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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2012年12月12日
今日は、大津のコラボしがに書類提出です。朝から経理のものと一緒に書類纏めを行って、書類提出に午後から参りました。

これから1月に向けて、リネン25番手の生成とリネン40番手の生成の生産に入ります。定番ながら在庫がない状態が続いており、お問い合わせもたくさんいただいているので生産を考えていながらも、作ろうとするとシャトル織で、何反か作るのも人の仕事人生の何十分の1という時間が費やされます。時間を掛けての生産というのは歯がゆいところもありますが、また、をかし、ではないかと思います。

夜は織機の一台の調子を調整いたしました。織機って本当に機械だなあと思うのは、正直なところです。動かないように調節されていると動かないし、動くように調節すると動く、原因不明の糸切れストップ現象も今日は起こらなくなりました。これも、糸調子を上げたことにより、糸を取るときにできる弛みがなくなったからではないのかと結論付けています。織機についている部品というのはなにがしらの仕事をしていてくれることが多いものです。
2012年12月10日
朝、表に出ると雪。こういうのにうきうきとするくらいでないと若さがないものですが、ああ、寒いなあと。この雪は近江湖東湖東地域では例年にないほど早いです。夏は暑かって、冬は寒いという流れが戻ってきたのではないかと思います。

個人のお客さんでも、もう来年の仕込みに入られているのか、生地の注文をくださるケースが11月よりも増えてきました。在庫もだいぶ少なくなってきていますので、拡充を図るまで今しばらくお待ちくださいませ。

工場の中では、火気は厳禁です。麻というのは、綿やシルクに比べて、綿ぼこリがたくさん出ますので、鉄などを裁断したり溶接などの火花でも火災になるリスクは高いものです。昔は、織物工場などは昔はタバコを吸う職人さんの火の不始末でよく火事になったと聞いています。
2012年12月07日
今朝早くに滋賀に戻って仕事再開です。東京から帰ってくると滋賀県というのは冷え込んでいる気分がします。午後からは、滋賀県の商工政策課の方と龍谷大学と京都工芸繊維大学の先生が、林与の経営理念的なものを調査しに来て下さいました。

私自身、過去の林与の近江上布からの歴史的な流れ、および、私が経営を担ってからの4年間のお話など、また、最近の状況などをお話いたしました。織物の仕事というのは人の能力というかやる気の差で何倍もの差が出て来るのだという話を先生方に説く中、先生方の私へのアドバイスはできる左腕が必要だということでした。

林与自身は、大きな分業体制の企業のものづくりの浅さみたいなものは感じておりますので、会社をあまり大きくすることが良いとは考えてはおりませんので、日本の麻織の歴史の一端、かつ、日本の麻織の特色のいくつかを社内で差別化しながらディベロップすることで、麻織物の産地らしさが産地に残るということが弊社の一つの地域に対する、また、日本の織物業の麻織物分野での特色を残す上での社会貢献ではないのかと思うところなのです。

商売ごとの癖に社会貢献とはという印象もあるかも知れませんが、余力で流せるような仕事ではありませんので、昔のように仕事に没頭することでよいものをたくさん生み出してそれが結局のところ世界の他では手が出しにくい特別なものづくりになるのではないかと思います。

安く作ることを考えれば安く提供が出来る部分もあるのですが、海外に生産を移転すると技術流失の裏で、日本の技術の進歩がとまってしまうというのが、繊維を含む自動車や電器産業の流れで、生産基盤のメルトダウンに繋がります。楽をしようとすれば、他の人が苦労をして、他の人が伸びるウサギと亀の童話の世界だったりいたします。

日本での生産の可能性としては一つ一つの地道な仕事をオールラウンドでこなせる人なら最後一人プラスそれを助ける人がいれば産業を守っていけるところがあります。社内分業で成り立つ形態というのは、需要が低下したときに、人を減らすとすべてが成り立たなくなるので、本当にもろいのは現実だと思います。

日本の半導体産業もかつては日本の花形産業でしたが、最先端にいても需要のかげりが出てくると続けることができなくなるもので、恐竜的な企業でも国に支えてもらうというような形しか残す道がなくなってしまいます。

産業のライフサイクルは30年といわれていますが、それは丁度、一つの世代が切り替わるのが30年ということと合致し、次の世代に引き継ぐことの難しさを意味します。行け行けなときほど、売れなくなる時代の前兆であることを意識しながら危機感を感じ用意していないといけないものだったりするので、ロングタームでものごとを考えるときには、大きくなることや売れることを喜ぶだけでは駄目なところもあるのではないかと思います。
2012年12月06日
二日目も朝から顔なじみの方が順番に会いに来てくださり、アットホームな感じです。朝一番には、上島佳代子先生がお越しくださり、なにやら、フランス語のスライド教材で、リネンについてのスライドを入手されたということでかざして見せていただきました。これって面白い。数十年昔の35mmくらいのスライドでしたが保存状態も良くて貴重な資料です。

午後からは、SQOでAQAブランドを立ち上げておられる小林さんがお越しくださり、ストライプとボーダー柄の新規の企画のお話ですが、プリントで出来るのか?出来そうで出来ないトリックが隠されていて持ち帰ってプリント工場さんも含め考えてみます。少し落ち着く1月くらいのお話になりそうで…。

ストール関係に興味を示してくださるケースも多いのですが、なぜか、この数日に聞いたストールの企画で、3件ほどの企画されるコンセプトというのが重なっているのです。あれ、あれ、あれ?どこもが同じものを良いと思って動かれる世間の狭さを感じます。

近江上布柄に気を留めていただいたかたがいてくださり、驚いたとおっしゃってくださっていました。今では織物の世界でも誰もが知らなくなったダークサイドに位置するものですが、国内だけでなく海外デザイナーさんにも一番興味を示していただけるもので、プリント柄としてだけでなく、本格的な再現にも取り組んでいく必要を感じました。近い形で再現したとしても着物の世界に用途を絞ると駄目だろうなあということです。

作って残っても誰かが欲しいと思ってもらえるようなものをつくることが、布の価値というものを根本のところから考える上で大事だろうなあと思います。
2012年12月05日
今日は、ハーベスト展の初日でした。能登川発の始発電車に乗って会場のある渋谷入りです。坂道をスーツケースを押しながら上り詰めて建物を間違えたことに気が付いて、今度は坂道を下って30分ほど迷子、なんとか会場に5分前について、ハンガーを展示してスタンバイです。

朝から顔みしりの方がみなさん一日中お会いに来てくださり、アットホームな感じで井戸端会議です。朝一番に来ていただいたミルツルさんにはミルツル刺子の作品を見せてもらいました。大きな女性と小柄な女性の両方の方が着用されても違った感じに着こなせるフリーサイズ。

午後からは百貨店のお客様もご紹介で進行中の件でお話をさせていただき、あっという間に夕方6時です。夜は、懇親会が渋谷西口でありました。展示会をするだけでなく、天然繊維分野で元気に動いていこうとしているものが集まった会であることを実感いたしました。

渋谷周辺にはあまり手頃なビジネスホテルがないので、カプセルホテル初体験です。10階の広めのデラックスルームを予約しておいたのですが、浴室やサウナのあと3階のマッサージチェアでそのまま寝てしまい朝8時です。朝シャワーを浴びた後、出発前にデラックスルームをチェックしました。カプセルホテルも寝て一畳の方丈記の世界を彷彿させるところもあるのですが、清潔なスポーツクラブやSPAのイメージでビジネスホテル以上の十分さを感じます。夜に数時間寝るだけの場合、もったいないくらいのところもあります。
2012年12月03日
今日は、関空に届いたリネン糸の個人通関を関空で行いました。通常は乙仲業者さんに依頼するのですが急ぎだったので自分での初めての通関でした。国際貨物セクションに許可証をもらって入り、運送業者の倉庫の窓口でドキュメントを受け取り税関の建物に参りました。

関空の税関の方は、受付の方から応対された方まで、隙のないほど非常jに親切で誘導をしてくださり、フォームの記入もスムーズに済み、特恵で輸入関税もフリーということで予定通りに通関手続きは運びました。消費税はもちろん納めました。

通関後、倉庫での荷物の受け取りに非常にたくさんの方が待っておられたので、これは数時間仕事かと思いましたが、15分ほどで荷物も出てきて、トータルで、1時間半ほどの工程でした。

税関の方がみなさんあれほど親切とは想定していなかったので、その対応のすばらしさにはびっくりしました。JALの貨物の窓口の方も、飛行機でのスチュワーデスの対応と同じくらい丁寧な対応で好印象そのものでした。
2012年12月02日
冬になって車のバッテリーが弱ってしまって、とうとう掛からなくなりました。夕方、近くの大工センターでバッテリーを購入して交換しました。自動車って簡単に修理ができるように出来ているなあと思うのです。

昔、カリフォルニアにいるときに、VOLVOのパワステのホースが壊れてしまいました。ホース一本が400ドル位するので、ホストファーザーと一緒に、それを自作しようとしたことがあります。エアコンのホースを代用して止める金具を買ってきて、取り付けて喜んでいたのですが、バックで縦列駐車するとブレーキフルイドが漏れ出してしまい、結局、新しい部品を買って使うことになりました。でも、そういう経験が今も機械を直すときに生きています。

自動車も12年目くらいです。本体のほうもまだまだ大丈夫だとは思いますので、今の自動車は昔の自動車よりもちゃちく出来ていますが、道も良くなったおかげで、20年くらいは乗れるんじゃあないかと思っております。エコカーがブームですが、それほど乗るわけでもない車、それほど乗らないなら今あるものを捨てるより、使い続けることもエコではないかと思います。
2012年12月01日
12月に入りましたが、お天気もよく、近江湖東地域はあったか目の12月です。アパレルの業界では、冬は冬で寒くならないと困るというような話を聞きます。暖かいおかげで、冬でもリネンを検討くださる方も多いものです。

近頃、リネンウールなど出回るようになりましたが、リネンウールやリネンポリノジック、リネンテンセルというような秋冬向けの素材は20年くらい昔でも、秋物を開発するために作っていました。よい感じのものもあったのですが、売れなかったんです。今は普通にリネンウールが出回っていますので時代の流れかなあと思います。

リネンに対して業界の秋冬物としての拒絶反応がなくなったように思います。これは昔と比べて暖かくなった冬の影響も大きいといえますが、それ以上に冬でも暖かく室内で過ごせるのが当たり前になったという先進国の恩恵があるといえます。冬でもどこでもアイスクリームを販売しているということは昔では考えられませんでしたが、今では当たり前ですもの。

今年は雪は降るのでしょうか? いまだかつて、雪が降らない一年は豊国の里では経験はしておりませんが、今年は雪が降らない可能性すらあります。
2012年11月30日
今日は、月末金曜日、タイイングマシンでの糸繋ぎは職人さんができない仕事なので私自身が他の織機を動かしながらやってみる。前回使ったときは調子が良かったのに、1週間ぶりにほどに使ったらうまく糸を取ってくれない。いろいろと原因を探ってみる。セレクタを変えてみたり、セレクタの羽根をすこし強めてみたり、経糸の張り方を直したり。

電話で、タイイングマシンの修理の人に相談をして、症状を説明、タイイングマシンの動きの基本的な構造から説明を受ける。朝相談して、一人いろいろと考えて、夕方また尋ねる。一本取り防止装置というのが付いていて、下の糸が綿の細い糸だったので、そうとう強くテンションを掛けておかないと、一本取り防止装置が働いて、糸をはじいてしまうということが分かって、なんとか、つなぎ終わる。

複雑なものの場合には、手でつないだほうが確実なことも多い。糸つなぎに慣れていない私でも一時間に300本くらいはつなぐことができるので、4000本なら、13時間ちょっと、糸つなぎになれたものなら、一時間400本から500本くらいのスピードでつなぐことが出来るので10時間掛からない。複雑な織物の世界は機械でやるより手でやる作業のほうが簡単というか楽なことも多い。それでも一つの仕事が根を要する仕事で、集中できない人だと難しい。

今日も職人気質なのをタイイングマシンの修理の人に感じた。というのは、話をしていても最後うまくいったかどうかを心配してくださっている。自分以上に自分の仕事がうまく行くように思っていて助けてくださる方がいるというのは幸せなことだ。それに甘えてはいけないので、タイイングマシンの構造を理解するのも早くそういう人に追いつかないといけない。事務所のマニュアルを引っ張り出して部位の名称から確認しなおす。今、1回のチャンスに理解できなければ後々何度チャンスをもらっても理解することは難しいものだ。聞くにしても進歩し自分自身が出来るようにならなけければ、進歩なく聞いてばかりでは迷惑が掛かるだけ。それでもタイイングマシンの修理の方はうまく行かなかったら遠慮なく電話掛けてきいや、と電話で教えにくいことも多く歯がゆいことも多いだろうに気質な方だ。
2012年11月29日
もともと、繊維の商いというものが日本では花形産業だっただけに近江商人の取扱商品の代表的なものなのですが、その繊維業界で三方善を考えるときに、売り場の価格が下がって小ロット化で製造コストが上がってみたいな状況で、間に挟まれた作り手というものは三方善を守れるのかというところに行き着いてしまいます。

昔を考えてみても、近江地方だけが麻織物を生産していたというわけでは有りませんでした。特に近江産の商品というのは高品位なものであったので他との値段の違いはあったものと思いますが、近江商人が遠くまで運んで語りながら売ることでその価値というものは確りと保たれていたものだといえます。

また、近江商人がもてはやされたのは、産地物を正しく持ち運んだということです。産地偽装や品質偽装なんかが多かったのは、文献などを読んでいると昔も同じで、安く買って高く売るという大きな利ざやを稼ぐことが商人の哲学とされていた時代に、近江商人の場合には薄利で動いて、良いものを流せたということが近江商人の特色的なところで、それが三方善に繋がったといえます。

糸から績んで、手で織って、脚で運んだ時代というのは、布を扱った近江商人自身も、自分の脚で運ぶということを考えれば、安いものよりも高いものを選ぶのが自然のことではなかったかと思います。売れて代金を手にしたからといって喜んでいられる時代でもありませんでした。いたるところで戦があり、山賊などに常に狙われているもので、命すらのリスクを背負っての行商で、そういう究極に追い込まれた状況を積み重ねるなかで、三方善の精神がうまれてきたのではないかと思うのです。

昔というのは力が支配をしている時代で、戦で勝てば自分のものになる時代です。世の中すべてが、富をえれば命を狙われるような時代ですので、山賊なんかも当たり前ですが、山賊の被害にあっても自分自身が山賊に成り下がらないことが大事で、その部分などは郷土への思いや信仰の精神も一部寄与していたものと思います。

さて現代、今の時代の原発問題なんかみとると人生観そのものすらも浅いですね。せめて本社が原子力発電所内にあって保安院もそこに入っているとよいんじゃあないかと思うのです。温度差が三方善を損ない歪な構造を作り出します。国による放射能汚染の隠匿の背景のもと原子力発電推進派の政治家が自分の立場で動いて放射能汚染地域の食材が学校給食で推進されてしまったりと、事後の対応も重大なメルトダウンや放射能漏れの情報を東電や国が隠匿してしまったことで被害は広まりました。政治家という素人の浅はかな失敗と考えなければ、学校の生徒という弱者を使った放射能汚染が大丈夫かをみるやってはならない人体実験レベルの話です。

基準数値を20倍ゆるくして安全だとごまかすというのもいかがなものか?本当に安全なら20倍ゆるい数値が恒常化していないといけない。いざというときに本当にどうしようもない対応、このような安全管理では原発爆発する危険は高いでしょう。船長が一番最初に逃げ出しているような運営ではどうしようもないのです。原子力発電がエコだという欺瞞に踊っていた国家だけでなく、世界も含め、素人未満のちょうちん持ち専門家、なんとかしてほしいなあと思います。
2012年11月27日
テキスタイルツリーのテキスタイル用語辞典が、アマゾンのファッション書籍のベストセラーになっているということで、3780円の、しかもマニアックなテキスタイル用語辞典というものがベストセラーというのもびっくりです。

このテキスタイル用語辞典は、繊維関連の企業でしたら素材メーカーからアパレルさんまで社内においておくと便利です。学生にもよいですね。また、ハンドメイド愛好家の方にも。洋服のお店なんかでも繊維用語が飛び交いますので大手のSPAさんから百貨店で働かれる方まで。

今年の5月のプレミアムテキスタイルジャパンでは、コラボさせていただき、著者である成田典子さんご夫妻が弊社ブース内で辞典を販売くださったのですが、ずーっとお客さんが続いているような状態で手にとって中を見られた方は多くがご購入。中身が充実していて手に取ると欲しくなる一冊です。

私が別の点ですごいなあと思ったことは、テキスタイル用語辞典は、通常の本の流通のシステムとはことなり、自社サイトでの販売をメインとしてスタートされたのです。そして、書店を回って置いてもらえる書店を見つけて置いてもらう形で徐々に広がりをみせ、アマゾンでの販売もスタートされ、発売から一年も経たないうちに大人気な軌道に。

3年前のジャパンクリエーションでは、成田典子氏と初めてお会いしました。私が繊維業界に入った頃に分からない言葉があったら調べるのに使ったファッションビジネス用語辞典(FB)を、若い頃に編集されたということで私がびっくりしたのです。私に会いに来てくださった目的が、なにやら、織物の写真の横に説明のある初心者の人でも楽しめる辞典を作りたいので素材の提供をお願いということでした。

それが発売なども当初の予定より、少し延期になりながらも順調に発売にこぎつけられ、手に取ってみたときには、すごいなあと思ったのです。内容は濃いまま、素材画像がついて分かり易くなった感じです。百聞は一見にしかずといいますが、逆もまたいえることで、画像を見るだけでは分からないことも多いもので、画像の横に素材の作り方や歴史的なことまで書いてあったりで、非常に勉強になるというかためになるのです。何か名前がついている布があると、その裏には歴史的なものが潜んでいたりするというのが面白いところです。

テキスタイルツリーのサイトのサブタイトルは、「テキスタイルを愛する人へ」。成田典子氏は、「私、素材が好きなの」と言っておられ、そんな方が作られたテキスタイル用語辞典なので、素材への思いが一杯詰まってとても分かり易くバランスの良い感じの辞典にしあがったのだと思います。最初に言ってられた、初心者の人でも楽しめる辞典というものをまさに形にされたのだなあと思いました。

コラムなんかでは、伝統的な日本の織物の歴史なども取り上げられ、織物というのが地域に根付いたものであるというのを理解できます。私なんかも普段現場での作業が多く、国内のことでもあまり知らないので、今度旅行する機会があればぜひ立ち寄って実物を見てみたいなあと旅してみたい憧れの場所が見つかります。私のほかの活用は、見出し語の下に、英語表記があることで、最近海外とのやりとりで、メールなどで英語の用語が思い浮かばないときにこの辞典が役立ったりです。

私も織物の世界におりますが、こういう辞典を読むとオリジナリティや多様性というのは大事だなあと思うばかりです。当たり前にあるようなものでも、それを最初に生み出した人がいてそれが広まり一つの文化となる。また、私自身が業界にいる人間の眼で見ると、辞典の中で面白いなあ、すごいなあと思える世界ほど現実の世界では存続も難しいというパラドックスを抱えているものだったりします。
2012年11月26日
今日は、工場の中で一人、納期に追われて織りを急ぐ。人間って極限に追い込まれると力が発揮できるものだなあと思う。何もしないで3連休として当たり前に休むのと、納期の迫った仕事に向かって働くのとでは、仕事のうえのプロフェッショナルなスタイル面では大きな差となって表れてくる、と思う。

私も、経営者ながらも特別なものづくりをするためには、一通りの作業ができることが一番大事だと思っている。仕事というのは作ろうとすれば無限にあるのだが、目の前にいくら仕事があっても自分と関係がないと思い込んで仕事を出来る人というのがいないのが現実で、そういう人というのは一つの仕事をするのもいつも足りていない状況が続く、同じ人間でも仕事の力というのは下手すると何十倍も違う気がする。

産地でも麻を織っているところは林与くらいだと私が仕事に携わった15年ほど前ころにすでに言われてはいましたが、そんなに難しいものなのか?と思ったが、同じものを作り続けて売れるなら簡単な仕事で、他にないものを作ろうとすると人の働く価値を布に埋め込まないとならず、現場で作業する人の力というものが必然と必要になってくる。

産地での競争がなくなっても、産地外との競争、それにとどまらず、円高の影響もあって海外でも10分の1で作れるようになった今、産地で現場を守り続けるというのは難しいものだと思う。海外の人の10倍の生産性や価値を生み出す力がないと国際競争の中ではスタートラインに立てないことになるのだが、現場の人の能力や意欲、危機意識がそれほど高いのかというと、産業間の競争もありよい人材というものは益率の高い他の産業に流れてしまうという、今の中国の繊維産業が直面し始め中国の特色として笑い話になってしまっている問題と同じような状況が日本でも過去を通じてあったことは他山の石としないといけない。国の中で栄える産業があれば一方で衰退する産業が生まれるという構図、これは経済学でいうところの比較優位の原則に通じるもので、同業者間の競争だけを考えるのではなく他業種とでも競争状況にあるのだなあというところ。

今のジャストインタイム型の大手のものづくり企業にとっては、失業率が高いことは必ずしも悪いことではなく派遣という形がベストな形で、必要なときに必要なだけの人材を働かせることができる。法律も改定されてそのような流れがより濃くなった。賃金は上がった状況に見えても雇用がより難しくなってしまっているのだから労働状況も実態は悪化である。応じたしかしながらもその末路というのは、海外ならもっと安くできるではないかという流れで、GDPもそれほど変わらないものの産業の中のものをつくる構造は繊維以外の産業の企業にしても激変をしてしまっている。

この流れというのはアメリカの自動車産業が崩壊したのと似ているといえば似ている。裏ではアメリカの政治が日本の法律を変えるために働いているのかなあと想像もしてみる。日本の地場産業が存続が難しい中で、さらにアメリカ型の社会にどんどんと移行してしまうと、アメリカのように規模の経済を、職人的なものづくりや地場産業的なものは評価が低い。一方で、法律というものは片方に有利に働けばもう片方に不利に働く差別的なもの、小さなお店を守るということで大店法という法律があったおかげで日本国内はコンビニ文化が発達して、結局、フランチャイズのコンビニが勝った形ではある。

でも、コンビニを経営している経営者というのが勝ち組というよりは、結局、資本力のある大手が法律の抜け穴で、雇用リスクを背負うこともなくチェーン展開することで、小さなお店を廃業に追いやった形なのだ。結果論だが、大店法がなければ、本来、もっとよいサービスが国内に提供をされていたかもしれないと思うと、残念でしかならないが、それは、一つの見解で、今や日本のコンビニというのは輸出産業となっている。新興国なんかでも、日系資本のファミリーマート、ローソン、セブンイレブンが現地の昔ながらの家族経営のお店を脅かしている。

コンビニ本部というのは売り上げだけでお店を作ったり閉店したりだといわれるが、損得勘定のフランチャイズ経営だとローカルを潰すだけでなく日本の全体の覚悟を決めて営んでいるローカル店舗を潰してしまい、もうかるとおもったがもうからないから辞めるでは、地域の既存店舗を潰しながらゴースト化が進んでしまうという結果で、地域にとっては最悪のマイナスイメージをつくり上げる構図だったりもする。

タウン情報を発信する印刷会社なんかも、地元意識のない他地域の業者さんが出入りされている。それって、本来、無意味なことで、せめて町内の特産品の情報を発信するなら地元の業者さんを使うべきだろうと思う。出来上がったブックレットにしても、製作として他地域の業者さんの名前が載っているのも本来の趣旨とは異なるのだ。地域貢献を謳うもののその業者さんが身銭を切るわけでもなく商売でやっておられるだけのこと。知りもしない業者さんに自社の広告を任せるというのも考えものである。

ある地域ではタウン情報を発信するのに行政がそういう便利業者に投げやらないで、職員が一つ一つの企業を回られて商品の撮影などをされていた。それって自分自身が手がけるという意味では行政の存在意義や質も絡んで大事なことだと思う。せっかくのチャンスなのにアウトソーシングしてしまうと問屋不要論と同じく本来の行政の意味が薄れてくる。力がないから任せてしまうと出来上がったものを手本に次は自分たちがやれるかというと難しいと思う。

チャンスは少ないもので、仕事というのは最初にできなくてもやって成し遂げるかどうかというところで少ないチャンスを活用していかに経験を積むことが大事だと思う。行政も今は吸収合併の時代、画一化されたことをやっているだけでは生き残れない。特に小さな町が大きな町のスタイルを真似したところで駄目で小さな町というのは特区的に規制を緩めて大きなスケールのことができるようにしていかねばならないだろう。

たとえば、運送業でも都市を中心に考えると配達量も多いので一台にドライバー二人には意味があっても、地方でその規制にどれほど意味があるのか。田舎の経済を余計に苦しくさせてしまう。そういうところを緩和することで地方の物流は効率よく機能して都会にないビジネスチャンスは生まれてくるものだ。一般的に行政が動くと規制が増えるばかりで、行政の手腕があるかないかで地域が活性化するかどうかというところも大きい。
2012年11月24日
昨日は、久しぶりに大学時代の友人と京都で会いました。10年くらいぶりでしたが、京都の街中をうろうろと久しぶりに歩きました。学生のころというのは京都を毎日うろうろとしていたので、歩いてお店の看板なんかをながめるだけでも懐かしいなあと思えます。

お昼は京都らしいものを食べようということで、三条から四条に下がりながらお店を探して、四条河原町を一筋上がった通りを東入るにある京料理のお店で会席が重箱になったようなセットを食べました。40過ぎたおっちゃん二人なので、お酒ははずせないなということで、料理のほかに吟醸酒の小瓶を一つ注文して冷で飲みました。チェーン店の居酒屋においてるのもこういうお店においてあるのも同じお酒だとは思いますが、こういう場所で飲むと良い感じです。

河原町を歩いていても、京都らしさというのは、飛び飛びな感じにしか味わえなくなってきています。私の友人は、四条河原町阪急が撤退したことを知らなくて、マルイに替わっていたのでびっくりしていました。VIVRE河原町店も閉店となり、昔、学生のころに憧れたスポットというのも、輝いた時代もあれば逆に時代とともに消えていくものなのだという儚さです。
2012年11月23日
ミシンで使える麻糸がないのかというご質問をたびたびいただいていて、非常に太いタイプの糸なら実用性があり使われているというお話を聞きました。アイリッシュコードと呼ばれるような糸と同じくらい太く、ラミー糸でしたが非常に綺麗な糸を見せていただきました。

しかしながら、これは非常にデニムの縫製に使うような一番太いタイプの糸です。通常のものをリネンの糸を使って縫製しようとすると、糸切れに悩まされると思います。が、最近、林与がある用途向けに、リネン150番手の糸を双糸にしたものが手元にあります。これだと、双糸になって、ふくらみが有ることを考えても、リネン66番手クラスでしょうから、細さ的には良さげです。

通常のミシン糸は、シルクや綿などの天然素材もあるのですが、価格面を無視したとしても、強度と耐久性の面で、合成繊維のナイロンやポリエステルなどにはどうしても負けてしまうものです。ましてや、天然繊維のなかでも一番切れやすく、不安定要素の高い麻糸となると相当太くしないと強度は低いです。

あんまりミシン糸が強いと、今度は、針が折れたり、ミシンが壊れてしまいます。これは、織機も同じことで、何千本もの糸があって、それが強い糸だとそれなりに織機も強くないと駄目なのです。鉄の部品なども負荷が掛かって強く擦れると何十メートルか織るだけでも磨耗します。鉄って弱いものなんだなあと思う瞬間です。また、そんな状況でも油ですべりをよくしてあげると磨耗や熱の発生を抑えることが出来るのです。
2012年11月21日
結局、朝のぎりぎりまで徹夜で出荷の準備や整経の準備をして間に合わずの始発電車での東京への出発、なんでこういつも時間がないのだろうと思いながら。こういうときには、駅の階段奪取だけで全体力を使い尽くしてしまったくらいにヘトヘトまでなることも多い。今日はパンは食べていないのでアナキフィラシーは大丈夫。

しかし、朝から当たり前なのですが眠い。寝ていないだけでなく、準備に追われて一日に何人分もの仕事をこなしながら、また新しい一日が始まるので、外から見るとなんでこんな朝からボロボロなの見たいな感じかもしれませんが、いつもこんなもんです。

シャツとズボンを着替えてテンション高く飛び出してきたので、カーデガンを東京駅の中の店で買って、東京国際フォーラムでのインド視察の説明会に参加。説明会に出ておられるみなさんのお名前をしっているような形で、昨年の視察のスライドなんかも見ることができ、懐かしいなあと今朝無理して東京まで出てきた価値がありました。動かれている方というのは同じなんだなあと思います。

PTJのほうのブースのセクションにお客さんがたくさん居られた気がします。にぎやかなお祭ムードが漂っていて大盛況な感じの会場内でした。ものが売れないという話を感じさせないくらいの人人人の会場内でした。東京国際フォーラムを去る前に、PTJやJCの会場外に特設ブースで出されていた、J・FACTORYプロジェクトが気になって、拝見しました。いわゆる東日本大震災の被害認定地域の繊維企業さんがグループで出展をされていました。

昼過ぎは銀座で用事があったのでそれを簡単に済ませて食事を取って、午後3時すぎからは菱沼良樹氏にアポイントメントをいただいていたのでお会いさせていただき、菱沼さんがこれから手がけようとされるポリエステル素材、オーガニックコットン素材、リネン素材なども見せていただきました。私も持ち込んだ超細番手のリネンの薄い生地が薄くて透けるくらいのイメージと合っているということで、作る目標的なものが定まったのでそれを目指したいなあと思います。

夜は、6時すぎ渋谷のAQAの小林氏の新しいお店にお邪魔しました。夜8時過ぎの東京発の新幹線に乗って滋賀に戻りました。滋賀に駅に戻ると何もないというか人がいないのです。それもい感じなんじゃないのかと思ったりもして、寝ずに無理無理で出発した今回の東京行きも非常に充実していました。11月末納期の仕事がんばらないと。
2012年11月20日
昨晩、久しぶりに6時間寝ました。ほんと、寝すぎた感じで…。朝、5時くらいから出機さんのカードを作りました。横糸の量を計算したときに作ったデータをPCから引っ張り出して、2300本分のカードをパンチして、本数が正しいかなど確認しているともう9時くらい掛かったでしょうか。

午前中に出機さんに行ってカードをセットしてもらうところまで見届けて、10時半に朝ごはんを外で食べて会社に11時にもどって、今日は職人さんは休みなので工場の仕事の準備よりも他の出来ていないことを急いでやりました。

昼過ぎから繊研新聞さんが、顔を見に来られ、最近やっているいろいろなことなどを話しました。業界のことはもちろん良くご存知なので情報ももらって形にいていくことが出来そうです。その前に、今の山積みの課題を順番にこなしていかないとと思いながらも、考えているだけでは何も進みません。

夕方には、税理士の先生が決算などの件でお見えになられ、私がテレビのニュースに出ているところをご覧になられたようで、ものを作るだけでなく海外に向けて積極的に販売もしているあたりも認識はいただけたようです。

夜はクロネコに出荷の持込で、明日は朝から東京なので外のことは大体おわりましたので、夜中は、職人さんが明日繋いで織ってくれる分の整経をやらんと、今日の仕事が夜中から始まるというのもいつもながらのことで…。
2012年11月19日
林与は、この秋は上海の展示会に集中しようと思って、JCあるいはPTJには出展は断念いたしました。12月にあります天然素材のハーベスト展には出展をいたします。21日の朝には説明会があるので、その後、午前中、少し展示会場の中に入って、お会いできた方にだけでもご挨拶だけでもと思って、もしかすると1年に1回しかお会いできるチャンスがない方も多かったりです。
2012年11月18日
今日は、日曜日、一人で工場で仕事です。午後からミルツルさんが奈良から起しになられました。出版記念イベントで布の販売をされるのでその布を取りにこられたのです。工場の中、一人で急ぎの仕事を動かしながら布の準備をして、ゆっくりとお話をすることも出来ずですが、また、ハーベスト展には起しになられるそうです。

織機というのは設定が同じように見えても、ビームに巻いてある最初と最後では、織り易さが異なります。一般的に、最後のほうが織りやすいのです。最初のほうが綺麗に一様に巻けているので織り易そうなものですが、最後のほうが織りやすいのです。この理由は?

ビームが大きいと経糸の振動に合わせることが難しいのですが、ビームが小さくなって軽くなると経糸の振動に1ミリでも動きを合わせることができるからではないかと考えます。でも、あれほど苦労したのが最後楽に織れるようになるのをみると、織機が後少しで終わりだからラストスパートを掛けているかのようです。最初からがんばれよ、みたいな。

同じ規格の織物でも、色によって違ったり、糊の加減によって、織り易さは異なります。白と黒の場合には好対照で、白無地というのは一番織りやすいものです。縦横黒というのは、糸が見えにくく織りにくいだけでなく、黒に染めて糸が弱っていて、そこに糊がついて硬い状態になっているので、白の織物と比べると相当織るのが難しいということになります。
2012年11月16日
11月末納期のものを急いで徹夜続きです。今日は彦根商工会議所で午前中、勤労表彰ならびに障害者雇用推進事業所表彰式典があり出席ました。帰ってから織る続きです。糸がよく切れるので織るのが難しい。糸の問題もあるかと思うが、糊ももう少し強く付けたほうが良いだろう考える。

織るのに苦しんでいるとそこに夕立っぽい雨、急に織機がスムーズに動き出す。やはり、麻。雨との愛称は非常によい。また、気温が下がるときにも非常に織りやすい傾向がある。それは、雨の降り出すときにも共通をしているが、夜なんかも夜露が降りるくらいの状態が非常に麻を織りやすいものだ。

昔から、麻織りが夜なべの仕事だったり、また、冬場の仕事だったり、冬というのも空気は乾燥しているといわれるが、実際には、ぬれたものというのが非常に乾きにくい状態で、雪に包まれた工場というのは麻を織るのには非常によいものだ。
2012年11月15日
ミルツルさんが出版の記念イベントでワークショップをされるということで、ワークショップに使われる生地の在庫がないので急遽織ることに、経糸を整経するため糸を割るところから整経、経繋ぎ、送って、織機の調整、織り出し、織って、加工出し、まで、一人でほとんどをやって、ぎりぎり間に合いそう。

織物の仕事って、分業体制が進んでいた仕事なので、職人さんも単能工的なケースがほとんどで、一人でオールラウンドでできる人って本当に少ないもの、私自身、普段簡単な仕事は現場に任せて、ややこしいとかスピードが必要なときには自分が動いて一気にやってしまう。

働く人が少なくなり、深く広く仕事がこなせないと、一つの仕事を回していくことも難しいなあと思います。多人数というのが一番よくなく、少人数のできる人だけで動くほうが良いレベルやクオリティのものが出来たりするものです。
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