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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2015年09月15日
変な夢をみた。車を駐車した場所を忘れて車を捜す。思い当たるどこの場所にも車がない。そこで、目が覚める。と、車の中で寝ていて、車が見つかったことに安心。
2015年09月11日
台風が去ったあとも、ここ数日、雨。稲刈りも始まっているが、秋晴れのような雰囲気に遭遇することもなく。梅雨のような秋。

河川決壊で浸水のニュースなどをネットでみるが、自然の力というのは大きいのを感じる。氾濫した川というのは天井川、川底よりも低いところに住宅地が広がっている。全国いたるところが天井川の下であるというのも日々忘れがちなこと。半世紀前までは床下浸水とかがよくありえた。

東円堂の集落もどの家も道路から60cmくらいは入り口が高く作ってあり、河川氾濫での浸水を想定した上で、家が作られている。他人事ではないのは、私も3歳のころ、まだ記憶に残っているけど、家の前の道に出ると雪一面に見えたのを覚えている。この光景に興奮して三輪車で姉と出陣して、辺り一面雪世界でコーナーを曲がるときに氾濫した溝に落ちて死ぬ思いだったが、たまたま、向こうから親戚の20くらいの女の人が30mほど先から通りかかりにみていて拾い上げてくれた。お地蔵さんとならずに済んだ3歳の台風のこと。

人間が河川を制しているようにみえても、それは人の力に満足しているだけのことで、人の命なんて自然の世界からみれば動物の命と同じであり、自分の命を守るためには法律云々がというよりも自分自身が一番に自分の身を守ることが大事。救うことに関しても、ヘリコプターの数が足りてないのに、メディアのヘリが暇そうにそれを撮影しているのは人の心すら失った世界。人の不幸を金に換えるのがテレビという亡者の世界だったりして、目の前の命を失う寸前の人を救わずして、時期をずらせばテレビのチャリティとかタレントを起用した遊びにしか思えないものだ。

優先順位が違うが、成り立ちすぎて、そういうところが莫大な金儲け、社会としてあかんなあと思える。戦争にしてもメディア業界からすると最大級の娯楽と同じレベルになっていてあかんのだ。
2015年09月10日
今日は彦根で、海外インターンに関する説明を受けた。日本企業が海外の学生に日本企業内で数ヶ月研修の場を提供するというプログラム。海外では日本語を勉強している人で、日本に来て仕事をしてみたいという思いを持っている人が多いとのことで、そういうのが一つのきっかけになり、日本のよいイメージが情報発信されることを狙われている。

世界的に日本ブームということもあって、日本もクールジャパンプロジェクトを立ち上げ、特に繊維でも、日本の織物のクールさを世界に発信し好感触である。受け入れするにも、林与という会社は経営理念が日本っぽく過ぎて、なかなか理解できないことも多いだろうと思える。

私自身、外資系のいわゆる優良企業の現場で作業もしたことあるけども、それを経験してしまうとほかの工場では働けなくなってしまう。楽して稼ぐとだめな人間が出来上がってしまうということも然りで、若いうちに苦労しておいたほうが後々の可能性は広がる。

私自身、会社もあるけど、無職と同じだと思う。自分で仕事を生み出さなければ仕事なんてないのだから、基本自分が能力をもって仕事を求めて初めて仕事がもらえ、それを成し遂げることでお金が貰え、満足してもらえるようならまた仕事がもらえる。
2015年09月09日
1年ぶりくらいだろうか、天下一品のこってりラーメンを食べた。京都という土地の利もあるだろうが、京都でも北白川という市内から離れた場所で立ち上がった屋台ラーメンが、味の個性で、全国的に有名なラーメン屋さんに。

今日は、初めて天下一品を食べる人と一緒だったが、やはり、こってりラーメンは味が濃すぎるという当たり前の感想を得て、これなんだろうなあと思う。普通だと濃くて食べられないような味が、多くの方がおいしいとなる感覚。一度食べたら忘れられないような味の世界。

本当かどうかはわからんけども、私の中では、テレビゲームにしてもそれ自体が面白いということよりも、それを共有できるような人の関係があって、それが上手であることで威張れるとかが大事だから一所懸命になれるんじゃないかと思う。だからこそ、ブームが去ると興ざめして一斉に飽きるなんてのも。

ラーメンにしても同じなのかもしれないなあと感じるのは、ラーメンを紹介して食べるときには、学生時代にこのラーメンをみんなと食べて楽しかったというような要素が含まれ、単にお腹が空いたからとか、味だけのことではない気もするのだ。

今は仕事に追われすぎて、このラーメンが出来上がる10分、15分の時間ですらも待てないというのも「あかん」なあと思いながら、創業者木村勉氏の「正しい努力」という文字が、天下一品の姿勢を貫く気がする。大きくなった天下一品にしても、一つの店を守るのも簡単じゃないなあと思う。

私の仕事のスタイルは「あかん」といわれることが多い。普通を目指せということなのだろうが、それなら商売なんて早くやめておいたほうが深手を負わずに済むだろうと思うのだ。やるなら真剣にやって成り立たせるところを目指すのが大事なのではなかろうかと思う。企業が普通に慣れた人の集団となると落ちるのは早い。

今日は、糊なしで昨日一日15時間ほど掛けて織ったぼろぼろのストールを、出荷前、3時間ほど掛けて針で目を拾い縫って直した。そういう作業を出来る人も少なかろうが、当たり前に必要な作業。自分がそれをまだやる意思をもっているのが救いなのだと思う。私の仕事なんて毎日がこんなのの繰り返し、織機の調整も似たところがある。こんなのやってたら普通は潰れるだろうが潰さずにできているのが能力なのだろうと思う。

先代なんかはお前は仕事なんてやれるわけがないと周りにまで豪語していたが、私からすると先代なんかは仕事してないから仕事が無理なタイプでぶつかっていたから、仕事がまだ残せている。そういうどうしようもないところから抜け出せないと活路すらもないものだが、抜け出そうとするのを拒もうとする力が通常は働いて成り立たないままにというのが多い。
2015年09月07日
100番リネンの染糸、糊なしなので、糸がす抜けする状態で、2mのストールサンプル1枚織るのに二人掛で丸一日。3縦あるのできびしい3日になる、それでもぎりぎりになるだろう。
2015年09月05日
今日は彦根四番町スクエアのボックスギャラリーのボックス料金の支払いに行った。四番町スクエアは、もともと市場のあったところということで、その名残として、魚屋さんが多い。彦根城周辺は江戸時代は内湖のような状態で、琵琶湖と山とが肉薄していた場所。

かつて栄えていた彦根銀座は、今も商店街が残るがなかなかどころか、そこで商売を続けること自体が難しいお店が多いのを前を通るだけでも感じる。でも、商店街として大きな改装も行われずに、昭和の子供の頃の風景が今も残っているのが嬉しく思え、残してほしいなあと思うけど、簡単ではないのはわかる。

ママパパショップがその人たちの生涯をまっとうできるような政策があればよいのになあと思うが、一方で、地域に乱立する巨大資本に支えられているチェーンストアですら、お客さんの数は成り立つほどにあるのかと思える。先日は京都にでかけたが、昨日は大阪にでかけたが、都市部でも周囲の住人や路上客をターゲットにしているお店が成り立っているようには思えない今日なのである。

日本は土地所有が認められているというが、結局は、家賃というものが発生しており、その家賃というものが、固定資産税として吸い上げられていく。結局は、土地というものは登記上の名前が個人名であっても国が大家であるのと変わりないのだが、田舎では負の動産となってしまっているところが多い状況で、登記して所有していること自体が商売としては失敗というかマイナスから始まるのも厳しい話なのである。

国道8号線沿いも、これだけたくさんの車が走っていても飲食関連でも成り立つビジネスは少ない。商売が成り立たない場所の問題というものは、取る側の行政が重い腰を挙げないと改善はしないだろう。一杯が500円のものを売って利益が一杯150円だとして、たとえば、国道沿いで固定資産税評価額が坪30万円だとして、300坪、1億円の1.4%で、固定資産税が年間140万円とかだと成り立つ可能性は少ないのだ。田舎ほどビジネスが成り立たせにくい。年間10000杯分、日割りにすると、一日30杯分の利益が固定資産税。田舎で駐車場を伴う広い土地を必要とする飲食ビジネスが難しいのもよくわかる。
2015年09月04日
輸出案件で、シッピングサンプルのコンファームが、今日になり、通関などの日程を考えると今日持ち込まないと危うい状況で、急遽、大阪の運送会社に自分で持ち込むことに。新しいフォワーダーさんということで、引越しされたということで、電話番号を元にカーナビでたどり着いた住所は昔の住所。

予定よりも1時間ほど遅れての到着になり、結局、彦根に4時に戻らねばならなかったのが、無理になって代わりのものを彦根に行かせることにして、ゆっくりと帰ることにした。途中京都で食事を取って、駐車場で仮眠をとって夜中に会社に戻って、今晩はゆっくりと久しぶりに朝まで眠ることに。

自分で、処理することで輸出案件も、ぎりぎりまで相手の返事を待って持込というパターンもでき、1日でも時間に余裕がもてるのはありがたい。今回は、紙包み梱包ではパレットに載せられない可能性があるということで最終パレット梱包に変更になった。

次回はどのようにして送るかということが課題として残った形。
2015年09月01日
今日は中日新聞折込で、びわこ新聞の滋賀県のがんばる企業ということで紹介をいただいた。織物の仕事というと職人っぽくって地味な感じになりがちだろうけども、理念ストールやキッチンクロスの画像をまじえて紹介をいただいて、広告に負けないくらい明るい感じでいい感じ。

地場産業で難しいなあと思うのは、機屋にしても、アパレルの素材を織っているだけでは機屋って華がない。人の持つ遊び心をモノづくりに生かすことによって、織るという単純作業の世界から、自己表現の世界に変わる。

林与自身、売れなくてもよいので作ってしまうことも多いが、まあ、自分がよい感じだなあと思うものはそれなりにお客さんも買ってくださることも多い。そういうのが働く人にとっては励みになるものだと思う。そういうのを喜べる人が集まってものづくりできると一番よいなあとは思う。仕事という感覚が消えて、1回1回の仕事でとことん没頭でき、できる限界までやってみる。

弊社に来て下さるお客様にもお話しすることがあるのが、織物をつくる仕事って、御幣があるかもしれないが、仕事らしい仕事でまともな部類に入る仕事に思ったりもする。私自身はテキスタイルデザイナーとか職人とかいう感覚がなくって、すべての仕事に共通するような要素を織物の世界で実践しているだけのことだろうと思っていて、その実践の仕方がかなり我流で、普通を目指す必要なんてあるとも思っていないので、なんとか続けてやっていけているんじゃあないかと思っている。
2015年08月25日
台風が近づいてきているので、外は風があって工場の外に出るとすごく気持ちよい。オーガニックの糸が届いたが雨が降ってきて急いで中に運び込んだ。リネンの細番手の糸も届いて来年ものの準備が始まる。

輸出向けの生地もようやく織ることの終わりが見えてきた。一時間に2メートルとかしか織れないものを1000m以上この1ヶ月で織った。その間にストールの見本の納期が絡んで後回しになった分、最後の追い込みが残っている。

シャトル織機もよくがんばってくれた。毎日油を注して、どうか今日も無事に動き続けてほしいと願う。大きな故障があれば、輸出物の納期が大きくずれてしまうというだけでなく、特別の厚織ができる織機は限られていて大きく壊れると厚織りの布は今後織れなくなってしまうのだ。厚織すると織機に大きな負荷がかかるのが本当は好きではないのだが、そういう無理をすることで特別のものが出来上がる。
2015年08月24日
私が仕事に使っている携帯の通信データ容量をタブレットと分けて使っていて、そのタブレットをほかの人に貸したら映画をみたようで、上限を超えてしまったようで強烈な速度制限で、ネットでのほとんどのことが非常に時間がかかる状態。

かろうじてネットショップは軽めなのでよいけど、アマゾンやクリーマのお店の管理をしようとすると難しい。ヤフーのトップページをみるのも忍耐。月末までの辛抱か。困るのは、メールに添付いただいたり、メールにリンクを貼っていただいてそこを見ようとして難しいケース。ダウンロードとかほぼ不可能。

そろそろ3年愛用したレッツノートも、USBなどが甘くなり始めて寿命か。携帯電話も充電が難しくなってきた。急いでいるときに、簡単なこともできないでパニックになる。しかし、いろんなことで制約があるというのは悪いことではないと思う。制約のない状態になれてしまうと、後戻りができないものだ。
2015年08月22日
隣の豊満は今日が地蔵盆。東円堂は6箇所、豊満もお地蔵さんは4箇所以上はある。小さな集落になぜお地蔵さんがたくさんあるのか、不思議といえば不思議。集落の家のほとんどがどこか一つのお地蔵さんに奉じているのだ。

これは、お寺の門戸の枠や組、区とは別で、どういった類なのだろうか。だれに聞いてももうわからないことがあったりするものだが、それが続いている。林与の家のお地蔵さんも、昔はもっと南にあったけど泥棒が今の場所に運んできたという。子供のころに聞いても不思議な話だが、今も不思議なまま。

こういうローカル行事は、ローカルなままに残ってほしいと思う。商業くさくなったオリンピックよりも、こういう行事のほうが行事としては意味があろうかと思えるのだ。
2015年08月21日
糊のタイプが変わって最初の30kgはうまく織れて喜んでいて、次の60kg、もう少し糊を強めに付けてみたということで、チーズアップがうまくいけば問題ないだろうと話をしていて、今日、チーズ巻き工場に行くと、おじいさんが苦戦中。糊がきつ過ぎてへばり付いていてカセから糸が出てこないということで、行ったときに半分くらいが糸切れを起こしている。

糊のタイプの変更があったばかりなので、いたしかたないこと。今度は最初の糊付けの具合に戻して糊付けしてもらうことになる。チーズ巻き工場のおじいさんには気の毒だけど、今回はゆっくりとでも巻き上げてもらうことで対応。80歳手前くらいになられているのだろうけども、仕事をしてこられた方だけに大事に仕事をして下さる。

糸を巻き上げるワインダーをみていると、かなり高速に回っている。たぶん、林与のチーズアップ用のワインダーの2倍以上のスピード。それでも、それ専門にやっておられるのでカセの糸口の見つけ方など慣れたもの。

一年ほど前に、リネン100番手をお願いしたときには、「にいちゃん、こんな難しいのはもうもってこんといて」と言われたけども、まあ、暇なときにはややこしい仕事でも受けてもらえるので、昔ながらの繊維の世界の構造が生きているのだろうと思え、こういうチーズ巻き工場は、海外にももう少ないだろう。100番手を織りこなせるのもおじいさんの存在があって成り立つ。

少量なら会社の中でも巻き上げるが、産地にはこういうコンスタントな地力のようなものが流れていないと、本物じゃない。そもそも、ほかが巻き上げるのを嫌がるラミーのこんにゃく糊加工糸などを巻き上げるのも得意とされていて、産地の特色というか、林与の特色を作り上げる一端を担っていて下さった。上手に巻けなければ、巻き方一つで高価な糸がゴミに変わる。
2015年08月19日
先日あるかたが弊社に来られて、最近は本麻が売り難いと仰っておられた。本麻の手もみの100番手を守りたい林与としては非常に残念なことなのではあるが、このことも数年前から予期ができていて、市場に本麻というものが出にくい流れになっているのだ。

着物の世界をご存知の皆さんにとっては、手もみで仕上げた本麻は麻のよい風合いを感じさせるのだが、着物を召される方は少なくなっていて、アパレル用途でもそういう着物の世界の方が少なくなると流れる量は少なくなってくる。

流れる量が少なくなると生産量も少なくなるので、織る工程が無理をしても、加工工程などが小ロット対応ができないとか多くなって、サンプルから流れていきにくく、売り場で本麻の凝ったものを見かけることは少なくなると、目立たなくなるので、存在そのものが稀になってしまうものだ。ニッチェな存在。
2015年08月16日
あるものを生産しておられるが売れないので辞めようかと思っているということをいわれ。私自身は、それを続けるためにはもちろん自分が生活していく、お金が必要だろうし、必要だったら別のところで作ってくればよいのじゃないかと思ったりもする。夜中バイトして昼間その仕事すればよいのではないだろうか。

売れないものというのは誰が売っても同じように飛ぶようには売れないと思う。というよりも繊維関連なんて売り場に溢れているし売れるものはすぐに安いものが出回り、よくて数年よいときが続くかどうか。結局は、誰がそれを続けていくかというだけのことだろうと思うのだ。

昔、アメリカにいたときに、ホストファーザーが、売れないもの、すなわち需要のないものは一生懸命になっても売れる確立は低いので、商売で成功したければ売れるものを扱うべきだという商売の基本的なところをアドバイスいただいたことがある。親身かつ率直なアドバイス。反対はしないが、それでいてあえて需要の少ないものを残していこうとすれば、それは別腹てきな気持ちで続けていくしかないだろうと思うのだ。
2015年08月14日
今日は、仕事の段取りなどがようやくちょっと落ち着いたので何ヶ月振りかに京都。2時間ほど四条界隈の夏の店頭の様子を眺める。先日、ネットのお客様からリネン生地に関してのお問い合わせがあって、弊社の生地では幅が足りないということで、京都の大きな手芸屋さんなら生地をお持ちでなかろうかと思って、一度ご覧になられてはとご紹介をしたのですが、該当するような生地なかったということで、ご紹介をした私としては、一度、店頭の生地なども知っておかないとと思って京都に行ったついでに店頭を眺める。

手芸店の店員さんたちの対応がほんとすばらしいなあと感じる。リネンに関しては後染めの生地が主体で、店頭の前のディスプレイのジャケット生地がよさげで気になったが、その生地は置いてなかったように思えた。プリントで有名な海外のメーカーの綿の生地も置いてあったが、同じお店で、似たようなほかのメーカーのものが10分の一の値段というのも両極の世界が一つのお店にあって、広い層のお客さんを捕らえることができないとお店の来客も保てないのだろうと感じる。

次に、大手SPAさんの店頭を眺める。秋冬に移行しているが、大変だろうなあと思うのが新しい企画をヒットさせ続けないといけないこと。奇抜な企画が増えていて、ベーシックな良質感が以前よりも落ちてしまっている。鹿の子のベーシックな紺のニットポロのような一番買いたいものが1280円だったりする。

テイストがよければ値段は通るだろうが、新しい企画とはいえ、奇抜なテイストにはなかなかついていけないだろう。そういうもの、しばらくすれば1着500円ワゴン、数ヶ月すれば500円でも買うのを迷うというものをつくってしまうというのは、客観的にみてよい商品企画とはいえないのではないだろうか。奇抜な企画でもブームにまですれば勝ちで、それがヒットヒットメーカーの生業なのかもしれないが、値段は上がれど素材は落ちてきているという、一般のブランドの衰退と流れと同じ流れが見え始めたときに、SPAが成り立ってきた本質が消え始めてきたのではなかろうかと思う。優良企業となると、初心に帰れない事情もほかのブランドと同様にあろうかとは思う。これはまた日本という国規模や地場産業などにも共通する衰退の要因なのであり、大きいから安心ということもなく、大きいと逆に立て直すことは難しいのが常。
2015年08月13日
そろそろ外の世界はお盆休み。時間がとれず、無理いって、お客様にお盆休み中に来てほしいということで、午後からお客様。

朝5時から、リネンキッチンクロスと格闘。夕方にも織ろうとするが、どうも耳がうまく織れない。出来る限り綿の糸を入れたくないのだが、4本だけ耳に入れて、テンションが揺らぐと、一番最後から2番目のリネンの縦糸が切れる。夜8時頃には、体力は消耗し、半ズボンが腰から抜け落ちるくらいお腹が空いたあたりで、今日のタイムリミット出荷。

車に乗るとエアコンが快適。どうでもよい程度のことだが、そういうのが嬉しいのは健全なところからそう離れていない気がする。

夜中、シャトルの一号台の立ち上げ、横糸のヒガエカードや、縦糸切れ、横糸切れの調整をして、最初の一枚を正しく織れるかどうかの検討。横糸切れ、縦糸切れも、本気で調整をすれば30分ほどのことで正しく動くようになるものだが、現場というのは騙し騙しでその場を凌いでしまうもので、そういうのが技術が落ち、大きな問題が起こる原因だったりもする。

何の問題もなく、1枚が自分の頭でプログラムしたとおりに織れると、春の訪れを感じるような今までの注文を受けたときからできるかどうかという苦悩からの開放。こういうプレッシャーを乗り越えることができないと仕事は無理で、自分の力が足りないときには、なんどもやり直して時間を使うしかない。外が止まるお盆休み、思い切って時間を使うことが出来る。
2015年08月12日
親戚の方で印刷業界の方が久しぶりに会社に来てくださりお話。新聞に折込で、一ヶ月に一回、滋賀圏内の伝統産業系の企業紹介をしていて、林与も9月1日の企画でどうだろうかというお話。集落から引っ越されて久しぶりにお会いしたので懐かしい気分。先代かおばあさんの葬儀でお会いした以来くらいで、その方も私がどうしているのかというのもあまりご存知かなろうかと思えるし、私自身もその方がどうしておられるのかという辺りから。

その方もいっておられたが先代というのは、お客さんがお越し下さるとビールを出すというのがありがちな話。それで仕事も人付き合いも大体がうまくいっていた時代というのが過ぎてしまうと、商売としては通用しなくなるものだ。大手SPAのような動きが起こるのも当たり前で、すべてを越されていく、そういうのに早く気が付かないと傾く一方なのだが、悲しい話、先代がなくなるまでは変わることは少ない。

お前は信用がないから商売は無理だみたいなことばかり口走って、地場産業系にありがちな、誰もが見捨てていくだろう驕りだけが残る世界。朝からでもビールを差し出す度合いなども、アル中の典型ではあるが、そういうのをたしなめる人が回りにいなかったことも、先代の不幸だった。無くなる半年ほど前にある金融機関の新年の場で、地元の繊維関係の顔でもあった方に、お前は昔からどうしようもないアル中だったと、その人の本音をはじめて聞いて悔しそうにしていたのが思い出される。

そういう武器が通用しなくなった時代には、先代の力というのは消え果た感があり、何十年仕事していようが仕事一つがまともに出来ないジジくさいだけの世界。勢いのあるうちはよいが、落ちたときにはただのアル中。周りがそういう先代をよいしょしてきた一方で、戦い続けてきた自分であるから先代が亡くなった後でも仕事から逃げ出さない。先代が亡くなって初めて自分の場所がもてるというのも皮肉な話だが、自分の経験からすると地場産業や田舎商売というものに共通しがちな要素であろうと思えたりするのだ。

私自身が織機を動かすことを大事にするのも、そういう経験から。仕事の本質を失っては商売は語れないだろう。仕事の本質が何かというと、ほかの人がするのを嫌がることをするのが仕事で、だからお金がもらえる仕事になるというところ。その前に、お金を貰わなくても、ほかの人の嫌がることを進んでできる人というのは本当に強く、そういう人が仕事の素質があるのを感じ、仕事を生み出す、すなわち、お金を生み出す能力を持っているのだと思う。自分は才能があるとか特別な意識など持たないほうが目の前のものごとを正しく捕らえ形に出来ると思うのだ。国際的な競争も見えてくる。
2015年08月07日
地の利のない田舎では商売というのは本来成り立たないもので、人の利がなければならないと思う。今はそれがなかなか難しく、全国画一化の流れで、田舎の人だから特別の考えを持っているみたいな人も少なくなっている。これだと田舎が都会に負けてしまうのは当たり前のような気もする。

こういうのを考えると似ているのが、コーディネイターにアドバイスを受けてのものづくりとかで、売れればいいみたいな発想で好きじゃない。それと同じ効果は売れ筋を真似してつくるみたいなところで得られるだけのことじゃないのかと思えたり。田舎に乱立するコンビニやチェーンレストランを思わせる。
2015年08月06日
色味というのは不思議で、原色を使ってのものづくりというのは、白と黒以外はなかなか難しい、白といっても、黒といっても、白にも色味があるし、黒にも色味がある。一番売り難い色の一つが肌色ベージュ、これはそのままでは安っぽく見えてというか、きても裸であるいているように見えて、アパレルのシャツやジャケット向けでは売り難い。

色味で感心するのが、大手SPAの原色使い、ヒーローカラーで勝負しているなあと思えるが、私もカリフォルニアのディスカウントストアー「ターゲット」に始めていったときに、普段でも子供用のパーティカラーっぽくて、お店が華やかに見えたのを覚えている。たとえば、日本で通用していたのは昔のイタリアンカラーのベネトンだろうか。

着物の世界でも、シルクの世界は色華やかだったりする。麻の世界はワビサビの世界。しかしながら、林与も、昭和40年代にアパレルの世界に移行したときに、染からして、麻を綺麗に染めることを求めた。麻というと生成りを染めてボケた色味に染め堅牢度も悪く色落ちしても当たり前なのが、アジアや旧共産系のヨーロッパ地域の麻やリネンだったりする。麻を染めるのが難しいといわれるのは綺麗に染めるのが難しい部分で、日本の麻の世界の染色の技術というのはそれとは違うレベルを求めた。

それでいて、色使いがワビサビの色とすると、アジアや旧共産国にありがちなものとは別格の光沢のある麻に仕上がる。麻を追求した日本の染めの技術が生きる領域であろうといえる。

2015年07月31日
キッチンクロス用の箱が数日前に届いた。親バカみたいに箱を組み立ててキッチンクロスもいれずに喜ぶ。きれいに形になってて、箱だけでもかわいい感じがする。林与のロゴがいろんな箇所に入っている。これも、いい感じなのだ。

箱にはちょこっと林与の説明も入っていて、英語でも説明が入っているグローバル販売向けのボックスなのです。外国の方の日本土産や、外国に行かれる方の日本からのお土産にいかがでしょうか。

こちらの箱にいれるキッチンクロスはL25HD36cmタイプをベースにしており、洗い上げたあとのサイズで、幅36cmX長さ50cmのランチョンマットていどのサイズです。全国の実店舗の店頭向けの箱となります。この箱にいれたキッチンクロスは弊社のサイトでも取り扱いを予定しております。





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