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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2011年05月12日
非常に煮詰まった一日を体験させていただき、2日目すでに最終日です。今日は、アパレル様とのビジネスマッチングを4件いただきまして、一日の半分は別会場の8階でおりました。ブースがお留守になってしまっており、来ていただいた方には十分な対応ができずにすみませんでした。

今日は、午前中に昔京都吉忠さまにおられた方が林与のロゴを見られて、「林与織物」でしたか?ということで話しかけてくださいました。30年昔の麻ブームのときの話で盛り上がりました。今は、京都でシルク関連におられるそうです。

またハードマンズ社のアイリッシュリネンのプロジェクトをご覧になられた糸商さんから当時のリネン糸の話をお聞きすることができました。やはり、共通項としては、ハードマンズ社とアンドリュース社のウォーターレッティングの話に尽きました。その糸も弊社には残っているので、やっぱり、林与が使わず残したのはそれらがその当時でも手に入れるのが大変なクラスの糸だったからだと思います。

ビジネスマッチングの会場です。リネンの糸の「亜麻色」の話がでたときに、亜麻色とは金色だという話になりました。亜麻色というのはグレートかベージュとかいう認識が定着し始めていますが、本来亜麻色というのはゴールドなのです。先日、5000円以上お買い上げの皆様に木管巻きをプレゼントいたしましたアンドリュース社の80番手のゴールデンアイリッシュリネン糸は、日本のリネン業界の方が35年ほど前にあこがれたゴールドカラーです。亜麻色なんだと思います。北アイルランドのリネン織物では、晒と生成の二つが有名で、染めることは少なかったがために生成の色にすごくこだわったのだと思います。その理由も、アイリッシュリネン紡績が終焉を迎えたのもウォーターレッティングができなくなったことが影響しているのではないかと思います。

ブースにお越しいただいたお客様からは、保存液に漬けてあったであろうフランスのアンティークブラウスを見せていただくこともできました。クチャクチャでパフパフなシルクを思わせる感触です。100年以上昔のものということで、リネンのたぶん200番手超えのクラスのものではないかと思いました。非常にきれいなので紡績糸だと思うのですが、感触がよくしわにもなりにくいのです。よいものを見せていただきました。再現してくださいというお言葉をいただいて、「いやあ、これほどのものは糸からしても難しいです。」と正直なお答えです。少量だと糸も見つかるかもしれませんが、織物は縦糸から準備すると2kg、3kgはテストでも必要となってきます。織れるか織れないかわからないものに動きにくいと思います。そんな糸が手に入ればぜひぜひチャレンジしたいですね。

皆さんがコレクションされた世界のよいリネンを触ったり見せていただいたりできるのは、うれしい限りです。そこにはものづくりのヒントがたくさん詰まっています。林与の幻のリネンプロジェクトでは、細い細いリネンにチャレンジしたいと思います。500番手を超えていければと思いますが数年では終わらない旅になりそうです。そんなのが昔のものづくりです。
2011年05月11日
今日は、昨日から準備して朝に東京に到着しました。朝早くに渋谷で待ち合わせしましてメインの2ボディに着せる作品を受け取りました。林与自身がリネンの中でもこれならほかと違うという思い入れのある素材を数点使っていただいたものですので、この5年ほどリネンのランジェリーの世界を取り戻せるようなリネンインナー素材の開発を考えていていつかは形にしたいとおもっていましたものがついに形となりました。

今回は、村田祐樹氏にデザインいただきました。かなりプレッシャーをおかけしたのではと思いつつも、この新分野、新素材のインナーをデザインいただいたこれからの世代の方がおられることもうれしい限りです。最後しっかりと仕上げてこられてこれはと思う出来で、プロトタイプの時から5日間で、相当の改善が積まれ着用時もきれいなフォルムになりました。今のリネンではなかなか出せない上品さをデザインの面でも引き出していただいたと思います。布帛でのリネンインナーの開発は形をきれいにしすぎると着るのが難しくなってしまうのですがその部分もクリアできています。最初に私の会社で昔企画したたたき台を参考にお見せして、シンプルで上品なものを作ってもらいたいと考えていただき、比較すると、よい感じだと思っていたもとのたたき台が子供っぽく見えたのでよいのです。

今年は、ジャパンクリエーションSSというタイトルではなくなり、東京ビッグサイトから会場が狭くなったのでお客様の反応はどうなのか心配していたのですが、すこし雨が降っていたにもかかわらず、昼前くらいからあふれんばかりの感じです。これは、場所が東京ビッグサイトからアパレルさんからアクセスしやすい南青山に変わったことも大きく影響していると思います。また、会場内の雰囲気もそれぞれのブースが構えていない感じで入りやすくなったのではないでしょうか。終日たくさんの方がブースにはお越しくださいました。

JETROの国を挙げての支援もいただいて、中国アパレルのバイヤーさんとのマッチングにも参加させていただきました。6社のうち若いゾーンのブランドさんとユニフォーム関連を除いた4社さんは、リネンや麻というアイテムを手がけておられるので話も弾みました。各社の代表の方、デザイナーさん含めお会いさせていただいて、みなさん余裕がある感じで、繊維が花形産業だった30年昔の日本のアパレル業界を彷彿させます。

日本にすでに進出されているブランドさんも含まれていますので日本語も上手な方が多く、意思疎通の面ではなんら壁はありませんし、各社の代表の皆さんが、中国に来たときには時間をとるのでぜひ会社に来てくださいとおっしゃってくださり器量の大きさを感じます。商売というのは人間関係を作るところからだなあと感じます。初対面でしたが、どちらの中国アパレルの皆様ともリラックスしたムードのなか冗談も交えて話をさせていただき、いつかお取引の機会が生まれるのではないかと感じます。
2011年05月10日
今朝、レンタカーを借りにいく途中で、豊郷の伊藤忠兵衛旧宅を拝見しました。近江の旧宅らしい建物で仏間などもあって普通の広い昔の家という印象です。当時は社員たちが生活をして近江商人としての修行をする場でもあったということで、大きな釜戸がありました。裏庭には、蔵が3つ建っていて中には西洋から取り寄せたテーブルウェアがしまわれています。

私の場合、コレクションされた西洋のテーブルウェアとは裏腹に、浴室を除く建物は古いままで、非常に古い価値観を重んじながら暮らしておられたのだなあと感じました。しかしながら、2代目の伊藤忠兵衛氏の写真をみますと、ハンサムボーイという印象で、このような家に住んでいるような人には思えません。

今日は、レンタカーに荷物などを積み込み夜中に出発して東京に向かいました。東京は雨、明日からの展示会へのお客様にとって足元の悪いのが心配です。
2011年05月09日
今日は午前中から午後に掛けて彦根の組合で、夕方は大阪でお客様とのミーティング、そのあと閉店間際だったのですが、なんば高島屋さんで藍染作家の梅崎由起子さんをはじめとするクリエイターの作品を集めたグッズコナーを拝見しました。リネンが藍色に染まっているのをみて優しい色に染まるものなのだなあと思います。懐かしい感じの色味です。ストールは林与のタグもつけていただいてましてすぐにわかりました。大阪高島屋さん1階のグッズショックプレイスで明日10日までです。

リネンを藍に染めたいなあと思って、野洲の紺九の森さんにお尋ねしたこともありました。お話を聞いていても量産は難しいのを感じ断念しました。一点ものなら何度も何度も染め重ねてよい色が出るのではないかと思います。リネンは染まりにくいだけに、本藍で染めるというのはいずれにせよ濃く染めようとすると贅沢な世界になると思います。
2011年05月08日
愛知川の川原にトキが飛来しているという話を聞きました。かなり昔に絶滅した日本産なのだろうかと思って話を聞いていると、トキセンターで放鳥した鳥が愛知川に来ているとか、そういえば、近くを流れるあんこ川でも、2年とか前に頭が赤くて鶴みたいな大型の鳥が魚を探しているのをみました。

かつてはどこにでもいたトキという鳥が、日本中から姿を消したのは、自然環境の変化のためだといえます。今は、スズメですらも以前のようには生活していません。ダムの整備と農地の改良が自然環境に大きく影響したといえます。川に魚がいないし、いる魚も放流するらしく、流しそうめんみたいで味気ない世界です。商売としたらそれで大丈夫みたいですが川が完全に死んでしまっているのを感じます。

地場産業もトキの運命と似たようなところがある気がします。海外から入ってくるもので代用されても消費者の方には迷惑すらかからないのですが、完全に置き換えられてしまうと何かひとつ大きな価値観がそこで消えてしまうと思うのです。トキが自由に飛びまわれるような自然環境が戻ればよいのにと思いつつ、地場産業を取り巻く環境も昔の自然に近い形に戻ってもらえたらなあと思います。

今日は、お休みだったので倉庫に行きまして昔の手績糸を撮影したり、なんか500キロくらいはありそうでした。横糸に使うのでしょうか強撚と書いた染めたいともありました。100番と書かれた糸に撚りを掛けたもののようですがすごく細いので、今の麻番の100番手に相当するのではないかと思います。

夜には、会社で近江上布の見本切を本にしたいなあと思って、スキャナーで撮ったりしました。適当な取り込みではありますが、よい感じで近江上布絣をデータに落とせています。絵葉書とかにすると、近江湖東産地や彦根、そして滋賀、京都、大阪の夏を飾った文様として、また、日本の夏の和柄を偲ぶことのできるものになると思います。
2011年05月07日
今日は、朝から家に飾ってある昔の賞状を撮影しました。外は曇り空で、撮影にはよい感じです。撮影した写真は、「昔の賞状」というページにアップしましたのでご覧くださいませ。組合の展示会や、近江商人が立ち上げた商社さん春夏の展覧会で初代の林与次右衛門は高い評価をいただいていたのが伝わってきます。

賞状の紙だけを撮影しようかと思ったのですが、額も雰囲気があったのでそのまま撮影しました。これらの賞状は、たぶん、70年近く家に飾り続けられているもので、昔は京都や大阪のお客様が見えられたときにはデイと呼ばれるこの部屋が商談の場だったのだと言えます。

これらの賞状をいただいたような和装業界が賑わいを見せた日本にとっては繁栄の時代の後、戦争が始まり、近江上布をはじめとする麻織物はぜいたく品として製造を禁止されました。豊かになり過ぎた日本が数年の間に何もかも失い、日本の和装業界も洋装への転換を迫られたのでした。麻織物の禁止が解かれたのが昭和25年だと聞いています。日本の麻の文化であった本麻と呼ばれる世界は戦争で縮小したのですが、北海道などで栽培されたリネンは軍事用途だったので、それほど繊維長を必要とするものではなかったと思うので、想像ですが、今、北海道で栽培が再開され始めているようなリネンシードを取れるようなタイプのフラックスだったのではないでしょうか。

大正15年にいただいた賞状の額を外したときに額と柱の挟んである紙が落ちたと思っていたのですが、それは、私が子供のころに作って遊んだ紙飛行機です。それが30年近くその賞状の裏に止まっていたままになっていたのです。ホコリで真っ黒なので、ゴミ箱に捨てましたが、なんかもったいないので、ゴミ箱から取り戻して賞状の裏に戻しました。
2011年05月06日
今日は朝一番で加工工場に行きました。残念ながらお休みでしてゴールデンウィーク明けは納期の心配から始まりそうです。午後からはお客様が見えられ、ご無沙汰しておりましたので、近況などのご報告をいたしました。

午後は、母の日向けのリネンストールの発送を済ませました。母の日向けに、リネンハンカチを作りたかったのですが、相変わらずのバタバタの毎日で、林与のリネンハンカチの発売は展示会後になりそうです。

現在、林与ロゴの入ったシャツやパジャマ関連の製品の発売の予定も検討を始め、社内でプロトタイプの開発も始めました。海外からリネンの糸も届いたので、連休明けには染めの進行をしないといけないのですが、連休明けにはプレミアムテキスタイルジャパンがあって、その後、スワッチ送付などの作業のあとでの試織りになりそうです。

明日はまた休みの会社さんがほとんどですので、週明けが忙しくなりそうでちょっと心配です。hayashiyo.comのサイトは、東京での展示会の関係で、11日、12日、13日は、発送業務が行えません。お急ぎの方は、10日の午前中までにご注文いただけますとありがたく思います。関係ないですが、5月14日は、林与の44年生まれで、たぶん42歳の誕生日です。

最近考えているのが、チーム作りです。生地を開発するだけでなく、製品までをトータルにコーディネイトするのに、仕事ではなく仲間意識で動けるような仲間を探しています。糸へん関連の皆様で、愚直に商品開発などに没頭されています、糸、染、織、加工、縫製、企画の方など、日ごろは産地ベースでのものづくりをしてはおりますが、世界に対してのプレゼンを行うための日本というスコープでものづくりを考える林与を中心としたチームを作り上げたいと思っています。
2011年05月05日
今日は、朝早くに東京からお客様でした。展示会に向けてリネンの薄地の素材を、ある用途向けの素材として提案できないものかと考えています。その試作品を作って東京から持ち込んでもらいました。

滋賀県は始めてこられるということで、近江のものづくりというものを感じていただこうと、近江商人のゆかりの地を見学いただいて、お土産に、本を3冊プレゼントしました。途中、長浜からDENさんが生地を買いにこられましたので、生地を準備している間、服を作るというテーマで盛り上がられていたようです。

デザイン室で、DENさんがこられて140番手のアイリッシュリネンのハンカチを作った生地の反物を眺めておられ、インナー素材に使っている100番手の生地との比較をされていました。70点くらいのところにまできているのですが違いはわかります。

工場や倉庫などの生地をみてもらって時間が少し空いていたので京都ででもコーヒーを飲みましょうかいいますと、もう一度倉庫の生地を見たいといわれて時間いっぱいまで倉庫の生地を見てもらって、東京のお客さんを京都駅まで高速道路でお送りしようと思ったのですが、さすがにゴールデンウィーク、高速道路は渋滞で間に合わないと判断しまして途中近くの駅で電車に飛び乗っていただきました。

ここ数日お客さんが多かったので観光地などを眺める機会も多く、地域の魅力とは何なのかを考えたりしました、これは突き詰めていけば、日本の魅力とは何なのかにつながります。結局、その地域や国にいる人の魅力ではないかと思います。
2011年05月04日
今日は、午後一番でにお客様がお越しくださり、3時過ぎから先日同窓会でお会いしました中学時代の同級生がきてくださり、寝具関連でのリネンの用途など提案させていただきました。近江湖東の産地は、愛知川方面では服地、能登川方面では座布団の流れを持ち、それとは別に寝具関連を軸とした産業もあり、その同級生のかたも寝具製造で布団カバーなどを中心に企画販売されています。

通常は、綿の生地を布団カバーにされているということで、日ごろ扱っておられる商品なども見せていただきました。コラボで企画していく場合、ベーシックかつシンプルなものからスタートするのがよいのではないかと思います。地元でのつながりを大事に仕事をされているということでブランド化などの事業も検討されているようで何事も前向きに考えていくことで自ずと道は開けてくると思います。

その後、お隣のおじさんが来てくださいまして、隣近所での旅行の計画や案内に関して1時間ほど検討しました。ご近所さんの旅行も私自身は15年振りくらいになるのではないかと思います。そういう旅行もご近所さんの子供さんに参加してもらって楽しんでもらうのを目的にするのが一番よいのではないかと思います。
2011年05月03日
朝は、出荷を準備したりして、お昼頃には彦根で買い物に行く途中、旧豊郷小学校の前を通るとたくさんの車が止まっていて、若い人たちの観光や記念撮影のスポットとなっているみたいです。先月、「けいおん」の話を聞いていたので、それがどんなブームなのか分かってませんでしたので中に立ち寄ってみました。当時の丸紅の専務が私財の半分以上を投げ打って昭和12年に立てられたものですが、本当に立派な小学校だなあと再認識しました。設計云々よりも、それを建てるにいたった経緯や実際に使われて年季を増したことが建物の大きな魅力だと思います。近江商人の美徳からなる建物です。私も小さな頃からその話はたびたび聞いてまいりました。

彦根から買える途中、簡単な英文の翻訳の頼まれごとがあって一箇所立ち寄ってお手伝いしました。すぐに、海外の方からも返答が来たようで少しは前に進んだようです。海外のことですので販売する相手が信用できるのかできないのかの判断は、ものが売れる売れないということよりも大事だというのはいろいろな方から同じ話を聞きます。

夕方には、近江八幡で中学時代の同窓会がありました。半数以上の方が参加されていて、私自身は、27年ぶりということで顔と名前が合わないかたも多かったです。40も過ぎるとみんな大人の雰囲気で落ち着いているのかと思いましたが、面白かった子は面白いままでそのままでした。

最近は仕事関連ばかりに時間を使っているので、数時間のことではありましたが久しぶりに昔の友達との時間を過ごしました。11組と小さく書かれたネームプレートを渡されて、11番テーブルかと思ってたら、3年のときに11組だったというのに後で気がつきました。
2011年05月02日
今日は、朝から布で「林与」のロゴを作りました。ギャラリーボックス用の看板で、縦が50cmX横が75cmのものです。生成の布を「林与」の形に切り抜いて、バックはインディゴデニムを使いました。すごくかっこよいのができあがり大満足で、夕方6時半に彦根に行きましたがもう閉店で残念な状態でした。

ソファーで落胆していると、今日の集計をされるためにでしょうか女性の方が鍵を持って、ドアを開けられたので、ボックスの中を10分ほどでよいので飾りたいと頼むとどうぞということで飾らせてもらいました。良い感じです。

女性の方は、麻関連の関係の会社で以前事務のお仕事をされていたということで、「林与」の名前も知ってくださっていました。作業を終わるまで待ってくださっていて、本当に助かりました。

夜に、倉庫に行って、リネンの反物を探していました。サブロクの織機で織った生地が出てきました。グリーン味のあるゴールドな生地で、もしやと思ったのですが、やはりリネンでした。これって140番手から160番手からクラスではないのかなあと思います。非常にしなやかで、本当にきれいです。検査機関の調査に出して素材確認してみようと思います。ハリウッドスターがアワードで着るようなシースルーな感じのドレスが作れるのではないかと思います。
2011年05月01日
朝、新しいプリンタが届いて早速セットして試し刷りです。両面印刷などの機能も付いているということで試してみると器用に印刷してくれます。なんとなく、刷り上がりがビジネス機に近い感じです。インクジェットではありますがA3でのカラーコピーもできるので、いざというときには便利かもしれません。

最近の家電製品、本当に心配なのは長く使えるかなのです。最近の電化製品は寿命が短く、1年以内に故障する確立も高くなっていて、保証期間中に壊れる機械は修理してもすぐにまた壊れ、結局大きなゴミになりそうです。

事務所の応接室の片隅に、2年前のジャパンクリエーションでお披露目したリネン125番手のギンガムストールがあります。不思議ではありますが、そのときは作ることができても、今は作ることがなかなか難しいのです。今、触っても良い感じなのです。リネン100番手と125番手の違いを微妙に感じることが出来てよいかもしれません。微妙な違いであっても、100番手と125番手では糸の価値はかなり違ってきます。

125番手のギンガムストールをそのときは作ることができて、今は作ることが出来ないのは、作品として一つ作り上げた満足感からでしょうか。今日、見つけて懐かしいながらも、今見ても良い感じだなあと思ったので、ネット販売用に作ってみようかなあと思いました。展示会などでは、いろんなアパレル様向けにも好評なアイテムだっただけに気に入ってもらえると思います。
2011年04月30日
4月も今日で終わりで通常ならバタバタの月末なのですが、連休中ということもあって月末を感じません。今日、コメリというDIY型の資材関係を取り扱うお店に行きました。ゴールデンウィークというのは兼業農家にとっては休みではなく、総出で仕事をするタイミングです。そのことがあって、日ごろがらがらのお店の駐車場にたくさんの車が朝から止まっていました。

近江湖東では機をもって嫁いだといわれるほど機織というのは、農業が夏の仕事なら機織は冬の仕事だったのです。兼業農家のみなさんが各自の田んぼを守っておられるものの、農家のみなさんが機織を続けるというのは想像もできないところだと思います。機織をされる方が少なくなった理由も難しくはなく、物流が進み、一般的なものを買うほうが安くなった時代に自分でものを作ることがどこまで意味があるのかということだと思います。

兼業農家の方も、60歳も後半から70歳以上の方が田んぼを守られていて、自分で作ったお米を自分が食べるというところの大きな意味を感じておられるから続いているのだと思います。近江牛、近江米、近江上布などが’近江’の冠を持つ近江の特産品大事扱いされてきたのですが、これらはどこの県にでもある農業のアイテムなのです。玉ガセなんて、’笠地蔵’にでてくるような農家がつくる農産物で、紡績という技術が確立されるまでは当たり前に日本中の農家の多くで内職的に行われていた作業だったと想像されます。江戸時代以前は、日本中の着物を支えるのがすべて手作業の時代だったのです。

このことは、電気という発明が世界のすべてを変えたといえます。夜に昼と同じ生活が出来るようになったのも電気のおかげです。明かりを取る蝋燭や暖をとる囲炉裏、火鉢などが貴重品として扱われていた時代に終わりを告げさせたのです。今は手間だと思うことが当たり前の作業だった時代で、日本人も火を炊いてご飯を炊いたり、お風呂を沸かしていたのです。そういうスタイルが時代遅れでかっこ悪いなあと思うのが過ぎ去って、贅沢だなあと思える時代になったのではないでしょうか。

今の時代、自然の恵みはありづつけ秋には柿などもたくさん実をつけますが、こんな田舎でもそれを採って食べる人々がいなくなりました。誰も管理していない工場の柿の木ですが、おじいさんの頃には、この柿の実も非常に重要な食料であったと思います。甘い柿だけでなく、渋柿も干し柿用に植えてあり、お茶や梅も植えてあるのです。小さな頃には、梅干をつくったり、干し柿をつくったり、夏の前に茶摘もしていたのを覚えていて、その作業というのはわが家では農業と機織とともに江戸時代以前からも何百年も続いていた作業だったのでしょうが私にとっては子供の頃のおぼろげな記憶の世界のものになりつつあります。

そういうのって、本物の味を知るためには大事だったりすると思います。梅干なんて塩漬けのようにしょっぱいので体に良いか悪いのか分かりませんが、あれは、本物の味だと思います。昔、家の蔵からその当時でも何十年前のものかもしれませんが、ムカデの大きいのを油か酒につけて薬にしたものや、たぶんマムシをお酒に浸けたものなどありました。昔の人がそれを本当に飲んだのかどうかは分からないのですが、そういう珍しいものが取れたときにはいろいろな知恵のある人に教えてもらって形にしたのだと思います。そういうのを残してもらった次の世代は処分するのにも困ったのですが、昔というのは自然との付き合いこそが人生だったんだろうなあと感じるところです。買うということよりも作るということを大事にした時代だったと思います。
2011年04月29日
今日は、ゴールデンウィーク最初の日です。夕方くらいまでは仕事の残っていたことを処理していました。5月からボックスギャラリーを借りるので、その中に何を置こうかなあと考えてました。

夕方は、長浜のDENさんにリネンの細番手の白い布を持って行きました。ファンド事業で製品を作っていただこうと考えているので、どんな形の洋服ができるのかなど見せていただきました。得意のものを作ってもらいたいなあと思っているのですが、こちらがどんな洋服を作りたいのかを聞いてくださいます。店内にある素敵だなあと目に留まったものをピックアップさせていただきました。

CADを入れられたということを聞いていたので、CADが印刷するところなどを見せていただきました。CADのプログラムが動いているところも見せてもらいましたが、データをつくるのが大変そうです。人間の力を助けるための道具なので洋服の型紙を作る力がなければCADは使いこなせないものだということ。CADのメーカーの方からは、北山さんはCADを入れられたお客さんのなかで最高齢といわれたそうです。

当初は別の場所で、長浜商工会の助成事業として立ち上がったプロジェクトで、SEVEN SEEDSという名前で立ち上がったお店です。お店の名前の由来を聞いたときに、林与もその種の一つであることを知って、すごくありがたく思ったのを今も覚えています。

今も、お店には林与の生地を使った近江の本麻手もみを使った洋服などがたくさん並んでいますので、ぜひお立ち寄りくださいませ。お問い合わせいただくと林与の特別な生地を使ったものも置かれていたりしますので、ご予約などお急ぎくださいませな状況のようです。今日は、昨年のお正月ぶりくらいに突然お邪魔しましたが、北山さんはじめスタッフの皆さんが暖かく迎えてくださいました。時代は移れども、常に変わらぬ価値観こそが大事だなあと思います。
2011年04月28日
3年前の3月2日に先代がなくなりました。病院から家に戻り最初にするべきことは、お葬式の段取りではなく、今受けてある仕事を段取りしておくことで、織機についている反物を下ろして、まだ明るい夕方6時前に加工工場さんに行って、先代が亡くなったことのご報告と反物の加工をよろしくお願いしますということでした。その夜は納期の迫っている急ぎのものが動くように手配いたしました。

これは、私が感覚がズレている訳ではなく、先代の意思を引き継いだものと考えております。先代も先先代の死去に伴い代を継いだときに、最初に考えたのが自分の父親の死という悲しさよりも、働いてもらっている親戚一同の人生をどうやって支えていくのかという問題だったと何度か私に語りました。仕事のことを考えているのは一人だけだとういうのも酷ではありますが強くなければ次の何十年を乗り越えられないという最初の覚悟のタイミングではないかと思います。

また、そういう場所ではいろいろなことが見えてくるのです。先代が信じていた方というのは一貫してそのあとも力となってくださり変わりない関係でありますし、そうでないかたとはご縁は遠くなるものです。その場の損得で勘定をしていては駄目、また、その場の感情で決断をしては駄目で、長い目でみて成り立つような方向性を探さないといけないのです。一時の利害や感情が決断に出てしまうのは駄目で、企業が社会で存続するための先人の経験や知恵を生かすのも一つの方法かとも思います。

先日、「たねや」さんの店頭で、「商いはたねやに訊け」という本をちょこっとだけ読んで、訊くまでもない当たり前のことばかりが書いてあるのです。そんな当たり前のことが現代ではバイブルのように考えられるのも本質というものは何かということだと思います。なんか、親父の当たり前の説教をきいているようで、当たり前のこというなよみたいな話なのですが、一時の損得が一番の優先順位になっている今の社会では、そんなのが新鮮に感じ、それをやるのが難しい時代なのをすごく感じます。

先代の林與志郎も、同じ年に生まれて八幡商業高校で山本徳次氏と出会い、老舗の家系として同じ悩みを抱えていたと思います。二人して両方の厳格な近江商人気質の先代をもち同じ写真部で意気投合して、明け方たねやのお菓子で腹ごしらえして帰ってきたような贅沢な話も聞いており、林与の先代も思い出の多い高校時代をすごさせていただきました。

高校時代に、今のたねやさんの工場の用地に目をつけたときに一緒に購入しようと、先代が山本徳次氏から持ちかけられた話など聞くと、すごい方というのは若いときからすごいなあと思います。林与の先代も親父に相談したのですが国道沿いですが当時何もないところだったので買えなかったそうです。でも、そこで大きな織物工場にしていたらもしかすると今はもう麻織物は続いていないかも知れません。林与の先先代の判断というのも、また適切であったのかとも思います。
2011年04月27日
ものづくりするときに、材料や工程をどうするかがすごく大事に思います。その辺りが職人の気質です。アイデアというのは、材料グレードを落とすとか工程を減らすとか、本来の職人の気質とは逆の方向に動くことも多いのです。自分の中で工程を複雑に変えるアイデアは実行しやすいですが、工場の中の何十年のベテラン職人ですらもがなかなか面倒がってしまう悪い癖があるので、外部の人にそれを頼むのは今の時代本当に難しいことです。

微妙な違いがどんどんと見えなくなって来ます。作り手が良し悪しを区別できなくなってしまうと安いものほどよく売れて良いという価値観になってきます。ビンテージアイリッシュリネンのストールと、現行の糸で織ったストールとの微妙な違いあるのですが、その価値の差は非常に大きく感じます。

需要がなければというより、買い手が見つからなければ手を出さないというスタイルの商いはリスクは無いのですが、買い手が見つかって手を出してもらったとしても買い手や作り手のほうが困ることが多いのです。日ごろから全体での商品開発が流れていてその流れの中で新しい商品を作り上げていくようなスタイルこそが品質を保つ上では大事ではないかと思います。

今の時代というのは縦のラインがなくなり少しでも安いところを探してつくるのが主流になってきたといえます。それとは別の発想で品質重視でのライン形成を行い、より高いものを生み出すのも、本来のものづくりの基本ではないでしょうか。国際的な展示会に行くと普通の生地であっても、円高もあって同じリネン生地が1mあたりの価格が10倍以上も違うような価格のギャップを乗り越えないといけません。

展示会などに行きましても、ボタン一つ注文しようとすると、セールス専門の方が販売されているので質問すると工場の担当者に問い合わせるというようなケースがほとんどです。ボタンの場合には、ボタンの材質を訊いて、会場で、販売の担当者が頼りなく上司に確認して本物の貝ボタンだと説明を受けましたが天然物には見えんなあと思っていましたが、サンプルを送ってきたときには高品位なポリエステルボタンを製造するのが売りの会社だという話になっていました。貝でもポリエステルでもボタンなんてどっちでも変わらないんだからみたいな。デザイナーさんはデザイナーさんで単独、作る人は作る人で分かれて、販売する人は販売する人、経営者は経営者みたいな。それってお客さんよりも売ってる人のほうが売っているもののことほとんど知らないみたいな状態で、ものが生まれてきているのです。

10数年昔働いた大きな半導体工場で基盤を安定させるために焼くベーキングという作業があったのですが、そのベーキング作業は基盤を安定させるものだとみんなが信じ込んでいるのです。基盤が、すごくすごく薄い場合、同じ時間ベーキングすると基盤が収縮して変形してしまうのです。パン屋さんならベーキングの加減を時間や温度で調節する職人がいないと駄目なのでしょうが、半導体工場ではそのことに気がつく人すらおらず、同じ時間ベーキングするというのが規則になってしまっていました。型番が違っても同時にベーキングされるので、作業員がその品番だけベーキングの時間を調整することなどできず(これはやると収拾が付かなくなるので上のほうがそのことに気がついて作業工程を分離しないと駄目なのです)、その工程の不良率の改善に目を向けられることはありませんでした。
また、自分の部署での改善というのは自分に負担が掛かるので、問題が起こっても自分の部署では工程を変えてまで問題の解決をしたがらないものです。

これは、織物の世界でもいえることかもしれないなあと感じます。改善する方法があっても、手間が掛かるので変えたがらない、結局、普通のものが流れているのと同じ工程でしかものづくりができないので、特殊なものを作ろうとすれば度重なるテストや職人的な技術が毎回必要なのですがアイデアはあってもそれが実現できるかどうかは別問題で、昔の糸、染、織、加工などの技術を再現しようとしても今の時代では難しいのを感じます。でも、逆にそんな時代だからこそ、職人的な人的要素を駆使すれば、普通よりも努力するだけで違う顔のものが作れるという、努力が報われるような時代になってきたのかもしれません。
2011年04月26日
今日は午前中、四番町スクエアのボックスギャラリーで、ボックスの契約ならびに利用料の支払いを行いました。開店10分前のときだったので、職員さんが掃除をされていました。厳しく、いろんなところを3人の方がチェックされながら掃除されていたのですばらしいなあと思います。

今日は、彦根城側からでなく、銀座側の駐車場からボックスギャラリーに行きました。四番町スクエアに行くにはこちらからのほうが便利な気がします。魚屋さん横を通るとすぐに、建物に囲まれた中庭みたいな部分に出て、ダイニングと呼ばれる建物の階段が目に入ります。

他の部分は普通の建物な感じですが、木製デッキがあるのとないのでは大違いなのです。その木製の階段は公園の一部のような感じで上ってみたくなるような気がすると思います。2Fにあるメインのお店は、昔は滋賀県の地場産品を集めたようなお土産屋さんだったのですが、いまはキャラクターグッズを集めたお店に変わりました。

地場産品を集めた売り場というのはコンセプトは良くても在庫管理などの面で維持がしにくいのだと思います。一個一個の出荷対応などをしていると小売と同じだけのコストが掛かるので小売での販売対応というのは難しくなります。今の時代というのは、お店も在庫を持たないリスク回避の時代になってきていますので、問屋さんの存在の意味が変わり、卸売りという概念もなくなりつつあります。

帰ってからは、アパレルさん向けの昨日の出荷のデリバリーの問い合わせ対応などしました。工場というのは北海道や東北、九州であったりすることが多いのです。このことはそういう場所には、昔ながらのものづくりできる人材があるということを意味していると思います。
2011年04月25日
今日は朝早くから大阪に行き輸入関係の必要書類を届けに行って、昼前に戻ってまいりました。帰ってから、プレミアムテキスタイルジャパンで行われます海外バイヤーさんとのマッチングの申し込み書類を書いたりしていました。前回の2011AWではヨーロッパバイヤーさんとのマッチングで、今回は中国バイヤーさんとのマッチングです。自分でのものづくりをPRすることに重点を置けばお出会いしてお話するのは楽しいものです。

一般的なものが自然に流れている国ほど生産面での余力があって、その余力を研究や良いものを作るのに回せるので高級なものも作りやすいのではないかと思います。新技術ということに関して、高品質でありながらも高くなりがちな地場産品を低コストで量産できるようにするような手法を考えコストダウンを目指すような生き残り路線もあるのですが、その方向性というのは、ひたすら、海外で生産されるものに近づいていくと思います。そしてその技法もすぐに海外で適用されて、大量の商品が国内に流れると地場産業というのは残りえませんというよりも、その作られるものすらの価値も大幅に落としてしまうことになります。地場産品ではありませんがパソコンなんかがその例で、パソコンはお金を払わなくてももらえるものみたいな感覚になってしまいまいました。

作りあがるもの自体よりも手間隙掛かるその製造工程にどれだけ価値を見出せるかが大事で消費者の方にそれを理解してもらおうとするなら、生産者自身が手間隙掛かる部分に価値を感じないといけないと思います。そういうのをたどっていくと、自分自身がものをつくるということの意味にすらたどり着くものと思います。続くということは守られてきたものがあってそれを直向に作り続けておられる部分への評価でないといけないと思うのです。

また、そういう考え方と共通するかと思うのですが、私自身個人的には、長浜や彦根の昔風に造られ観光地化された街並みは俗っぽくてあまり好きではないのです。中山道の高宮の宿のようにたたずまいだけ残している本物が何倍も好きだったりです。高宮の宿は車も行き来が難しいですが、リビルトしないで守り続けてもらいたいです。

ものづくりしている人間に共通するのは、買ったほうが安いのですが買わないで自分で作ってみたりすることが非常に大事だという感覚だと思います。林与自身の名刺も、結局10年以上くらいパソコンで自作のままで使い続けていますが、そんなのにしても自分で作ったところに意味を感じています。自分でデザインして出来上がったイメージというのは自分自身が満足しているので自分のスタイルとして揺らぐものではなく、使い続ければ変える必要も感じません。名刺も、業者さんに頼めば一枚10円から20円で作れても、手作りすると実際のコストは逆に高くなっていると思います。
2011年04月24日
今日は、夕方出荷を終えてから彦根に向かいました。東京や海外での展示会でのPRをしているものの、地元でもPRするべきではないかと思ったのです。地元の人が近江の麻織物の文化というものをご存じないことが多いからです。

小雨の降る中、おみやげ物屋さんや、地場産品をおいてあるお店を眺めても地場の布というのはほとんど見当たりません。京都ではあれほど布があるのに、彦根藩の特産品であった麻布が、もう彦根では特産品として扱われていないというのが不思議です。

雨も降って肌寒いせいでしょうか、週末にも関わらず夕方の人通りというのはまばらです。四番町スクエアにある四番町ダイニングの2Fにハンドメイド方が出展されているボックスギャラリーというのがあります。

場所が空いていたので、そこの一つを半年借りることにしました。ものを売るのが目的ではなくて、地場でものづくりをしているのを地元の方にPRしたいなあと思いました。地場を盛り上げるための主旨のところに空きができているというのにも微力ではありますが地域に貢献できると思いました。

「被災地のためになにかできることがないのか」とずっと思っている部分と頭で結びついて、そこに、リネン小物を置きまして、売り上げからそこのボックスギャラリーさんの販売経費15%を除いた残りの85%を被災地の方のためにお送りするような計画です。半年のボックス使用料などは弊社で負担いたします。できる範囲内で商品など置かして頂いて、被災地の復興のお役に立てればと思います。
2011年04月23日
今日は、昨年度JETROでアドバイザーをされていた農守氏が弊社にお越しくださいました。以前から一度弊社にお立ち寄りくださいとお願いしていましたところ、それが実現いたしました。伊藤忠時代に合成繊維を主体とした糸の販売を行われており、イラン、イタリア、アメリカのお話を聞かせていただきました。戦後の日本の高度成長期を支えてこられた私からすると一世代昔の方に共通する力を感じます。

お話を聞いていても、その時代を生きてこられたかたのお話というのは仕事をがんばれば最後には大きな花が咲くようなサクセスストーリをお聞きできるのです。今の時代となると、企画前から損得の勘定をして、すぐに結果を求められる時代なのでサクセスストーリまでは結びつきにくいというのが本当のところではないでしょうか。

市場がまったくない新商品を提案する場合など、お客さまに商品を理解していただくところからスタートしなければならず、織物という素材であるなら、お客さま自身がそれを使って新しい商品を作られないと最終の消費者の皆様には新しい商品として届かないのです。

小さな仕事が大きな仕事になりそしてそれがまた小さくなるというのが、5年とか10年という時間を掛けてものを作っていくスタイルで、そういうのを並行していくつも手がける中で仕事は動いていきます。10とか20とか試作して、2つ、3つ形になりオリジナルの商品として残ればよいというのがものづくりの現場です。

林与もオリジナルのリネンストールなどを展示会などでも、提案し手がけておりますが、それはそれで日本製のリネンストールの一つの形として残せるような商品ではないかと自負しております。キバタでお買い上げいただくシリーズも、非常に好評はいただいておりますが、製品版のストールにしましても、本格的な仕上げにこだわっておりますので十二分な高級感を味わっていただけるものと思います。

ものづくりなんていうのは、考え方一つで広がったり狭まったりするので、考え方が一番大事だと思います。ものづくりというのは、やればやるほどお金が入ってくるのではなく、やればやるほどお金が出て行くものです。いろいろな経営者の方とお話しする機会が多いのですが、経営者の皆様というのはそれぞれに考え方が異なるものです。
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