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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2015年06月23日
常に思うのが機械は正直で、どこか正しくなければ正しく動かないものだ。機械をつくるときに、それを動かすだけのことを考えてつくるのと、その後のメンテナンスまで考えてつくるのとでは使う人にとっては大きく違う結果に結びつく。

安物買いの銭失いという言葉があるけども、今の日本の店頭に溢れるものがパソコン関連はそういうものがほとんどになってきている。トータルサティスファクションギャランテーを売りに30日間返品保証を謳ったDELLであったが、あれは買わせる為の嘘で、使ってみて高品位を謳う液晶があまりに暗すぎるので返品しようとしても、絶対に返品は受けませんよという返品拒否の姿勢から始まる。世界一を誇ったメーカーですらもがそのレベルで倒れちゃうのも当たり前。結局、その液晶は性能や耐久性にやはり問題があったようで3年ももたたないケースが多いというのが判明し、無理やり別の機種に交換してもらってそちらはやはり最初から液晶も明るく故障も少なく助かった。

今、日本のシャープというメーカーが円安の流れの中でも危機に瀕しているが中にものを作れる人がいなくなっているのが一番の問題だろう。社員はいても待遇もよく、そのよい待遇を振舞うために外部委託ばかりになって、残すだけの価値があるのかどうかすらも微妙。シャープのコピー機のセールスが、キャッチセールスに近くなってきていて勧誘の電話なんかが掛かってくるとシャープの存在自体が迷惑そのものに思える。

子供のころ、当時、家電メーカーとしては2流扱いだったが、シャープのパソコンがほしくてほしくてだった私にとっては、今のシャープの墜落は、一流企業化して駄目になったと思える。残念でならない。一般的に、優良企業からはよいものが生まれにくいというのは、厳しい話だろうが現実じゃないのだろうか。
2015年06月22日
今回、シャトル織機を入れることで、ジャガード織機が4台から2台に減る。林与のジャガード織機の何が難しいのかというと、問題は掬う形のレピアヘッドで、その出て行く横糸をカットするカッターの機構の調節が難しい。

じっくりと時間があるなら調節もそれほど苦ではないのだが、常に納期に追われているときに、カッターの調節一つがうまくできないと1日、2日の時間が無駄に流れていく。織物の仕事が織ることではなく調節の作業であったりもする。

一つの織物をつくるのに、平均2ヶ月から3ヶ月くらいの月日が流れ、それは一生のうちでも有意的な時間に相当するだろう。日本で織機メーカーが消えても機屋が残ったのはそのあたりなのだろうと思えたりする。織機というのは入れればよいというのではなく、動かなければ鉄くずで終わり、動かすたびに修理で何十万円も掛かる中古車に似ている。

あるお客様が言われていたのに、一千万円を超えるだろう機械にしてもメーカーの人が運用経験がなく、実際にその機械の運用上の問題を解決できないというお粗末な状態が日本の最先端に思えるテクノロジーの世界。会社が傾くほどに注文を受ければ機械の問題の続発というのも厳しく、仕事を受ければ受けるほど機械メーカーの問題がその機械を使う会社を苦しめる。

機械メーカーというのは優良な企業が多いのだが、問題を振りまいてしまっているケースは多い。たとえば、パソコン用のプリンタでも、うまく動かない問題を多くの方が経験されているだろうがそれで済ませるのが機械メーカーであったりする。機械自体に問題があるのが普通で、その問題解決の費用も使う側に負担させる商売になるのが優良な機械メーカー的な考え方であったりするものだ。

プリンターメーカーが本体無料で、高額なインクを販売するような機械メーカーらしからぬ商売に傾くのも日本的といえば日本的な商売。何年も使えるような正しいものを作ることよりも、騙されるカモ探しばかりしている優良?なメーカーが増えて、壊れ難いはずの国産製品が今は海外製品と同様に壊れて、その壊れるリスクも消費者が延長保証などの費用を負担してみたいな馬鹿げた話。プロが不在の今の時代。
2015年06月21日
織機の移設のために必要な道具を手配するため、大工センターで、チェーンブロック用のロープなどを購入、ジャッキも壊れたので新しくローダウンタイプのを2つ手配。崩れないように運べるよう工夫が必要。

運ぶのが難しいほかの理由に、織機の高さというのが、普段仕事をするのには少し高く、糸を通すなどの作業も昔の織工さんの背丈ではできないということで、床板を張って5cmほど床をかさ上げしてあることも織機の出し入れには向かない。

地元の工場では、ミザラを敷いたりすることはあっても、織機の部分以外の床を全面板張りにするところというのは少ない。そういうのが、林与が糸切れしやすい細番手の糸を織ったりするのには役立っていたと思える。

ジャガード織機を支えている横柱に裂け目が入っている。これは、自然に裂けたのではなく、ジャガード織機を設置したものの、あまりに振動が大きすぎて、織機を動かすと工場ごと揺れたから切断したということらしい。初めてやることにはいろんなことはつき物だという名残りだ。
2015年06月20日
今日は午前中大阪からのお客様。午後からは東京からの助っ人と一緒に3台目の織機の土台部分の解体。2時間ほどで綺麗に外に出すことができて満足。夜は動かすレピア織機の1代目を一番奥の開いたスペースに移動。

ジャガードを設置してあった場所の柱の間隔は、150cmで、148cmの織機を柱の間を通して移動する。柱の感覚も問題だがそれのほかに、織機を固定するアンカーボルトがあるのだが、それを切ってしまうと織機の移動は簡単なのだが、なるべく切ることなく、再利用できないかと。というのも、アンカーボルトを出ている部分の頭だけ切り落としてしまうと、再度穴を開けるときに、元のアンカーボルトの場所には、穴を開けることが出来ない。

4cmほど離れたところに新しい穴を開けようとするが、すぐに石のような音がして、深く穴を掘ることが出来ない。結局、アンカーボルトの跡に隣接して、新しいアンカーボルト用の穴を開けた。実際に、やてってみないとわからないことは多い。織機の



一台のレピア織機の重さというものは自動車の重さ以上だろう。吊り上げたり、持ち上げたり、押したりしながら移動をしていく。運びやすいように分解も必要だ。1台目はてこずったが、2台目からは経験ができたので要領よく動かせるようになるだろう。手伝ってくれた皆さんにはありがとう。
2015年06月13日
今日も昼のうちに、設置スペースをつくるためにジャガードを解体する準備(基盤ボックスを外したり、モーターを外したり)を昼のうちに行って、夜は、友達に来てもらって解体作業。ジャガードの2台目ということもあって、作業は1代目より相当早いスピードで。

工場の中の奥の織機たちで、かつ、ジャガードのある場所は、それぞれのジャガード織機の四隅が柱で囲まれていて、その2階部分にジャガードの機械がある。その柱があるがために、最大の柱の間の広さが1.5m幅しかないので、1.8mの織機を通すのが無理で、また、2台をすれ違わせることもスペース的に不可能。

解体してしまって奥にスペースを作ってから、そこにレピア織機を移動するという形にして、入り口周辺にシャトル織機を移設するスペースを作る。こういうことを考えると工場というのは、前も後ろも、シャッターにしておくと一番便利だろうなあと思える。

レピア織機というのは軽く一トンを超えるが、設置に関してはアンカーを打って、ネジ止めして固定が必要。設置後は工場内を自由に動かせるわけではないので、移設前にレイアウトはしっかりと考えておくことが必要になる。

今日で、ほぼ奥の3台の織機は片付いた。
2015年06月12日
今日も仕事をしながら、基盤ボックスや配線のチューブ、モーター、レピアヘッドのゴミを吸い取るバキュームなどをまた使えるように外す。モーターにしても電気を入れないと手で回すことができて、電気を入れるとしっかりと固定される不思議さがあり、よく出来ているなあと思う。

分解していて、今これを作ろうとすると家一軒を作るよりも大変じゃなかろうか。自動車の非じゃない丈夫さがあって、何十年も使えることを想定した一つ一つの部品。何十年も使えるものがゆえに織機よりも先に織機メーカーが消えていく。それほどに丈夫。

今の日本では少しのことが難しくなって、今回の解体にしても近くの何でもすることができるような人と出会えての幸運で、じっくりと考えながら準備ができるのはありがたい。仕事をしながら移設を並行してできるのも仕事がとまらない分ありがたいところ。
2015年06月11日
今、ばらしている織機もほかの織機と部品が共通なので、できる限り保守部品として部品を取る。本来なら織機をそのまま置いておいて、必要となったときに取り外して使うというのが一番簡単な方法なのだが、織機のスペースというのも、自動車一台分くらいはあるので、使わなくなった車を処分しないで保管しておくというのに似ていて、それが何台もとなると難しいものだ。

じゃガード織機の基盤の入っているボックスも、今回は2つ取り外して残そうと考えている。というのも、2年ほど前に、織機がきびきびと動くために使われているブレーキようの抵抗器が壊れたことがあって今後も壊れる可能性があろうから。

ジャガード織機を2台ばらすことになったが、ジャガード織機をばらすのはもったいない気もするけども、今は紋紙屋さんですら、紋紙の紙の入手すら困難を来たしている。外部に依頼している作業だけに将来も生産を続けていけるという保障がなくなってきている。

幸いにも、ジャガード織機のベースとレピア織機のベースが同じなので、共通部品も多いし、また、ジャガード織機も2台は残すのでそのための保守部品は必要で、思い切って分解して部品取することにした。
2015年06月10日
今日は近くの友達が来てくれてジャガード織機の分解。織機というのは自動車以上にしっかりと作られているものだなあと感心する。すべての部品が重くて、パーツ数も本当に多い。一台の織機をつくるためにこれほどの部品を設計しないとならないとと思うと、こういう織機も日本で作るのが難しくなるのは当たり前なのだろう。もう、レピア織機も日本では製造が中止となり受注生産らしい。

近代の日本の織物を支えてきた一つの部分が、日本の織機製造技術。織機だけでなく、周辺機械であるシュワイターやタイイングマシーンなんかも、それが動いているのをみると芸術的な領域であろうと思う。よい機械があってもそれを使いこなせるのかは別の問題で、下手な人が使うと何十年使う想定の機械も消耗品のように壊れていく。

ネジ一つにしても、何十年の命で、時に人の一生を超える寿命を持つ。使い方を間違えば、一回の開け閉めで使えなくなってしまう。今のネジなんかは使い方が正しくても材質からして耐久性がないので、開け閉めの繰り返しには適さないものがほとんど。昔の黒光りしているしっかりと重みのあるネジというものは別格だ。そういう技術が日本から消えるときに、日本の本質的なものづくりが揺らぐのであろうといえる。

リサイクルよりも、何十年も使えるようなものをつくって使うことのほうがエコであり、ものを大事にすることにつながる。ばらしたネジなども捨てることなく、残して再利用したいというか、希少な価値をもつもので売り場で見つけることが難しいものである。
2015年06月08日
日本においても国禁を犯して渡米した新島譲が、明治の開国に非常に役立ったところがある。仕事は頭も必要だが、体を動かすことが必要と常々感じて、おやっと思うと、同志社のロゴの知徳体を思い出す。そう、徳も大事な要素なのだ。そう思うと新島譲は偉いものだ。

でもなあと思うのは、今の大学にしても贅沢すぎる経営で、新島譲がアメリカで寄付を募ったときに貧しいヒトがなけなしの帰りの汽車代を寄付した話が美談としてあるのだが、そのときの徳が今の学校経営に引き継がれているのかという部分はあろうか。精神は美しく語られ生徒には求めるが、教える側や運営側が正さないとならないところのほうが多いだろう。

過去には、大学への寄付金を株で運用して多額の損を出したとかいう話もあって、人の善意を株に投資して寄付金を失うなんて馬鹿な話なのだが、英知をもった教授人?に取り囲まれている大学と言う場所ですらも、そんな基本の徳すらもが消え去ってしまっているのを感じる出来事。
2015年06月07日
生地の表情というかツラは加工方法によって変わってくる。同じ生機を使用しても生地の表情をまったく別のものにしてしまうことは可能だ。つくりたい表情があれば、それを目指ざす加工を施さないとならない。

麻の表情でも、国内で愛されるのがシワの形状であるのに対して、海外はシワの形状を嫌う傾向がある。傾向は傾向として認識を持った上で自分がどう提案するかを考えて行くべきだろうと思う。

売れないのは自分がつくる良い物を理解できないからだというみたいな考え方に陥ると駄目だろう。また、値段が2倍になると数量は10分の一になるといわれる?ように、高いものづくりを目指そうとするとそれを使えるターゲットは極端に少なくなることも理解は必要だろうと思える。

数年前、自分のものづくりはファンが多いとおっしゃられていた工場さんが、今は、仕事なく困っておられたり、行き着くところまで行き着いてしまってからでは打開策を見つけるのは難しいもので、危機感を持った経営は必要で、行き着いたところにいってしまった場合には、180度の方向転換が必要になることもあろう。仕事というのが面子の張り合いになりがちなのだが、本来そういうレベルのものではなく、和の精神で成り立っていた日本のはずが駆け引きが多くなりすぎている。

たとえば、ある商品が売れなくなったときに、その商品をやめるのかやめないのか、やめないのなら他の商品でそれを支えなければならない。本業の仕事が少なくなったときには、別の仕事をしてでも本業を支えなければならないのではなかろうかと思えたりする。本業というのを損得で考えると続かないもので、趣味とか哲学的な部分で成り立たせないと駄目なときもあって、他の新しいことでもやってみると本業の経営においても本質的に駄目な部分が何なのかみえてくるものだろう。

自分自身、数年前にアイリッシュリネンのプロジェクトを行って産地での織物が衰退する流れの中で何が問題なのか本質が見えた気もした。そのあとも5年ほど経って、いろいろな方と接するにそのときの考察は正しかった気がしている。
2015年06月06日
今日はシャトル織機の移設準備。工場内のスペースの確保のために、奥にあった使っていなかった3台の織機の分解を開始。友達が集まってくれて、夜中から始まって明け方まで、1台半くらいばらすことができた。

織機の部品というのは本当に多いなあと思う。それが組み合わさって、正しく織物を織るという一つの動作をする。織機が動いているというのは奇跡的というか芸術的なことなのだなあと思えたりもする。一旦、動かなくなったり、動かさなくなった織機というのは、再度動かすようにすることは、技術的にというか精神的にも難しいもので、慣れた織機を動かし続けている状態というのは理想的。

明け方になるとみんなお疲れで、続きはまたということになったけども、外にはたくさんの糸の山、それを整理するのがまた一仕事。糸というのもいつ使うかわからなくても捨てられないもので、こういうときに覚えておいて、いつか見本にでも使えるときがくればよいと思う。
2015年06月05日
今日は、内職をお願いしているおばあさんと夕方お話した。商店街も空き家だらけになってしまっているということ。何百年も続いた中山道の宿場町が消えつつある。同級生たちが跡継ぎして経営者世代になっているけども、販売という業種では成り立ち難いだろうと思う。まだ、ものづくりしているお菓子やさんなんかは、販路開拓を考え百貨店向けにお菓子を出荷したりと商品の独自的な要素が生き残りの要。

内職の方に教えてもらったのだが、地元の繊維関連の人の多い工場の中では、工場内内職がほとんどということ。正社員という形ではもはや成り立たないのが繊維産業であるというあたりも、行政の方も現状を解って産業が自然に存続できるような形を目指すべきだろうと思える。

日本で縛って海外のものが入ってくるのは自由というあたり、海外のものが自由に入ってくるのを規制するのは自由競争社会の観点から規制すべきではなかろうが、国内の自由でない要素を開放しなければ、国内では1から10を生み出すような仕事だけしかのこらなくなり社会が廃れて行く。中身のしっかりと詰まったものを国内で生産できなくなると駄目だろう。

技術はあってもそれを使うことが難しくなる。海外では麻100%のものが生産されて、値段が合わないということで国内では価格ががくんとおちる綿麻の混紡のものが作られるというようなギャップがある。海外の無名の企業がつくるものが麻100%で、国内のブランドが監修するものが綿麻の混紡ものでは高付加価値とは別世界。綿麻を謳うときに、麻の混率は10%入っているのが一番価格を抑えることができるのでみたいなものづくりもあろうかとは思うが、お客様からすれば、やはり逆のものづくりが日本製であるべきだと願うのだろうと思う。
2015年06月04日
昨日は、なんとか、クロネコで、加工出しが間に合う感じで生機が織りあがって、車で何時間も掛けて加工出しに必要がなくなって、ありがたい。通常、麻のものは産地での加工なのだが、今回はリネンウールで、秋冬向けで厚いタイプのものなので、ウールの得意な加工工場での加工をお願いした。

ほかと併用して織っているウールの糸が足りないのが判明したのが金曜日で、月曜日に手配した糸の到着が水曜日発送で木曜日の朝にしか届かないと言うぎりぎりのタイミングで、配達のドライバーさんが、新しい担当の方で、弊社へにたどり着くことができず、結局午後3時頃に糸が到着で、もう間に合わないと思ったが、計算でロスを多い目に見ておいたので、足りない量が少なくて、なんとか間に合った。

ブランドさんにも糸が届かない状況を説明して、週末を挟んで数日納期を延ばしてもらえた。申し訳ないことに、加工工場さんにはしわ寄せで急ぎ中の急ぎでの段取りを組んでもらう。地元に出した薄いタイプのリネンウールもそろそろあがってくる。そちらも急ぎで上げていただく予定を組んでもらってありがたい。

その薄いタイプも、ドビーの使っていない13枚目の引っ掛けの部分が磨耗して、ドビーを修理交換する時間も無く、13枚目を使わないように変えて織ってなんとか織れたり、この厚いタイプも織ろうとしたら2重織りなので、縦糸が緩んで織れないので、縦糸を張って織るのだが、端のほうがどうしても落ちてくる。いくつかこういうときのための細工をして、なんとか織れるようにするまで、半日ほど掛かった。

その修理の際に、レンチが入りにくい状況で斜めに入れて締めるときに、レンチが外れて、右手の薬指と小指がギアの角に当たり皮が剥けてしまって出血。この傷はかなり深い。傷口を水でよく洗って、布のガムテープ両方の指に巻いて止血する。不思議にこの方法は直りが早いだけでなく、痛みを感じなくなるので仕事が続けられる。かさぶたもできないし、ばい菌も繁殖しないので、キズが綺麗に治りやすい。痛い話ですみません。
2015年06月03日
今日は、倉庫の屋根の修理。瓦店で経験のある散髪屋さんが屋根に上ってくださった。最初は自分で修理しようとしたのだが、問題の側と言うのは、落ちると5mほどの高さなので、上手な人に頼んだほうがよいだろうと思っていつつも、頼める人が見つからずだったが、たまたま散髪屋さんとの会話で瓦屋さんで働いていたと言う話を聞いて頼んだら快く受けてもらったのだ。

一昨日に下見してもらって、雨が明日から降りそうだということで、心配して今日来てくださり、私は下から眺めるだけだが、かなり急な勾配のある屋根の上を命綱もなしに当たり前に歩いておられるのはさすが経験者。色瓦はよくすべると言いながら、まず落ちることはない、と割れた瓦の交換とコーキングでの修理と問題のありそうな瓦のチェック、瓦の隙間が出来ているところの修理を、簡単そうにやってくださった。

問題のあった箇所の反対側の屋根のほうは良く手入れが昔されていたようで、やはり、安全な側だったから、昔は従業員さんが屋根に上って瓦の交換をしてくれてたのをなんとなく子供のころに見た覚えがある。瓦がなんで割れるのだろうと疑問に思い聞くと、熱のためではなく、昔の屋根というのは瓦の下が不安定で、瓦がずれた隙間などに突風が吹きつけたりすると持ち上がって叩きつけられて割れるという感じのようだ。

屋根になんで小さな瓦をしくのだろうと考えると、たぶん、壊れると言うことを想定して、補修もしやすいように瓦なのだろう。屋根に重いものを置くというのはあまりよくないことだと思うのだが、風で飛ばないように瓦は重さが必要なのだろう。と考えてみたりした。
2015年06月01日
今日は朝から大阪の専門学校の学生さんが見学にこられ、最近は時間に追われすぎていて、具体的な案件を検討以外のお客様に対しては見学をお断りさせていただいていることが多いのだが、海外でのイベントに向けての素材探しという具体的な案件ということもあって、私自身も興味があって、学生さんたちが10数名来てくださった。

20歳くらいの学生さんたちが集落の中にいること自体が違和感。こういう田舎というのは、20歳くらいの人たちが一番自分たちを表現し難い場所なのだろうと思える。私自身20歳の頃にもっと自分の意思で動いていたらよかっただろうと思える。デザイナーを目指すという道を20歳前にして決断できるというのも、普通以上に強い意思と決断力を持っている証なのだろう。若かりし頃の20歳の頃の自分よりも彼女たちのほうが何倍も大人に思える。

たぶん、毎日にしても案外学生のほうがおっさんおばさんたちよりも厳しく生きているものだからだろう。こういう学生さんたちに話をさせていただいても、吸収できるような準備があるので、説明も本当に楽にさせてもらえる。
2015年05月31日
今日、近くの道の駅にたまたま立ち寄ったところ。野菜がおいてあるのだが、九州産の表示のものが多い??? 半年くらい前にみたときは地元のものばかりだったのに、道の駅で野菜を取り扱う目的が地元の地産地消のはずだろうけど。

地元で野菜が揃わないタイミングなのだろうか。大根なんかがかなり弱っている。みるものがないより、みるものが有った方がよいということも言えてるから九州から仕入れたものをおいてあるのだろう。生鮮食料品にあたる野菜には、原産地表示が義務付けられている。そして正直に原産地を表記しているのだ。正直なの立派。たとえば、他の地域のある地場産業のお店にいっても値札のついている見本は実際自分で作っているので売らないが、実際に売るものは海外産のものだったりというのが当たり前の時代。職人を束ねる親方がなにをやっているやらみたいな話で、海外産や他産地産でよい話になってくる。

けども、道の駅にとっては、原産地表示というのはやはり致命的といえば致命的な部分もあろう、私が感じたような、何で滋賀県の道の駅に九州の野菜がならんでいるのみたいな、いたしかたのない状態。でも、全国のおみやげ物やにならぶお土産の8割とか9割は海外産であったりするものだろうから、これはこの道の駅に限ったことではない。

産地産を求めると、それは自分で働いて作らないといけないということで、他で買うほうが安くて簡単であろう。道の駅が地元の実際の生産業者にとってありがたいだろうは、通常に流す過程で出来上がる余剰のものを流通させることができるチャンスが生まれるというところだろう。

セレクトされ、置くものを絞られ生産者の自由なマーケティングができなければ、生産者にとっては道の駅は重荷になったりするだろう。案外、売り場というのはバッティングを嫌
うものなので、置くものをセレクトしたがるものだが、そこが作るものと売るものとの立場の違いで、道の駅においても、売り場を立てれば生産者にメリットがなくなるということも起こりえるだろう。
2015年05月28日
今日はプレミアムテキスタイル2日目。全国からテキスタイル企業が集まる展示会では、自社のお客様との出会いのほかに、出展されている経営陣の皆さんとのお話の機会をいただけることが、大変参考になる。

直面している問題というのはみんな同じなんだなあと感じることができたり、また、やはりこういう場所に立っておられる企業さんというのは自分自身で前向きに動いておられるところばかり。
2015年05月27日
今日はプレミアムテキスタイルジャパン初日。朝から午後4時半くらいまではお客様が続いて、最後の2時間はお客様は少な目でした。午後6時半までやるという新しい試みらしく、私自身はいいなあと思えました。

今回気がついたのは、中国からのバイヤーさんの数の多さで、10組くらいは弊社のブースにもお越しです。滋賀県から工業技術センターの方が視察に来て下さり話をお聞きしているとセンターの中のレピア織機で麻を織っておられるそうで、何か面白いものを作ろうとされているのだろうかと。

別件では、あるお客様とのお話の中で技術的な問題で同じ印象をもたれていて参考になることなどもあったりして、こういう問題を改善していかないといい感じのものは作れないという気持ちは同じだなあと思えます。
2015年05月23日
今朝は、朝、浅草寺参り。林与としては、観光するにしても情緒のある場所が好きで、浅草というのは好きな場所の一つなのだが、5年ぶりくらいだろうか。変わっていないようで、スカイツリーが見えたり、浅草寺周辺も綺麗に整備されたりと、変わってしまったところ感じる。小綺麗でないと観光客はなかなか寄り付けないものだろうけども、改築されたり新しく作り変えられたりすると本物らしさがなくなり残念なあ。

10時に会場入りして、キッチンクロスなどの小物の準備。今日は、11時から4時までの短いオープン。お昼過ぎから2時くらいがピークで、3日間、天気にもお客さまに恵まれ、良い感じに東京テキスタイルマルシェは終わった。

テキスタイルマルシェを通じて感じるのは、次の世代の方が活躍されているということで、ばくっと40から50くらいの世代が私の世代だとすると、20代から30代の世代の人の活躍の場があるということがいい感じ。もちろん、年をとっていても良いのだが、ハングリーな精神がないと布には価値を詰め込むことはできないなあと思える。


2015年05月22日
今日は東京テキスタイルマルシェ2日目、昨日の夜はようやくゆっくりとホテルで眠ることが出来て、すがすがしい気分で会場入り、昨日の準備では、十分に準備し切れなかったところがあったので、ようやく、用意した「リネン」「本麻」とかの文字も今朝ダンボールに貼り付けた。

朝からお客様が続いてご紹介をいただくケースも多く、お話を十分にさせていただけなかった感じもする。たくさんのお客さんに来ていただけ多い目に生地をもってきた甲斐もあったというもの、ネットのお客様も何人もお越しいただいて、ネットではなかなか生地の質感というものは伝わらないもので、お伝えし難いものなのと、林与の作っている麻の全体的なイメージを感じていただけたのではないだろうかと思ったりする。

デザイナーさんや業界の方なども会いに来て下さり、お話できる時間があまりなかって、また、PTJも27日、28日と東京国際フォーラムなので、そちらのほうが落ち着いているかもと思いますので、生地の企画などに関しては、27日、28日東京国際フォーラムでのPTJにお越しいただけたらと思います。

PTJも2日間ブースに常駐している予定はしておりますが、お客様が重なるケースが多いので、じっくりとお話を考えておられるお客様がおられましたら、27日、28日とも、閉会後の午後の6時半以降8時半くらいまでの間でしたら開場近辺の場所を見つけてお話も可能ですので、お問い合わせのほうからご連絡いただくか会場でご予約ください(各日各1件から2件だけになってしまうと思います。)。
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