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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2011年05月18日
織物の中で難しいとされるのがシャンブレーの織物なのです。糸が見えるので、麻糸のフシなどがコントラストがはっきりしている場合には特に目立ちます。糸の毛羽なども汚れのように見えるので、シャンブレー織物は一般的な織物に見えても案外難しいのです。

麻糸の場合には、糸の太いところと細いところがあるので、太いところがどうしても重なったり、細いところがどうしても重なったりすると、そこの色が濃く見えたり薄く見えたり、製品でも傷に見えることがあるのです。今の糸というのは一様性がなくなりつつありますので、織るのが難しいだけでなく製品になったときの見え方にも影響を及ぼしてきます。

こういう問題を避けるために、コットンリネンのような綿との混紡糸を使うほうほうがあります。糸がより均一になり見た目がより安定して見えるかと思います。ものづくりしている側からするとトラブルも少ないのですが、それではありきたりのものになるのでリネンを使うことで普通とは違うものに見えるのも大事ではないかと思います。
2011年05月17日
今日は、朝から書類つくりを行っておりました。洋服が2点アパレルさまから届きまして、サンプルと本番との糸の差などの問題を夜に考えました。同じ銘柄の糸を使っても染色方法により差が出るのかという問題です。

リネンというのは、バット染料で染めるほうがよいというのが私自身の中での結論ではあるのですが、今回もそれを肯定するかのような出来事です。サンプルの時には、ある問題を想定して万全を期してスレン染料で染めた黒を使ったのですが摩擦堅牢度が悪いということで染料を変えて対応するということで反応染料で染を行いました。その結果、染色方法の差による仕上がりの差が見えてしまったのではないかと考えています。

実は染料の差が先染では後での問題となりがちであることを危惧してのサンプルでのスレン染料のセレクトでしたが、やはり、反応染料で染めたことでそれが結果として起こったといえます。このあたりになってくると理論ではなく経験という要素が結果を予測する上で大事になってきます。

理論で考えていると大丈夫でも結果が駄目ということが多いので、今の時代、日本中で企画機屋さんというのが減少している原因になっている一つの理由ではないかと思います。糸の問題にしましても、一部の糸商さん以外は、問題が起こったときに「同じ同じ」と言われることが多いのですが、リネンは毎回同じではないのです。また、最近の麻糸というのは何年かほおっておくと堅くなって織れなくなりがちです。

そのことは紡績メーカー自体が毎回同じではないことを説明してくださいますので、どれだけ問題をしっかりと見つめるかだと思います。問題を感じた糸などはフィードバックをしているものの適切なフィードバックがなされないと、紡績メーカーの存続に関わる問題になってきます。リネンの紡績会社の方にも問題を教えてあげるとその問題に気が付いておられないことが多く、面倒がられることもなく真摯に耳を傾けてくださいます。それが紡績の品質向上と生き残りに関わってくるというのを実感されている証だと思うのです。

ジャパンブランドの品質を考える上で、大事だなあと思うエピソードがあります。林与では、今では手に入らないデッドストックのカネボウブランドのシルクを今も使うことがあります。光沢感などがやはり一級で機屋が仕上がりとしてみるときに全体的な品質がジャパンブランド的で異なるのです。きれい過ぎて逆に糸切れなどの難が目立ちやすいという欠点があったりもしますが、トータルでみるとやはり違います。

そのカネボウブランドのシルクにしても、最後はブラジルと上海での紡績でした。日本の技術がブラジルや上海で生かされながらも、その問題の本質というのは届かなかったようです。ナイロンの混入の問題などを認識しており、それがまさか、シルクの紡績工場内で混入するものとは思ってはおりませんでしたが、シルクに詳しい糸商さんとお話をするなかでその問題も究明できました。

紡績工場で使われるナイロンブラシのナイロンが抜け落ちて、糸に撚り込まれてしまうというのが結論と思っています。そんな状態の糸がカネボウブランドで何年も流通していたのは驚きでしかありませんが、カネボウさんが紡績事業から撤退されるような理由の一つになったと思います。紡績工場のブラシを毛の抜け落ちない良いものに変えるだけで大きく改善する問題だったろうにと思うのですが、ジャパンブランドと海外ブランドとの差がなくなってしまうようなエピソードです。基本的な品質の高さは疑いもないのですが、そのような問題があるので、林与では、その紡績糸を使うときには混入したナイロンを取り除く作業を行ってから織ります。ジャパンブランドのシルクにふさわしいものにして最終製品で他とは違うようなシルクの光沢感を残しています。

韓国で紡績されていたリネン糸に関しましても、染で起こる問題点を何度か指摘はしたのですが、糸商さんから紡績工場までフィードバックを届けようとする体制が整っておらずに、弊社では使用をやめる結果になりました。信号が出ているのをほおっておくと結局駄目なのです。韓国からバングラディッシュに移転されたのも価格だけでなく品質面での優位性がなくなったことにあるのではないかと思います。
2011年05月16日
以前、京都の問屋さんの方とお話していたときに、問屋さまのお客様が「本物」がほしいといわれていると聞いて、私自身は「?」な感じで、「本物」ってどういう意味ですかとたずね返したことがありました。

天然志向のブランドさんで、麻なら本麻、リネンならリネン100%、綿なら綿100%みたいなものが本物という定義のようです。ポリエステルとかレーヨンは、合成繊維や半合繊なので、たとえ100%であっても、そのお客様が求めておられる本物の定義には入らない感じでした。

合成繊維というのは、天然繊維の弱点を補う形で生まれてきたものが多いのです。コスト、均一性、安定性、機能性などでニーズに合わせた合成繊維には合成繊維のメリットがあるとは思います。世界的なブランドさまからも商談会の機会にお話をうかがっていると、リネンに対するニーズはあるものの、合成繊維ライクなきれいで光沢のあるものを探される傾向を感じます。

一方、インターテキスタイル上海はなどでは、とくに中国のバイヤーさんは、リネン100%なものは中国でもありふれてあまり興味を示されず、リネンでは中国で織ることのできない100番手を超えるようなものや、あるいは複合素材などを探しておられます。

世界では目新しいものを探そうとされる傾向が強い中で、日本人の100%ものへのこだわりや素材へのこだわりというのは特別ではないかと思います。林与自身、麻へのこだわりは非常に強く、リネン100%、麻100%のものづくりをするときには、自分らしいなあと感じます。素材やものづくりにこだわりを持つところが日本らしいところなのかなあとも思います。
2011年05月15日
先日の展示会で、今、定年を迎えられるみなさまからいろいろなお話をお聞きすることがあり貴重なお話だなあと思いました。35年ほど昔のアイリッシュリネンの背景を知っておられる方のお話や昔の麻業界の華やかだった時代のお話が聞けたり、展示会に出ているといろいろな情報をいただけます。

先代は昭和14年生まれで、戦争が始まってから昭和25年くらいまで麻織物は贅沢品として規制されていた時代がありましたので、60歳から75歳くらいの皆様が戦後の麻織物の復興が始まったときに一番お若い世代として働かれていたものと思います。戦前のものづくりを知っておられるのは85歳以上の方ということになります。弊社に昭和26年、27年の新聞紙に包まれた手績の糸があるのは、統制が解けた最初の糸ではなかったであろうかと思います。

林与一おじいさんがなくなったのは、私が3歳のときでして63歳と聞いておりますので、昔は小学生くらいから最初の仕事をしているのが当たり前ですので1915年あるいは1920年くらいから与一おじいさんは仕事を手伝い始めていたのではないかと思います。戦前をしっかりと知っているのが与一おじいさんです。先代も、学校から帰ると小学生のころから家の仕事を手伝わされていたという話でそれが終わらないと遊びに行けなかったそうです。

私もそういえば、小学低学年のころから時々チーズワインダーで糸を固める作業をしていました。小学生には堅結びはできても機結びは難しく習得できずに織機についているゴミ掃除や木管に残っている糸を取るのがお手伝いでした。小学生のころには、1ヶ月に1回くらい親戚一同が家に集まるような「おとりこし」と呼ばれる食事の機会があったように思います。

私自身も昔の話を間接的に聞いていることがほとんどなのですが、以前、愛荘町の歴史編纂に関する調査の方が弊社に来てくださったときに、親戚の絣織物を織っていたおじいさんの妹に当たるおばあさんのところにお話をうかがいに寄せてもらったのですが、なかなか昔がよみがえるほどにはお聞きすることができませんでした。昔の方というのは大勢でやっておられたので、一生一つの専門の仕事で終わることも多かったので、逆に全体をお聞きすることがなかなか難しいのです。

展示会などでは昔の林与のことを知ってくださっている皆さんが名前を見かけて懐かしいなあとブースにお越しくださり、若かりしころのお話やその時代の麻業界のものづくりを懐かしく語ってくださいます。そういうお話が私にとっては非常に貴重でありまして、林与自身の昔のことを辿るときのヒントやあいまいな部分を検証や再検討する助けになることが多いのです。また、ものの価値とはそういうところから生まれてくるのではないかと思います。60歳、70歳の方が仕事や人生を振り返ったときに思い出にのこるようなものというのは、本質的な価値ではないかと思うのです。

新しいものが次々と生まれて、次々と消えていくのが今の時代の流れですが、自分自身で取り組んで数年も掛けて形にしていくというようなものづくりというのが大事だなあと思います。実際に作られたものというのは同じものであっても外部的からの評価は、昨年、今年、来年では異なることが多いので客観的な価値というのは一定ではないのを感じます。みなさんが仕事を振り返られたときに思い出に残り、今はやっておられないのですかとたずねてくださるようなものほど、今はつくるのが難しくなってしまっているものが多いのです。
2011年05月14日
今日は42歳の誕生日でした。織機についているカウント41Mから42Mに1M増えるかの程度でノーインパクトですが、今週は東京出など忙しかったので充実しているときだと思います。

午後からは東京から平元聡氏がお越しくださいました。一昨年前のジャパンクリエーションでコラボさせていただいて、林与のデザイン室にはそのときに作っていただいたQRコードの衣装が残っています。林与の看板と同じパッチワークで作られていて、1M四方の生地を5枚作るのにオーバーロックミシンを駆使して1週間ほどかかりました。懐かしいなあです。

上島佳代子先生の新しいリネン本が出来上がり手元に届きました。誕生日プレゼントでしょうか。展示会にしましても、いろいろとみなさんが動いてくださいまして、支えてくださっているのを感じます。繊研新聞のほうにも林与のコメントが出ていたということで、テキスタイルツリーの成田さんからご連絡いただきました。

展示会のときに、テキスタイルツリーの成田氏とのお話で、赤苧の話がでまして、日本人がどんな麻を昔使っていたのだろうかという問題を考えるきっかけになりました。私の結論では、繊維の取れそうな草というのはできるかぎり繊維を取り出していたという結論です。海や川の魚を取るとか、柿やお茶などを収穫するのと同じで、野や土手の草すらもが繊維が取れるものなら洋服の材料として有効に利用されていたということだと気がつきました。

今なら殺して捨ててしまうマムシやムカデなんかでも、昔は、誰か知恵をもっているものがいて薬にしたりと昔の人というのは何もかもを活用するすべを持っていたといえます。
2011年05月13日
展示会終了後、アパレルさまに本日中に届ける荷物がありましたので、それを近くのクロネコの配送センターから送ってから東京を出発しました。滋賀県に着いたのは朝6時で少し休んでからレンタカーを返却して彦根での会合に出席して、午後2時に機料屋さんが来ておられたので展示会のお話などをして、夕方は展示会でいただいたお名刺などの整理をしておりました。

今回の展示会で感じたのは、リネンに対する需要の変化です。昨年までの展示会では、生成や後染タイプのものが主体で人気だったのですが、今年の人気は、先染のチェック柄でした。細番手化の流れも本格的になっておりリネン66番手でも十分細いのですが、さらに細い番手に対する興味をもたれるかたが増えてきました。

展示してあったリネンストールに関しましては、ビンテージアイリッシュリネンストールには非常に興味をもっていただき、また、リネン100番手クラスのシャンブレーストールやリネン66番手ギンガムシリーズなども、アパレルさまには生地以上に興味を示していただいたようで、リネンストールとしましては3年以上のロングランのシリーズになってまいりました。125番手のリネンギンガムストールを持っていかなかったのが残念です。アイリッシュリネンのストーリーに興味を持っていただいた方には、ビンテージアイリッシュリネンハンカチなどもご覧いただきました。
2011年05月12日
非常に煮詰まった一日を体験させていただき、2日目すでに最終日です。今日は、アパレル様とのビジネスマッチングを4件いただきまして、一日の半分は別会場の8階でおりました。ブースがお留守になってしまっており、来ていただいた方には十分な対応ができずにすみませんでした。

今日は、午前中に昔京都吉忠さまにおられた方が林与のロゴを見られて、「林与織物」でしたか?ということで話しかけてくださいました。30年昔の麻ブームのときの話で盛り上がりました。今は、京都でシルク関連におられるそうです。

またハードマンズ社のアイリッシュリネンのプロジェクトをご覧になられた糸商さんから当時のリネン糸の話をお聞きすることができました。やはり、共通項としては、ハードマンズ社とアンドリュース社のウォーターレッティングの話に尽きました。その糸も弊社には残っているので、やっぱり、林与が使わず残したのはそれらがその当時でも手に入れるのが大変なクラスの糸だったからだと思います。

ビジネスマッチングの会場です。リネンの糸の「亜麻色」の話がでたときに、亜麻色とは金色だという話になりました。亜麻色というのはグレートかベージュとかいう認識が定着し始めていますが、本来亜麻色というのはゴールドなのです。先日、5000円以上お買い上げの皆様に木管巻きをプレゼントいたしましたアンドリュース社の80番手のゴールデンアイリッシュリネン糸は、日本のリネン業界の方が35年ほど前にあこがれたゴールドカラーです。亜麻色なんだと思います。北アイルランドのリネン織物では、晒と生成の二つが有名で、染めることは少なかったがために生成の色にすごくこだわったのだと思います。その理由も、アイリッシュリネン紡績が終焉を迎えたのもウォーターレッティングができなくなったことが影響しているのではないかと思います。

ブースにお越しいただいたお客様からは、保存液に漬けてあったであろうフランスのアンティークブラウスを見せていただくこともできました。クチャクチャでパフパフなシルクを思わせる感触です。100年以上昔のものということで、リネンのたぶん200番手超えのクラスのものではないかと思いました。非常にきれいなので紡績糸だと思うのですが、感触がよくしわにもなりにくいのです。よいものを見せていただきました。再現してくださいというお言葉をいただいて、「いやあ、これほどのものは糸からしても難しいです。」と正直なお答えです。少量だと糸も見つかるかもしれませんが、織物は縦糸から準備すると2kg、3kgはテストでも必要となってきます。織れるか織れないかわからないものに動きにくいと思います。そんな糸が手に入ればぜひぜひチャレンジしたいですね。

皆さんがコレクションされた世界のよいリネンを触ったり見せていただいたりできるのは、うれしい限りです。そこにはものづくりのヒントがたくさん詰まっています。林与の幻のリネンプロジェクトでは、細い細いリネンにチャレンジしたいと思います。500番手を超えていければと思いますが数年では終わらない旅になりそうです。そんなのが昔のものづくりです。
2011年05月11日
今日は、昨日から準備して朝に東京に到着しました。朝早くに渋谷で待ち合わせしましてメインの2ボディに着せる作品を受け取りました。林与自身がリネンの中でもこれならほかと違うという思い入れのある素材を数点使っていただいたものですので、この5年ほどリネンのランジェリーの世界を取り戻せるようなリネンインナー素材の開発を考えていていつかは形にしたいとおもっていましたものがついに形となりました。

今回は、村田祐樹氏にデザインいただきました。かなりプレッシャーをおかけしたのではと思いつつも、この新分野、新素材のインナーをデザインいただいたこれからの世代の方がおられることもうれしい限りです。最後しっかりと仕上げてこられてこれはと思う出来で、プロトタイプの時から5日間で、相当の改善が積まれ着用時もきれいなフォルムになりました。今のリネンではなかなか出せない上品さをデザインの面でも引き出していただいたと思います。布帛でのリネンインナーの開発は形をきれいにしすぎると着るのが難しくなってしまうのですがその部分もクリアできています。最初に私の会社で昔企画したたたき台を参考にお見せして、シンプルで上品なものを作ってもらいたいと考えていただき、比較すると、よい感じだと思っていたもとのたたき台が子供っぽく見えたのでよいのです。

今年は、ジャパンクリエーションSSというタイトルではなくなり、東京ビッグサイトから会場が狭くなったのでお客様の反応はどうなのか心配していたのですが、すこし雨が降っていたにもかかわらず、昼前くらいからあふれんばかりの感じです。これは、場所が東京ビッグサイトからアパレルさんからアクセスしやすい南青山に変わったことも大きく影響していると思います。また、会場内の雰囲気もそれぞれのブースが構えていない感じで入りやすくなったのではないでしょうか。終日たくさんの方がブースにはお越しくださいました。

JETROの国を挙げての支援もいただいて、中国アパレルのバイヤーさんとのマッチングにも参加させていただきました。6社のうち若いゾーンのブランドさんとユニフォーム関連を除いた4社さんは、リネンや麻というアイテムを手がけておられるので話も弾みました。各社の代表の方、デザイナーさん含めお会いさせていただいて、みなさん余裕がある感じで、繊維が花形産業だった30年昔の日本のアパレル業界を彷彿させます。

日本にすでに進出されているブランドさんも含まれていますので日本語も上手な方が多く、意思疎通の面ではなんら壁はありませんし、各社の代表の皆さんが、中国に来たときには時間をとるのでぜひ会社に来てくださいとおっしゃってくださり器量の大きさを感じます。商売というのは人間関係を作るところからだなあと感じます。初対面でしたが、どちらの中国アパレルの皆様ともリラックスしたムードのなか冗談も交えて話をさせていただき、いつかお取引の機会が生まれるのではないかと感じます。
2011年05月10日
今朝、レンタカーを借りにいく途中で、豊郷の伊藤忠兵衛旧宅を拝見しました。近江の旧宅らしい建物で仏間などもあって普通の広い昔の家という印象です。当時は社員たちが生活をして近江商人としての修行をする場でもあったということで、大きな釜戸がありました。裏庭には、蔵が3つ建っていて中には西洋から取り寄せたテーブルウェアがしまわれています。

私の場合、コレクションされた西洋のテーブルウェアとは裏腹に、浴室を除く建物は古いままで、非常に古い価値観を重んじながら暮らしておられたのだなあと感じました。しかしながら、2代目の伊藤忠兵衛氏の写真をみますと、ハンサムボーイという印象で、このような家に住んでいるような人には思えません。

今日は、レンタカーに荷物などを積み込み夜中に出発して東京に向かいました。東京は雨、明日からの展示会へのお客様にとって足元の悪いのが心配です。
2011年05月09日
今日は午前中から午後に掛けて彦根の組合で、夕方は大阪でお客様とのミーティング、そのあと閉店間際だったのですが、なんば高島屋さんで藍染作家の梅崎由起子さんをはじめとするクリエイターの作品を集めたグッズコナーを拝見しました。リネンが藍色に染まっているのをみて優しい色に染まるものなのだなあと思います。懐かしい感じの色味です。ストールは林与のタグもつけていただいてましてすぐにわかりました。大阪高島屋さん1階のグッズショックプレイスで明日10日までです。

リネンを藍に染めたいなあと思って、野洲の紺九の森さんにお尋ねしたこともありました。お話を聞いていても量産は難しいのを感じ断念しました。一点ものなら何度も何度も染め重ねてよい色が出るのではないかと思います。リネンは染まりにくいだけに、本藍で染めるというのはいずれにせよ濃く染めようとすると贅沢な世界になると思います。
2011年05月08日
愛知川の川原にトキが飛来しているという話を聞きました。かなり昔に絶滅した日本産なのだろうかと思って話を聞いていると、トキセンターで放鳥した鳥が愛知川に来ているとか、そういえば、近くを流れるあんこ川でも、2年とか前に頭が赤くて鶴みたいな大型の鳥が魚を探しているのをみました。

かつてはどこにでもいたトキという鳥が、日本中から姿を消したのは、自然環境の変化のためだといえます。今は、スズメですらも以前のようには生活していません。ダムの整備と農地の改良が自然環境に大きく影響したといえます。川に魚がいないし、いる魚も放流するらしく、流しそうめんみたいで味気ない世界です。商売としたらそれで大丈夫みたいですが川が完全に死んでしまっているのを感じます。

地場産業もトキの運命と似たようなところがある気がします。海外から入ってくるもので代用されても消費者の方には迷惑すらかからないのですが、完全に置き換えられてしまうと何かひとつ大きな価値観がそこで消えてしまうと思うのです。トキが自由に飛びまわれるような自然環境が戻ればよいのにと思いつつ、地場産業を取り巻く環境も昔の自然に近い形に戻ってもらえたらなあと思います。

今日は、お休みだったので倉庫に行きまして昔の手績糸を撮影したり、なんか500キロくらいはありそうでした。横糸に使うのでしょうか強撚と書いた染めたいともありました。100番と書かれた糸に撚りを掛けたもののようですがすごく細いので、今の麻番の100番手に相当するのではないかと思います。

夜には、会社で近江上布の見本切を本にしたいなあと思って、スキャナーで撮ったりしました。適当な取り込みではありますが、よい感じで近江上布絣をデータに落とせています。絵葉書とかにすると、近江湖東産地や彦根、そして滋賀、京都、大阪の夏を飾った文様として、また、日本の夏の和柄を偲ぶことのできるものになると思います。
2011年05月07日
今日は、朝から家に飾ってある昔の賞状を撮影しました。外は曇り空で、撮影にはよい感じです。撮影した写真は、「昔の賞状」というページにアップしましたのでご覧くださいませ。組合の展示会や、近江商人が立ち上げた商社さん春夏の展覧会で初代の林与次右衛門は高い評価をいただいていたのが伝わってきます。

賞状の紙だけを撮影しようかと思ったのですが、額も雰囲気があったのでそのまま撮影しました。これらの賞状は、たぶん、70年近く家に飾り続けられているもので、昔は京都や大阪のお客様が見えられたときにはデイと呼ばれるこの部屋が商談の場だったのだと言えます。

これらの賞状をいただいたような和装業界が賑わいを見せた日本にとっては繁栄の時代の後、戦争が始まり、近江上布をはじめとする麻織物はぜいたく品として製造を禁止されました。豊かになり過ぎた日本が数年の間に何もかも失い、日本の和装業界も洋装への転換を迫られたのでした。麻織物の禁止が解かれたのが昭和25年だと聞いています。日本の麻の文化であった本麻と呼ばれる世界は戦争で縮小したのですが、北海道などで栽培されたリネンは軍事用途だったので、それほど繊維長を必要とするものではなかったと思うので、想像ですが、今、北海道で栽培が再開され始めているようなリネンシードを取れるようなタイプのフラックスだったのではないでしょうか。

大正15年にいただいた賞状の額を外したときに額と柱の挟んである紙が落ちたと思っていたのですが、それは、私が子供のころに作って遊んだ紙飛行機です。それが30年近くその賞状の裏に止まっていたままになっていたのです。ホコリで真っ黒なので、ゴミ箱に捨てましたが、なんかもったいないので、ゴミ箱から取り戻して賞状の裏に戻しました。
2011年05月06日
今日は朝一番で加工工場に行きました。残念ながらお休みでしてゴールデンウィーク明けは納期の心配から始まりそうです。午後からはお客様が見えられ、ご無沙汰しておりましたので、近況などのご報告をいたしました。

午後は、母の日向けのリネンストールの発送を済ませました。母の日向けに、リネンハンカチを作りたかったのですが、相変わらずのバタバタの毎日で、林与のリネンハンカチの発売は展示会後になりそうです。

現在、林与ロゴの入ったシャツやパジャマ関連の製品の発売の予定も検討を始め、社内でプロトタイプの開発も始めました。海外からリネンの糸も届いたので、連休明けには染めの進行をしないといけないのですが、連休明けにはプレミアムテキスタイルジャパンがあって、その後、スワッチ送付などの作業のあとでの試織りになりそうです。

明日はまた休みの会社さんがほとんどですので、週明けが忙しくなりそうでちょっと心配です。hayashiyo.comのサイトは、東京での展示会の関係で、11日、12日、13日は、発送業務が行えません。お急ぎの方は、10日の午前中までにご注文いただけますとありがたく思います。関係ないですが、5月14日は、林与の44年生まれで、たぶん42歳の誕生日です。

最近考えているのが、チーム作りです。生地を開発するだけでなく、製品までをトータルにコーディネイトするのに、仕事ではなく仲間意識で動けるような仲間を探しています。糸へん関連の皆様で、愚直に商品開発などに没頭されています、糸、染、織、加工、縫製、企画の方など、日ごろは産地ベースでのものづくりをしてはおりますが、世界に対してのプレゼンを行うための日本というスコープでものづくりを考える林与を中心としたチームを作り上げたいと思っています。
2011年05月05日
今日は、朝早くに東京からお客様でした。展示会に向けてリネンの薄地の素材を、ある用途向けの素材として提案できないものかと考えています。その試作品を作って東京から持ち込んでもらいました。

滋賀県は始めてこられるということで、近江のものづくりというものを感じていただこうと、近江商人のゆかりの地を見学いただいて、お土産に、本を3冊プレゼントしました。途中、長浜からDENさんが生地を買いにこられましたので、生地を準備している間、服を作るというテーマで盛り上がられていたようです。

デザイン室で、DENさんがこられて140番手のアイリッシュリネンのハンカチを作った生地の反物を眺めておられ、インナー素材に使っている100番手の生地との比較をされていました。70点くらいのところにまできているのですが違いはわかります。

工場や倉庫などの生地をみてもらって時間が少し空いていたので京都ででもコーヒーを飲みましょうかいいますと、もう一度倉庫の生地を見たいといわれて時間いっぱいまで倉庫の生地を見てもらって、東京のお客さんを京都駅まで高速道路でお送りしようと思ったのですが、さすがにゴールデンウィーク、高速道路は渋滞で間に合わないと判断しまして途中近くの駅で電車に飛び乗っていただきました。

ここ数日お客さんが多かったので観光地などを眺める機会も多く、地域の魅力とは何なのかを考えたりしました、これは突き詰めていけば、日本の魅力とは何なのかにつながります。結局、その地域や国にいる人の魅力ではないかと思います。
2011年05月04日
今日は、午後一番でにお客様がお越しくださり、3時過ぎから先日同窓会でお会いしました中学時代の同級生がきてくださり、寝具関連でのリネンの用途など提案させていただきました。近江湖東の産地は、愛知川方面では服地、能登川方面では座布団の流れを持ち、それとは別に寝具関連を軸とした産業もあり、その同級生のかたも寝具製造で布団カバーなどを中心に企画販売されています。

通常は、綿の生地を布団カバーにされているということで、日ごろ扱っておられる商品なども見せていただきました。コラボで企画していく場合、ベーシックかつシンプルなものからスタートするのがよいのではないかと思います。地元でのつながりを大事に仕事をされているということでブランド化などの事業も検討されているようで何事も前向きに考えていくことで自ずと道は開けてくると思います。

その後、お隣のおじさんが来てくださいまして、隣近所での旅行の計画や案内に関して1時間ほど検討しました。ご近所さんの旅行も私自身は15年振りくらいになるのではないかと思います。そういう旅行もご近所さんの子供さんに参加してもらって楽しんでもらうのを目的にするのが一番よいのではないかと思います。
2011年05月03日
朝は、出荷を準備したりして、お昼頃には彦根で買い物に行く途中、旧豊郷小学校の前を通るとたくさんの車が止まっていて、若い人たちの観光や記念撮影のスポットとなっているみたいです。先月、「けいおん」の話を聞いていたので、それがどんなブームなのか分かってませんでしたので中に立ち寄ってみました。当時の丸紅の専務が私財の半分以上を投げ打って昭和12年に立てられたものですが、本当に立派な小学校だなあと再認識しました。設計云々よりも、それを建てるにいたった経緯や実際に使われて年季を増したことが建物の大きな魅力だと思います。近江商人の美徳からなる建物です。私も小さな頃からその話はたびたび聞いてまいりました。

彦根から買える途中、簡単な英文の翻訳の頼まれごとがあって一箇所立ち寄ってお手伝いしました。すぐに、海外の方からも返答が来たようで少しは前に進んだようです。海外のことですので販売する相手が信用できるのかできないのかの判断は、ものが売れる売れないということよりも大事だというのはいろいろな方から同じ話を聞きます。

夕方には、近江八幡で中学時代の同窓会がありました。半数以上の方が参加されていて、私自身は、27年ぶりということで顔と名前が合わないかたも多かったです。40も過ぎるとみんな大人の雰囲気で落ち着いているのかと思いましたが、面白かった子は面白いままでそのままでした。

最近は仕事関連ばかりに時間を使っているので、数時間のことではありましたが久しぶりに昔の友達との時間を過ごしました。11組と小さく書かれたネームプレートを渡されて、11番テーブルかと思ってたら、3年のときに11組だったというのに後で気がつきました。
2011年05月02日
今日は、朝から布で「林与」のロゴを作りました。ギャラリーボックス用の看板で、縦が50cmX横が75cmのものです。生成の布を「林与」の形に切り抜いて、バックはインディゴデニムを使いました。すごくかっこよいのができあがり大満足で、夕方6時半に彦根に行きましたがもう閉店で残念な状態でした。

ソファーで落胆していると、今日の集計をされるためにでしょうか女性の方が鍵を持って、ドアを開けられたので、ボックスの中を10分ほどでよいので飾りたいと頼むとどうぞということで飾らせてもらいました。良い感じです。

女性の方は、麻関連の関係の会社で以前事務のお仕事をされていたということで、「林与」の名前も知ってくださっていました。作業を終わるまで待ってくださっていて、本当に助かりました。

夜に、倉庫に行って、リネンの反物を探していました。サブロクの織機で織った生地が出てきました。グリーン味のあるゴールドな生地で、もしやと思ったのですが、やはりリネンでした。これって140番手から160番手からクラスではないのかなあと思います。非常にしなやかで、本当にきれいです。検査機関の調査に出して素材確認してみようと思います。ハリウッドスターがアワードで着るようなシースルーな感じのドレスが作れるのではないかと思います。
2011年05月01日
朝、新しいプリンタが届いて早速セットして試し刷りです。両面印刷などの機能も付いているということで試してみると器用に印刷してくれます。なんとなく、刷り上がりがビジネス機に近い感じです。インクジェットではありますがA3でのカラーコピーもできるので、いざというときには便利かもしれません。

最近の家電製品、本当に心配なのは長く使えるかなのです。最近の電化製品は寿命が短く、1年以内に故障する確立も高くなっていて、保証期間中に壊れる機械は修理してもすぐにまた壊れ、結局大きなゴミになりそうです。

事務所の応接室の片隅に、2年前のジャパンクリエーションでお披露目したリネン125番手のギンガムストールがあります。不思議ではありますが、そのときは作ることができても、今は作ることがなかなか難しいのです。今、触っても良い感じなのです。リネン100番手と125番手の違いを微妙に感じることが出来てよいかもしれません。微妙な違いであっても、100番手と125番手では糸の価値はかなり違ってきます。

125番手のギンガムストールをそのときは作ることができて、今は作ることが出来ないのは、作品として一つ作り上げた満足感からでしょうか。今日、見つけて懐かしいながらも、今見ても良い感じだなあと思ったので、ネット販売用に作ってみようかなあと思いました。展示会などでは、いろんなアパレル様向けにも好評なアイテムだっただけに気に入ってもらえると思います。
2011年04月30日
4月も今日で終わりで通常ならバタバタの月末なのですが、連休中ということもあって月末を感じません。今日、コメリというDIY型の資材関係を取り扱うお店に行きました。ゴールデンウィークというのは兼業農家にとっては休みではなく、総出で仕事をするタイミングです。そのことがあって、日ごろがらがらのお店の駐車場にたくさんの車が朝から止まっていました。

近江湖東では機をもって嫁いだといわれるほど機織というのは、農業が夏の仕事なら機織は冬の仕事だったのです。兼業農家のみなさんが各自の田んぼを守っておられるものの、農家のみなさんが機織を続けるというのは想像もできないところだと思います。機織をされる方が少なくなった理由も難しくはなく、物流が進み、一般的なものを買うほうが安くなった時代に自分でものを作ることがどこまで意味があるのかということだと思います。

兼業農家の方も、60歳も後半から70歳以上の方が田んぼを守られていて、自分で作ったお米を自分が食べるというところの大きな意味を感じておられるから続いているのだと思います。近江牛、近江米、近江上布などが’近江’の冠を持つ近江の特産品大事扱いされてきたのですが、これらはどこの県にでもある農業のアイテムなのです。玉ガセなんて、’笠地蔵’にでてくるような農家がつくる農産物で、紡績という技術が確立されるまでは当たり前に日本中の農家の多くで内職的に行われていた作業だったと想像されます。江戸時代以前は、日本中の着物を支えるのがすべて手作業の時代だったのです。

このことは、電気という発明が世界のすべてを変えたといえます。夜に昼と同じ生活が出来るようになったのも電気のおかげです。明かりを取る蝋燭や暖をとる囲炉裏、火鉢などが貴重品として扱われていた時代に終わりを告げさせたのです。今は手間だと思うことが当たり前の作業だった時代で、日本人も火を炊いてご飯を炊いたり、お風呂を沸かしていたのです。そういうスタイルが時代遅れでかっこ悪いなあと思うのが過ぎ去って、贅沢だなあと思える時代になったのではないでしょうか。

今の時代、自然の恵みはありづつけ秋には柿などもたくさん実をつけますが、こんな田舎でもそれを採って食べる人々がいなくなりました。誰も管理していない工場の柿の木ですが、おじいさんの頃には、この柿の実も非常に重要な食料であったと思います。甘い柿だけでなく、渋柿も干し柿用に植えてあり、お茶や梅も植えてあるのです。小さな頃には、梅干をつくったり、干し柿をつくったり、夏の前に茶摘もしていたのを覚えていて、その作業というのはわが家では農業と機織とともに江戸時代以前からも何百年も続いていた作業だったのでしょうが私にとっては子供の頃のおぼろげな記憶の世界のものになりつつあります。

そういうのって、本物の味を知るためには大事だったりすると思います。梅干なんて塩漬けのようにしょっぱいので体に良いか悪いのか分かりませんが、あれは、本物の味だと思います。昔、家の蔵からその当時でも何十年前のものかもしれませんが、ムカデの大きいのを油か酒につけて薬にしたものや、たぶんマムシをお酒に浸けたものなどありました。昔の人がそれを本当に飲んだのかどうかは分からないのですが、そういう珍しいものが取れたときにはいろいろな知恵のある人に教えてもらって形にしたのだと思います。そういうのを残してもらった次の世代は処分するのにも困ったのですが、昔というのは自然との付き合いこそが人生だったんだろうなあと感じるところです。買うということよりも作るということを大事にした時代だったと思います。
2011年04月29日
今日は、ゴールデンウィーク最初の日です。夕方くらいまでは仕事の残っていたことを処理していました。5月からボックスギャラリーを借りるので、その中に何を置こうかなあと考えてました。

夕方は、長浜のDENさんにリネンの細番手の白い布を持って行きました。ファンド事業で製品を作っていただこうと考えているので、どんな形の洋服ができるのかなど見せていただきました。得意のものを作ってもらいたいなあと思っているのですが、こちらがどんな洋服を作りたいのかを聞いてくださいます。店内にある素敵だなあと目に留まったものをピックアップさせていただきました。

CADを入れられたということを聞いていたので、CADが印刷するところなどを見せていただきました。CADのプログラムが動いているところも見せてもらいましたが、データをつくるのが大変そうです。人間の力を助けるための道具なので洋服の型紙を作る力がなければCADは使いこなせないものだということ。CADのメーカーの方からは、北山さんはCADを入れられたお客さんのなかで最高齢といわれたそうです。

当初は別の場所で、長浜商工会の助成事業として立ち上がったプロジェクトで、SEVEN SEEDSという名前で立ち上がったお店です。お店の名前の由来を聞いたときに、林与もその種の一つであることを知って、すごくありがたく思ったのを今も覚えています。

今も、お店には林与の生地を使った近江の本麻手もみを使った洋服などがたくさん並んでいますので、ぜひお立ち寄りくださいませ。お問い合わせいただくと林与の特別な生地を使ったものも置かれていたりしますので、ご予約などお急ぎくださいませな状況のようです。今日は、昨年のお正月ぶりくらいに突然お邪魔しましたが、北山さんはじめスタッフの皆さんが暖かく迎えてくださいました。時代は移れども、常に変わらぬ価値観こそが大事だなあと思います。
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