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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2019年03月13日
テキサスで全米のオーガニックコットンのほとんどが栽培されているというのは驚きの事実なのだが、それはテキサスでしか、オーガニックコットンの規定に縛られてオーガニックコットンが育て難いという事情がある。雨が降らず普通は植物が育ち難い砂漠地帯がオーガニックコットンの栽培には適しているのである。スプリンクラーで水を吸い上げてコットンを育てる。テキサスの農家の苦労も先進国日本で繊維産業で途上国の繊維産業以上に苦悩の毎日だから、そういう現場の覚悟もない権威主義な基準が現場の人々を苦しめる現実で、本来あるべき自然の恵みが成り立たないようなオーガニックの基準すらもどうかと思う側面も感じるのである。

枯葉剤を使わなくて良いのが、砂漠気候だから乾燥していて雨が降らず、3ヶ月とか放置しても綿花が腐らずに完全に枯らして葉が落ちるのを待つことができる。水分をスプリンクラーを止めることで完全に制御でき、枯れさせるうモードに人造的にコントロールできるのも強みである。他の場所では雨が振ると綿が濡れて品質が落ちてしまうが、砂漠気候の中に人工の力でオーガニックコットンの世界をつくりあげているのがテキサス。収穫も手摘みではなく、大型のコンバインで機械的に収穫が出来き、オーガニックな手積のコストが掛かる部分を大型のコンバインで刈り取ることで少人数で解決しやすい。

乾燥していて虫やカビなども日本などと比べて少ないのであろう。雨が降らない不毛の地を水と有機肥料を投入することでオーガニックコットンの一大産地に変えるプロジェクトが成功したということ。オーガニックコットンというと、代表的なのがインドで、昔からの製法で手摘みの世界がある。日本もオーガニックコットンは雨が多いので棉がはじけるごとに手積みが必要とされる。アメリカのオーガニックコットンの栽培はスプリンクラーが使われていたり大型の機械が収穫に使われていたりと、一般のオーガニックコットンが自然の力と人の力を中心としている中、最先端的なオーガニックコットンの栽培技法から生まれる。

先進国でオーガニックコットンを栽培するのが楽なのかというと、大規模農園でも数人の人間でやるためには設備投資にお金は掛かるし、いわゆるアメリカ的な遺伝子組換コットンや農薬を使っての栽培で効果がなく、成り立たない農家が、生き延びる策としてオーガニックコットンに掛けて成功したという話は人々の共感を得る部分で、ビジネスとしては大きな評価に値するだろう。

インドでも遺伝子組み換えコットンで多額の負債を背負い自殺者が出る問題があって、オーガニック業界での惨事として反遺伝子組換というところにきている。テキサスの事例をみているとオーガニックコットンは将来的には資本が投入されればアフリカがオーガニックコットンの巨大生産地となる可能性が高いであろうと思うのは私だけだろうか。

違和感を感じる一つのことには、オーガニックコットンのイメージとすると大地の恵みみたいな自生するようなものを描くが、それが現実的なイメージではない部分がオーガニックコットンの世界にもあることを知る必要はあるだろう。理想的な基準にしばられながらそれをどう人工的に経済的にクリアするのかが先進国的なオーガニックの考えで、他方では自然の恵みと手摘みの人的労働のオーガニックコットンの世界があり、同じオーガニックの中でも方向性はまったく異なる。不毛の地だから逆にオーガニックコットンのレギュレーションに人造的だとレギュレーション的には適合しやすいというところも、オーガニックコットンを基準で運用すれば一番適合しやすく正しいことの一つなのである。それをすることにも多大なるリスクを伴い成功したテキサスのオーガニックコットンの農家の方を応援するべきだろうとは思う。

たぶん、テキサスの農家のほうが、インドの一般的な農家よりも大きなリスクを背負ってオーガニックコットンに掛けていて、日本の繊維業界の苦悩と共通するところがあり、テキサスの人造的なオーガニックコットンの世界が先進国でオーガニックコットンを育てるのにできるベストなんだろうと思う、どんな基準があろうが、リスクを背負って自分が生きるためにベストをやっている人々を否定してはならない、基準でしばってその人たちの生命線を握るのは奴隷使いそのもの。途上国だけが苦しいのではなくて、先進国の人々の真面目に農業に取り組む人のほうが何億もの負債を背負い苦しいことも多いから。

殺虫剤の使用がすくないからと遺伝子組換を推奨するのもオーガニックの考え方もあるが、それは、原子力発電が地球温暖化に貢献するからエコだというのと似ていて、世界の原子力推進の旗振り役の日本的な地球環境を謳うスタイルに近い気がする。遺伝子組み換え作物を信じて裏切られた気分で、まったく反対のオーガニックで生きようと決意するのも人々の意思だろう。逆にオーガニックのレギュレーションが全世界的にオーガニックコットンの栽培を普及させるのに歯止めになっているという部分があるのも、オーガニック栽培の苦悩をしっている現場の人なら分かるだろうが、レギュレーションだけ作ってる人たちには分からないところ。私が普通のコットンでも十分天然繊維で否定すべきではないと思うのはそこで、厳しい基準をぶつけるだけで全世界的なまともに農業に取り組んでいる人々でも自殺に追い込まれる普通の生産を覚悟している人や作物を馬鹿にしてはならないという辺り。

日本人がコメ不足で、食べるコメにコマっても、日本人の口に合わないタイ米とかしか意図的に入れない農水省のどうしようもなさ、震災のときに液体ミルクをネッスルが被災地に届けようとして安全性の面が確保できないとした農水省。人々が食べるものもない苦しみを感じることもできない日本の行政の人間の感覚。そういう人間の存在が逆に人々を苦しめることは多い。

オーガニックを選択する人に、認定だとかクソだけなことにこだわって、現場の人の覚悟すらも分からずに、農作物が死滅するときに農薬を使えばオーガニックじゃなくなるけどやったらダメなの?認定を外されても自然と闘うためには仕方ない行為だというところ分からないとすれば、奴隷使いそのもの。せっかく育てたものがすべて無駄で食べて行けなくなる方向性。それをオーガニックだと謳えば別の問題だけど、農薬を使用した事情を説明して市場に流すも正直でエコなチョイスだろう。オーガニックじゃなくなるけど否定するようなものでもあるまいが、オーガニックやっているひとは、害みたいにいう人が多いけど、私はどうなんだろうと思う。食べていくのも難しい人たちというのは命すら掛かっている状況で、そういう人たちを支えるときに彼らが普通のコットンを作ったとしてもそれを買って支えてあげるのが私はエシカルで良いんじゃないかと思う。

オーガニックの前に、社会問題としては、生活とか食べて行くとかすらが難しい大きな問題があって、オーガニックなことじゃなくても彼らが生活できるようにとか食べていけるように考えてあげるのが必要だろうと思う。たとえば、普通のコットン製品であったとしてもそういう生きるために苦労をしている人たちがつくったものなら買って応援が人の命を救うことにつながりオーガニックの前にエシカルではないのか。

オーガニックには矛盾が存在するというのも事実で、オーガニックを求めればブラックな現場。朝10時から夕方5時まで週5日のオーガニックではオーガニックの現場すらも支えて行くのは難しいだろう。農作物がオーガニックを信じて死滅すれば、それは遺伝子組み換えを信じて自殺に追い込まれる農家と同じことをオーガニックの基準とか認定だけの世界が強要しているのと同じことなのである。私が思うのは遺伝子組み換えと同じ事務的なレベルでオーガニックの基準が運用されがちなところ。オーガニックをやってる人々を救えるようなオーガニックでないと、遺伝子組み換えと同じところに陥ってしまうのを、オーガニックな世界にも感じる。
2019年03月12日
最新型の、ボーイング737MAX8が半年で2機似たような現象で墜落。自動安全制御装置が働いていてパイロットが機首を上げようとしても機首が下がるような、自動制御のプログラムミスかセンサーの不具合を自動制御が判断できず、墜落したらしい状況。自動運転が安全だというのは妄想で、たぶん自動安全制御装置がついていなければ、パイロットが簡単に回避できた事故。安全のためについているセンサーや装置に問題があるときに、それらが自動運転と絡むともはや事故誘発の原因になる。

自動車で自動運転で事故が起こってもメーカーの責任は問われないとか、人が死ぬ確立が高いのにそういうのを選択する政府というのもどうしようもない状態。飛行機事故をみても、自動車どころではない技術の結晶そのものだが、それでも、原因すら改善すら難しい。日本の自動車メーカーは、アクセルとブレーキの問題に関しても、アクセルとブレーキを同時に踏んだ場合ブレーキが優先されるようなメカニズムの導入すらすべての新車に対して終っていないような状況。危険察知したときにスマフォなんかしてたらブレーキ踏むときにアクセル踏んでしまう間違いも起こりやすいのに、スマフォOKとかはないだろう。自動運転を安全とは謳わないで、死亡事故事故はつきものであるという感覚で導入するべきだろうと思える。

すでに導入済みのETCの危険性に関しても300台に1台がゲートが開かずに急停止、7割8割はカードの実挿入などが原因、開いていないゲートに向かって開くのを想定でギリギリまで動くというのもなあ。その2割3割くらいは、ETCカードを挿入していても起こっているETCの不具合が疑われる。怖いのは、後ろの車が追突する現象。ETCが開かないだけでとんでもない交通事故が起こりえるが、日本の交通安全意識というのはそんなもの。ETCのバーが誤動作で開かないときに交通死亡事故が起こりえる危険性を自動システムというのは孕んでいるのである。実際に多く死亡事故を含む追突事故も起こっているけども利害関係が絡んでほとんど公表されないETCシステムの裏側。ETCレーンでは止まるだけで後続車が追突してきて死亡事故につながる危険が常にある。閉じているバーに向かって開くのを信じて進んでいくというのも愚なる行為そのものだけど、安全を考えて止まると今度は追突の際に過失が問われるという問題もある。自動運転車だとどういう行動をするのだろう、日産の自動ブレーキシステムで、試乗の際に、自動ブレーキが働くからブレーキを踏まないでとディーラの人に言われて衝突してしまった事故とか。

織物の織機も基本自動運転なのだが、それゆえに問題は多いのでメーカーの人以上に織機に詳しくないと問題が見えないことが多い。織機だと人が死ぬことはないけども、自動車だと人が死ぬことは十分にありえる、自動車メーカーの利益だけが一人歩きして、人が死ぬことを考えない自動車開発者たち人が死んだとしても自分たちに責任はないといえるような状況までも作りだして、自動運転車を運転する人の問題ではなく、自動運転車以外を運転する人に危険性が増す問題。LTEでスマホで車を遠隔操作とか、本当に止めたほうがよいところまで行ってしまっている。スマホの電池が落ちただけでも使うものはどうなるのか分からない想定から始まるのに。織機でもスマフォで動かせればなんて絶対に思わない、危険すぎるから。自動で動くものを常に問題があれば停止できるように人間が緊張し監視し続けることのほうが大変で事故が起こってから止めるのが精一杯だろう。ボーイングの最新型の飛行機にしても自動制御で事故が起こるのを食い止めることに必至になっても難しく多くの死者を出す問題。

パイロットが操縦をしたときに自動制御が解かれないといけないメカニズムが働いていない。自動車の自動運転でも同じようなことは起こるだろう。スリーマイル原発の事故だったかも、自動制御が正しく働いて停止にもっていったのに、今度は人間が自動制御の誤作動だと判断して手動で動かしたとか、台湾の高速鉄道の問題も自動制御が停止ばかりなので自動制御を切って手動で動かしたら大惨事。自動制御と手動との切り替えというのも大惨事のエピローグの可能性は高い。
2019年03月11日
8年が過ぎて原発の被害が復興をさまたげる。絶対にメルトダウンしない想定でしか、準備もできておらず、結局メルトダウンすると手も付けられない状態。メルトダウンしても放射能漏れレーダーが放射能漏れを感知していてもメルトダウンはしていないと嘘をつき続けた国と電力会社からなる原発行政。6ヵ月後に爆発直後から放射能漏れをレーダーが検知していた様子を情報公開する。

普通だとチェルノブイリの半分の規模の放射能漏れ事故で、歴代2位の惨事となった事故。地下水からの海への大量の放射能の流出によって、石棺化が免れただけで、その設計上のミス、誤算がなければ、福島は石棺化するしかなかったであろう。それまで日本の技術で何があっても絶対に格納庫は壊れないという幻想も崩れた。本当ならば福島は廃墟となる事故である。地震と同じくらいに注意が必要なのが原子力発電所の存在。

日本は世界で一番の原子力発電推進国であったともいえ、国内の批判には一切といってよいほど耳を傾けずで、事故後も横柄な態度を取り続けるが、海外からは日本の原発輸出はことごとく断られる結果となった。また、蓄積し続けた使用済み核燃料も、世界から監視の目が向けられる悪玉が確定し、日本の再処理燃料計画は世界中からの批判で終焉を向かえる流れに向かっている。

PCBの問題なんかでも拡散しないように企業に努力させているのに、汚染土は薄めてすむなら問題ないとか笑える話で、国や電力会社は一番の環境破壊組織。実際に汚染土には放射能だけでなく、アスベスト、PCBももちろん含まれ、年金記録でも30年管理できなかった国が、100年以上日本中にばら撒いた汚染土を管理できるはずもないし、それをその場しのぎに管理できるという政治家もいたりする。
2019年03月10日
オーガニックという概念の難しさはというと、殺虫剤の問題よりも、権威主義的な流れになってしまうかどうかの辺りだろう。権威主義的なオーガニックは本当のオーガニックを破滅させるともいえる。権威主義的になれば奴隷を束ね搾取しているだけの状況と同じなのだ。オーガニックの肝は、オーガニックの現場を支えている人たちが一番であるというところ。過酷なオーガニックの現場を支えているのだから。

それを勘違いすると、認定がという問題になるけど、ブラックボックスなところは大きくなるほど多いもので、実際、日本で一番大きなオーガニックの団体の長が、私がした、オーガニックじゃない合成繊維のものにもラベルがついていますよね、というと、それはそれをつけた企業の責任で私の責任じゃないという答え。本当にあきれる話で、ラベルがついていても嘘か本当かはラベルの発行元の団体の長さえ、他人事なのである。私自身、認証を得た糸なども使っているけども、爺さん、それは基本すらもできてなくあなたが駄目だよと厳しく指摘した。

私自身オーガニックリネンを使って、通常のリネンと同じだとは思えない現象にいくつも遭遇して頭を悩ませることも多いが、その理事長は普通の糸もオーガニックの糸も同じ品質ですと軽く考えておられ、まったくオーガニックのことを理解しておられないのである。またエシカルなことが面倒で嫌なんですよとかいわれて、もう、なんでこんなおっさんがオーガニックやってるのというどうしようもないレベル。国際会議でなまった英語聞いていると眠くなってくるんですよねとか、発言も病気的で人に対しても一生懸命になれない英語で伝えようとしている人に対しても上から目線。自分も嫌なんだけど代わりにする人がいないからやってるだけなんですよとか。だらしない言葉ばかりが飛び出てくる、ワチャー。

そういう団体ばかりではなく、別のオーガニックの団体をやっておられる方は、心優しいなあとすべてにおいて思える。結構、私のお客様に多いのがそちらの団体の認定を受けた商品を使っておられる方々が多いので私がびっくりする。人というのはいろいろだと思う。また、オーガニックの管理にしても、行政的になってしまうとオーガニックの精神すらなくなる。オーガニックの現場には、原始的なことを強いながら管理はコンピュータで厳しい罰則とかも一方的で問題の一つだろう。管理者が問題があっても他人事のように責任を逃げる輩ばかりで、オーガニックに寄生し食い物にしているだけのことに終る。問題があれば、管理者も24時間とは言わないが、土曜日曜でも対応できるくらいでないとオーガニックの現場の人間を支えることも出来ないだろう。GOTSの事務局に電話したこともあるけども、トップの人間はことの重大さに動けたが、ほかのスタッフがことの重大さを意識せず事務的で、自分が問題視したことに対しての対応の体制が足りていないのは残念でしかないし、サステイナビリティの面からすると排他的では駄目で一般の目から逃げては駄目なのである。

なるべく化学薬品を使わないとかの表現が盛り込まれているけども、これってオーガニックでなくても普通のものづくりの概念なのだが、その程度のオーガニックなら一般にはオーガニックとは言わないだろうと思えたりする。オーガニックを謳いながらも、コストやボリュームとの戦いがあるのが見えてしまって凄く残念なオーガニックの世界がスタンダードなものだとすると、ラベルがついているだけで普通と変わらなくなってしまうだけのこと。人の問題そのもので、コスト重視でマーケットシェアを狙いオーガニックをラベルだけで普及させようとする行為はオーガニックと相反する概念そのもの。苦しんで支えてこそオーガニックなのであるが、自分がラベルを発行しながら、それは業者の責任として逃げては、グローバルスタンダードとしても日本のオーガニックのレベルの低さを、一番大きなオーガニックの団体の長が否定してしまっている。眠い話だろうけど、真剣に聞いてもらいたい。休日だから休み明けでないと対応できないとか、オーガニックを支える現場はそれを出来ないのである。自分の事務所に来なさいとか駄目で、自分が休日とってるくらいなら、動いてちゃんと動いて支えないとエシカルな気持ちの最低限も無い、よくいる高飛車なおっさん。厳しい話だが、覚悟決めて動いている人間からすれば、覚悟すらも無い人間がオーガニックを謳うなと思う。それが日本で一番大きなオーガニックの世界。アイリッシュリネンのような無いものが一人歩きして、最高峰のものとして大量に流れていたのと似ている現状に、警笛を鳴らすものがいてもよいのではないか。もちろん、人間だからできることとできないことあるけど、謳うことはすごくても、実際の話一つが責任感すらもなくいい加減すぎるのである。

そういうオーガニック幻想が一人歩きするのも、高いお金払ってオーガニックの糸を信じて使っているだけに、偉そうに自分が長だというなら責任を逃げないでだらしないことばかりいっていないで、ちゃんとしなさいと思うのだ。単なる無責任な爺さんが日本の一番大きなオーガニックの長では困る話だし、そういう認定の糸を使っている立場でだらしなさを知ったときに、そういうオーガニックの厳しい世界を守るつもりなら、長であろうがオーガニックを信じている人を馬鹿にしすぎで追い込まないと駄目だと思う。私がアイリッシュリネンプロジェクトを立ち上げ、アイリッシュリネンが存在しないことを証明したのもそこで、オーガニックに関しても幻想になって消費者騙しならば最初からそんなもの無いほうがよい。オーガニックリネンが本物だと私が感じることがある。私自身が、オーガニックリネンを必要として動いたけど、ヨーロッパの企業のもつ在庫を集めても1トンも難しい。これは本当にオーガニックリネンを扱おうとすると、日本の田舎の企業がものづくりしようとしても世界的なオーガニックリネン生産できる一社の在庫のをすべて押さえる話。もう一社の糸も数トン手元に持って、分かることがリネンの世界では日本くらいしかオーガニックリネンを評価できないというあたり。私自身は、どんなに問題があろうが、オーガニックリネンを支える覚悟で、通常の糸としたら使えない問題があろうがそれがオーガニックリネンの証として受け入れてもらうつもりで動いている。オーガニックリネンを軽く考える日本の認定委員と実際のオーガニックリネンを使うものの苦悩のレベルでは、日本の認定委員の知識が低すぎてオーガニックを軽く考え日本のオーガニックの長気取りで、林与にちゃちゃをいれてくださった。本当にその方の話が低すぎて無責任なオーガニックのダラシナイ日本のマスオーガニックレベルの話でアイリッシュリネン幻想が一人歩きしたのと同じで、信じて使ったり買う一般や消費者のことすらまったく考えていないのである。日本は一番産地偽装や偽装表示に厳しい国だから、日本で一番大きなオーガニック組織も、オーガニックを謳うなら本当に気をつけてほしい。私は一般の目をもって、厳しく世界的な権威で、日本のオーガニックを仕切っていると自負しているような人に対しても、厳しい目で本当に言う一言一言からしてだらしない、日本のオーガニックの概念を貶め偽装を蔓延させてしまうのがあなたみたいな考え方だと指摘する。高いお金を払う消費者、守らないといけないのは信じている高いお金払う消費者、偉そうにするだけの責任を感じないと、面倒だとかやる人がいないからやってるだけとか、言うこともだらしなさ過ぎて、辞任だけでは済まされない裏のありすぎる話。私自身は世界的や日本的な権威を謳おうが、だらしなさ過ぎる言葉ばかりを私にぶつけるジイさんには、あなたが一番駄目だと引導を渡す立場。そんな人がグローバルオーガニックテキスタイルスタンダードをいう言葉を使っては、その表現自体が偽装そのもので、現場の人間はもっとまとも。
2019年03月09日
日本における自動運転関連の法令は現行の法令や道路交通法との矛盾を多く含む。閣議決定で、「スマホしならら運転OK」みたいなのは、人が多く死んでいるのに、内閣の連中は、また死者を出すような安易な、原発は安全という神話以上に、日産の自動ブレーキが利かずで、追突したとか。緊急時に運転を代われれば事故を防げるとかそういうレベルの問題ではないのである。ブレーキが利かないのを人間が気がついても後の祭りなのである。

アメリカでも自動運転の走行実験で、自動運転では障害物を検地してまともに走らないから障害物センサーを切って、運転手が運転して自動運転の走行実績を上げているようなことも、死亡事故があって分かった。テスト運転手が規則に反してスマホをしていたとかが、自動車メーカーの責任か運転手の責任かの争点になっているようだが、同じようなことは本当に導入されて日本でも当たり前に起こりうる想定だろう。

自動運転にしてもどうして日本の道路交通法のような車を運転するということは拳銃の引き金に手を掛けているようなものとか指導しながら、死亡事故が起こりえるスマフォ読書ありで自動運転を導入させようとするのか、死亡事故が起こったら一生取り返しのつかないものを背負うことになる。メーカーの責任も問えないような閣議決定とかして、自動運転での事故の責任を取りたくない自動車メーカーが法律を作ってしまっているような状態なのであるが、これもアメリカが日本に自動運転車を売り込む外圧の一つだろう。

拳銃なんかの所持も許されるアメリカだと人が交通事故で死のうがしかたない事故としてすむけども、その流れを日本に持ち込むなら、事故の責任も軽くしておかないと事故が起きて、事故の起こりやすいような法令を作って事故が起きたら加害者の責任で、事故が起こりやすい法令で事故を誘導しているようなものなのに、加害者が責められるというのも国の責任も大きいだろう。薬害エイズなんかでも安全といいながら海外の血液製剤を導入して大問題、同じことが日本の国で自動運転でも現在進行形なのである。専門家は責任を取らないから別に間違っていてもノーリスクで役に付いて待遇を得ることが大事なのである。反対する専門家は基本雇われ難いのであり、正しい判断を専門家ができるとは思えない状況から始まる。
2019年03月08日
3月なのに、夜の温度はまだ2℃。滋賀県のこの地域が肌寒いのは仕方ないことなのかなあ。夏はかなり暑く、35℃を越える。四季の移ろいをモロに感じることができる場所なのであるとよいように解釈。気候の厳しい場所というのは世界的にも織物が発達する傾向にある。過ごしやすい南国では織物が簡単で雑であることが多い。

滋賀県で麻織物が発達した原因が、琵琶湖の湿気だという説があるけども、琵琶湖岸では葦などの荒い織物は多かったが、細番手の麻織物というのは織られていなかった。細番手の麻織物というのは山側で織られるというのは、織物というのが農業のB面で雪に包まれる里で織られたのである。戦前に関しては琵琶湖岸というのは漁業が盛んで実は水利の面であまり農業には向かない傾向にあった。戦後に湖岸や内湖を埋め立てをして巨大な農地が出来上がったのである。

基本麻織物というのは全国的に作られていたと考えてよいけども、江戸時代は流通は許可制あるいは免許制であったので、自分で着るものは基本自分の家で織ってそれを裁縫して家族の服としたのである。農家が現金収入を得る手段というのは限られていて、江戸時代は自給自足が基本で親戚の助け合いによって、衣食住が成り立っていたのである。今は避けられがちな田舎の祭りなども、たらふくご馳走を食べられたり酒を飲める唯一の楽しみだったりで、日々の質素な生活の中では許される贅沢の一つであった。

満足に食べられず、子供も5歳までになくなる確率も半分以上とか、そういうのが普通の農家の世界で、野麦峠なんていうのは、貧農の娘さんたちの憧れの世界であったが、今の価値観からすれば逆に取られたりで、貧農のものたちがチャンスを与えることを良しとしない働かずして成り立つ支配階級の目線ではないのかと思えるところもある。官製の富岡製糸に対しては私は否定的な目でみるのは、良家の娘さんを好待遇で集めて世界に日本の力をPRみたいな、搾取の上になりたつ支配階級的な思想で出来上がった工場だということ。良家の娘さんたちが良い環境の中で作る糸の品質は低く貧農の娘さんたちの作るものに敵うことなく富岡製糸場は廃業の道をたどった。私の感覚ではアリとキリギリスの世界に思えてならない。

今の日本の官製のプロジェクトも今なお同じ道をたどることは多い。プロジェクトの目的がそもそも搾取するところにあるからだろう、すごく有利な条件なのに大きな失敗して無責任にお金を失い、そのツケを他のものから取ってそれの繰り返し。成功して還元することよりも、失敗して失敗分をさらに吸い上げる構造が官製プロジェクトにはあろう。原発が爆発してさらに遮断壁の失敗で追い銭、そもそも遮断してどうなるものでもないというあたりも、今になって解決方法は無限希薄しか方法はないと専門家たちは結論付け初めている。惨事に対しても当たり前の神経が働かずにカネを動かすことばかり考えては駄目で、建前ではなく本質で対応しないといけない。なぜ、チェルノブイリと福島の被害の違いがあったのかは、地下から漏れ出したというところで、その漏れを止めることはチェルノブイリの悲劇に近づく。愚かな人間の不完全さが福島を救ったという辺りだと思う。国や東電が放射能漏れを隠匿したまま、地下から放射能汚染物質が海に流出していなければ、福島はチェルノブイリの半分くらいのダメージを蒙っていて石棺化は免れなかっただろう。

プルサーマルというものを推進している人々も風見鳥で、国民に対しては押し付けるけど、国際的に害と判断されると方向転換。国内の声は聞く耳持たずで虐げ、海外から批判されると変わり身の早さ。それがそもそもの諸悪の根源で、日本の江戸時代の身分制社会と明治の開国という100年以上前のままの日本の役人的な政治の部分。

村の案件でも、役所ばかりいた人間がやると高圧的で人間的なところがなかったりして、法律を盾にとり、自分だけが特別であるかのように民主主義的でない、殿様。責任が掛かると逃げるばかりが駄目なところで、役所以外の人間だったら、自分の甲斐性で偉そうにいうなら一番に責任を取るけどなあと思う。

ある案件でも、自分が機材も老人で出来ない家には一軒一軒自分がつけるからといってみんなの了承を得て、了承を得た次の会議では、つけるのは自分でやってと、手のひら返しでそれが60過ぎた人間の言葉かと思って親戚筋のおっちゃんだったけども、私が厳しい目をぶつけるのは、その場しのぎの役人的なやり方で空気が読めないそのもの、覚悟してやれと思うし、自分自身が覚悟もないなら言うなと思った一件だが、国の行政も議員も、辞任したら済むとか弊害は後々まで及ぶのだからそんな考えなら最初から役につくないい加減にしろとか思う。

今、滋賀県でも、知事選挙。元知事が選挙にでるようだが、私は否定的。この方は県のイベントにしても気がないのだ。なぜ、自分のときに立ち上げたイベントなのに、知事でなくなったら一般市民として参加しないのかの問題。一般市民の気持ちもないのが知事としては失格そのもの。私はそのイベントにも彼女が知事だったときからずっと参加して応援の気持ちでいて、地元を応援する気持ちでいるのに。そういう人間が長に立っても自分の立場だけで、右に左にフラフラで応援する気持ちの人の気持ちも捉えておらず長としては難しい。滋賀県知事をしていたものが自分が知事でなくなったからとして、一般県民として滋賀県の行事に普通に参加して支援もできないようなら知事としてはまったくもって失格なのである。

たとえば、これは町長に対しても同じ、町民の責務を果たせないような町長なら町長の資格無しで、最低限町民の責務を果たして町長や町会議員を名乗るべきで、その目線というのは本当に大事で、私も含め一般の人々はそういうところ見ているもので、長続きする人と続かない人の差だと思う。政治家の対立する主張が会社が違うだけで本当の目的が利己なら駄目で強制される国民、県民、町民の立場で、自分と違う主張も受け入れて強制を受け入れやらないと、自分たちの強いていることすらも見えまい。
2019年03月07日
本当に情けない日本の電機メーカーの意識の低さとして、PCBの危険性が認識されたあとも、低濃度のPCBを使いながらその情報を隠す体質があること。どのメーカーも隠してしまうというのが日本のメーカーの怖さで、自分の作った製品にPCBが使われているのかどうかも自信をもって答えることができないのである。混入の危険性があるとか言う言葉までもが飛び出てきて、行政のいい加減な答えそのものに似ている。使っている側にPCBの情報が正しくメーカーから出てこない状況を国も作り出しているのである。製造工程の中での混入だと完全にメーカーの責任だろうけどもそういうのすら認めず使ったものの責任というのもメーカーがPCBの危険性に対する意識が無いままなのである。

PCBの危険性をメーカーが認識していない意識でものづくりをしているということの証ではないのかと思えるような対応。自分の作った電気製品にPCBが使われているのかどうか分からない、検査費用は買って使っているものの責任だみたいな、日本の大手メーカーにPCBに対する危険意識すらなく、情報すら隠匿してしまう体質は、原発と同じで非常に日本的なのかもしれないと思える。共通しての隠匿体質は行政がらみの指導が裏で働いている可能性も高いが、そういうところがPCBに関して指導する行政からしても一番駄目な体質である。

カネミ油問題で、行政が動きもせずに国の責任が問われたが同じ体質が今も国にはあって、知らずに油を使ってしまったものの責任というだらしない対応。50年たっても同じ体質なのが今の日本の国で、原発の放射能漏れすらも隠してしまう体質となんら変わらない連中がPCB問題を扱って、さらにそういう連中はカネ儲けまで考えてしまう情けなさ。カネミ油問題は今も日本の行政を含め現在進行形なのである。なぜメーカーに情報を公開させないのか、カネにならないからなのである。再充填で混入の危険性があるとかメーカーのまさにだらしないPCB管理の責任までも使うものに負わせるからカネミ油事件はまさに国の責任なのである。

PCBの危険性が取りだたされながらも使用を許可し続けた国、まさに国の判断が誤りだったことが、今のPCB廃棄物の問題を生み出してしまっている。国の担当とメーカーの癒着が一番の問題であろう。ダイオキシンでも口から入ると、触れるとではその差は大きい、放射能でも同じで口から入った場合にはその汚染は何千倍といわれるのだが、そういうのを想定しないで安全を謳っていると、福島原発の所長のようにガンを発生しても原発爆発との関連性はないという形で終ってしまう。所長のようなケースが、一般であったとしても関連ないとあしらわれてしまうのかと思うと、PCBとかの問題も国の責任に追求が及ぶと国は逃げるだけのこと、カネミ油症の問題は今のPCB機器の破棄の問題とも絡んで続いている問題である。

メーカーがPCBを使用しなくなっても、PCBを使用している油を再補充しているような重過失レベルのメーカーの正規メンテナンスがあったとすれば、行政の指導で厳しく保安会社が入って検査してメンテナンス記録も残っているのに日本の電力行政のあり方、そもそもが形だけで無意味にすら近かったということ。なんかそこそこの量でそんな失態があるそうで、メンテナンスすると逆に何をいれられているか分からないというような怖さ。再生油に混入してPCB不使用を謳いながらも新品でもPCBが含まれるケースというのもあるという。今の新しい機器であろうがありうると考えるとメーカーはPCBを使用していないということは今後の新製品であろうが基本謳えないという結論か。

PCB廃棄の問題でも、一番の利用者は、電力会社と鉄道会社。これらが一般と同様に高い費用を払って検査ならびに処分するのかというとたぶんありえない話で、一番大量に危険性が疑われる事業者の処理がお手製で一般からはブラックボックスなのである。天下りが処理機関をつくりその抜け道もできあがっているのがPCB。
2019年03月07日
さすがだなあと思うのは、現場の力。今、量産の一つの件でリカバーしないといけない案件があるのだが、微調整が必要で、糊付けの1回目がうまく行かなくてそれを同じ工程をもう一度行うことでリカバーする。なんとなく専門ではないけども、私は専門職の人にも常に口出しをするほうで煙たがられることがあるけども、ある社長の力量を信じてお任せした。最初の1回目の糊付けで普通よりは甘くしかついていないことも感覚的に判断されて最初の糸を持ってこられたときにも、糊の付きが甘い辺りを言っておられた辺りがさすがだなあというところ。

通常だと薄い糊を2回目は付けそうだけど、糸のコンディションを考えて、1回目と同じ強めの糊を付けてくださって、それが私が糸のコンディションを考えて強めにつけて欲しいと頼みたかったことと同じことで、そういう微調整をマニュアルではなく、今の問題をリカバーするために動いてくださる。本麻の先染めのアパレル用の広幅のチェック柄、日本でももうできるところはほとんどなくなっていると思う。というのも、弊社が織れるかどうかというだけでなく、糸のチョイス、染色、糊のチョイス、加工でのチョイスを考えると、着物の世界の布と同じ工程で幅が広い分、ほとんど3倍費用が掛かってしまうので、1回でうまく作らない限りにはトラブルも多く合わないのである。アパレル向けでは値段も合わなくなっているので本格的な本麻の先染織物というのは手がけるところは本当に少ない。

林与は本麻の先染めの道では一番くらいを自負するところがあり、それも、一緒に取り組んでもらえる、同世代の地元の染色工場、糊付工場、加工工場があるというのが強みそのもので、林与だけの力でなくて、日本の麻織物の本場の産地を謳える強みだったりする。ぎりぎりのものづくりかも知れないけどもそういうものづくりが世界でもできないということで評価は高く壁も高くで、やりがいのある仕事の一つなので問題があるからといって手放したくなく、納期も含め海外のお客様を説き伏せてでも日本の本場の麻織物の産地の布に満足してもらいたいと考えている。

産地で私が取り組ませていただくのが現場の職人というのではなくて、現場を現場の職人以上に知った社長の皆さん。今回のトラブルの件でもみんなが動いてくださり、普通だと何ヶ月も掛かるリカバーをこの生産の時期に押し込んでの協力いただき、織だけでない日本の麻織物の本場の布をお使いいただきたい。こんなに苦しむことは何年振りだろうけども、これが高い壁で自分が乗り越えて行かないと諦めれば次に同じ壁にぶつかったときに乗り越えようとはしないだろう。

今の若い人たちが業界に入ってきても日本の市場ではこういう壁からスタートする。素人が一番難しいところを担当するのである。でも、素人だから何十年の職人を越えて行ける部分も多い。要は、目の前の仕事をどれだけこなすかだけのことで、素人も経験者も差は無い。もちろん経験者のほうが経験があるので問題などの予測ができて有利な面はあるけども、人というのは毎年能力は落ちて行くもので、若いときのほうが仕事というのは何でも上手に出来やすいものである。

私の親戚のおじさんも、来ていただいている職人さんもいっておられるが、60も過ぎれば20代の、昔の3分の1くらいの仕事にできることは少なくなっている。私も50歳でも学生のころと同じ気分で、現場の問題も乗り越えて行けるのだろうと思う。
2019年03月06日
昨日午後、私の中学時代からの友人が来て話している中で、その友人は専門の人に任せて分業で行うタイプ。私の場合はまったく逆でなるべく自分でやってしまうタイプ。同じく朝に電話で話した方も友人と同じような、専門分野で割り振ってチームワークでいくのが理想系のタイプ。林与という会社も私が会社に入った先代の頃は、昔は問屋さん向けが95%くらいで、先代も、完全に分業のタイプだと思う。

糸の仕入れなんかでもある糸商さんともめたこともあった。10年ほど昔、リネン100番手以上の糸が手に入りいくいから私自身が動いて海外から糸を自分で引っ張ってくるということをやった。結局それは反対もあったけども、糸商さんでできないことは自分がやらないと仕方ないという単純な結論。もちろん、糸商さんにほかの件では頼むこともあるが、垣根を意識していたらできることもできないで終るだけのこと。その糸商さんは別に悪い糸商さんでもなかったけど、先代タイプの仕事の考え方だったので、先代タイプが通用しなくなったときには違うやり方も必要にはなってくる。一つの物事を成功させるために、できないに同調していてはできることもできず普通でおわってしまってやったとしても評価は低い。苦労もするが自分が使いたい糸を思う存分に試してみることができたのは経験としてはすごく幸せであった。

繊維業界の年配の経験者が無理ということでも、私がやるとできることも多いのは考え方がまったく違うからだろう。経験者のもつ概念的な経験というのがなく、新しい感覚で最後のゴールを目指して新しいものごとをやろうとするのでボトルネックになる精神面での限界があまりなく、できることが多いのであろう。そうやって生まれたものが業界の新しい流れを形成して行くことも多いのではないかと思う。

2019年03月05日
縦糸の糊がうまく付かなくてとか横糸の色が加工すると薄くなってとか、予期せぬ問題がいろいろと起こってベストは尽くしていてもなかなかうまくは行き難い。数メートル織るのにも2週間とかときには1ヶ月とか掛けていたりがある。普通だと1日2日で諦めてその仕事は無理だと判断するんだろうけど、織れると信じて織機を調整する。

これが本当は良くない話で、動いていた織機に糸の問題で調整を掛けるので、織機の調整としては逆に良くないことが起こりやすい。私の場合には、調整した箇所というのは覚えていて、最初の状態に戻せるように考えてはいるが、10数箇所の織機の調整を加えるとそれをまた元に戻すのは相当の労力が必要であったりする。厚い物、薄いものでは織機の調整が異なってくる。

その理由は、前の巻取りと後ろの送り出しのバランスが、厚いものの場合には後ろの送り出しを沢山送らないといけない、ほかにも、厚いものを織る場合には、密度を上げるためにテンションを張らないといけない煽りを少なくする必要もあったり開口を広くする必要があったり開口のタイミングを変えたり、一日中の調整が30cmもまともに織れないままに1週間、2週間つづく、織機をみているようだけど、実際に見るのは糸。

職人さんが麻織物を織れなくなっているのは糸を見ることができないからだろうと思う。親戚のおじさんにしても何十年も仕事をしてきたけども糸の苦しいよみたいな声は聞こえなかったのかもしれない。私自身は、整経という作業を麻を整経させたら日本一、世界一くらいに自称であるがしてきたので、糸一本のテンションの加減も一瞬で感覚で相対的にだけではなく絶対的にも伝わってくるのでそれが麻織物を織るためにも役立っている。大丈夫かの絶対的な感覚が必要で、それは経験でしか生まれないものだと思う。

修羅の道ではあるけど、本麻で総先染めアパレル向けに織れる会社として残れればと願っている、それが林与のデスマッチにつながるのかも知れないけれど。やってみれれば本望で、それに付いてきてくださるお客様と仕事したいなあと思っているばかり、昨日もコンバーターさんを軽く見る話をして喧嘩になっても、一日に数時間でカバー範囲を織物全体に広げて糸から製品まで最後お客さんが買ってもらって喜んでもらえるところまで、うまくいくように動きたいと思うところも多いのであるが、本当になかなか難しいことも一つの問題で起こりうるのは十分承知で出来る限りの思いで動いている。
2019年02月24日
仕事というのは意欲と能力のある人が集まってするのが一番だろうと思う。昔からだが、目の前に仕事があって面倒そうな年配の人が本当に多くて、本当だとこういう風にやらないといけないのだけどもこれはこの人には無理だから簡単な方法でやってもらうというようなことばかりで、これでは大したものは出来ないのである。働く人の能力に合わせて仕事してしまうと、問題も余計に起こるし仕事しないほうがよいのかもしれない。

問題が起こり難い確認作業を多く含む手順での作業というのは面倒なのである。そういう面倒を避けながら仕事するとどこかで間違いが起こっても間違ったまま、ボタンの掛け違えで仕事が進む。最初からやり直さないとならないのだが、失敗した人が間違ったから最初からやり直しということに憤慨するケースが本当に多い。だから、間違い難いような確認作業の多い手順でやって欲しいのだが、それを面倒がる。

そのあたりで仕事レベルでは、もう中国のほうが上になっている。日本の仕事が面倒な経験者が集まって仕事している状態より、仕事が欲しい新興国の何百人もの若い人たちの仕事のほうが質も高い。国内だと経験者が若い者に対して偉そうにしていたらそれで仕事みたいなあたりなのだろうけども、そういう経験者たちが海外の素人と思っていた人たちに飲まれてしまう話。日本の驕った繊維業界の多くは、海外に足元をすくわれ飲み込まれてしまった。しかたないことだろう。

もちろん、為替の問題もあるけども、せめて、日本人らしい考えと技を持っていれば日本の織物は中国に並ばれることはなかっただろうと思う。けども、日本人の考え方も標準化してしまって、できることもものも特別ではなくなってしまった。同じ時間仕事しても何倍もの生産性があるのが勤勉である日本人の特長で、島国であっても豊かな生活が手にできていたのにとは思う。

私が忙しすぎて手が足りず、篠山から女性の方が自分の企画した布をつくるために来られて、糸を割って整経機に糸を建てる作業。本職じゃなくても本職以上に仕事できるのは正しい人生観があるからだろうと思う。前に来られた電気工事士の方も、最初から整経の作業ができたのは、織物素人でも他の仕事ちゃんとやってられる方なら織物の仕事は特別難しくは無いということだろう。
2019年02月23日
100の仕事を二人でするときに50づつ分けて仕事できれば良いバランスであろう。能力が異なって、60vs40でもまだ大丈夫だろう。70vs30だと続けてそれが普通だと、特別な事情が無い限りあまり良くない結果となる。80vs20とか、90vs10とかだと、できる人を探したほうが良いだろう。

もちろん、最初80vs20、90vs10というのはあるけど、やってゆくうちに、70vs30とか60vs40に近づいて行かないと素人のままなのである。意識高い系の人というのは、やっても20とか10しか出来ないタイプの人が多いのではないかと思う。地場産業でも職域が狭い人というのは経験者であっても20とかのタイプが多いのではないか。

産地を救うみたいなことをしようとすると80の仕事して20の仕事の人にお金払うような立場にならないと。自営で立っている人というのは100の仕事を自分でやってたりするので、規模が小さくても立派だなあと思う。若い人でも自分で仕事して成り立っている人というのは凄いなあと思う。

20の人が集まった会社を支えて行くのは大変だろうから、私はたとえば2人で100の仕事するなら50づつ分けて仕事できる人と仕事したい。私が仕事に入ったときに仕事を教えてくれた方はそういう人で何でも自分から進んでやっていたから、100の仕事が50づつできて、200の仕事になり100づつできるし、300の仕事になっても150づつできたと思う。でもそういう人は本当に少ないと思う。普通は10、20、30のままの人がほとんど。できるんだろうけど余裕を残してやらないから結局はできない。変わるのに期待してもそれがその人のスタイルだろうから。

田舎で思うのは、行事などでもいやいや参加している人が多いということ。参加しても実際には参加しているだけみたいなあたり、周りのプレッシャーがあるから参加しているんだろうけども、参加するなら参加するで場をつくる立場になってやらないと行事自体が意味がない。集落の防災訓練で、町の若い男性が、作業してくれる人を募るけどもだれも自主的に動かない。周りの目もあるんだろう。なんか私が仕事しているときの感じと同じなの感じて私が手を上げて役割を引き受ける。田舎行事なので参加しているなかでも一番若い世代が私だったりだけど、周りのおっさんおばさんの目を気にしていたら田舎で何も始まらないから。

町おこしが日本でいろいろあるけども、若い方が田舎に入って町おこし、人付き合いの面でなかなか大変だろうなあと思う。個人的には年配の人というのは親切であったりも多いけど、イベント的な物事をするときには、何で町おこしが必要なのかという問題と絡んで、なかなか難しいことが多いだろうと思う。中にも若い人材はもともと要るけど年功序列的なつながりがあって上下の構図ができあがっているからその体制維持が主目的になって衰退原因ともなっている。年配のものというのは、若い者を見下したりする分、行政とかには弱いから、行政の立場で若いものが動くと、容認しやすい。とかがあるだろうが、それ自体、田舎社会の駄目な構図を引きずっている。

120年ほど昔、林与の近江上布の世界も、父親が酒飲みで貧乏で若い頃から苦労したヨジヨモン爺さんにしろ、田舎の人間だったが、近江上布の織元を立ち上げ、近代の近江上布の名声を日本全国に轟かせるほどになった。林与の近江上布のアーカイブは、與一爺さんのときのものだけども、世界的な展示会に持っていってもこれほどのアーカイブはみたことがないと驚かれる方がほとんどで、布の世界の人を魅了できる力を持っている。田舎の人間がそんなことをできたのも、苦労を辞さないというあたりがあったからで、今の仕事が面倒とかの話とはまったく反対の世界。
2019年02月18日
ドロッパーの前にアゼ棒を入れるのとドロッパーの後ろにアゼ棒を入れるのでは意味合いが異なる。その意味の違いを知ってあぜ棒を使っている人というのは少ないだろう。あぜ棒入れると経験上、織りやすくなるという感覚てきなものでアゼ棒は使われていることが多い。ほかにも筬は普通2本通しで、1本通しでは駄目なのかという点や、整経の幅は織り幅と同じでいいのか、狭いほうが良いのか広いほうが良いのかという点とか、経験でその答えが分かる問題はいろいろとある。整経は強く巻き取らないといけない理由とか。なぜ、整経は山があってまっすぐに真上に撒かないで斜めに巻いて行くのかとか。織物の打ち込みを決めるギアの番号が番号の部分が欠けたりで分からないときにはどうすればよいのか、答えギアの頭の数を数えればよいとか。ギアの比率の書いた打ち込み表がないときには単に比率計算すればよいとか。ジャガード織機の構造はどうなっているのか、ドビーの構造はどうなっているのかとか。

いろいろと面白い雑学的なことが、正解的な答えであったりする。ミシンがどのメーカーのミシンも同じ形をしているのも究極的な形を求めて行った結果であろうし、自動車にしても法律で定められてはいるのだろうが、ある意味、究極的な原型として出来上がっているのである。今の形から大きく外れる形が、理想なモデルとして将来できあがることも無いだろう。キーボードもそうで、アルファベットの配列が順番じゃないのにそれが理想系だから世界的に使われて順番に並んだモデルは使い難くい。織物の織機にしても整経機にしても、どこも似たような構造と形なのは理想系だからだろう。知らないうちにそういう恩恵を受けているものである。それを変にデザインしたところで心地よくないのである。

また、人の体というのは何千回も作業をしているうちに慣れるもの。住めば都と同じことだろう。

2019年02月17日
学校で手織りを経験した人がなかなか工業生産に向かないのは分かる気がする。工業生産というのは均一性や再現性が大事であったりして、1点物をつくるのとは違うからつまらなさと難しさがある。プラス、負荷はサンプルなどの小ロット生産場合、手織りよりも高い。手織りなら1日あれば十分サンプルが出来上がったりするけども。同じものを工業生産しようとすると本数も多いので、1工程が手織りくらい時間掛かるし、基本、工業生産の場合、それ専門の方に任せるというのが普通のやり方になる。

林与のやり方は、その工業生産の工程すべてを一人ができるようになるやり方。産地でも森善さんは社長業や整経を含む工場内のすべての作業を一人でやられていて林与とものづくりが似ているなあと思っていたりしたが、あまりそういう工場は少ない。ほかに藤居織物さんも整経機ももっておられるので自分で整経しておられるだろう。自分で糸から織り上げまで、ひととおりできる人というのは産地でも数人いるかだろうし、他の産地でも少ないだろうとは思うが、丹後の組合さんの高齢の機屋さんたちはたぶん工場のなかのこと一人で全部できる方たちだろう。出会って作業の話すると仕事の範囲と力量というものはすぐに分かる。

染工場や加工工場まで一貫して生産している織物工場もあって、そういう工場だと林与以上に自由度は高いだろう。西脇だと東播さんとか、うらやましい限りであって全部自分でやりたいと思うばかりである。まあ、林与もインクジェットがほしいとか、電子ジャガードがほしいとか、ないものねだりしても仕方ないので、自分の持っている環境のなかでできることを最大限に生かせるように、守備範囲を広く、また深くこなしてみるのが一番現実的。会社には人が少ないのにミシンも何台かあるし、裁断もしようと思えば自分でやったり、できることは今のままでも十分に多いと思う。

現場の熟練の人などでも問題が起こって解決しても何が原因だったのか尋ねても隠したりする人も多い。そういう人からは早く離れたほうがよいだろう。社会性がなく、そういう人は人から情報を吸収することも少ないので、優越感に浸っておられても出来ないが多かったりする。仕事のことで問題に直面して原因を隠すとかはそれが本当の原因だったかとか、それを解決したときに他のところを触ってしまってほかの問題が起こってしまっていたりとかがありうることが多い。また、そういう人は本当にややっこしいのである。自分がいないと仕事ができないぞみたいな優越感に浸って実質仕事をする上でのボトルネックになってしまうタイプの人とはあまり関わらないほうが、仕事でその人が足を引っ張ったり、ボトルネックになる可能性を秘めているのでよいだろう。繊維業界の古いタイプの方というのはそういうので生きておられる方も多い。

別の話だが、昔、大手商社の海外支社の社長もされた方の話で、仕事を教えると仕事を取られるから絶対に部下に仕事を教えないというポリシーを持っておられる方があったが、典型的な大企業のサラリーマン社長で、すごくしょぼく感じた。一方で、そういう上司をもつ新任の部下は、自分が自分で仕事を生み出すという力を育むチャンスだったりする。なんでも聞いたら教えてもらえるとは思わないで自分で経験して答えを導き出すというのも大事だとは思う。分かっていて確認を求めるのは悪いことではないが、3度4度説明したことでも、自分が修得しないでその都度聞いてばかりいるタイプの人というのも成長がなく、いわれないととか準備してあげないと目の前のことを自分で進めようとしないとかも駄目で、聞いてどんどん前に仕事が進んでいくうちはいいが、聞くばかりで仕事を前に進めようとしないのは教えても意味がない。教える人は教えられる人以上に覚えてもらおうと必死だったりするもので、それが伝わらない相手とはものごとは難しいだろう。
2019年02月16日
シャトル織機を導入したのは10年以上前のストールブームのとき、出機さんにはシャトル織機があったが、見本がなかなか織ってもらえず、決断して織機の入れ替えを行った。浜松から10台の古いシャトル織機が会社に入ったが、電気が入ったのが10月15日で、11月の最初に展示会で60種類のストールが必要。2週間ほどしか時間がないけども10台あれば何とかなると思ってた。電気を入れて動かして10台のうちまともに動いたのはたった1台だけ、北浜ではいろんな織物が織れていた織機なのに、麻が織れない織機を入れてしまったのかと落胆した。それでも、見本は私自身2週間ほとんど寝ずに、他のものは交代制で、1台の調子良い織機は24時間回し30縦、他の織機で2縦づつで、なんとか納期に間に合った。

ところで、見本は出来ても林与本番はどうする?織れない織機の問題を解決するために、なぜその1台の織機が織れるのかを考えた。注意深く見るとその一台には一本棒が付いている。他の9台にはその棒はない。私もシャトル織機との付き合いはまだ2週間程度しかないが、なぜか、シャトル織機はよく理解ができた。この棒が、ドビーの開口と閉口のときの糸のテンション差を吸収するように動いている棒であることがなんとなく分かった。

職人さんに棒の件を聞いてみると必要ないので動かす前に外したという。固くてその1台だけ棒が取れなかったということのようだ。職人さんは別の工場で太い糸を織っておられた方だったので、太い糸はテンションを張って織るのが普通でテンション管理は必要なくその棒は鉄と鉄がきつく擦れるので磨耗して駄目になるから使っておられなかったようである。細い番手のリネン糸を織るにはテンション管理が必要で、その棒を取り付けると残りの9台も織れる様になった。1台だけが固くて外れなかったのが幸運で、その棒が必要であることに気がついたのも幸運。

また、別のときに2台のシャトル織機を導入した、その織機も持ち主だったおばあさんの話では入れてから20年一度も動かなかった織機だという。どおりで、私が買って設置してからも職人さんに長い間見てもらうがまったく織れなかった。私自身は織機は必ず動くと信じているので、動かす自身がある。織機を見始めて10分ほどで違和感に気がつき、金具が付いているけども、遊びが大きく、モーターからの動きがビームの送りのギアに正しく伝わっていない。だから縦糸が切れて切れて仕方ないのである。織機というものは動いて当然だと思われるけども、たいていは動かないのが当然でそれを正しく動くようにするのが私の仕事だったりする。

これは私の会社ではないが、シャトル織機を入れられて動かない話があって見に行ったら織れない。開口の高さが高すぎてシャトルの動きがスムーズじゃなく、調整ではこれ以上は無理な範囲。おかしい、おかしい、こんな織機はありえない。テンプルがないのが最初から気になっている。向こうであった部品は全部ついているということだったが、疑いは増してテンプルが付いていなかったかどうかを確認してもらうと、再塗装の際に外して別のところにテンプルがあったという。テンプルをつけて織ると綺麗に織れ始めた。

一つ部品がなかったり、一つ部品がうまく動いていないとそこを直さない限りは、その織機はまともに動かない。他のところを触ってしまうと織機がガタガタになるので、正しい動かない原因にたどり着くことが必要で、私はその原因にたどり着くのが案外上手それは織るときに織機や糸と話ができるから、織機の変な音や、音のタイミング、糸の強く張っているのとかを感じることができ違和感として感じることが出来る。他の人の何倍も経験して正しい感覚が身に付いているからだと思う。麻糸は切れやすいので、テンション管理やタイミング管理が大事で、それは番手や密度によって微調整が必要となってくる。

こういう経験を新しい人たちにもぜひ経験して乗り越えてもらいたい。3つの事例とも新しく中古の織機をいれて工場が潰れてしまうようなことはどこでも起こりうる。そういうのを乗り越えられないと仕事も終わってしまう。他のだれもできないときに自分が動いて解決しないと。中古の織機を買ってもだれも動くところまでの面倒はみられる人はいないもので自分自身が面倒をみられる人にならないと。

織物を作るときに、織物設計だけじゃなく、こういう織機の調整や修理の問題も織物をつくる作業のうち。織機をみることができないと織物をデザインできても織物を正しく織ることも出来ないのが今の日本の織物業界。織物をつくることのディープなところまで経験をしよう。織物で食べて行こうとするときに悪いことじゃない。出来る人が少ないからそういうのできる人が織物ができる人としてみなされる。

私もシャトル織機に関しても、初心者から始まっているの分かってもらえるだろう。勉強したわけでもないし、経験がそれほどあったわけでもないけども、問題に直面して、自分が考え問題を乗り越えることが当たり前で、この仕事が続いている。
2019年02月15日
教育が進むと繊維の現場仕事につく人というのは減って行くだろう。手先の器用さなどが要求され体力も必要だから、普通に白い生地を織るだけならそれほど負荷は大きくないけども、日本らしい小ロット多品種のものづくり、魅せるものづくりというのは、頭じゃなく、体を動かせるか動かせないかでできるできないが決まってくる。

学校には手織り機しかないのが問題の一つなんだろうと思う。動力織機が普通に動かせないと手織りで食べて行くというのは、なかなか難しい話だと思うのである。ある会社がキャパの問題で織れないということで弊社に仕事が回ってきたが、どう調節してもラメ糸の横糸切れとか使い切ったのを感知できないのでどうやって試織したのときくと、手で織ったと言うこと。学生さんのものづくりそのもので量産を考えずに凝ったものを作ってしまう。結局、一人の人間が1台の織機にずっと付いて横糸切れを見て量産。まったく成り立つ話でもないし、試作のときに量産の想定はしておくのが当たり前。素人のものづくりそのもので受けた側にダメージが来る。

手織りに関しては、林与にしても、昭和40年くらいまでは、村レベルの仕事として出機さんを100人近く抱えて、着物向けの近江上布を織ってもらっていた。着物の需要に関しても昔の良い物が京都で中古といいながらも新品に見えるものが5000円くらいで着物の状態で何百種類もあふれて出回っていたりして、新しくつくってという方はよほどこだわりを持っておられる方だけだろう。成人式や嫁入り道具の一つに着物、喪服というのも残ってはいるが唯一くらいの機会になって、茶道、古典芸能を中心とした世界の方々が最たる需要だろう。

学校で手織りを勉強しても特殊な織物を創作するが生かせる職場というのはあまりなく、自分で作家デビューするか、普通の織物工場に勤めて普通の仕事をメインにして創作的な織物は別バラでするしかないだろう。創作的な織物といっても、普通の織物も同じだけど、売れたとしても良いと思う人がいたらどこかで安いものがつくられ出回るので、そう長続きはしないので、次から次に売れる創作的な織物を生み出せないと、大手が真似して海外に撒いて似たようなものを作らせると生産規模からして太刀打ちできない。そもそも需要が少ないニッチェなのにそれが更に小規模で終わってしまうケースがほとんど。

先の量産の話に戻るがちゃんとした力織機で試織しないで手軽な手織りで試織すると量産で大変な話になる。創作的なものづくりをしようが、ちゃんと力織機に掛けて手織りよりも大変だろうけど、ちゃんと動くところまで確信持ってから受注を受けたほうが良い。でないと、量産のときに量産を全部手織りするのに近い手間が掛かる。創作的なものづくりも自分が片付けられればよいけど、ほかに片付けてもらうような形のものはよろしくない。

先日の企業説明会でも、現場の仕事は現実的で創作的ではない旨の話を学生の方にはさせていただいた。本人がやる気があれば、仕事が終わってから創作的な活動はやればよいだろうし、そのくらいの気持ちがなければ創作的な織物は生み出せない。どんな織物でも簡単に作れる力というのは創作的な織物を作る力と共通する。普段のつまらなく見える仕事にしても織物の基礎だから、それが簡単にこなせないようなら難しい織物をやろうとしても他のだれに期待できるわけでもなく、自分が作らないといけないのだ。

もちろん、林与でも、林与オリジナルの生地を会社として企画するとかもある。その場合には、自分が作った生地を売る力も必要で、つくって自己満足で終わっては長続きしない。創作的な生地よりも普通の平織りの生地のほうが需要が多い売りやすいというあたりも、織物の道で食べて行くときには当たり前に理解していないといけない現実だろうとは私自身考えている。

たぶん、私一人ならもし手織りに移行しても食べて行けるだろうけども、他の人に手伝ってもらって人数が増えたときに手織りで食べて行くというのは難しい気がする。私にとっても普通の仕事をして手織り別腹でやるしかないと考える。学校なんかでも、整経や力織機とかレピア織機、タイイングマシーンなどの使い方をマスターできるようなコースがあればよいんだろうと思う。多くの織物工場でもそういうのができる人材を探しているから。整経にしても教えてもらったのは半日で、力織機もレピアも使っているうちに慣れで、タイイングマシンも基本は数時間教えてもらうだけであとは実践。織物工場でもタイイングマシンなんかはあまり使える人がいないけども、使えるか使えないかでかなりできることが違う。米沢とかでは繋ぎ屋さんがいて、織物工場を回って縦糸を繋ぐだけの作業を工賃仕事でしているという。中国では縦つなぎがなく、整経のビームを機にへ通しして機を乗せる感じで作業が流れていた。

タイイングマシンでつなげないようなものは手で繋ぐ、林与だと、10秒で1本の1時間に360本くらいが食べて行ける行けないのボーダーラインか。他の織機を動かしながらなら、1時間200本から300本でもよいだろう。
2019年02月14日
同世代の元気のよい親しくしていただいていた方で別の織物の会社に勤められていた方が、毎日仕事がなくて暇で夕方5時になるまでボーッとしているといわれていたので、いろんな設備があるなら覚えていろいろやってみたらよいのにという提案をした。数人でそれぞれが分担して作業しているので、他の作業を自分が覚えてやってみるということはしないと。でもそれじゃあ、その人たちが辞めたらその現場ができなくなるし、覚えてできるようになっていたほうがよいよとアドバイス。結局、その方は会社を去られたということを聞いて、残念だけど仕方のないことなのかもなあと思った。

アパレル業界というのは、今の好景気の流れの中でも不況的であったりする。アパレル業界が元気でないと繊維業界もよくないのだが、麻関連は比較的トレンドとされているので人気は根強く悪くはない。景気の波よりも、自分自身がいろいろなもの新しいものを生み出す力があれば食べて行くことは難しくはないと思う。でも、一つの作業だけではそのやったことが生きないことが多い。新しいものをつくるでも一つの要素よりも2つ3つの要素をいろんな工程で掛け合わせて問題を解決しながら、いい感じのものを生み出してゆくのが、真似ものが出てきにくいものづくり。

私自身、部分的なものづくりよりも総合的なものづくりに興味を持っている。ものづくりだけでなく、つくったものを提案することにも。やることは一杯合っていつも忙しい、無理とそういう立場に自分を置き続けているからだろうけど、それでも時間あったら仕事をじっくりとしたいなあと思う。今も図案をつくったりしているけども、ほんと時間がなくってソフトの使い方もしっかり覚える間もなく結果を重視でドッタンパッタン。

新しいものができないからというのは守備範囲が狭いから、守備範囲を広げて行けば新しいものを作れる可能性は広がる。アパレルが不況なら、アパレル以外の小物や資材系、製品を展開すれば、縫製もやってみようとか。何十年もやっている人や会社が、他の領域に進出するのに抵抗があるというのが新卒の学生や新規の起業家にも負けてしまう辺り。量がまとまればプロに任せればよいのだ、でも、新しいものをやろうとするときに最初から専門のプロに任せると売れもしないものにつき合わされ見本倒れでは良好な関係を保つのは難しい。自分で試作して市場まである程度練っていけそうになったら量産で頼める形が良いだろう。サンプルの段階でもプロに任せて自由に変更とかできるのならそれもよい方法だろうし。

仕事がないまましないまま、成り立たない状況を長く続けてもそれはそれでよくない話でいつか終わりが来る話。できる仕事はできる限りやってみてそれでも駄目なら駄目だろうし、できることもやらないでやっても無駄だとか面倒だとかでは、現状を好転させてはいけないだろうし成長もせず、やるならやるで全力でやったらよいだろうと思う。どんどん限界が広がって行くものだから。実際に自分がやっているからそれが大事なんじゃないかと思う。新しいサンプル一つでもアイデアをいうのは自由で簡単でもそれを形にするにはお金も時間も掛かるし、それを自分がやるとその費用を回収するだけでなく、商売として正しく成り立たせるところまで考えることができるものだと思う。
2019年02月13日
タイトルのいろんなことをやったほうが得だと思うというのは、仕事なんかをやらないほうに逃げているといつの間にかできない人間になってしまっているということ。それが最初の1回をやらないと次に同じシチュエーションになったときにやるのかというと同じことでやらないだろうから、最初の1回にやってみることが凄く大事だと思う。仕事に就いたときから、私に仕事を教えてくれた方は働き者の方だったので他の人がやらないことをカバーしておられ会社の現場の仕事が回っていたと思う。

その方でも一つの作業を中心にされていて、織る作業はできなかった。織る作業ができないのは、たぶん、織る作業だけの人がいるから。織る作業だけの人というのは織ろうとすると、駄目駄目、やるから触るなという感じが多い。工場長をやってた私のおじさんもタバコがやまらない人で、末期は仕事の半分以上の時間、外でタバコを吸ってみたいな状態で、私がしかたなく自分で織機を修理したときにすごく私を叱ったりもしたし、織機のキズが直っていないのでちゃんと織機を見てほしいというと、いやなら明日から一人でやったらいいとかいうし。出機の方も、2ヶ月経っても見本を織れるところまで準備しても織ってくれないとかで織ったら、次の日に、勝手に触るないやなら自分で織れと電話があった。織物をつくるというのが何十年やっている人からしてもぜんぜん無理な状況が産地には普通にある。

私が仕事する気持ちが大事だというのはそういう経験からかもしれないが、仕事があっても仕事のチャンスがあってもやろうとしないではうまく行くはずもあるまい。何十年やってる人がまったく外の世界がみえていない。そういうのを割り切って、何十年の経験者でも仕事を理解するは難しいと悟って、自分自信が仕事を進めてゆくスタイルに変えていった。そういうのがものづくりよりも人間関係の問題。仕事に対する気持ちが違うとその溝は埋まり難いので衝突ばかりが起こるから離れる形で割り切ったほうがよいだろう。糸を巻くおじいさんは、自分で女工さんを抱えられていたので仕事できるありがたみというものを良く分かっておられ、80近いが今も仕事をお願いしている。

良い時代にはいろんな仕事意欲の人が混在していても成り立つが、今は百貨店には手ごろな値段で色とりどりのものがすでに並んでいる。日本でやるからには自分でよい仕事を生み出さないといけない一人ひとりの生み出す力が要求される時代。仕事意欲の高い人でないと小さな織物工場の中でものごとをこなして行くことは難しいだろう。60歳の人でも普通にやっている仕事なので、決して一つ一つの作業が難しいわけではないが、時代が異なると違う感覚と意欲が必要となってくる。その感覚や意欲は時代の流れに逆行しているかもしれないが、時代の流れに乗って織物が消え行くより、時代の流れに逆らってでも織物を織り続けるとかでもよいんじゃないかと思ってる。
2019年02月12日
私は織物の会社をやっているけども、織物をつくることが中心だけどそれ以外にも作業は多岐に渡る。ほかでは手に入らないと思えば自分で糸を見つけてきて糸を輸入することもあるし、生地も海外に輸出するのも商社でやるのと同じようなことだし、展示会のブースなんかも自前で装飾する。林与の冊子も自作で、ちょっと出来が甘いけど、業者に頼むと業者仕様の無味乾燥感が漂い、スタイリッシュではあるけど好きじゃない。

だいたいは誰かに任せたほうが時間も手間も省けてよいといわれるけど、織物を作る作業に比べるとそういう作業は簡単なことだったりする。自分でやると自分の表現がそのままできるというのが良いところで、他の人の制約が無いあたりがよい。単純な話、1文字でも間違って入稿したら後戻りできないとか。他人に頼むとできることもできなくなることが多いし、他の人に頼んで他の人が動いてやってくれれば良いけども、他の人にやってもらうためにすべての資料を用意するとかしていると、自分の動いている部分のほうが多すぎてのパターンも多い。

また、織物も色柄扱うデザイン的な仕事なので、パンフとかも自分でデザインして作れるくらいでないと駄目なんじゃないかと思えるところがある。器用さのあるところが私の特徴で、案外そこに救われていることは多い。生地の世界で織物屋さんじゃないけど、器用だなあと思える方の一人が、京都の棉生テキスタイルの馬渕さん。柿渋とか、プリントとか、超軟水とか、いろんなネタをもっておられて、キューピーのプリント生地を柿渋にして茶色に染まったシュールなキューピーのハギレを見たときには目指すところは違うのかもしれないが、クリエイティビティでは負けてしまったのではなかろうかと。

3年まで絶対にできないと思っていたおじいさんの頃の近江上布を絣で広幅で再現することも目処がついてきて、だいたいのことは気持ち持ってやればできるじゃないかと自分でやってみることにしている。十分な設備があればもっと簡単なのだろうけども、贅沢を言わずに出来る範囲で成り立たせてその後で設備を考えればよいと思う。誰もがやっていないことをやらないと本当に新しいものはできないのだから、正しい答えというのは自分がやってうまくできたらそれが正しい答えでしかない。試行錯誤の中でうまく行く方法を見つけ出してその道の一番の専門家になることが大事。やってみて駄目だったらなぜ駄目だったのかを考え問題点を解決できる、別の方法を考えるしかない。自分で失敗なんかも経験すると正しい方法がなぜ正しい方法なのか分かるし。
2019年02月11日
昨日の合同会社説明会で大阪から上田安子服飾専門学校の学生の方がパリコレ向けに自分がデザインした林与のリネンで作った洋服を来て見せに来てくれたこと。その洋服もパリの展示会で売れたという。

普通、学校の課題としてやってて終わるだけでなく、自分で作った洋服を見せるために夜行バスにのって友達と二人で東京まで来てくれた。なにかものごとをやるときに気持ちが大事で、林与に自分の作った洋服を見せるために自分のお金を時間を使って東京まで会いに来てくれるとか。林与の仕事に対する意気込みみたいなものと似ているところがあってサプライズで嬉しい話。

林与に見学に来た学生さんたちが現場や林与の話を聞いて引いてしまわれているんじゃないかと心配するところもありましたがちょっと安心です。これから日本の繊維業界を盛り上げて行くのは、実際に動ける一人一人の力だろうと思うので、ワンパクでもいいたくましく育って欲しい丸大ハム。
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