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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2020年01月17日
明日は、米原の伝統文化産業会館でのイベントにお昼頃参加のあと、夕方4時から大阪のグランフロントでの上田安子服飾専門学校の卒業展を観に行く予定。珍しく外での一日。ものづくりの現場を持たない人からするとそういうのに参加して人脈を広げるのが仕事だったりするのだろうけども、私自身はそういうスタイルの仕事を目指してはいない部分がある。でも、そういう場では、私と同じような仕事に対する感覚を持った人と出会えることもある。商売のつながりはなくても同業の人でも同じ感覚の人にあえると、そういう高い意識レベルが行動に結びついたものづくりでないと普通に高い評価を得るようなものにはならないのだろうと思う。

あるお客さんとの話で、私自身は難しいものをやってみたい思いはあるし、それをうまく料理する人がいれば、他にないものができると思えたりもするのだが、一般的には、難しいものには問題がつきもので、問題が起こるとそこばかりに時間と労力が費やされることが多い。ときには、振出しにもどって最初からやり直しみたいな話とかもある。そういうタイプのものづくりには、無難なものづくりが適していて、あまり高度なものを目指さないほうが結果良いのである。

私自身、作っていて面白いなあとおもうレベルの物は、規格外のあたりに存在をしていて、たとえば、リネン25HDシリーズの厚織リネン。これなんかは、良い糸が手に入らないと耳までリネンでは織れない話で、2年とか3年とか織ろうとしてもうまく織れない時期があった。織機の問題ではなく糸の問題として織れなかったのである。また、ナチュラルな風合いに仕上げたかったので、糊を使わない前提で織るので糸そのものが強度がないと駄目というのも、私が求めた本質的なところ。それを継続してつくるためにリネン25番手の生成の糸の在庫だけでも数トン持っていたりする。糸を買っても織れない屈辱から、良い織れる糸はまとめて買って残しておこうという形です。

耳糸に綿の糸を入れると問題は激減するので、こだわらなければ綿の糸を入れて織るのもありだろうと思う。耳糸などは、基本的には本体ではないので使っても生地としては麻100%生地を謳うことが可能ではあるが、そういう意味ではなく、面白さを追求するために耳までリネンで織るというのをやってそれがどこまで綺麗におれるのかみたいなあたり、賛同してもらえる人というのはそれほど多い訳ではないけども、そういうのに意味を感じてもらえる人もあったりはして、耳までリネンで織っててすごいねみたいなジャンルもあってもよいのかと思っている。

林与の通常のアパレル生地などは耳は左右それぞれ14本ほど、綿の双糸を使っています。それでも耳の辺りはシャトル織機の左右に動くときに糸が張って、密度も高い部分なので切れやすいです。あとストール生地も左右に4本ないしは8本の綿の耳糸を入れてあります。これは耳が綺麗に仕上がるために入れてあります。ストールにしたときに耳がデコボコしてへこみがあったりすると、肌に響くからです。キッチンクロスなどは耳糸を入れていないことが多いです。そういうのを誰が判断するのかというと、林与の自社規格では私自身が耳糸をどうするのか判断して行っています。リネン100%で作りたいと思いながらもダメな時には、あとから綿の耳糸を追加して織りやすくして織ることもあります。
2020年01月16日
シャトル織機のいろんな消耗品的なパーツが予備としてもっておかないと織機はあってもこれが足りないあれが足りないばかりになってくる。評判が良くないといわれるものでも代用が効いて数があるならまとめて予備に購入しておくというのも一つの手段であろう。渋皮の皮のピッカーが根元から破れたり、破れることのないと思っている丈夫なものでもいつかは壊れるのである。
織機に無理をさせると織機が壊れやすくなる、無理をさせないように低速にしておることも大事だったりする。

先日は、それなりに動いている台が急に異音を発してモーターが壊れてしまったのかと心配したが、結局、Vベルトを3本新しくするだけで元に戻ってくれた。ありがたい話である。修理できるものは壊れても修理して使うようにしている。壊れた部品でもそれを取っておくことで修理のヒントになることも多いので、壊れたものも捨てないことも多い。

一方、4Kノートの1台がタッチパッドの動作が不安定、予備的に置いておいた一台だけどそっちに不具合が隠れていた。なんか、カーソルが動きにくく、押してもいないのに勝手に押されたことになって新しいウィンドウが立ち上がったりする。安いものの場合、ハズレはハズレで、良品と交換をしてもらえばよいだけみたいなことも割り切りが大事だろうと思う。連絡すると修理するというよりも交換するという話が簡単にまとまった、ある目的に使おうと2台買ったので不具合だというのも分かりやすい。

仕事の合間にろ過装置の検討、数時間回しただけだけど、水がスゴク透き通っていて本当に良い感じなのである。普通の数千円のフィルターというのは水量雄少なくやはり小さいのが問題だろう。月に1回くらいのろ過で十分な気もする。どこかの池で試してみたい気分である。どこか濁った池はないものかと探してはいるが、東円堂のこいの池も今は水がそれなりに透き通っているようで、必要がないようである。小さな黄緑の有機物に対しては非常に効果的なろ過装置ができた。ろ過装置のメンテナンスが簡単なのでそこが一番の売りかもしれない。そういうのも自分が普段機械を使っていて一番気になるところなのである。

便利なものとなるとどうしても使い捨てとなってしまうが、ごみなんかを捨てるのになんで、指定の新しいゴミ袋に入れてすてるのかみたいなのも意識改革が必要だろうと思うところ。エコというのはそういうところから。普通のプラスチックバックを使えるようにするだけでごみは大幅に減るのである。
2020年01月12日
以前、リネン日記にもゴーン氏のことは書いたことがあったと思う。日産という会社は、もともと特別悪い会社でもないのだが、日本人が経営者だと雇用を守ったりするので経営を立て直すことも難しくなる。それほど悪い経営でもなくても、今の業績主義の経営となるとどうしても経営者はつぶる方向への思い切った対策を強いられる。その一つの手が、外国に身売りすること、今の日本のメーカーのほとんどが外国に身売り。外国に身売りすることで内弁慶な行政や金融指導などを避けることができ、また、解雇やリストラなども普通に行っても誰にもとがめられることもなくなる。企業自体が日本では消耗品的なものとなってしまっててお荷物にもなり身売り対象になってしまうのだ。

織物業界においても、林与のように何十年も昔のシャトル織機を故障するのを修理しながらやっているのに、もっと新しい織機を入れて何の問題もない量産型の織物工場のほうが経営に苦労されているのを昔から見てきた。母体の大きくなった量産型の工場というのはどうしても生産が安定していないと生産が止まったときに存続の危機を迎える。今までプラスだったものが一転して人を抱えているだけでマイナスに転じるのである。大きな織機をいれておられるところは電気代の基本料金を節約するために、一か月一切使わないで基本料を半額に落とすような努力までされているみたいな話も聞いたり、減反政策と同じで仕事することが駄目なことになってしまっては後でその分を挽回するのは大変なことだろう。

外国人経営者は治外法権的な部分があるので成功しやすいということも多いだろう。日本人経営者が日本で成功するのは難しいのもそのあたり、日本人も海外に出て行っている人は成功しやすいのである。日本で成功しているIT企業も、アマゾン、グーグルなどだが、法人税払ってないとか、著作権の問題とか、日本企業だと犯罪とされることが犯罪とされないで放置されてそれが莫大な利益を生む原動力。日本人経営者にはゆるされないが、外国人経営者には日本で同じことをやっても行政は手が届かないあたり。ゴーンが成功したのも同じような理由なのである。シャープが台湾企業に買収されたらV字回復も同じような理由。ほんと日本の行政が日本企業の競争力をそいでしまっていて、外国人には太刀打ちできない日本の行政の内弁慶体質な問題。
2020年01月11日
今日は、1月の自治体の評議委員会、そのあと新年会ということで料理屋での会食。その時に車屋さんと呼ばれる方がなぜ、車屋さんと呼ばれるのかを本人に尋ねた。本人や親が自動車屋をやってられたわけでもなく、昔、アンコ川がその方の家の裏を流れる形になっていて、水車があって小麦を粉にしたりしていたということで、水車の車が車屋さんの呼び名の由来だということ。

アンコ川の話になって、70近い世代の人たちは川が遊び場だったことが話を聞いていても分かる。私の子供の頃にアンコ川は改修されてまっすぐな川になって、土手の下に、コンクリートの壁が3mほどあり下の川辺に降りることも難しくなり身近な川ではなくなった。改修工事の結果、東円堂の洪水はなくなったということである。東円堂の家がどの家も石垣に囲まれ、入り口が70cmほどはかさ上げされているのはその名残なのである。

洪水の一方で、昔だと洪水になるくらいの身近な水利がないと水田というものは維持が難しいものであって、東円堂の集落というのは水利に恵まれていたというのは事実で、琵琶湖のほうまで下ってゆくと、水が乏しく水田での稲作が難しいこともあったのも事実。コメというのは、どこで取れるコメがおいしいのかというと山が落ちたあたりの田園で取れたコメが一番稲穂が大きくてよいコメだということ。糸を巻くおじいさんの裏の田圃も、大嘗祭の田として指名されたのもその条件に当てはまる。

今日は、久しぶりに日本酒を飲んだが日本酒は抜けるまでに時間の掛かる体質で、飲まないほうがよいのか。料理は海鮮的な鍋で、料理屋の娘さんが元気に手伝いをされていた。お客さんの受け答えもその娘さん、人手不足なんだろうけども、こういう女の子は将来絶対に強いのである。大人になるまでに大人を対等に扱えるくらいになってないと仕事にもならないというあたり、子供働かせて親が遊んでいたら別の話だが、親が一生懸命働いているのを子供が助けるのは問題のないことだろうと思う。自分たちの生活を自分たちで支えるというだけのこと。親もしっかりと仕事をしている家なので大丈夫だろう。親と子の信頼関係みたいなものは大事なのである。

途上国にいくと、働けるのに親が子供に食べさせてもらいたいみたいな親がたくさんいて、それはもう本当に困った話。自分を助けるために子供を産む構造というのは、今の日本の年金問題も絡んだ少子化問題の中にもあるが、そういう考え自体が病んでいるようにしか思えない。
2020年01月10日
今日は、ストールのフリンジをつくる作業。こういうのができるのとできないのとでは大きな違いがあると思う。誰でもできることなのだが、そういうのが誰にでもできないし、また、する人によって結果が大きく異なる。以前内職の人にフリンジの作業をやってもらったことがあったが、フリンジを作る作業よりも緊張するのがストールを正しい長さにカットする作業。横糸の糸目に沿って綺麗にカットしないと綺麗なフリンジができない。今回のはそれほど柄取りが必要ないが、柄をうまく見せるためにカット位置を考えたりするとなるとやはり自分でカットしないとダメだったりする。

リネンの100番手ともなると、加工後には糸が解けるように柔らかくなっていて簡単には抜きにくい。1枚のストールの上下のフリンジの作業するのにたぶん、カットを含めると20分から30分くらいは掛かっているだろう。私は途中、染糸の件で倉庫で糸探し、そのあと染工場に3色の色を染に出して夕方に戻ってフリンジ作業に戻る。染工場さんの事務所は人が残っておられたが現場は終われていた、そうか今日も三連休の前日なんだ。

昨年のシーズンは糸染めが非常に混んでいたが、今年のシーズンは糸染めのほうが比較的落ち着いているという話をされていたので、まだ、糸も染めてもらいやすいことはありがたい。

2020年01月09日
今日は、朝、商工会の方が来て下さり、補助金の最終の提出物に印を押す作業。この商工会の持続化補助金というのは、私自身が最後の資料をつくるのではなく、商工会の方が最終の資料も作ってくださるタイプなので、驚くほどに助かり、県の補助金のまとめ作業と比べるとかなり簡単に済んだ。今回のプロジェクトで一番良かったのは、麻布を使ったろ過装置というのが、本当に優秀で、小さな水槽なら数時間回すだけで緑っぽかった水が、透明に変わる。小さな池なら大きなタイプを使えば同様の効果が数時間で得られるだろう。大きな池なら数日というところだろうか。

夕方、シャトル織機のシャトルの管がしっくりと収まらず、回ってしまって、感光フィーラーが動作しないことがあるので、その問題を解決するために、農機具屋さんに出向いて溶接を頼む。溶接といっても溶接棒を2mmくらいちょこっと肉盛りして四角に削ってほしいような細かい作業。やってもらえると本当にありがたいなあと思う作業で、やってもらえることに。これでシャトルを管に合わせて削ることなく使えるのでシャトルが長持ちする予定。正しい道具を手に入れて正しくするというのも一つの方法だが、正しい道具が手に入れるのが難しい時には手持ちにあるものを工夫して使うことで成り立たせることも大事。

工場の織機を夜中中動かすときも工場の中に張り付いていることができないときには、機械が止まったときだけ動かしに行けばよいのだがそれをどう感知するのか、ベビーモニターのようなWIFI経由で織機の画像や音声が届くようにすればよいと考えアマゾンでいろいろとそういうの探していたが、はっと気が付いて、メッセンジャーを使えばよいと。ギガホのデータプラスで2台使いなので、自分から自分2号にメッセンジャーで通話すれば機械が動いている音が聞こえ、音が止まれば動かしに行けばよい。消費されるデータ量も調べてみたが本当に少なくて済む。メッセンジャー使用しながらも、普通にカメラ以外は、ブラウザや他のアプリも使える。

ここ数日、お客さんの納品の予定に合わせて大きく生産予定を組みなおし、予定していた納品が変更になるのはマイナスだけど、急ぐものを先にやることができるので、プラスの面もある。
2020年01月08日
リネン40番手のリネンデニムインディゴが織り上がり洗いあがって本日の出荷。100m弱の出荷だが、年末年始の仕事となった。リネンデニムというのはナチュラルな洗いで仕上げるので裁断や縫製工場さん泣かせながら、凹凸感を持つ表情が布としての面白い表情。

残りの生地はネット販売に回す予定ですので、みなさま楽しみにしておいてください。
2020年01月05日
昨日今日と、篠山タータンの渋谷さんが、林与に整経に来てくれて、3本の整経を完了プラス1本の整経を建てたところまで。かなり良いペースで作業が進んでいい感じ。今年も篠山マラソンが3月に開催されるということでその時期に向かって生地の用意。割って建てる作業をしてもらっている間、林与はリネン40番手のリネンデニムの織の追い込み。お正月明けに納品予定分、打ち込みがかなりあるので、順調に動いていたとしても1時間に2mほどしか織れない。

補助金資料のまとめなども終えて、お正月明けには提出予定。最近、夜中仕事をするときに夜食に、たこ焼きの素みたいなので、お好み焼きを作って食べることが多いが、キャベツがいっぱい入っていてかなり健康的ではないだろうかと思う。キャベツと卵があれば10分で作れるのがありがたい。
2020年01月01日
皆様、明けましておめでとうございます。私の仕事の基本として、別に織物だけのことではないのですが、不労所得的なものには流されない方向で仕事に徹していきたいなあと思っております。一方で、織物という狭い範囲にとらわれずに世の中の問題全般に関しても織物が貢献できそうなことにおいては、前向きに取り組んでいきたいと考えているところではあります。

2000年以降の流れの中で国内向けはアパレル向けの素材提案というものがかなり難しくなってきたのを感じており、できるところも少なくなってきたのを感じてはおり、林与というのは積極的にアパレル向けの企画なども展開してきたほうではありますが、国内のアパレル向けの全体的な流れがどんどんと難しい流れになっているのを感じてはおります。一方で、旧来の繊維形態に引っ張られない日本の海外生産型のSPAはこの20年ほどで急成長。旧体質的な部分というのはどんどんと通用しなくなってきているのを感じます。

一つ思うのが、自分が売れると思ったものや作りたいなあと思ったものをつくっていく部分がなくなると駄目だろうなあと思うところです。日々、お客様の仕事に追われる中でも、余力を見つけてそういうのに取り組んでいく気質みたいなものがないと、その他大勢というだけだろうと思います。ワビサビ的な、微妙な色合いの売り場というのも少なくなってきてはおり、普通の売り場に味のある感じのものを置いてもなかなか見栄えがしにくいのも事実ではあると思います。売り場に置いたときにトーンが淡いと負けてしまうという問題など。

今年は何を自分で捜索していくのかはまだはっきりとはしていませんが、だれかもう一人二人、布の世界のものづくりに極めたい人が林与の中に居てくれたらなあと思うところです。ものづくりの基本は人だなあと思うことが多く、同じことでも人が異なれば、結果がプラスとマイナスに分かれます。常にプラスの結果を出そうとベストを尽くせる人でないとなかなか残ることも難しいのが今の繊維業界の厳しさでもあるものの、場所が大きな要因を占めるサービス産業とは異なり、ものづくり産業というのは新しいものをつくったとしても似たものはでてきますし、自分だけができるような領域をもっている人でないと残るのは難しいのかとも思います。が一方で、そのためには、目の前の物事に対して普通に素直に真面目に仕事に取り組むだけのことなんじゃないかなあと思うのです。日ごろの仕事の中においても、日本らしいものづくりの一端を持てればと考えております。
2019年12月30日
久しぶりに多賀大社。お客さんが4名来られて、名物のそば?を食べた。お腹が空いていたので大盛りを食べたかったがやってないということ、味は濃いめのダシが効いていて五臓六腑に染み渡る感じだが、そこに七味をたっぷりと掛けて食べた後の恍惚感が良い。そのあと甲良のお肉屋さん、お客んたちが肉を物色される、京都で焼き肉&しゃぶしゃぶを計画されているようである。きっとすごく豪華な夕食になるだろう。近江牛の特色は霜降りなのだが、今は油は好まれない傾向があって、赤身に近い肉を好まれる方が多い。

お越しになられたお客さんのお一人が生地屋さん経由で弊社で織っている布を製品に使われているということで、世間というのは狭いものだなあと思いながらも、細番手の麻の先染めを織ることができる会社というのも全国でも限られていることも事実ではある。林与に来られたお客さんがリネンのデニム生地みて驚かれる方が多い。リネンのデニム生地というのは、私が仕事を始めたころには無理な織物の一つだったけども、今は普通に織っている。しかも、加工すると16オンス級。高密度に織るのは難しいだけでなく、糸の値段、染の値段だけで綿の世界の5倍から10倍なので、普通は商売としては成り立ちにくい生地の一つ。ほかにも興味を示された記事がアイリッシュリネンや、現行の150番手生地など。現行の150番手リネンをしっかりと織りあげたものに出会えることというのは稀だろうと思う。生産するのに覚悟の必要な麻織物たちである。

細番手の麻糸というのは非常に高価なだけでなく、扱いにくいという問題が伴っている。良い糸なのにゴミと化してしまうリスクも高いので、そういうリスクを承知で100万コースをドンキホーテーできる覚悟がないといけなくて、林与も普通の堅実な仕事で余力を作ってそういう冒険をするようにしている。夢のようなモノづくりというのは頭で考えるのは自由でもいざ実行に移そうとすると、お金使って苦労を背負い込むような部分。そういうのやると人生観も変わってくるし、ものづくりに対する感覚も普通とは違うレベルになってくる。仕事をお金儲けのためにするというよりも、自分がお金を使ってでもやりたいことを仕事で実現するみたいなあたり。今の日本で普通の仕事感覚でものづくりをしてもなかなかものづくりに対する共感も得られないだろうと思う。

織物に関して言えば設備で解決する織物もあるかもしれないが、人の力が込められたよふつうをもとめうな織物に人は惹きつけられるものであろうかと思う。糸や素材や技術にこだわらなくても、人という要素を詰め込めばデザイン性などで人を魅了することも可能だろう。印象派の絵のほうが画家の頭の中の世界を描画できていて面白いんだろうと思う。この人は人生観からして違うなあという要素があるからその人が作るものに価値が生まれる。林与にしても田舎の機屋でしかないのだから、それを勘違いしたらだめで、成りあがってしまってては成り立たないのが当たり前という緊張感が必要。
2019年12月29日
今日は、一応の仕事納め、明日は京都からお客様で、1月4日5日は篠山タータンのお客様、間の、12月30日から1月3日は、織物を昼間は織りながら、空いた時間には補助金のまとめなどをする予定。スタッフの子が、昨日と今日で縦つなぎを二つ終えて今年の仕事を終えてくれ、年末年始に織るのは私の役目。大晦日の夕方以降くらいと正月3が日は、帰省しておられる近所の方も多いので団らんを乱さないよう、シャトル織機は織るのを控えめにして、整経したり、準備作業などを中心にしようと思っている。

今日の午後は、糸を巻いてくれるおじいさんのところに行ったら、3日前に投入した3色の糸がすべて巻き上がっててうれしかった。80過ぎても綺麗に仕事をしてくださるのは本当にありがたいことである。そのチーズ巻き工場も、昔は近所の女の方に来てもらってたくさんの仕事をされていたが、私が仕事についてからの20年ほどは一人で糸を巻く作業をされている。自分が生きていくために仕事をしたいということでチーズアップの仕事を始められた。自分でやろうと思って仕事を始め成り立たせて来られた方というのはやはり強いなあと思うが、珍しいといえば珍しい、普通、先代くらいの年代の方というのは良い時代を経験されているので、今のような厳しい時代には対応できずが普通なのに、仕事があることを喜んでしっかりと仕事をしてくださる方なのである。しっかりと仕事をしている人というのは仕事に対する厳しさはぶれないものである。

年とっても驕られることなく、糸を持っていくと、娘家族を支えるために娘さんの電気部品関係の内職仕事をいつもされている。若いころから覚悟を決めて道を歩いてこられたのが感じられる、商売人臭さがないのも良いところなんだわ。おじいさんの仕事から生まれるものでいろんな人が恩恵を受ける。商売人というのは成功してしまうとか、長くやっていると成り上がってしまうことが多いもので、風向きが変わると1日のアルバイトとしても他の仕事では働くこともできない実力だったりするものである。人に仕事してもらって楽しているうちに仕事する力はなくなってしまうものである。

たとえば、公務員の人でも上のほうの人と話をしていても、お金がないと何もできないという話から始まる。典型的な人に仕事してもらうタイプだなあと思うのもそこ。お金を作るのが仕事なのにお金を使うのが仕事みたいな状態では重荷にしかならないのである。自治体の冊子をつくるにしても、公務員がいろいろと自分で写真撮りに回って原稿を作って印刷だけを印刷会社に頼めば良いのにと思うが、そういう学生でもできそうなこともできないのが仕事のレベルだったりする。業者のつくる味気ないものよりも手作り感があったほうがよいし、そういうのが行政の自活力を高める。仕事に共通する基本のところ。
2019年12月28日
一昨日、出荷の際に、セイノースーパーエクスプレスの近くの平和堂に行くと、地場野菜コーナーがあって、大きなキャベツが100円とか、普通の大根の2倍くらいだろう大根が130円とか、不思議な感覚。キャベツ1個と大根を1本買って帰る。大根を何に使いたいのかというと大根おろし。なんか、体が鈍っている気がして刺激が必要に思えた。

昨日、大根おろし用のおろし金を買って、早速、普通の大根おろしの10人前分くらい。たぶん、大根の水分も含め500MLほどを大根おろしに少ししょうゆを掛けて食べた。カラい、カラい。強烈にカラいのである。けども、これは100パーセントの大根で、体にはよいはずなのだ。これだけ、強烈な刺激でありながらも体にはよいはずなのである。案の定、この辛さを乗り越えた体はなぜか良い感じそのものにリフレッシュされた。まだ、特大の大根の5分の1くらいしか使ってないだろう。2年前に柿が大量に実ったので、ほとんど柿だけで2週間ほど過ごしたことがあったけど、あの時も普段よりも体の調子が良い感じだった。

私が悩んでいたことの一つに、モバイルバッテリーのコンセントの差し込み部分のプラスチックが割れてしまってどうしたものかと。それを今日思い切って分解して、セメダインの瞬間接着剤を買ってきて直した。瞬間接着剤もつけても固定していないと液が乾くまでに動かすと全然つかない、10分、20分と手で押さえて固定されてきたらさらに上から塗ってより硬く固定する。二つ差し込み口があるので、直したものの直したほうの差し込み口は使わないことにする。直さないと穴が開いて差し込み口が穴の中でぶらぶらしているような感じで使うことができない、だから、直したかった。直ってよかった。

昨日の夜、整経したのを今日はスタッフの子が繋いでくれている。今年ももうあと何日かしかない。それほど寒くないので年末の雰囲気があまり感じられないが、まさに年の暮れ。

2019年12月27日
昨日と比べるとちょっと冷え込んで、大晦日らいに雪が降りそうな予報。今年も、冬の洋服は暖冬で、あまり売れなかっただろうと思われる。年が明けるとバーゲンが始まり、1月の後半からは春物が並び始める。バーゲンにしても、遅れをとると売り上げが落ちるので、早くバーゲンに入った百貨店ほど売り上げが伸びるのだという。

たぶん、2月とかには冷え込む可能性もあるのだろうが、もう売り場には本格的な冬物はあまり置いていないとかのミスマッチ。私は夜に動くことが多いので、自動販売機なんかはホットがほしいなあと思うことが多いが、6月にもなれば冷たい飲み物だけになり、10月くらいにならないとホットに切り替わらない。そういうのも年中温かい飲み物を販売しているコンビニが自動販売機よりも便利な理由だろう。一つの自動販売機が温かいと冷たいを同時に提供するのはやはり電気代など無駄が多いのだろうか。頑固な自動販売機があって年中あたたかい飲み物だけを提供するのも良いんじゃないかと思う。夏でも夜は温かいもの飲みたい気分になったりもするから。

アパレル業界というのは暖冬の影響で冬場がうまく回らないと春夏のシーズンも企画を思い切って進めることが難しいもので、地球温暖化だからといって、春夏物の洋服が売れるわけでもないのである。暑すぎればエアコンの効いた室内で過ごすというスタイルが今は普通で、日本のライフスタイルに季節感がなくなってきてはいる。ソフトウェアの会社とかコンピュータの熱を冷ますために強烈な冷房をするんで、夏に室内が寒くてひざ掛けが必要とかもある。洋服の売れ行きからすれば、心地よい暑さくらいが一番みんなが外で過ごしやすくてお出かけも多く、夏物の洋服が売れる感じだろうか。
2019年12月26日
ゴールデンウィーク明けまでには今の受けている仕事を織り終えて、久しぶりの展示会の計画。2年ぶりのPTJに出展を計画。出展書類の提出もスタッフの子が黙々と手伝ってくれて、手伝ってもらうなかでいろいろと素材のことを覚えてもらうのにもつながる。とりあえず、審査書類の提出は終わって出展審査を待つような状況にはもっていけた。

今回は、サステイナブルがキーワードとなっている。ファッション業界はどこもがその流れに動いているようである。林与のものづくりも、原料が麻であるということを考えれば、ほとんど100%サステイナブルなものづくり。私自身は、あまりサステイナブルにこだわらず、自分のやってきた麻織物に集中していればよいだけのことだろう。

私がサステイナブルの概念で必要だと思うことは、「他の人に頼むでなく、自分が作業すること」。サステイナブルを提案している人が、自分自身、作業を面倒がって、他の人にサステイナブルなことを目指しなさいみたいなのは、サステイナブル大先生で、児童労働の子供のほうがサステイナブルを受け止めていると思えるパラドックス。

例えば、農家の子供が家の農業の仕事を子供の時から見てやってなければ、なかなか机で勉強した人間というのは、目の前の一つの作業も頭でっかちで腰が重すぎて役にも立たない。結局、若いころから目の前のことを積極的にできる人間に育っていることがあとあと役に立つことが多い。スポーツなんかは、美化されるが児童労働の何倍もきつい試練に耐えなければ上位入賞なんて難しい、まさに実力主義の世界。仕事と似たようなところがあって頭が良くやりたくないからできないほうにもっていくタイプの人よりも、自分が動いて解決できる人のほうが何倍も価値がある。

新興国のある織物の村にいったときに、大人が井戸端会議ばかりで子供たちが家の機を動かしている。自分の子供がテストで分からないと親が不正に答えを教えようとするとか、子供のほうが真面目で大人のほうが難しい。これと同じようなことが日本の社会でも多く見られる。子供は夜遅くまで塾やスポーツ、大人はテレビみてが普通の生活で、子供たちというのは大変だなあと思う。毎日、1km、2kmを歩いて学校まで行ったりだが、大人は車で解決。その分、大人も苦労をしないと、大人が動けるのに子供たちに自分の面倒を見てもらうような年金の制度を作り上げて、それが普通になっては途上国の児童労働モデルと変わらんのじゃないのか。

働かない人から見ると働くことは悪いことに思えるかもしれないけども、働いている人というのは働くことが人々の生活を支えているだけのことで、働かない人だらけになったときには、海外から輸入して、赤字が増えるのは当たり前、それを政治や戦争でリセットするようなことしかできなくなるだろう。自分が働いて生み出して成り立たせるようなものを基本に置かないと、正しいという言葉さえも何が正しいのか分からなくなる。
2019年12月25日
今日は、名古屋にA3カラー複合機を取りにいくことに。朝からスタッフの子と軽バンに乗って、下道を2時間走って名古屋で、味噌カツを食べて。みそカツというのは名古屋のソールフードだなあと思ったのは、正午前のお店の中のほとんどが、みそカツを食べる近所のお年寄りの方で満杯だったこと。味噌カツの大盛り、ご飯も大盛に、豚汁大をつけて、お腹いっぱいで引き取りに伺う。譲っていただく方の話によるとカラー複合機というのはいろいろとトラブルが多いという正直なお話。覚悟して持って帰らないと、無事2時間ほどで会社に無事戻ったが、事務所階段の下から2Fまでが遠い道のり。

上部の分解したパーツは60kg以上もあり、しかも持ちにくい個体を、階段をどうやって運び上げるのか。普通に二人で抱えて階段を上がれるような代物ではありません。たぶん、男3人ならなんとか大丈夫かもしれないけどと思うほど、男女二人では水平移動も持って運ぶのは難しい。綺麗な状態の機械なので傷もつけたくない。30分以上はいろいろと方法を考えただろうか、ヒラメキがあって、安定して安全に階段を上げる方法が浮かんだ。実際にやってみるとそれほど難しくない。たまたま、それに適した道具というか物が工場の中にいろいろと転がっていてできた話。最初、絶対に無理と思うことでも考えればいつも大体良い解決方法は浮かぶもの。メーカーやプロの業者でも正しく設置しようとすれば、男4人が必要なケースだと思う。

電源を入れてちゃんと機能するのか心配だったが、設置してテストカラーコピーすると、上出来だと思えるカラーコピー画像が印刷されて出てきた。これだけでも、A3のカラーLEDコピー機が、100kg近い大型商品の送料程度で手に入ったと思うと十分満足、A3でスキャナーもできるし、パソコンのプリンターにもなる。A4は手持ちのNECのレーザーでプリントすればよいし、ファックスは別の白黒のファックスできるコピー機があるので使わないと思うが、A3のカラーレーザーを時々使いたいなあと思っていたのと、A3のスキャナーがほしいなあと思っていたので、それが一度に解決する本格的なA3カラー複合機が状態良く手に入ったのはうれしい。100kg近い個体でのスキャンというのは、安定しているから理想的。林与の近江上布のアーカイブをデータ化するのにも役立つだろう。私が自分自身にしかできないだろう人生で残したいプロジェクトの一つ、もう、そういう資料は四散してしまっているケースも多く、ジグソーパズルのピースのようなたどり方しかできないが、林与の近江上布のアーカイブは、最高潮を超えできなくなったものを資料として残すために保管していたもので、たった60年、70年ほど前に日本で作っていたものが打、国内だけでなく世界の人々が日本の織物の凄さに驚かれる。技法的なものではなく、今のデザイン主体のテキスタイルデザイン的なクリエーションの目から見ても、現代の日本のテキスタイルデザイナーでは敵わないような奥の深さがある。

今の時代はコンビニに行けば、A3カラーがプリントアウトやコピーでき、それは1枚30円程度なら一番安上がりで便利な方法だけども。できないこととしては、両面印刷やさらには自前の用紙にプリントできないあたり。カスタムな使い方をしたいなら、覚悟を決めて、壊れてもよい覚悟で試してみるというのも大事で、冒険するにはこういうまだ新品に近い状態で使えるものが一番理想的で、手放したい方がおられ、それを活用できるなら資源の有効活用にもなる。今日はクリスマス、12月末なのに秋晴れを思わせるような天候の中、特大のクリスマスプレゼント。

スタッフの女の子も頑張ってくれて本当ありがとう、お疲れさまでした。いろいろと考えればものごとというのはうまく行くことも多い、もちろん失敗することもあるだろうけども、後でやらなかったことを後悔するよりも少々のリスクなら覚悟決めて自分で経験してみることも大事だろうと思う部分。機械買って失敗しても、もう一台買って、正しい一つにくみ上げればよいだろうし、使い込んでいくうちに、保守部品も必要になってくるだろうという、機械をメンテできるような環境を自分自身が持つことが大事だろうと思える部分。
2019年12月22日
オーガニックであるということは、通常以上に不安定だということで、品質的に通常のものよりも上質とかでは普通はありえない話。当たり前に自然農法を考えてもらうとわかること、四苦八苦してようやく実がなるのが自然農法で、本当のオーガニックならば、それに近いのが普通で、品質が安定しないのが普通である。

逆に普通よりも高品位とか、普通と同じとか言い出したら、インドの2010年あたりの偽造問題が疑われるとか、GMOコットンの問題とかも疑われてそれを認証機関が綿では検査する方法がないから問題ないで逃げては自身が最悪視しているGMOコットンに対してすら種子に関してのトレイサビリティもない話でどうするのGOTSの信用問題そのもの。

ざらつくとか、織段がでるとかが普通のオーガニックの世界。私自身オーガニックリネンでは普通にない問題を経験しながら四苦八苦してよいものを収めようと考えている。軽々しく、オーガニックは通常よりも品質が高いというのは大手にありがちなブラックボックス的な偽装じゃないのかと思える。通常の何倍ものお金を払いながらそれを信じて問題もオーガニック製品を消費する立場が克服しながら使ったこともないのだろうと思える。

正直な農家がオーガニック栽培しているなら当たり前のことも逆になってしまうのが、商業オーガニックの世界で、オーガニックは高品質とか同じ品質だとか謳って売っている場合は注意が必要だとオーガニックリネンを扱っていてやっかいなだけに思うところ。国際的な認証機関が認定していようが、だまそうと思えばだませる、個人レベルのモラルだけの世界なのであるオーガニックというのは。

オーガニックという言葉にしても、合成繊維が入っていてもオーガニックを謳いたいのが、国際的な公的を謳う認証機関のオーガニックビジネスだったりもする。その裏には株式会社認定会社が存在をして、その認定を手広くやればもうかるで、ゆるいインドの国の基準にすらも引っかかってしまって、2010年すぎあたりには、世界のオーガニックコットンの生産量が、認定を正しくしただけで半減したほど。日本での空前のオーガニックフィーバーの2008年すぎは、半分が偽物だったのではないのかという認定ビジネスの過去。今は、オーガニックコットン認定されているものがGMOである可能性すらも、インドでは可能な限り有機栽培された種子を使うことという個々の農家の努力目標程度でしかない。生産性と収益性を求めたGMOコットン農家が、同じくオーガニックコットンに収益性を求めて移行するのを煽るビジネスモデルの流れの中で、どこまでそれが成り立つことなのかと普通は思うだろうけど。

使っているものは本当にものを良く知っているもので、違いが分かるが認証しているものにはその違いも感じるチャンスすらないだろう。オーガニックリネンでもありえない問題が普通に起こるのが普通で、粗悪なリネンにありがちなクレーム要素が何倍も値段のするオーガニックリネンで起こる。それがオーガニックリネンの特色なのである。粗悪なリネンというのもオーガニックな要素が多いのも事実で、原始的な製法で作られているケースが多い。高品位なリネンというのはどうしても、いろんな産地のリネンを混ぜたりして安定化させるというのが普通で、トレイサビリティすらもがないのが普通。そういう品質を安定させる話も度外視で、オーガニックリネンが高品位であるとかいうのは素人レベルの話ではないのかと、使っていて感じる。ロットによっては強度すらないから、織るのに3倍4倍時間を掛けて、傷も作りながら織っていることも多い。正直につくって時間も掛けて値段が2倍で傷や段の多いの布を誰が買ってくれるかの話で頭を悩ますことも多い。

でも、基準は下げないでほしいと思うのである。オーガニックはなるべくオーガニックの本物であってほしいから。それが消費者が求めるもので、糸の消費者としての林与も同じ思いなので、生地の消費者の方のオーガニックの思いに応えたいと思うから。
2019年12月21日
政府が限界集落を問題視しているけど、限界集落の住人ほど政治家の先生頼みに生きてきて頼みにしてきた先生やお国に、票田とされたものたちが、どうしようもないお荷物がられたら堪らんわなあだろう。先生やお国に頼みの無力で従順に育て上げて、国が面倒見ますよといってきたのに、結局はお荷物なのか?都合よすぎないか。

一番困るのはその次の世代で、自分たちの集落が、政治や行政頼みの自立もできない無力な状態。親の世代は亡くなるまで変わることは難しいだろうから、自分たちが70とか80になって変えていったとしても、時代の20年、30年遅れの後追いになるだけのこと。遅れを取る分、弱体化は進む。

時代の方向性を、都市部が握っている限り、それ以上に田舎が最先端をいかなければ、都市部の補完的な存在として位置づけられては、地方は都市部の下請け人生。地方も土地も広いのだし、自由度もあるのだから、それを有意義に自由に活動できないとだめなのだが、地方のほうが自由すら制限されるあたり。思想統一的な馬鹿な事やってたら本当に滅んでしまうだけのことで、そういうのに次の世代も付き合わせてはどうしようもないだろう。政治が食い物にして重荷化した限界集落、日本の腐った政治の産物でもあろう。

ただ、限界集落と呼ばれながらも、島や陸の孤島のように、独立して生計を成り立たせているような集落は立派だなあと思える。商業に依存せずに村単位で自給自足的に、それに手を加えるよりもそのまま自然に残りたいものが残れるようにして、外からも変な力を加えないほうが終わり方としてもすごくよい形だろうと思える。

不思議だが、何百年も続いてきたものが、この戦後80年ほどで終わりを迎えるものが多い。サステイナビリティってなんだんだろうなあと思う。30年ほどで消えてしまうような新しいものに置き換えることが果たしてサステイナビリティなのか。オーガニックというのは一時と比べると落ち着いて儲からない話が多いが、続けてゆくことがサステイナビリティじゃないのかと思う。少しでもやってみようと動いてみるのがエシカルなことなんだろうと思う。
2019年12月20日
昨年の3月に電気工事を行って高圧から低圧に変更をした。高圧というのは毎月の点検が必要で保安協会が毎月回ってきてくれてたのだが、林与のような小さな工場ではその対応すらもなかなかできない。使っている電気の量にしても昔は夏場スプリンクラー形式のクーラーを使っていたのでそれが20kとか、事務所もエアコンで15kとか、そんなで昔は高圧が必要な60k近くだったんだろう。

今はクーラーも使っていないし、事務所もお客様が来られた時以外はエアコンも使っていない。思い切って変更してみて分かったことは、動力200Vはあまり使っていないということ。100Vが3分の2以上のワット数。工場の中も照明関係がやはり多いのでそちらが電気を消費するんだろう。シャトル織機が主体なので特にモーターの消費電力は少ない。

LEDに騙されたのが、騙されたといっても知れているが、販売元は18kwといっていても、実際は24kwだということ。素人的に考えても2000lmが2500lmになれば、2割消費電力も上がるだろうと思っていたのだが、やはりそんな感じ。蛍光灯というのは水銀が使われていることもあり生産が終了となって今後はLED蛍光灯ばかりになる。LED蛍光灯はたぶん、1度買ってつければ林与の場合半生ものだろう。私的には長く使えることがよいのである。蛍光灯の傘も、新しいのと交換する出なく中の配線を工事してもらってそのまま使う形。

林与の工場だが、平成に入ったころに新しく建て替えたが昔は蛍光灯でも全部つけて作業していたが、生産量も減ったが、無駄な電力消費を抑えて、人が少ないので私が夜中動かすなど長時間動かすことになってはいるが、今はその何分の1くらいの消費電力だろう。高圧から低圧に変えると、基本料金は下がるが、kwあたりの電気代は2倍くらいになるので、同じ電気使用量くらいならほとんど電気代は変わらないが、保安協会の毎月の点検が必要なくなっただけでも時間的にはありがたい。
2019年12月19日
世界中を震わせたBSE問題だが、終息した要因の一つが、10万分の1の確率をごまかすために、政府が検査する月齢をどんどんと上げていったこと、6か月未満は大丈夫から、20か月未満、24か月未満、30か月未満は大丈夫な基準から、月齢基準廃止という政府の流れ。結局、検査しないことで、10万分の1の確率を検出しにくくしたという結果。現在は、検査なしに英国や米国の牛肉が日本に入ってきていることになる。途中から米国牛などは目視で20か月未満で食肉になる牛肉はセーフということ、目視で月齢を見極めるとか無茶苦茶な話だが、20か月の検査というのもほぼ無意味な検査だったということで、結局、検査で引っかからないように検査をしないことで、狂牛病はないことになっている。

まあ、結局、狂牛病も全頭検査で国内の農家を締め付け、輸入牛には目視で6か月以上は検査みたいなだらしない内弁慶な政府。10万分の1の確率だが、米国牛のショートプレートのほとんどは日本向けで、300円の牛丼を食べるだけで、100万円の宝くじに当たるよりも狂牛病に感染する確率は高いだろう。90万頭の20%が日本向け、単純計算18万牛、ショートプレートの消費は米国牛輸入の牛丼大国日本が多いので仮に50万頭分の牛のショートプレートが日本に流通すると、5頭が狂牛病当選で、1頭あたり3KGとすると、牛丼一杯30ℊ程度だから100人分×5頭で、年間500人ということになる。目視というあいまいな基準で月齢未満で消費される牛肉というのは無検査だから、まあ、年間日本で500人程度の狂牛病のリスクがあると考えてもよい。たった300人と考えるのか、300人もと考えるのか。20年でたった10000人が狂牛リスクにさらされるだけのことと考えてよいのか?30か月以下のショートプレートは無検査で日本に来て、安全とされて狂牛病検査にも引っかかることはないのである。10万分の1を統計的に安全とすると日本人が20年で食する確率は最大で10000万人程度だろう。

牛が牛を食べることにより、狂牛病が発生するとすれば、同種の共食いがその種の終焉をもたらす要因になるということ。なぜ、牛とは異種の人間が食べて狂牛病に感染するのかは、たぶん、人間が牛を食べることによって、牛の要素が人にも入っているというあたり。遺伝子組み換え作物が危険なのは、牛が牛を食べることは自然界ではないこと、それを人がやってしまったというあたりが、遺伝子組み換え作物に共通するところ。交配による品種改良もあるが、それらが突然変異が元だとしても、自然が生んだものなので自然は駄目な突然変異を淘汰するだろう。
2019年12月19日
林与が得意とするリネンの細番手なのだが10年前は糊をつけずにレピアでも織っていたが今はそれがなかなか難しい。この10年でも原材料の品質が低下してきているように思われる。今は糊をつけて織っているが、一時期は、綛からチーズアップが非常に難しいとのことで内部でチーズアップを行っていた時期もあったが、今は、おじいさんに問題なく巻いてもらっている。おじいさんも以前は巻けないということをよく言われていたが今は言われないので糊付けの糊剤が変わったことが要因だろうと思える。

今年は昨年にくらべ先染め話が少ないということを染色工場の方に聞いた。うなづける話である。アパレル向けがどこもよくない話のようで、アパレル不況が深刻化していると思える。林与も、以前はアパレル向け一本だったけど、アパレル向けの比率が落ちる流れを感じていたので、ストールやキッチンクロス、資材、生地さん向けや雑貨向けなど、アパレル向け以外の比重を増やしてきたのが、今のアパレル不況のなかでも忙しくやっていけている要因の一つである。それもいつまで続くかは自分がどう新しい活路を見出し柔軟に対応してゆくかのあたりで、綱渡りはつづくのだが、仕事を始めたばかりの人も同じ話で、同じ土俵、長くやってるからといって勘違いは駄目だろうと思える。

リネンの細番手を企画するだけでなく、自分も織っているから細番手の意味が分かるところだし、織物の価値というのが何なのかが分かる。たぶん、自分でやってない人には分からない部分だったりするが、案外、消費者の方というのはそこに織物の価値を感じてくださっている。林与自身が織物を企画すると幻の企画みたいなものばかりになるだろうから普通じゃ流れにくい。今のアパレルの流れに乗らない、そういう特別の世界はじっくりと自分で販路から構築して流してゆくものだろうと思っている。
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