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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2015年10月11日
今日は、昨日の藍染のつづき、テキスタイルマルシェが14日からあるので、本日が反物の発送日で、午後からは荷造り作業。工場の中の整経と織りの準備も進めないとならない。常にいっぱいというのはありがたい状況である。
2015年10月10日
今日は、庭の葉刈りの人が来て、木の一つに直径25cmくらいの熊ん蜂の巣があったので、それの穴をガムテープ塞いで処理しようとした。が、私がガムテープでもう一度上からガムテープを貼って補強しようとするも、先に庭師の方がその木を切って引きずって庭の外に持ち出したので、案の上、穴を閉じたガムテープが取れてしまって、鉢が穴からたくさん出てきて、庭師の一人が刺されて、持ち出された蜂の巣は焼却処分することに。

朝から思ってもいない騒動で、物事というのは正しく運ばないと大変なことになるというのを感じる。庭師の中でも一番年長のおじいさんは、場慣れしておられて、終始落ち着いた行動だが、こういう問題に慣れていない人というのは騒いでしまって余計に収拾が付かなくなる。巣を処理した後、予定していた京都行き。京都の田中直染料店で染料を買う。久しぶりに自分で染を行う。

午後からは、テキスタイルマルシェの出荷準備、今回は反物を多い目に持っていく。キッチンクロスも新しいものを補充しないとならない。リネンの25番手の生成B反の2Mから5Mでカットした生地もワゴン売り用に用意できた。


2015年10月09日
仕事の難しさというのは人に仕事を頼むときに生まれることが多い。説明を正しく理解していてもその通りできない人というのは多い。説明を聞いて理解しても自分が良いと思う方法でやってしまうタイプで我が強い人というのはお客様向けの仕事には向かない。普段、決定権を持っている人というのは人の下で働くことは難しいことが多い。

会社なんかでも廃業したりする会社の社長がほかの会社で普通に働くということができないことが多いのも、仕事に対する考え方がダブルスタンダードなところだろう。自分が上に立ってほかの人の上に立つことばかりで、ほかの人の同じような行事には協力できない先生タイプの人というのはものごとの本質を見据えておらず、その存在自体が全体からするとその世界を継続するには弊害になることもあるだろう。

企業なんてのはどんなちいさく一枚岩であると強い。企業が滅びるのは、外との競争ではなくて、中からの崩壊が多い。中から崩壊させる要因が法改正だったりすることも多く、国が現場も知らずに重荷を押し付けることで今まで続いていたことが続かなくなるということは本当に多いだろう。企業が特色を持つということは、企業の中の人が特別だということに尽きるだろうが、それを薄めてしまうような方向に国や法律が誘導をして出来ない人だらけにして企業が存続できるはずないだろう。
2015年10月08日
この1週間はオーガニックウィーク、オーガニックリネンに尽きる。今回のイタリア銘柄の糸もチュニジア紡績の糸。多くの方がオーガニックリネンに関して問い合わせいただくが、幻想が広がりすぎているようなところがあるのではと思うフシがある。

オーガニックに関してある組織の代表を務めておられる方に、オーガニックといいながら合成繊維が流れていたりする現実があることを指摘したところ、その代表の方は、それは「企業と企業の問題です」とあっさりいわれ、自分や組織には責任がないということを主張される。私からすると、おっさんまったくアカンやんのレベル。

お話からしても引導を渡されるような立場であるそうだが次の人がいないという。オーガニックというのは、自己犠牲をともなう献身的な世界だろうと思うが、その覚悟がなく、弱者にそういう覚悟を強いているだけではないのかなあと、管理するもの現場以上に苦悩を味わってこそ、オーガニックの世界というのは成り立つものだと考える。

オーガニックリネンの世界も広がりすぎると同じようなことになるだろう。オーガニックリネンにしてもブランドじゃないのだから、誰かのものではないし、そのコンセプトに同意できる人に本物が手に入るように広がっていけばよいのではないかと思える。

先日お越しになられた方も、あるオーガニックのラベルが1枚10円だとして、何十万アイテム流れるとして、誰がその何百万円のお金を誰にもわからずして手にしているのかというオーガニックを運営している組織の闇の部分に触れられていた。まともにオーガニックに取り組んでいるものは、そいうお金が飲み食いに使われるのではなく、そういうお金が現場を救うために流れてほしいと感じてしまうものだ結局そうでなければ搾取の母体であるに終わる。いろいろと厳しい話だが書かせていただいた。
2015年10月02日
戦後の高度成長期の日本というのは将来のために蓄積というスタイルが主流で、今だとだまされたとなるのだろうが、将来無料になるから高速道路をとか、老後のために年金をとか、騙され易い性格が働いて、老後は安心かのごとくに思い、余った資金がバブルをうみ出した。

月数万円の積み立てで老後が保証される訳ないのだが、そういう妄想を生み出してしまうような愚民政策というのは罪悪でしかなく、それが生まれた途端に将来に渡って背負わされる負担になる。取る側と取られる側、どうやって取る側にまわるかに終始して、そんなのが上にたっているだけで破綻の確定。

飢餓に苦しむアフリカでの人口爆発の背景には子供を生めば自分の面倒を見てくれるというような駄目親的な考えがあるらしいが、今の日本、社会システムとして駄目親的じゃないのかと思う。騙された矛先がこれから生まれてくる子供達に向いてしまっているはおかしなことというのに気がつかないと。
2015年10月01日
今年の夏は、世界的には観測史上一番暑い夏だったらしい。日本もまあまあ暑かった。あれほど叫ばれた節電にしても、今年は節電の声を聞かない。原発がほとんど停止していても、円安で原油が安くなれば利益が出るので電力会社も使ってくださいということだろう。普通の商売なら損が出てもそれは仕方のないことと被って、一時を乗り切るがそういうのがなく、常に儲かるのが当たり前というのが、電力会社が民間でありながらも実質国営というあたりではないのだろうか。

原発が世界的にエコに摩り替えられたのは笑うしかないが、福井原発にしても東シナ海からくらげが大量に押し寄せてきている問題なんかも、原発が熱量の面でも地球温暖化に相当貢献して、一番危惧されている北極の氷を溶かす要因となってるんじゃあないのかと思えたりする。なぜ滋賀県で原発をしないのかということを友人に聞いたことがあるがその人の工業高校の先生が琵琶湖で原発を稼動したら琵琶湖が干上がるような話も聞いたことがある。本当なのかどうかは分からないが…。

本来、1万年前というのは、日本列島のほとんどが氷で覆われていた。6000万年くらい前から南のほうの雪が一部溶け出して人が大陸から移り住むようになった。これが縄文人だといわれている。そのあと、徐福伝説が正しければ、徐福一行3500人が弥生文化をもたらした。狩猟生活から農耕生活へと移行したことで豊かさを求めることができるようになったものの、豊かさの裏には大量消費が付きまとう。あまりに違う二つの宗教、山の神様というのは縄文時代からの宗教で、神社は弥生時代を思わせる。
2015年09月25日
私がアメリカから帰国後、ヨーロッパではディーゼル車がクリーンだエコだという風にいわれはじめて、素人ながらも疑念に満ちていたが大掛かりな工作により燃費がよくクリーンなディーゼル車がでっち上げられていたが、これはまさに原発を環境によいとして推進したのとおなじこと。本来は援用投棄されないとならない廃棄物でもプルサーマルというエコサイクルな建前の下、全部吹っ飛んで消えていながらもそのことにも触れることもタブーなのがやはり原発なのだ。うまくいくだけが現場ではなく、うまくいかないことも当然考慮しておかないととくに誰も責任を取れないような原発の場合には対応ができなかったりする。

売らんがために一線を越えてしまうことはあるだろう。先日もオーガニックの認証をされている国際機関の技術の方と話していて、現場では合成繊維がオーガニックで流れていることもあるという指摘をしたら、それは認証を受けている企業の問題で自分の責任の範囲外だと簡単にいわれるので、その感覚はまったく駄目なのですときつく注意したが、オーガニックにしても実際はブラックボックスで、まったくオーガニックでないものにオーガニックの認証が付いたとしても、そのような感覚で現実は流れてしまうもので、結局は信用できる人から確かなものを手に入れるしか方法はないだろう。

そこまでかと思うが、原発がチェルノブイリクラスの放射能漏れ起こしてしまっても爆発健康に影響はないというレベルが日本だし、所長が甲状腺がんで死んでも労災案件にもしない。ヨーロッパのディーゼルの一件にしても、販売台数の何割かが通常の基準値の40倍とかのレベルのディーゼル車が大量に出回って人は生きている。ただし、何万分の一かで発ガンしたりする人は存在し、それを無視するかしないかというだけのこと。

国いわく問題が起こればそれほど大きな問題でないということを国が問題が起こる前には規制して、国が利権者のために消費者を犠牲にして利益を一部に誘導していただけということではないのか、と考えると今回もトカゲの尻尾きりではなくて、国規模でその癒着体質を改めないとならない。現実を受け止めて現実に即したことをしていれば問題も起こらなかったのに、へんな理想主義を立ち上げてほかを悪として規制側がほかを排他的にあつかい権力を増したいというような愚かな欲望が、消費者を騙したり犠牲にするような規制の増加に繋がる。本来は確かでないとならない国とかのレベルが力関係でなりたっているだけの一番改善も難しいシステムだったりする。

私が思うのは、今の先進国でプロは存在できるのかという問題、一年に2000時間働いたところで、一生だれもが素人のままで終わるだけじゃないのか。国の人にしても現場を知らずに監督で自分の手がけた法律の矛盾もわからないままに、国民に迷惑をかけていたり。途上国の子供ほうが現場でより本質的に取り組んで時間も費やしているので覚悟からしても仕事に対する責任感は強いと思えたりする。
2015年09月24日
試作が必要な案件で、たて本数を間違えるというミスがあって、それを夜中やり直す。私が今回はやり直しの整経をやってみたが、テンションがきつすぎて、縦糸の糊付けに問題があり、巻けないことはなかったが、この麻で定評のある糊付屋さんの糊が問題視され、整経ができないようなケースも増えている。

滑るようにさらさらと落ちるのがラミーの縦糸の感覚なのに、ざらついて糸同士が喧嘩する。糊付きの白いラミー糸で糸切れするほどの重さで喧嘩状態、糊付けに問題があろうと感じる。
2015年09月21日
朝起きて、ホテルの朝食、ビュフェ形式で悪くないが、宿泊客は日本人が多い。窓から市街を眺めると、イギリスの植民地であったがゆえだろうがヨーロッパ風の建物が立ち並び、一方で、日本からの援助が経済発展を助けているのだろう、日本車ばかりで中古が普通車からバスまで寄付されているのか車は右ハンドルで右通行。本来のあるべき安全のロジックとは異なるがそれほど事故が多いようには思えない。托鉢の僧が何十人も列をなして歩く。露天商がそれに応じて商品であるはずの食べ物を分ける。托鉢僧を超えて露天商が聖人に見えてしまう。

今日は朝から夕方4時半まで、ミャンマーでの縫製の実技試験を見学。ミャンマーでも洋服を一着縫える人というのは少なく、会社で働いている経験者よりも、家で仕事している人のほうが明らかに力がある。試験でも糸の始末もしないのが普通であるということからしても、縫製と言うのは縫うだけで糸の始末はほかの人の仕事ということだろう。縫製の先生もおられたが縫うのは上手でも糸の始末をしないのでそれがミャンマーでは普通であると捉えるべきなのだろう。

縫製工場の見学以外に、何年か前にハリケーンがヤンゴンの地域を襲ってから親を失った孤児が増えて川沿いの簡易住居で生活している様子なども知ることができた。けども悲壮感がないように思うのは、インドに行ったときと同じで、いろいろなものを受け入れるのがミャンマーなのだろう。冷たいかもしれないが、中途半端なきれいごとで甘やかして取り返しの付かない状態ではなく、厳しさの中に人の優しさを感じる気がするのだ。

帰りの空港でも、おみやげ物屋に立ち入ると、聞くと説明もしてくれるが、いろんなものを見て買わなくても仕方のないことと諦めてくれて悪くないのだ。ミャンマーはジェイト、ルビーなどの石が有名。いくつもお店があってたくさん並んでいてもどうしてどれも形が素敵に思えないのだろうと思う。私の中で美しいと思える形が決まってしまっているのだろう。
2015年09月20日
今日は、関空をお昼前の便で、組合の方さんがミャンマーに行かれるのに混ぜてもらって1泊3日で出発。中国やベトナムと違って、VISAが必要ということでオンアライバルでの申請を行うための書類など用意してもらって出発。

写真のサイズの問題で心配して朝に小さい証明写真を取り直したり、カットしたのが大きすぎてはさみを処分してしまって空港で借りるところを探したり、それを貼る糊を空港のお店で捜したり、とりあえず、初めてなので慎重に準備したが、実際は、紙を出して50ドル払えば手続きが済んで、VISAのシールをパスポートに貼ってもらえるだけのことだった。大きな写真を職員の女性の方がホッチキスで留めたりと、テキトーでも通りそうだったのにはがっかりだが勉強になった。

空港をでるとタクシー乗り場、組合の方の待つレストランにタクシーで行こうとすると若者5人くらいがタクシーの値段交渉をしてくる。10倍ほどぼられそうなのでタクシーに乗るのはやめて、迎えに来てもらった。どこの国でもそうだが、こういうことがあると国の印象が悪くなるので残念だ。

食事は中華料理系でおいしかった、ホテルに行く途中の眺めは、中国やベトナムと同じで、家族経営の八百屋や雑貨屋などがあって、私が思うのに、これがあるからこの国は強いのだろうと思える。
2015年09月19日
普段使っている銘柄の糸であぶら糸が時折交じりこむ状態の整経で頭の痛い問題だが、紡績工場もこういう現象というのは時折起こってしまうということで、それに対しての補償もするということなので、林与としても自分の努力で解決も考えてみる。

結局、整経の巻取りのときに二人掛りで半日掛けて糸を何百本と差し替えるという方法で、ほとんどを取り除くことが出来た。ワラと呼ばれる異原子がらせん状にまいて黄色っぽいところなども通常よりも多く同時に取り除く。今までこんなことは少なく珍しいケースである。3ケースのうちのどれか箱の1つの中の糸のいくつかに問題があったのだろう。

糸を買ってからも糊付けチーズアップで2ヶ月ほど掛けていて、国内在庫も限られている糸なので、整経の途中で流れる糸を眺めていて違和感を感じ、大きな問題になるだろうと思っていただけに、解決ができてよかったと思う。こういうところも自分で仕事をする強みで問題をそのままにして大きくなることはない。

異原子や汚れが糸の問題で、50cmとか1mとか縦に1本走るようなことが頻繁に起こってしまうとせっかく反物を織り上げても本当にもったいないこと。紡績の問題であろうが、自分の目の届く範囲ではできる限りの対応はこなしたい。
2015年09月17日
今日は、午前中、お昼、午後と3件のお客様で、夕方から、急ぎの分のキッチンクロスを織る。一時間に2枚から3枚くらいのペースで織れる。もうすぐゴールで、270枚ほどを織り終える。

その間も、レピア織機で横糸が2本入ってしまうとかを、レピアバンドの交換とレピアヘッドの調整で何度も直したりするけども、頻発で、原因も分かっているのだが、部品の消耗が激しく交換ばかりになるので別の方法で対応しようとしたが断念し、部品を消耗する方法で織り進むことに。消耗品なので消耗しても仕方ないのかもしれないが、F1レースのタイヤ交換ではあるまいしと思うところがある。

F1レースもタイヤパンクしたらリタイアにしたほうがよいのではないかおもうくらいの林与なのだ。タイヤ交換するにしても、ドライバー自身がタイヤ交換するとかしたほうがよいんじゃないだろうか。
2015年09月16日
もうすぐシルバーウィークの連休に入るということで、連休前に済ませておかなければならないことが山積み状態。でも、できるのは目の前のことから一つ一つ。

日曜日から動き続けている一つのサンプル案件が、昨日出来上がらずに、今日に持ち越し、急いでいるときには、想定以上に気力は持つものだが、時間は早く過ぎて、一回のミスで今まで何時間もかけたものが駄目になってしまう。

休み前に、金融機関に出向いたり、お客さまの予定で埋まってしまっていたり、昼間の時間は作業が進みにくく、夕方からの始動。織機も数台立ち上げないとならないと思いつつも1週間、2週間過ぎてしまっているものがいくつもある。
2015年09月15日
成田さんから「つなぐ通信」が届きました。つなぐ通信は、なぜか、飛行機の機内の冊子を読んでいるような気分になります。日本に住んでいながらも知らないことが多すぎ、未知の部分を知ることができる。

成田さんからのメッセージで、東京で義理のお姉さまの布絵展が予定されているそうで、一度みたいと思ってから3年以上経っているでしょうか、みることのできるチャンスになるのではと思います。

今年の秋はすでに織機の移設を含むいろんな予定があるのが春くらい予定されていたので、展示会を控えめにさせていただいたのが、今の状況からすると正解だったように思います。次の東京での展示会は12月2日、3日のハーベスト展です。
2015年09月15日
変な夢をみた。車を駐車した場所を忘れて車を捜す。思い当たるどこの場所にも車がない。そこで、目が覚める。と、車の中で寝ていて、車が見つかったことに安心。
2015年09月11日
台風が去ったあとも、ここ数日、雨。稲刈りも始まっているが、秋晴れのような雰囲気に遭遇することもなく。梅雨のような秋。

河川決壊で浸水のニュースなどをネットでみるが、自然の力というのは大きいのを感じる。氾濫した川というのは天井川、川底よりも低いところに住宅地が広がっている。全国いたるところが天井川の下であるというのも日々忘れがちなこと。半世紀前までは床下浸水とかがよくありえた。

東円堂の集落もどの家も道路から60cmくらいは入り口が高く作ってあり、河川氾濫での浸水を想定した上で、家が作られている。他人事ではないのは、私も3歳のころ、まだ記憶に残っているけど、家の前の道に出ると雪一面に見えたのを覚えている。この光景に興奮して三輪車で姉と出陣して、辺り一面雪世界でコーナーを曲がるときに氾濫した溝に落ちて死ぬ思いだったが、たまたま、向こうから親戚の20くらいの女の人が30mほど先から通りかかりにみていて拾い上げてくれた。お地蔵さんとならずに済んだ3歳の台風のこと。

人間が河川を制しているようにみえても、それは人の力に満足しているだけのことで、人の命なんて自然の世界からみれば動物の命と同じであり、自分の命を守るためには法律云々がというよりも自分自身が一番に自分の身を守ることが大事。救うことに関しても、ヘリコプターの数が足りてないのに、メディアのヘリが暇そうにそれを撮影しているのは人の心すら失った世界。人の不幸を金に換えるのがテレビという亡者の世界だったりして、目の前の命を失う寸前の人を救わずして、時期をずらせばテレビのチャリティとかタレントを起用した遊びにしか思えないものだ。

優先順位が違うが、成り立ちすぎて、そういうところが莫大な金儲け、社会としてあかんなあと思える。戦争にしてもメディア業界からすると最大級の娯楽と同じレベルになっていてあかんのだ。
2015年09月10日
今日は彦根で、海外インターンに関する説明を受けた。日本企業が海外の学生に日本企業内で数ヶ月研修の場を提供するというプログラム。海外では日本語を勉強している人で、日本に来て仕事をしてみたいという思いを持っている人が多いとのことで、そういうのが一つのきっかけになり、日本のよいイメージが情報発信されることを狙われている。

世界的に日本ブームということもあって、日本もクールジャパンプロジェクトを立ち上げ、特に繊維でも、日本の織物のクールさを世界に発信し好感触である。受け入れするにも、林与という会社は経営理念が日本っぽく過ぎて、なかなか理解できないことも多いだろうと思える。

私自身、外資系のいわゆる優良企業の現場で作業もしたことあるけども、それを経験してしまうとほかの工場では働けなくなってしまう。楽して稼ぐとだめな人間が出来上がってしまうということも然りで、若いうちに苦労しておいたほうが後々の可能性は広がる。

私自身、会社もあるけど、無職と同じだと思う。自分で仕事を生み出さなければ仕事なんてないのだから、基本自分が能力をもって仕事を求めて初めて仕事がもらえ、それを成し遂げることでお金が貰え、満足してもらえるようならまた仕事がもらえる。
2015年09月09日
1年ぶりくらいだろうか、天下一品のこってりラーメンを食べた。京都という土地の利もあるだろうが、京都でも北白川という市内から離れた場所で立ち上がった屋台ラーメンが、味の個性で、全国的に有名なラーメン屋さんに。

今日は、初めて天下一品を食べる人と一緒だったが、やはり、こってりラーメンは味が濃すぎるという当たり前の感想を得て、これなんだろうなあと思う。普通だと濃くて食べられないような味が、多くの方がおいしいとなる感覚。一度食べたら忘れられないような味の世界。

本当かどうかはわからんけども、私の中では、テレビゲームにしてもそれ自体が面白いということよりも、それを共有できるような人の関係があって、それが上手であることで威張れるとかが大事だから一所懸命になれるんじゃないかと思う。だからこそ、ブームが去ると興ざめして一斉に飽きるなんてのも。

ラーメンにしても同じなのかもしれないなあと感じるのは、ラーメンを紹介して食べるときには、学生時代にこのラーメンをみんなと食べて楽しかったというような要素が含まれ、単にお腹が空いたからとか、味だけのことではない気もするのだ。

今は仕事に追われすぎて、このラーメンが出来上がる10分、15分の時間ですらも待てないというのも「あかん」なあと思いながら、創業者木村勉氏の「正しい努力」という文字が、天下一品の姿勢を貫く気がする。大きくなった天下一品にしても、一つの店を守るのも簡単じゃないなあと思う。

私の仕事のスタイルは「あかん」といわれることが多い。普通を目指せということなのだろうが、それなら商売なんて早くやめておいたほうが深手を負わずに済むだろうと思うのだ。やるなら真剣にやって成り立たせるところを目指すのが大事なのではなかろうかと思う。企業が普通に慣れた人の集団となると落ちるのは早い。

今日は、糊なしで昨日一日15時間ほど掛けて織ったぼろぼろのストールを、出荷前、3時間ほど掛けて針で目を拾い縫って直した。そういう作業を出来る人も少なかろうが、当たり前に必要な作業。自分がそれをまだやる意思をもっているのが救いなのだと思う。私の仕事なんて毎日がこんなのの繰り返し、織機の調整も似たところがある。こんなのやってたら普通は潰れるだろうが潰さずにできているのが能力なのだろうと思う。

先代なんかはお前は仕事なんてやれるわけがないと周りにまで豪語していたが、私からすると先代なんかは仕事してないから仕事が無理なタイプでぶつかっていたから、仕事がまだ残せている。そういうどうしようもないところから抜け出せないと活路すらもないものだが、抜け出そうとするのを拒もうとする力が通常は働いて成り立たないままにというのが多い。
2015年09月07日
100番リネンの染糸、糊なしなので、糸がす抜けする状態で、2mのストールサンプル1枚織るのに二人掛で丸一日。3縦あるのできびしい3日になる、それでもぎりぎりになるだろう。
2015年09月05日
今日は彦根四番町スクエアのボックスギャラリーのボックス料金の支払いに行った。四番町スクエアは、もともと市場のあったところということで、その名残として、魚屋さんが多い。彦根城周辺は江戸時代は内湖のような状態で、琵琶湖と山とが肉薄していた場所。

かつて栄えていた彦根銀座は、今も商店街が残るがなかなかどころか、そこで商売を続けること自体が難しいお店が多いのを前を通るだけでも感じる。でも、商店街として大きな改装も行われずに、昭和の子供の頃の風景が今も残っているのが嬉しく思え、残してほしいなあと思うけど、簡単ではないのはわかる。

ママパパショップがその人たちの生涯をまっとうできるような政策があればよいのになあと思うが、一方で、地域に乱立する巨大資本に支えられているチェーンストアですら、お客さんの数は成り立つほどにあるのかと思える。先日は京都にでかけたが、昨日は大阪にでかけたが、都市部でも周囲の住人や路上客をターゲットにしているお店が成り立っているようには思えない今日なのである。

日本は土地所有が認められているというが、結局は、家賃というものが発生しており、その家賃というものが、固定資産税として吸い上げられていく。結局は、土地というものは登記上の名前が個人名であっても国が大家であるのと変わりないのだが、田舎では負の動産となってしまっているところが多い状況で、登記して所有していること自体が商売としては失敗というかマイナスから始まるのも厳しい話なのである。

国道8号線沿いも、これだけたくさんの車が走っていても飲食関連でも成り立つビジネスは少ない。商売が成り立たない場所の問題というものは、取る側の行政が重い腰を挙げないと改善はしないだろう。一杯が500円のものを売って利益が一杯150円だとして、たとえば、国道沿いで固定資産税評価額が坪30万円だとして、300坪、1億円の1.4%で、固定資産税が年間140万円とかだと成り立つ可能性は少ないのだ。田舎ほどビジネスが成り立たせにくい。年間10000杯分、日割りにすると、一日30杯分の利益が固定資産税。田舎で駐車場を伴う広い土地を必要とする飲食ビジネスが難しいのもよくわかる。
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