが先にあるべきで、生産者が正直にベストな気持ちで作ったものをものづくりを受け入れられなければ、謳いや基準そのものが偽装につながるケースも多いだろう。

オーガニックで苦戦するは織物の現場も同じで、正直にオーガニックの糸なら織るのにも問題は多くなる。リネンにせよラミーにせよ、糸がまともに織れないに遭遇してしまうのである。一般的な概念ならこんな糸は駄目ということになるのだろうけど、糸を捨てることは私にはできないから、その糸をどうやって料理するかをその都度考えるのであって、工程はその度に変わるのである。オーガニックな糸を使うために、非常に柔軟に使い手が対応して問題も多い本当のオーガニックが守られるんじゃないかと思える。オーガニックの原料をつくるというところも、本当の自然との闘いなら通常の農業でも不作もありで、オーガニック栽培ならなおさらなので、機屋にしろ使うものは農家以上の苦労があってしかるべきなんじゃないかと思えるのである。
2019年03月14日
ETCのバーが取り除かれテストが行われ始めている。ETCのカードの未挿入やETCの不具合でバーが開かないと、急停止することになる。これは、後続車がいて車間距離をとって止まる準備をしていれば事故につながらないが、閉じているバーは開くものと考えて走っていると追突事故につながる。ETC追突事故は、バーが開かないだけで事故が本当に起こりやすい。自分が開かないからと止まっても後ろのトラックが前の車は止まらないで自分も止まらないでETCを通ると思っていると、開かないで急ブレーキして停止するだけで、最悪死亡事故が起こる。ETCは本当に危ないメカニズムなのである。使っているものの責任で事故が起これば注意していないものが悪いという結論もあるだろうけど、死亡事故が起こりやすいメカニズムは、いくらルールで正しいと決めてこの人が悪いといっても結果が悪すぎる。

現に、首相が移動するときの警察官のSPの護衛付きの5台の車列が、ETCで5台の玉突き事故を何年か前に起こしている。警察官が運転していてもうっかりで事故は起こる。一般人だと責任を被せやすいけど、警察官でもうっかりで未挿入とかでETCが開かず、後ろの車も十分な車間距離を取れておらず、スピードも落とせておらず事故につながる一例。ETCのノンストップは、バーが開かないだけで重大事故の元なのである。

ETCレーンと通常のレーンの移動も短距離の間に行わねばならず、車を停止することすらが入り口出口では非常に危険なので動きながら判断を求められる。ETCには、命と引き換えの利便性的かつ収益性的な要素があり、私の中では安全性の面からは疑問符が付く。よほど事故が多いからETCのバーを取り除くことがようやく行われるようになったのだろうと思う。命を優先する考えで賛同する。利用者の性善性で成り立つとETCが動くなら逆に不正行為は減るのではないかと思うし、不正行為に対しては社会的に厳しい目を向けることもできると思う。利用者の性悪だという立場で収益性を求めてETCを導入するなら、ETCも安全性無視のあくどい部分があって、肯定できないところがあるし、事故が起こったときに危険なメカニズムのETCにも過失が存在するのではと思う。

死亡事故が多発しないと簡単に危ないと想定できても改善がなかなか難しいのは、人命尊重の意識や交通安全意識が本物なのかどうかと思う。安全を追求してバーを取り除いたETCを、不正にすり抜けるような行為は運転資格を取り上げてもよいんじゃないのかと思えたりもする。ETCのような自動感知装置は自動ドアが開かないことがあるのと同じで完璧ではない、人々の正しい心あってこそ成り立つものだと思う。イタリアやフランスの地下鉄の入り口も、正しくメカニズムが働かず、そういうときには機械はそんなものだと思って係員が対応できないなら無視して乗り越えることも必要。ETCでも後続車がある場合停止すると危険だと感じたら止まらない判断も必要で、バーがなくなればより安全に問題に対応できる。ETCの不具合は出口で対応してもらえばよい。
2019年03月13日
テキサスで全米のオーガニックコットンのほとんどが栽培されているというのは驚きの事実なのだが、それはテキサスでしか、オーガニックコットンの規定に縛られてオーガニックコットンが育て難いという事情がある。雨が降らず普通は植物が育ち難い砂漠地帯がオーガニックコットンの栽培には適しているのである。スプリンクラーで水を吸い上げてコットンを育てる。テキサスの農家の苦労も先進国日本で繊維産業で途上国の繊維産業以上に苦悩の毎日だから、そういう現場の覚悟もない権威主義な基準が現場の人々を苦しめる現実で、本来あるべき自然の恵みが成り立たないようなオーガニックの基準すらもどうかと思う側面も感じるのである。

枯葉剤を使わなくて良いのが、砂漠気候だから乾燥していて雨が降らず、3ヶ月とか放置しても綿花が腐らずに完全に枯らして葉が落ちるのを待つことができる。水分をスプリンクラーを止めることで完全に制御でき、枯れさせるうモードに人造的にコントロールできるのも強みである。他の場所では雨が振ると綿が濡れて品質が落ちてしまうが、砂漠気候の中に人工の力でオーガニックコットンの世界をつくりあげているのがテキサス。収穫も手摘みではなく、大型のコンバインで機械的に収穫が出来き、オーガニックな手積のコストが掛かる部分を大型のコンバインで刈り取ることで少人数で解決しやすい。

乾燥していて虫やカビなども日本などと比べて少ないのであろう。雨が降らない不毛の地を水と有機肥料を投入することでオーガニックコットンの一大産地に変えるプロジェクトが成功したということ。オーガニックコットンというと、代表的なのがインドで、昔からの製法で手摘みの世界がある。日本もオーガニックコットンは雨が多いので棉がはじけるごとに手積みが必要とされる。アメリカのオーガニックコットンの栽培はスプリンクラーが使われていたり大型の機械が収穫に使われていたりと、一般のオーガニックコットンが自然の力と人の力を中心としている中、最先端的なオーガニックコットンの栽培技法から生まれる。

先進国でオーガニックコットンを栽培するのが楽なのかというと、大規模農園でも数人の人間でやるためには設備投資にお金は掛かるし、いわゆるアメリカ的な遺伝子組換コットンや農薬を使っての栽培で効果がなく、成り立たない農家が、生き延びる策としてオーガニックコットンに掛けて成功したという話は人々の共感を得る部分で、ビジネスとしては大きな評価に値するだろう。

インドでも遺伝子組み換えコットンで多額の負債を背負い自殺者が出る問題があって、オーガニック業界での惨事として反遺伝子組換というところにきている。テキサスの事例をみているとオーガニックコットンは将来的には資本が投入されればアフリカがオーガニックコットンの巨大生産地となる可能性が高いであろうと思うのは私だけだろうか。

違和感を感じる一つのことには、オーガニックコットンのイメージとすると大地の恵みみたいな自生するようなものを描くが、それが現実的なイメージではない部分がオーガニックコットンの世界にもあることを知る必要はあるだろう。理想的な基準にしばられながらそれをどう人工的に経済的にクリアするのかが先進国的なオーガニックの考えで、他方では自然の恵みと手摘みの人的労働のオーガニックコットンの世界があり、同じオーガニックの中でも方向性はまったく異なる。不毛の地だから逆にオーガニックコットンのレギュレーションに人造的だとレギュレーション的には適合しやすいというところも、オーガニックコットンを基準で運用すれば一番適合しやすく正しいことの一つなのである。それをすることにも多大なるリスクを伴い成功したテキサスのオーガニックコットンの農家の方を応援するべきだろうとは思う。

たぶん、テキサスの農家のほうが、インドの一般的な農家よりも大きなリスクを背負ってオーガニックコットンに掛けていて、日本の繊維業界の苦悩と共通するところがあり、テキサスの人造的なオーガニックコットンの世界が先進国でオーガニックコットンを育てるのにできるベストなんだろうと思う、どんな基準があろうが、リスクを背負って自分が生きるためにベストをやっている人々を否定してはならない、基準でしばってその人たちの生命線を握るのは奴隷使いそのもの。途上国だけが苦しいのではなくて、先進国の人々の真面目に農業に取り組む人のほうが何億もの負債を背負い苦しいことも多いから。

殺虫剤の使用がすくないからと遺伝子組換を推奨するのもオーガニックの考え方もあるが、それは、原子力発電が地球温暖化に貢献するからエコだというのと似ていて、世界の原子力推進の旗振り役の日本的な地球環境を謳うスタイルに近い気がする。遺伝子組み換え作物を信じて裏切られた気分で、まったく反対のオーガニックで生きようと決意するのも人々の意思だろう。逆にオーガニックのレギュレーションが全世界的にオーガニックコットンの栽培を普及させるのに歯止めになっているという部分があるのも、オーガニック栽培の苦悩をしっている現場の人なら分かるだろうが、レギュレーションだけ作ってる人たちには分からないところ。私が普通のコットンでも十分天然繊維で否定すべきではないと思うのはそこで、厳しい基準をぶつけるだけで全世界的なまともに農業に取り組んでいる人々でも自殺に追い込まれる普通の生産を覚悟している人や作物を馬鹿にしてはならないという辺り。

日本人がコメ不足で、食べるコメにコマっても、日本人の口に合わないタイ米とかしか意図的に入れない農水省のどうしようもなさ、震災のときに液体ミルクをネッスルが被災地に届けようとして安全性の面が確保できないとした農水省。人々が食べるものもない苦しみを感じることもできない日本の行政の人間の感覚。そういう人間の存在が逆に人々を苦しめることは多い。

オーガニックを選択する人に、認定だとかクソだけなことにこだわって、現場の人の覚悟すらも分からずに、農作物が死滅するときに農薬を使えばオーガニックじゃなくなるけどやったらダメなの?認定を外されても自然と闘うためには仕方ない行為だというところ分からないとすれば、奴隷使いそのもの。せっかく育てたものがすべて無駄で食べて行けなくなる方向性。それをオーガニックだと謳えば別の問題だけど、農薬を使用した事情を説明して市場に流すも正直でエコなチョイスだろう。オーガニックじゃなくなるけど否定するようなものでもあるまいが、オーガニックやっているひとは、害みたいにいう人が多いけど、私はどうなんだろうと思う。食べていくのも難しい人たちというのは命すら掛かっている状況で、そういう人たちを支えるときに彼らが普通のコットンを作ったとしてもそれを買って支えてあげるのが私はエシカルで良いんじゃないかと思う。

オーガニックの前に、社会問題としては、生活とか食べて行くとかすらが難しい大きな問題があって、オーガニックなことじゃなくても彼らが生活できるようにとか食べていけるように考えてあげるのが必要だろうと思う。たとえば、普通のコットン製品であったとしてもそういう生きるために苦労をしている人たちがつくったものなら買って応援が人の命を救うことにつながりオーガニックの前にエシカルではないのか。

オーガニックには矛盾が存在するというのも事実で、オーガニックを求めればブラックな現場。朝10時から夕方5時まで週5日のオーガニックではオーガニックの現場すらも支えて行くのは難しいだろう。農作物がオーガニックを信じて死滅すれば、それは遺伝子組み換えを信じて自殺に追い込まれる農家と同じことをオーガニックの基準とか認定だけの世界が強要しているのと同じことなのである。私が思うのは遺伝子組み換えと同じ事務的なレベルでオーガニックの基準が運用されがちなところ。オーガニックをやってる人々を救えるようなオーガニックでないと、遺伝子組み換えと同じところに陥ってしまうのを、オーガニックな世界にも感じる。
2019年03月12日
最新型の、ボーイング737MAX8が半年で2機似たような現象で墜落。自動安全制御装置が働いていてパイロットが機首を上げようとしても機首が下がるような、自動制御のプログラムミスかセンサーの不具合を自動制御が判断できず、墜落したらしい状況。自動運転が安全だというのは妄想で、たぶん自動安全制御装置がついていなければ、パイロットが簡単に回避できた事故。安全のためについているセンサーや装置に問題があるときに、それらが自動運転と絡むともはや事故誘発の原因になる。

自動車で自動運転で事故が起こってもメーカーの責任は問われないとか、人が死ぬ確立が高いのにそういうのを選択する政府というのもどうしようもない状態。飛行機事故をみても、自動車どころではない技術の結晶そのものだが、それでも、原因すら改善すら難しい。日本の自動車メーカーは、アクセルとブレーキの問題に関しても、アクセルとブレーキを同時に踏んだ場合ブレーキが優先されるようなメカニズムの導入すらすべての新車に対して終っていないような状況。危険察知したときにスマフォなんかしてたらブレーキ踏むときにアクセル踏んでしまう間違いも起こりやすいのに、スマフォOKとかはないだろう。自動運転を安全とは謳わないで、死亡事故事故はつきものであるという感覚で導入するべきだろうと思える。

すでに導入済みのETCの危険性に関しても300台に1台がゲートが開かずに急停止、7割8割はカードの実挿入などが原因、開いていないゲートに向かって開くのを想定でギリギリまで動くというのもなあ。その2割3割くらいは、ETCカードを挿入していても起こっているETCの不具合が疑われる。怖いのは、後ろの車が追突する現象。ETCが開かないだけでとんでもない交通事故が起こりえるが、日本の交通安全意識というのはそんなもの。ETCのバーが誤動作で開かないときに交通死亡事故が起こりえる危険性を自動システムというのは孕んでいるのである。実際に多く死亡事故を含む追突事故も起こっているけども利害関係が絡んでほとんど公表されないETCシステムの裏側。ETCレーンでは止まるだけで後続車が追突してきて死亡事故につながる危険が常にある。閉じているバーに向かって開くのを信じて進んでいくというのも愚なる行為そのものだけど、安全を考えて止まると今度は追突の際に過失が問われるという問題もある。自動運転車だとどういう行動をするのだろう、日産の自動ブレーキシステムで、試乗の際に、自動ブレーキが働くからブレーキを踏まないでとディーラの人に言われて衝突してしまった事故とか。

織物の織機も基本自動運転なのだが、それゆえに問題は多いのでメーカーの人以上に織機に詳しくないと問題が見えないことが多い。織機だと人が死ぬことはないけども、自動車だと人が死ぬことは十分にありえる、自動車メーカーの利益だけが一人歩きして、人が死ぬことを考えない自動車開発者たち人が死んだとしても自分たちに責任はないといえるような状況までも作りだして、自動運転車を運転する人の問題ではなく、自動運転車以外を運転する人に危険性が増す問題。LTEでスマホで車を遠隔操作とか、本当に止めたほうがよいところまで行ってしまっている。スマホの電池が落ちただけでも使うものはどうなるのか分からない想定から始まるのに。織機でもスマフォで動かせればなんて絶対に思わない、危険すぎるから。自動で動くものを常に問題があれば停止できるように人間が緊張し監視し続けることのほうが大変で事故が起こってから止めるのが精一杯だろう。ボーイングの最新型の飛行機にしても自動制御で事故が起こるのを食い止めることに必至になっても難しく多くの死者を出す問題。

パイロットが操縦をしたときに自動制御が解かれないといけないメカニズムが働いていない。自動車の自動運転でも同じようなことは起こるだろう。スリーマイル原発の事故だったかも、自動制御が正しく働いて停止にもっていったのに、今度は人間が自動制御の誤作動だと判断して手動で動かしたとか、台湾の高速鉄道の問題も自動制御が停止ばかりなので自動制御を切って手動で動かしたら大惨事。自動制御と手動との切り替えというのも大惨事のエピローグの可能性は高い。
2019年03月11日
8年が過ぎて原発の被害が復興をさまたげる。絶対にメルトダウンしない想定でしか、準備もできておらず、結局メルトダウンすると手も付けられない状態。メルトダウンしても放射能漏れレーダーが放射能漏れを感知していてもメルトダウンはしていないと嘘をつき続けた国と電力会社からなる原発行政。6ヵ月後に爆発直後から放射能漏れをレーダーが検知していた様子を情報公開する。

普通だとチェルノブイリの半分の規模の放射能漏れ事故で、歴代2位の惨事となった事故。地下水からの海への大量の放射能の流出によって、石棺化が免れただけで、その設計上のミス、誤算がなければ、福島は石棺化するしかなかったであろう。それまで日本の技術で何があっても絶対に格納庫は壊れないという幻想も崩れた。本当ならば福島は廃墟となる事故である。地震と同じくらいに注意が必要なのが原子力発電所の存在。

日本は世界で一番の原子力発電推進国であったともいえ、国内の批判には一切といってよいほど耳を傾けずで、事故後も横柄な態度を取り続けるが、海外からは日本の原発輸出はことごとく断られる結果となった。また、蓄積し続けた使用済み核燃料も、世界から監視の目が向けられる悪玉が確定し、日本の再処理燃料計画は世界中からの批判で終焉を向かえる流れに向かっている。

PCBの問題なんかでも拡散しないように企業に努力させているのに、汚染土は薄めてすむなら問題ないとか笑える話で、国や電力会社は一番の環境破壊組織。実際に汚染土には放射能だけでなく、アスベスト、PCBももちろん含まれ、年金記録でも30年管理できなかった国が、100年以上日本中にばら撒いた汚染土を管理できるはずもないし、それをその場しのぎに管理できるという政治家もいたりする。
2019年03月10日
オーガニックという概念の難しさはというと、殺虫剤の問題よりも、権威主義的な流れになってしまうかどうかの辺りだろう。権威主義的なオーガニックは本当のオーガニックを破滅させるともいえる。権威主義的になれば奴隷を束ね搾取しているだけの状況と同じなのだ。オーガニックの肝は、オーガニックの現場を支えている人たちが一番であるというところ。過酷なオーガニックの現場を支えているのだから。

それを勘違いすると、認定がという問題になるけど、ブラックボックスなところは大きくなるほど多いもので、実際、日本で一番大きなオーガニックの団体の長が、私がした、オーガニックじゃない合成繊維のものにもラベルがついていますよね、というと、それはそれをつけた企業の責任で私の責任じゃないという答え。本当にあきれる話で、ラベルがついていても嘘か本当かはラベルの発行元の団体の長さえ、他人事なのである。私自身、認証を得た糸なども使っているけども、爺さん、それは基本すらもできてなくあなたが駄目だよと厳しく指摘した。

私自身オーガニックリネンを使って、通常のリネンと同じだとは思えない現象にいくつも遭遇して頭を悩ませることも多いが、その理事長は普通の糸もオーガニックの糸も同じ品質ですと軽く考えておられ、まったくオーガニックのことを理解しておられないのである。またエシカルなことが面倒で嫌なんですよとかいわれて、もう、なんでこんなおっさんがオーガニックやってるのというどうしようもないレベル。国際会議でなまった英語聞いていると眠くなってくるんですよねとか、発言も病気的で人に対しても一生懸命になれない英語で伝えようとしている人に対しても上から目線。自分も嫌なんだけど代わりにする人がいないからやってるだけなんですよとか。だらしない言葉ばかりが飛び出てくる、ワチャー。

そういう団体ばかりではなく、別のオーガニックの団体をやっておられる方は、心優しいなあとすべてにおいて思える。結構、私のお客様に多いのがそちらの団体の認定を受けた商品を使っておられる方々が多いので私がびっくりする。人というのはいろいろだと思う。また、オーガニックの管理にしても、行政的になってしまうとオーガニックの精神すらなくなる。オーガニックの現場には、原始的なことを強いながら管理はコンピュータで厳しい罰則とかも一方的で問題の一つだろう。管理者が問題があっても他人事のように責任を逃げる輩ばかりで、オーガニックに寄生し食い物にしているだけのことに終る。問題があれば、管理者も24時間とは言わないが、土曜日曜でも対応できるくらいでないとオーガニックの現場の人間を支えることも出来ないだろう。GOTSの事務局に電話したこともあるけども、トップの人間はことの重大さに動けたが、ほかのスタッフがことの重大さを意識せず事務的で、自分が問題視したことに対しての対応の体制が足りていないのは残念でしかないし、サステイナビリティの面からすると排他的では駄目で一般の目から逃げては駄目なのである。

なるべく化学薬品を使わないとかの表現が盛り込まれているけども、これってオーガニックでなくても普通のものづくりの概念なのだが、その程度のオーガニックなら一般にはオーガニックとは言わないだろうと思えたりする。オーガニックを謳いながらも、コストやボリュームとの戦いがあるのが見えてしまって凄く残念なオーガニックの世界がスタンダードなものだとすると、ラベルがついているだけで普通と変わらなくなってしまうだけのこと。人の問題そのもので、コスト重視でマーケットシェアを狙いオーガニックをラベルだけで普及させようとする行為はオーガニックと相反する概念そのもの。苦しんで支えてこそオーガニックなのであるが、自分がラベルを発行しながら、それは業者の責任として逃げては、グローバルスタンダードとしても日本のオーガニックのレベルの低さを、一番大きなオーガニックの団体の長が否定してしまっている。眠い話だろうけど、真剣に聞いてもらいたい。休日だから休み明けでないと対応できないとか、オーガニックを支える現場はそれを出来ないのである。自分の事務所に来なさいとか駄目で、自分が休日とってるくらいなら、動いてちゃんと動いて支えないとエシカルな気持ちの最低限も無い、よくいる高飛車なおっさん。厳しい話だが、覚悟決めて動いている人間からすれば、覚悟すらも無い人間がオーガニックを謳うなと思う。それが日本で一番大きなオーガニックの世界。アイリッシュリネンのような無いものが一人歩きして、最高峰のものとして大量に流れていたのと似ている現状に、警笛を鳴らすものがいてもよいのではないか。もちろん、人間だからできることとできないことあるけど、謳うことはすごくても、実際の話一つが責任感すらもなくいい加減すぎるのである。

そういうオーガニック幻想が一人歩きするのも、高いお金払ってオーガニックの糸を信じて使っているだけに、偉そうに自分が長だというなら責任を逃げないでだらしないことばかりいっていないで、ちゃんとしなさいと思うのだ。単なる無責任な爺さんが日本の一番大きなオーガニックの長では困る話だし、そういう認定の糸を使っている立場でだらしなさを知ったときに、そういうオーガニックの厳しい世界を守るつもりなら、長であろうがオーガニックを信じている人を馬鹿にしすぎで追い込まないと駄目だと思う。私がアイリッシュリネンプロジェクトを立ち上げ、アイリッシュリネンが存在しないことを証明したのもそこで、オーガニックに関しても幻想になって消費者騙しならば最初からそんなもの無いほうがよい。オーガニックリネンが本物だと私が感じることがある。私自身が、オーガニックリネンを必要として動いたけど、ヨーロッパの企業のもつ在庫を集めても1トンも難しい。これは本当にオーガニックリネンを扱おうとすると、日本の田舎の企業がものづくりしようとしても世界的なオーガニックリネン生産できる一社の在庫のをすべて押さえる話。もう一社の糸も数トン手元に持って、分かることがリネンの世界では日本くらいしかオーガニックリネンを評価できないというあたり。私自身は、どんなに問題があろうが、オーガニックリネンを支える覚悟で、通常の糸としたら使えない問題があろうがそれがオーガニックリネンの証として受け入れてもらうつもりで動いている。オーガニックリネンを軽く考える日本の認定委員と実際のオーガニックリネンを使うものの苦悩のレベルでは、日本の認定委員の知識が低すぎてオーガニックを軽く考え日本のオーガニックの長気取りで、林与にちゃちゃをいれてくださった。本当にその方の話が低すぎて無責任なオーガニックのダラシナイ日本のマスオーガニックレベルの話でアイリッシュリネン幻想が一人歩きしたのと同じで、信じて使ったり買う一般や消費者のことすらまったく考えていないのである。日本は一番産地偽装や偽装表示に厳しい国だから、日本で一番大きなオーガニック組織も、オーガニックを謳うなら本当に気をつけてほしい。私は一般の目をもって、厳しく世界的な権威で、日本のオーガニックを仕切っていると自負しているような人に対しても、厳しい目で本当に言う一言一言からしてだらしない、日本のオーガニックの概念を貶め偽装を蔓延させてしまうのがあなたみたいな考え方だと指摘する。高いお金を払う消費者、守らないといけないのは信じている高いお金払う消費者、偉そうにするだけの責任を感じないと、面倒だとかやる人がいないからやってるだけとか、言うこともだらしなさ過ぎて、辞任だけでは済まされない裏のありすぎる話。私自身は世界的や日本的な権威を謳おうが、だらしなさ過ぎる言葉ばかりを私にぶつけるジイさんには、あなたが一番駄目だと引導を渡す立場。そんな人がグローバルオーガニックテキスタイルスタンダードをいう言葉を使っては、その表現自体が偽装そのもので、現場の人間はもっとまとも。
«前のページ 1 ... | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 | ... 184 次のページ»