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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2011年03月11日
今日は、午前中に彦根の組合で決算のための打ち合わせを会計士の先生を交えまして行いました。午後3時前に地震でした、震度3くらいということですが彦根商工会議所の建物は、感覚的には1分近く長くゆれていました。午後の4時過ぎくらいまで作業をしておりました。

会社に帰る途中で、東京から会社にお電話をいただいただき、携帯電話で掛けなおしたのですが、固定電話も携帯も回線がパンクしてつながらない状態になっていました。東京方面の通信というライフラインというものがキャパを完全にオーバーしてしまっているようですが、私の周辺では普通に仕事や生活が出来ているだけ幸せなので、平常を取り戻していだたくことが大事と思い、こんなときには、数回掛けて駄目なら逆に自分の電話を我慢することも必要かと思います。

海外からも、日本の地震のニュースが世界を駆け巡ったのか、リネンの紡績会社の方が心配して大丈夫だったかメールをいただきました。夜、津波などの被害をみて、やはり大きな地震だったのだなあと実感しています。こういう地震の被害で人がなくなられる痛ましさを感じる時に、人間が戦争などで同様の災害を生み出す空しさを感じます。
2011年03月10日
今日は、午後から30分ほど測量関係の立会いを行いました。夜には出機さんにビームを持っていって、加工に出さないといけない反物を取りに行きました。まだ、畳めてないということで、畳の機械で畳み始めているところにおばちゃんが帰ってこられて畳の作業をみんなで行いました。

そのあと、少し足りなくなったラミー100番の黒の糸探しをおこないました。ちょうど必要な分だけ糸が見つかってほっとしました。今日は、また、新しいキッチンタオルが出来上がりました。よい感じです。


2011年03月09日
今日は新しいリネンの加工方法をテストしてみました。この加工方法がうまくいくと面白いものができるのではないかと楽しみにしています。加工後上がったものをみて、予想していたのとは違う仕上がりですが、それはそれでなんとなく良い感じです。

応用範囲が広いのではないかと期待をしており、オーガニックリネンなどにアプライするとナチュラルな仕上げ以外の味が生まれて良いのではないかと考えています。市販のものとちょっと違うところに自己満足です。
2011年03月08日
今日は、午前中、生地に年輪のような段がでる問題が起こりましたので、それを検反しておりました。この問題の原因は染めにあるのは分かっているので、染工場に対応してもらう以外にはベストな方法がありません。

昨日、後染め素材が染めから上がってきまして加工工場に入りましたので、加工指図を求められ加工工場に伺いました。林与の指図は加工方法がややこしかったりしますので、それを今の製造の各工程にはめ込んでいくのが担当の方の仕事です。ベテランの方に支えられながら新しい方ががんばっておられます。

午後からは、カフーツの米田社長とお若い社員の方がお見えくださいました。生地や糸などを見ていただいて、リネンのこと以外にも働くということの意味みたいなところお話からでした。カフーツさんは、お若いスタッフの皆さんにデザインなどの仕事をしっかりと任せておられる感じでうらやましいなあと思います。

帰り際、焼肉屋さんで焼肉を食べながら気になっていたお若い社員の方との関係をお尋ねいたしました。米田社長と従兄弟だそうで、叔父さんと甥のようなご年齢の差があって、ご商売をされているお家で社長のもとご修行3年目だそうです。なんだかそういう辺りが恵まれた日本の中でも、何もなかったところから形にしていった日本人の力みたいな部分が残っていているようでよいなあと思います。
2011年03月06日
今日は自治会の役員改選の選挙があり、評議員で朝から選挙の立会いで、午後からは開票、隣組の組長という役目もあたっていまして、近所のお家にお邪魔しまして寄るにはすき焼きをいただきました。近江牛のすき焼きで、実はレストランで食べる近江牛はボリュームも少なくて普通な感じですが本当においしいのです。

田舎の小さな集落でもいろいろな考えで、昔のものも大事に、今の時代も大事に、将来のことも大事にバランスが大事だと、林与自身は地場産業に携わっていますのでそれを感じます。林与には田んぼがもう持っていませんので農業はしていないのですが、兼業として農業をされている方には畏敬の念を感じます。お金じゃない世界を大事にされているからです。

東円堂の親戚のお家が倉庫の脇をコンバインの倉庫にしていただいているお礼にお米を1袋毎年くださります。(その親戚のおばあさんは林与の家から嫁いだ方で、昔、近江上布の絣を織ってくださっていました。)東円堂の専業農家の方から買うお米もあるのですが、どちらのお米にしても味の違いなど分かりませんというか、考える必要がないのです。自分の食べるお米はこれだと決めてしまって、ほかのお米のことは考える必要がないと思っているからだと思います。

選挙の立会いの途中は、隣は親戚の別のおじさんだったのでいろいろと話をお聞きしました。そのおじさんの親父さんには昔、林与で整経の仕事をしてもらっていたのですが、今は、ご高齢で体の調子がお悪いとのことでお気の毒で、昔のことを尋ねるようなことは出来なくなってしまいました。

私が親戚のおじさんたちとお話しておりましても定年退職されて、小さな字が読めないといわれる方ばかりで、私ももうすぐそんな感じになるのかなあと…。年をとって、よい仕事が出来なくなるというのは気力の面だけでなく、視力や体力の低下などの面が大きく、良い仕事ができるのは40代中ごろまでなのかなあと心配です。
2011年03月04日
染色工場と加工工場に問い合わせました。まだまだ、この春夏ものの本番が動いているときなので、一杯の状態が続いておられるようで待たねばならないこともいた仕方のないところです。午後から組合に行きまして、年度末に向けての決算のための計算を行いました。夕方くらいまでかかったのですが、帰りには、組合事務局であまっていましたテレビビデオとパソコンを預かって帰りました。日本では、まだ、使えるものがゴミの時代です。私自身も、若かりしころなら、パソコンをばらしてパーツを取り出して自分で大事に取っておくとかがんばれたのですが…。林与もがんばりたい気持ちは今もあるのですが、無料回収にでも出すしかありません。

昔の人は、自生している苧や大麻から繊維を取り、績んで糸を作りました。今の日本人の7代、8代前までは、当時は農家がほとんどだったと思うのですが、そういうのがどの家でも内職的に当たり前に行われていたといいます。自分で糸から作ることが出来たのが江戸時代の人々で、今の林与にしましても、作業のごとにたくさんの残糸がゴミとなり捨てるようなことですので、昔の人からすれば、1Mの糸にしてももったいないでとっておいたのだろうから、林与にしましても、もったいないの度合いがまだまだ足りないんだろうなあと感じます。

午後からは、H TOKYOさんからも伊勢丹さんのご案件でお電話いただきました。ちょうど、林与のほうもH TOKYOさんにはお願いしたいことなどありまして、バレンタインまではハンカチ業界はお忙しいといわれていましたのでハンカチの縫製などもお願いしまして春に向けてサイトでも林与の生地で作ったハンカチをいろいろとならべられたらと考えております。スタジオGALAの小林良一氏も、この3月の終わりころに日本橋の三越伊勢丹さんでイベントを開催されるそうで林与のリネン生地を使ったものもシリーズのなかに検討くださっているとの予定です。3月の後半ころは東京コレクションの時期で参加メゾンの皆様のショーをいくつか拝見するほか、リネン教室の上島佳代子先生とリネンチームの皆様とお食事させていただく予定で楽しみにしています。

まだまだ、滋賀県は寒い日が続いていますが、3月の後半だと桜が咲いているのかもと期待をしております。リネンショップなどのお店の店頭もリネンのアイテムに切り替わっているころだと思いますので、日ごろお世話になっているショップさんなどにもお邪魔させていただこうと計画しています。リネンの好きな方はハンドメイド系の方が多いのでお話しさせていただいていても気持ちもほのぼのすることが多いです。私のほうがいつもバタバタしすぎてて、バタバタしながらも毎日毎日ものづくりをしているのではありますが、時間ができたらじっくりと林与らしい布つくりに取り組みたいなあと、そんなときに幸せなのが、自分の会社の中にその力があるということです。

近江湖東の産地を見ていましても、加工工場、染色工場、糊付工場さんなど70歳くらいの社長や会長さんがまだまだ現役で現場で立ち回って動いておられます。技術や知識を持っておられるだけでなく、会社や社員を支える気持ちをもって戦後の波の激しい時代を乗り越えられてこられましたので、社員がいなくても日曜日などに工場にお願いする糸などを届けると一人当たり前に体を動かして働いておられます。職人たちを厳しく指導できるだけの資質はそういうところから生まれてくるのだと思います。
2011年03月03日
今日は、お昼過ぎに神奈川からお客様が起こしになられました。yourwearの佐藤さんです。お電話でお話はしたことがあるものの初めてお会いするので駅で間違わずにお会いできるのか心配でしたが、ニットの帽子とマフラーが目に入ってこの方だとすぐに分かりました。

林与にお越しいただいて、リネンの話や、ニットの話やいろいろで、珍しいものも見せてもらいました。リネン25番手のニットのワンピースを着られていたのです。非常に良い感じのものでした。ほかにも、アルパカのリリアンの糸が太くって面白かったです。リネンでも、そんな糸ができないだろうかと京都のモンドさんにお尋ねくださるとのお言葉でした。昔、リネンモールというものを紡績工場に作ってもらったことがあったのでしたが、良い感じながらも重すぎて活用は難しかったので、リリアンだと軽くてボリュームのあるものができるのか、はたまた、リネンだけに、やっぱり紐状になってそれほどなのか、どういうお答えをいただけるのかは楽しみです。

あと水撚(みずより)のリネンで作ったかばんを持っておられました。水撚というのは、麻の糸というのは、硬いので撚りが入りにくいのです。強い追撚を掛けるためには、水に濡らしながら撚りを掛けていきます。乾式で撚りを掛けるよりも撚は掛けやすくなり、1m辺り番手くらいの撚を掛けることが可能です。撚を掛けると糸にトルクが生まれるので、反発力のあるしわになりにくい布が生まれます。

食事のあと、彦根の縫製工場にお邪魔しました。時間が遅かったので作業を見せていただくことはあまり出来ませんでしたが、林与のリネンで試作していただいている商品が一つあったので、リネンで作ってどんなものになったのか佐藤さんにも見ていただきました。非常に寒い一日だったので、滋賀県というところは寒いでしょうとお尋ねしますと、秋田のご出身なので寒いのにも慣れておられるとのことです。秋田には、織物工場は少ないそうですが、縫製工場はたくさんあるそうです。

佐藤さんがかぶっておられたニットの帽子が非常に良い物っぽくって印象的でした。ニットの帽子、女性の方にお勧めです。暖かく、かわいいだけでなく、若く見えます。日本の秋と冬のブランドyourwearのサイトです http://yourwear.jp/ 。
2011年03月02日
今日は、3月に入っているのに、また、すごく冷え込んでいます。年をとって寒く感じるのかと思って、若い社員に聞いてみて、その子も今日は寒いといっていたので安心しました。

今日は、アンティーク調のキッチンタオルが色柄含めて10種類くらい出来上がり、一枚を縫製して洗ってみます。しっかり1回洗って脱水し外に干して、ナチュラルでザラザラな仕上がりながらも、キバタから目の詰まった状態にしっかりとなってしかも鳥の足跡のような模様が浮き上がっている感じなのは、将来有望を思わせます。案の定、2回目、3回目と洗って、柔軟剤を入れて家庭洗濯に近い状態で洗って、手元にあるものをみるともう市販のものより味があっていい感じです。

これは、自分自身がハンドメイドしたという実感があるので、品物の良し悪しを見るのではなく、自分の作業の良し悪しをみているのだと思います。自分が洗って布を作り上げていくというのも乙なもので、35cm四方の一枚のタオルハンカチがどれほどの力をもっているかは分かりませんがその布を手にしているだけで満足感があります。

たぶん、その布をほかの人がいい感じだとは思わないのに、自分だけがその布のいい感じなのを分かっているということで、優越感に浸っているのだと自己分析してみました。決してそういうのって悪いことじゃなく、それがプライスレスな価値の世界なんだと思います。タオルハンカチとして使ってどう変化していくのかを見守りたい気分です。
2011年03月01日
今日はシャトル織機でタオルハンカチを織って作ってみました。生地はシャトル織りで平織です。大きさは厚い分、普通のハンカチよりも小さく、折りたたんでポケットに放り込んでおくようなタイプです。ビンテージアイリッシュリネンハンカチと同柄をあしらい、予定では20色柄ほど出来上がる予定です。

こちらは、こちらのサイトで近々販売を開始いたします。生機と製品の両方で出せば、木畠をお買い上げいただけるとご自身で、上下を三織にしていただくだけで、タオルハンカチを作っていたけるかと思います。リネンのものとしましては、林与のシャトル織で謳えるだけのものではあると思います。

先日、キッチンタオル生機をハンドメイドされるときのミシンの糸に関してのご質問がありました。林与では、工業用ミシンの本縫ミシンを使っています。糸は、綿の60番ミシン糸です。通常の60番手の糸を3子にZ撚してある普通のミシン糸です。天然にこだわるために綿の糸を使っただけで、それは、ポリエステルの糸のほうが強度は増すと思います。番手も、50番手や30番手でも大丈夫だと思います。

みなさんが、縫い糸にもこだわってくださっており、リネン糸が縫い糸として使えないかというお話はいろいろな方からご相談を受けているのですが、ミシンを使うときにリネン糸は非常に難しいと思います。まずはフシがあること、そして強度の面です。ミシン糸というのは、通常の単糸や双糸と比べると非常に強く作ってあります。

ミシン糸の話になりましたので手芸などに使われます。アイリッシュリネンコードについても触れておきたいと思います。今も、アイリッシュリネンコードを作るメーカーさんはイギリスに現在も結構たくさんありまして、元糸に強い撚りを掛けたものを束ね合わせて逆撚りを掛けるかたちで、綱のようなイメージの糸が出来上がります。これを蜜蝋で固めて出来上がりです。よく、毛糸玉のような形でラッピングされて売られているのを見かけます。

アイリッシュリネンの紡績工場がなくなった後も、糸加工や織工場が残り続けるというのは、材料の代替がなんとかできたからだと思います。オイルショック後というのは、北アイルランドだけでなく、イタリアの名門のリネン紡績にも危機が訪れ、オイルショック後の世界的にものが売れない時代が、ヨーロッパのリネン紡績産業に与えたダメージは大きすぎたといえます。
2011年02月28日
今日は加工工場に加工の準備をしていると、少し前まで受付にいてくださった女性の方が、ニコニコと「お世話になりました、今日で終わりなんです。」と声を掛けてくださいました。ご結婚が決まったようでおめでとうございますということです。林与の車の中になにかお祝いにプレゼントできるようなリネン小物でもないかと探しましたが、なかったので残念です。

加工出しの前に、キバタ倉庫でキバタ生地を探している際に、リネン60番手と書かれた平織りの布がありました。その生地がなぜかシンナリとしていたので、おやっ?っと感じて、キバタながらも、それが非常にビンテージリネンらしいシンナリとした光沢感を出していたのです。

そこでなぜか頭の中で、昔のリネンの60番手というのは追撚を掛けると落ち感が出て食ったりとなるのに、どうして今のリネンというのは追撚が難しいのか、また、硬くなってしまうのかという問題の答えみたいなものが浮かんできました。

今のリネンというのが昔のリネン以上に逆に強くなってきているのもそこに答えがあるのだとは考えています。昔は紡績が可能だった200番手を超える細いリネン糸が作れなくなった原因もそこにあるのではないかと頭の中で推測しました。何で、紡績できる糸の限界が昔の半分に落ちちゃったのかです。
2011年02月27日
倉庫に行って、加工出しの準備を行いました。3年ほど前におったギンガムチェック柄のものやスペック染の生機などがあったので、そのあたりの織物が上がってくるのが楽しみです。今週は、リネン80番手のキバタがないかみたいなお話を3社からいただきましたので、リネン80番手の糸が残ってないかなあと糸などを捜してみました。御用途に応じた適切な在庫のL80クラスの生地が残っていないのでテスト的に織ってみないといけないのです。

在庫の生地というのは、よい糸が使ってあることが多いので見た目や風合いも違ったりしてよいのですがお高くなりがちですので、お客様には現行の糸を使ったリピート性のあるものづくりを提案させていただくことが多いのです。

今日は夕方、京都祇園で行われています「ここくらし」展を見に伺いました。京都三条京阪から祇園まで歩いてみたのですが、ほんのりと春の陽気が漂う祇園界隈は日曜日ということもあって人通りはにぎやかです。

滋賀県立大学の印南教授から湖国滋賀の企業さんのご説明のあと、二階の作品をみせていただき最後にお土産用のよくできた箱をもらって帰りました。繊維関連では、北川織物さん、清原さん、双葉工芸さんなど昭和情緒を漂わせる作品が並んでおりました。

京都からの帰りがけ、地元のお寺の若和尚さまのご婚礼のお返しの品に、林与のリネンジャガードのテーブルセンターを使っていただけるということになり、その箱の中に入れる説明文を印刷する和紙をお土産に買って帰りました。リネンジャガードというと北アイルランドではダマスクが有名ですが、林与の今回のジャガードのモチーフは日本の和室にも洋室にも置ける草木文様を配したジャパネスクなテーブルセンターです。
2011年02月26日
昨日の夜は、ひこねの組合で海の幸を食べる会がありました。カニと刺身がメインでした。1年前に食べたのと同じ越前蟹の水蟹だそうですが、今年のは、色が赤くて身もしっかりしていておいしかったです。

蟹のシーズンは終わりを迎えますが、リネンに関するお問い合わせが多くなり春も近づいてきたのを感じます。仕事の合間に外に出ても、ほんのりと暖かいので幸せな気分になります。

今日は、平織リネンキッチンタオルをいろいろと織っています。色をいろいろと着けていますので、キッチンに一枚あるだけでもキッチンが華やかになります。普通のタイプではなく、すべてしっかりと拭けるようにHDタイプにしています。製品だけでなく、ハンドメイダー向けの生機での販売も予定しております。毎日使うキッチンクロスを、シャトル織なので手軽にハンドメイドできるのは素敵ですよね。

林与のキッチンタオルのOEM生産なども始まりました。お店の店頭などでもごらんになられるかもしれません。
2011年02月25日
今、織物業界では綿花プライスの値上がりがここ2年ほど毎日のようにいわれています。この1年半でNY綿花プライスも2倍ほどになっています。おとといも糸屋さんがおこしになられましてお話していると、100番単という糸が手に入らないというようなお話で… ウールも48などの普通のものが探しにくくなり始めているとのこと。

リネンも同じで、通常25番手という通常の糸もシーズンということもありますが、ものがなかなか届きにくくなり始めています。リネン100番手などもケースで出すのが難しいような話です。シルクの糸なども数割の上昇となり、原油高で石油から生まれる合成繊維関連が上昇しているだけでなく、天然材料というものが、日本では手に入りにくくなってきているということがいえます。

時代はめぐるといいますが、この傾向はオイルショック前の40年ほど前の日本に似ています。ものがなくなりすべての物価が上がり始め、製造に携わるみなさんが普通のものを探すのに困り始めておられます。しかし、この後には何も売れなくなる時代が続くことで、決して、ものの価値が評価されているということではないと思います。

先日も、リネン80番手キバタのお話が数日の間に3社からありました。最終に使われる先が同じお客さまかとおもいきや異なります。どこもがよいものが品薄になり動かれ始めているのを感じるところではあります。

NY綿花の話を書きましたが、市場相場が形成されているような場所ではよりその動向は激しいものと思います。価格が高騰しものの動きが非常に活発になってきているのではなく、特殊な需要がより高まっているといえます。今日も、先月商談させていただきましたニューヨークのアパレルさまからのメールでのお問い合わせなどもいただき日本の素材を前向きに検討くださっているのが伝わってきます。

昨日の夕方は、ストール関連、また、カジュアルリネンの出荷など済ませ、夜には倉庫で、何十年も前に、ギザ綿の160/2Xアイリッシュリネン140番手クラスで仕上げた布が一巻き見つけました。ビンテージ生地ということもあって、その肌にとろけるような肌触りというのは別格です。ロマン吉忠さんなど特注クラスへの提案素材の残りだったのだと思います。色が白かったので何十年も昔のビンテージということで巻きの外が黄色くなっていたので、ピックアップされにくかったのでしょう。

また、昔の品質の高いシャンブレーの綿麻などもあります。今の素材にはない良質の糸の透き通るような透明感と光沢感が魅力です。それらにしましても、綺麗すぎて小さな難が目立つということで残っている布などもあったりで、数メートル出しのオートクチュールな素材向けとしてホームページのほうでごらんいただきたいと思っております。
2011年02月24日
昨日は朝は糸屋さんがこられ、午後からは京都の呉服関係のお客様、夜は彦根商工会議所主催の彦根でワークメッセの説明会がありました。そして、夜中に倉庫に行ったときに不思議なものを発見しました。倉庫にある昔風の大き目の鉄箱に先代の字で「玉綛」と書いてあるのです。なにだろうかと見てみると、手績糸の麻の綛玉が、二つの箱に200くらいは入っていました。

別の倉庫で、手績みの糸を大量に見つけたときも驚きましたが、それが別の形になっているこの綛玉にはびっくりです。形がとても不気味で、ひとつなら愛嬌があるかもですが、たくさんあるので動物の大きな卵がいっぱいみたいで怖い感じです。たぶん、戦前か戦後間もない頃のものだと思います。捨てなかっただけでなく、大事そうに大きな四角の缶の箱にわざわざいれてあるのは、合わせても10kgほどの糸のために、大げさすぎる気もしますが、たぶん当時でも目にすることのないほど珍しいものになりつつあったので大事に保管していたのだと思います。

見る人が見ると昔の宝物で、ほかの人がみるとごみ同然な物です。麻機屋に代々残っているので、まだその価値があり続けるのだと思いますが、私も今まで見たことがなかったので、こんなに嵩張るのに何のために綛玉にして使うのだろうかと思いましたが、それを見たときに、倉庫で新聞に丁寧に包まれた苧績糸をみたときに私の頭のなかに沸いた疑問が氷解した気がしました。絹は綛、麻は綛玉なんだと思うのです。一度、一個どうなるか試してみようと思います。苧績糸というのは農作物なんだなあと感じてしまいます。
2011年02月23日
リネン100%というのは、本麻でしょうか? 林与の中では、本麻はラミーのもので、リネン100%のものは、本麻ではないのです。それは、本麻という言葉の由来にあります。着尺の世界に、「本麻」という言葉の対の言葉として、「片麻」という言葉があるのです。縦糸に綿を使い横糸にラミーを使うのが「片麻」です。本麻は、縦横ラミーの織物です。

近江上布も昔の織物というのは大麻布ではなかったのかということが言われていますが、苧麻と大麻は手触りからして異なりますので、用途によって2種類の使い方があったと思います。裃や座布団などに使われるのは大麻布です。硬くてビシバシとしています。特色的な近江上布というのは太番手ではなく細番手であって、昔から苧麻を使用していたものと思います。

能登では、平安の時代から近江上布の原料の苧麻を栽培してたという記録があるそうですので、近江上布の産地である近江でももちろん苧麻も栽培されていた、あるいは、自生していたと思います。

江戸時代の終焉で、近江彦根藩が奨励していた麻織物というのはかげりを見せます。といいますのも、江戸時代というのは、京都から江戸までの中山道が日本のメインストリートでしたので、行商の目にとまりやすかったことがあるといえます。江戸時代が終わり参勤交代が終わり相場が崩れたのでしょうか、明治初期には近江上布は能登上布にお株を奪われるのです。

高宮の宿で取引されていた麻布などは、オリジナリティのあるものというよりは、規格のあった商品だといえます。作れば相場があって自然に売れるというような、今の時代でいうと農作物のような存在だったといえます。高宮の宿というのが麻の商いの中心ではなくなり衰退しますが、産地であった豊国村では主産業として麻織物が盛んに行われました。麻織物というと愛知川のイメージがありますが、愛知川地区では実際の産地ではなかったので、今でも伝統産業というとびんてまりのほうが有名です。旧豊国地区のものにとってはびんてまりは初耳だって、大人になってからしりました。1軒の家が守ってこられたものだったのだと思います。

近江上布にしましても、同じような傾向があります。戦前までは近江商人の手を経て日本的に有名ではありましたが、その出所というのは実際には数件が守っているような世界でありました。京都の呉服屋さんとお話しましても、祇園祭の時に着るのは近江上布だといいわれます。日本の夏の着物文化を支えるのが近江上布の世界であったことは間違いがないのですが、30年昔の麻ブームのあとも麻にこだわり織りつづけた林与というのは産地でも異色ではありました。麻の組合などでもほかの機屋さんなどと話をしても、麻のものを織っているというと特殊だったので、私自身は、麻の産地で麻の織るのが当たり前と思っていただけに不思議でした。

先代のもと家業を継ぎ始めたころに、麻組合の青年部長さんとラミーとリネンの違いの話をいたしました。青な林与自身は、本麻のほうがリネンよりも何倍も高いイメージを持っていましたので、リネンのほうがラミーよりも高いといわれたときには、自分はまだまだ素人なのだとおもってましたが、皆さんが林与さんはよいものを扱ってられるといってくださっている意味が逆に本当に理解できていないころでした。

リネンや麻のお話を始めるときに、ゼロから始めるとの専門的なところからはじめさせていただける場合といろいろあります。ゼロからはじめるときには、市販の麻に慣れておられ、チクチクしない麻はないですかから始まり、綿麻の混紡ライクなリネンをお勧めいたします。綿ライクな、フォームファブリック的なショートファイバーを使った番手の太いものがよいものと感じられるのではないかと思います。

リネンの業界でもハイクラスと考えられる糸をセレクトしてまた、染め、織り、加工も本格的なものというのは世界でももうあまり例を見ないのです。イタリアの生地の老舗セニヤさんも100点ほどのハンガーのうち何十点ものセレクトをされて林与と波長が合うのは生地をみれば本物は本物なので、失礼な話ですが、世界的に有名なセニヤさんだけにさすがに見る目をお持ちなんだなあと感心しました。一番、小さな林与のブースを素材を日本コーナーのプロモーションブースで林与のいろいろな素材を頭に記憶されハンガーを探されていた素材を見る目が林与の目とは共通です。たぶん、わたしが、すべて自分の作ったすべての工程を事細かに知っているところから普通のセールスマンではないことを感じられるにちがいありません。

素材をセレクトするでなく自分で生み出すというのは、セレクトする以上に何倍も本質を理解していないとできません。そのノウハウというのはすべて自分の中にある経験値の積み重ねで、ときに、セレクトされる方にプラスチックな世界と本物の世界を見極める目をもっていただきたいことも多いのです。林与の場合、100つくり10とか20見てもらうというのが通常のスタイルですのでそれに満足されない方というのは本質を理解してもらうことも難しいのです。いろいろなメーカーさまの対応をじっくりと見せていただくのも、ものを売るだけでなく何十年もの信用を築けるかどうか、お金や紙の契約書ではなく、相互が損得に流されることがなく、別のところに目標を持つことが非常に大事なことだと考えます。

飾らない布をみていただくようなスタイルが、常日ごろ数多くの素材を見続けるプロの目には十分で、ファンシーな装飾にごまかされることのないプロの世界だと感じるところです。リネンや麻というプロの世界において、プロがプラスチックな世界にだまされることなく本質を見抜けなくなれば終わりです。業界のプロなら、だますことなく本物であることを貫くことが大事だとは考えるのですが、何十年も前からプロの世界でも、「悪貨が良貨を駆逐する」といわれる難しいといわれる命題になっているとは思います。ですが、海外のブランドが林与のようなスタンスを大きく評価いただけるのは、世界でもほかにない日本的なガチなスタイルではないかと思うところです。インターテキスタイル上海でも、素材に関する世界的なカンファレンスで基調講演されているかたが、林与の小さなブースに一般のお客様にまじりお越しくださり、林与のリネンに関する話を聞いてくださるのは布の不思議ですね。
2011年02月22日
お隣の家に小さな犬がいます。倉庫に行く途中で、たまたま、隣のおばちゃんがその家の中で買われている犬を散歩に出されて出会うと、その犬は私に対して敵意を見せながら「ウーッ」とうなってくるのです。両手のひらに乗るほどのかわいい犬が、私相手に敵意を見せる。

それを隣の隣のおばあさんが見て、「よしおちゃんは犬がきらいなんやねえ」といわれます。私は犬は大好きで小さな時から犬を家に飼っていて犬の世話は私の役目でした。一番最初に飼った犬は、小学校の3年のころ、演歌歌手細江真由子さんのお家からもらったルルでした。僕がもらったというよりも、たしか妹がもらってきたような感じでした。たしか、真由ちゃんのおうちからはもう一回高校のころ犬をもらった気がします。メスの犬コロで、私がアメリカから帰ってきたときに、その犬の子供が5匹生まれて、2匹もらわれずに残って名前はハナとクロでした。一時は3匹犬を飼っていました。それが最後の犬です。

その以外に、中学のころでしょうか、母親が薬屋さんからもらってきた、チンというオスの犬がいました。ご飯をもらうまではご飯をほしそうにお手とかお座りとかいうことをきくのですが、ご飯をあげた飼い主である私に対してですらご飯を取られないように凶暴になる犬で、これはずーっと最後まで治りませんでした。病気で亡くなる前には、ご飯をあげても唸る元気なくなったのが、かわいそうでした。

小学校の時にも、学校の帰り道には金襴織物の工場にむちゃくちゃ大きな怖そうな犬がいて、大きさの感じはパトラッシュで、顔はブルドッグに似ていて、近寄ると吼えるのです。みんながライオンを見るかのように恐れていたのですが、あるとき、私はその犬を触ってみたくなり、触れる気がして、手をかまれるのを覚悟で頭を撫でたのを覚えています。たぶん、その当時、その犬を触ったのは小学生では私一人だったと思います。

今の隣の小さな犬も、ほとんど私とは接点がないのに、あれほど私に対して吼えるのは、どの犬かの生まれ変わりではないかと思うところがあります。私は仕事に忙しすぎてかわいくしていれば私の注意を引けないので吼えているような気がして仕方ありません。単に怪しく見えるから吼えているのが正解かもしれませんが、なんとなく、その小さな犬をみると今まで飼った犬とはまったく似てはいませんが、昔を思い出せというような吼え方です。
2011年02月21日
シャトル織機で織ったリネンを販売しているのですが、生産性を重視してしまうので、今では本当に珍しいものなのです。林与にもシャトル織機とレピア織機がありますので、通常のアパレル向けはレピア織機を使用いたします。

林与の工場では、手の込んだもの主体で作っています。出機さんがありますが、そこには一番簡単なものをお願いしているのですが、この前も計算すると40日で300Mほどでした。お休みの日もありますので、1台のシャトル織機で1日10Mでしょうか。

林与も1日1時間に2Mくらいを目標に自分の工場でも織っているのですが、リネンの細い番手になってくるとよく切れますのでこれが難しいのです。ビンテージアイリッシュリネンハンカチ生地は一人の職人が付きっ切りで1日2Mから3Mほどでした。

今、ヨーロッパでもシャトル織機で追った日本の生地はデニム生地をはじめ、非常に高く評価されています。これは、日本で織ったというよりも日本のシャトル織機というのは昔の日本製の電化製品や自動車と同じで、日本の機械技術のピークの技術が込められているのです。

北アイルランドのダマスクで有名な老舗のウィーバーさんでも、生産に使われている織機はもうレトロなシャトル織機ではなく、伝統織物というよりも電子ジャガードなど最新の織機をつかった最新式の織物になってしまっています。伝統的なアイリッシュリネンの織の世界が残っていると思われるとがっかりされるかもしれません。

これは、昔の織機というのは味のあるよいものを織ることができるのは織物の経験者なら誰もが承知しているところなのですが、機械のメンテナンスや生産性を考えるとやってはおりますがなかなか大変です。新しい機械だと機械メーカーの方が部品交換や主に修理してくれるので職人さんが不要になります。大手の織物工場さんでは職人さんが不要ななのはこんな理由からで、職人さんが消え始めるとより簡単に織れる機械を求めることになるのです。逆も真なりで、簡単に織れる機械を手にすると技術の必要がなくなり職人は消えてゆくのです。不思議なことに昔の織機は進化していくとより職人の技術が必要になりましたが、今の織機というのは技術を不要にするために誰でも使えるように進化しています。

ビンテージなよい糸を使うときには、極力、シャトル織機を使うことにしています。レピアで織るほうが何倍も手軽なのですが、せっかくのよい糸を使うならよい織物を作りたいと、織り工程においてもシャトル織機をあえて使うのです。
2011年02月20日
昨日は糸の番手の話に触れましたが、大体の場合、糸の番手計算を多用するのが、糸メーカーではなく、糸商さんでもなく、織る人でもなく、布の生産を企画をする人です。林与もテキスタイルメーカーなので、布を織るだけでなく企画しますので、糸計算は毎日のように行っています。混率などを計算するときにも糸計算は欠かせません。使う糸のすべての長さを計算して、それをもとに重さを出してあげるのです。

イメージからしますと、規格にもよりますが、25番手で1反が20kg、43番手で1反が15kg、66番手で1反が10kg、100番手で1反が7kg程度、縦横で必要という感覚です。シャトル織だと捨て耳がないので、使う糸の量は5%程度ですが節約できる計算になりますが、実際に縦がしっかりと入る織物になりますので、シャトル織機の場合には縦糸が4%程度余分に必要となります。シャトル織機の場合には一般的に織り縮みを大きめに計算する必要があります。一方、横糸のテンションの問題に関しても以前リネン日記でふれましたが、筬が横糸を打つときにも横糸にも余裕があるのがシャトル織機なのです。縦横ともにゆったりと織られることにより、ふっくらとした織物が織りあがるのです。

手織りするときにもシャトルを使いますので、手織りと同じような要素が布の中に含まれるのがシャトル織機の魅力です。シャトル織機の織物がなぜふっくらとしているのかということも、一般には、開口が広いというだけのことしか言われないのですが、林与が経験をもとに考えると、シャトル織機で織ったものは、レピア織機とくらべると、同じ規格の織物でも、レピア織機と比べると糸をたくさん使い、糸への負荷が非常に少なく織られている織物だといえるのです。生産効率を無視してでも、味のある織物の世界が出来上がると考えます。(ただし、シャトル織機でもテンション管理などがキツキツだと上手にしないとふっくらとした織物は出来ませんし、糸のテンションを極力少なくするような工夫は必要です。)

でも、シャトル織機はバックできませんので織り段がどうしても出来やすいので、糸が切れやすい麻織物の場合にはキズロスも大きいので、誰にでも織れる織物ではありません。また、シャトル織機というのは一台一台が癖がありますので、その癖をしって付き合ってあげないといけないのです。レピアの部品のように少し消耗すると交換が必要なのではなく、シャトルの場合には消耗する部品を大事に消耗度合いに応じて調整しながら、長く使ってあげるようなことが必要です。
2011年02月19日
糸の番手でよく使うのが、L25番手、L40番手、L60番手というあたりなのですが、これは麻番手といいます。1ポンドの重さで、300ヤードの何倍の長さがあるかという番手です。L25番手なら1ポンド(453.59g)で7500ヤード(約6858M)、L40番手なら1ポンド(453.59g)で12000ヤード(約10973M)、L60番手なら1ポンド(435.59g)で18000ヤード(約16459M)ということになります。

麻番が300ヤード(274.32M)を基準にするのに対し、綿番手は、840ヤード(768.1M)を基準にいたします。たとえば、C60番手なら1ポンド(453.39g)で50400ヤード(約46086M)あることになります。、麻番手は綿番手の2.8倍なので、麻の100番手が綿番の30番手くらいに相当します。

他に、毛番手というのもあります。これは、メートル番手とも呼ばれていて、1gで何メートルの長さがあるのかという番手です。リネン25番手は、NM15という表記で、1gで15Mあるということです。リネン40番手は、NM24という表記で、1gで26Mあるということで、リネン60番手は、NM36という表記で、1gで36Mあるということです。たとえば、L25番手の1ポンド(453.59g)で、300ヤードの25倍の7500ヤード(約6858M)を考えると、6858M÷453.59g=NM15.12と大体計算が合うことになります。

麻は麻番手、綿は綿番手、ウールは毛番手で表すのが普通で、本麻100番、リネン25番とかいえば、それぞれ麻番手での表現です。綿の場合、綿の60番手とか、綿のロクマル、綿の60/2(六十番手双糸、あるいは、ロクソウ)などと表現します。ウールは、1/48、ヨンパチウールなどと表現し、NM48と同じことです。シルクも毛番で表現します。

実は、メートル番手は、綿番手と麻番手の間の番手なのです。綿番手を1.6666倍すれば、メートル番手になり、メートル番手を1.6666倍すれば麻番手になります。リネン60番手というのは綿番手で21.4番手相当で、NM36なのです。綿番の24番手を1.666倍すればNM36で、NM36を1.666倍すれば、麻番の60番手なのです。

一つの表記にしたほうが効率が良いのだろうと思いますが、林与が考えるに、それぞれの表記が統一されることはないと思います。たとえば、麻の場合でも、よく使う麻番手は、麻番で、5、10、14、25、30、40、44、60、66、80、100です。綿でも、綿番手で、5、10、20、30、40、60、80、100あたりです。ウールの場合、毛番で、24、48、72などです。それぞれの標準的な糸が、麻の場合40番手、綿の場合も40番手、ウールの場合48です。それぞれの番手の50番手くらいというのが、普通の糸というイメージになるように番手表記が成り立ってて、100番手くらいが一番細い糸のような感覚です。人の感覚と連動した表記なんだと思います。伝統的な番手表記というのは人に優しいながらも慣れると一番自然です。

麻糸しか扱わないなら麻番手だけでよいのに、麻がらみの織物ということで綿糸も絹紡糸もウール糸も扱うこともあります。だから、いろいろとややこしくなっているだけなのですので、すべてを統一の番手表記にする意見や動きも多いのですが、何でも屋さんの世界じゃあないかと思うのです。
2011年02月18日
日本の織物というのは明治以前の織物の着るものとしての用途としましては、着物が起源になっていますので、日本の織物というものの規格は着物を前提としたものがほとんどだったので、今の洋装の時代には、着物向けの生地では洋服向けにはいくら高級であってもどうしても需要の面で無理があるというのが実情だと思います。

本麻のものに関しましては国内で変化がありますが、海外でも伝統の産地のリネン織物というのは変化しています。昔、ヨーロッパにあったようなアンティーク調のリネン織物というのが今はアパレルの世界ではほとんど見当たらないというのが今のリネンの世界なのです。

昔は、リネンも手織りの時代で手紡ぎの糸だったのです。手で紡がれた糸というのはリネン100%であっても、今の時代の糸とは似て非なるものです。着物もそうですが、手機というのは、巻き取りギアがないのです。自分が織る力で打ち込みを調節するのが基本です。水を使わずして紡がれますので、水につけると収縮し物性面では大きく変化をいたしますので、昔の手紡リネンというのはウールのような作り方で、特性もウールに似ていたところもあります。

弊社にお越しくださいましたお客様に、ご自身でリネンを糸から紡いだというストールを見せていただいたことがあります。私自身は、すごいものだなあと感心しました。ストールに感心したというよりも、その方のものづくりの姿勢に感心したのです。ムラのある糸ですが、人間の手ですべてで作り上げられているところに感心したのです。糸も手で紡いだのでいびつであって然りです。あまり綺麗だと機械でつくったものと同じになるので、手で作ったものは手で作ったものとして味を残しておく必要もあるなあと感じるところです。
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