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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2013年03月12日
今日は、午後から米原の伝統産業会館で山本玄匠氏を講師に迎え、ビジネスカフェというイベントが行われ、参加させていただきました。山本氏の経歴を詳しくお聞きして、独自の経歴が独自の作風に結びついておられるのを感じました。色柄的には、グラデーションなども駆使するニューヨークのスプレーアートや現代のコンピュータアートに共通する要素もあろうかと思うのですが、その手法に特徴があり、柿渋をベースとされる手法で環境によいということ、また手描きされていること。

一般に草木染では難しいといわれている鮮やかなグリンなども自然に返る環境によい手法で耐光堅牢度もよく再現されているというお話で、これを実際に検証をできれば世界中の大企業でも難しい解決できない問題である草木染の常識を覆す世界になろうかと思います。

また、草木染の場合には本来は、耐光堅牢をを上げるために、何度も染めては光に当て重ねて染める手法が古来の品質の高い草木染の価値を生み出す要素だったのですが、それを一回で問題なく染められるというのは、他の染色工場さんでは一度も聞いたこともなく、信じられない世界を実現されている話で、染めの問題を多く抱える草木染業界がなぜ話題にすらしないのかも不思議といえば不思議。

洗濯堅牢度がよく、耐光堅牢度もよい、劣化しない染料が、どのようにすれば自然に上手に返るのかというところも染色業界が汚水処理に悩む中、大きな課題ではあるところなので、その問題もクリアされているというお話です。世界中の染料業界が作り出せない川に垂れ流しても無害でかつ物性に優れた染料をすでに実現されているというお話には驚きました。草木染に関してはどこまでが本当の草木染かという話になることが多く、検証できるなら、ノーベル賞ものではないかと思うのです。
2013年03月11日
仕事というのは、覚悟を決めてやるやらないというところで、作るものがまったく変わってくるといえます。時間も限られている中で覚悟を決めていれば自分が進めて答えを出していけるのに覚悟がないと結局何も出来ないままに終わります。

約束を決めさせたほうが勝ちというのが、実は約束の世界だったりします。一方的な都合だけを押し付けてできないのかできないのかと迫ってくる。しっかりと同様の覚悟で動けるような系列つくりというのが大切だろうと思います。

必要のない関係は作らないことも大事、よく、仕事をしていてもセールスの電話などが掛かってくるのですが、特に大手企業の絡んだインターネット関係、事務機器関係、電力関係、電話回線関係のセールスなどはまともなものがほとんどありません。まず、一方的に自分の儲けのために電話しているということも頭にないところから始まります。それに大手さんが絡んでおられるので、大手日本企業の商モラルというものはないに等しいです。

コピー機のセールスの方も、今のコピー機に満足しているといっているのに、一生懸命にコピー機の話を聞いてくれ、置かせて欲しいと斡旋してくるので、無料ならスペアに置かせてあげても良いというと、びっくりしておられ電話を掛けてこられなくなりました。私自身も麻生地という特別な世界のものを作っているので誰もが欲しいと思ってくださるものではなく、麻生地を欲しい方の中でも弊社の生地を気に入ってくださる方に使っていただくのが一番だろうと思っており、押し売り的な斡旋はしたくないのです。

商売をされている方でも、猛烈に押し売り的にプッシュして、売れないと分かると嫌なら別に買わなくていいよみたいな感じで、すーっと引いていかれるタイプが多いものです。商売って急ぐ場合など場合によっては損を承知でもやる部分もなければ駄目だろうと思うのですが、損を覚悟して我慢して動く仕事も多い中で相手がそれを汲み取っていなければ終わりだろうなあと思うのです。その辺りが三方善の本質だと思うのです。

たぶん、「売り手良し」「買い手良し」「作り手良し」といわれる、近江商人が、在庫や金融リスクを背負うことで、物が流れる状況を生み出すという近江商人特有の気質だったのではなかろうかと思います。まずは、物や物づくりする人々を抱えてそれを欲する人を見つけて売っていくという、人のつながりこそが一番大事な商売。

モノづくりの部分だけでなくマーケティング的な部分でも、モノの価値を高めるため自分の脚で遠くまで歩いてそれを欲する人を見つけて売ったというスタイル。作り手も売り手に感謝し、遠くまで歩いていってしっかりと買ってくれる買い手に感謝。また、近江商人の理想像である質素な生活ぶりというのは、ものの品質を高める上で厳しさを持ちぶれない基準を持つためにも重要な要素だと思います。
2013年03月10日
業界が元気になるためにはどうするべきかというのを考えることもあるのですが、繊維の業界で世界が動いてしまっているときに、農業の保護や自動車業界の車検制度のように非関税的な規制を設けるとかになってしまいそうで、産業を守るのに政治力に頼る方法とかだとフェアじゃないとみなされてしまいますし、守られた中で元気にしている様に見せてもそれは虚構の元気。

また、競争が、海外との価格競争にあるだけでなく、携帯電話やパソコンなどの昔は高額だった消費財が値下がってきたこともあって、そういう一般に代替財とは思われないものとの価格競争もあったりします。ICチップやメモリの世界もかつては諏訪盆地がメイドインジャパンの象徴的なイメージでしたがそれももう遠い昔の話です。構造的な不況の中では、勝ち組と負け組みを作ることで勝ち組が元気にしているのを業界でもがんばればうまく生きていけるといいながらも、それは単なる一時しのぎの着実な衰退モード。

専門家などもよく言われるのが中小企業は、ニッチェのゾーンを狙い、高級なものに特化しろといわれるのですが、その方向にいこうとすれば、大事なのは自分がニッチェなゾーンを狙うだけでは駄目で、最終的にそのニッチェなものを欲してくださる最終的な使い手との出会いに結び付けなければ駄目という部分見落とされがちです。

先日、ファンドの交流会で、ユバを扱っておられる食品メーカーさんの女性社長さんが本当に元気にされているのです。たまたま、私が会場の建物についたときに、エレベーターに乗ったのですが、全然関係のない私にニコニコと話しかけてきてくださいます。ユバというものをほとんど食べることもない私ですが、こうやって元気にされている姿というのはご商売にもうまくされている要因なのだろうと思います。モノづくりがうまく行くためには、モノづくりじゃない大事な部分を、ユバの女性社長とエレベータの中で1分ほどお話しをさせていただいて、このおばちゃんには何をやっても敵わんなあと思いました。北風と太陽の世界です。
2013年03月09日
人かコンピュータかを選ぶときに似ているなあと思うのが、卵か鶏かの問題です。人よりもコンピュータが人の命を奪うほどに優る時に、人が不要になりそうなのをコンピュータの中の人に対するパラメータを無限大にすれば、コンピュータ自身が負けるような人情味のあるプログラムとならざる終えません。

将棋のようにすべての駒が人である王を守ろうとしても、相手の玉も人、コンピュータとコンピュータの相手の取り合いになったときに、王や玉自身が覚悟を決めて駒を進めなければ、平っこが死ぬだけの千日手の世界になるのは必然的です。

実際に、人が優位と思われてきた将棋の世界でも元プロ棋士がコンピュータに負けるという世界になって来ました。将棋の歴史を塗り替えるというような事態ですが、人がコンピュータに勝っているというあたりが良かったろうに、人がコンピュータに負けてしまうという事実は、正直、寂しさを感じます。

これって、織物の世界でもありがちなことで、機械の作るものと人の手の掛かったものとどちらが精密かというと機械の造ったもののほうが精巧なのです。人の手の造ったものは一つ一つ微妙に違う要素があって、機械は進化し続けるので人が手で作る世界を奪ってしまうのが現実です。

将棋の世界のプロが負けてしまうという現実は、将棋のプロの価値を問う問題になろうかといえますが、大昔に計算機が出来たときに日本人が暗算勝負したことがありましたが、暗算できる人が少なくなるとまた計算機より劣っていようが暗算できる人の価値というものは上がってくるものです。
2013年03月08日
今の時代、伝統的な繊維業界では仕事がないといわれていますが、仕事に対するテンションが高い状態の人でないと乗り越えることのできない仕事くらいしか残っていないからなんだろうと思います。

守られて生きてきた人というのは仕事があったとしても駆け引きごとばかりが多かったりで、それが働いてる人の感覚というのではなく、経営者の感覚だったりすることもあって、世の中にはいくらでも良いものが並んでいて売るのに苦戦している時代に、仕事をしないでお金儲けできる方法を考えている人が増えてしまうと仕事はなくなって当たり前。

仕事をしようとフルに働いている会社や中の人と仕事がないと嘆いてなにも仕事をしない会社や中の人では、1日でも大きな差ですが、1年で出来る仕事の量も経験値も大きく異なるものです。本来仕事というのは自分でつくるもので誰かからもらうものではないのですが、その基本からしても自分自身が働く時になくなってしまっているとものは良い物は造れないだろうなあと思います。
2013年03月07日
整経の機械に山と呼ばれる設定があります。糸を整経機の荒巻ドラムにどんどんと巻いていくと崩れてしまうので、一回転するごとに左方向に、コンマ何ミリとかずらしながら巻いていくのです。整経の一番最初は傾斜をつけてあり、その角度が山の高さなのです。

今日始めて気がついたのですが、山の目盛りが30度近くまであるのに、実際は、18度くらいまでしか山は上がらないのです。あまり山が高いのも、部分整経の場合、端が崩れて次のバンドと重なってしまうので良くないので、18度以上にする必要もないのでしょうが、今、太い糸の織物を織っていて、送りも2ミリくらいまで大きくしますが山も高くする必要があるのです。

山って高すぎると糸の長さが長くなってしまうし、低いと糸の長さが短くなって、ビームに巻き取るときに問題が生じ、織るときにも問題が生じてきます。整経機というのは、世界中、すべてが同じような形なのでこれもすごいことだなあと思います。

ベトナムに行ったときに、山の調整ができておらず高すぎる山で綿の糸を整経をしているのをみて、これって織れるのかなあと見ていた私が心配をしました。そこでも、小学生の子供が整経をし織機の番をしているので、私自身はそれって実はオーガニックなことなんじゃあないかと思ったりするのです。
2013年03月06日
シャトル織機の送りがうまく送っておらず、結果、うまく織れないという結果になってしましい。解決方法の案はあったのですが、他にやらないといけないことばかりで、応急処置的に対応をして、今日は、職人さんが来る日で、協議した結果、同じ結論で、その方向で織機を調整してもらいました。

夕方には織れるようになって安心したのですが、同じ糸、同じ織機でも、織機の限界に迫った織物ですと、織機の限界を超えるためには一工夫が必要であったりと面白いものです。そういう壁で打開策を見出せないとそこで終わりとなるものです。

3月12日には、米原の滋賀県立文化産業交流会館で、ビジネスカフェで、山本玄匠氏による講演会が行われるそうで、案内をいただきました。一般に募集をされているのかどうかは分かりませんが、興味のあられるかたおられましたら、3月12日の15時開演です。滋賀県立文化産業交流会館まで、お問い合わせください。

今日は、他にも、キッチンクロスの件でリネンバードさんからお電話いただきまして、自分なりにベストな形のものを作り上げたいと思っております。また、海外の150番手の糸を作ってもらったリネン紡績工場からは、糸の展示会に向けて弊社で作ったものをリネン150番手のイメージとして見せたいとのことで動いております。
2013年03月01日
2月だけが28日しかなく、アンバランスなのは、昔は、1月2月がなかったとか。一年の農業の始まりから終わりまでを10に区切り、第1の月から第10の月まであったそうで、それが現在の3月から12月に相当するそうです。

数字のことを英語でナンバーといいますが、セプテンバーは7のことで7月、オクトーバーは8月、ノベンバーは9月、ディッセンバーは10月を意味します。1月と2月ができたので、セプテンバーが9月、オクトーバーが10月、ノベンバーが11月、ディッセンバーが12月になったとか。昔、寒くて人が働くことが出来ない1月2月に相当する60日ほどを年間日数にカウントしなかったのは、自然的で非常に人に優しい暦だったのではないかと思います。

2月の日数が28日しかなく、不自然に思われますが、規則正しくないことこそが自然なんだろうと思います。
2013年02月28日
今日は、午後から彦根の四番町スクエアのボックスギャラリーに向かいました。自分自身のボックスの管理など出来ていないので心配をしておったのですが、お店の方が見てくださっているようでありがたいです。もう半年振りくらいになるのですが空ボックスが急に増えてしまったように思います。ちょっとさびしい話です。

試行錯誤をされてものづくりをされている食品関連の機械メーカーさんから、生地の試作を依頼いただき動いております。生地の機能性的なものに着目をされて、弱点的なところを克服したものを作られたいということで林与にたどり着いていただいたのですが、いろいろと経験を積まれているので、私が予測するあたりの生地の問題などもすでに経験をされているので説明が早く、林与もベストな選択で進めそうな気がするので動いています。

夜は、ジャガード織機の上にあるジャガードの心臓ともいえる針の部分を組み立てしなおして試運転。今までの問題が嘘のように解決して、織機メーカーさんですらもがこのことは予期ができないジャガードの大きな問題ではなかったのかと思います。
2013年02月27日
今日は午後から滋賀県のファンドの交流会がありました。過去にしが応援ファンドの認定を受けた50社ほどが集まられた交流の場だったのですが、野菜なんかもそうですが、布というのは案外地域ウケが良いのかなあと思ったりもします。

織物と似たような伝統的な業種に、滋賀県ですと信楽の焼き物があります。他にも木桶などもありました。面白かったのが、自分の趣味が高じて、金魚鉢の金魚のフンの掃除の問題を陶器で解決するという特許申請中の事例を発表されていたもので、冷静になってお金儲けを考えた案件よりも、自分が直面している問題を自分の力で解決するような事例のほうが面白いなあと思いました。

事例発表のあとの懇親会ではビールが出るなど、交流の場としては大盛況の感じでした。朝から何も食べずにバタバタと駆けつけて、お疲れの林与も一杯いただきたかったのですが、ビールが出るとは知らずに車で行ってしまったので、ノンアルコールビールをいただきました。

交流会の場では光触媒という消臭効果を持つ技術を売りにされている社長さんとお話をさせていただきました。素材のベースがポリエステルということで、麻100%とは行かないのですが、技術屋であられる社長さんから1時間ほどお話で聞いたことは光触媒のことに関してだけでなくいろいろと役立つヒントが一杯でした。

あと、絆創膏も進化しているのを絆創膏メーカーさんからいただいた、セロハンテープのような絆創膏を実際に使ってみて思いました。普段、工場の中の仕事をしていて手を傷つけてしまうことがあるので、ガムテープで応急処置をしたりするのですが、それもあながち間違っていないのかもと思いました。ガーゼの入ったタイプよりもテープ式のほうがかさぶたが出来ず傷口も跡に残らないということでよいとのことです。
2013年02月26日
今日も朝からかなり冷え込んでいながらも、雪ではなく雨が振っていました。午前中には糸量の計算、午後からは27日午後にあるしが新事業ファンド交流会のためのパワーポイント資料の作成でいつもながら夕方5時過ぎのぎりぎりの提出。

夜は近江上布プリント柄の反物の写真を撮って新しい生地としてアップをいたしました。近江上布プリント柄をアップする際に気が付いたことが、あれ?、同じ版を使ってもプリントの仕上がり幅が微妙に違う。その部分に関してもどの工程が一番良いのだろうかと迷う要因のひとつです。

プリントや後染というのは外部に依存する部分が大きいのですが、普通の機屋というものは織るだけのところも多いので、プリントや後染のほうが、一般的な織物の世界なんだろうと思います。

先染ばかりではなく、プリントや後染の工程にも慣れていくことも必要なのかもしれないと思うことも多いのですが、リネン100%の場合、織ということだけで後染に差別化を図ることは難しいので後加工なども重要な要素になってくるのかと、今回の幅の違いの問題なども発見して、リネンにあるプラスの現象がもたらされた原因もそれに尽きるのではないのかと思ったりしました。
2013年02月25日
ジャガードを分解してセットしなおしたら、余計にキズが増えてしまって、以前もそんなことが有ったなあと思い出しました。綺麗に掃除をしたなら本来は、少しでも良くなっていないといけないのですが、なぜ、余計に悪くなるのか?

さらに分解して、その原因が分かりました。ジャガードの針が門紙に落ちるときに、16X80のたこ焼器のようなへこんだ中央の穴を通るのですが、その窪みの部分に糸の埃がジャガード織機の油で固まって埃の塊の中央を針が貫通しているような状態になっていたのです。そのため、少しでも戻したときの位置がずれていると、針が落ちないということになり、キズが増えることになるのだと思いついたのはよいのですが、これを直すとなると、徹底的に小さな穴の中のゴミを掃除してあげるしかないのです。

5時間以上掛けて、一枚の鉄板に空いていた小さな穴のすべてを綺麗に掃除してセットしようとしたら、縦針が2箇所、他とは違う感じでさらに原因の究明が必要です。だから、今日直してからキズがいろんなところで増えたのもうなずけます。最初半分くらいを私が直して残りを、新しい人に教えてやってもらったのですが、やっぱり失敗していたようです。

ジャガードの掃除も丸3日あれば、一人ででも、1台を綺麗に全部分解して掃除できるだろうと思いますが、そこまでやる時間がないので、今回も、縦針の部分だけの分解と掃除です。今回の掃除で、ジャガードに目飛びが出てなかなか直らないのは、縦針や横針などの消耗品が悪くなっているというよりも針の落ちる穴にゴミが溜まっているということが問題の可能性が高いことが浮上してきて、今度、夏の暇なときに一台づつ徹底的に分解掃除をしようと思います。
2013年02月24日
今日は、レピアの横糸が切れていないのに横糸切れのランプが付いて止まる問題で、こういうのって、調子が良かった台なはずで、調子まで出して置いていたのに、使う人によって、糸の通す場所を変えたりしてしまうので人為的な問題です。

織機の部品にしても、どれも同じと考えては駄目で、ちょっとした個体差で、調子はずいぶんと変わるものです。経験的なものである程度までは調節が出来るようになるのですが、経験が長いからといって調節が上手とも限らないのが、現実の世界、調節が上手な人と下手な人では、仕事のスピードの差ですまず、綺麗な仕事ができるか出来ないか、または、仕事というものができるか出来ないかくらいの差につながってきます。

ネジひとつにしても、外しても、元のネジ穴に戻すのが当たり前ですが、それが出来ない人がいると、織機は長持ちしません。大型のバキュームも使おうとするとホースが詰まっています。大きな木の棒が折れているのを吸い込んで無理やり押し込んでどうしようもありません。壊す人というのは修理できない人であることが多いので、修理の仕事も増えてしまいます。人が増えると助かることもありますが、余計に仕事が回らなくなることもありがちです。

今の時代、仕事はたくさんあるのですがそれを出来る人がいないといわれます。人というのは楽な仕事についてしまうと厳しい仕事に戻ることは難しいもので、本来、仕事を長く続けていると経験が増し仕事ももっとできるはずでしょうが、人というのは10代の後半から20代くらいがピークで、歳をとるごとに働けなくなるというより働かなくなるもので、一旦働かなくなると、それが元に戻ることはなかなかないもの。

日本国内ではそういう責任とか仕事の重荷を逃げる傾向にあり海外の人がものづくりの責任を担うようになり、日本人以上に仕事が上手になって来ているケースも増えています。
2013年02月24日
今日は、レピアの横糸が切れていないのに横糸切れのランプが付いて止まる問題で、こういうのって、調子が良かった台なはずで、調子まで出して置いていたのに、使う人によって、糸の通す場所を変えたりしてしまうので人為的な問題です。

織機の部品にしても、どれも同じと考えては駄目で、ちょっとした個体差で、調子はずいぶんと変わるものです。経験的なものである程度までは調節が出来るようになるのですが、経験が長いからといって調節が上手とも限らないのが、現実の世界、調節が上手な人と下手な人では、仕事のスピードの差ですまず、綺麗な仕事ができるか出来ないか、または、仕事というものができるか出来ないかくらいの差につながってきます。

ネジひとつにしても、外しても、元のネジ穴に戻すのが当たり前ですが、それが出来ない人がいると、織機は長持ちしません。大型のバキュームも使おうとするとホースが詰まっています。大きな木の棒が折れているのを吸い込んで無理やり押し込んでどうしようもありません。壊す人というのは修理できない人であることが多いので、修理の仕事も増えてしまいます。人が増えると助かることもありますが、余計に仕事が回らなくなることもありがちです。

今の時代、仕事はたくさんあるのですがそれを出来る人がいないといわれます。人というのは一度でも楽な仕事についてしまうと厳しい仕事に戻ることは難しいもので、本来、仕事を長く続けていると経験が増し仕事ももっとできるはずでしょうが、人というのは10代の後半から20代くらいがピークで、歳をとるごとに働けなくなるというより働かなくなるもので、一旦働かなくなるとそれが元に戻ることはなかなかないもの。

最近も国道など道路工事が多いのですが、寒い夜に一晩中、冷たい風に晒されながら道路の警備などの仕事のほうが、何倍もつらい仕事ではないのかと思います。よくある話が、自分はこの仕事が好きだからやっていると語られるかたが居られますが、それは幸せなことで仕事を仕事とすらも感じないものです。
2013年02月23日
ジャガード織機の針というのは、紋紙を無理やり戻そうとすると曲がってしまうことがあるのです。今日はその問題を解決すべく、針の交換を行いました。構造が理解できているとそれほど難しいことはないのですが、針を交換した後に針を押すカバーの位置などの微調整がうまく出来ないと、交換する前よりもジャガードの状態が悪くなります。

織機などをみていると機械工学の賜物で、エンジンという部分を除けば自動車と変わらんなあと思ったりします。原理は非常に簡単であとはどれだけ正しく動かすかと、設計による部品の耐久性のクリアと部品そのものの耐久性の問題だろうと思うのです。また、操作する人の技術というのも大事ですし、それを修理調整する人の微調整できる能力も大事です。織物が織れる織れないだけでなく、織機そのものを壊してしまうのです。

ひとつの織物だけをひとつの機械で織り続ける場合にはそれほど問題はないですが、いろいろな織物を織ろうとするといろいろな織機の問題が見えてきます。最近はリネンの細番手織物などを中心に織っていますが、同じ形の織機でも織れる織機と織れない織機があるのです。それは調整を限界まで同じに掛けてもたどり着けない個体差に近いものなのです。

小さなローラーのプラスチックの消耗をカバーするために調整をずらしている箇所があるとすると、本来はローラーのプラスチックを交換するべきなのですが、そのプラスチック部品が入手できないとなるとセカンドベストの方法で補わないとなりません。その辺りの妥協点と自分で解決する力こそが現実的な仕事なのですが、それを理解してもらうことが難しいのも事実です。部品は消耗するもので、交換するではなく、消耗する度合いに応じて調整も必要なのです。

ジャガードに掛かっているチェーンベルトなどもそうで、鋼鉄のベルトですが、使っているとだんだんと伸びてきます。それを、一駒ぶん、短くするなどして伸びた分をカバーしてあげるのです。新しいのを買い換えてする交換方法もありますが、それをやっていると厳密には、ひとつか二つの大きな仕事をしただけで交換作業が必要になります。

先日も、機料屋さんと話をしていると、昔の織機のほうが長持ちするということに尽きます。今の織機は一つ一つの部品からして消耗品の塊で、何十年も使うことを想定していないのです。このことは自分自身のものづくりにも注意しておかねばならないところだろうと思っています。
2013年02月22日
日本語の成り立ちをみていますと大らかさを感じます。ハタという言葉もバタバタと音がするところから、ハタという日本語が、秦の文字に当てられたのではないかと思います。機、旗、幡、波多、羽田など同じ言葉にいろいろな漢字を当てたり派生して使われていたあたりも、今とは違う、口で伝える言葉の文化があったのだろうといえます。

ものを書く文化ではなかったので、口頭での言い伝えで、本来の言葉も濁りながら意味も曖昧になりながら伝えられたものと思います。たとえば、私の身の回りの例ですが、倉庫のひとつがあるのがウワチ屋敷と呼ばれる場所なのですが、私自身、その場所にウハチという人が住んでいたからウワチ屋敷だとは思っていませんでした。ウワチというのは、ヤマタの大蛇みたいなもので、それが住んでいるイメージでウワチ屋敷だと思っていたので、歴史をたどったりすることがなければ、名称は引き継がれても本来の意味すらも分からないものです。今も、ウメ、お茶、柿の木が植えてあり、倉庫が建つ前は、それらがもっとたくさん植わっていて、動物の潜む小さな雑草林みたいな場所だと勘違いしていました。

遠い親戚にあたるウハチさんが誰なのかもしらない状態でも、ウワチ屋敷という言葉だけは、建物の場所を指すのに頻繁に使う言葉です。また、ウハチでなく、ウワチと変わったのも面白いところです。昔というのは、人々が家に篭ることも少なく、集落が丸ごと運命共同体のような存在であったであろうから、そういう口頭での伝承も数代に渡り語り継がれていったものと思います。

ここからは大らかさとは別の話ですが、ヤマタノオロチの神話に関しても、ある地域で稲作が始まって稲作の技術を縄文人に提供した弥生人である渡来8人が1年に一回年貢を納めさせるために山から降りてきたという感じではなかろうかと思います。なまはげと似ている伝説と似ている管理形態ではなかったかと思うのです。技術をもつ渡来人が自ら水田をつくることはなく、作らせた形こそが自然な考え方ではなかったろうかと思います。ヤマタのオロチの尻尾から刀が出てきたというのも、一人が実は日本の出雲の刀をもっていたということじゃないでしょうか。出雲の国、人里離れた場所である山に住むということからも渡来人の徐福一行の末裔の鉄工職人の影がちらつきます。
2013年02月21日
生成というのはもともとの色味を残してはいますが、リネンの生成ですら生ではないことは余り知られていのです。生の糸というのは天然の匂いがします。リネンの場合だと、秋の田刈りをしているときの藁のような匂いです。生成の糸なのになぜ匂いがしないのかというと、精錬という工程が施されているのです。精錬をされている糸を見ると同じ生成でも荒さがないもので、少しマーブルな感じの色味になります。

リネンの糸の生成の晒度合いも紡績メーカーによっていろいろです。メーカーによっては生成といってもかなりきつい晒を掛けた相当メローな色の生成もあるのです。どこまで晒を掛けるかで生成の色味というものは変わるものです。

生の状態に近い生成の糸も存在しないことはないのですが、湿った藁のような匂いがします。それが自然なのですが、それが良いかというと、それを織り上げ生地に洋服向けにそのままつかうと電車に乗った場合など周囲の人がどこから匂いがするのかと思われるでしょう。シルクなんかでも未精錬のシルクの糸というのは、ムッとした匂いがするのと同じで、そういう糸を使って織物を作る際には、どこかの工程で、その匂いを低減させることを考えていないとならないものです。

今日は、エジプトのリネン糸を使っていて久しぶりに藁のような匂いがしました。この糸も精錬工程を経ていないのでしょう。普段は匂いの問題のない糸ばかりをつかっているので、今日は、糸の品質には匂いという要素もあることを久しぶりに思い出しました。
2013年02月20日
米原にある伝統産業文化会館から長栄座ウィークに関してお知らせをいただきました。今回もロービーでの展示の形で出展をさせていただこうとおります。林与が地元で、PRするチャンスというのは逆に少ないもので、海外に対しては特にPRに力をいれて、日本の織物は、機屋それぞれが独創的なものであるというイメージを大事にしています。

本来、産地でも機屋ごとにデザインが異なり、機の規格も糸の規格も異なったものです。それは、自分自身で周りにある材料で織機から手作りしたり近くの大工や鍛冶屋さんに頼んで部品をあつらえていたのです。

たたら製鉄という世界的に古来からあるふいごを使ったたたら製鉄方法があります。日本の場合には、日本刀の製造の工程で使われる製鉄方法ですが、純度の高い砂鉄を使い、作業工程で不純物を取り除き純度を上げていくという手法で、古代の原始的に思われる人々が今のものづくりよりも良い製法をもっていたことには驚くべきなのです。

今の時代の製鉄よりも優れているというのはものづくりの本質に迫るほどのことが昔には行われていたということだといえます。人が働くということが良い物をつくる基本であるというところ大事だなあと思います。本来は麻に関しても、繊維をそのまま使用する形のほうが良い物になるはずなのです。紡績という手法は、高度に見えますが、簡単にものを作るための手法のひとつであるのです。

植物から長い繊維を取り出すことは、機械には難しく、人の力を必要とします。面白いことですが、養殖的に栽培された麻原料を使うのはセカンドベストで、自生している苧を使うことが本来の苧績の世界で、栽培ものよりも自生もののほうが価値があるのも人の手がより必要で事実なところ。
2013年02月19日
今の時代というのは両極だといわれています。忙しくして仕事をするのか、あるいは、仕事をしないのかのどちらか、出来る人と出来ない人との差というのも埋められないどうしようもない問題で、出来ない人がかわいそうなのかというと、できる人が常に出来ない人を支えて、2倍、3倍の仕事をしなければならないので、できる人ほどかわいそうに思えることが多いものです。

出来ない人を出来るようにするためには本人の意思が一番大事なのですが、何度も大きな同じ失敗が続いてもへっちゃらなタイプの人であることが多いので、いつまでたっても出来るようにはならないものなのです。これは、初心者も同じですが経験者でも同じことで、長年やっていると勘違いしてしまうことも多いもので、初心者が出来て、何十年もやっている人のほうができないという話もよく聞きます。
2013年02月18日
今日は朝から雪が吹雪いた感じで、2月らしいといえば2月らしいものです。一年のうちで雪が収まり掛ける2月が一番冷え込むというのは不思議といえば不思議ですが、地表温度というのは冬至から1ヶ月半くらいのギャップを持っている。太陽の光で、地球表面が心底冷えたり暖まるのに1ヶ月以上掛かるというのも面白いものです。

冷えることも必要なのは、生物が生きるということを考えてみると大事です。一年を超えて生きる生物というのがそれほど多くなく、昆虫なんかは一年でこの世を去っていくのです。スズメやツバメなども季節と連動して巣立ちます。逆のタイミングで生まれたとしたら食べるものもなく、生まれても消えていくしかないのです。

スズメにしてもツバメにしても、ひとつの巣から巣立つ日もほとんど同じというのは、自然の生物の規則正しさを感じます。一匹が動き始めると他のものも同じようについていくというのは、先日琵琶湖の湖畔でカイツブリの群れをみていて、わざわざついていかなくても良いだろうにと思うのは人間だけなのでしょう。そうしなければ、えさをうまく見つけることも出来ず、生きていくことすらもできないのが自然の世界なのだろうと思えます。

魚なんかが人影をみて逃げるのも当たり前に思いますが、南国では魚は人影をみても逃げないのです。人と接することのない魚ですらもが人を感じて逃げるのはDNAに刻まれているものと思うのです。飼われた犬なども、何代にも渡っておとなしいのもそれは、環境的な要因ではなく遺伝的な部分も大きく作用しているものと思います。

進化遺伝というものは加速傾向にあり、20万年前のアフリカの祖先から今の人類が進化しているとするなら、たった、20万年の間にこれほど文化を発展させることが出来うるなら、しかもこの1万年の進化というのはめまぐるしく、逆に人類の破滅につながることが予想されます。
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