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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2025年01月20日
これからの分か世代の人には週に40時間働いて成り立つような仕事のほうが良いだろうと、織物の仕事というのはその程度の仕事時間では食べていくのも難しい話が普通。まあ、無理をして織物の仕事もしないほうが、やったとしても問題ばっかりになるだろうし、一つの生地を織り上げるのにも1時間に1mほどしか織れないものも多いし、キズが近い感覚で2か所はいるだけでそれまで何時間かけて織ったものも駄目になってしまう。

織るだけでもそのような手間だけども、織る前の準備工程といわれる整経作業も一回勝負の仕事で、ちょっと失敗しましたが許されない。あと加工出し前の検反さぎょうも、糸を縫ったりも必要で細かい作業。でもそういうハードルの高さがあるから、織っている林与でも1枚のキッチンクロスにでも価値を感じる。

今の時代のアパレルでの展示会ベースでの生地開発というのは時間的にも受けることは難しいような状況で、織れるか織れないかが本当に微妙だったりすることも多い。オーガニック系の糸などは特に回を重ねるごとに糸質が弱くなりがちで、正直なオーガニックなんだろうとは思う。でも、そういう糸って、織ることも本当に難しい糸で横糸に使うくらいしか使えないとかで、高い糸なのに非常に残念。

白無地で織るというような想定の糸が多くて、先染めで経糸に織るという織物となると難度が極端に上がってしまう。10年ほど前には、中国でも大手が70番手くらいまで先染めで織れるようになって、林与は150番手の先染めを特別なモノづくりとして織ることができていた。今は、糸自体も150番手は入手も難しくなっているけども、入手できたとしても織るのは相当難しくなっているだろう。100番手も先染めでは今は無理になってしまっている。

経験が出来るときにそういう経験もしておけて良かったなあと思うし、そういう経験は自分との戦いのような世界。どこまで追い求めるかをとことん追い求めて、まったく織れなかったものが、突然何事もなかったかのように普通に織れ出す。春の雪解けのように思える瞬間。今の時代には、そういう経験を積むなんてことも織物業界にいても難しい。糸を機結びで結んだり縦繋ぎで繋ぐことも難しいくらいの糸や糸を触るだけで壊れてしまうような糸も案外多いから織れる方が不思議だけども。そういう経験というのは今経験しようとしてもチャンスもあまりないだろう。

切れにくい糸ならシャトル織機もそれほど難しくはないかもしれないが切れる糸で柄が入ると、横糸切れすらも、柄ズレの起こりやすくなり、シャトル織機のドビーの構造というか、横糸切れの時のドビーカードを戻すことやギアをもどすこと、慣れでできるようになるとかでもなく、最初から正しくできることが当たり前とおもって、最初から毎回正しくやる人だけが織れる織物だったりもする。柄モノを織ることは麻糸は切れやすいゆえに非常に難しい。
2025年01月20日
織っているものが経糸切れがひどすぎて、織っても織ってもキズになって試行錯誤しているが、今日、おもりを3個手に入れたので、おもりを増やす作業。3個手に入れたおもりが、思っていたのよりも小さくて、いつも使っている錘は30kgあるものなのか、まあ、3個手に入れたので、3個余分にかければ、30kgの錘2個に相当するので、同じくらいの負荷は掛かるだろうし、小さい方が調節もしやすいが、小さいと跳ねやすいので、駄目なら30kgのをまた探そうと思う。

昔は錘も1個送料別で3000円から6000円くらいが相場だったが、30kgの錘となると送料込みで20000円くらいになってしまっている。一つの織機に6個も30kg級のが必要とかで、180kgもの負荷を掛けて消極送りにしないといけないというのは初めての経験で、今までは120kgくらいが最高だったと思う。30kg級のおもりをいくつか思い切って昔に安く手に入れて置けて良かった。錘もぶら下げれ安定するためには形がすごく大事で、短冊状にならないようなまっすぐ下に落ちるような形が大事。片手で持ち上げようとしてもなかなか上がりにくいくらいのイメージ。

昼過ぎに3個届いて、1個プーリーを増やして、そこ増やしたプーリーに20kgのおもり3個を掛けるのだが、ステンレスのS字フックが足りないので、S字フックをステンレスのロッドを万力でまげて作る。経糸が強く張られ過ぎているように思ってはいたので、増やすことは考えていなかったが織前の布が緩むようなタイミングがあって、それを見るとおもりが足りないのではないかと思っていたが、とにかくやってみる必要があるので、とりあえず3時間くらい様子をみているが、今までよりは一番安定して経糸切れも少なくなったような気がする。夜に10mくらい織ってみようと思う。とりあえず、一休みしてから。

錘も全部で20個くらいはもっているけども、13kgから15kgのものは役に立たないことが多い。この前も機料やさんが3.5kgくらいのおもりを持ってきてくださったけどもそういうのは、レバーが長く伸びててこの原理で3.5kgでも10倍くらいの力が掛かるようなタイプで、そういう錘は会社のなかに何個もあって、その倍の7kgのもあるけども、寄せ集めても、一つが30kgのタイプにはまったく敵わない。持ち上げるのが難しいような主背が必要で、S字フックに掛けた時に左右に広がらずなるべく床の数センチ上までまっすぐに落ちるような形。長さというのも安定させるためには大事で、なるべく重心は下の方が錘としては安定もするので、重い30kg、20kgのおもりを一つの織物に全部使ってしまうような1台限りしか動かせない状態で、他の幅の狭い織物も動かそうとすると30kgクラスのおもりが4個は必要となって来る。高密度もおもりが30kgが数個必要で、しっかりと詰まった片手でギリギリ持てるくらいの30kgの錘がいっぱい必要だったりする。
2025年01月20日
物事を続けていくためには損得を考えていては続かないし、思い入れがないと特別なものなんて生まれてこないどころか、やれば問題ばかりでやったことを後悔するだけだろう。アイデアだけで皮算用して誰かがスポンサーをしてくれるような感覚で、生地を作る話を持ち掛けられることも多かったり、特別な布を欲しいと言われながら、いつでもどれだけでも欲しいだけ手に入る値段も手ごろな布はありませんかみたいな話とか。

そういう布なら普通に大手のネットショップの量産タイプの普通の生地が適しているというアドバイスをさせていただくしかなく、一般の方でもそういう無茶のことは言わないのに、プロでやってられる方がそういう感覚というのも、他の手ごろな生地を扱ってられる業者さんをご紹介するのも業者さんに迷惑が掛かりそう。

大手の生地商社がやりがちな話に、作らせて買い取らないという汚い手口で、機屋を困らせるのは分かっていて、何百万も困らせてお願いだから買ってくれというのが当たり前みたいな感覚とか、繊維の大手にしてもヤバいところはたくさんあって、それだから儲かるだけのことで、利益の元手はお金は全部機屋のお金だったりする。何百億もやっている大手繊維問屋はそんな感じだったりのところもあって、利益があがる話。

買わないと言ったら困るだろうと思っているから、買わないなら自分で売りますからいいですね、と確認して、林与が林与の生地として自分で販売した。そしたら1年とかあとに生地を出荷してくださいといってくるので、もうないですよという話。なんで売ったんですかと、ちゃんと確認もしましたよね。ほんと、そういう汚いことを大手の繊維問屋さんがやっちゃってるのが普通のことで、その生地は日本のこだわりを世界に謳うブランドさんが発注したもので、まあ、ブランドさんもブランドさんで、機屋が幸せになるだろうと思っておられるのだろうけども被害が広がってるだけのこと。

笑える話が、その後も、その大手繊維問屋の部長がブースに新しい担当と来られて、こういう話をして、御社とは仕事はしないと決めていますと伝えるが、部長が今度は絶対にそういうことはしないからと300mの仕事を受けて、また、作っても今度も一切出荷させない話で、日本の繊維業界の大手生地問屋で日本の繊維業界の大手にはあるんだなあと。3年ほど経って、こういう話を新しい部長に話すると、自分が解決すると言われ解決はされたが、日本の繊維業界の大手生地商社がそのようなやばすぎる状態で、利益を上げてるだけのこと、まだそういう人たちが日本のこだわりのブランドさんとやってるから、こういう話は似たように他の大手の繊維商社で聞くこともある。

今後一切、御社とは商売はしないとその部長にも伝え、その100万分の生地も、一部は自分で販売して半分くらいだったかは、引き取ってもらってだが、日本の繊維業界の闇というんはホワイトにみえる大手繊維商社の当たり前の業務スタイルだったりして、ほんと元気に生地の展示会に出ておられる大手商社の中にもブラックな側面もある。そんなことやってたら金儲かるの当たり前。日本のこだわりのブランドもそいういうえげつない商社がないとお金が回らないという現実があるとは思うが、そういうのは覚悟もないものづくり。

他の大手の商社とも商談もして、2週間で展示会があるというので、プリント工場さんにも事情を話して全面協力してもらって、それで生地も作って報告すると若いデザイナーがセールスが売る自信がないっていってますとか、大手の商社で若いデザイナーさんだったから、仕方ないのかな、50万分くらいの支出で、50mのサンプル生地が2つ残る。大手生地商社だとその程度の駄目さが普通にあったりする。生地は林与が販売することにしたが、ほんと商社の生地を製品を販売したりする能力というのは、無理して値段を下げる協力してもブランドさんにも販売能力がないとまったく無理。ほんと協力してくださったプリント工場にも加工工場さんにも400メートル程度の量産の量産の想定で続いてキャパも明けてもらっているのに流れて迷惑をかけるだけの話になり、経験の浅い若いデザイナーさんだとそういうのも商社の部長も立ち会いながら普通にありだから怖い。損得も考えずにお金が回ればよいと思って、
若いデザイナーさんを助けようと思っても結局、50mづつのサンプル生地を抱えてしまって自分で販売して見本コストなども含めて解決する話。生地だと簡単に1m30ドルで海外で売れた。それでも費用的にも持ち出しで、働いた分なんてどころか解決することまで、普通の機屋さんだったら地獄だろうと思うけども、生地を売るということはそれほど難しいことでもなかったりするのが普通は見かけないような特別な布や商品。

繊維関係の人たちというのは布に対しての思い入れが強いので、自分用のお土産用などに買おうとしてくださる方というのは多いから、商品までにすると、生地として売るのは難しくても、商品として見せると買いたいと思ってくださる方は多い。生地展なのでアパレル展とか雑貨展じゃないので、邪道だけでも、布を商品にまでして良い感じに見せるというのは、それなりの試行錯誤も必要で、日本の繊維業界でもそういう環境がなかなか難しく、社内でそういうのは自分で簡単に試行錯誤してできたほうが良いと思う。繊維業界にいても自分でそういうことをする人がどのくらいいるのかというと普通に時間から時間はたらいてサラリーマンで終わるケースがほとんどで、週末に自分でそういうのをやる人というのは珍しい。そういうのを自分でやるのが当り前くらいでないとモノづくりに対するプライドもわかないだろうし業界の話にもついてゆけないだろうと思う。普通の作業が当たり前にできるという力は大事で、そこをおろそかに企画してもそれを売れる形に誰がするのかという問題が残る。その部分が日本では試作の時点からして業者さんでは難しかったりもして、業者さんで無理な時には自分で解決方法をみつける必要があったりする。

また、基本をやっぱり守っていないものというのは、販売すると問題だらけで、たとえば、布を切っただけの、きりっぱの縫製してないハンカチとか。いくら簡単に作れても、そういうものは販売しないほうが良い。あと、生地だけ買ったら製品には自分でするから生地で売ってと言われるケースも、製品までするのにそれなりに試行錯誤も必要で問題が起こるか起こらないかも、やり方によっては一つ間違えば全没な話になる。だから、生地は生地として販売したときには、製品にするサポートはしないほうが良いことが多い。当たり前に、製品にするまでに問題がいっぱいおこるし、その方が経験あって作れる方なら自分の仕事として解決をしてゆくべきだろうと思う。

ぱくり業者的な人だと、いい感じの商品をみるとその生地をどこで手に入れたとかどこの業者に頼んだとか平気できいて自分が似たようなものをつくって販売したいと思ったりで、そういうのは販売している方に失礼ながらも学生気分の方だとそういうの一生懸命に聞こうとされるが、学生だから許されることでも、社会人になって仕事としてモノづくりしているものがそれを聞いて同じようなものを作って売ろうとするとかは、どうしようもないほどの駄目な話、そういう人ほど、問題が起こると聞いた人や助けてくれた方に責任を押し付けたり、業者さんに無理難題や補償問題まで当たり前に考えていたりするから、ぱくってお金を儲けたいだけのような方が関わってクリエイター気取りだと関係する業者さんまで困る話になる。たとえば、ケアラベルなども自分が商品を企画するなら洗いテストなども自分自身でやってみてどの洗い方なら大丈夫なのか考えないと、生地のケアとは、製品となるとまた別の話になる。

林与自身も生地を生地として販売する時には、何に使ってよいのか分からない人には売らないようにしていて、ガーゼストールの生地で洋服をつくりたいと言われる方が、今まで100人以上はおられたけども、それを聞いて、スリップするし、縫い目滑脱が起るからアパレル向けには不向きですということは、あとの問題を考えて話すが、本来ならものづくりする人なら、一度くらいは失敗もしてみて、当たり前にそういうことを理解していないと、でもそういう経験を積むこともなく、今はものづくりの企画の方も多かったりする。1回でつくって完璧なんて無理という当たり前の感覚ももたずに、人から聞いてばかりで誰かに頼れば、それで売れるものが出来上がるということはまずないし、どっかで大きな問題に引っかかるモノづくりにつながる。試行錯誤とテストというのはすごく大事なのだけども、そういうのを行う環境が日本にはなくなりつつあって、海外の安くつくれる企画だと10回に1回くらい駄目でも捨てれば終わりですむけれど。それでどれほどの業者さんが大きな失敗を経験しておられることかというのもよく聞く話。日本でも麻に関しての染などに関しては問題も多いので、その辺りを理解しているお客さんでないと、それなりに堅牢に染めてくださる業者に頼んでいたりするけども無理ということもあるので、色の濃さを求める時には、そのあたり堅牢度に対する知識も業者さんとしては理解いただきたい。染めるのはどこでも染められますからみたいな業者さんもおられるけども、色落ちなどを気にしなければどこでも染められるけども、百貨店に置いたり、高級ブランド向けに商品展開するなら、そういう言葉は出てこないはずで、作品的なものづくりだと色落ちしてもしかたないという話にはなる。また、草木染なども本当の草木染ならば、耐光堅牢度というのどうしても悪い。麻の生成りの生地も対光堅牢度は悪く、色抜けみたいなことが起るので、草木染のものに憧れて実際に問題の意味が分かっておられないと、百貨店に畳んで置くとか、窓際の明るいところにディスプレイすると一部の色が抜ける現象が当たり前に起こる。色抜けではなく位相するという現象らしく、色素自体は残っていても色素自体の相が自然の色に近づいてゆくということらしい。昔の草木染というのは、染めては干して、染めては干して、で堅牢度を上げたといわれていて、今、そういう工程というのは、何十年も使う文化財級の物を染めるときなどくらいしかやってはいないだろう。水洗いにも弱いのも特徴で、水で洗うという行為自体が晒すということにつながるので、色落ちにつながる。藍染は洗った後に空気に触れて色が濃くなるからまだましだが、水に長くつけすぎると藍染のものというのは色が抜けやすい。染め直しするとかも想定して製品を作ることも一つの方法で、お金を払えば染め直ししてくれるような業者さんで染めるとかが一つの方法だろう。もちろん違う濃度にあがって来るのが普通で、染めたのと同じような手法で染め直しすると濃くなるんじゃないだろうかと思う。
2025年01月10日
仕事で道具が大事な時もあるけども、道具も手軽にどう用意できるかということも大事で、パソコンなんかも、10年以上前に発売されたノートパソコンのシリーズを壊れては中古で手に入れて使い続けている。前の5月に思い切ってスマートフォンは新しい5Gのタイプにすることにしたけども、失わないように600gもある普通の3倍の大きさのスマートフォンで、失いにくいのがよいのと、バッテリーが普通のスマートフォンの5倍くらい長持ちすることで、ノートパソコンでデザリングしても数日使えたりする。

今の新しく買えば業務用のノートパソコンとして30万くらいはするものとスピードやできることというのはほとんど変わらないように、SSD化してメモリも増設してはある。どんな高いノートパソコンを買っても、不具合みたいなことはあるので、その時に自分で高価な30万するものを分解できるかというとリスクは高いが、中古で1万円で手に入るものなら、自分で改造して自由に修理も可能で、データなども修理に出して消えてしまうこともない。コパイロットも、ウェブ版がすごく便利なのでコパイロットPCは必要ないという結論に達した。どう考えてもノートパソコンだと学習能力に差がありすぎて、外の世界の情報を瞬時にウェブから取り込んで学習して答えを答えるというのは難しいだろう。

AIの自動画像生成や動画生成などに興味があるけども、それも、最新の機材を手に入れてというよりも、3年くらい前に10年前のワークステーションを買ったので、それを活用することにしたい。10年前のデスクトップパソコンでも、当時のワークステーションの最高峰レベルだから信頼性も高いし36コア72スレッドなので、今の最新の高性能なCPUとそれほど変わらない処理スピードを持っている。単なるスペックの凄さだけでなく、信頼性というのはすごく大事で、普通の個人用のパソコンというのは1年電源入れなかったら立ち上がらないことが多いけど、さすがに、信頼性の高いパーツを組み合わせてあるので20年とかは使えると思う。使いたいソフトを走らせるためには、グラフィックボードも16G以上のものが必要ということらしいので、それはまた買わないといけないかもしれないが、それも3090あたりが中古で手に入ればよいのかなあと思う。

思うのが、田舎でくらしていて、また繊維業界にいて、今の時代の最先端みたいなものとの接点みたいなものは持ってることは大事だろうと思う。昔子供のころにパソコンでBASICという小学生にでもわかるプログラミング言語があったけども、今は、初心者向けのプログラミング言語がpythonみたいになっていて、基本はBasicににていて簡単だけどもライブラリーみたいなものが多種多様にウェブで公開されているので、それをインストールして、自分のやりたいことをどうプログラミングするか、活用例やプログラミング例を見ながら、実践しながらそれぞれの機能を覚えていく形。小学生や中学生には、コマンドプロンプトとか関数の定義とかモジュールの概念は難しいと思うので、昔の子供以上に今の子供たちというのはプログラミングを勉強するのも大変だと思える。コンピュータは進化しても道具的なままで、人がどうやってそれを活用するかで、活用する人の能力がよりも求められるだろうと思う。今の時代の小学生や中学生は大人がまったく理解できないようなこともこなして行かないといけない恐るべし存在。

今のような、世界共通で無料でいろんなことが誰でもできるようなコンピュータの世界というのは、恵まれない国の人々にもチャンスを与えるだろうし、逆に先進国が働き過ぎは駄目だとかいっていると、海外の人々にどんどんと追い越されてゆくだろうと思う。日本の大手企業が結論として海外企業に買ってもらって倒産を避けるというのも、もう日本の優位性というものはなくなって、30年前でいうイギリスのような国に落ち着き始めているのだろう。

高校で配る性能も高くないタブレットが20万とか笑えるほど、2万円のタブレットでも同じようなことはできるじゃないかと思うし、原価も2万くらいのものなのだろうが、アベノマスクみたいな感じなのだろうか。そういう狭い世界に閉じ込められて子供たちの家庭を苦しめてどうするんだろう。環境をつくること自体が日本の昔の行政的なやり方で遅れすぎている。2万の市販のタブレットでも十分だろうと思うし、それが実践的なパソコン学習。市販だと2万で手に入るものを20万払わせて逆にチャンスを奪ってしまってるあたりが流石、日本の政治家やお役所。
2025年01月10日
オーガニック偽装も品質偽装も産地偽装もそうだけども、それが謳いなのにそれが偽装というのも、日本では現実を超えた厳しい基準のものが流れて売れていて人気でシェアをしめるけども、実際にはそういう謳いが偽装であることが何十年でNO1シェアとかで、偽装の元になっている、厳しい基準こそが偽装しないとクリアできない根源になってしまっていて、日本の大手自動車メーカーもどこも偽装ばかりだし、日本の大手鉄鋼メーカーにしても偽装が何十年で日本でNO1で実はJIS基準はクリアしてるから大丈夫だという。JIS基準のネジやボルト的な鋼材なんてほんと、数回使うと笑って遊びがでるようなもので電動の工具で強く閉めることもできない。

日本は基準が厳しすぎて偽装が横行する、偽装してありえない基準や認証を得ているみたいにみせないと生き残っていけないみたいな、偽装がより高い基準を生んで、より高い基準を求め、偽装が加速するというような、ほんと消費者騙し的な一番駄目なことは行政も主導しているようなところがある。素人な人たちが偽装をしたものがクリアしているからこれが当り前みたいに、それを基準にするとまともに正直にやっているものが、基準もクリアできない駄目なレベルで粗悪品業者になる。でも、産地偽装して安く売る業者や、ブラックボックスな大手のビッグモーター的な消費者に安心を謳って犠牲にするビジネスモデルばかりでは駄目だろうと思う。

基準をクリアしながらも修理ばっかりで消費者は買い替えや費用負担ばかりをメーカーに、買い替えたほうが安いですよみたいな話ばかりの長持ちもしないものが、厳しい基準では溢れまくる。厳しい基準を信じたのに消耗品的に買い替えを促されるような維持ね酢モデルそのものが、実態という情けなさで、まともなものはホワイトな働かない世界では当たり前に難しいという実情もある。ホワイト社会を目指すと自分が働かず、一番ブラックな体質になりがちなのが今の世界的な、ジェノサイドを引き起こさせるような先進国の働かないことをホワイトとして貧しい国の責任に投げやって、何千億もの利益をすごいことみていにホワイトみたいに、世界的には人々を犠牲にして、何千億の利益がなりたつ先進国型のホワイト、それが、世界で働いている人々のブラックな環境との表裏というだけ、これは本当な話で、分かち合う気持ちもない人がホワイト気取りでやるから、何千億もの利益が生まれ、繊維業界でも、たとえばアベノマスクが典型だったこと。

アベノマスクにしても、外国の人た作ったものだけども、残ったとしてもゴミじゃないのにそれがゴミみたいに、ほんとそういうのが、日本のアンエシカルな感覚そのもので、自分さえよければ他を利用して儲けたりできればよいだけのビジネスモデル。アベノマスク配りながら布マスクを否定したりとかほんと、それは人の命を救うことすらも考えていない人が金儲けのために、N95でないとむりだとか、N95マスクは逆に1枚5円で作れ1時間も付けたら呼吸もできないといわれ健康を害するといわれるもの。布マスクの方が昔から人々の命を守ってきたが、医療関係者がそれを否定してどうするの、医療関係者もコロナを抑えるよりも、マスク不要や害悪論を垂れ流して蔓延させるようなことやって、蔓延させてしまったらどうしようもなく、人の命がカネもうけの材料になっては駄目だけども、そういうのも日本の現実だと思う。

人の命を救おうという人ほど金儲け主義に走りすぎて、当たり前のことをご用学者を利用して駄目だと否定する。ほんと人間の命って考えてない人たちが、人々を救うとか言って、金儲けばかりなのが今の先進国日本の実情で、コロナなんて結核と同じで、空気感染もするし、ますくとか、隔離で防ぐしかない当たり前のことなのに、なぜか、医療関係者がそういう当たり前のことも否定して、金儲け的な合成繊維のものだけが人々の命を救うみたいな話。実際には合成繊維のマスクというのも息が据えればコロナは布マスクよりも防げていない可能性も高い。

布マスクは布表面に水分があってコロナウイルスが呼吸もできながらとどまる可能性もある。いくら合成繊維と言えどもコロナにしても人間の自然免疫との兼ね合いて程度問題。布マスクだと救えるけどもフェイスシールドでは救えないことのほうが多いのに、マスクは有害でフェイスシールドは有効みたいな政府見解とか、コロナを逆に広めてしまったどうしようもない話。普通考えたら分かるだろうに、変な糸を持ってフェイスシールドビジネスで一儲けしたいと思うとそういうのやってしまう。
2025年01月09日
田舎にいると外の世界との接点があったとしても特定の人だけでしかなく、やはり不特定多数の人と出会うことも大事で、実際の仕事の中身などは自分自身での情報発信ということが非常に大事だなあと思う。今は工場見学なども行っていないし、展示会なども出ることも少なくなったけども、いろんな方と出会うことで、繊維全般に関しての知識も高まるし、それがあって世間話というのではなく、技術的な話など本当に疑問に思っていたことなどを麻業界とは誓う方から他の繊維について教えてもらうのが役立つことも多い。

そして、自分自身もたとえばプリントをやったり、自分で生地染をしてみたりとか、それの自分の経験も応用して、本職の方に染めてもらうとかすると、本職の方がやるありがたさみたいなものも分かるし、本職の方の説明を聞いても自分の経験と川根合わせることができる。自分で布を縫ったりすることもあるので、ミシンとかに関しても扱えることがものづくりには役立って、なんでも一番器用にできるみたいなのを無理でも目指そうととことんやってみるのは良いことで、最初から自分には無理と諦めるよりも。やるだけやってみて諦めるほうが良いだろう。

一つのものを作るときの試作などでも、自分で縫ってみて強度などを試すことも可能だし、よりよいイメージのものに作り上げることも可能だし、量産する時のたたき台を自分自身が、それなりに形にまでできるというのはすごく良いことで、どうやれば無理そうに思えることでも可能になるかとかも考えることができる。

いろいろと広い分野の知識というのは問題解決にも役立つことが多くて、何か商品の企画をしようとするときに、本当にいろんな角度から商品というものを想定しておかないと、一つの弱点みたいなところが、商品そのものを駄目にしてしまうことがよくありがちなこと。ブランドとかを立ち上げたい人にもいうのが、アイデアだけあっても、つくったら怖いことになるから、自分自身で試作までする力があって試して大丈夫なら、企画一つもなんとか成り立つかもしれない。それでも知識もなくものをつくると大きな問題につながることは多いから、布というのは後から解決するというのは本当に難しいことで、それなりに問題点も理解しながら、触って観た感じだけが良い悪いの話じゃないという大事な部分。慎重にやってても見落としがあるかもしれないのに、簡単に思って大丈夫だとやってしまうと大きな問題につながる。

あるアイテムを企画された会社も、生地自体は問題がなかったのだけども他の生地と合わせて使ったりすることで大きな問題になってしまわれて、それぞれの素材の問題点などもよく知っていないと、後から解決しようとしても大きな問題になりすぎる。新しい所品を気軽に企画みたいなのは、問題を拾いやすく、新しい素材を求めるばかりの業社さんも織られたりするけども、一つ一つの素材を製品に仕上げるときに見えてくる問題が当たり前にあったりする。

麻で怖いのはもっと薄く柔らかくとかで、縫い目滑脱とかスリップの問題といわれるもの、収縮率の問題。堅牢度の問題にしても濃色を本当に濃色にすればするほど問題は大きくなる。林与の場合、濃色は濃色にしていることも多く、林与の麻生地が他の会社の麻生地よりもぼやっとしていない、スカッとしていると言われるのもその辺り。微妙なことだけど、そういうのが野暮さにつながってしまうので、安全を求めれば、本当の濃色は避けたほうが良かったりする。タオルカラーとか言われるものがあって、淡い黄色やブルーやピンク、若い系の感じの色だとそういう問題は起こりにくい。色の濃淡の差によって、糸の収縮率の差が生まれ、バブリングする減少なども最近はよく見受けられる。

麻のチェック柄らしい先染めがだんだんと難しくなってしまってきているのもその辺りの問題もあるし、怖いのは織っているときにシャトル織機とかだと、色によってすでに、幅が狭くなったり広くなったりするから。幅がせまく織れたり広く織れたりしててしまう。生地企画というのはたとえば、インチ縦横何本と決めても、それ通りに居りあがるかというと、経糸のテンションが強ければ引っ張れて織れるので、幅が狭く織れ、横糸密度は高く織れる、経糸のテンションが低ければ横糸密度は同じギアでも低く織れる。

普通現場の織っている人がこういうことを考えることは少なくて、織れるか織れないかだけだけども、問題が糸にあったりすることもあって、特に支給の糸の時には、別の対策を講じるということも難しく、苦労することが多い。支給の糸というのは織れればよいけども、色によって糊付けなども差が出て来て濃色は糸も弱いし織れないことが多かったりする。織機の綜絖に糸を通そうとすると隣の糸がぽろぽろときれるとか手で触るだけで伸度がなく切れてしまうケースも多い。
2025年01月09日
昔先代なんかは、会社の車を5台買うにしても、それぞれ別の自動車屋さんに頼んで、付き合いを広めるようなところがあって、今の林与というのはそういうのを整理していかないといけない側で、先代は良いひとみたいに言われるけども、当たり前に思っておられる関係を断って一つにまとめていかないと自動車数台にしても、車検も順番に回って来るし保険もいろいろと回って来る。

広めるのは簡単でも、そういうのを整理してゆくのは本当に難しく、広めた先代が自分で片付けてゆけるかというとやはりそういうのは難しく、亡くなってからしか、いろいろな関係にしても迷惑が掛からないためにも手狭にしていかないといけない。そうでないと、自分自身が動く時間もいろんな関係の人とあって、書類を確認したり判をおしたりだけで取られてしまう。先代のころはそういう業者さんと話をしているのも仕事の付き合いの内だったけども、今、実際に働いて仕事をしないといけない状態では世間話をしているような状況でもない。

やっかいなのは飛び込みの誰かも分からない人が営業で人がきても、使えている電話機の買い替えに150万の話とかもう、そんな16台も電話必要ないだろうし、先代が、毎朝、証券会社の人や、ゴルフ会員権のセールスの人や、土地の人とだらだら話ばかりで、仕事をしている人間からすればそういう電話に作業を中断して出ても、忙しいから掛けてこなくてよいというのも面倒なこと。

時代が変われば変わらないといけないのだけども、そういうの全く無理で、林与が若いころからコンピュータとかに将来性を感じているのに、女々しいとかオタクだとかいってて馬鹿にしてて、今の時代の仕事の連絡すらも難しいし、文章や会計書類なども結局、私のほうが打つだけでなく検算までしないといけない。商売も問屋さんに任せていたから、問屋以外には売ルナみたいなことをいっていたけども、亡くなるまではそれを守っては上げたが、そういう自分自身でいろんなこと動かないと人に任せてばかりいては自分の判断で仕事も難しい。
2025年01月07日
ようやく、3月ころからは新しい原料での糸の紡績が始まることになるのだけども、高値のピークは越えた感じで、1から2割割くらいは糸値も下がり始めるだろうと糸関係の方たちはおっしゃっておられる。糸が高いだけでなく、高値ゆえに輸入自体が止まってしまって、今までやってきた双糸ものや、太番手のものなどが、生産できなくなったりと、コロナ空けてからのリネンの高騰は値段が高いというだけでなく、糸の欠品も多くなった。また、いろんな糸が手に入るようになれば良いなあと思う。

それでも、糸値にしても、まだ昔の値段の2倍を超えてはいる状態が続くのだろう。糸値が高いことは、難度の高いものを織るときにはロス率も高いので、その分がすごくもったいない話で、織ることもより慎重にならざる負えず、去年最後に使ったリネン25番手はいい感じの糸だったので、高いは高いなりに原料も良い原料を使わざる負えなくなったからなのかなあと思える。高いと言われているリネンが、3倍とかになってしまって多くのブランドさんは使うことができない生地値になってしまう。

この1年はアパレル受注をほぼ見送って、もし、9月とかに受注していたとしたら、展示会とかで説明する値段からさらに生地値を上げないといけなく、そういうのって、アパレルさんにしても企画自体が成り立たなくなる要因にもなりかねない。このリネンの高騰というのは、林与自身としては、初めて位の経験で、リネンに対する世界需要も根強いものがあるし、でも、小麦の生産のためにフラックス畑が小麦畑に変わってしまったなど、戦争の影響が大きい。まあ、戦争のことを考えると、リネンの高騰くらいはがまんしないといけないが、トランプが就任する1月20日に戦争や戦闘も終わると良いなあと思う。

一方で、アメリカ経済もハイパーインフレ状態でもうそろそろ限界に来ている感があるが、トランプでまたアメリカイズNO1で、アメリカだけは儲けるだろう。中国経済がかなり減速しているそうで、日本のバブル崩壊と同じような流れになるのだろうか。繊維業界でそれほど明るい話はないけども、世界は今、生成AIブームで、このままAIが進化すると、プログラマーも必要なくなるかのせいも高いし、アニメーターなどの職業も自分で絵を描くことは少なくなるだろう。繊維の世界でもAIがどう影響してくるのかと考えると、まったくわからん。テキスタイルの柄を取り込めば、AIで着せ替えみたいなことができるようになるのだろう。もうひとつ量子コンピュータの件もきになるところで、プロセッサー型のGPUには限界があるので、量子コンピュータがAIの能力も数100倍とかになるだろう。

人間は考えることなく、覚えることなく、AIに答えを聞くのが仕事になってくる時代がくる。実際に仕事でもプログラミングに関してはAIに聞けばプログラムコードを教えてくれ、そのコードをコピペすれば問題なく走る。簡単なプログラムならそこまでは来ていて、30年前にこうういうのあったら、もっとプログラミングも上達できたのにと思う。しかし、AIには問題があって、それは電気の使用量が膨大なことで、電力需要は高まることになる。なんかすごくもったいない話ではある。絵を生成するのに電気を使うくらいならお湯や料理に電力を使ったほうが良いだろう。いま、パソコンにおいても、GPUは電気を使いまくりで、電気ヒーター並みに高性能なGPUだと500Wとか使うこともある。ノートパソコンが30W程度でモニターも含めて動くのに、それは本当いもったいない話。太陽光発電した電力を使う形が良いんだろう、電気自動車にしても。

今はクラウド型のAIが主流で、インターネットを通じてサーバーのすごい処理能力を活用して答えを求められる。そういうのが案外気軽に活用できたりするので良い時代ではある。

2025年01月05日
コロナ前は東京も年に何度かは訪れていたけども、今は年に1度くらいしか行けなくなってしまった。展示会東京の展示会も今は年に一度だけヘルプの人に手伝ってもらってなんとか行けるかどうかで、展示会も一人で2ケース、スーツケースを両手で引っ張って持ち込んだりしていたことが多かったけども、今はその馬力がなくなってしまった。

車で展示会に荷物を持ち込む方が楽なのだけども、車を止める所を探したり、また、会場まで荷物を持ち込むためには車の担当と、会場の担当の二人がどうしても必要になり、一人ではなかなか難しいなあという感じ、東京だと会場に安い駐車場があればよいけども、なければ、ホテル代よりも駐車料金のほうが高いことが多く、空いていない可能性もあったりで、一人で対応というのはいろんな方に迷惑をかける可能性もあり、また、会場の撤収と同時に車に積み込む手配も必要だったりで、一人で会場を片付けるのもそれなりに時間が掛かるし、積み込むとなるとさらに台車の手配など含め不透明なことが多い。

海外の展示会も2つスーツケースを持ちながら背中にリュックを背負って行ってたりしたけども、そういうのはコロナ前だからできたのだろう、今は空港でのチェックなども厳しくなって、また、中国やイタリアとかでも地下鉄に乗るときやお店に入るときに手荷物検査があったり手荷物をもってお店に入れないことも多いので、トイレなど行くときにも3つの手荷物を引いては気軽に行くことも難しい。

10年くらい前だからできたのだろうと思うし、まだ40代のころにそういうのをやっておけていろんなことを経験もできて、いろんな方と出会えて、日本の繊維全般的なこともやっておられる当人の方々から直接いろいろと聞かせて頂くこともできて知識も増えた。林与は海外にいっても、高級ホテルにはとまらないいことが多いので、ローカルな雰囲気の庶民的なホテルを探すことが多く、展示会場から1時間かかることもあったりするけども、そういうのも特別な経験で、その道中でいろんなハプニングなどもあったりして、また、ローカルなおいしい食べ物に出会うこともできたりと、そういうのが楽しみだった。

中国でももう今は珍しくなった注文すると店の入り口で麺を小麦粉からこねて手で伸ばして細い麺の束にしてそれがラーメンになるみたいなのも、たまたまだけども、ホテルの前にあったラーメン屋で、ラーメン大で6元(100円)くらいのラーメンを注文したときにみることができた、15年くらい前のことだろうと思うが、それ以降、そういう光景には出会うこともなく、同じお店に行ったらラーメン屋だったけど、違うラーメン屋に変わってしまっていた。

人間がラーメンの麺をその場で、手で打って伸ばしてそれを使って1杯のラーメンを食べることができるみたいなことが、普通のお店で行われているというのが奇跡的なことで、すごすぎるなあと思った。ラーメン1杯が出てくるのに10分くらいは掛かったと思うけど、なんか、ありがたかったなあ。そういうのに、日本ではありえない中国の力を感じた。商業化して贅沢になった日本とか中国の都市にしても、結局はそれが続かなくなったときには衰退するしかなく、豊かになると何十年で失ってしまう、それまで何世代、何十世代にも人が持って高めてきた能力みたいなものが失われてしまうのは残念に思える部分はある。

しかたないのだろうしそういうのを大事だと求めても、安くて気軽な、すぐに出てくるラーメンのほうが、それに見慣れた人からすれば、ありがたいということにもなるだろう。昔の光景というだけでそれほど評価が高くはないのである。神戸元町でも、牛刀麺はたべたことがあって、それは手で打って、包丁で麺に切るタイプで、今も店頭でやっているだろうとは思う。
2024年12月28日
年末なので弟がいてくれるので、弟と一緒に周辺の草刈。柿の木は1年ほど前に切ってしまって、南天の木も植えてあったのでそれも切ってしまおうと思って、切った。切った後にしても、その切った木をどこに捨てるのかという問題があるけども、夏くらいにやすいウッドチッパーを手に入れておいたので、南天の木くらい枝も細いので、それで細分化できた。

こういう道具がないとまた、それを家の畑の空き地に捨てたりすると、枝が山積みになったまましばらくはややこしい。ウッドチッパーを買ったものの、初めて使うことになる、1時間弱位掛かっただろうかゴミ袋4袋くらいにかたづいた。それを畑にまくも出来るだろうし、それが肥やしになって草が生えてくるのがいやなら、燃えるごみとして出すことも可能。あの木のままのものというのは、畑に放置しても見た目が悪いので、昔だったら燃やして片付けたのだろうけども、今は木も基本燃やすことができない。

なんか、木の収集ボックス🄬もあるそうだけども損なのに入る量でもないし、それに入れるにしてもウッドチッパーで細分化しないと、回収してもらうだけでも何箱も必要になってくるので、林与の家や昔からある倉庫にも木がたくさん生えていて、だいぶ、切って片付いたけども、今は木すらも植えていると、手入れすればゴミ問題が出てくる。安いウッドチッパーで3cm位までの枝しか駄目だけども、バリバリと吸い込んで、すごくコンパクトに収まった。ウッドチッパーで細分化するだけでも手間だけども、こうやってでも捨てないと方法が難しい。もう昔とは田舎も違って昔よりもゴミの面では住むのは難しい。

火を使うと火事になるとかあるので、火を使わなくなったことで火事が減っているのも事実ではある。人は昔よりもうっかりしていると思うけども、文明の利器がそれを補っていてくれるのを感じる。昔なんか、アンカを使っていたとかいうのは、すごいことだと思う。布団の中に火を使う炭を入れて足を温めていたのだから。今の時代は、部屋全体を温めたりするので、人が時間を過ごすだけでも部屋を暖めるエネルギー消費量というのは自動車並みに必要になってきてしまう。

電熱ウェアを上下着用しながらも、足のつま先やかかとが冷える感じなので分厚いあったかいという靴下を2枚重ねて履いてみると、昨日までの足の冷えてた感じは少なくなった。いつでも工場で作業もできるように、林与自身は電熱ウェアだけで暖房器具は使わずに過ごしている。
2024年12月25日
林与に年末の挨拶に機械屋さんが来てくださって、もう78だといっておられた。全然そんなふうには見えないし今も動き回っておられる。自分自身で一人ででも動いて仕事をこなしていかないといけないというのをずっとやってこられた方で、その一つ前の世代間とは違うものを背負ってこられた。林与とな先代の時からのお付き合いだけども、業種は違えども、一つ前の世代の世界観というのはまったく通用しない次の世代というのは、180度反対の感覚でやっていかないといけないことも多いとは思うし、そういうのができなければ時代の流れにもついてゆけない。

林与も古い仕事をしているけども、個人レベルでは今の学生にも負けてては駄目だなあと思うところがあって、繊維業界においては特に麻織物に関しては現場の現実的な話をするし、働き始めた時から何十年の経験者たちの面倒を見る立場でやってきた。お金の面倒だけでなく、問題があれば、仕事が難しい時には代わりに解決して成り立つように徹夜してでもやってきた。

そういう現場経験を持つ人っていうのは、今の日本の繊維業界では同世代の方でも少なくて、お金儲けうんぬんよりも、一つ一つの仕事がなんとかうまく回ればよいじゃないかと、働いている人というのも、昔から田舎のおっちゃんおばちゃんで、できんわからんやっといてな人が多いのだし、田舎の末路みたいな感じそのものだけども、それが田舎の普通だから、そういうの乗り越えてそういうどうしようもない感覚とは同調せずに、たまたま、林与に仕事を教えてくださった方が、すごく仕事が上手な方で、他の会社を辞められて中途採用の方で、林与の先代が育てた方じゃなく、林与の先代が現場の仕事を頼ってた方。

良い時代の感覚から抜けられないと、厳しい時代になったときには厳しい時代になったことすらも自覚もなく、自分の実力でやってきたという思いばかりの人生観だけども、厳しい時代にはまったくそれが通用がしない。厳しい時代になったら自分も働かんとあかんにゃでということ。自分がつくれば売れるとかだけども、それは昔流行った一つのジャンルでしかなくなったときに、もっと全体像を見て、今のテイストとかも大事。

近代麻布研究家の近江上布を研究されている吉田さんにも、あんまりいいかげんに近代麻布再現とかいってたら駄目だよと、今の技術で近代麻布の再現とかいうことを指摘したのも林与で、スイヨウセイビニロン混の織物使って昔の大麻布の再現とか謳うのあかんやろという、基本的なところからの指摘。昔の技法を再現したみたい当初の謳いはほんとうに駄目で、そういうのに大手百貨店やブランドさんも巻き込まれて、実はハイテク素材的な最先端の麻業界のことだけど、それを古代麻布の再現と謳われて話題になったというだけで、水曜整備持論混の麻のハイテク素材。消費者の方にそういう真実を知ってもらうべきで、なんで、そういう本当のこともいえずに、江戸時代の麻布の再現を謳ったのかすらが疑問そのもの、百貨店にしても消費者にたいするそういうの問題の大きさも分かっておられなかったと思う。ブランドさんを巻き込んで、実は本当のことも言えない。

林与はそういう消費者に真実を伝えないは嫌いだから、500番手、600番手の世界細番手の麻織物をつくっても、それはスイビ混で、ハイテクっぽいやりかたで、今までの純紡の麻糸でもないことは伝えて、卸業者に説明もする。純坊だと140番手くらいが限度だけども、半合繊てきな技術を使って、500番手600番手の麻織物は、織で織りにくいほど細くても工夫すれば、世界に謳えるようなものを作れる。

吉田さんに会ったときに江戸時代の奥家さんの最高の布ななぜか、プリントで遊女のだらしないものを最高だといっておられたけども、それが日本の都の麻織物で、近江上布の厳しさは商家の帷子とかにあったりして、そういうのは、麻商看板とした代々の帷子で、玄関入って、その後ろに家宝的に掲げられていた。

吉田さんが林与にあったときも、吉田さんが林与に、おたく誰ですかと、素人のようにいわれるのが、本当に残念で本当の日本の麻織物の凄さを知ってもらわないと駄目だろうと、林与の近江上布のアーカイブや、吉田さんが全部任せて日本で一番すごい方とやってると言われながらも、林与はその方やその方の一番の上司だったかたも、まどもに日本の麻業界を守っていこうと思って、吉田さんの無茶な素人的な、なんで精麻したヌサという一つの神事の製品から、麻糸が作れると思われたのかは疑問で、同館。

日本の麻業界でも普通の話をしたいし、そういうのほんとうに迷惑だったから林与も関わらなかっただけのことで、お会いしたときに、林与におたく誰ですかと言われ、その後会社に来てもらいながら、近江上布の歴史も説明して、トスコのラミハラの75周年の未開封のハンカチも開封して3枚のうち1枚さしあげて、日本の紡績の麻レベルだとこのレベルが本当の良いものですよと。なんで、60番手クラスの甘いプリントのチャラチャラした布が近代マフの最高峰と、日本の麻織物の本場で日本屈指の麻の研究家がいわれるのか。

そして、林与がたずねた徐福ってしてますかというと、それは林与的には日本の皇族の歴史につながるはなしなのだけど、全く知識もあられないのか、そんなことはしらんけど、文献にもないことを言ってもらっても駄目だと言われるけど、中国の正史や卑弥呼も伝えられる疑似倭人伝にもある程度の歴史家なら知ってるはずの知識、で日本の現場背負って調べただけの林与が文献の話の人物もするのに、まったくご存じないのが怖いし、そのあと尾坂大学副学長をやっておられたかたに、徐福を聞いたことあられますかと聞くと、当たり前に中国の清の始皇帝の時代の方ですよねと、その大阪大学の副学長の方も日本の服飾史のトップの権威をもっておられるかたでご存じで安心というか、林与が吉田さんにあなたがいいかげんなこといってるみたいにあしらわれる吉田さんが普通なのかという問題。

富士吉田の宮下さんでもこの問題は日本の麻織物の伝来と深くかかわっておられて背負っておられ、それが日本の正史とぶつかるところもあって、逆に偽物だみたいにいわれてそれでも我慢しながら、今の日本の皇族伝来の歴史の真実があやふやになっていて、まがい物たちが皇族の力を利用して食い物にしたいだけだと、皇族虫の軍部的な第二次世界大戦みたいな悲劇が起る。皇族にしても軍部の暴走すらも自分の責任として背負おうとしても、軍部的な権威主義の州官官理想だと、責任逃ればっかりで、日本国民に玉砕を美徳としながら自分たちは一切指示してないとか、一番駄目な安全なところにいて指図して国民に玉砕を美徳としてとく愛古k無的な軍部レベル。

皇族すらもが今もそういう軍部の自分が命捨てる気もなく階級的にというのを、日本の官僚や国会議員レベルの辞職したら終わりみたいな、国民の犠牲を広げるばかりの、それだと皇族や戸、区民が利用されて本当に食われるばかりな、一番無責任な他の人に責任背負わせてばかりで戦争。ほんとそういうどうしようもない日本のだらしなさは名作そのもので、他のん人の人生を犠牲にするなら自分が背金人を追わないといけないし、その責任感もないなら他のj人に背負わせて食い物にするべきじゃないという基本。

伊勢丹研究所の代表をやっておられた方でも、伊勢丹の麻のすべてを任せたいと言われながら、あのプロジェクトやエシカルなことに疑問も感じながら日本の繊維業界の消費者に対するまともがなになのかを考えて、エシカルなことが難しくなってて誰もすくえないといわれ、林与の麻関連の人脈使ってその代表が助けたい方をお金も貰わずに救おうとしても、救おうとした方からできないなら最初から言わないでくださいと言わて、多分高田さんはそのことも知っておられるだろう、展示会に行っても一番最初のお客さんとして来てくださって、関係を求められるけども、代表の高田さんが窓口するならできるような話で、部下を窓口にされたから一切サンプルも送らなかった。部下の方というのは代表レベルの必死さもなく、代表の方が求められても、部下の方というのは林与にサンプルすらもでは、サラリーマンレベルで伊勢丹研究所も消費者に対するというか、正しい知識を消費者に伝えるくらいの覚悟がないと存在すらもだけど、代表の打加田さんは難度も林与にアプローチくださってもサラリーマン感覚だと難しい。同じことが麻関連の協会のトップの方が林与に頼まれてもその社員の方が林与さんんも参加するんでしょ見たいな確認されて、いちどその会社が会社の中で交通整理されないと、サラリーマン感覚の方に日本の麻業界振興を会員でもない林与に求められて賛同してやってるのに、その会長レベルの会社の社員の方から、林与さんもでるんでしょみたいな話で、林与が日本の麻業界の振興を支える気持ちでいてもそれを聞いたら抜ける話。

ホント日本の繊維業界の謳いすらもが消費者騙しが基本になりすぎて、働いている人たちすらもが基本で、林与みたいなのは、そういう企業レベルのサラリーマンからすると全部言うこと聞くのが当り前みたいな一番下みたいな存在でしかない。そういうのが日本の繊維業界の末路そのもので、自分の消費者に対して謳ってることの真実も分からずに、百貨店の代表ですらも林与が本物だというけど、林与が距離をおくのは、林与がその百貨店でも解決できない問題を、林与がボランティアで自分の仕事全部捨てても全部解決しようとしても、林与が逆に、できないなら最初から言わないでください見たいな話で、そういうのほんと日本の百貨店ビジネスやエシカルやエコ、サステイナブルの末路。解決する力もなく林与のお金と能力と林与もそういう無理を頼まれると困られるからほんと頼むも気を使って払うものは払ってできるだけで協力してほしいとお願いするしかなく、その仕事を受けてくださったところも日本では無二で、林与も日本のエシカルを救う気持ちで百貨店が助けてあげてほしいからと林与に頼またから、できるかぎりで受けて、逆にお金を請求されるような怖さというのは、ほんと善意のボランティアとしても、ボランティアで費用まで負担して問題があれば、とことん責任を追及されるから、最初から、まったく関わらないほうが良い。それが日本の繊維業界の結論そのもので、頼んだ高田さんはそういうのにたいして本当に申し訳なかったと思っておられるだろうけど、その程度なんですよ、日本の繊維業界の軽さは。そういうのって、商売どころか人間関係の基本すらもがない階級社会構造そのもので、お金儲けるのが当り前で、エシカルとかエコ、サステナブル人というのは他の関わる業者や消費者を犠牲があたりまえで本当に怖く、世界でも珍しいような経験。

これほんと、良いことをしようとして伊勢丹研究所も動いてくださったのだろうと思うけど、業者は選ばないとすごい謳いを成り立たせるのがその助けようとした業者さんではなくてそういうのに賛同してお金も貰わずに動いた人たちが単に犠牲になるような、百貨店ビジネスモデルでは駄目でそういう緊張感を百貨店にも伝える人が居ないと駄目で、日本の百貨店ビジネスもそれで成り立っているようなら、消費者からも謳いでお金を取りながらも、覚悟もなく、利益率の高い当たり前の費用すらも負担する覚悟がない人たちの金儲けビジネスで、善意で関わったものを叩いて金儲けでは関わらないほうが良い。百貨店って利益率とかじゃなくて正しく良いものをとかだけど、百貨店もラベルビジネス的に林与のような会社に自分たちが解決もできない問題をなげられるけど、解決しようとしてまったく林与が無理をいって頼んだ業者さんも本当に他の仕事を押しのけて無理してでもそういう無理をさせると当たり前に問題もおこるし、でも、百貨店でも誰もそうういう責任を被れる人もいないし、頼んで助けてほしいという人でも逆に林与に責任を求められて、できないなら最初からいわないでほしいとか、日本って本当に怖い。とくに繊維業界、消費者に対してすごいことを謳ってる人ほどえぐすぎて、自分が負担する覚悟もなく関わるものを追いつめてばかりで、そういうのは昔の繊維業界にはなかったけど、今の繊維業界だとホワイトの当たり前。
2024年12月10日
その感覚で海外を食い物にしてサステイナブルとかエシカルとかほんと、日本の繊維業界も日本の地道に働いている人たちだけでなく、海外の地道に働いている人たちも、自分自身の損得勘定な、日本の繊維企業ではありえないほどに金儲け主義なエシカルとかサステイナブルを、世界樹の末端の人々から吸い上げるような日本のホワイトで逃げるだけの、エシカルとかエコとかサステイナブルな、かつてないほどに金儲け主義になりすぎた日本の繊維業界のホワイトモデルで、世界中から、世界の末端を救うと言いながら一番儲けてるのは大手なのに、日本の大手繊維業界の世界戦略が金儲け主義なホワイト企業感覚で一番駄目なのかもしれない。食うだけで成り立とうとして何億の利益で優良企業とか、一番食いつぶしてるのも分からんような、日本の大手の繊維業界のホワイト企業、社員の給料とか待遇とかじゃなく、社員すらもが給料も待遇とかも投げ捨てて、世界の末端を支えるべきではないのかなあ?どれだけの人々が救われる話になるんだろうと思う。ホワイトで好待遇を謳ってるようなホワイト企業が実際にはブラックな国際的な繊維業界が叩かれるような理由のをつくりだしてしまって無責任に叩いているだけのような、ほんとまともにはたいて支えてる林与や途上国の一個人すらも軽い感覚で、あんた誰みたいな日本の大手の繊維業界の自分が追いつめるだけのブラックそのものなホワイト感覚。日本が一番厳しいと思うよ、責任背負って覚悟を決めているものにどこまでも追いやる国とかは、批判もしている共産主義国以下で、林与なんて日本の国が見た時に日本の繊維業界からしたら、一番駄目な会社そのもので、それが日本の行政のブラックすぎるような奴隷感覚そのもので、人々をまともに支えて成り立たせようとしているのに、自分が階級社会的に人々が成り立って行くようなものごとを考えもせずにそういうのが日本の身分社会制度そのものが今も行政の当たり前な感覚で、法律がというけど、法律なんてもっとちゃんと考えて作る必要がるのだけど、責任のがれして今もまさに士農工商エタヒミンを今もやってるのが日本の行政の人たち。

強烈なのは自分たちが自分たちが法の下の平等とか言ってるような輩で、それって四民制度エタヒミン制度の法の下の平等の肯定でしかないというのも、分かってもいない日本の行政の個人の人権すらもないのを、皇族制度とエタヒミン制度というのは、日本のどうしようもない輩たちが食うために依存しているだけで、皇族にして外交能力は世界レベルだし、国民の思う気持ちもあるのに、それを食いものにしたような人たちが巣くってるような日本の伝統をレベルで、雅子さまにしても、世界のトプレベル以上なのにそれを叩いていたのが、日本の皇族をともとん食ってた人たち。日本は戦後100年さんをたとうが、高って食いつぶしたいだけで、皇族も食いつぶされてよいのかなあと思う。日本という国のことを考えると、食いつぶしたい人さん皇太子だった 今の天皇や雅子さんをどこまでも追いやって、そういうのが日本の一番駄目な覚悟も決めていない人たち。ほんとそういいうどうしようもない輩が今の雅子さんを追いやって苦しめて、皇族や公式典範すらも私欲的な湯堂で、それだと国は亡ぶだけ。まあ、那須の御用邸も皇室の任された公務員の給料も貰って自由な性交の場、一番厳しいはずの担当の人たちあ国のご要所で、日本政府としてはありえないほどの業して篆刻で、そういのホント、世界に通じるような日本の皇族を貶めるよう案愚弄その残念過ぎる。

天皇陛下にしも皇后陛下にしても国民んかⅯ供御というのは一番の天皇制が成り立つ話なのだが、それを食い物にしたい覚悟もない人たちが多すぎて、そういうので日本の価値感すらも、日本人総体として保身んで日本の末端を自分が覚悟して背負う覚悟もなく食い物にしたいだけの人ばかりなのかと悩んでおられるのかと思う。
2024年12月03日
この仕事というのは、織物が綺麗に織れないときや、織物を織れるように準備するまではタダ働きみたいなものなので、機織という作業は内職みたいな作業そのものだと思う。何十時間働いても、まともなものが出来なければそれはよいり多くの問題を作っているだけのことなので、それが分かっている人だけしか、織物の現場で織物を織るということは難しいだろうと思う。

そういうのってすべての仕事に共通するようなことなので、働いたからと言って結果が悪ければ最初からやらなかった方がましという現実的な話にもつながる。林与もそれを毎日現実的に受け止めて作業はしていて、たとえば、織れたらそれでよいといわれるお客さんも多いけども、織れてキズが数か所あると困るんですよねという話になるのが普通で、さらなる問題を生んでしまう結果になる。そういうの本当によくわかっているから、喧嘩もしたくないし、自分が働けるだけ働いて解決したいなあと思ってはいる。

今の日本の繊維業界というのは普通にまともに普通の麻生地をつくってもそれが成り立つのが難しい問題があって、アパレルさんでも、すごい生地が欲しいと言われるほどだけど、それが普通の値段の世界になってしまっていて、なんか熊本のアサリビジネスに近い。オーガニックもサステイナブルも蓋を開けてみれば海外のあやふやなものを日本国内で化かして売るようなことになってしまっては駄目だろうと思う。

認証機関の人が現場を知らないという大きな問題があって、認証ビジネスそのものになってしまっているのが、エコやサステイナブルの世界で、現場を支えている人たちをどう食うかが、エコやサステイナブルのモデルになっているというのが世界的な現象で、自分自身が末端を支える気もない人たちが、ブラックだと叩いているのはなんなんだろう、それこそブラックそのものな自分が末端の人を支えることもない、給料を払うこともなく、そういう人たちも支えようとする人たちを追い込んでは、世界や日本の繊維業界が繰り返してきた階級社会そのもので、せめて、日本オーガニックコットン協会の森さんにしても、エシカルな話が面倒なんですよとかばかりでサラリーマン以下で。麻関係の吉田さんもスポンサーが抜けたらやめるだけですよとか。

ほんと日本の繊維協会というのは妄想が激しくてそれですごいことやってるとかはキツイ、ブラックすぎて、自分が覚悟もきめてない逃げるだけの方たちが、国際会議とかやめてほしい、ほんと。日本人の凄い人たちの感覚すらも自分が一人の人も支える気もなく地道に働く気もなく日本の繊維業界を食いものにしてては気楽すぎて、日本の繊維業界が衰退するのもその辺りの問題で、そういうの自分が覚悟して支えているような機屋レベルなら、サラリーマン以下の世界で、日本の繊維業界を食い物にしてしまっていて、エシカルやエコや、日本の織物を自己犠牲で支えてきた人たちやそれを支えようとしている消費者の思いすらも食い物にしてしまっている。

林与が接して感じたのはそういう感想で、そういうのに巻き込まれるのは実際にやってきたものからすると一番キツイ。熊本のあさり問題に近い問題があるのもそういう人たちが、林与のいうこともまったく意味がわからないといわれるようなことばかりいわれてて、なんで日本オーガニックコットン協会がエシカルやエコを謳いながら創立から10年以上も理事長をされたかたが、エシカルが面倒そのものなんですよ、化学的におなじやったら、オーガニックコットンも普通のコットンも同じ、それを会員が認めないんですよ。

森さん、オーガニックコットンを作ろうとするときの本質すらも会員にも伝えられない話では、駄目なんだえすよ。会員がラベルだけあればよいとか、さらに日本オーガニックコットン協会が講習でお金儲けて、本質がないようなブクブクになってしまうと、森さんにしても実際に林与が日本の織物業界を笹ていても、明日は休日だから、9時から5時で対応をお願いしますとかの、サラリーマン感覚な人たちが、人を支えるとか無理でしょ。くいもののそのものほんと日本の中に食い物そのものが日本のオーガニックとか世界のオーガニックな、なまった英語を聞くのが面倒なんですよとかいう森さん。

お前が一番駄目なんちゃうのとか、林与はいうのが、まともなエシカルな感覚で、ほんと日本初のなんちゃってオーガニックが広がりすぎて、9時から5時の人たちが、自分も9時から5地で、働いている人たちをささえようともしていない。日本の繊維業界のまつろそのもので、それは、大手の金儲けだけの繊維業界のビジネスモデルそのもので、合成繊維の普通のビジネスモデル世界そのもの。

日本の繊維業界の闇歴史として消えてもらいたいと思える。金儲けや権威主義で、やったら、日本の繊維業界が本当に支えてきたのをサラリーマン感覚や先生感覚の人たちが、自分が働く人たちを支えている人間をおたく誰ですかみたいな感覚すらもがプンプン。それは、ほんと、林与が働いていても全く認めない、森さんや吉田さんの働かない人の感覚そのものな権威主義で、それが怖すぎる。まさに、日本の繊維業界の今までにありえないほどの末路、大手にしてもそのくらいに陥ってしまっていて、とことん日本の繊維業界を食ってみたいなくらいに、に日本の世界規模な大手SPA的な感覚。

森さんと吉田さんは、林与とはまったく逆の人で、林与とは水と油なのは、話すると林与も馬鹿にされてて、地道に働いている人を支えようとする気持ちすらないのが伝わって来る。日本の繊維業界が終わってると思うのもそのあたり。日本が世界でも一番厳しいなあと思う、どこまで、林与のいってることまったくわからなすぎで、日本の繊維業界のものづくりの価値観を守るのは難しいと判断でしてしまう。

もうちょっと権威主義ばかりでなく、普通の会話もできんと、一方で、森さんは企業が勝手にやってるだけだから私は関係ないとか、責任を逃げてばかりで、自分がやって認証をされていることでも、一つの話も逃げてばかりで、そういうところから消費者の感覚の正しくよいものを手にしたいが大事じゃないですかと、日本のオーガニックコットンの看板だった森さんに、お前が一番駄目なこと覚悟決めずに広げてたらあかんし、覚悟もなく、日本オーガニックコットン協会では消費者騙しそのものな権威主義、ボランティアでやってるからまったく責任ないとかいうのやめてほしい。日本で林与も覚悟決めてやってきた繊維業界がここまで落ちたのかと思える。日本の消費者騙したらあかんし、まさに、熊本のアサリ以下の感覚やん。森さんもほんと自分が食べていくためのネタにしてほしくない。吉田さんもスポンサーが逃げたら辞めるだけやといわれるような日本の繊維業界を自分の金儲け感覚は聞きたくない。

そういう日本の高齢の人たちが自分が食べていくためだけど、一つも説明も出来ないようなそれは組織ではだめ、日本の政府も世界のSDGsにしtも同じような、地道に日本の繊維業界を支えていこうとしているものが全くお前がえらそうなこというなで、そういうのは日本の自己犠牲で成り立たせてきた繊維業界の末路そのもの。どこまで、食いたいのかと思う。

林与というのは、自分自身が金儲け考えてなく、自分が森さんとか吉田さんよりがいわれる、めんどうな話を解決してやってきた人間で、それって、企業の従業員として働くのも地道なことお㎡面倒とかいってて、日本の繊維業界を裏切る話になりませんかということ。ラベル協会にも文句もいってて、そんなラベルビジネスやめた方が、日本の繊維業界のためですよと。

一番駄目な働きたくない人たちが、日本の繊維業界を責任逃れしながら牛耳ろうとしてたら、日本の繊維業界はやばすぎる。日本の繊維業界で林与を知っておられる方なら同じ思いが普通じゃないから、四六時中働いて従業員を支えたり、そういう四六時中働いている人をまったく知らずに、9時から5時のサラリーマン感覚の方たちが先生業では日本の繊維業界の闇歴史でしかない。いわれることもほんと、だらしない人の覚悟もない話ばかりで、その感覚なら信じた消費者騙しになるからやめた方がよいよということ。日本の繊維業界の末路そのものな日本の繊維業界の現状。
2024年11月27日
林与の仕事も機械関係のものづくりの会社の方がみられたら単純な仕事に思えるだろうけども、扱う人という要素が重要なので、器用さみたいなものが必要であったりする。麻糸というのは切れやすかったりするので、そのあたりが非常にやっかいだし、シャトル織機も壊れるほどに調整の幅が大きいので、機械の調整や修理にも器用さが必要だったりする。その分、似たようなもので代用もできたりするのだけど。

今の時代は、電化製品が壊れても、基盤ごと取り替えたりすると思う。一つのコンデンサーとかを交換して修理のほうが珍しいことであったりする。まだ、そういう交換ができるのが組み立て的な機械の世界で、織物は出来上がった布という製品でも、一本の糸を入れ替えるということは非常に困難だったりする。

こういう仕事というのはスピード感、手先の器用さや根気みたいなものが重要で、スピード感、器用さ、根気をもってやってても、難度の高いものだと1時間1mとか2m織れるかどうかみたいな仕事だったりして、成り立たせてゆくのは難しいなあと思える作業。目の良さも非常に大事なので高齢になると仕事も難しくなるので、経験者でも50歳くらいまでが生産性ももって普通に作業ができる。50歳を超えると何十年の経験者でも仕事としては難しくなってくるのが普通。20代から30代前半が作業のできるピークだろう。

林与にしても最初から難しいとは思わなかったからやれているんだろうと思う。ただ最初に思ったのは時間を捨てるような仕事だなあという印象。ただ単に一つの仕事をしていたらそんな感じでたいした仕事もできなかっただろうけども、できることをいろいろやろうと時間のなかフルに動いて仕事をしたので、やらされている感もなく、ものごとも分かって仕事を最初のころからやってきた。

今は、1か月追っても200mほどしか織れない織物も多くなってきている。ときには、1か月で50mしか作れない織物もあったりで、140番手のアイリッシュリネンハンカチ生地は織るだけでも1か月に一人の人間が付きっ切りで50mくらいしか織れていない、それでも綺麗にキズなく段なく織れれば成果。難度の高い織物というのは成り立たせることは難しいなあと思えたりする。将来、時間ができたらまたチャレンジしようとは思うが、その前に、綛をチーズアップする作業もあるし、整経作業も糸の節をとりのぞきながらで半年ほど一台の整経機が専用になった。糸が特殊なだけでなく、それを生かすためには織の現場でも特別な作業が必要だったりする。
2024年11月25日
雅楽会が新しい世代に変わって若手の女性の方も笙を吹かれているのだが、子供のころにお祭りで雅楽会を見て、笙が吹けるようになりたいと思われ、大学でも本格的にやってられたらしい。なんかすごいしっかりとした方がメンバーに加わられたのだなあと驚き。たぶん、そうやって女性が加わって演奏をされているのを今の子供たちが見て、私も将来やりたいと思う人も出てくるだろう。

豊満神社のお祭りでは、中学生による巫女の舞なども行われるが、そのために、何度も何度もの練習を積まれてきたのだろうともう。小学生がそれをみて憧れて中学になったらやってみたいと思う子供が増え、自然に楽しみに思って参加してくれる人が増えるとよいのになあと思う。子供たちが楽しみ、良い思い出が大人になって次の世代に引き継いでもらえると一番良いことだろうと思う。

集落の消防車も展示されていたけども、子供たちが乗ったりして身近に感じてもらって、将来、自分もやってみたいなあと思ってもらえる子供が増えればよいなあと。小学生の子供に消防車にのるなら、自動車はオートマちごて、マニュアル免許取らんとあかんよと、車の免許とるときは注意やでと覚えてもらう。あっという間に10年くらい経ってしまって車の免許も取られる時期がくるだろう。

昨日は、子供たちとサッカーボール遊び30分以上して、一回思いっきり転んで朝から心臓のあたりの肋骨が痛む。シャトルの管を交換する時も結構体がつらい感じ。脚の筋力も衰え始めているので、もう走るとかも苦手になって来たのを感じる。まあ、動けるうちに動いておこうとは思う。今の体力だと、単独でスーツ2個もってみたいな海外の展示会はもう難しい。まだ動ける40歳くらいのころから、海外の展示会に出展しつづけてたこともすごく良い思い出で、行けるときに行っておいてよかったなあと実感する。円安ということもあって、また海外の物価も高くなって、今はもう海外も敷居が高い。

やりたいなあとおもったことは、無理してでもやっておいたことがやはり後で後悔しない、よい経験として残る。なるべく若いうちに経験はいろいろとつんで、それゆえに失敗もいろいろ経験しておけたのがよかったと思う。麻の仕事も若いころにはいろいろなものが忙しく、それなりに作ったので、それはそれでよい経験をしてある。今はもう仕事自体が普通の仕事がなくなって難度の高い仕事になりすぎて、初めての人には難しかったりするから、経験をできる機会も少なくなってしまっている。
2024年11月25日
今日は、文化祭で子供と一緒にサッカーボールで遊んだ。本気モードじゃなく、3回くらい転んでやっぱり子供たちは遊びでも本気で、楽しそうに遊んでいる。クレープ屋さんが来てくれていて、子供たちはクレープ食べたそうだった、でもお金がないみたいな感じで、軽トラ車にあった400円で2個かえるからみんなで分けて食べたらと渡したが、いいですと遠慮していて返してくれたのだけど。結局、残って大人が買って食べるよりも、食べたい子供たちが食べられた方が意味があるのにとおもえる。

子供らは動き回ってばかりの1日で、お腹も減るしクレープ食べたいだろうに。来年も役が当たるので来た子供には無料のクレープ券1枚を提案しようとは思う。子供たちが賑やかに遊んでくれていたのがやっぱり一番よいことでボール遊びもほんとなら駄目かもしれないけど、子供というのはそれなりにコントロールしながら無茶しないようにボールも蹴っているので、さすがだなあと思う。

子供たちでも珍しいのは大人と遊びたいというような感覚があることで、林与が遊んでもらっていたのだろうけどとおもえるほど、大人相手に手加減もしてくれて、下手糞な大人なのに褒めたりもして場も作ってくれてたり、子供というのはやっぱり何もないところから楽しみを見つけることができるようで、小学生8人くらいで皆が楽しそうにボール遊びや鬼ごっこなどいろんなことを仲良くやっていた。大人以上に10分が1時間くらいに長いだろうと思う。子供にとっては1時間が何時間もの体験なんだろうと、子供のころを思い起こすと、小さな子供がサッカーボールを器用に操っているのや、射撃などもすごく上手だし子供のレベルは大人以上だなあと思えた。

林与も普段、仕事と言えどもなんか気持ちだけでやっているようなところがあるので、子供たちがボール遊びのようなことに一生懸命になれる姿というのは、そういうのに近い感覚。今日は、10時から2時までが文化祭だったけども、ほんと貴重なほどの長い時間に思えた。子供たちは大人の3倍とか5倍動いているなあと思える。のびしろの塊みたいなところがあって大人とは違う。ボールが建物のガラスなどにぶつからずに大惨事にならんですんだ、そもそもボール遊びのリスクも考えてある程度コントロールしておかないと壁にぶつけたりガラスが壊れたりあるかもしれないとおもって、一緒にやって危なそうなときにはコントロールできるようにしておかないととおもって一緒に遊び始めたのだが、子供たちもボールを高く蹴り上げてしたりもしていたが力加減も上手できてた。
2024年11月24日
物事というのは気持ちみたいなことがすごく大事だなあとおもったりして、逆に続けてゆくためには特別な気持ちを持った人たちが続けてゆくしかないだろうというような形しかないのじゃないかと思う。ゼロから自分で種を蒔いて成り立たせていくようなとか、マイナスや持ち出しでも社会的な意義があるとおもってやっていくみたいな覚悟とかあると、それなりにも継続できるような地盤みたいな考えにつながるのではないだろうかと思う。

社会的にすごいことをやると言いながらも勢いで飛びついてそれが成り立たなくなると自分が損してまでやってられんわみたいなことを言う人が多いけど、それなら最初からやるなよと。近代麻布の方もスポンサーが抜けたらやめるだけというようなスポンサー探しの話。普通の方にはすごいことをみたいな話だけども、なぜか林与というのは商売の方たちと話すると本音が分かってしまう。まったく違う感覚で持ち出しの気持ちでやってるから、儲からんのに何でやるいみがあるんやみたいな人たちがゴロゴロで、そういう人たちはおいしいところだけを取ってるだけのことで本質がなくものごとを続けていくためには危うい。

本当の素顔を林与には見せてくださるのは騙されているよりもありがたかったりして、ほんと話ができてうれしいことである。見下した感覚で私は紡績会社の凄い方と知り合いだみたいなことをいわれ、林与がお会いしたときも、おたく誰ですかと、一人の社会人として大丈夫なのかなあというような言葉で、仕事レベルの感覚もなく上から目線で、自分と接する人がみんな下だとおもっているような方なんだなあと。一般の方に対してもそういう失礼な言葉というのは発してはアウトだろうと思う。麻織物業界じゃあだれも相手にすることもない、得体もしれない違法大麻所持で逮捕されたようなお若い方を持ち上げてしまってとかにつながる。捕まった人は違法に大麻栽培もやってたらしくそれにも文句をいってられたけども、もちあげて仲良くしてたのだから疑われても仕方あるまい。

大麻布が100年も経てばフィブリル化、藁も同じだけども、100年も経てばフィブリル化して、柔らかくなるのは当たり前のことで、苧麻というのは100年経っても、短繊維である大麻布よりもそうなりにくいという性質がある。だからこそ、苧麻というのは、一生もの以上に代々引き継がれても着ることが出来たりする。また、麻布というのは柔らかいことが大事じゃないという、日本の着物の世界における価値感こそももっておられないのが危うい。今時の感覚で昔の麻布を評価しては駄目だろうと思う。近代マフとして薄くて柔らかいものを最高みたいな麻の価値観をつくりあげられたけども、林与からするとまったくそんな価値観は日本の麻の着物の世界にはなかった。

麻の良いものを着てこられなかったのかと思うくらいに日本の麻布の、パリッとシャリっとした価値観が昭和の時代でも引き継がれていたのに。日本の古来からの麻の世界に置いて、やわらかくてふにゃふにゃのものが最高の麻布みたいなのは、林与としては論外そのもの。うすいものでも緻密におられて、しなやかでありながらハリ感やコシ感があるのが上等な麻の定義みたいなものだった。
2024年11月23日
昨日は午後から1時間半ほど集落の文化祭のパーティションを運び入れる作業、今日は朝から組み立て作業で午後から展示の作業。結構、パーティションの上のほうに展示をしようとすると、男手が必要だったりして、また、展示物の量に合わせて内容の割り付けを行うと、展示物のいくつかをもう一度配置換えしないといけないことも多く、展示品を持ち込まれる方がこられるごとに頭も使う作業内容。

せっかく、展示物を持ってきてもらったのだから、なるべく良い感じで見てもらえるように、考えての展示。子供の作品というのはそれなりに味わいがあって興味深い。子供が子供らしい絵を今も描くのだなあと思うと、林与は小学生のころから結構写実的に描いていたので、子供が漫画っぽいデフォルメした絵を描こうとするのは普通なんだなあと思える。書道の作品が多く展示されていたけども、消防署長されてた方の書は達筆な感じがした、表彰状などを書いておられたので長けてられる。

太った感じのおっちゃんでいつも町長推薦で消防署に入ったと言われてたものの、あいさつなども何も見ずに長い挨拶をされてたりするので、頭が良い方だなあと思っていたけども、話しているといつもニコニコしておられるので、そんな感じがしなかったので、でもやっぱり、いろんな知識的なことにも長けておられるのを感じる。

古い集落の写真があって、そのなかに縄編み機があった縄編み機は9月に福島に取りに行ったものなのだが、東円堂の集落の中でも、女性の方も子供のころにやったと言われていた。縄編み機は倉庫に林与が生きている間は残しておこうと思う。持って帰るときも、高速道をのSAで軽トラに積んであるのを売店のおじいさんがみられ、子供のころにやってたということを言われててなんかお年寄りの方にとっては大事なものなんだなあと思えたりする。引退された年配の方たちはグランドゴフルだけでなく、集落の中でいろんな会を作って結構いろんな作品づくりみたいなことをされているのだなあということを知った。パッチワークを作っておられる方もあってそれが一番大きな作品で、ベッドカバーだろうか。

林与は展示会場の準備だったが、別の会場では、射的やポップコーン、休憩場所のようなものが儲けられていた。他に野菜の格安の即売なども行われる、明日が片付けなどあるので雨が降らないと良いが・・・文化祭も文化祭担当の委員として2年続きで当たるので、来年は2年目として委員なので、それなりに参加して作業して全部の工程を知っておかないといけないなあと思ってはいる。あと12月頭の行事が終われば、今年度の行事は基本終了みたいな感じとなる。
2024年11月22日
EVというのは、太陽光発電したものを充電すると最大のコストパフォーマンスを提供することができて、メガソーラーとかの近くにEV充電の充電設備ができればよいんじゃないのかなあと思えたりする。

日産のサクラというEVがすごい人気で1年ほど前に売り出されたのだけども、すごく早い結果で、使えないんじゃないかというレポートが多く、特に500km走るとかなると初回の家での給電もいれて17000円充電したとかで、普通に軽自動車なら30km近く走るので、6000円くらいのガソリン代だろうと思う。驚いたのが、レポートでどこもEV給電所はだれも充電していないことで、それはそれでよいのだけども、それほどゲスト充電するようなことは稀ということで、設置してもすごく割高な充電料金になりそうだということである。

充電スポットでの急速充電が相当安くならないと普及は難しいのではなかろうかと思われる。街乗りで、1日10kmものらないお家の方が家で普通充電する分にはEVは良いのかもしれない。

サクラにしても車自体に問題があるのかというと150kmしか走れないEVでも、充電設備さえガソリンスタンドのようにあればよいはずで、それにすごくお金が掛かるという問題があるだろう。ガソリンスタンドのように人が常駐している必要がないから、コストは下げられるはずだろうけども、電力会社から電気を買っているような充電設備だと充電コストは高くなる。遠出をしないということを守れば普段のりには良いのかもしれない。

よって現状は、どこにでもあるガソリンスタンドで給油できるハイブリッドが良いという選択になってしまうのだろうか。林与の場合には遠出することがたまにあるので、EVは使いにくいだろうなあと思える。

普通のガソリン車でも年間5000キロも走らないならそして10年以内に買い替えるなら、車にもろもろ500万円つかったなら、5万kmで乗り切ったことになる。車両購入費維持費燃料費含めて、1km100円掛かっていることになる。タクシーよりも高いということになる。高齢者の運転免許返却の流れは、タクシーやライドシェアの活用という方法しかないのかなあと思えたりする。自動運転はたぶん、50年、100年、実用の結果、無理な感じも見えて来たりで、なかには自動運転だと思って自動で運転していると、自動運転じゃなく遠隔運転されているようなケースもあるという。自動運転が判断してセンターにここは無理だから助けてとセンターへ自動で連絡するんだろうか。5Gではそういう機能が使えるみたいなのがたしかトヨタにもあったような気がする。それをメーカーによっては自動でやってるみたいな、ゲームセンターのサーキットゲームのようなものにのってセンターの人が液晶画面を見ながら運転って怖くないかという問題と、無人自動車などでは、海外では事故も起こってしまっているようである。ゲーム感覚の金儲けビジネスにつながっていてそれが自動運転の限界なのかもしれないと思える。センターのオペレイターのために遠隔運転自動車免許みたいなものも必要な時代なのかもしれない。
2024年11月21日
シャトルの管を交換する時に、管を取り出して、糸を手で引きちぎるような作業があるのだけども、今回のリネン糸は同じ番手の同じ銘柄でも最高価格のあたりで購入したもので、すごく強くて丈夫。また色ムラも少ない。あたり、である。こういうあたりの糸に出会えるとリネンの値段も高くなっても良いのかなあと価格が上がるとともに最近は生成りも色ムラは少なくなってきている。高い時ほど糸がが良くないというのが一般的な話なので、まあ、よくよく考えると、最初は安い原材料から使い始めて、徐々に安い原材料がなくなって来て、原材料も値段の上昇とともに上がってきたかんじなのか。普通考えると良い材料から使い始めて、最後に悪い材料になるのが普通じゃないのかなあと思うけども、利益が優先される海外は違うのかもしれない。

リネン価格もピークを越えたといわれてはいて、来年の3月くらいからはあたらしい作柄の糸に変わるだろうけども、今の過去最高値のあたりよりは、価格は下がるだろうと言われている。高く売れるとなるとフラックスの栽培も増えるだろう。ウクライナという国の偉大さがわかったりするのが、ウクライナ戦争が起こって、日本の小麦粉の値段も倍になったということ。小麦が以前から安いなあと思っていたけども、それが2倍になったくらいは許容範囲にも思える。国内の価格と輸入小麦価格は並んでいるあたりだろう。
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