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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2013年02月14日
私自身は、紀元前220年過ぎに日本に来た徐福が、弥生文化を持ち込んだというよりも弥生人で考えておるところです。

織物にしても親切に教えに来たのかというと、弥生人は言葉や技術を縄文人には教えなかったと考えるべきだと想像します。五穀百工の世界を日本で独占し続けながら、日本中を隈なく渡り歩き、国を拠点を作り上げ支配していったというのが、その拠点というのが神社だったのではなかろうかと思います。

同じ場所に大きな経済格差があると、生きていくことすらも難しくなるのは、たとえば、水利ひとつにしても裕福なものが自分のために作り上げ支配したときに貧しいものに分け与えられるのかというところです。国と呼ばれるものが形成始めると貨幣や納税義務が生じ、そこには法による身分制度が存在するものです。

徐福は、富士山に行き着いて、富士さんも古来は、福地山(福の子孫たちの住む場所)とか福慈山と表記されていました。3000人くらいで来たと伝説にはありますが、それを思うに邪馬台国を想像させます。志賀島では金印が見つかりましたが、倭奴国王ということで、徐福の子孫が王として君臨していた国ではなかったろうかと思われます。

なまはげ伝説なども徐福の一団であろうと思われるのも頷けるところで、また、神武天皇に関しても徐福像と被るところは多く、弥生時代を築き上げたのが弥生人としての徐福の一団であり日本人の祖となっている可能性は高いであろうと考えられます。技術なども伝来したというよりも異民族による支配が広がったというのが正しいところではないのかと思うのです。

人類がサルと枝分かれして進化したという進化論は宗教界から干され、天動説にしても宗教界から干されがちの歴史を持っておりますが、日本人の期限にしても徐福一団自身が新地である日本国内では隠そうとしても中国の文献に残り、始皇帝自身が実在したとなれば、徐福も実在であり、徐阜村も発見されましたが、徐福の一団が由来すらも隠し通さねばならない理由があり、広原広沢を得、王となり帰らなかったとされるのも、使者を中国に送りながらも場所を明かさず伝えたからだといえると思えます。

徐福は方士だったといわれ、技術に長けていたとされています。一方で、治世のためには、自身が国を作ったとするような神がかった過去を作り上げる必要を感じていたのではなかろうかと思います。また、武勇的な神話が残る必要があるのも、内部のつわものと戦うだけでなく、外部とのつわものと戦う危機と常に直面しており、神がその国を作り上げ守っているようなイメージで他国からの侵略をも防いだのではなかろうかと思うのです。それは強国の拡大欲におぼれた為政者の一番恐れるのは死することであり、神に刃向い呪いが掛かることを恐れるのとにています。日本でも悪いことをすると死後地獄に落ちるというような表現も同じような意味合いをもって人の欲というものに一定の節度を与える力をもっているものと思います。

インドに行ったときに感じたのは、国を作るためには人々の考え方を固定させることで、そのためには宗教というのは非常に大きな役割を果たすものと思いました。宗教が単に思想で終わらず、それに刃向うものは罰する要素まで持つことで、宗教がいつのまにか国を支える法となり強制力を持ち不可侵な身分社会の形成には、その宗教を信じる信じないは別にしても法にまでしてしまうと役立つのです。

インドでガンジーが崇拝されるのも、分かる気がします。多くの宗教家が俗化してしまうなかで、自分の命を捧げる覚悟で理想的な宗教像を追い求め、俗的な宗教家や為政者の真似のできない世界なのです。禁欲ならぬ金欲こそが宗教となってしまった現代宗教は手の付け所がなく、人の殺し合いにつながる大きな戦争までに発展します。

金欲に己惚れる現代的な宗教の原型が古代の宗教にあったのも事実で、宗教が人を救うというよりも多くの人に強いる性格を持つものであるのは、宗教が本来理想とすべき加味の存在を否定するもので、神の名にすがり、人々を苦しめ楽するところの世界で、国を制するものが権力に己惚れ、手に技術すらないものであればどうしようもないところなのです。

政治を目指すなら、法を整備するよりも、政治するべき神と思われるほどの能力の必要性がなければならないのです。
2013年02月10日
近江の名前の由来は、淡海であるということで近淡海だといわれていますが、近江は江州と呼ばれていました。江戸時代から中山道での物流以外に、海運による京都、大阪との取引が盛んでした。今の琵琶湖も実は干拓が行われ今の姿ではあります。

京都や大阪よりもものづくりに優れているのは、川上にあるからで水が綺麗だからという部分が大きいといえます。もちろん、京都や大阪にも清流はありますが、たくさんの都市の人口で分かつほどの量の水ではありません。冬の鈴鹿山麓には雪が積もり雪解けの水が4月くらいまで残り、上流であればあるほど天然の水というのはきれいなものです。
2013年02月08日
昨日の繊研新聞さんに、AQAブランドの小林社長のことが載っており、生地をつくらせいただいた林与のことも掲載していただきました。大きな記事でびっくりしましたが、小林氏の活動を業界メディアも大きく評価されてのことだろうと思います。林与のシャトル織機の写真も載っていました。

小林氏の最初の訪問のときに、私自身は、「大手生地商さんのもたれているストック生地を使われたほうが、1着づつ作る場合には、安く手に入るし、メーター単位で買われることが可能で動き易いからそうされたほうが良いです」、という親身なアドバイスをさせていただくところから始まりました。

それでも、林与の生地を使いたいといってくださったので、夢を持っておられるところに私も惹かれて動きたいなあと、1反ベースで新しい生地を作らせていただきました。私以上に、その熱い思いに共感をされて長浜の布工房DENの北山さんが動かれてリネンシャツは出来上がりました。

逃げ腰な方よりも、覚悟を決めて動かれている方というのは出来る限り応援したい気持ちになるもの。
2013年02月07日
今年の11月のジャパンクリエーションおよびPTJに伺ったときに、J FACTORYブースに出ておられた及川デニムさんとのお出会いがありました。林与が考えていたのは、林与のリネンデニムをいかに製品にするかのところでたまたまのお出会いでしたが、同じ年代であろう常務さんとお話してこの方にジーンズの縫製は任せたい思いました。

一点もののサンプルとして林与のリネンデニムジーンズが出来上がってまいりました。2日間履いてみると、思っていたとおりの効果で満足です。もうちょっと形を改良をすれば完璧になると思いますし、作り方を工夫すればよりその効果も増しそうです。

今年から春夏秋冬と林与のリネンデニム動き始めます。この素材は、実はインターテキスタイル上海と併設されて行われましたインターナショナルファブリックデザインコンテストで3位に入賞した作品で見た目も通常の綿デニムとは違う新鮮な感じがすると思います。林与の考えるリネンデニムの形ができあがりつつあります。セルビッジで登場させることを考えております。

麻機屋のつくるリネンデニムというのも、綿デニムのプロがつくるものと違ってまたよろしいんじゃあないでしょうか。
2013年02月06日
織物を作るときに値段を安くしたい場合に制約を取り除くことがひとつの方法です。1000mの注文だったら、少なくても良いのならものづくりが簡単になります。というのは、1000m分の糸を準備すれば良いからです。

通常は、1000mを作るときに1100m分とか織れるように糸を用意するのが普通で、大体理論値の20%から25%くらい多めに糸を用意します。最終1000mを確保できるように作ります。通常1割くらい余分につくることは見ておかないといけないのは麻織物のものづくりで、1000mが必要な場合、これを忘れると大きな問題を招きます。

たとえば、1000m注文を受けても、1000mぎりぎり織れるくらいの糸を用意して、最終、900mだったとかでOKだと、ものづくりが簡単になり費用も落とすことが出来ます。というのは、用意した糸を使い切ることができ、また、足りない分をもう一度つくる必要がないからです。もし、そこで、100mを作るとなると、1000mを作るのと同じくらいの時間が必要なことになります。ロットが小さくなるので、100mつくるのは1000mつくるのより難しいことも多いのです。

今日は、1000mの注文で900mでも良いですか、という方法での若干の値下げの提案をいたしました。ものづくりというのは、読めない要素を含んでいるということで、ものづくりじゃない人の考えというのは、当たり前に100のものが100つくれるという考え方なのです。数量に制約を設けると小さな特殊な仕事の場合、用意しないといけない余分の糸が3割とかときには5割膨れ上がります。
2013年02月04日
タペット織機は、織物の織機の中では高速化しやすく生産性の高い織機です。シャトルにしてもタペットのものは多いですが、エアジェットなどもタペットなのです。なぜ高速化できるかというと、ドビーやジャガードなどは、羽根の力で下方向にソウコウ枠を引き下げますが、タペットの場合には強制的にソウコウ枠を上下させる形になっています。

タペットも平織限定ではなく、ソウコウ枠を4枚から6枚取り付けたタイプのものは、綾組織のものなどを織ることが可能です。タペットの場合には、強制的に上下させるので、ひとつのソウコウ枠にたくさんの糸を通しても大丈夫ですが、ドビーの場合には枚数が少ないと一枚のソウコウ枠にたくさんの糸が通っているので、それをアンダーモーションと呼ばれる羽根で引き下げる必要がありますが、糸が多すぎると苦しくなってしまうので、平織物などでもソウコウ枚数を4枚とか8枚とかに通して、アンダーモーションへの負荷を減らします。

糸一本一本を扱えるジャガードは実は万能に思えるかも知れませんが万能ではないのです。平や単純な綾のものを居るときにはジャガードよりもドビーやタペットのほうが目飛びなども起こらずに良いのです。
2013年02月03日
今日は穏やかな一日春モードを感じます。日曜日ながらもサンプルを徹夜気味にクリア、平日できなかった出荷を頭を整理しながら10件ほど終えて、まだ、それでも10件ほど残っていて。サンプルというのは、織るだけでなく、データをすべて確認し管理しないといけないので、それにも非常に時間が掛かります。特に、急いでいるときには、自分の控えを織る時間がないので、手元から現物がなくなっても再現できるように、データを記録するのは、データの記入漏れがないか心配です。

ふと思い出して、林与というのは、5年ほど前までは林与織物という名前でした。先代がなくなり、私が会社を引き継いだときに、社名を「林与」に変更したのです。微妙な変更ながらも、印鑑を変えたり、封筒を変えたり、以外に登記上の書類の名前などをすべて変更するために、かなりのお金と時間も費やしました。いろいろと代替わりで仕事の面でもばたばたしていたことが多い中で社名変更というのは余計にややっこしいことに手を出しましたが、思い切って社名を変更したことは良かったなあと思うのです。

ばたばたとした中も、社名変更をした理由はいくつかあります。自分の時代には、業界だけでなく、一般の皆さんに名前を知ってもらおうと思っていましたので、そのときに、「林与織物」としってもらうのか、「林与」と知ってもらうのかでは大きな違いとなるだろうと考え、今しかないだろうと思ったのです。また、近江上布をやっていた頃にお祖父さんが作った「林与」ロゴを復活させようと思っていたので、社名も「林与織物」より「林与」のほうが良いだろうと思ったり。

他にも、急いでいるときに「林与織物」が言いにくかったり、書くのに時間が掛かったりと理由はいくつかありますが、会社の名前も変えるというのを自分でやってみて、仕事のことも自分自身が決めればよいだけのこと、誰の判断でもなく自分の判断なのだと思うのです。どうせ変えるならもっと目新しい名前に変えるべきだとのご意見もいただきましたが、あまり気づいてもらえないほどの変更です。外から見ると織物屋なので、「林与織物」のほうが分かりやすくて良いのかもしれません。
2013年02月02日
今日は、午後から加工工場の社長さんが加工に関する件で来てくださいました。いつも今の時期というのは仕事も残って忙しくされているものですが、今年は、アパレルの仕事はもう終わったようで、これからは、現物的な対応となる浴衣地や座布団を手がけられる時期になるのでしょう。
2013年02月01日
今日は、大阪のお客さんに荷物を届けたあと、午後からテキスタイルマルシェにうかがいました、京都東大路通五条(清水寺の坂を下りたところ)に西入ルのHINAYAさんの1Fでのイベントです。この表現が適切なのかどうかは分かりませんが、しっかりした企業さんばかりが出展されているのですが、担当されている方がお若い方が多く集まられているような気がしまして、私の世代よりもさらに次の日本のテキスタイル業界を担っていく皆さんの合同展ではないのかと感じました。

明日2月2日も行われておりますのでお時間あられます皆さんはぜひ脚をお運びください。出展者の皆さんが即売されておられますので、お店に脚を運ぶような気持ちで布やかばん小物などをご購入いただけます。今日は、ある社長さんとお出会いすることができたのですが、自分たちでものづくりの環境をつくるだけでなく、テキスタイルに携わるものが業界というものを自分たちの理想の形で育んでいくというのは本当に大事でそれを実践されているのだなあと。
2013年01月28日
綿やスフ織物などを麻っぽく腰を持たせる方法のひとつが擬麻加工と呼ばれるビス加工です。擬麻加工すると糸は縦糸にも使え、光沢感もあるので、こんにゃく糊加工と同じように思えるのですが、擬麻加工というのは夏の座布団など薄い目の色のものにはよいのですが、濃い色のものでは問題が起こることが有ります。

着尺などの用途にビス加工を施したものをテスト的に生産をしましたが、やはり品質面でこんにゃく糊加工や従来の糊加工を施したもののほうが問題は少なそうであるという結論に達しています。普通だとあまり気が付かない事ですが、私は気になってしまうところです。

林与は、麻のものを織っているので大概の服地の場合風合い出しはやわらかくする方向に動きますが、綿やスフのものを織っておられるところは麻っぽくするために硬くしようとされるのです。座布団と言うのは麻のうちでも大麻が使われていたのではなかろうかと思いますので、そうとう硬くしても綿やスフベースだと麻の座布団っぽいイメージに仕上がります。
2013年01月27日
ヒガエの鉄板カードを組んでいます。朝から昼過ぎまで掛かりそうで、何百枚もの蝶番を組み合わせるような形で、くみ上げていきます。今の織機ならフィルムカードにパンチしたり、コンピュータのデータ入力で済むのですが、それのカードをくみ上げるために何時間もの作業。それほど難しいことではありませんが、部品が限られているので他のカードを分解して使わないとならないので、何時間も掛けてやってあるひとつの仕事がこの仕事のために駄目になると言うのはもったいない気がします。

こういった手間の部分、本物に手間が掛かっているのでものづくりとしてはいいんじゃあないでしょうか。出来上がったもの以外の部分で、半世紀以上昔のものづくりの手法で織り上げると言うのも、織物の技術の伝承の部分での意味合いあろうかと思います。

手織りの織機と業務用の力織機もシャトルを使いますが、一番の違いは、手織りの着物生地の場合には、糸の番手が非常に織物に影響を及ぼすと言うことです。薄い織物をつくりたければ細い糸を使うべきで、太い糸を使えばしっかりとしたものが織り上がります。

戦前は、湖東産地でも内地で織られるものと浜で織られるものは違いがあって、浜で織ったものは蚊帳とか座布団地とかで、琵琶湖に近いところで織ったものは比較的太い糸を荒く織ったものが多かったために、安いものが多いとされていました。着物用途というよりも資材用とだったからだと思います。資材系の麻の手織りのイメージは、アジアの手織りの織物と非常に似ています。品質が悪いと言うよりもそれも用途に応じた味わいを持っているものなので、繊細さよりも、丈夫さが必要だったりするものです。

昔からそうですが、座布団地などは価格が厳しいので本麻のものが少ないのです。スフや綿にギマ加工を施したものとか一般に使われます。時折、麻の暖簾ようの生地の話も有ったりしますが、アパレルブランド向けのラミー糸にしてもリネン糸にしても綺麗過ぎて向かないと思うとお答えします。綺麗な糸を使うと、仕上がりが綺麗過ぎて味わいを求める資材系には向きにくいのです。ソバカスの入ったリネンなんかも味わいを求めるハンドメイド向け素材としては適していると思いますが、アパレルブランド向けにはいろいろなトラブルが予想されますので使えないと判断します。

現実的にも、中国の内地でつくられる斑感のある麻糸とか、ちょっと段やキズがあってあまり上手に見えない織りのもののほうがお土産屋さんなどは味があって見栄えがするものです。日本の職人が手織りで織ったものにキズなどはほとんどないものですが、海外では、麻の手織りのものと言うのは子供が作ったりしていることも多く、キズや段があっても小学生くらいの子供が家のお手伝いとして織っていると思えば目くじらを立てるのは可愛そうです。
2013年01月26日
今日は午後から底冷え、夕方、業務スーパーに食料の買出しに行って帰り反対車線で歩道にぶつかった車の横を通り過ぎたあと、反対車線の車が歩道にぶつかった車に追突。今の自動車のアンチロックブレーキシステムは、特に雪のような道路の状況によっては全然ほどブレーキが利かない状態になるので、この事故もそのためだろうか。ブレーキを踏まれているのだろうが、滑っているわけでもないのにスピードがほとんど落ちないままの追突で非常に不自然な感じがした。

夜は、シャトル織機が2台調子が悪くなってそれを直さないといけないのだが工場の中が冷え込んでいるので明日にしよう。リネン150番もぼちぼちだが本生産に入っている。なかなか織れないものだ。私の考えでは、こうやって雪が積もると言うのは麻織物が織り易いはず、越後などの麻織物も雪深い産地でつくられる。

あとオーガニックリネンも少し高密度なバージョンを織り進めている。こちらは調子よく織れる。キッチンクロスHDの在庫も少なくなってきて織りを進めたいと考えているが、織機は空いているのだが手が足りない状況、今から織っても全色そろうのは4月くらいになってしまいそう。
2013年01月25日
まだ、だいぶ先のことになりますが、5月8日~9日に行われます。プレミアムテキスタイルジャパン2014の申し込みが始まりました。この11月に覗いた秋のジャパンクリエーションならびにプレミアムテキスタイルジャパンは会場内熱い感じでした。出展できればと考えています。

5月というのはアパレルさんは生地の企画が終了間際であることも多いもので、スワッチを送って7月の展示会などに間に合うのかと言うと、6月末に生地を投入することを考えるとそんなにたくさんは作れない。

会場も東京駅に近いこともあり、新幹線でいけるので林与としてもありがたいのです。また、来場される方にとっても一番くらいに便利な場所ではないでしょうか。昨年は当日の朝に入って30分で準備。たくさんの方とお会いしてお話できたのはありがたかったです。

林与自身、ものづくりに関してはいっぱいな状態が続いており、現在は3月末くらいまでの予定が埋まり始めています。3月の中頃からは空いている時間に新しい柄物などをつくりたいと考えています。また、大変好評だった、チェック柄のカラフルなストールも再度生産してみようと考えております。もう3年前になりますか、何百メートルと作りましたが1年ほどで完売しました。
2013年01月24日
先日、散らかってますね、というタイトルで書きました。今時のスタイルじゃあないですが、出来上がったものだけの部分ではなく、そのつくる過程もしっかりと手元の布と言うのが持ちえております。これって、自分で作っていることの証じゃあないかと思うのです。

着物の時代にはそれぞれの機屋がデザイナーだっただけでなく、製造する織機なども自前で作ったもので、普通の人から見ればかけ離れた世界をつくりあげていたものと思うのです。日本の伝統的な地場産業というのは技術的な高度さが売りで、それをしっかりと謳ったものづくりで差別化できないと、デザインだけだと海外でのものづくりのほうが簡単ですので、他と同じ感覚でのものづくりでは他に価格面ですぐに淘汰されてしまいます。

私自身が他と同じ感覚を嫌うのは、その当たりがデザイナーとしての基本的な意味合いだと思うからで、それを機屋もしっかりと持っていないと織物もつくることが出来なくなってくるんじゃあないかと思うのです。織物と言うのは変わったことをしようとすると複雑で、デザイナー的な要素もカバーできるくらいでないと、最終的な商品になるための素材提供も難しいと思うのです。洋服のデザインに関してはアパレルデザイナーさんに任せるとしても、生地のデザイナーが目指すものは、布として素敵にみえるもので、また、シンプルな形のものをつくっても素材の良さが伝わり売れるような素材というのが地場産業から生み出される生地の理想じゃあないかと思います。
2013年01月23日
今日は職人さんが来られる日で朝から段取りを組んで機を乗せ変えようと思いましたが、一台落ちている機があったのでそこに書けることにして、鉄板のヒガエカードを作ってもらうことにしました。お昼前に急ぎの分の加工出しに参りました。

やらないといけない仕事はたくさんあるのですが、仕事を正しく理解し正しく行うことの出来る人というのは少ないもので、大概失敗につながるものです。今朝は、ストールの長さを織り出しで確認したところ3cmほど長いので、長いと言うことまでは確認を出来てもなにが問題なのかを確認できる人というのはいないもので、簡単なことなのですが、サンプルと同じ長さに織れている台のヒガエカードの本数を確認して、3cmほど長い台のヒガエカードの本数も確認して、30本ほど長いということを確認して原因が分かり、32本減らしました。

簡単なことですが、体を動かして作業しないといけないので、頭だけで面倒くさがっていると、なんでだろう、なんでだろうというだけで、仕事が前に進みません。出来る人と出来ない人の差は大きく、出来る人というのは毎回仕事が正しくできますが、出来ない人というのは、正しく仕事をしないので毎回仕事で失敗やトラブルばかりです。
2013年01月22日
麻という文字の中にある林はもともと、ホが2つの「ホホ」のような形で麻とか草を意味していました。病垂ではなく、建物の下で麻を扱う様を表したのが、今の麻という文字です。「ホホ」のも「林」という形に変化して行ったものということです。

林与の林というのも、今は木が二つですが、もともと、麻をあらわす「ホホ」から、林という苗字を名乗るようになったのではないのかと思っております。集落には林姓は林与の別れとしての林姓だけです。

集落にもう一軒織物屋さんがありますが、そこも、林与の別れとして3代ほど前に織物を始められた経緯があるということを隣組の会合で聞いて、集落でも麻織物を本業として立ち上げて親戚筋にノウハウを分け与えた形のようです。
2013年01月21日
林与の会社にくると、布が溢れています。お客様が来られると毎回10点とか20点のものを引っ張り出すだけで、収集が付かなくなるのです。パターンやハンガーで見せるのが主流の時代ですが、枡見本や現物に近い形で見てもらうというのが織りの現場のものづくりに近いんじゃあないかと思います。

林与は布を捨てたり処分することがほとんどなく、過去に作ったものが残っている機屋なので珍しいのです。建物と設備だけで実際に作ったものが残っていないところというのは、外にヒントを求めがちでデザインの世界では一番危ない真似屋さんになってしまいます。自分が作ったものと言うのは物と言うだけでなく、しっかりと自分でお金を使って布を作っていてその価値が分かっていますし、それを作ったときの苦労した思い出が詰まっているもので捨て去ることができないのです。

事務所に来るだけで布が溢れているように見えますが、倉庫には糸や昔の反物、別の倉庫は手織りの時代のものが詰まっています。つくれば残ったとしても、それが日本の麻織物の一ページとして残っていくのを感じています。売るためだけに作るのではなく、日本の麻織文化や近江湖東の麻織文化を残していくために作ると言うのも良いんじゃあないかと思います。
2013年01月20日
近江上布に興味をもたれて午後からお客様がお越しくださいました。近江上布というのはそれぞれの家ごとの違う素材使いであったりと家ごとに似て非なるもので、林与の近江上布は一般に知られているオーソドックスな古典柄の近江上布とはちょっと違うところがあり、欧米のデザイナーの皆様からもモダンだとよく言われます。

過去には近江湖東の産地に世界の他が真似をできないほどの手織り絣のものづくりが流れていることを大事に、少しづつ形にしていきたいと考えております。私が50歳になるまでの6年ほどを準備期間として使おうと計画をしております。近江という狭い世界ではなく、日本のワビサビの世界のものづくりというのは、デザイナーの皆さんが最終的というか哲学的にたどり着くところではないかと思います。

日本のテキスタイルメーカーが海外に行っても、ハイテク素材や複合素材、新技術が注目をされるばかりですが、日本の昔の織物の世界と言うのは手間隙の究極とオリジナルなデザインの世界だった部分も情報発信していくことが大事ではなかろうかと日本の織物文化を考えたときに思うのです。

近江上布のハギレにしても、それに驚愕の念を感じるのか、ゴミと感じるのかは人さまざま、世界中のテキスタイルを探され見慣れた方々が、林与の近江上布のシリーズをご覧になられ、今まで見たもののなかでも一番くらい驚いたといっていただけることも多いのは、林与がそれを半世紀以上封印しておいたことにあろうかと思うのです。

そこまで達していながらも、作ることも難しく一般の人が手がとどかなく、消えざる終えなかった手間隙の世界と言うのは、やるだけ無駄そのもので黙って消し去るべき世界なのかもしれないと思うことすらあるので、私のおじいさんである林與一が、箱に「外に出すべからず」と書いたのも分かる気がするのです。

ワビサビの世界と言うのは、色柄だけの問題ではなく、その作り手の生き様をあらわしているように思います。日本からワビサビに通じる感性がなくなってしまえば、デザインをつくったとしてもそれは本質を欠いたものではなかろうかと思うのです。
2013年01月19日
今、リネン100番手の織物を織り進んでおりますが、仕上がってきた織物を触るととろけるような風合いです。今年の糸が弱いのに頭を悩ませているものの、その分糸質というものがソフトになっている、苦労して織った甲斐があるものです。

柔軟も無しでナチュラルソフトに仕上げた反物が柔らかくてとろける感じなのは、うれしいことですが、一人が2台に付きっ切りで、1時間に1台の織機で1mしか織れない織物なので、たくさん作れるかと言うと生産できる量も本当に限られております。

150番手の織物も少しづつですがバルク的な織りを進めております。1時間に数十センチの世界ですが、従来の方法で少しづつ織ってプライスレスな世界です。アイリッシュリネン140番手と現行の150番手の違いなども比較するといろんな違いが見えてきます。

アパレル向けというのは一般に小物向け以上に品質基準が厳しく、それを度外視すれば、布と言うのは自由度が増しつくることが簡単になります。芸術的な要素を重視というのは、ヨーロッパのテキスタイルのもつ危なさに近づいてしまいますが、それを必要とする特別なランナウェイな世界もあるもの事実です。

世界のトップモデルがランナウェイで着こなす世界とうのは、自由なものづくりの世界で、品質基準すらもがヤボで、布を羽織り美しく見えればそれ以上の説明は必要ない世界あったりします。既製品は既製品で品質基準を求める必要があるので、ブランドのデザイナーさんがそのあたりどこまで理解いただいているかで自由度は変わってきてしまいます。
2013年01月18日
今日は東京より3年間しが応援ファンドの認定を受けまして取り組みましたアイリッシュリネンハンカチプロジェクトの取材にお越しいただきました。3年は掛かりましたが、今まで日本でリネンの100番以上は織るのが難しいと言われ続けていたのを、従来の方法で、ビンテージアイリッシュリネン140番手を総先染で織り上げるところまで行きました。

難しいと言われているものでも本腰を据えてやれば、何か幸運的な流れに導かれて、今回のように、3年で業界で難しいと思われていることでも、覚悟を決めて、やれば、やり遂げることが出来るものなのだなあと思いました。

昔のものづくりに迫りたかったので、従来の基本に忠実な方法を採用していますが、それは職人的な技の積み重ねなので、伝統産業の流れを汲む産地らしいものづくりではないのかとも思うのです。出来上がったハンカチも、本質的なものづくりがしっかりと流れています。織る難しさという普遍的な価値観が詰まっています。

今回のプロジェクトは40歳と言うときで私のピークのときに動けました。次にやったとしても同じような大変さが伴うでしょうが、一度経験を積むとその大変さというのも当たり前に乗り越えやすいものです。高いものは売れないと言われたときに、高いものに挑戦するドンキホーテー的なところもありますが、ものづくりというのは、プライスレスな世界と言うものがあってもよいんじゃあないかと思っております。
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