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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2011年09月01日
今日から9月ということで秋モードです。夏の日差しの強さが懐かしく思うほどで、季節というものが移り変わっているのを感じます。今日は午前中に琵琶湖の反対側にプリンタを取りにいきました。生地幅までプリントが出来るということでデータ作りや試作を自分のところでして本番を捺染工場に依頼するような形ができないかと考えています。近江上布柄の復活を目指しています。

会社に戻った昼過ぎには、糸ビーカーが染まり上がってきて、予定通りに物事が進むと助かります。早速、ビーカー確認のための手配を行って、仕事を前に前にと進めていきます。まだ、来年の春は遠いように思いますが、そろそろ作り始めないと11月から2月というのはキャパオーバーで限られたキャパの取り合いになりものづくりが出来なくなるのです。

リネン120番手のカラーシャンブレーシリーズがきれいに上がってきましたので、試作品つくりのために長浜のDENさんに生地を持っていきました。シャンブレーというのは玉虫効果が出て、普通の後染めと比べると上品に見えるのですが、糸の斑が見えてしまうので悲惨な結果に終わることも多いのと細番手は織段が目立つので心配をしていたところです。次は贅沢に、リネン140番手のカラーシャンブレーシリーズをハンカチ用に考えています。
今、リネン140番手のピンストライプも織っていますが非常に良い感じの仕上がりで、これも、リネンハンカチのコレクション向けです。

家に戻ると北海道から送られてきたタラコが届いていました。「多良の子 まごころ500」というものなのですが、おいしくてご飯が進みました。これも、北海道虎杖浜の特産品ということで協同組合の認証が貼ってあり、地場産品として作られているもので、スーパーのタラコとは別格であるのを実感できます。
2011年08月31日
一番暑い時期が過ぎて、もうそろそろ秋かなあと思いながらも、夕方でも彦根にある温度計は29度を示していました。今年は予想以上には暑くはならなかったみたいですが、それでも節電をしたことで、十分と暑い夏になったのではないかと思います。8月の後半は夕立が多かったのも印象的でした。暑くなりすぎると自然の力で雨が降り、冷まされる。昔の夏らしい夏が戻ってきたような気分です。夏というのは、織物の仕事というのは本来一番暇な時期なのですが、いろいろな方との通年素材や来期に向けてのものづくりの話でゆっくりとは出来ない毎日が続きました。

春からずっと道に生える苧を眺めていると、自然って人間が手を加えなければ戻ってくるものだなあと思うのです。赤苧にしろ青苧にしろ、普通に自分で生えて、肥料もなくても、雨、風に耐えて夏の終わりまでしっかりと成長しているのです。車で20分ほどのところに安土山があり、織田信長の居城であった安土城跡というのがあるのですが、それほど有名なものであっても天守閣跡地というのは、「夏草や兵どもが夢の跡」です。また、林与はそんな自然なありのままの形が好きで、手を加えて観光地化するのは人の欲ではないかと思います。逆に、そのままに放っておいたことの偉大さというのを感じます。それはそれで、形じゃない精神的なものを大事にしてきた気がしてなりません。それはそのまま残しておいてほしい気がします。
2011年08月30日
今日は朝からお客様で新しいものづくりのための企画などを進行中で、四国の会社の方なのですが弊社までお越しくださいました。お話なんかしていても今の日本の織物業界というのは昔と比べると無理な部分でのものづくりが当たり前になってしまっていて、それが普通にできていると思われて高く評価されないのでだめなんだろうと思います。

お客様とも綿麻ではできても、麻100%では難しい問題の話をしていたのですが、そういう違いというのはなかなか理解してもらえないものです。そのために糸から織るのに手配をしていかないとならないようなケースも増えてはいます。

あと興味深いお話だったのがブランド化についてのところで、ブランド化していくためには、厳しい壁みたいな制約を設けることが、ブランドの価値を高めるのには大事だということらしいです。聞いただけでよいものだと思ってもらえるようなものでないと、ブランド化しても普通との違いを打ち出すのは難しいのだと思います。

今日、お越しいただいたお客様は家は田んぼをされているそうで、今、刈り取り前に近づいてきた稲穂を眺められながら、仕事とは違う部分での人生のスタイルのようなものもお聞きしまして、人の良さというのが伝わってまいります。守らないといけない世界みたいなものを持っておられるところがあり、そういうのが仕事にも出てきてよいものができるのではないかと思うのです。

夜7時ころに車で走っていても外の温度は30度、まだまだ残暑が続いていますね。でも、工場の外で鬼ヤンマが飛んでいるのを見ました。秋だなあと思ったのと、10年以上も見かけたことのない鬼ヤンマがまだ残っているのにびっくりもしました。季節のある国ほど服飾文化が栄える傾向にあると思います。着るものが大事というのは、人の体を外の冷たさ暑さから守ってくれるという本当に基本的なありがたみに対する価値観から生まれてくるのだということで、季節感を消すのではなく、そういう部分を評価していくことが自然ではないかと思うのです。
2011年08月29日
先日はリネン120番手クラスのアパレル向けの織物がうまく織れたご報告をいたしましたが、昨年うまく織りこなすことができなかった縦横先染でのビンテージアイリッシュリネン140番手のハンカチ生地も織りこなすことができることになりました。薄いガーゼっぽいハンカチではなく細いリネン糸をしっかりと織ったタイプなので、クチュールな世界の洋服にも使えるような品質も達成していると思います。

リネンハンカチ素材も今年も30色柄を完成するという方向で動いていますので、昨年できなかった技術的な問題もクリアできて、どこからか追い風が吹いていてくれるような気分です。アパレル向けの120番手クラスの素材も上がってきて、リネンの超細番手ワールドを楽しんでいます。

普通、テキスタイルメーカーというのは生地を作るだけで終わってしまうのですが、最終的な試作品の形にまでして実際にリネンの細番手でどんなイメージのものが仕上がるのかというのをご覧いただいて、アパレルメーカーさんだけでなく、百貨店のバイヤーさんなんかにも評価をいただける形にしていきたいと考えております。

今年もたぶん展示会などが、そのあたりの試作品をご覧いただける場になるのではないかと楽しみにしています。色柄がないと広がりというのが少ないので、色柄で展開できるというのは何年もロングランでベーシックな素材を柄を変えることで使い続けることができるメリットがあります。
2011年08月27日
今日は朝一番で東京からお客様でした。日本というのは海外よりもモーティベーションの面で負けてしまっているなあと感じることが多いのですが、駅から何キロの道のりをスーツケースを引っ張って歩いてこられるなどガッツがあって、そういうガッツのある方というのは他の人にないものがあるので0からのスタートでも最終的には他の人を追い抜いていかれるのだろうなあと感じます。

これって昔の行商と呼ばれる方がやっておられた商売の基本だと思うのです。商人というのが頭ではなく、他人にできない苦労の部分を背負って自分の体で物を運ぶから物に掛ける意気込みというものも強く、また、運ぶ商人自身にとっても産地というものの本物さが大事だったと思うのです。

午後からは彦根で会合があって、会社に戻ってからは出荷などの準備をしました。先日、取り寄せしておいた加工の材料などが2種類届いていたのでリネンの風合いの再現のために、夜、テストを重ねました。ちょっと近いテイストになった気がしたのでこれを追い求めていけばできるのではないかと思います。なぞというのはずばりの解決法でなくても、自分の考えるベストの解決法のほうが、実用性があり、また、より良い方法である場合も考えられます。
2011年08月26日
今日は午前中は書類の準備をして彦根に届けて、午後からは彦根で会合がありました。各方面への書類の準備が遅れていて、紙が希少な昔というのは信用でものが動いていたのだと思います。今の日本というのは、何十年も昔にコンピュータの発達でペーパーレス社会が予想されていたのとは反対で、文面ばかりを作るペーパー社会だなあと思います。この20年でコピー機の普及やプリンタの普及で、紙の消費量は十倍以上になったのではないでしょうか。

今日、ダンボール紙の上で、干す作業をしていて驚いたのが、ダンボールの色というのが白い布に捺染したかのように極端に移ることです。黄色い水性インクを塗ってあるかのような色の移り方をしています。非常に怖いなあと思いました。このダンボールの茶色って、リネンの生成とおんなじでほとんど調整がしていない色なのかと思ってたのですが、黄色い染料で染めて作ってあるのかなあと考えています。

これほどまでに色が落ちるなら色をつけていないほうが安全だろうなあと思います。これはたまたま海外の茶色いダンボール紙の話ですが、生地などの色落ちの話と共通することではないかと思うのです。生地などに関しましても堅牢度などの問題は、品質面での常にクリアを要求される部分ではあり、そういうところが厳しければ厳しいほど本場のものというのは生き残りやすいのではないかと思うところです。

2011年08月25日
今、引き続き、リネン100番手を超える先染が量産可能なのか試しています。100番手を超えるリネン糸というのは、糸の当たり外れも多く扱いが厄介だなあと思うことも多いのです。120番手クラスのアパレル素材に挑んでいますが、こういう世界というのは本当に特別な気がします。

ジャパンクリエーションやインターテキスタイルの場でお披露目できれば、新しいリネンの世界が広がるものと思います。先染ということで、単に糸が細いということだけでなく、色柄の表現性がプラスされるので、その高級感というのは何倍も伝わると思います。

この3年ほどリネンの細番手に取り組んでまいりましたが、ついに100番クラス、110番クラス、120番手クラスのアパレル向けというのが現実のものとなりつつある感じがいたします。見本なんかも今日作ろうと思って明日には織りあがっているとうようなレベルにまで近づいてきました。原料や紡績のロットによって糸質がだいぶ違うのも感じますので、今のロットがたまたま当たりだったのかは、これから実際に実績を積む中で結果がでてくると思います。

140番手のビンテージアイリッシュリネンハンカチも総先染に突入しています。ヨーロッパでもアパレルリネンの細番手化の動きはあるようですが、ここで日本の技術が世界の技術の先端のあたりに立てているのではないかと思います。これからさらに紡績技術の向上が見込まれてはいますのですごく楽しみな世界なのです。
2011年08月24日
今日は午前中加工出し昼前から彦根の組合にお客様でした。加工出しのほうはリネン100番手がメインで、リネン100番手に関しましてはシャンブレーなどで量産の体制が整いつつあります。

今、総先染にもトライアルを開始しリネン120番手クラスに挑んでいます。海外でも80番手クラスでのアパレル向けのリネンの無地織物などはかなり出始めています。番手を細くするというのは、紡績に時間の掛かる細い糸というだけではなく、その糸を作る原料から上質のものをセレクトしなければならず、また、細い糸を使うとそれだけ経も横も本数が増えることもあり、また、糸切なども糸の細さに応じて累乗的に起こりやすくなり、同じ1mを織るのでも手間とリスクは10倍くらいに膨れ上がるのです。

織機で織れない糸にぶつかったときには手織したほうが織るのが簡単じゃないかと思うこともあります。リネンを見るときに、糸が2倍細いだけで布の価値が数倍上がるというのは、生地を扱われている方でもほとんどご存じなく、え、そうなんですか?と言われることが多いのです。すなわち、見た目以上の価値観を見出してもらえず、細番手の良いものというのは流れることが難しい結果につながります。

リネン好きの個人の方のほうが、そのあたりをよくご存知で、リネンストールなんかも、細い番手をしっかりめに織ったものに移行を始めています。消費者が最後に求めるものというのは、作り手が作ろうとする価値のあるものと近いことが多いのではないかと思うことも多いのです。そういう微妙な価値の違いなのでこだわりという言葉で表現する部分なのかも知れません。
2011年08月22日
昨日は、京都からお客様で世界で一番良いものを考えたいというようなお話で、リネンだけでなく、オーガニックな染などに関しましてもいろいろとお話をさせていただきました。オーガニックのものを考えるときにも、買う事ができるものよりも自生しているものを探すこともありではないかと思い、川辺の草などを帰りがけに見ていただいたりしました。京都の方なら、京都産の天然の植物を使った草木染なんかが可能ではないかと思うのです。

今、お待たせしていますリネンストール生成X紺なども織りあがりまして、ほっと一息の感じです。これから加工に出します。加工も通常2週間から3週間かかりますので、本格的なものというのは時間がかかるものです。作る側もじっと辛抱な感じで、良いものを手に入れたいときには加工工場さんにおきましてもベストな方にベストな対応をしてもらうよう

染まりあがってきたリネンの細番手なども順調にチーズにアップすることが可能で、昨年のトライアルで壁にぶつかったのも今年度は乗り越えられそうな予測をしています。リネン100番手超の総先染めの世界も現実のものとなり始めています。ジャパンクリエーションの場などでご覧いただけるようになればと思います。

今日は、出先から会社に夜戻ると鈴虫の鳴く声がしました。秋もそこまで来ているのを感じます。リネン100番手のシャンブレーストールは現在在庫がほとんどなくなってしまった状態で、新たに織っているところです。色目もカラーバリエーションを増やしまして、より楽しんでいただけるようなシリーズにいたします。
2011年08月21日
シュミレーションなのかシミュレーションなのかは、永遠のテーマとしてさておきまして、林与が、WIN95、98、2000用に開発しまして、使っていただいたテキスタイルデザイン関連の皆様からはご好評をいただいておりましたWIN XP、VISTA、7対応の織物シュミレーションソフトウェアを再開発中です。

プレゼンテーション用のファンシーな機能よりも、プロフェッショナルなみなさん向けの実用性のあるものを目指しています。ノートパソコン一つで、先染織物のシュミレーションが手軽にできたらとお考えの方は多いと思います。

林与自身が満足できるものなら、普通のテキスタイルデザイナーのみなさまにとっては十分使いやすく必要十分ではないかと思うところです。先染織物を作るプロが十分と判断する機能以外の機能があると逆に実用性が落ちてしまうからです。

昔、作ったときには、便利なおもちゃみたいで使っていても楽しかったのを覚えています。幻のリネンプロジェクトを優先するか、先染シュミレーションプロジェクトを優先するかは微妙なところですが、いろいろなことを並行しながら進めていければと考えております。
2011年08月20日
地蔵盆という行事が全国的なのかどうかは分かりませんが、林与のある旧豊国村地区では、地蔵盆は子供たちにとって夏の一大イベントです。お盆明けから、ホウガンと呼ばれるお金を各家庭を回って集めて、東円堂の中にある6つのお地蔵さんで、行灯や提灯を飾ってお祭りをするのです。最近は、小学生たちを守らないといけないということで大人が一緒にホウガン集めについてまわっておられ、大人の指揮で動き、子供が自立できない風潮が田舎でも当たり前になってきています。

昔は、7月23日にすると決まっていましたが、最近はその前後の土曜日が本日に決められているようです。今日は、ほんの少し雨が降っていてベストとはいえない日でしたが、私の住んでいる東円堂だけでなく、彦根方面もいっせいに地蔵盆が催されていました。

吉浦地蔵というのが、林与の家にとっては代々割り当ての地蔵尊なのですが、そのお地蔵さんの話というのが、本当か嘘かわかりませんが、昔は違うところにあって泥棒が運んで今の場所にあると子供のころから聞いていました。お地蔵さんというのも、年に一度の地蔵盆のとき以外は飾り付けられることもなくひっそりとしている感じなのですが、子供のころの楽しい思い出が詰まっているので、そのままでよいのでいつまでもあり続けてほしいものだと思います。

林与の家の前栽の中にもお地蔵さんがあるのです。こちらのお地蔵さんは、ちょっとお地蔵さんのような形の自然の石かあるいは自然の石を少しだけ形にしたものだと思います。これが林与の家にいつからあるのかは分かりませんが、何百年も昔からあるのだろうと思っています。それが自然石だとすれば何十万年の世界なのでしょうが…。

地蔵盆が終わるとお供え物のお菓子を箱いっぱいにもらえて、夏休みの最後を最高の気分で過ごせたのを思い出します。最近は逆に健康的なお供え物が多く、それはそれで良いことだと思うのです。お供えものにしましてもそれぞれの家が準備しますので、みんなの気持ちで成り立っている行事であるのを感じます。
2011年08月19日
ハンドメイドの方が使われる糸を巻く機械と、業務用の機械とではかなりシステムが違います。カセに染まった糸をチーズに巻きなおす、チーズワインだーというのがありますが、Vベルトとよばれるプラスチックゴム製のベルトが、切れてしまって、機械工具店に買いに行きました。農業用のベルトなどと共通の仕様で在庫などもあって、交換して無事に仕事が再開です。

この機械にしましても、何十年も昔のものなのですが、それが一番、麻糸にとっては良かったりするものです。整経の機械なども新しいものもあったりするのですが、麻糸のように糸に斑があって切れやすい糸の場合には、ガチガチの機械すぎると駄目で、柔なところが機械にあったほうが上手に扱えるのです。

私自身、整経機にしても、何百万円もする機械なのになぜ、木の部品を使っているのだろうかと思ったこともあるのですが、精巧に鉄でできている整経機を使ってみてその意味が良く分かりました。作業する人に冷たいのです。ヨーロッパの大手の機屋さんには最新の機械が入っていると聞いていますが、リネンの織物など最新の機械では扱いにくいのではないかと想像をしています。わざわざ、リネン用に織機を作るメーカーというのもありませんでしょうし、天然繊維を扱うことを前提とした昔の機械というのは希少な存在だと思います。

機械をつくる技術も今は海外にどんどんと移転されていきますが、海外に移転されて稼動するのは今の量産のための設備であり、人が使うことを念頭においた人に優しい設計というのは日本の昔の機械に感じることが多いものです。
2011年08月18日
最近、冷やしたドクダミ茶を飲んでいます。体中の水分が外に出る感じで、かなり、痩せてしまいました。その効果というのがテキメンに出ているのだと考えています。

これがダイエット法だとしたら非常に自然な手法だといえます。私自身はダイエットするつもりはありませんですが、この効果には驚いています。エアコン使うと効果は何分の一になってしまいそうな手法です。

今日は、ハニカムのカラーリネンが出来上がりました。カラーリングが奇麗過ぎて、私自身が、これは何?ってそれを持って歩いていた社員に尋ねたほどです。また、アップしますのでご覧くださいませ。林与の場合には、シャトル織で耳までかわいいのがまた味噌ではないかと思うのです。ストールにしたり、タオルにしたり、ネックチーフにもよいと思います。

リネンの機能性だけでなく彩を楽しんでいただけるのも林与らしいリネンの世界ではないかと思います。色も原色ではなくって、林与がファッションの世界で大事にしてきた愛される色をセレクトしています。

今、夏真っ盛りな感じですが、今が一番リネンを触ると良い感じの季節なのです。リネン25番手なんかも湿気を吸ってふっくらとして、冬に触るのとはまったく違う感触です。林与のリネンは、ソフト仕上げの場合も、柔軟剤にシリコン系を使用しないことで滑り感よりナチュラル感重視で仕上げてありますので、自然派のみなさんの夏には良いテイストではないかと思っています。
2011年08月17日
今日は、午後から野洲の紺九さんにリネン140番手の反物を頂にあがりました。縦横の総先染の無地が困難であるケースを想定して、後染というのもどういう世界になるのかを見てみたかったのです。出来上がったものを見せていただいて、すごい、奇麗、という感動がありました。

濃色、中間色、刈安を使ったエメラルドグリン系と、3つの色に染めていただいたのですが、放反すると、どれもが光を放つような美しさです。このような色味に仕上げていただくのは、技の世界だと思います。ビンテージアイリッシュリネン糸が、日本の伝統の本藍染の世界に触れることによって、ここまで奇麗に染まるというのは驚きです。

染めていただく過程でのクリアいただかないといけない問題点などのお話も森氏からお聞きしました。ただ染めてもらうだけでは斑の多い仕上がりになっていたのでしょうが、一様に奇麗な色で染めるように丁寧な仕事をしてくださったのが仕上がりに出ています。

古来の染め方で染め上げられた布というのがこれほどまでにも奇麗だというのは驚きでしかないのです。この色味の美しさというのは、国宝や文化財の保存に使われる色というのがこれほどにも美しいというのは流石だなあと思います。色の美しさに打たれました。

染まりあがったものはハンカチに縫製し、今年度のアイリッシュリネンハンカチのシリーズに加えられればと思っております。
2011年08月16日
ある新技術が開発されるとその技術というのは通常コスト的に成り立ちにくいので、コストを落とすような安いものが他の企業から次々と出てきます。織物業界でも、新しいタイプの見本を開発してもそれに似たようなものが安価に出てくるのと似ています。

価格を落とすことを目標としたときに、たとえば日本で一番安く作ろうとすると最終的には安い工場を選んだり、工場に少しでも安く作ることを依頼するので、使われる薬剤までも違ってくることが多いのです。

繊維とは違う話ですが、今、原発を太陽光発電に置き換えることが環境に良いという盲目的なPRが行われていますが、それがカドミウムを使用したものであるとするならどうでしょう?廃棄処分すら難しいアスベストと同じような悲劇につながりそうです。人体への影響が少ないシリコン系の太陽光発電をコスト高ながらも作り続けるメーカーがあるのかです。売れないと普通はやめてしまうのがメーカーです。

どのメーカーもカドミウム系での太陽電池に移行してしまっては、カドミウムの危険性を指摘することすらもできなくなります。アスベスト問題なども、そもそも、コストを落とすための手法であったのです。コストを落とすための技術開発というのは後の弊害をもたらすことが多いのです。今の発電行政にしても、コストメリットを語り続けていますが、今回の原発の事故もコストメリットを語り続けきた結果であろうかと思います。

アスベストでも不思議なのですが、処分の方法すら国で用意されていないのです。結局、ほとんどが、埋め立てに使われてしまっているのではないでしょうか。火にも強いような永遠に持つという丈夫なものを作り上げては処分には困るものです。

最近では、エコバッグの使用などが進んでいます。何十年も前に同じような運動がありましたがそのときはスーパーが反対して流れた経緯がありました。
2011年08月15日
石鹸の問題で、小麦アナキフィキラシーというものがニュースによく出てきているようです。林与も運動誘発性の小麦アナキフィラキシー体質ですので、石鹸という食べ物以外の使用で体質化してしまうことに驚きを感じています。

体に触れるものが体内に吸収されアレルギー体質になることが十分ありうるということで、しかも小麦アナフィラキシーのように、死にそうな状態に陥いる体質になる原因が、石鹸だったとかは怖い話です。そういう体質になると、運動すること自体を注意しないといけないのです。私の場合は、運動さえしなければ症状はでないので、食後は、運動をあまりしないことが予防策だったりします。

石鹸の問題を考えると着るものというのもアレルギーの原因になることも十分ありうるのではないかといえます。それを考えると、製造途中に使う薬品などは、十分に安全なものを使っていないといけないなあと思うのです。実績のある生地というのは風合いなんかだけでなく、何十年も人々に愛されてきたものですので、安全性の面でも安心な素材ではないかと思います。

林与の定番のソフト仕上などのリネンが、市販のもののように滑っていないのは、麻らしさを残すためで、結果としてきつい柔軟剤を使用しないようにしてあります。
2011年08月14日
昨日は、夕方琵琶湖の湖岸道路を走りました。丁度、大きな夕陽が琵琶湖の西側の山に沈もうとしているところが見えて、沈み始めると夕陽一つ分が1分もないくらいの速さで消えていきます。真っ赤に染まった夕陽をじっくりと楽しみたい気分だったのに、地球が堅実なスピードで回っているのを感じつつ物事は移り変わるのを感じます。

お盆の間というのは、帰郷された方が自動車で走っておられることが多く他県のナンバーを多く見かけます。滋賀の景色を楽しんだり、道に迷いながらの方が多いので、とりわけ交通事故の危険が高い時期です。

村のなかでも普段見かけない人たちが家族連れで歩いていられたりと、日ごろとは違う雰囲気を味わうことができるものです。お盆の時期には、子供のころは母親の親元で遊んでいたことが多かったのです。川原でウロリと呼ばれる小さな魚が川上に上る習性を利用して、水路を作って最後に魚網に溜めて、昼の数時間で小鍋に一杯ほど甘醤油煮にするだけの量が取れるのです。

自然に働きかけることでその日の食べるものが手に入るというのは、今から考えるとすごいことだなあと思います。労働の対価として考えるなら馬鹿げたことなのでしょうが、天然のものを口にすることができるというのは、人の体を強くするのに役立つものです。天然の中で生きているものというのは非常に強く、それを食べるために労力が必要というのは、また、それが人間を肉体的にも精神的にも強くするのです。労働の対価が約束されないというのも自然を相手にするときの特徴で、自然と契約することはできないのを改めて感じます。

今は、禁漁の規制も厳しくなり子供も川で自由で魚を取れない社会システムになり、鮎にしても、小鮎を上流で放流し下流でそれを釣ったりするような、流しそうめんのようなシステムに近づいているようです。この春から、河川敷や道路の脇に自生している苧を注意深く眺めていました。赤苧はたくさん自生しています。青苧はより桑に似ていて稀な存在のようです。今は、つる草にだいぶ追いやられてしまっていますが、つる草にしても昔の人からすれば貴重な資源だったろうなあと思います。

麻糸の原料はわざわざ育てなくても天然のものが自生しているので、それを使うほうが本格派なのでしょうが、細く長い繊維を取ろうとすると密集させて栽培するほうがリネンと同じく、良いのだろうと思います。今の自生している苧からどこまでの良い繊維が取れるのか、糸を作るだけでは良い糸かどうかは分かりませんので、織物まで織り上げてないといけないと考えると気の遠くなる話です。それを実現するために一番足りないのは、人という要素です。

彦根の家電店で、名刺を印刷できるキャノンのプリンタを買いました。安いものは5000円くらいからあり、それであっても一通りのことができるのです。お店の中にはものがあふれているもののお客さんというのはパラパラで、大手のメーカーさんのほうが安くしても売れない時代に突入し苦しまれているように思います。

名刺なんて業者さんに頼めば安く作れたりするのですが、ものづくりしているものが自分でものづくりできなくなれば駄目なんじゃあないかと思うところもあり、自分で名刺をつくることはまだしばらく続けていこうと思います。自分自身の手と頭、感性を使うことが大事だと思います。デザイナーさんのつける色柄に感動していては駄目で、着物の形なんて決まっていたので、本来は着物のデザイナーでなければならなかったのが、林与の曾おじいさんやおじいさんの頃です。

パソコンとプリンタで手軽に名刺を作れる時代になっていても、より簡単にできる業者さんに頼んでしまうと、どこで一体、自分の才能を使うのかという問題になってきます。ちょっとアバウトなところがあっても個性的な名刺をいただくと、その方の考え方なんかが分かる気がします。ちょっと爺臭いのを恥ずかしがっていては、見た目だけにとらわれて自分のスタイルを貫くことは難しいものだろうと思うのです。
2011年08月13日
今日は、盆踊大会が東円堂で行われました。この盆踊ももう半世紀近くは続いているようなイベントです。戦後の高度成長のときに、小さな村ながらもたくさんの子供がいて村が子ども会のためにいろいろな行事を計画したのが始まりだろうと思います。

当初、企画した皆さんというのももう70歳を超える歳になられており、そういう皆さんというのはやろうとしたことが周りに声を掛けるだけで気軽にできた時代だったのだと思います。今もその世代の方のほうが多く、東円堂に若い世代があるかというと祭りなどにしても、私が若連中の会長をしていた20年昔でも時代的なギャップがあり、成り立てにくいところがありましたので相当難しいところにきているのではないかと思います。

昔の人の考えを今の時代に合わせてもらうのか今の人の考えを昔に合わせてもらうのか、村の行政だけでなく、行事をするのかしないのかも人の気持ちのギャップの存在が常に問題になるところです。

私自身がこの盆踊の準備に参加した大学1年のころ、ひとつ上のやんちゃ者の先輩が若連中の会長をしておられました。やんちゃ者の人だったのですが、手伝いに行くと偉ぶることもなく、仲間はずれをつくらないために来てくれた人、一人一人に声を常に掛け、作業でも自分が一番自分が理解されていて器用にものを作っていかれるのです。その方も数年後に、夜中、居眠りトラックに後ろから追突され亡くなってしまわれたのですが、この盆踊に参加していても、今も、一つ上のその方が皆に優しくされていたのを良い思い出として思い出します。ものごとがうまく行く、行かないも人という要素がすべてなのかもしれないなあと思います。
2011年08月12日
林与のサイトが、携帯電話とスマートフォンに対応しておりませんでしたので、8月20にサイトの更新があるのでそれに伴って携帯電話とスマートフォン対応にいたしました。私はスマートフォンしか持っていませんので、携帯電話がどのように表示されるか分かりませんが、携帯電話でご覧のみなさまにとっては、今までよりも便利になったのではないでしょうか?

今日は、午後からひこねの組合に大阪からのお客様がこられました。今日は、ひこねは37度くらいまで気温が上昇して真夏日です。夏らしいといえば夏らしく、昔の日本の夏を取り戻した気分もいたします。

夏は暑さを我慢して、冬は寒さを我慢するのが当たり前の時代があったのですが、それがなくなり、外で運動すると熱中症なども大量に発生するなど、日ごろの生活様式が人の体力や精神面を変えてしまったように思います。人の耐性がなくなると、衣食住のすべてが変わってきます。夏でも普通のものを着てればでよいですし、食べ物でも普通の食べ物、住まいも夏だからとりわけ必要がないのです。夏に麻のものを着る必要がなく、夏に素麺やザルソバを食べたいなあという気分にすらならないのです。

中国などの新興国でもエアコンが当たり前になり始めています。日本もそうですが、満足なライフスタイルが確保されるとそこで人々が贅沢になる一方で夢がなくなり国の成長が止まるもので、世界中が競争をしていますので、繊維関係でも大手さんなんかはさらに安いところを求めて産業のほとんどないアフリカへまで進出されています。かつて世界の市場において、量産物のメイドインジャパンが安物から高級品に変わったのと同じく、量産物のメイドインチャイナも高級品になり始めています。
2011年08月11日
裸の王様という話があります。何も来ていないのにそれを一番すばらしい服だといわれて自慢げに服を着るのです。子供がそれを見て裸だよ、と当たり前のことを言う。ものの価値はそんなものなのかもしれないと思います。普通の人にしても、自分自身がものの良し悪しを判断できるのに、世間一般の定評で良し悪しが決まることが多いのです。そういうものの価値というのは一時のもので、ブームが過ぎれば同じものであっても価値を認められません。

裸の王様の布をつくることを考えてみました。糸が巻いてあるかのように信じながら別の木管に糸を小割りして、整経の準備をして、糸を巻いているかのように整経のドラムを一日掛りでまわします。そして、巻き取って、織機にセットし、糸繋ぎします。糸があるかのように機械を空で3日ほど動かしたら織り上がりで、それを加工工場に出して何もない状態で、布がある気持ちで作業をしてもらって、一週間ほどしてもらいにいきます。紙巻をビニール袋に入れただけに見えるのですが、それを丁寧に持ち帰ります。

実は、これが布がなくても掛かってしまう布作りの部分なので、裸の王様の布が作れないことはありません。それなりに人が動けば、生産にかかるコストというものは掛かります、ましてや目に見えないものを扱うことを頼まれ、正直に仕事としてやればそれなりに高いのです。しかし、林与はそんな無駄なことはしません。やるとすれば、新しい商品を生むための見本つくりに外の世界の人が見えないくらい大きな力を使っているという部分は表に見えませんが理解はいただきたいなあと思います。

このような裸の王様の布の話のような、アネクドーテが何を語ろうかとすると、馬鹿なのは王様だけでなくそれをうそ臭いと分かりながら賞賛する取り巻きも同じことなのです。しかしながら、裸の王様を裸を分かって裸であるのを賞賛するのは馬鹿でもなんでもないと思います。

こんなことを書いていると、原発のことが頭に浮かんできました。原発が、チェルノブイリの悲劇を教訓に、福島の今回ような悲劇を生むものであるのを分かりながらも導入すべきでしょうが、馬鹿な王様とその取り巻きが安全という透明の服を着せすぎました。危険だということが、いえないような状態をつくりだしてしまったのは、裸の王様の世界とそっくりではないかと思います。原発行政が裸の王様とそっくりに思えるのはなんとかしないと原発の復活は難しいのではないでしょうか。

小学校3年生のときに、保健室の外の壁新聞に原発の推進の政府ポスターをみて子供だましだなあと感じたのは、裸の王様を指摘する子供の正直な気持ちだったのかもしれません。何で保健室の壁にというのも先生たちにも力が掛かってしまっているのだろうなあと気の毒な気に思っていました。

最後に大きな迷惑をかぶるのは被災者の皆さんですが、問題が起こるまでというか、今回のような大きな問題が起こった後でも、当事者の会社はコストの話ばかりで営利主義のままで、方針を変えようとすらしないのも流石だなあと思います。原発行政が、人の命以上に営利主義であるといのは、しっかりと考えていかないといけないと思います。

最大の電力消費地である都市部には、原発を作らないのは、国にも原発のリスクの本質が見えているからだと思うのです。活断層の上にある原発までも問題ないとされるようなリスク管理で、結局はリスクは同じでもそのババを誰が引くかだけの問題だといえます。

日本の人口もこれから少なくなり、経済規模も小さくなっていきます。誰もが大きなしわ寄せをかぶらないことのほうが理想ではないでしょうか、無駄の少なかった、昔の日本の生活を取り戻すのも、今年の夏が一つの布石になるのではないかと思います。
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