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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2013年08月13日
普段は、お茶か100%ジュースと決めているのですが、この暑さ対策のため、100%ジュースをシャーベット化して楽しむことに嵌っています。900mlのトマトジュースを冷凍庫で1時間ほど冷やしたことから始まったのですが、100%ジュースなどもよい感じに半分凍って半分解けている感じで、喉越しが非常に冷たくてよいのです。100%ジュースをぐい飲みする以上に時間を掛けて楽しめます。

こういうことからもなぜ麻に冷感があるのかということ考えます。公定水分率が高いということは、水分を多く含んでいるので、空気よりも水の熱伝導は30倍、要するに、麻を着ると麻に含まれる水の温度が伝わってくるのです。一方で、なぜ、汗をかくと暑苦しいのか。体温と同じ温度が体に跳ね返ってくるからです。

髪の毛を乾かすドライアの温度は200度以上でもやけどしませんが、100度の水だやけどしてしまいます。湿度の高い日本では、空気中に水分がたくさん含まれているので、体に対しての熱伝導は大きく、暑苦しさを感じるのです。これが、砂漠だと水分補給は必要ですが35度以上でも案外快適だったりします。

2013年08月12日
汗ばんだ手で縦糸繋ぎをタイイングマシーンを使って行うと、電気が汗を伝わって感電、ぴりぴりと痛いなあと思いながらも急ぎの気持ちでつなぎ終えて、これだと困るのでアースをどこに繋いだらよいのか考えました。アースを織機に繋いで電気を逃がしてあげるのが一番良いようです。

林与の場合は、社内でタイイングマシンを使って糸をつなぎますが、よく聞く話ですが、タイイングマシンで糸を繋ぐ仕事を職業としておられる人もおられます。現場の織子さんがタイイングマシンを使いこなすということは難しいというのが一般的な認識のようですが、タイイングマシンにしても昔は一台で自動車が買えるほどのものでしたが、現在は安価な中古なども出回っていますので、織物工場さんで手の空いているところなどは自分自身で経つなぎをすることがよい練習になるだろうと思います。

日本でも手で何千本もの糸を繋ぐ会社も珍しいかも知れませんが、林与の中では、当たり前にその作業生きています。他のものができないと言った時に、私自身がその作業に当たるというのも林与のスタイルです。私自身が恵まれているのはそういう何でもやらしてもらえるチャンスというのはめったにないということです。

昔、大きなコンピュータ工場で働いたときに複雑な工程を経て基盤など出来上がりますが、それぞれの人というものは無力に近すぎるのです。誰が誰でもよいというレベルにまで作業工程が簡素化されて人というものの作業が単純作業に徹しているのもこれが本当に理想の姿なのかと思いました。

職人と呼ばれる人にしてもできないという言葉を発することが多く、仕事を知らない初めての人以上に仕事の上達というものは見込めないというのが、どの織物工場でも直面している問題ではなかろうかと思います。なぜ、産地で織物を織る工場が消えていくのかを考えるときに分業体制でやっていたことが、誰かが辞めたときにすべて出来なくなるということが多いようです。

今の時代のように火も自分で使わなくなったときに、日本人が総消費者的になって、太古の人々ができたことも現代人ができないというパラドックス。仕事で働いている人々にしても誰かにやってもらうことばかりというのでは駄目で、どこまで自分がやるのかを広げることが独自性を残し生き残る道につながる。

別に無理して独自性を追い求めなくても良いと思うけど自分が何ができるのかということはしっかりと最大化しておかないと、繊維だけの仕事に関わらず、40歳、50歳で食べていくことが出来ないという人がゴロゴロ。覚悟を決めて目の前にあることを一つ一つこなしていくことが一番の上達の早道。それを逃げると逃げ癖がついて、長くやってもその仕事では食べていくことは難しくなる。
2013年08月10日
今日は、東円堂の盆踊大会、江州音頭です。東円堂の旧の集落というのは、私自身、子供の頃にあった行事というのは今もあり続けている感じで、30年以上昔の小学生の頃から古めかしいことをやっているなあと思っていたので、今の若い人たちにとってはもっとギャップあろうかと思います。

滋賀県のことを江州という呼び方をするのも、今は、納得が出来るのですが、小さなころはオーストラリアと同じ呼び方をするの変だなあと。今は解決していても、今の滋賀県ではなかなか、江というものの存在を身近には感じないので違和感はあるままです。滋賀県では戦後、江がほとんど埋め立てられてしまい、湖岸の様相が大きく変わりました。

安土城にしても琵琶湖岸の城で、絶景そのものだったと思います。周囲を自然の堀に囲まれた島のような城、地理的に日本のへそのようにある琵琶湖を抱える近江、その中でも、地理的に中心的な安土、日本を統一するのにふさわしいような場所と考えたのではないでしょうか。今は、ただの小さな山の上の城跡のようにしか見えませんが、近江の魅力というものは今とは違ったところにあったと思います。

盆踊りも、滋賀県でも踊られることが少なくなってきましたが、そういう文化を自分たちの力で残していこうという地域である東円堂。理想的な社会というものの捉え方が違うのかなあと思える部分です。良いところもあれば悪いところもある。地域の人々の献身的な行為を上に立つものが食いつぶさないようにすることが大事だろうと思うところ、これがなかなか難しい。
2013年08月09日
暑すぎて、冷蔵庫のお茶やジュースがなくなったので、先日、栄養ドリンクを飲んだ。すると、左足の内部に違和感が、これは以前、パリの展示会に行ったときに足の中が液状化するような現象で悩んだのを思わせる。栄養ドリンクが足の鈍痛の原因だろう。

ジュースですらもそうだが、オレンジやりんごをそのまま食べるのとジュースとして飲むのでは、同じ100%であっても、人体という要素を考えると大きな違いがある。噛んで食べると体が運動をするしアミラーゼという分解酵素が大量に体内に回る。ジュースとして飲んだ場合、100%であっても体というのは吸収しやすいので、逆に怠け癖が実につく。

ましてや、栄養ドリンクなんぞは、体を退化させる大きな原因。吸収性を高めたものなどは体が退化してしまって、栄養の吸収が難しい人が飲むものだろう。厚生労働省が、以前、健康補助食品を推進したことがあったが、気持ち悪いほど業者との癒着で、タブレット化されたものから栄養をとる行為、体には害でしかないこと健康に携わるものがどうして気がつかないのか。同じに見え、金が儲かるほうをよしとするのだろうが、本質的に同じじゃないところ、専門家なら分からないとならない。

ジャンク産業ほど利益を上げるので、お金儲けを目的とすれば専門家にしても、どう摩り替えるかが仕事となる。大手のハンバーガーチェーンが食育教育に口を出した時期があったが、自分の会社自身が栄養のバランスの取れた食事を提供できない食育の駄目駄目なのに、子供たちの食育の先生になってプロパガンダとは恐ろしい。

今日は夕方、盆前にとお願いしてあった染糸が染まりあがって来ました。これで、お盆の間に仕事ができる。織物の仕事というのは、注文が入らないと進行できないことが多いのですが、自分自身がやると決めて、お客様についてきてもらうのも一つの方法で、今回の場合も時間がないので、糸を先に見込みで染めて納期に合わせます。

織物の仕事というのは目先の損得だけで動いていると続かないものだと思います。仕事をやっても儲からないくらいにつぎ込んで用意を先にしておかないと仕事に対応することは難しいもので、それは問屋機能そのものなのかもしれず、仕事の範囲を広げていくことは大変であろうけど一番大事なことで、もののすべてが見えてくるきっかけになり、最終的には自分の作りたいものをお店に流していくことに繋がります。今すぐ手に入るものをほしがられる方ばかりになっているから。

お盆前に上がってきてほしかった反物も上がってきました。ありがとう。自分の会社だけでなく、他の会社にいる皆さんががんばってくれることで、仕事がうまく行くのを感じます。仕事の関係では、仕事を与える側も貰う側も両方がお客さんのような関係、良い関係が長く続くことを願う気持ちが両方になければ成り立ちません。
2013年08月07日
8月に入って本格的な暑さが続き、これこそ夏というイメージの今年。節電することは何も他の人のためならずで、自分のためになるのではなかろうかと思います。冷房に慣れていると冷房を掛けていてもまだ満足できない体質になるものだというのは、昔、カリフォルニアの英語クラスの先生が暑がりで寒いほどの冷房。また、大阪のコンピュータプログラミングの会社も室内が寒すぎる。外に出ると、外の暑さには5分も耐えられないほど体が熱さに対して弱くなってしまっています。

熱中症という言葉は子供のころには聞かなかった言葉、暑いときに走りこんだり、体を動かして鍛えることが大事だとされていたけど、今、冷房がキュンキュンに効いた塾で勉強する子供たちにとっては、外で運動をするのは少しのことでも厳しい話でしょう。暑いときに水分を取るなというのが一つの鍛え方でしたが、林与も、常に水分をたくさんとってこの夏を乗り切ろうとしていますので、もう昔には戻れない気もします。

コンビニやスーパーなど冷房は20度くらいまで下げているところが多いように思います。外が暑く中が涼しいというのは楽園を作り上げることができ、それだけで、天国がそこにあるかのような錯覚。今年の夏は、せみがけたたましく鳴き、田舎にいながらもこの30年ほどの生態系の急激な変化に関していつも心配しているサイレントスプリングはまだ遠いなあというのをありがたく感じます。

本当なら、川で涼むのでしょうが水の流れない川。人々のつくりあげたダムも、地球温暖化に大きく貢献をしていることになろうかと思います。川の水辺の生物が死んでしまって、人だけが生き残ろうとしても、自然の恵みを受けることないため、お互いの奪い合いのような世の中しか生まれないでしょう。
2013年08月05日
今日は、朝、お盆前に仕上がり予定のP下の反物を3反、徹夜モードで朝投入。加工工場から帰ってきて休もうと思ったのですが、4件電話で、そのまま、午後2時からのミーティング。夕方5時から出荷など準備をして、途中電話もいただいて、代わりのものに出荷準備で午後7時ぎりぎりで出荷完了。

なんだかすごく疲れ果てて、暑さも伴って、出荷の終わったあと、ドラッグストアーでプレミアムモルツ350mlを一缶購入。普通だとお茶かオレンジジュースを大量に飲むのですが、今日はこの一缶で十分、食べ物も要らない。染み渡る感じを満喫しながら夜中までs熟睡。本当に長い1日がようやく終わった感じ。
2013年08月04日
20年ぶりくらいに、サンディエゴにいたときのルームメイトだったメキシコ人のクリスティーナがフェイスブックで私を見つけて連絡くれました。サンディエゴのアパートを英語クラスの4人、日本、オーストリア、メキシコ、韓国でシェアして住んでいたのですが、懐かしいなあです。あの頃から考えると年齢も2倍になってしまっているものの、あのときのスピリッツというものが今も仕事の考え方の生きているなあと思うことが多いものです。

若かったあの時以上にがむしゃらな感じの林与ではありますが、昔の友達が今も私のことを覚えていてくれることはありがたいことです。当時クリスティーナは、たしか18歳、飛び級して通訳の専門学校を卒業してカリフォルニアに語学留学。ボーイフレンドのディエゴとのメキシコでの結婚式にも招待いただいて、結婚式の晩は飲みすぎて、二日酔いの翌朝はモーニングテキーラ。

サンディエゴのアパートでの4人での生活も、周りから見ると素敵だったようで、アパートにいると、いろいろな友達がアパートに遊びに来て、常に誰かと、ご飯、ジャグジ、テニス、買い物、なんかのパーティ。サンディエゴでの生活は連日イベントが多すぎて思い出せないほど。クラスメートに日本人も私以外に3人いたけど、暗黙の了解で日本人同士で友達になることは避けて、お別れパーティのときに始めて日本人4人でしゃべった。そんな日本人同士が意図的に避けあうようなこともあったからか、後ろめたい気分も残るサンディエゴ。

あの頃、今のような人生を想像していたかというと、仕事というものは学校での勉強のように、もっとビジネスライクに頭でできるものと考えていたフシがある。人生というのは自分で切り開いていくものだし、仕事というのは意欲次第だと今は思う。苦しい状況であっても前向きに動いていれば力を貸してくれる人はいつも現れる。そんな流れで、今の状況があるのだといえる。
2013年08月03日
L25HDのキッチンクロス、いろいろな方から、気に入ったといっていただけるけど。なかなか作るのが難しい。今日も整経して巻き取り、織り出し、糸がL25と太いのでシャトルの管に巻くことのできる糸では、50cmほどしか織れない。横糸の管巻きや、交換作業が忙しい。

なぜ、L25HDが出来上がったのか、不思議な縁を感じる。ときどき字の会合などで、公民館で洗いものなどしていて、綿の薄いフキンで、拭いても茶碗などがべとべとでそれをそのまま使うというのは気持ちの悪いもの。自分がキッチンクロスをつくろうとしたときに、リネンの機能性に着目して、キッチンクロスというと薄いものが多いが、しっかりとした厚いものをつくろうとして、自分の中でもリネンの吸水性のテストなどを繰り返した。

もう一つの思いは、使えば使うほど味のでるリネンというものを作りたいと思って、これもしっかりと織ることで、とことん丈夫なフキンとなった。最初につくって、5年以上になるが、形も変わらないままとりあえず5年間作り続けたことで、L25HDがきっかけとなって多くの出会いもあった。不思議な布である。

多くの方にも、多くの新しい出会いをもたらすことができる布ではないのかと思う。L25HDは大判なので、小さくカットしていただくと、1mでも、3枚から4枚、小さなキッチンクロスが出来上がる。小さくても十分な吸水性を持つので実用できです。また、2m続きでバスタオルに使っていただくケースも多い。ほか、しっかりとした布なのでカバンに使っていただいたり、小物作りに使っていただいたりと、普通の洋服向けの布以上に応用性のある布が出来上がった。なぜ、こんな布が一発で出来上がったのか不思議な縁を感じる。

しかも、10色展開を最初からしようと思ったのも偶然のこと。かわいいんじゃあないかと思って、仮に10色作って、それがそのまま5年ほど続いている。ベストじゃなくても作ること続けることで、自分自身でもそれがベストに思えてくる。林与のロゴ看板と同じ感覚。自己満足の塊かもしれないが、そんな感覚の布作りを増やして行きたい。同じもので続くものを増やして行きたい。
2013年08月02日
8月に入って、9月の生産の計画がほぼ埋まり始めて、新しい試みのヨーロッパ市場向けのリネンなども来春シーズンに向けて受注が決まりました。海外というのは決定にしても早いなあというのが印象です。9月後半から10月の予定も、現在見本を受けている分など含めて本生産で埋まっていきそうです。

今日は、午前中は出機さんにビームをもっていきました。午後からは、近くのハンドメイドの方たちとミーティング。近くにもいろいろなハンドメイド作家さんたちのグループがあって、布の世界にも親しみを感じていただいている方が多いの感じます。

林与は仕事に費やす時間が多く、地元のことをあまり知らないなあと感じるのは、地元の話についていけないことが多いこと。また、テレビを見ないのでテレビの話にも付いていけません。

売れ筋のトレンドからものをつくるスタイルというのもあるかとおもいますが、林与のものづくりは自分なりのものづくり、布を作るのが仕事なので、製品も素材を引き立たせるシンプルなものが好きだったり。自分で織り上げた布というのは同じにみえるものでも、作るときのいろいろな人ととの思い出が詰まるもの。

私自身が織物の作り方を誰に教えてもらったではなく、自分自身が見よう見真似で、一度手伝うと次からは自分の仕事。自分ができるできないとかの能力ではなく、するかしないか、結果が出せるかどうかというのが、仕事なんだろうと思うところ。頭で考えているだけだとお金を使うこともありませんがチャンスはどんどんと逃げていくもの。

一回のチャンスをつかまないと、常にチャンスというのをつかむことが出来ない体質に、簡単にできることを受けていて難しいことを避けて通ると簡単なものだけしかできないだけでなく、自分というものも簡単なものだけしかできない人として出来上がってしまう。私自身も織物の現場では最後の結果が失敗に終わることも多く、無駄骨かと思いきや、それを経験し乗り越えることが職業人生では大事なこと。

失敗をしないためのマニュアルなんて本当のプロを育てるためには最悪なのかも。失敗して怒られることを避けていては仕事なんて上達しない。仕事を教えるプロの人たちが難を避けるために失敗しないように教えるという形をとっているのは、根本的なところで失敗の意味というのは理解していない。見よう見まねで真似できず違うと怒られ覚えていくのが実際には思いやりのある良い形。なかなかその怒られるということに慣れていない人ばかりになってしまって、素直に従える精神が抜けて、楽しんで覚えるだけのレベルになってしまうともうその次の世代は育てることは難しい。怒られる経験にしても本当に大事なもの。
2013年08月01日
ようやく8月という感じ、8月までの道程がものすごく長かった気分です。まだ、本生産というものが始まっていない見本の時期のはずなのにいろいろなモノづくりに追われすぎて、この数ヶ月というのは仕事に追われすぎ。

6月から暑い日が多く、7月も前半は暑い、そして落ち着いた状態で8月。すでに店頭は夏物バーゲンも終了して秋への準備に掛かろうとするが、たぶん、本当の夏らしさがこれからで、残暑も厳しくなるのではなかろうかと思うが、もうすでに夏の暑さに対しての体力は使い切ってしまったような感じすらある。

8月というのは、昔からの麻業界では一番暇な時期、ある工場の社長さんがこられて仕事が少なくて困っておられる。季節要因のある仕事では、夏場に無理をしないのも一つの方法ではあろうかと思う。その分冬場に夏に休んだ分をがんばるという手法が大事だろう。夏場に仕事をしようとすると夏場の仕事を生み出すような持ち出す力が必要なことが多い。仕事をして大きなマイナス在庫を積むようなことを覚悟して、それで冬場を助けるという方法だが、これは全体の協力がないと全体を支えるためにそれをやったところに負担が大きくなりすぎる。

仕事のないときに仕事を生み出せるか生み出せないかという要素に関わってくるかと思う。何らかの要因で仕事を生み出せない体質になるとその産地というものは他の産地との価格面などでの競争も含めて、どんどんと苦しくなっていくもの。林与も麻織物に特色を持つ会社ではあるけれども、織物だけでなく製品や、また、麻以外の織物は織れませんというのが経験がないからできないというのでは駄目だろうと思う。やり方によっては、いろいろとやってみると、より麻織物の世界が深まるものだ。
2013年07月31日
今日は、なぜか、仕事に集中できる一日、織機の調整。今日は、不思議なことに気がついた、50のギアの形がいびつで、ギアを戻すことができない。機械が悪くなったと思っていろいろと調べるが、ギア自体が変形していてギアの形が悪いのに気がついた。そんな変なギアが今まで存在したままに残っているというのが怖い話だ。そのギアを使うと織機のほうが壊れてしまう。

今日は午後から染めの糸の準備など行った。今は、染工場も暇であるということらしいが、もうすぐ、お盆に差し掛かるので、納期の厳しいものなどはそれまでに染まるように調整が必要。また用途に応じた特別な染のが必要。

普段はあまり使わない番手なのだが、先週、試織したL30番手が、糸の状態が良くなく、本番に向かう場合、糊付が必要。25番手、30番手の糸に関しては、今年の糸というのは安定していないことが多い、生成など色むらが多く、使うのに難儀されているケースが多いのではなかろうかと思う。
2013年07月30日
今日は午後から地元のお客様が数件続いて、打ち合わせごとなど準備します。物事を進めるときに覚悟的なものが、トータルでの時間を大幅に節約するので、それを迷っていると仕事なんて何分の1しか進まないものです。

モノづくりというのは技術の部分ではないなあと思うのは、技術があってもモノづくりは器量がないとできないものだなあと思います。仕事があってもったいぶる職人なんかは論外で、反対に仕事を出し惜しみするようなのも論外。トータルでバランスが取れるようにしないと全体として永続しないものです。経営者ならなおさら器量が大事で、リスクにしてもしっかりと被る用意も必要、損を承知の決断というものができるかできないか。

今の日本の繊維の仕事で、損したくなかったら仕事しないほうがよいだろうという流れが強く、日本の繊維業界というものはどんどんと収縮している。自分が持ち出して動ける力というのが、あるのかないのかだろう。大手のSPAが成功を納めるのもものづくりは知らなくても決断力があるからだろうなあと思う。

卵が先か鶏が先か、という議論があるが、卵がいくつもあっても鶏に育たないことも多いし、鶏がいても卵を産まないことも多い。目の前の、卵と鶏を食べるのは消費者の役割だとすれば、卵と鶏を守っていくのがものづくりという仕事のようなものなのじゃあないのだろうか。生産に関わる人と話をしていても、消費目線でものづくりを考える人が多いが、生産目線というものがやはり必要だろうと思う。
2013年07月29日
昨晩はシトシトと雨が降りました。それまでの蒸し暑さも流し消え、深い眠りに入ることができました。温度と湿度だけの問題ではなく他の要素があるのだろうと感じるのです。ドアを閉じた工場の中でも、雨が降ったことで一気に空気が変わりました。

暑い暑いの毎日でしたが、今日は涼しい一日となりそうで、今日の一日は、仕事が2倍くらい効率的にできそうな気がします。人というのは環境に反応して考える、暑さを耐え忍ぶというような経験にしても、その場のことで終わるでなく、涼しく過ごすための知恵というものを生み出すのだろうといえます。

夏に関することで、昔と変わったのは、蚊の存在もあろうかと思います。夏というのは蚊との戦いみたいな、でも、エアコンの中にいるとそういう戦いはありません。人々が他の生物と戦うということを日ごろから避ける道を選んでいて、それは、不快感に対する耐性すらも低いということをもたらそうかといえます。蚊に噛まれて痒いというのを我慢する経験というのも、無い方がよいのか有る方がよいのか。痒さを我慢するのと仕事を我慢してするのって似ているような。先進国の人々が、新興国の人々に抜かれていくのもそのあたりなんじゃあないのだろうかといえます。
2013年07月28日
インドに行ったときに、現場の洋服縫製のラインが15人ほどの生産ラインで、一人一人が、一つのミシン工程に携わる年配を含む男性の縫製工たちがいます。この現場というのは、量産型の基本で、インドも中国も同じで、インドなので男の人がメインなのかと思ったのです。

でも、大きな勘違いは、一人ひとりが一着の洋服を仕上げることができる人たちが単能工に変換させられたこと。本来は洋服の一着くらい仕上げられなければ一人前として食べていけないのですが、インドでも量産型の海外の生産を引き受けたときに、単能工化してしまったのです。インドの服飾文化が消え始めるのを感じます。

単能工化した人たちが元の世界に戻れるかというと、単純作業に慣れてしまった人が、複雑な仕事に戻るということは精神的に無理な話。ほんともったいない。普通だと一着自分で縫製できる技術を学ぶのが職人として大事なことなのにと思う。インドに頑固者がいて、洋服を作り続けたとしてもひと世代のことで、その次の世代というのは、インドは世界中の縫製の拠点となるものの、自分ひとりで洋服を作り上げることができるものはほとんどいない世代となります。

インドの服飾文化そのものが、ひと世代のうちに消え去っていくだろうか。ありうることです。日本でも戦後の世代というのは単能工がほとんど、何十年もの職人の人が仕事がないというのも、単能工であり、他の人が準備をしないと、自分では仕事を進めることが出来ないのです。戦後、産地が繁栄した形が量産型で、今の衰退した産地が、歯車が歯抜け状態のものづくり。単能工を捜したところで成り立つはずもなく、多能工というよりも、何でもできる万能工でなければ、織物なんて続けていくことは難しいのです。

誰かが教えてくれるを期待していても駄目で、目の前にできる仕事があることそれがすべてのチャンスだろうといえます。そういうチャンスを逃げたりすると、次にチャンスをもらえるほど甘くはないもの。これは仕事を頼むときも同じでやろうと思ったときに思い切って前に進めないと、次に思い切って進められるかというと、進められないタイプで仕事人生を終わるということ。
2013年07月27日
今日は、午前中は縫製の案件を各方面に確認作業。午後からは東京からミレージュの小平氏がお越し下さいました。9月にパリの展示会に向かわれるということで、麻の素材も検討を下さっております。

モノづくりなどをお聞きしていましても、手づくりの部分も大事にしておられるようなお話をたくさんお聞きし、それって実際に注文が入ったら大変ですねえ、というような、見た目以上に手仕事を詰め込まれていてドロンワークなどのお話も逆に心配してしまいます。

アパレル一筋に来られた小平氏が考えておられるのが、日本のものづくりの要素を詰め込んだ製品を作ろうとされているところ。いろいろな産地を巡り歩かれ、人とのつながりの中でモノづくりを考えられております。藤織のお話を聴いたときに、あれ、この藤織の方って、このまえプルミエールビジョンの方じゃあないのかと思ったら、やはりそうでした。

藤の太いツルというより、枝を山に入って、取ってくるところから小平氏も経験をされたというのも聞いて、また、藤織も一度途絶えたものを復活させようと動かれているのを聞いて、藤織というものがなくてはならないものではないですが、その世界に引き込まれてその世界を作り上げ守っておられるということ自体が、素材というよりも人のドラマそのものだなあと思うのです。

夜、外に出ると、涼しい。じっと外にいて体を冷やしたいけど。工場の中で、暑い思いをしながら仕事を一つ一つこなしていくことが大事。そういう思い無しに楽に仕事していると物に詰まっている価値というものにも気がつくことはないだろう。結局仕事なんて、外の涼しいのを選ぼうとするのか、中の暑いのを我慢するのを選ぶのかの世界。
2013年07月25日
今日は、雨は降らなかったけども曇天でジメジメとした一日。気温以上にこの湿度の高さが蒸し暑さを感じさせます。喉が渇いて水分補給は良くしていますが、食欲があまりわかないのでソーメンを食べました。ソーメンを食べるだけで幸せというのも、健康的じゃないのかなあと思います。

飲み物は、基本は100%ジュースか、お茶にしています。砂糖や塩をなるべく取らない食生活に自然になるのでよいんじゃあないでしょうか。100%ジュースは安いのに、最近果物や野菜って本当に高いですよね。近くのスーパーで、トマトが一つ100円から、大きいと1個200円するのには驚きました。りんごもオレンジも昔よりも昔よりもお店は増えても高いイメージです。

これは、みんなが丸々トマトをかぶりつくようなことがなくなったのも原因かもしれません。また大手のスーパーにしてもどこにでもある存在になってしまて、生産量が減ってそれを流していこうとすると生産コストではなく、物流コストが大きく掛かってくるというケースではないのかと思います。

最近オープンした道の駅があり、野菜などを売っているのですが2番煎じ的なところもあって、お客さんはまばらで苦戦されているようです。農家の方にとっては、直接的な販売のチャンネルを開くことができ、余った野菜などから収入を得る手段です。

道の駅で販売されている野菜などは、スーパーで買うよりも高かったりします。産直が高いことに驚くこともあろうかとは思いますが、スーパーなどは日本中や海外から一番安く仕入れて探して来るので安くて当たり前。道の駅は、自分が食べる野菜を他の人に販売しているような農家が多いので、自分で育てるため買う以上にコストを掛けて育てたものが多いと思います。

道の駅などが、売り上げを重視してスーパー化するのはよろしくないのではないかと思います。無人販売所に近いような、大きなお化けトマト見たいのが手に入ったりするのが魅力じゃあないのかと思うのです。有機栽培で育てているところの野菜というのは、形が悪かったり、小ぶりで堅かったり、普通では売れないと思われるようなものほど本質的な本物だったりするものです。農家が手にする本当の野菜の姿、お店で見かけること少なくなりました。

湖東地域でも代表的な二つの農家の方が東円堂にはおられて、話を聞いていても、本当に正直に農薬や肥料の効果なども言われ、今の日本で有機栽培というものがどれほど難しいか、一般的に商売で流していこうとすると農薬や肥料を当たり前に使わないと話にもならないというのが正直なところ。それほど日本の消費者の目というものも、姿形に対して厳しいものです。
2013年07月24日
日本が戦後成功したのは、今の中国型の成功と似ているなあと思う。まずは、ドルも360円という設定で、戦争から帰った人たちに仕事の世話と終戦直後のベビーブームでの人口爆発、年功序列型賃金制度というものをしいて、職人を育てるではなく単純な作業を割り振ることで量産的に安価にものをつくり他国を圧倒。

しかしながら、その場しのぎ的な政策や経営が成り立たなくなるだけでなく、そういう浅さや軽さに付き合わないといけないのはマイナス。年金制度なども想定の甘さだけでなく正しく運用されていないことなどや、問題が発覚してもどうにもならないのも、原発と似ている。

目先の利益を追うのではなく本質的なこと常に考えて法律なども作らないと、法律が成り立っていることすらも潰してしまい、人々の幸せな人生を奪うことに繋がりかねない。

自動車や電気関連の企業も、海外のマネモノを安く作ることで開発費などを抑え競争に勝つ。貧しい時代のほうが、海外からすると安く良い物を作れる体質ということ。日本の場合、国内に電子部品を製造する力があったことが差別化できるようなものづくりを助けた。

アメリカ型の資本主義マーケティング手法の一つである世界で一番安い材料を探して競争に勝つという方法だと、それはハンバーガーのような食品の世界では食べたものの消費者の自己責任として成り立っても、家電製品となると、部品が長持ちしないので、結局、しばらくすると使えなくなる。最近の家電製品のほとんどの寿命が1年程度なのはコンデンサの品質によるところが大きい。

コンデンサを作っている工場にしても、高品位なものを作る技術はあっても、価格を落とせとの話ばかりで、正しい品質のものをつくったところで売れないという結果が見えているので作らないのだ。ものづくりするものと販売するものとでは、価値観も違うことも多い。ものづくりするものにとっては売れないものが多いので、売れないことというのは自然なことだが売れなくてもものづくりを続けているところも多い、でも、販売するものにとっては売れないことというのは意味のないこととなる。

最近では近江商人哲学というものがゆがめられて安いものを多売して儲けることが仕事のように言われるが、それは世界中共通の資本主義経営の基本原則程度に過ぎないでしょう。そうとは違って自己犠牲が近江商人哲学の基本。それがあるから、材料や工程などにお金を掛けて他とはちがう良いものが生み出せる。プロであるべきのモノをつくる者やモノを扱う者がモノの良し悪しを判断できないケースがほとんどで、素人であるはずの消費者の方のほうが品質の良し悪しに敏感だったりする。
2013年07月23日
私自身が昨晩は、彦根で会合があってそのあと作業をして、あんまり寝ていない状態で、朝から元気なおじいさんたちが集まる。シルバーの葉刈の人たちだ。このひとたちというのは、現役の労働者以上にもくもくと仕事ができるのではなかろうかと感じる。葉刈をはじめると4人いるのにいないかのような静けさで仕事が進んでいく。朝から淡々と無駄口も叩かずに仕事を続けて、夕方には綺麗に枝が刈られている。

さる方から間接的に頼まれたことも、頼むと頼まれた方が快く協力を下さる形で、ほっとしている。人の依頼を受けて他の人に頼んで段取りをしてもらわないとならないことなど、仕事ではよくあるがそれが流れてご迷惑を掛けることも良くあるもの。仕事も含めものごとというのは覚悟を決めた人同士で進めていくことが大事だろうと思う。覚悟さえ決めていれば少々の問題など乗り越えていけるもので、それが特別な世界に見てもらえることが多い。

9月の展示会のお話などもあるが、9月もそれほど外に出る時間的な余裕がない状況。今、非常に忙しい、学生さんというのは今は夏休みに入ったいるのだろう。20歳以上の大学生の方で織物の作業に興味のある方おられたら、林与での織物の現場体験というものされてみませんか。織物の現場というものの厳しさを体験するにはよいかと思います。8月中の1ヶ月間の予定で若干名の募集です。(募集機関は7月28日まで、選考ありますので応募された全員が体験できるというわけではありません。)
2013年07月22日
週末は見本つくりに追われて、今週も見本つくりに追われます。私自身は織物の仕事というのは見本も本生産も両方が大事だと思います。実際には、本生産以上に見本つくりのほうが、超小ロットの世界なのでものづくりの実力は必要です。また、商業アイテムの場合、同じものを本生産で再現することが要求されますので、そのあたりが、見本つくりのときにも材料の選択、工程の選択、織機の選択、加工の選択など、迷うことも多いのです。本生産が小さいならこの方法がベスト、本生産が大きいならあの方法がベストとか、想定価格が安いならこの方法がベスト、品質重視ならあの方法がベスト。納期が短いならこの方法がベスト、長いならあの方法がベスト、とか。

ものづくりしていていつでも作れるというものなら、それほど価値を感じませんが、自分自身が相当無理をしないと作れないものというのがあったりします。何十万円の仕事をいただくときに、いま糸から手に入れようとすると何百万円のお金が必要になったりすることもあるのです。そういう話驚かれますが、特殊な糸を手に入れようとしたり、特殊な加工をしようとすれば、高いだけでなくまとめて注文しないとやってもらえなかったりするというのはよくある話です。

そういう覚悟をしていないとモノづくりというのはできない。これって普通の仕事の感覚でやっていたら出来ないものです。モノづくりを続けていくためには、下請けさんが仕事がないといわれると仕事を無理して出して在庫を積むこともあったり。数十万円の加工賃を払って助けるようとすると、自分自身は数百万円を出費する覚悟が必要だったり。昔は繊維業界だけでなく、日本というのは互助の精神で回っていたのだろうと思います。そういう精神を取り戻すことが日本のものづくりの再生に繋がるのではなかろうかと時折考えます。ジャストインタイムが流行の時代に、自分自身で作ってそれを売っていくというスタイルがなかなか成り立たないもので、そんなスタイルが成り立っている海外のものづくりが強くなってきているのも、働く力というものを最大限にマキシマイズしているあたりにあろうかと思います。
2013年07月21日
ここ数日過ごしやすいなあと思える。それが単に一日の気温の問題だけではなく、一日の気温差が大きいこと。たとえば、30度のときと20度のときでは飽和水蒸気量30.3gと17.2gと半分くらい違います。30度から20度まで下がると、夜露が降り、空気中の水の量が減り、今度温度が上がっても、カラッとしていて、湿度は低く汗ばむことがないのです。

一日中、25度よりも温度が下がらない日を熱帯夜といいますが、これは温度が微妙に下がることで、逆に湿度が上がる現象が起きて汗ばんで寝苦しいのでしょうね。本来25度なんて、快適な温度のはずなのに、寝苦しいというのは湿度が原因でしょう。

夏は、暑い昼間は休んで早朝や日の暮れから働くみたいなのが、自然の動物をみていると感じる。一年のめぐりの中でも、夏は田んぼ、冬は機織というのは、冬にいくら田んぼでがんばっても実りはないのだから、正しい生き方だったのだろうと思える。今は、一年中同じ仕事をするけど、本来は、強弱があったほうがよいのではないだろうかと思う。

無理と強弱をつける必要などなく、仕事に波あわせて強弱をつける。仕事が自然に入ってくるときにはその流れに乗り、仕事が少なくなったときには自分の仕事に入る。外の波が一様であることを期待してもお天気と同じで裏切られることがほとんど。あるときにはその仕事を目一杯できる体質でいて、ないときには他の仕事をすることも大事であろう。現実、織物の会社であってもすべてをこなそうとすると織物以外のスキルを必要とすることが多い。
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