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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2012年09月09日
同じ番手の糸を同じ織物規格で織っても、糸のメーカーによって、織れる長さは異なってきたりします。これは、機械の送りの調整によるところもあるのですが、堅い糸というのは織り縮みが激しく、また、フシの均一性のない糸というのも織り縮みは大きくなりがちです。また、シャトル織機で織ると、リネンの自然な仕上がりにしようとすると縦糸をたくさん送る傾向がありますので、これはまた別の意味で縦糸をよりたくさん使うことになります。

シャトル織機の縦糸の大きな開きを吸収してあげることが非常に大事であり、高密度のものを織る場合には、逆にテンションを上げてしっかりと開くようにして、また織りあがったときのキバタでの縮みも期待して作り上げます。織機以外にもその他のノウハウがいろいろとあって、織機の調整だけだと限界の時にはオプションパーツを使うこともあります。

今の時代、織機が単純化していっており、織りの技術というものが機械の機能依存になってしまって、職人さんが育たないものです。旧式のシャトル織機というのは、一回で壊れてしまうくらいにどこの部分も調整ができますので、素人の人には扱うのが難しいものです。旧式の織機がなくなっていくにつれて職人というものが必要なくなっていくのは、世界的な流れではあります。織物の展示会に行っても、私自身、織の職人さんに会えることが少ないものです。
2012年09月08日
今日は、朝から週末にも関わらずいろいろな糸が届きました。4トン車は字の中に入れないので、近くの運動場に取りに行ったり、農協に取りに行ったり、していました。秋冬向けにウールを交織するということで、ウール糸を手配しました。届いた糸の感じは良い感じですが、色がちょっとイメージと違うかなあと思いながらも、急いで取り寄せることができて、カウンター見本として仕上げて生地の感触を確かめることができるのでありがたいです。色はあとから調整を掛ける感じにします。

昨日、彦根の四番町スクエアのボックスギャラリーからお電話いただいて、ストールの生機が好評でたくさん売れてリクエストがあるとのことで、追加のストールをギャラリーまで持って行きました。本当にたくさん買ってもらっていてびっくりしました。口コミで買ってくださっているようでありがたい話です。次回はキッチンクロスHDタイプも持っていこうかと思います。

急ぎの仕事が詰まりすぎていて、うまく行かないことが一つでもあるとそこにすべての時間が費やされるので、数日を体力を消耗するだけのように、機械の調整に明け暮れることもあります。別の台で織っているものもしばらくすると織れなくなるのは、ぎりぎりな織物というのは普通なら無視できるような何か一つの小さな要素が変わると急に織れなくなるものです。

夜、工場で織っていると不思議なお客様、珍しいタイプの胴体の太い大きな蛾が回っていた扇風機の1Mほど前の床にいます。普通風が吹いていると飛ばされてしまうので飛ばされないように踏ん張らないといけないのですが、何時間もそこで踏ん張っているのです。たぶん、工場の中に入ってきて蛾も暑くて居心地のいい扇風機の前を見つけたようです。

夜蛍光灯の光に誘い込まれて工場の中に迷い込んだだけなので大事にしてあげたく、糸を包むビニール袋で包んで外に逃がしてあげました。外にいっても胴体が大きすぎて羽が小さすぎて飛んではいますが、コントロールできていないほど。自然に恵まれていないと生きていけないトキもそういう動物だったのかもしれません。

国を代表する動物というのはその国で独自に進化したとか、その国でしか生きていけないという要素があるので、環境が変わってしまうと滅んでしまうのは当たり前なのでしょう。あんな珍しい蛾は始めて位に見ました。もう今後見かけることもなかろうかと思いますが、イタチもドジョウもたくさん見かけました。蝉も遅かったですがしっかりと毎日鳴いています。今年はいろいろな自然現象が戻っているのを見かけます。たぶん、家の周辺の水路に水がしっかりと流れていたことが大きな要因ではないかと思います。
2012年09月07日
鈴鹿山脈がはっきりと見えます。空気が澄んできて秋に突入なのかなあと、秋は秋で冬に向かって季節感を楽しみたいものです。もうすでに、リネンの世界では来春夏物の企画はもちろん、さらには来秋冬物の企画が始まっています。

日本は四季の始まりが春であるようなところがあるのですが、海外では、秋から学期がスタートします。なんだか、夏も終わって落ち着いた感じのスタートですが、アカデミックな環境には秋からのスタートというものも良いものだと思います。

カリフォルニア州立大学のMBAにいたときに、最初に私に話しかけてきたひとが、自分が使い古した教科書を売りたい中国の留学生の人でした。中古の教科書も大学生協みたいなところでは買い取りもしているのですが、書き込みした教科書は買い取ってくれないので買い手を捜していたようです。

リサイクルに関しては、アメリカなんかは先進国である一方で、自然にリサイクルが進むような方向性を目指しているように思います。日本のような商業的な強制リサイクルとは違う形で、ものが自然に循環する本質的な部分でリサイクルがうまく回っているといえます。これは、福祉の世界も同じで、海外ではどのようにして自立できるようなるのかが大事ですが、日本の場合は世話をするビジネスが大きくなる一方で自立とは別の方向性で、本来自然に機能している部分を援助しないとならないと思います。
2012年09月06日
今日も朝から紙つくりに追われていました。仕事をしていて、経営者であるということは、物を作る部分よりも紙の作業のほうがかなり時間が掛かってしまうことが多いものです。
ものづくりの場合には、職人ほど考える必要のない部分は考えずに前に進めていくのですが、紙の上の作業は分かっていることでもしっかりと毎回落とし込んでいかねばなりません。

提出物をコンピュータを使って作成していると、プリントアウトして大量の紙を使い捨てるような状態になります。ひどいときには、一文字訂正するだけで行がずれてしまうと、完璧を求めるなら全部、印刷しなおしです。コンピュータが紙以外の媒体に大量のデータを保管できるということで、ペーパーレスな時代が来るといわれていましたが、実際には、コンピュータの時代は、ペーパーモアな時代です。

紙も資源であることには変わりなく、これをリサイクルするからといって、湯水のように使うことを止めるような方向性が大事かと思います。アメリカなんかではペーパーレス化を法律で定めて動いていますが、個人のモラルの中でペーパーレスに動けるような環境を作っていくべきだろうと思います。

アメリカでも昔は、タイプライターで文章を打ちながら一文字の訂正程度は、タイプライターのホワイトリボンでカバーする程度で、一回で完璧な文章を仕上げられたというのはすごいことだと思います。文章を仕上げる作業自体が職人的でなければタイプライターを扱えなかったのは古い織機を扱うのに共通しているところです。

小学校の頃、コピー機がまだ普及していない時代は、学級新聞などは輪転機を使っていました。ああいう作業を小学校のときからしているということは今の大人のする仕事以上にすごいことだと思うのです。完璧に文章やイメージを紙の上に落として、青刷紙に清書するのは緊張そのものでした。

器機が発達して、後で訂正が可能になり、余計に人間の能力が落ちてきて、誰でも基本的な作業が機械を使って出来るようになって、一方で、それを逆手に取るかのように機械の機能が無駄に複雑になって、今の携帯やデジカメではありませんが、機能を増やしすぎて毎回マニュアルをみないと使い方が覚えきれないというのも考え物ですし、また、写真が後加工次第というのもどうなのかなあと思うところです。
2012年09月05日
インターテキスタイル上海が迫ってきました。今回は京都のプリント工場でプリントしてもらった近江上布プリント柄を持ち込むほか、京都の染工場さんとコラボで動いている草木染のストールのシリーズも持ち込めるのではないかと思います。

そのほか、今回のインターテキスタイル上海ではジョイントイベントとして、中国の権威的なインターナショナルファブリックスコンピティションが行われ、林与も生地10点ほどを提出していたところ、あるお知らせをいただき、そのために生地を夜、京都からEMSで送りました。うまく届いてくださいね。

今日は、今織っているキッチンクロスのシャトル織機の調整を行いました。キッチンクロスを気に入ってくださる皆様が多く、織らねばと思うのですが、これが調整などの時間をいれると1時間に平均1メートルほどの世界で1日に10mほどしか織れません。50年ほど昔のシャトル織機をよい状態に持っていってぎりぎり織れるところまで打ち込んでいるので、調整がちょっとずれると急に織れなくなって傷だらけのキッチンクロスになってしまうのです。機械のどっかに原因はあるので、それを見つけるのが仕事です。

ぎりぎりのところから生まれるものというものはなかなか真似しにくいものです。それは技術的な部分であるかもしれませんし、時間的な部分であるかもしれませんし、費用的な部分であるかもしれません。キッチンクロスなんかも今は織れていますが、意欲的な部分が劣ってしまうと将来は織れなくなる可能性も高いのです。
2012年09月03日
今日は急いでいる海外向けの出荷のための準備を進めています。午後からは、お客様が2件ありました。次の春夏の案件なども今年はどこもが例年よりも1ヶ月から2ヶ月以上早く仕事を出してくださり、9月の仕事の予定が埋まってしまって10月以降の着手予定に入り始めています。

なぜか今日は朝から頭が重くて寝ればたぶん直るのでしょうが、目の前にあるたくさんのことを順番にこなしていくことが大事です。10月4日には大阪でのものづくり展示会、10月後半はインターテキスタイル上海、11月には長栄座、12月4、5、6とは東京でのハーベスト展の予定です。インターテキスタイル上海に集中するため、ジャパンクリエーションAWへの出展は今回はできません。

夜には、何件か問い合わせをいただいていた本麻手もみのカラーサンプルを作りました。本麻手もみのカラーサンプルをお待ちいただいていたお客様には、本日のご発送となります。目の前にあることを一つづつ進めていくことが大事だなあと思います。

2012年09月02日
流通というのは味気のないサービスだなあと感じることが多いものですが、もう、10年以上昔の話になりますが、夜8時過ぎに事務所の前に置いた荷物を取りに来てくれて、トラックが来たなあと思って、家の中から様子を伺っていると、トラックに荷物を運んだ後に再度事務所の下のところに戻ってきて、誰もいないくらい事務所に向かって深々と礼をしておられるのです。それを見てこの人は流石だなあと思いました。

その方というのは普段は気さくな感じで、堅苦しいような一面は見せない人で、仕事はしっかり出来ていたのですが、中身はやはり、人を超えた部分をしっかりと持っておられます。人に見えないところでしっかりと礼を尽くして取り組んでおられ、今の時代の佐川のドライバーさんとは看板は同じでも違う次元のサービスを提供しておられました。

どこがというのではなく、私が携わった20年ほどの間だけでも、世代交代が進んで、そんなんじゃあ駄目だと否定し続けたような普通の流れに世の中が淘汰されてしまった感じです。相手が変われば自分も変わらねばみたいに変わってきて、結局、欧米型資本主義にどんどんと近づいてきています。

ものづくりしながらもものに固執をしてはカネに固執するのと同じで、結局、人という要素を一番大事にしないとならないのかなあと思います。モノやカネは普遍的で、ヒトという要素の考え方が一般と違わなければ同じことや同じものしか出来ないのです。
2012年09月01日
9月になって、毎日30度を超えていても以前よりは涼しくなったような気がします。外で水を使う作業をしていて、スズメ蜂の大きいタイプが1匹つづ水を飲みに来ます。蜂がうろうろしているのは嫌な気分ですが、蜂がほしいのは水です。

タライに溜まった水を飲むためにタライの内側の側面に張り付いて頭を下にして口で水を吸い込んでいるようです。蜂も空を飛んでいて喉が渇いていて、水を飲みたいのでしょう。なぜ、人がうろうろとしているところに水を飲みに来るのかは、たぶん、蜂が水を飲むところがないからだろうと思います。

田んぼにも水は溜まっていますが、その水が安全でないことは知っているのでしょう。水の溜まったタライがいくつかあっても、蜂は必ず一つのタライから水を飲みます。安全だと思う水がそのタライの水なのでしょう。他のタライの水は水道でより新鮮で綺麗にみえる水ですが、そのタライの水は雨水が溜まって時間も経っていて少し濁った水なのです。

蜂の個体数が減ったものの絶滅してしまわないのは、そういう本能があるからでしょう。あるいは集団の中で一匹、鋭い感覚をもったものがいて仲間に安全だと知らせているのか。蜂にしても、何度かに一度でも殺虫剤の入った水を飲んでしまえば死んでしまうので、危ない水は一度も飲まないような鋭い感覚が必要なのかも知れません。
2012年08月31日
普通は8月というと忙しい月ではないのですが、今年の8月は人が足りない側面もあって、仕事に追われている1ヶ月でした。今日は朝、県内の高校生が滋賀県の麻織物について知りたいということでお越しいただきお話しました。

私が学生のときを振り返ると、仕事をするということが良くわかっておらず、なんでそんなに忙しいのだろうと考えていました。上手にすればよいだけのことだと考えていましたが、現実の仕事というのは効率よく方法はあるのですが、受注型の小ロット多品種なもの作りでは効率よくできることはないものです。

午後からもお客様で、夕方から月末ということで会計事務所に書類を取りに行きました。往復1時間半ほどのことですが、もうちょっとで会社というところで、疲れきってしまい。車を止めて休憩しました。夜は、京都中央郵便局に行ってサンプルをEMSで発送しました。ものをつくる部分だけではなく、仕入れや販売などものを動かす部分でも非常に大きな力を使います。
2012年08月30日
昨日から急ぎの糸が染まってきて夜中に巻き上げて、整経が始まりました。早くできる仕事は早くこなしていくことが大事で、ジャストインタイム的な考え方というのは無駄が多すぎるものです。余裕の時間を生み出してそこで仕事を生まないと…。

今日は、午前中は京都のプリント工場さんが起こしになられ、午後からは大阪の和装関連の方がおみえくださいました。8月のお盆すぎから電話での問い合わせが何件かあって、これから来年の企画を進めようとされるところも多いようです。今年は企画の進行がどこも早いように思います。

大阪のお客さんは繊維関連で生地の調達というのが難しくなってきたことを心配されておりました。大阪でも和装関連の織をされているのは70代の方で次の世代がないということ。今は、まだ機を動かしているところがあってもこれから先のことを考えて生地を織れるところを探しておられるということだそうです。

今日も夜の工場の中は30度を越えていて機の乗せ換えをやっている途中で、疲れきってしまって、近くの食べ放題で食べ放題してから再度乗せ換えにチャレンジ。食べ物というのも点滴と同じで血液の中にエネルギーを送り込みます。
2012年08月29日
今日は金襴織物の工場の社長さんから電話を頂きました。同級生の親父さんなのですが、麻織物というのは簡単だといっておられました。言われることも分かる気もするのです。金襴織物のように、多色の金の糸を使ってジャガード織りをするためには、かなりの意匠をこなせる職人が必要で、また、密度が高いので織るのも非常に時間の掛かる仕事です。

金襴織物というのは、仏壇やお寺用の織物の場合がほとんどですので、値段なんかも非常に高いということです。ファッションアイテム以上に、堅い需要のある商売なのでしょうが、仏壇自体が売ることが難しくなっている時代ですので、織物の生産ロットが非常に小さくなっているそうです。

2012年08月28日
今日は、午後にヘムズロイド村で30分ほど休憩をしました。森の中に5軒ほどの工房があって、良い感じなのですが、完全に陸の孤島という感じで、良い感じの場所なのに観光客はゼロで仕事に打ち込むだけの場所のようです。

森の木陰に包まれて、そこを風が流れるだけで、外の暑い日ざしの下とは別世界で、トンボなんかが木漏れ日の中を舞っています。本来、こういう山の中のような感じの緑に包まれた場所というのがあれば、地球の表面温度を下げるのに貢献をするのでしょう。

木工細工を作る工房のようなものがあって、薪が山積みになっています。大きなPLガスのボンベがどの工房にも付いていますが、本来なら薪を燃やした火を使うべきなのでしょうが、それも許されない時代になってしまっているのでしょうか。サステイナブルな社会を考えるときに昔は許された自然なことすらも許されないという壁が多すぎるように思うものです。

今日ショッピングモールでは、2Lのペットボトルに入った水が67円、6個400円ほどで販売されていました。水を飲むためにペットボトルが作られてそれがゴミとなり再利用される流れを考えると、昔のコカコーラのビンのように容器を使い捨てずにメーカーが回収して洗って再利用していたことは今の時代以上に生きたシステムですごいことだったなあと思います。

ペットボトル一つにしてもそれに自分で水を入れて持ちまわれば何十回も使える立派な水筒であり、それがリサイクルされてしまうもったいなさを感じます。日常の生活で、使えるものがリサイクルされてしまう文化というものは、昔のように洋服でも着ることができなくなるまで誰かの手に渡っていた頃というのは、作られたものがすべて有効に生かされていた時代だったんだなあと思います。

ヘムズロイド村の存在を知ったのも実は、プレミアムテキスタイルジャパンにこられたお客様からです。ひっそりとした中にあるだけに、しっかりとしたものを生んでいく力が生まれるのではないかと思うのです。観光地化すると売れれば勝ちみたいになって俗っぽく薄くなりがちですので、ものづくりの場所というのは観光地化して欲しくないような気もします。
2012年08月26日
今日は、夕方隣組の会があってそのあと食事会がありました。食事会は毎回牛肉のすきやき鍋ということで決まっておるようです。私以外は60代、70代、80代の方ばかり、それを考えると私の家というのは世代交代が早かったということになります。

村の中に住んでいても仕事ばかり状態ですので、ご近所の情報というのは入ってきません。村の人の名前を聞いても顔が浮かんで来ないケースが多いのでやばいなあと思いながらも、あと20年ほどしたら村の形も相当変わるだろうなあと想像しています。

何十年も昔から続いている感覚で引き継ぐというのは、商売も同じですが、大きな決断ということがしにくいものです。引き継ぐばかりでいるとやり続けたとしても中身は薄くなっていくばかりで続けていくことすらもが難しくなっていきます。

続けていくことが難しい時代ですので続けていること自体に対する評価は高いのですが、村の行事や組織にしても、止めよう続けようという180度反対の考えのぶつかり合いで、一つとしてまとまって行事などを運営していくことの難しさを感じます。

商売なんかでは、次々と消えていく新しいものを生み出すスタイルというのは商売自体が同じ形では長続きしないスタイルで、産業の高次元化や業種転換につながっていきます。しかしながらも、本質的なもののイメージを守るがためにも新しいものも手がけておくのは大事だろうと思います。
2012年08月25日
リネンを藍で染めたものというのは染め方にもよるとは思いますが、深く染めると綺麗な輝く色に染まります。本藍染めできつい色止めをしないので色落ちが心配なのですが、色が少しづつ落ちて変わっていくのを楽しむのもよいのかと思います。

今回、染めたロットは私が好きな光沢感のある紺色に染まりあがりました。藍が生きているというのは染まってからも本当だと思います。生きているかのように光沢を放ち存在感を魅せつけます。天然染料から化学染料に置き換わった背景というのは、さまざまな要素があると思いますが、どんな色でも出せることより、これしか出ないというのは天然染料の強みだと思います。

リネンとうものは染まり易いのですが、色落ちもし易いというのは、洗っていると色が流れ出ていきます。リネンが汚れを吸収し易く、水で落としやすいというのの裏返しだろうと思います。リネンのスラブのところがどうしても染料が入りにくいのか、薄くムラ感をもって染まってしまうのです。染めた瞬間はソリッドな感じに染まっていますが、水洗いなどをするとスラブの太いところほど薄く見えてしまいます。
2012年08月24日
レピアというのは、糸の端っこを左から右へと運ぶための部品なのですが、一分間に150回から180回くらい糸の引渡しをします。板バネなどで微妙にテンション調整をして、金属部品が糸を掴んで受け渡しをするので、掴む部位の形状を調整したり、掴む強さを調整したり、掴むタイミングを調整したりで、うまく、織物が織れる様にします。

非常に、高速で動いているので調子が悪いときにそれが、何の原因なのかを考えることになります。基本的には、機械というのは非常に正直ですので、調子が悪いときには調子が悪い理由があり、それを頭で考えて見つけ出さないと、下手な調節をすると、ちょうど良い調節になっているところを悪く調節することになり、織機がぼろぼろの状態になってしまいます。

織機の調節にしても、順番に考えていけばよいのでそれほど難しいことは少ないのですが、織機を調節するために手が動くかどうか、自分の手の感覚というものが非常に大事です。産地で織物を織ることができなくなった背景には、織機を上手に調節することができる人が少なくなったということも大きな原因です。

織物工場というのは織るのが仕事のように思われるかもしれませんが、織るのが仕事というよりも機械の調節こそが仕事みたいなところがあります。今の時代は、自動車や電気産業でも修理や調節が出来る人というのは本当に少なくなっています。部品を交換することはできても調節ができないのです。

2012年08月23日
今日は朝のうちに輸出の契約書などを準備して送りました。ちょうど、滋賀県産業支援プラザの経営・国際ビジネス支援グループから9月28日にコラボしが21で行われます英文契約書講座のご案内が届きました。私自身、見よう見まねで契約書を書いているので、一度すっきりと契約書の書き方などを学べればと参加できればと思っています。

机に座って勉強するのはそれほど役に立たないことも多いもので、実際に仕事としてこなして一つ一つ身に付けていくうちに全体が見えてくるほうが、本当に仕事のできる人間になります。こうやったらどうなるんだろうと思うことを一つ自分の力でやってみて、無駄な結果をみて感覚的にこれはこうという定石みたいなものが出来上がってくるもの。

座って勉強をしていると体を動かすことが苦手になることが多いものです。体を動かすことになれることこそが仕事の上達につながるのです。ハローワークの人と話をしていても、普通科と工業科の高校生では、工業科のほうが当たり外れがないといわれているそうです。工場の中での実際の仕事というのは机に座ってするのではなく手や体を動かすことが仕事なので一般的な作業に慣れているのか慣れていないのかが大事です。

他の会社に仕事を任せると用意された糸からして、撚糸一つにしても自分で用意する糸とはまったく違って大変なことも多いものです。指図どおりにやったといわれても、まったく違う答えで、こういうところどこでも出来るものではないのを感じます。通常は積み重ねで撚糸なども徹底的に織れる状態のものにコントロールをするのが当たり前なのですが、それすらも簡単に考えておられるとフォローするだけで何倍もの時間を使ってしまいます。

簡単じゃあないものを作ろうとされて簡単に考えられているあたりが、準備が出来ていないのでゴタゴタになり、長い目でみると簡単なものばかりが流れてしまう結果につながっています。
2012年08月21日
今日は午前中、加工工場さんがお見えくださり久しぶりにゆっくりとお話させていただきました。毎年ですが、夏場というものは加工工場は比較的暇な時期にあたり、秋からの本生産に備えて準備の時期の状況のようです。

織物工場の場合は、一人が何台かの織機を動かすことで仕事が成り立ちますが、加工工場さんの場合は、一つの工程を何人もが一緒に行われるような形で、丁寧な仕事をされようとすると何人もの人が一つの布を見守られるような形になります。

定番的な流れを汲むものというのは、加工に関しても一夜漬けで出来るようなものではなく、一つの織りあがった布を仕上げるためにいろいろな処理工程を経て表情をもった布になるものです。先染織物というのは小ロットでの生産が基本的には難しい製品になり、加工工場さんにしましても小ロットでの生産というものが成り立ちにくく悩まれているのは同じようです。

人の力をたくさん使ってものをつくるのか、機械の力をたくさん使ってものをつくるのかで、ものづくりのスタイルというのはまったく違う方向に変わってきます。機械に依存した布というのは素人でも作れないことはありません。でも、人の力に依存した布というのは機械と同様に早く正確な仕事ができないとなかなか難しいものです。
2012年08月20日
急ぎで動いていた仕事で生地商社の担当の方から連絡がお盆を明けてもないので、電話で連絡を入れてみると怪我をされてここしばらくお休みされているとのこと、常に仕事を優先しながらも仕事というものが一番でないことを感じる瞬間です。私の案件は私の意向で数ヶ月早めに動いていてくださったので対応は柔軟にできると思うのですが、切羽詰った案件も抱えておられるだろうで本当に気の毒です。

これは東日本大震災で被災された企業さんにもいえることだと思うのですが、1年の仕事がないとその仕事というのは他に振り分けられてしまうので、その翌年にまた仕事があるかというとそう簡単なものではありません。以前、同業者の方で突然入院をされて、一年の受けていた仕事ができない状態になって回復されてからも仕事を元に戻すことも難しく、廃業されたケースなどもありました。元気であれば、目の前にある仕事に全力で取り組めるという幸せはものづくりの健全な考え方ではないのかと思います。いやいや作られた布よりも仕事に幸せを感じて作られた布のほうが着られる方も幸せになるのではと思うところです。現場の仕事は厳しいものでそれにどう前向きに取り組むかだと思います。

昨日は菱沼良樹氏からパリでのオートクチュール展を開催されたご連絡をいただきました。著名な日本人デザイナーの皆さんの海外での活躍というのは、日本国内の繊維業界が明るい話題というものが少ない中で、日本のものづくりのイメージを牽引されていく原動力となるといえます。今月の初めに上海のトップデザイナーZiggyChen氏も弊社にお越しくださりお話していると一つのブランドというよりも国のイメージを背負われて国際的な舞台で発表をされているような感じを受けます。

デザイナーがデザイナーとしての真直ぐな姿勢に見える活動をされているのは今の時代では失われた聖域であるかのように思えますが、見た人が惹きつけられるようなイメージというのは、華やかに見える裏に貫いたようなコンセプトがあってからこそ特別に見えるのだろうと思います。
2012年08月19日
昨日は時々雨みたいなお天気の中、夕方からは地蔵盆が行われました。近江湖東地域というのは、実は宗教に信仰心の面では昔から強い地域だといわれていました。今も山の神様の風習が残っていたり、宗教に絡んだ講と呼ばれるものが本来は何なのかも分からないまま残っていたりします。仏教の強い信仰があり、また、神道への強い信仰もあって、それが地域社会というものを纏めているひとつの要素になっているのが伺えます。

200軒ほどの村に4つのお寺があったり地蔵盆も6箇所で行われます。地蔵盆というのが子供の自治で行われていると案外良い感じなのですが、親の力が入ると俗っぽいものになってしまって、手作り感というものが消えてしまいます。子供たちの力をどれだけ引き出すかが大事なところで、子供たちの力を引き出せないなら逆にそれがマイナスのイベントになる可能性もあります。

今の時代というのは、子供が犠牲になる大きな事件が起こってからは、親が包含集めについて回るようになりました。地蔵盆の協賛費を村の中の家を回って集めるような感じですが、子供が行ったこともない家にお金をもらいに行き、お金がもらえるというのもすごいなあと小学1年生のときから思っていました。村の中の家や人を知るチャンスだったりいたします。近所や親戚の家には行きやすかったのを覚えています。また、企業にも小学生が行ってお金をもらうので、昔というのは子供でも大人と同様に字で行事をするときには字のみんなからお金を集めるというような風習の練習になっていたといえます。各家が渡す金額も50円から500円くらいで任意なところが気持ちそのものだったりします。金額に関しても何十年も昔からエスカレートしていないのも良いところです。

人々の気持ちに支えられているのが地蔵盆で、上の学年の子供は下の学年の子に教えたり面倒を見るという小さな頃からの上下関係に関する躾も、比較的自由な裁量を与えられた地蔵盆という活動の中で身についていきます。
2012年08月18日
今日は雨の降る一日で、朝に雨が降っていないときに開けた窓が昼過ぎのきつい雨のときにしまっていなくて工場の中が水浸しな感じで、何年かに一度こういうことが起こってます。工場の開閉式の窓は、上が開く方式の窓なので、太陽の光などが入って来やすくよいのですが雨に弱いのです。

織物をしておられる方は、筬などを2本通しにされることが多いことでしょう。なぜ、2本通しなのか、考えられたことがありますか?私は織物を始めた最初の日になぜ昔から筬に2本づつ通すのだろうかと思いました。なぜ、1本通しにしないのか?もちろん、1本通しにする織物は織物であります。

2本通しにするのは、織密度を上げて織物にボリュームを持たせることができるのです。普通の織物はガーゼっぽくないので、ガーゼっぽいものなら1本通しのほうが、生機の状態から一本一本が綺麗に並ぶので、1本通しのほうがよいかもしれません。

普通は織物というのは、ある程度の厚さが必要ですので、ある程度の厚さを持たせたときには2本通しくらいが一番スムーズに織りやすいのです。

3本通しというのも3枚ギシャなんかを織るときにはやりますが、2本通しでやっても3枚ギシャに見えるものですが、正しく3本通しにしてあげるほうが、より、はっきりと3本がまとまって綺麗な織物になります。ギシャなんかは薄手ですので通し方が重要です。

普通の織物というのはそれなりに普通の厚さがあり、シースルーなものではありませんので、そういうものを織るには2本通しにしてあげるのが織物を織りやすいのです。普通の厚さの場合、2本と押しというのは筬目が織物に見えてきませんが、3本通し、4本通しにしてしまうと普通の厚さの織物では筬目が残ってしまい、そうやって織ったことが分かってしまいます。
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