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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2024年11月22日
EVというのは、太陽光発電したものを充電すると最大のコストパフォーマンスを提供することができて、メガソーラーとかの近くにEV充電の充電設備ができればよいんじゃないのかなあと思えたりする。

日産のサクラというEVがすごい人気で1年ほど前に売り出されたのだけども、すごく早い結果で、使えないんじゃないかというレポートが多く、特に500km走るとかなると初回の家での給電もいれて17000円充電したとかで、普通に軽自動車なら30km近く走るので、6000円くらいのガソリン代だろうと思う。驚いたのが、レポートでどこもEV給電所はだれも充電していないことで、それはそれでよいのだけども、それほどゲスト充電するようなことは稀ということで、設置してもすごく割高な充電料金になりそうだということである。

充電スポットでの急速充電が相当安くならないと普及は難しいのではなかろうかと思われる。街乗りで、1日10kmものらないお家の方が家で普通充電する分にはEVは良いのかもしれない。

サクラにしても車自体に問題があるのかというと150kmしか走れないEVでも、充電設備さえガソリンスタンドのようにあればよいはずで、それにすごくお金が掛かるという問題があるだろう。ガソリンスタンドのように人が常駐している必要がないから、コストは下げられるはずだろうけども、電力会社から電気を買っているような充電設備だと充電コストは高くなる。遠出をしないということを守れば普段のりには良いのかもしれない。

よって現状は、どこにでもあるガソリンスタンドで給油できるハイブリッドが良いという選択になってしまうのだろうか。林与の場合には遠出することがたまにあるので、EVは使いにくいだろうなあと思える。

普通のガソリン車でも年間5000キロも走らないならそして10年以内に買い替えるなら、車にもろもろ500万円つかったなら、5万kmで乗り切ったことになる。車両購入費維持費燃料費含めて、1km100円掛かっていることになる。タクシーよりも高いということになる。高齢者の運転免許返却の流れは、タクシーやライドシェアの活用という方法しかないのかなあと思えたりする。自動運転はたぶん、50年、100年、実用の結果、無理な感じも見えて来たりで、なかには自動運転だと思って自動で運転していると、自動運転じゃなく遠隔運転されているようなケースもあるという。自動運転が判断してセンターにここは無理だから助けてとセンターへ自動で連絡するんだろうか。5Gではそういう機能が使えるみたいなのがたしかトヨタにもあったような気がする。それをメーカーによっては自動でやってるみたいな、ゲームセンターのサーキットゲームのようなものにのってセンターの人が液晶画面を見ながら運転って怖くないかという問題と、無人自動車などでは、海外では事故も起こってしまっているようである。ゲーム感覚の金儲けビジネスにつながっていてそれが自動運転の限界なのかもしれないと思える。センターのオペレイターのために遠隔運転自動車免許みたいなものも必要な時代なのかもしれない。
2024年11月21日
シャトルの管を交換する時に、管を取り出して、糸を手で引きちぎるような作業があるのだけども、今回のリネン糸は同じ番手の同じ銘柄でも最高価格のあたりで購入したもので、すごく強くて丈夫。また色ムラも少ない。あたり、である。こういうあたりの糸に出会えるとリネンの値段も高くなっても良いのかなあと価格が上がるとともに最近は生成りも色ムラは少なくなってきている。高い時ほど糸がが良くないというのが一般的な話なので、まあ、よくよく考えると、最初は安い原材料から使い始めて、徐々に安い原材料がなくなって来て、原材料も値段の上昇とともに上がってきたかんじなのか。普通考えると良い材料から使い始めて、最後に悪い材料になるのが普通じゃないのかなあと思うけども、利益が優先される海外は違うのかもしれない。

リネン価格もピークを越えたといわれてはいて、来年の3月くらいからはあたらしい作柄の糸に変わるだろうけども、今の過去最高値のあたりよりは、価格は下がるだろうと言われている。高く売れるとなるとフラックスの栽培も増えるだろう。ウクライナという国の偉大さがわかったりするのが、ウクライナ戦争が起こって、日本の小麦粉の値段も倍になったということ。小麦が以前から安いなあと思っていたけども、それが2倍になったくらいは許容範囲にも思える。国内の価格と輸入小麦価格は並んでいるあたりだろう。
2024年11月08日
林与も昔は数学が得意だったけども、今は、織物の仕事でも四則演算くらいしか使わないので、小学校くらいの算数ができたら日常生活や織物の世界では大体のことはやって行けるのかなあと思ったりする。昔のそろばんが計算機へ、さらにコンピュータに変わっただけのことに思う。

でも、プログラミングが出来ると、複雑な計算なんかは自動化できるので便利で、自分で戻り値のある関数を定義したりとか、サブルーチンを作ったりとか、また、結果を数値で表したり以外にも、グラフに表したりとかできるので、便利に思える。

糸量の計算なんかも、エクセルとかで自動計算するようにしておけば簡単だし、WHATIFアナラシスと呼ばれるように、数値を一か所変更すると結果がどうなるかなども、いろいろ試せたりするので、既存のエクセルのようなアプリケーションを利用するのも一つの方法で、エクセルにしても一つのプログラミング言語みたいな活用が可能。

コンピュータが使えることで、織物の仕事にもすごく役立っていて、計算機だと画面も小さいので、四則演算にしても複雑な計算などは間違いも起こりやすいけども、コンピュータでやると、全体を見ながら作業ができるし、間違ったところだけを後で修正して、正しい計算結果を求めたりもできる。コンピュータを使えることが織物にすごく役立っている。

コンピュータも今はノートパソコンだけども、若いころには、自作PCみたいなことをやってたので、そういうのをやっておいたことも役立っていて、ノートパソコンでも、踏んづけたりして液晶が壊れたら液晶を交換したりとか、ハードディスクをSSDに交換したりとかも、修理にだすと一般的には、初期化されてしまうことが多いので、自分で修理できるということは自由度が広がる。

今も、10年以上前に発売されたノートパソコンがメインのパソコンで同じタイプの機種を壊れたら買い替えて、そこにWINDOWS11を入れて使っている。CPUの処理速度的には10倍くらい今の最新型と比べると遅いとは思うけども、実質的な体感速度的には、今のノートパソコンとそれほど変わらないくらいに思える。

大事なのは、キーボードのキータッチとか、キーボードにどれだけ慣れているとかで、話すスピードと同じくらいに日本語をタイピングしてもついてこられるようなノートパソコンなので不自由はない。安い中国のパソコンは最新のでも、キーボードの感触も悪いし、新しくてもスピードは遅かったりするので、慣れた10年前の日本製のパソコンのほうが快適である。

中古のノートパソコンも2万円くらいで、バッテリーの持ちも5時間くらい使えるような状態で、手に入るので良い時代になったものだと思う。ディスプレイもタッチパネルタイプだともっと便利なのだろうけども、タッチパッドでもそれほど困ることはないのでその辺りは欲張らない。

たぶん、10年くらい前のノートパソコンなので、周りの人が使っているノートパソコンのほうが、林与のよりも新しいタイプであることが普通だけども、できることというのはそれほど変わらないので、十分である。ノートパソコンでは、AIが進化しても、バッテリーの関係で、十分な速度のGPUは使えないだろうから、満足なレベルのAIはネット接続のない状態ではノートパソコンでは得られないだろうから、まだ、5年くらいはこのままの環境かもしれない。9月に、パソコンが起動しなくなって焦ったが、2週間ほど掛けて、新しく移植が完了して今は快適。

中古で手に入れたA3カラー複合機も、まあ4年くらい互換トナー使って、カラーコピーやスキャナで活用ができていて、ありがたやありがたや。この複合機が無かったら、請求書の添付なども一苦労していただろうと思う。スキャンした画像をPDFファイルとして保存できるのはありがたい。業務用の複合機なのでスキャン速度も速く、画質はクリアで非常に良い。

電気機械関係の会社もこれだけ中古で安く、無料みたいな値段で、使えるモノが手に入るようになると商売あがったりだと思う。自動車なんかも中古車でも問題ない新品みたいなものが多いが安く手に入る。日本の国で、モノづくりの商売は難しいなあと思える。中古の私の1.5kgのノートパソコン本体よりも、箱から出しただけの比較的安い太い番手のL25番手のリネン糸1.6kgの1個の糸や、焼肉とかの食べ放題一人分のほうが高いというのも怖すぎる。

今日は、エジプトのリネン糸70kgほどが届いた。今後の入荷も当面ないだろうという糸で、今後入荷されてもすごく値段が上がるだろうと思うので手に入れることができてうれしい。今は他の仕事が詰まっていて、使うとしても相当後のことになるだろうけども、あるときに手に入れておかないと手に入らなくなる可能性は高い糸。最後の在庫の残りということだが、手に入れることができて本当にうれしい。また、当面使わない糸を衝動買いではあるけど。ラミーの80番の糸も、機屋さんが廃業されるというので100kgほど買われた8割の値段で引き取ったりもしたが、今もその糸は使っていなかったりで、普段使っているラミー100番手よりも太いので、着尺系の若干しっかり目の布に使えるだろうと思って引き受けたのだけども、もう10年近く経っている。廃業された機屋さんも昔の糸だと言ってられたので、もう15数年くらい前の糸になるだろう、昔の麻糸は貴重。

現場では別の織物を織って見ているが、経糸切ればかりでキズがほんと多くており進むことができない。すごく強く太い糸なのに糸が切れてしまう問題で、織機の調整もずーっと続けているが、1mが綺麗に織れないのでは織り進むことは中断中。蒸気を使うのも一つの手だけども、あまり強くかけると別の問題が起るので、蒸気はなるべく使いたくない。整経も失敗をしていないし、糸のロットの問題だろうか、おもりの加減だろうか、幅の狭いタイプはそれなりに同じ織機で織れていたのになぜなんだろう。きっと原因はあるとおもうのだが。
2024年11月08日
ロシアに生まれた若者たちは、苦しいだろうと思う。戦いたくない戦争の戦地で、正当性もなく昔だったらソビエト連邦の同国のチェルノブイリのあるウクライナの人たちを殺すような立場。チェルノブイリの原発事故にしても、ウクライナの消防の人たちが命を投げ出してソビエト連邦の問題を解決した。それでもまったく評価もなくというのは、下民としての見下しの態度で下民はウクライナに命を投げ出せと多数派が苦しめていたような実情があるだろう。

ベラルーシにしても、独立国家でありながらも・・・。ロシアの言いなりでしかなく、ベラルーシの大統領ですらも国民が人質のような立場で気の毒としか言いようがない。このようなしょうもない問題すらも国連の常任理事国が話し合っても解決できずに、エコとかエシカルとかSDGsというのは、本当に馬鹿らしく、まともな人間を食い物にしてモラルを求めながら、権威主義そのものの一番駄目な国連レベルの現実。

人間としてまともな感覚もなく、人の命すらも守ることも二の次になって戦争を正当化して意味があるのか?戦争が起こっても、死ぬのは下民だという国家主義、それは一番駄目で自分が前線で戦うのが当たり前の覚悟がないと国家元首としてもダブルスタンダードで、愛国心すらもない卑怯者の極み。でも、そういうのが国連レベルで、世界中で人が多くなくなっていく。国連もまともな感覚にならないと世界中が集まってSDGsとかは、国連自体が一番駄目な組織でしかなくなる。

アメリカの大統領選なんてものは、平和すぎてどうしようもないほどに思えるが、その平和さが戦争を必要とする原因でもあったりするようにも思える。選挙にしても勝ったとか巻けたとか、そんな感覚でしかとらえられないのがどうしようもない気がする。負けた相手も勝ったものたちが幸せにするのが政治であるはずに思うが、敵と味方の区別でしかないのか。違う価値観の存在を尊重し分かり合うことはできないのか。それでも、アメリカは、共和党と民主党が政権を入れ替わることで、バランスが保たれているようなところがあるのを感じたりもする。

独裁政権みたいな状態こそが一番危なくて、多数派が政治を捻じ曲げないためには、裁判所の独立性が非常に大事だと思う。アメリカの場合には陪審員制度があることでそれが保たれているようにも思える。アメリカにおいては、権力が腐敗したり乱用されたりするということを当たり前に想定もしていて、法の下には誰もが平等の精神という概念がそこにある。ただし、アメリカ国民同士においての話で、国同士においては、アメリカはNO1でないといけないみたいなのが不思議に思うところ。中国に中華思想というものがあるが、それと同じような思想でアメリカも運営されていて、アメリカのNO1を脅かす国というのは悪とみなされる。一方で、アメリカという国は移民で成り立つ国で、さまざまな人種の人たちが集まっていて、そういう思想を形成しているので、多様性のなかでの全体としてのNO1意識なので、まだ安全なのかもしれない。個人の思想の自由を重んじ、全体主義を否定しているところが、一方の考えに傾き始めたとしても、ブレーキが効くことにもつながる。ベトナム戦争なども失敗だったという判断に至っているあたりなども理性的な部分を保ち続けているように思える。

ロシアにおいても、ゴルバチョフのような存在が否定され、プーチンが再びロシアを強く戻したということでロシア国内では人気は高いとはいえる。ゴルバチョフによるソ連の解体によって、どんどんと弱体化が進んで経済的には貧しい国になってしまって、明らかに中国のほうが力を持つようになった。親和派のゴルバチョフがロシアを弱らせたという結論に至っているのがロシアの年配の方たちの一般的な考え方とされる。

自国のことや、権力者を馬鹿にすると捕まるような国というのは、非常に危険で、その点ではアメリカというのは、自由の国アメリカらしいと思える。例えば、国民がトランプを馬鹿にしてもつかまって投獄されるようなことはないだろう。全体主義国家だとそういうことは許されない。今回のウクライナ侵攻においても、ロシアの若者たちが反対を表明するだけで、警察に犯罪者としてつかまるという問題が露呈した。自分自身の考えを表明することすらも許されない国というのは、民主主義的な社会では当たり前の人権という概念すらも保証がないことになる。
2024年11月06日
今日、夕方、地域の年配の方と話す機会があったので、農業関係のこととかいろいろと分からないことを尋ねてみた。聞いたこと全部詳しく教えてくださって、お墓のことなども分からないことがあったので聞いてみると、永代供養というのは墓地を使い始めるときに支払うものらしいということで認識はあっていた。一般的には永代供養という言葉は、それを払うとあとはずっと管理してもらえるみたいな意味なので、そのあたりをはっきりとしておきたかった。というのも、親が区長をやったときにも、前の区長さんが永代供養を払った家からは毎年の利用料をもらってなかって、もらえていなかったので貰いに回ったらしい話をして私に永代供養の意味を聞いたので最初に払う頭金やろうと思う、お墓のある家は毎年利用料を別に払っているから、という認識をしていたがそれで間違いはなかって良かった。

その話をすると、いろんな規定なども時代とともに墓地の区画整理などともともに変わってきた話なども教えてもらった。区画整理でそのままの家もあるけども、下は触らずに区画整理してお墓を均等に並べ直してあるので、昔のように墓石の真下に先祖が眠っているわけではないというような話や、まあ、今は土葬もしないので、お墓の下には地域の方々が眠っていると理解すればよいのではなかろうということになっているらしい。共同墓地みたいな概念も今はなくて、年額の利用料が一定の間払われていなければ無縁仏とよばれる墓地の隅のほうに墓の下は触らないまま墓は移動されるそう。そういう話を聞けるうちに知っておられる方から聞くことができておいてよかった。

過疎化の流れの中で、若い人たちも少なく成っていて、こういうことを同世代の方でも知っている人というのは少ないだろうし、どういう風に考えるのが正解なのかを知っていることは、自分じゃなくても誰かが困られたときにも、知らないとか分からとかとか答えるよりも、今はこのようにやっているらしいと一つの実績のある方法を答えることができる。

除雪のことなども集落の一部の方が担当をして雪が降れば朝早くからやっててくださるが、そういう仕組みについても詳しく聞けてそういうのも集落の方の多くもあまり知っておられないだろうと思うのと、他にも草刈や河川の清掃などもどのような仕組みになっているのかを教えてもらえて、そういうのも知らずにやっているよりは知ってやっているほうがやっている意味も分かって良いだろうと思う。本当にものごとの意味を伝えるのが上手な方だなあと思う。

ものごとの背景や意味合いなどをはっきりと説明してくださる方にも出会えなかったので、今日は思い切っていろいろと尋ねてどういうものなのかというのが理解ができて良かった。やってくださってる方は分かっているのだろうけども、やってないものには分からないことが多いので、やっていなくてもそういうのも分かったほうが良いだろうと思うし、知ろうと思ったときに正しく説明ができることが大事だろうと思ったりする。

長年の多くの謎が解けたような気もする。今までは尋ねてもはっきりとした答えをもらえないことも多かったりしたけども、役を当たって協力を求める側の立場で、その意味合いをよく分からずに説明も出来ずに協力をお願いしているというのは、すこし、心もとない話なので、やっている理由がはっきりと分かったことは良いことである。
2024年11月05日
すごく当たり前だと思っていたことが話がかみ合わないというか、言っていることがまったく分からないと言われたことがあって、分からないはずがない本当に分からないのかと思ったりもしてたのだが、その謎が解けた。それがパソコンが使えるか使えないかみたいなあたりが、ものごとの考え方にも強い影響があるのだと気が付いた。

林与は自分で書類を作ったり、みんなの話した結果をまとめたりいろんなことを書類化するのが得意で、検討や指摘や変更や話し合いをするのがものごとをするときの当たり前のプロセスとなっている。けども、昔の会合などをみると書類というのは専門家や事務局が作成して、印刷したものを配って中のことが正しいとか正しくないとか議論をするようなステップというのは当たり前でなかったりする。

話し合いなどが前提でみたいな考え方の場合には、話し合いのための資料を準備したりとか、どうしても変更などがともなうので書類から作り直すようなことが必要で、自分で資料をつくることができたりしないとすなわちパソコンが使えないと、話し合いを前提としたものごとの決定というようなことは言ってることがまったく分からないということにつながるのだろうかなあと、言っていることがまったく分からないと言われてもそれは相手に悪意があるとかじゃなく、私のいっていることが本当に分からないのだというのが、解けた気がする。

パソコンが使えるか使えないかで、ものごとを決めるときに話し合いが必要なのか必要ないのかという考え方の違いみたいなものが生まれてしまうというのも、殺生な話だなあと思える。別にパソコンが使えないというのは悪いことでもない。でもその差が人と人が理解し合えないという別の問題を生んでしまう。私なんかは、印刷された文章を読んで、数字など整合性がないと思ったら普通に指摘して直したほうがよいのではみたいなことを当たり前にいったりしてしまうが、そういう指摘をする人というのは少数派だろうとは思う。そういうのを指摘されるのが当り前の日常だからだと思う。織物なんて言うものは、柄割した計算結果が生地になっているようなものだし、小さな傷でもやはり指摘されるような織物の仕事。やった仕事は基本全部記録に取っておかないと同じものをつくるときに再現性なども難しいし、適当にサンプルをつくるなどはありえず、縦本数、縦の柄、横の柄、打ち込みのギアなど記録を取っておくのは当たり前。百貨店アパレル向けは、さらにそこから検査という段階とかをパスしないといけないので、使った色糸の染料の番号だけでなく、どのロットの糸を使ったのかなども、検査が通らないときには、再度織りなおしたときに検査が通るようにどう染めるかとかにも影響してくる。

アパレルや問屋さんなどにはテキスタイルデザイナーがおられるけども色柄までの方が多く、それプラス、目には見えない品質物性的なテキスタイルデザインの部分をサポートしないと、ブランドさんや販路によっては、織って反物が出来上がっても洋服には使えないと判断される大きなリスクがある。百貨店ブランド向けは、材料と確かな技術の組み合わせにこだわるのも、一つでも甘いと全部駄目になってしまうと思うから。

ものづくりで、利益率を上げろとか、在庫を持つなとかみたいな発想があるけども、そんな浅いところでやってたら大きな失敗を拾ってしまうだけのこと。失敗したときに喧嘩になるようなこともしたくないので、失敗はなるべくしないように石橋をたたくような確認確認のものづくり。間に問屋さんが入るとて抜いて安くやろうとするので問題も起こりやすい。たとえば、糸なんかもサンプル分だけ染めて糊付けてとか、そういうのは失敗のもと。ジャストインタイムな話というのは、実際の生産現場では無駄ばかりというのも現実で、それを強いている側は大きな無駄を相手に強いてドヤ顔してることを気が付いていないだけのことで、必要な時に必要な量だけを生産するというジャストインタイムなものづくりがエコとか無駄がなくて地球にやさしいとかは、林与とは話がかみ合わない。
2024年11月04日
小学校6年のときだったか、剣道の全国大会で東京に向かう新幹線の通路を歩いているときに、林与の先代は、おまえなにしてる、先生の防具を持てとかいう。もちろん自分の荷物と防具を持っているので持てるはずもないのに、先代はほんとうにそういうところバカそのもので、剣道の先生は健全な精神を持っておられて子供たちを育てておられ、子供に自分の防具を持たせて自分は手ぶらでみたいなことを喜ぶような方は一人もいない。偉そうに良い顔したいだけの親が、絶対に無理なことを子供に命令してすごい親みたいな気分になってるアホ。

先代自身は、小さなカバン一つでほとんど手ぶらで、自分が先生の防具を持つという感覚は絶対にない。どうしようもない大人というものはその程度。剣道の先生方が作り上げている健全な秩序みたいなものを、調子に乗った商売人の泥臭さが出て、壊してしまう。もし、そんなことを子供頃の林与がやらせられてそういうのを当たり前だと思ったら、大人になった林与が逆に若いものに自分の荷物を持たないのがおかしいみたいなどうしようもない感覚すら感じてしまうだろう。意味もなくアホなことをさせようとするものがいたりすると、させられたものが将来アホなことをさせる側になる可能性も高い、アホの連鎖はどこかで食い止めないと。

スポーツなどでも、いじめがあったりするが、アホな先輩がいるとそれが正しいことのように代々いじめが続く。3年生が1年生をいじめるでなく、卑怯な3年生は、2年生に1年生をいじめさせる。2年生は1年生をいじめないと3年生から目をつけられるから、いやでも1年生をいじめないといけなかったりとか連鎖する。上下関係なんてないほうがマシで、そういうのにとらわれて大人になった人というのは気の毒だけど、日本社会では年配者に横柄な人が多かったりして、若い者が常に気を使っていないと腹が立つとか、若い人を見下していないと気が済まない人も多い。将棋界などは、今は完全に実力主義の世界で、若い世代の人たちが活躍していて、子供たちが棋士になろうと憧れる。年配者も、上下関係を利用して若い世代を潰そうと思えば潰せるだろうけども、そういう腐ったことはしないのが、今の将棋界の偉いところ。
2024年10月23日
高校生のころだったろうか、地元でお蕎麦屋さんがあって、そこの一人大将が先代の昔からの友人で先代もその方の商売が成功すればよいなあと応援をしていて、年末に年越しそばを頼んだ。年越しそばが12時を回っても届かないので、忙しいのだろうと思い、電話で事情をきくと、雪が降っていて道も凍っていてその中を自転車でそばを配達しようとして、自転車が倒れて、そばを作り直しているのだということ。

普通の家だと大みそかはテレビなんか見て一家団欒だろうに、商売をしていると商売のほうが優先で大晦日も仕事で、仕事をするとやはり問題なんかも起こったりも当たり前で、責任感を果そうと、またそば粉でそばを打ち直すところから数千円の注文の約束のために必死の作業。普通だと配達中に事故があったので今回はキャンセルですみませんということもあるだろうし、うちの家も、逆に気の毒なことでと思うけども。

昔から知っている間柄で、お蕎麦屋の開業にしても先代にも世話になっている部分もあったようで、律儀にそばを打ち直して届けるということを選ばれたことを今も覚えている。1時間、2時間かけてそばを打ち直すところからやっていたら、そもそも蕎麦屋の商売もそばを手打ちするような商売は、バブルのあとくらいで地道でなかなか成り立たないことなのに、田舎の年配の男の人たちというのはなかなか仕事が見つからない方も多かったし、仕事を転々と変えられておられる方も多かった。他の下請けで生活を成り立たせていくみたいなのが普通だった時代。

その方でもまだ外で雇われて働いておられた方だったから、外で働けるということで先代も林与の仕事とは関係を持つことはなかった。林与の親戚筋の方が林与の仕事に携わっていることは多かったけども、なかなか田舎の農家では、昭和の時代で食べていくのも難しく、集落の外で働く仕事が見つからなければ自営でもして家族をやしなっていかないとならない。

戦前、戦後あたりの話を聞いていても、集落の中で生活が難しいのが当り前だったりして、京都や大阪の親戚を頼って丁稚奉公にいったりして教育や仕事を教えてもらって田舎の母屋を支えたりとか、集落の親戚の中で困った家があったら親戚が預かって自分の子供と同じ様に成人まで面倒を見て嫁ぐまでまた家族を持てるまで願ってとかも普通で、林与のお爺さんのころも八重ばあさんとか勘一爺さんとかは、事情もあって与一爺さんと兄弟姉妹のように林与の家で育てられた方で、本家の与一爺さんとかは、ヨジヨモン爺さんから一番厳しく育てられ、他の親戚の面倒をしっかりとみられるように清水お婆さんとか西出お婆さんとかもすごく強い思いでいてくださって、今も世界の高級ブランドが憧れてくださるような近江上布絣の一つの流れが、林与の家を中心とした集落規模の親戚一同の仕事として戦後も存在していた。それは普通とはまったく逆の世界で、食べても行けない困った人たちをどうやって支えていくのかというところを当時から今でいうSDGs、サステイナブルを一貫してやってきたのが繊維業界で、そういうのは、インドの貧困を救うカーディー文化にも通じるところがある。

今のサラリーマン社会ではそれがブラックのように言われることがあるけども、貧困層の面倒をみようとしないで契約で縛って人間関係を切ってホワイトな金儲け主義、そういうのだと、貧困を助長するばかりで一人で何兆円の資産とかはもう繊維業界の貧富の差の典型で、そういう分かち合わないビジネスモデルが世界の貧困なんてものを救うことはできないし、ホワイト企業トップや国のトップが貧困層と同じくらいの質素な生活も享受し耐えられなければききょうレベルや国レベルでも貧困問題の解決も難しいだろうと思う。

NEWSWEEKの海外記者がインドか中国への悲惨な状況ということで、働く本人が農業くらいしかなくて食べていけなくてTシャツ工場で12時間働いて生活が改善して満足していると行っているのに、そういう会社が最悪の会社だ見たいな、自分自身がその人を助手としても雇って家族の面倒も見ない人が、嘆いていても始まらないだろう。NEWSWEEKの記者レベルでも、自分が一人の人とも分かち合うもない感覚で、分かち合おうとしている生きるか死ぬかの困った人を救おうと雇った会社を叩いていて、浅すぎて残念だけども、そもそもその労働者を自分が支える気持ちもまったくなく、すごいことをやっているという感覚は恐ろしいホワイト感覚で、それこそが奴隷は奴隷の面倒を見る人の責任みたいなのが当り前で、面倒を見ている人を奴隷のような悪者にしてしまう。ホワイト感覚の階級構造自体を否定するべきだろうけども、そういう根本的なところから逃げてしまうようなホワイトSDGs、エシカルでは駄目だろうと思う。
2024年10月14日
合成繊維というのは、より安定していて糸も均一なのだけども、天然繊維よりも安い。なぜでしょうか? 

それは、合成繊維は天然繊維を安く生産するために作られたものだからです。レーヨンはシルクの半合繊バージョン。アクリルはウールの合成繊維バージョン。ポリエステルは綿やリネンの合成繊維パージョン。より均一で完璧なものだけども安い、実用性の面では合成繊維が勝ることが多く、安価な服の素材というのは一般的に合成繊維。

用途によっては、合成繊維のほうが適している場合があって、自動車のシートなどは、20年太陽に当たっていても、大丈夫なくらいに丈夫でないといけないので、ポリエステルなどが向いているようである。高級な車なら本革シートというものもあるけども、キズが付きやすいことがマイナスだろうと思う。本革の代用は、ビニールシートだろうか。ビニールシートは軽トラとかのシートに使われているけど、案外、ボロボロということが多いので、ビニールというのはそれほど丈夫ではない。
2024年10月14日
カラムシの語源は、古代の韓国の王朝加羅からの由来でモシが転じてという説や、茎を蒸すからカラムシという説などが一般的だけども、はっきりとしたことは分からないとされている。私自身、カラムシの加羅というのは古代韓国王朝ではなく唐(中国)のことだろうなあと感じるのは、唐糸(カライト)という言葉、それは絹の糸を指す。それが麻糸なら、唐麻糸と表現されたのではないかなあと思ったりする。カラマシというのが転じて、苧(オ)のことを、中国から糸ではいってきた麻糸(マシ)の場合、カラマシ、それは糸のことで、材料が苧麻だったから、中国からの苧麻がカラマシと呼ばれたことで、それが苧麻だったから、カラムシって訓読みが増えたんじゃないだろうかと、唐揚げとか唐紙とか、とおなじような流れを推測する。

カラムシは唐麻糸から来ているというのは、林与が思いついただけのことだけど、本当か嘘かは別にして、説明としては、それなりにまともに聞こえませんか。
2024年10月14日
社員に優しい優良企業と言うのはどうしても裏のある事が多く、まともなビジネスではなく。そういう大手は商社的になりがちで他の会社にほとんどの責任を追わせて自分はマイク増益増収だよよかいってるけど、自分がマイナスでも支える気持ちなくで、しごともことわるしかないし残念な話でお客さんが何千マンのおかねもまわすのが苦しくてというか10万円でも自腹を切る覚悟もないとか、ひとつのぷろじぇくとを行うときにまともなものを支えていこうと思う人もいるけど。底辺覚悟で働く気持ちもなく何億の大きな話ばかりで。地道に働いてそれを馬鹿にしてメイドインジャパンのこだわりとか、古代マフの再現でもないものを百貨店まで巻き込んで大丈夫なのかと心配する。

林与が商品をお客さんに語るときには、麻100%の世界最細番手のすとーるとかはただしいこちだというけど、古代マフの再現とか言うと。昔の太布というのはフニャフニャで嫌われたものを、現代のアパレル感覚で柔らかくて、最高のの古代麻布の再現と言っているだけで。昔の良い麻生地というには凄くハリもあってこうたくもあyてかただはあってしっかりとじていた。高級品というのは一張羅に見える必要があって。鎧用なハリと腰と光沢をともぬ神々しさが必要。それは日本だけでなくアジアの古代の王家の麻布に共通するような価値。シルクにしても古代のシルクは柔らかくふにゃふにゃでじゃなく。安里市が得るほどのセリシンも残った未精錬のもの。
2024年10月04日
麻糸は、苧績みしてつくられる。ひょんなことで昭和村を訪れる機会ができて、9月の半ばに昭和村の博物館で2時間ほど過ごした。なぜ昭和村で、麻の原料をつくることが大事に思われているのかというのが感じられた滞在で、これは、表現が悪いかもしれないけども、恵まれていない山村で、農村としても広い農地もなく、陸の孤島のような村の生活があったからだろうと思う。農家のできることが糸を績んだり、糸の原料を育てることで、長けた人がいたのだろう、より良質の原料を取れるためのカラムシを栽培する技術を村の生活の柱として培われてきた。

奈良の月ヶ瀬の大麻の苧績みも同じく、月ヶ瀬という場所が陸の孤島のような場所だったから、そういう技術が発達し、また残りやすかったということもあるだろう。沖縄の宮古上布にしても同じで、島という要素。工業化や機械化するという次のステップに行くこともなく、手仕事で生み出して行くのができることのすべて。

能登ももともと近江上布の原料の産地としていわれているのも、糸が能登で績まれていたのだろうと思う。糸を織る技術に長けていたのが近江で、その原料というのはもともと昭和村のような東北の地から、寄港地である能登に渡ってきて、そこで績まれた。能登という場所も、能登地震でこの一年は名前をよく聞くようになったけども、なかなか地震がなかったとしても、滋賀県からでも能登半島のてっぺんまで車で行くとしても覚悟が必要な話で、能登上布を育んだ背景みたいなものが分かれば、いろんな麻織物の謎の解決にもつながるだろうから一度は訪れて知っておきたいなあと思う。

昭和村にいったときも、昭和村に行く途中の田んぼの土手に立派な苧麻畑が自然にでいていて驚いた。1m近くの高さの苧麻が密集して自生していて、それは単なる雑草で使われないだろうけども、林与の周りではみることもできないようなつる草の世界が、苧麻で広がっているような光景。また、林与が興味があったのは、昭和村に行く途中の山道に自生している苧麻で、近江湖東地域とどう違うのかというあたりもとくに赤苧に関しての考察の検証的な面で、織物で言われる赤苧が、苧麻なのか苧麻でないのかというあたり。植物のアカソが山道に自生していて、真っ赤だったのも印象的。葉っぱも落ちて、真っ赤な茎だけになって、何百本も山の壁面に残っている。一方で、苧麻の茎が赤いものというのは、ないことはないけども、ほとんど、成長途中のものでは見かけない。

64種類の日本のいろんな苧麻や世界の苧麻を育てられている苧麻畑も参考にさせていただいて、日本の苧麻の歴史に関しての林与の持論的な考察とも整合する。近江上布に置いて、「きぬあさ」とよばれたものは何なのかというのも、自生しているカラムシなのかあるいは、福島産のような上質の物なのかという判断も、福島産のような白くて光沢のあるものが「きぬあさ」と呼ばれたものなのだろうなあと思う。

麻の着物の世界においても2ジャンルあったことはあまり言われないけども、そういう概念も大事で、味の世界と、品質の世界という2ジャンル、味の世界では、キビラのような粗にみえるものが評価をされて、品質の世界ではきぬあさとよばれるような世界が評価をされる。

奈良晒の最高峰みたいな織物も、林与が見る限りでは生平の世界のジャンルで、奈良晒なのになぜ生平なのとは思ったけども、晒す技術というのは今はもう残ってはいないというのが現実的なところなのだろうと思う。それを低く評価してはならないとおもうし、現実というものを受け止めて織物をつくるということを考えていく必要があって、晒す技術にしても今は禁止されているような技術ばかりだったりもして、昔だったら川や河原でできたことが、今の日本では許可が出たとしてもそんな許可を求めてやっているようでは成り立たないという問題もある。ほんと国が駄目だと規制ばかりで地道なものにしてⅯの自然破壊だとして、日本の伝統工芸にしても自然破壊で昭和の時代に規制され壊滅状態になりながら、今はそれを日本の宝として復活したいみたいな国レベルのご都合主義のだらしないどうしようもない感覚的な伝統感覚で、日本で産業がどんどんつぶれてゆくのもそのあたりのどうしようもなさ。関わらないでほしい、ほんと。
2024年09月21日
9月後半ながら、猛烈すぎる残暑、車の外温表示が37度を表示していたので、おかしいだろうと思ってネットで調べてみても彦根が36度であっている。暑さだけでなく蒸し暑さがすごくて、工場の中というのは日陰でも風が流れていないからもっと熱気があるように思える。とりあえず小さな扇風機でも回しているだけで助かる。

屋根からの熱を受ける2Fはもっと暑い。整経作業はそういうのを乗り越えてなしてゆかないとならない。子供の頃に剣道をやっていたので暑さくらいはたえられないとというかんがえをもっているので耐えられるんだと思うし。冬の寒さも同じように思え、武道の世界というのは、レベルが高いなあと思うし、子供は炎天下でも何キロも歩いて通学している。

2024年09月11日
9月6日、7日とマイドーム大阪で、手作りが趣味な人が3万人ほど集うイベントが行われ、林与も、2コマで出展させていただいた。一コマ分は物販で、もう一コマ分は手織り機を2台置いて無料手織り体験を行わせていただいた。今回は、無料手織り体験の表示もA4の用紙にマジックで書いた程度の表記で、準備不足感があったものの、会場の中というのは、来場者であふれているような感じで目の前の通路も、常に人が行き来されておられるような状態。林与が出展させていただいている場所も一番手織りもしやすいような場所を割り当てていただいて、会場全体の中でも手織り織機が2台あるのは目立つ存在だと思うので足を止めてくださる方も多い。体験できますかと尋ねてくださったり、やってみたいのだけど大丈夫ですかと聞いてくださったり、また、立ち止まって眺めておられる方にはお声をかけさせていただいて、簡単ですからやってみてくださいと、林与が1台に座って説明しながら織って、もう一台でマネしながら織ってもらうみたいな、1分程度の説明で、あとはご自身で続けてやってもらって、お困りのときだけ手助けとアドバイスするような形。

前回は体験していただいた8割くらいは中学生以下の子供さんたちだったけども、今回は、来場者的にも小中学生の方などは前回よりも少ない印象で、体験いただいた方の比率も、20代手前の学生の方や20代からの一般の方が8割くらいで、子供さんというのがメインターゲットなのかなあと思っていたのだけども、子供さんだけでなく多く一般の方がやってみたいとおもって、実際に手織り体験をしてもらえ、未就学の子供さん、小中学生、高校、大学生くらいの方から一般の方全般、年配の方まで多くの方に、手織りを体験いただけた。おおさか手作りフェスタのような大きなイベントで、手織り体験をさせていただけるのは本当に幸せで、一人でも、手織りに興味をもってやってみて、楽しいなあと思っていただければなあと思ってくださればという思いでやっているので、多くの方がやりたいと思ってくださりご経験いただくのは本当にうれしい。

去年もきてくださったお子さんがまた今年もやってみたいときてくださったりと、手織りするということを経験して楽しいと思ってまたやりたいと思ってもらえるのはありがたいことで、


2024年08月22日
作業にはいろんな方法があって、仕事はそのいろんな方法の中で、速く正しく綺麗にできる一番ベストな方法を選ぶみたいな感じなのかなあと思う。工業的な生産で高度なものごとをやるときに程、この考え方というのは大事で、作家的なものづくりとは異なるところであったりもする。

麻のものづくりをいろいろと網羅できるような会社というのは少ないと思う。それは、林与にしても同じで、安いものを作ることが難しいのは糸からして染からして加工からして、安いものの組み合わせがはいるというのはもったいないからと思うから。日本で一番安いモノづくりを組み合わせれば、できることも増えるし、世界で一番安いモノづくりをすればできることも増えるけども、世界シェアNO1を目指すような金儲け主義の独占したいような考え方で、そういう人の感覚というのは金儲けできるかどうかというだけの世界で、儲からなかったらやめるみたいな続かないものづくりで、それは成金趣味と重なるところがある。

M帝国やU帝国的なビジネスモデルを世界に広げれば、犠牲者が多くなるだけどころか、日本の繊維業界の本質すらもが失われるばかりで、MやUな方たちも林与の存在というのは、それなりに例外だとは思ってくださっているけども、方向性が違いすぎて、謳いすぎて熊本のアサリ偽装を超えた無責任さがあるのではと思う。MやUだけでなく日本の百貨店ビジネスにおいても、偽装物ほど良いものみたいに評価されがちなラベルビジネスに落ちてしまって、どう消費者を騙すかみたいな金儲けビジネスそのものになっては一番駄目で、誰もそういうのを警告すらもできないほどに、知識と経験もない人たちが金儲けばかりに走って残念過ぎて、伊藤忠OBの日本を代表するような方でも、合成繊維とかそういうのでの商売で、金儲けだけで、林与はマイナス44点の会社といわれ、その伊藤忠OBのプロジェクトマネージャーも関西の重鎮だった方だけど、布を見る目が全くなくカネもうけばっかりの感覚で、いくら上流階級的にすごいみたいな感覚すらもが、自分の身内のためだけに食い物みたいにしただけのビジネスで、日本の国レベルが本当に終わっているなあと実感。

めいっこかしらないけど関わりたくもない、一般の方位に普通に程度の感覚をもって布も買っていただける範囲なら販売もさせていただけるけども、いくら有名な方の娘さんでも、林与は一切受け入れたくないような対応を日本のモノづくりを支えるような伊藤忠Obのプロジェクトマネージャーが、林与にマイナス44点で、そうですかで切り捨てる話。伊藤忠OB的な自分の周りに金をバラまきたいみたいなサラリーマン感覚だとやめておいた方がよいと思う。関西の重鎮と思われている方だけどそのていどのあほをみせていただいて、関係もしたくないし、関係すると食い物にされる自分自身が地道に日本の繊維産業を背負って支えているのを金儲けとか自分の姪っ子にとか、気持ち悪すぎで、日本の補助金制度自体がその程度で、本質から金を天下りした人の関係者に誘導する目的みたいな話で腐ってしまっているような本当の話。
2024年08月15日
先週夏祭りがあったけども、夏祭りの思い出で一番印象に残っているのが、大学生のころに一つ上のやんちゃだった方が、私に対して、すごく礼儀正しくしかも、そういうのを託そうとされていたことで、そこまでの覚悟しておられる若い方がおられ、一言一言が偉そうでもなく、誰もそういうのを背負う人がいないから、次は一つ下の若い時の林与にお願いしますみたいな、大学1年だった林与からするとそれはほんとうにありえないほど、大人だなあと思えた。

一切横柄な態度もなく、すべて自分が背負ってやってきたことを次の世代に託そうとしてられるのが伝わって、林与とは親戚筋というのはあるけどもそれ以上に、30年以上前に田舎の難しくなっている夏祭りを運営できるのはお前しかいないみたいな話で、大学のサークルでも一番世話になった方が滋賀県の彦根の方で、チャラチャラした都会感覚じゃない田舎の感覚というのが本当に大事に思ってもいたりして、ちゃらちゃらとした感覚と向き合える人というのは10人に一人とかが普通で、それでいて組織を支えてゆかないといけないというようなあたり。

組織ではおいしい思いをしたいチャラチャラした感覚との戦いになるので、まともなことをいうと干される立場で、責任を背負うのでどこまでもお前がやれみたいな偉そうにいう方も多い。偉そうに言うなら組織の責任を背負って組織を成り立たせてゆくのがよいのではないかと思うけども、なかなか一つのことも話し合いすらも難しいのが、70、80の方との話し合いで、70代や80代の方が偉そうに言うのに無責任なことばかりいわれて、自分とは関係ないとかばかりで、その解決を若い者に求めながらご意見番みたいなほんとそれが一番駄目。70、80なら普通に分からんと駄目だけど、分からない人というのは他を食い物にして当たり前の、自分が一番かわいいが当たり前で、自分が底辺を背負う気持ちがあればよいけどまったくない、特攻に集落の若いものを差し出して賛美しているような田舎の末路そのもの。戦前のだらしない年配者の感覚が続きすぎて、自分たちの子供を差し出したとかですごいことみたいに思っているくらいなら親が自分可愛さに子供を犠牲にするだけで、国の犠牲の肩代わりはやめたほうが良い。そういうのが戦争の本質だろうと思う。

美しいことを言いながら自分が最底辺を引き受ける覚悟もない、エシカル、エコ、サステイナブルの美しい階級社会は、地道な方をラベルだけで食い物にしてなりたつようなラベルに依存して成り立つような協会ビジネスで、一番駄目な繊維業界の案サステイナブル、アンエコ、アンサステイナブルな日本のビジネスモデル。全員が全員じゃないけど日本のサステイナブルビジネスモデルは世界的に見ても営利目的でまともを食いつぶすような世界最悪レベルで、昔からの地場産業の感覚以下で金儲け主義、ラベル主義、まともな話をしようとするとそれは傘下企業の責任で済みたいな方たちがほとんどで、GOTSすらも責任逃れが多くなりすぎて、遺伝子組み換え不使用を謳ったまま、遺伝子組み換えなんて言うのが努力目標というだけに裏ではしてしまっていて、偽装の本体になりつつあるのを警告するのも、GOTSが偽装の本体になってしまってはダメだろうというプロの感覚で、日本の繊維業界の従来の普通以下になった合成繊維をまぜてオーガ肉みたいな国際認証に何の価値があるのだろうと思う。関わっている人が、消費者が求めるよう天然繊維のハイレベルなオーガニックを守ろうとしておられず、謳いだけが合成繊維混で、オーガニックという昔のヨーロッパレベルの世界的には繊維業界ではどうしようもない基準に戻っただけ。
2024年08月13日
もう1年くらい、ココイチには行っていないと思う。普通にカレーを外で食べるならスキヤのメガくらいで十分だろうと思うし、どこのカレーでもそれなりにおいしいと思う。でも、なんか体調がすぐれないときや頭がすっきりとしないときには、ココイチの10辛くらいを食べると、神経が刺激されて、だるさみたいなものから回復できるように思う。先日は江國さんとインドネパールカレーのランチセットを食べたが、それなりに辛くてリフレッシュできた。

先週の土曜日には、集落の夏祭りが行われたが、炎天下で2時間ほど、じっとめだかすくいの番をしていたら、熱中症気味になって、午後になって皿回しの練習を子供たちに混じってやったら回復した。外で何時間も太陽に当たったのも珍しい経験だったので、たまには外で体を動かすようなことも大事だなあと思った。

夏祭りの運営も、50代の人たちが多いのかなあと思う。林与も50代だけども、私よりも若い人たちもすごく盛り上げるのが上手だし、集落の子供たちはすごく前向きで、多くの子供たちが大道芸人親子に教えてもらって皿回しに挑戦をしていた。もうそろそろ時間かなあと合図があったあともやりたい子供たちがいて、それに大道芸人の親子が終わりとも言わないで満足できるまで練習させてくださってた。林与にとっても貴重な経験だったと思う。

林与も手織り体験などをやってるものなので、同じような機会があったときには、自分自身がチャレンジしておくべきだと思っていたりして、年をとっても恥ずかしがらずにそういうのやってみるのは大事だとは思っていて、経験できて良かったと思う。70くらいの気さくなお方もお孫さんと一緒にこられていてお孫さんと一緒に皿回しに挑戦されていた。

子供たちも、大道芸一家の娘さんたちがすごいことをできるのをみて自分もやってみたいと思って、教えてもらえるような大事な機会を本当にもっとやってみたい、できるようになりたいという思いで、夏祭りの本当の主役として活躍してくれ、観る側の参加者も楽しませてくれた。
2024年08月12日
今日は午前中に電動草刈り機のテストを1時間くらい公園で行う。草刈りの問題が田舎だといたるところで必要な作業として起こるので、林与もなかなか草刈りが倉庫周りも出来ておらず、親戚の方が草を刈ってくださってたりしたので、今後は林与自身が草刈りをなるべく簡単に行えるように、本格的に道具から揃えておいた方がよいと思っている。

最近、手軽に扱えそうな草刈り関係の道具を5万円くらい買って揃えてみた。手動芝刈り機、充電式草刈り機、草焼きバーナー、充電式チェーンソーなど、とりあえず、試しに使ってみて評価を自分でするしかないなあと。他にも、草刈り機の替刃や芝刈り機の刃研ぎなども揃えて、なるべく簡単に草刈りができるように態勢をを整えておく。エンジン式の草刈り機は重すぎるし燃料も必要で補充の際にこぼれやすいし、石などがあると危険なので、パワーは劣るけども電動の草刈り機のほうが柔らかい草などは根元まで刈りやすいと思う。

芝刈り機も大型の物もあるけども、25mmくらいまでしか刈れないものが多いので、10mmまで刈れる手動のタイプをとりあえず試してみる。手動の芝刈り機と充電式草刈り機は使ってみて正解で、電動チェーンソーと充電式のレプシソーは微妙。草焼きバーナーはまだ試せていない。充電式のバッテリーは20分くらいしか持たないが、レプシソーも同じタイプなので、4個ももっていれば1時間草を刈れば翌日にまた作業で良いだろうと思う。

充電式の草刈り機は軽くて疲れないのがよい。手動式の芝刈り機は根元まで刈ることができるのがよいし、自分で刃を研ぐことができるところもよい、刈った草を集めて地面が綺麗にみえるのもよく、刈った草がたい肥化するのを防ぎ草が再度生えてくるのを防止しやすいと思う。充電式草刈り機やレプシソーの替刃などは海外製品なので海外から安く手にいれることもできるし、また、草刈も柔らかい草を刈らないといけないことが多いので、チップソー刃よりも、ナイロンワイヤー式のほうが、石などの飛びも少なく根元まで綺麗に刈ることが可能で、交換用のワイヤーなどもいろいろと購入して試してみる。

公共の公園などは補助金を使って芝生化するのも、芝刈り機だけでうまく解決できることになるので一つの手だろうけども、芝生化したらしたで、そのあとに芝生を張り替える必要が出てきた時には、はがしたりするのもそれなりに費用が掛かるし、その芝生の処分にしても結局お金が掛かる話で、あとの世代に負担が残る話になってしまう。表面を締まる土に入れ替えするのが一番安上がりには思え、あとの土の入れ替えなどもそう大きな問題にはなりにくそうではある。もちろん、多少の草は生えるので軽く草刈りは必要だろうけど。
2024年08月12日
先週、来客があって子供のころから知っている地元の繊維関連の会社さんが廃業されたのを知った。数年前に代表も交代されて新しいことに前向きに動いておられただけに残念な結果ではあるものの、そうやって思いっきりやってみて駄目だったら駄目で仕方のないことだろうし、やらないで終るよりもやって経験を積んで、次の新しい人生のスタートに生かせればよいだろうと思う。

経営者がサラリーマンとして他の職種で働いてみるのも良い経験だと思うし、他の職種の厳しさみたいなものがよく分かる。世界トップレベルの半導体の製造現場で6か月働いた経験があるけども、若い人たちが当たり前に正しい物事をこなして正しいものが作られてゆく。初めての作業でも一度教えてもらったらそれをその場から正しくできないといけないし、一つのミスも許されないような、田舎の織物工場とはまったく違うレベルの高さがある。

そういう品質管理の厳しい現場でも、正社員がというよりも期間労働者がその仕事を請け負っていて、いわれたことを理解して我流を入れないようなタイプの方を多く集め、決められた作業工程を守りながら製品が作られてゆく。繊維業界というのは気楽に働いている人も多く、うっかりや失敗が多く、また、初めての人も初めてだからできないのが当り前みたいな感覚の人も多く、そういうやりとりで正しいものをつくるところまでに行きつきにくいのが繊維業界の現場の実情ではあろうかと思う。
2024年08月12日
麻織物の人間としては林与というのは、日本でも本当に珍しいようなタイプだと思うだけでなく、自分のギリギリでなんとか本場の麻織物が回らないかと、仕事についた20代のころからこの感覚で仕事が続いているというのは幻想そのものでしか思っておらず、林与自身が日本の大手SPAを超えるようなモノづくりを考えてはいたけども、働く人の全員ではないけども昔からの良い時代の人というのは先代頼りで先代も自分が食わせてたるみたいな感覚で、そういう風に育ててしまって、5時に帰られてから本気の仕事をやってなりたたせないとと思う。

日本の麻業界にとっては林与というのはややこしい存在だろうと思う。なぜなら個人の問題に関しても、業者的な方にでも、自分が麻織物を企画して作るということを、自分なりに本気でやって、新しいものも自分のリスクでいろいろと生み出してはきたので、日本の大手SPA以上だろうと思う。すごく残念だったのは日本の大手SPAが、エシカルなことから逃げて、リソーサーから買っていただけだからリソーサーの責任というような、エシカルな世界では一番駄目なことを平気でいってしまって、逃げられたことで、日本の麻に関係しておられる二つの大手SPAがエシカルとかエコを謳いにビジネスをひろげなららそういう会社に誰も自分が謳ったことを背負う気持ちがないというのがすごく残念だけど、日本の繊維の世界というのはそういうのが普通でまがいものみたいなものがすごいみたいに安く流れて逃げるだけの日本のホワイトな上場企業レベル。

日本でもそういうのが昔から繊維業界の軽い感覚だと普通だと思っていたりして、破産や地獄見る覚悟決めないといけないとおもうし、林与ならそんないい加減ならやめたほうが良いと思うし、日本の繊維業界での本気すらいくら有名でも自分の金儲けが買って、1000円、2000円のアイテムで世界の最高をまもるという単なるラベル商売でしかなく、偽装の温床というのが昔から日本で繰り返されるまともに働いている人たちと向かい合う気もない、実際に働かず化かしたいだけの日本の繊維業界のありがちな状況。林与にだれも厳しい話をしないのは、林与がそれなりに、日本のエシカルとか、エコとか、日本でも自分自身で意味も分かりながら実践はしている。

安く大量に流したいとか日本が昭和の時代の大手の商社レベルのビジネスモデルとも相反して、伊藤忠OBの方にマイナス44点の会社だといわれたのが日本の末路的な、人生を覚悟もしていない人から日本の繊維業界の末端すらも当たり前に背負っているのに、ゴミのように扱われて、日本の繊維業界というのはやっぱり昭和の時代から腐ったままで、エシカルとかエコとか、補助金とかもそういう80代のおっさんが、自分可愛さに何千万も林与にでも借金してでも背負わせるような計画とか、あたりまえに、どうしようもない大手商社OBレベルのサラリーマンや公務員と迎合して、日本の繊維業界のまともを食いつぶしてというのが現状で、いくら重鎮とされる伊藤忠OBでも近江商人としては一番駄目な爺さんで迎合もしたくないし、林与が迎合しないのを日本の繊維業界の本質と思ってほしいと思う。商社のサラリーマン感覚で自分の姪っ子に国の補助金を田舎の企業負担で流したいとか、そういう日本の繊維業界を救うと言いながら勝手に金づるみたいな、まさに日本の政治の末路そのもで、補助金自体が個人レベルの利権に食いつぶされて、その犠牲が田舎の繊維業界からむさぼりたい大手日本の商社のOBだと関わらないほうが良く、そういう国と癒着して食いつぶしてが一番気持ち悪い、日本の大手商社のOBレベルの繊維業界で、一切関わりたくもない。、

奴隷制度そのものの感覚なのが日本の行政のプロジェクトマネージャーでは駄目で関わりたくもない、それなりに有名な姪っ子さんなのもわかるけども、林与としたらそういうのも、デザイナーさんの覚悟があるのかないのかで消費者騙しにならないかを心配しているで、マイナス44点ですといわれ、そうですか、そうですかという返答で、辞退。なんか日本の繊維業界の国レベルのプロモートもやめておいた方が、昔からの日本の繊維業界の金儲けじゃないような世界を守れるような気もして、巻き込まれてそのかたや姪っ子さんのブランドのために田舎企業が何千万もの借金を背負うような計画とかは、逆に舞いなるでしかない。本当に日本の繊維業界というのは80代が食い物にしすぎて食いつぶす手本を、日本のプロジェクトマネジャーレベルがやってられて、関わりたくもない。三方酔いsどころか食いつぶしてなんぼばかりをみせられて、田舎のまともも地獄の沙汰は銭の沙汰みたいな大手商社レベルの銭の沙汰に巻き込まれないように行政も考えないと自分たちの奴隷みたいに考えている大手商社のOBレベル。世界でも一番駄目なSDGs、サステイナブル、エシカル、エコをうたいながら、80過ぎた爺さんの欲望で動くみたいな日本の繊維業界というのは、日本の繊維業界の意将来もないのも当たり前というのを経験した。80台の爺さんレベルが自分可愛さに人生送っていてそれで日本の繊維業界を支えるとか、そういう人生がどれだけまともな日本の繊維業界を潰してきたかというのは、その企業とも先代までのお付き合いだったけど、林与になってまともじゃなさすぎて接点をつくらないようにするしかない話。
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