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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2011年04月28日
3年前の3月2日に先代がなくなりました。病院から家に戻り最初にするべきことは、お葬式の段取りではなく、今受けてある仕事を段取りしておくことで、織機についている反物を下ろして、まだ明るい夕方6時前に加工工場さんに行って、先代が亡くなったことのご報告と反物の加工をよろしくお願いしますということでした。その夜は納期の迫っている急ぎのものが動くように手配いたしました。

これは、私が感覚がズレている訳ではなく、先代の意思を引き継いだものと考えております。先代も先先代の死去に伴い代を継いだときに、最初に考えたのが自分の父親の死という悲しさよりも、働いてもらっている親戚一同の人生をどうやって支えていくのかという問題だったと何度か私に語りました。仕事のことを考えているのは一人だけだとういうのも酷ではありますが強くなければ次の何十年を乗り越えられないという最初の覚悟のタイミングではないかと思います。

また、そういう場所ではいろいろなことが見えてくるのです。先代が信じていた方というのは一貫してそのあとも力となってくださり変わりない関係でありますし、そうでないかたとはご縁は遠くなるものです。その場の損得で勘定をしていては駄目、また、その場の感情で決断をしては駄目で、長い目でみて成り立つような方向性を探さないといけないのです。一時の利害や感情が決断に出てしまうのは駄目で、企業が社会で存続するための先人の経験や知恵を生かすのも一つの方法かとも思います。

先日、「たねや」さんの店頭で、「商いはたねやに訊け」という本をちょこっとだけ読んで、訊くまでもない当たり前のことばかりが書いてあるのです。そんな当たり前のことが現代ではバイブルのように考えられるのも本質というものは何かということだと思います。なんか、親父の当たり前の説教をきいているようで、当たり前のこというなよみたいな話なのですが、一時の損得が一番の優先順位になっている今の社会では、そんなのが新鮮に感じ、それをやるのが難しい時代なのをすごく感じます。

先代の林與志郎も、同じ年に生まれて八幡商業高校で山本徳次氏と出会い、老舗の家系として同じ悩みを抱えていたと思います。二人して両方の厳格な近江商人気質の先代をもち同じ写真部で意気投合して、明け方たねやのお菓子で腹ごしらえして帰ってきたような贅沢な話も聞いており、林与の先代も思い出の多い高校時代をすごさせていただきました。

高校時代に、今のたねやさんの工場の用地に目をつけたときに一緒に購入しようと、先代が山本徳次氏から持ちかけられた話など聞くと、すごい方というのは若いときからすごいなあと思います。林与の先代も親父に相談したのですが国道沿いですが当時何もないところだったので買えなかったそうです。でも、そこで大きな織物工場にしていたらもしかすると今はもう麻織物は続いていないかも知れません。林与の先先代の判断というのも、また適切であったのかとも思います。
2011年04月27日
ものづくりするときに、材料や工程をどうするかがすごく大事に思います。その辺りが職人の気質です。アイデアというのは、材料グレードを落とすとか工程を減らすとか、本来の職人の気質とは逆の方向に動くことも多いのです。自分の中で工程を複雑に変えるアイデアは実行しやすいですが、工場の中の何十年のベテラン職人ですらもがなかなか面倒がってしまう悪い癖があるので、外部の人にそれを頼むのは今の時代本当に難しいことです。

微妙な違いがどんどんと見えなくなって来ます。作り手が良し悪しを区別できなくなってしまうと安いものほどよく売れて良いという価値観になってきます。ビンテージアイリッシュリネンのストールと、現行の糸で織ったストールとの微妙な違いあるのですが、その価値の差は非常に大きく感じます。

需要がなければというより、買い手が見つからなければ手を出さないというスタイルの商いはリスクは無いのですが、買い手が見つかって手を出してもらったとしても買い手や作り手のほうが困ることが多いのです。日ごろから全体での商品開発が流れていてその流れの中で新しい商品を作り上げていくようなスタイルこそが品質を保つ上では大事ではないかと思います。

今の時代というのは縦のラインがなくなり少しでも安いところを探してつくるのが主流になってきたといえます。それとは別の発想で品質重視でのライン形成を行い、より高いものを生み出すのも、本来のものづくりの基本ではないでしょうか。国際的な展示会に行くと普通の生地であっても、円高もあって同じリネン生地が1mあたりの価格が10倍以上も違うような価格のギャップを乗り越えないといけません。

展示会などに行きましても、ボタン一つ注文しようとすると、セールス専門の方が販売されているので質問すると工場の担当者に問い合わせるというようなケースがほとんどです。ボタンの場合には、ボタンの材質を訊いて、会場で、販売の担当者が頼りなく上司に確認して本物の貝ボタンだと説明を受けましたが天然物には見えんなあと思っていましたが、サンプルを送ってきたときには高品位なポリエステルボタンを製造するのが売りの会社だという話になっていました。貝でもポリエステルでもボタンなんてどっちでも変わらないんだからみたいな。デザイナーさんはデザイナーさんで単独、作る人は作る人で分かれて、販売する人は販売する人、経営者は経営者みたいな。それってお客さんよりも売ってる人のほうが売っているもののことほとんど知らないみたいな状態で、ものが生まれてきているのです。

10数年昔働いた大きな半導体工場で基盤を安定させるために焼くベーキングという作業があったのですが、そのベーキング作業は基盤を安定させるものだとみんなが信じ込んでいるのです。基盤が、すごくすごく薄い場合、同じ時間ベーキングすると基盤が収縮して変形してしまうのです。パン屋さんならベーキングの加減を時間や温度で調節する職人がいないと駄目なのでしょうが、半導体工場ではそのことに気がつく人すらおらず、同じ時間ベーキングするというのが規則になってしまっていました。型番が違っても同時にベーキングされるので、作業員がその品番だけベーキングの時間を調整することなどできず(これはやると収拾が付かなくなるので上のほうがそのことに気がついて作業工程を分離しないと駄目なのです)、その工程の不良率の改善に目を向けられることはありませんでした。
また、自分の部署での改善というのは自分に負担が掛かるので、問題が起こっても自分の部署では工程を変えてまで問題の解決をしたがらないものです。

これは、織物の世界でもいえることかもしれないなあと感じます。改善する方法があっても、手間が掛かるので変えたがらない、結局、普通のものが流れているのと同じ工程でしかものづくりができないので、特殊なものを作ろうとすれば度重なるテストや職人的な技術が毎回必要なのですがアイデアはあってもそれが実現できるかどうかは別問題で、昔の糸、染、織、加工などの技術を再現しようとしても今の時代では難しいのを感じます。でも、逆にそんな時代だからこそ、職人的な人的要素を駆使すれば、普通よりも努力するだけで違う顔のものが作れるという、努力が報われるような時代になってきたのかもしれません。
2011年04月26日
今日は午前中、四番町スクエアのボックスギャラリーで、ボックスの契約ならびに利用料の支払いを行いました。開店10分前のときだったので、職員さんが掃除をされていました。厳しく、いろんなところを3人の方がチェックされながら掃除されていたのですばらしいなあと思います。

今日は、彦根城側からでなく、銀座側の駐車場からボックスギャラリーに行きました。四番町スクエアに行くにはこちらからのほうが便利な気がします。魚屋さん横を通るとすぐに、建物に囲まれた中庭みたいな部分に出て、ダイニングと呼ばれる建物の階段が目に入ります。

他の部分は普通の建物な感じですが、木製デッキがあるのとないのでは大違いなのです。その木製の階段は公園の一部のような感じで上ってみたくなるような気がすると思います。2Fにあるメインのお店は、昔は滋賀県の地場産品を集めたようなお土産屋さんだったのですが、いまはキャラクターグッズを集めたお店に変わりました。

地場産品を集めた売り場というのはコンセプトは良くても在庫管理などの面で維持がしにくいのだと思います。一個一個の出荷対応などをしていると小売と同じだけのコストが掛かるので小売での販売対応というのは難しくなります。今の時代というのは、お店も在庫を持たないリスク回避の時代になってきていますので、問屋さんの存在の意味が変わり、卸売りという概念もなくなりつつあります。

帰ってからは、アパレルさん向けの昨日の出荷のデリバリーの問い合わせ対応などしました。工場というのは北海道や東北、九州であったりすることが多いのです。このことはそういう場所には、昔ながらのものづくりできる人材があるということを意味していると思います。
2011年04月25日
今日は朝早くから大阪に行き輸入関係の必要書類を届けに行って、昼前に戻ってまいりました。帰ってから、プレミアムテキスタイルジャパンで行われます海外バイヤーさんとのマッチングの申し込み書類を書いたりしていました。前回の2011AWではヨーロッパバイヤーさんとのマッチングで、今回は中国バイヤーさんとのマッチングです。自分でのものづくりをPRすることに重点を置けばお出会いしてお話するのは楽しいものです。

一般的なものが自然に流れている国ほど生産面での余力があって、その余力を研究や良いものを作るのに回せるので高級なものも作りやすいのではないかと思います。新技術ということに関して、高品質でありながらも高くなりがちな地場産品を低コストで量産できるようにするような手法を考えコストダウンを目指すような生き残り路線もあるのですが、その方向性というのは、ひたすら、海外で生産されるものに近づいていくと思います。そしてその技法もすぐに海外で適用されて、大量の商品が国内に流れると地場産業というのは残りえませんというよりも、その作られるものすらの価値も大幅に落としてしまうことになります。地場産品ではありませんがパソコンなんかがその例で、パソコンはお金を払わなくてももらえるものみたいな感覚になってしまいまいました。

作りあがるもの自体よりも手間隙掛かるその製造工程にどれだけ価値を見出せるかが大事で消費者の方にそれを理解してもらおうとするなら、生産者自身が手間隙掛かる部分に価値を感じないといけないと思います。そういうのをたどっていくと、自分自身がものをつくるということの意味にすらたどり着くものと思います。続くということは守られてきたものがあってそれを直向に作り続けておられる部分への評価でないといけないと思うのです。

また、そういう考え方と共通するかと思うのですが、私自身個人的には、長浜や彦根の昔風に造られ観光地化された街並みは俗っぽくてあまり好きではないのです。中山道の高宮の宿のようにたたずまいだけ残している本物が何倍も好きだったりです。高宮の宿は車も行き来が難しいですが、リビルトしないで守り続けてもらいたいです。

ものづくりしている人間に共通するのは、買ったほうが安いのですが買わないで自分で作ってみたりすることが非常に大事だという感覚だと思います。林与自身の名刺も、結局10年以上くらいパソコンで自作のままで使い続けていますが、そんなのにしても自分で作ったところに意味を感じています。自分でデザインして出来上がったイメージというのは自分自身が満足しているので自分のスタイルとして揺らぐものではなく、使い続ければ変える必要も感じません。名刺も、業者さんに頼めば一枚10円から20円で作れても、手作りすると実際のコストは逆に高くなっていると思います。
2011年04月24日
今日は、夕方出荷を終えてから彦根に向かいました。東京や海外での展示会でのPRをしているものの、地元でもPRするべきではないかと思ったのです。地元の人が近江の麻織物の文化というものをご存じないことが多いからです。

小雨の降る中、おみやげ物屋さんや、地場産品をおいてあるお店を眺めても地場の布というのはほとんど見当たりません。京都ではあれほど布があるのに、彦根藩の特産品であった麻布が、もう彦根では特産品として扱われていないというのが不思議です。

雨も降って肌寒いせいでしょうか、週末にも関わらず夕方の人通りというのはまばらです。四番町スクエアにある四番町ダイニングの2Fにハンドメイド方が出展されているボックスギャラリーというのがあります。

場所が空いていたので、そこの一つを半年借りることにしました。ものを売るのが目的ではなくて、地場でものづくりをしているのを地元の方にPRしたいなあと思いました。地場を盛り上げるための主旨のところに空きができているというのにも微力ではありますが地域に貢献できると思いました。

「被災地のためになにかできることがないのか」とずっと思っている部分と頭で結びついて、そこに、リネン小物を置きまして、売り上げからそこのボックスギャラリーさんの販売経費15%を除いた残りの85%を被災地の方のためにお送りするような計画です。半年のボックス使用料などは弊社で負担いたします。できる範囲内で商品など置かして頂いて、被災地の復興のお役に立てればと思います。
2011年04月23日
今日は、昨年度JETROでアドバイザーをされていた農守氏が弊社にお越しくださいました。以前から一度弊社にお立ち寄りくださいとお願いしていましたところ、それが実現いたしました。伊藤忠時代に合成繊維を主体とした糸の販売を行われており、イラン、イタリア、アメリカのお話を聞かせていただきました。戦後の日本の高度成長期を支えてこられた私からすると一世代昔の方に共通する力を感じます。

お話を聞いていても、その時代を生きてこられたかたのお話というのは仕事をがんばれば最後には大きな花が咲くようなサクセスストーリをお聞きできるのです。今の時代となると、企画前から損得の勘定をして、すぐに結果を求められる時代なのでサクセスストーリまでは結びつきにくいというのが本当のところではないでしょうか。

市場がまったくない新商品を提案する場合など、お客さまに商品を理解していただくところからスタートしなければならず、織物という素材であるなら、お客さま自身がそれを使って新しい商品を作られないと最終の消費者の皆様には新しい商品として届かないのです。

小さな仕事が大きな仕事になりそしてそれがまた小さくなるというのが、5年とか10年という時間を掛けてものを作っていくスタイルで、そういうのを並行していくつも手がける中で仕事は動いていきます。10とか20とか試作して、2つ、3つ形になりオリジナルの商品として残ればよいというのがものづくりの現場です。

林与もオリジナルのリネンストールなどを展示会などでも、提案し手がけておりますが、それはそれで日本製のリネンストールの一つの形として残せるような商品ではないかと自負しております。キバタでお買い上げいただくシリーズも、非常に好評はいただいておりますが、製品版のストールにしましても、本格的な仕上げにこだわっておりますので十二分な高級感を味わっていただけるものと思います。

ものづくりなんていうのは、考え方一つで広がったり狭まったりするので、考え方が一番大事だと思います。ものづくりというのは、やればやるほどお金が入ってくるのではなく、やればやるほどお金が出て行くものです。いろいろな経営者の方とお話しする機会が多いのですが、経営者の皆様というのはそれぞれに考え方が異なるものです。
2011年04月22日
今日は、朝から加工工場にお願いしまして、加工中の反物の仕上がりを急いでもらうよう頼みました。動いてもらうというのは採算を度外視した非効率な動きになるが良く分かっているので本当に気の毒な話なのですが、ゴールデンウィークが絡んで出荷の絡みで、今日どうしても落とし見本をお送りしないといけない事情になって、加工工場に出向いて確認に上がりました。

担当の方が不在だったのですが、昨夜送ったファックスを見ていただいていたようで、今日何とか仕上げてもらえるような予定で動いてもらっているということで、産地で支えられながらものづくりをしているのを感じます。そのことが確実になると、週明けの落とし生地の検査の依頼の段取りなどもはっきりとできるので、先方様への日程のご報告などがしやすくなります。

午前中には、近くの工場からお客様がお二人で来られ、試作に使う生地などをセレクトいただきました。来るまでは買われるつもりもなかったと思いますが、100番手のシャンブレーストールを気に入っていただけストールも自分用ということで1枚買っていただきました。

夕方に加工工場さんに伺うと、顔を合わせる皆さんがその反物のことを知ってくださっているかのように動いてくださっていてありがたいなあと思いました。いただいてかえり、夕方7時ぎりぎりで「落とし見本」を送ることができました。張り詰めた一日でした。

夜には、インタビューの原稿の確認作業を行いました。今日一日ハイテンションな状態だったのが解けて幸せな気分で夜中に原稿を眺めていて、みんなに愛されるような生地を作るためには、生地というのはハーモニーの中で作られるべきなんだろうと思いました。
2011年04月21日
先日加工に出した分で、今日どうしても上がって来てほしい反物があって、なんとかそれを上げていただきました。夕方にはロイヤルラミーの糸が黒に染まってきたのですが、特殊加工糸なのでつるつるのピカピカで硬い感じです。和装向けなら良い感じに仕上がるのではないかと期待しています。小幅の本麻織物がこれでうまくできればよいなあと思っています。

反物を夕方、加工工場に取りに行くとカートの上に10反ほどの反物が用意されていて、大急ぎで持ち帰りました。そのうち、急ぎは1反ちょっとだけなので、品番などを書き直して佐川急便に持ち込みました。

原油が高騰した辺りから、ここ数年は、どこの運送会社さんも集荷の時間が早くなり、加工から反物が上がってくるのは通常夕方ですので、急ぎのものを出荷するためには、佐川急便の営業所まで持ち込むことが増えてしまいました。

会社に戻ってから、今日は来春向けの企画の見本作りの依頼があって、糸の在庫などを確認しました。ファンド事業で製作する洋服の見積もり依頼なども行い、もうすぐリネンの細番手の糸が届くので染めて織り始めるのを楽しみにしています。昨年は壁にぶつかってしまったので、その壁を乗り越えられるかも今年の課題です。
2011年04月20日
リネンって味があるなあと感じることがあるのです。リネンを触ったときの感触的な味なのです。今日はそこそこお天気が良かったので、地下水を使って生機のリネンクロスを干してみました。たっぷりの水でしっかり洗って脱水して干してみるとまだ最初の1回目なので、ゴワゴワ感が少しあるのですが、そういうときには、乾いてからでも良いので、左右に引っ張りながらパンパンと布を伸ばしてあげてください。すると不思議なことに、布が伸びて非常にナチュラルな感じの肌触りの良い布に変わります。

ノーアイロンで大丈夫なのです。洗いこんでいくたびにゴワゴワ感は少なくなり風合いが良くなるのを実感いただけるのではないかと思います。それが何も足さない引かないような状態で生まれる布だけによいのではないかと思うのは林与の自己満足でしょうか。使われる方が布の良い状態を引き出すような一工夫で布が素敵になるというのもリネンマジックではないかと思います。

林与のリネンのキバタでストールをおつくりの場合でも同じようなリネンマジックが存在します。洗い上げた後、脱水して、干すときに、お二人で両端をもって、ストールをパタパタパタと延ばしながら空中で煽ってあげてから干してあげるのです。それだけで、リネンの詰まりが少なくなり、より良い風合いのストールに仕上がります。これまた、何も足さない引かないで作り上げるのもよいのではないかと思います。

化学的に樹脂などを使って縮まないようにする方法や風合いを保つ方法もあるのですが、リネンにもいろいろな御用途がありますので、ハンドメイドなものに関しましては、ナチュラルに仕上げるのもリネンそのものを味わっていただく上ではよろしいのではないかと思います。
2011年04月19日
今日は、大きな雷が鳴り、そのあと解けかけの雹(ヒョウ)が雨のように降ってきました。上空が非常に寒いのが分かります。農業だとお天気が大事ですが、林与の一部布つくりにとっても、お天気は非常に大事なのです。

アンティークリネンの秘密に迫ろうかと調査を開始しました。洗うと柔らかな布には何かの秘密があるはずです。なぜ、皺にならないのかという問題も不思議です。現代のリネン糸がしっかりとしているのに、太番手のアンティークリネンがくたっと柔らかいのはなぜなんでしょうか。いろいろな可能性が考えられると思います。シャンブルなのか、加工方法が違うのか、保存液の違いなのかなどなど。日本にいてはいろいろと文献などをネットで調べて情報を得るしかないのですが、今年、ヨーロッパに行く機会があれば現地で尋ねてみようと思います。フラックスが咲いているころがよいなあと思います。

日本で、リネンとラミーのが両方麻として表示されるのはなぜかというと、検査機関が厳密にその成分を分析することができないからです。何ミクロンという幅の長い繊維に関しても、リネンとラミーは非常に似ていて見分けがつかないのです。それが糸となるとその形状の違いは明らかです。同じ紡績糸でも、ラミーは長い毛足が飛び出ています。リネンの場合は短いです。程度問題ではありますが、つやがあるのがラミー糸で、つやがないのがリネン糸です。

織物で見ても、ラミーはすらっとしていてスラブ感がなるく、リネンは、マットな感じでぼこっとフシがあるというのが特徴です。毛玉っぽい問題がみえるのがラミーで、フシっぽい問題がみえるのがリネンです。

今日は、夕方にモンドさんの濱中社長がお立ち寄りくださいました。以前、リネン糸のことで情報があれば教えていただきたいということで頼んでおりましたところ、海外のリネン関連の糸のブックレットを拝見できました。生成やオフ白ベースなものが多いので、意匠糸として使うためには、手に入れてからの一工夫が必要かと思いました。

面白いなあと思ったのが2つありましたので、早速、使ってみようかなあと動き始めています。タイミング的には、来春のプレゼンテーションになって、再来年向けの商品企画ということになりそうです。
2011年04月18日
今日は、本縫いミシンにつける三巻き用のラッパが届きました。アイロンを使って、折り目をつけて、目と手で確認しながら縫製するほうがより正確に縫えたりするのですが、ラッパを使うと若干弓なりになったりはするのですが、それは、織物の裁断が、糸目をベースに裁断しているので仕方のないことかとも思います。

ミシンメーカーさんにお送りした生地見本も返却いただいたのですが、ラッパを使ってテスト的に縫ったものを見て、まずまずの感じではありますので、ラッパだけでなく、縫製する生地にどこまでなれるかが大事だと思います。

無地のものだと比較的ゆがみが目立たないので良いのですが、単純な三巻でも柄物などの場合に、柄がゆがんでしまうことまで意識すると手でやるほうがより正確に縫えそうな感じではあります。とりあえず数日使ってみてラッパでよりきれいにできるようになるのかみることが必要です。

ハンカチなど布を正確に裁断するときに、生地目に沿って正確に裁断する方法があります。糸を一本抜いて、それに沿って裁断するのです。しかしながら生地自体にもゆがみというものは存在しますので、布が碁盤の目のように正確に縦横で形成されているとお考えだとがっかりされるかも知れません。

生地というのは一面を同様に仕上げようとしてもどうしても、真ん中というのは引っ張り出す力が働くのが小さいので引っ張り出しが足りなかったりすることがあります。一方で、端のほうほどキバタの状態では中に入りやすい傾向があります。

品質検査で、生地のど真ん中で検査を取ると良い値が出たりするのですが、ワッシャーを掛けて縮ませた生地など端のほうでは、数値が悪くなるのです。検査機関にしましてもそこまで考えて検査をされているケースはないのではないかと思います。同じ、生地でも、数値が検査ごとにばらばらであったりすることがあり、天然繊維の生地というものは生き物であるということを常に感じると同時に、反頭や反末での見本生地で検査を取った場合の数値の信頼性の低さを経験しています。

リネンはそもそも高級品だった時代には、ドライクリーニングが前提だったものなので、家庭洗濯されるばあい、襟元のしっかりしたリネンシャツなどを買われるときには生地が詰まっていくことを想定して大き目のサイズを選ばれるほうが良いと思います。実際には、メンズの市販されている綿のワイシャツなんかでも、3回ほど着ると襟元が何センチが小さくなってしまっているものがほとんど、一度でも洗うと首が窮屈だなあというのがほとんどですが、そんなものだと気がついていないことお多いのです。
2011年04月17日
以前、リネンテスターについて触れました。近くの電子部品工場さんに行きまして、生地の組織を見たいので、拡大鏡を借りたことがあるのです。その電子部品工場さんは、顕微鏡や拡大鏡を使って半田付けをされている、日本でも特殊な技術を持っておられる工場さんです。

そこで、いろいろな機械で試させていただいたこともあって、生地を見るのに道具としてなにが適切なのかというある程度の判断ができました。会社にも400倍くらいの理科で使うようなものをよくした感じの顕微鏡があるのですが、裏から光を当てるタイプでそれだと暗すぎて駄目なのです。手ぶれなく作業ができるような道具が必要で、思い切ってルーペタイプの顕微鏡を改良して作業用の台を作りました。

なぜか、既成の顕微鏡を使っていたときは、左右上下が反転して酔うような感覚があったのですが、自分で作ったこの台だとそれがすくなくて手で微妙な深度を調節できるので、ものの立体感を感じることが可能で、自分の目さえよければミクロン単位のものまで確認できそうな感じです。

先日アップさせていただきました本麻手もみのチェックですが、すでに数件ご注文をいただきましてありがとうございます。残念ながら、難があったがために残った反物ではありますものの、近江上布の流れを汲む林与の先染めの本麻らしい良さを感じていただけるかと思います。
2011年04月16日
生地屋さんから細番手で密度が高めのものがほしいということでご依頼を受けておりました。昨年、こつこつと着手したリネン100番手の高密度タイプは、今年はさらに1割アップくらいを目指してできないかと考え直しています。これは売るのを目的とするものではなく、極限に挑戦するためのものです。リネンをとことん織ってみるというのが面白いのではないかと思ったりします。細番手のリネンというのは打ち切れを起こすので、強く織る力だけではよい反物はできないのです。

来週には、海外からも120番手クラスの糸が届くのですが、それもアパレル向けのプロジェクト用の試作に使おうと考えています。ステップアップして、より細番手の高密度が可能になります。リネンは細ければ細いほど高密度シルクのようなペーパーライクなパフパフした感触を味わえます。表面に張力が働いているような感じで皺にもなりにくいのです。

60年ほど前の手績みのきぬあさの糸を、倉庫から取り出してテスト的に窓辺に1年ほど置きまして変化を見ています。百グラムあるかないかの糸だとは思うのですが、やはり、外気に触れて乾燥という要素が、糸を駄目にしてしまうようです。麻糸というのは外気に触れないで保存することが非常に大事なのです。一方、光という要素は糸を白くというよりも透明に変化させるように思います。オゾン漂白的な要素が働いているのかも知れません。こういうテストが、本当に近江の地は麻織に適しているのかというような疑問に答えをもたらし、麻糸を織るには、糸が商品として最初に出来上がったときの湿気は逃がさないようにしてあげないとならないということだと思います。今の糸の話でも、8年ほど前に購入したリネン糸66番手の箱の外に出ていた糸を織ることがあったのですが、その糸はそのときは織れても、今は、切れて切れて織ることができないという感じです。

手績み糸のようなものは農作物に近いので、お米をモミのまま保存するのと同じような保存を心がけないといけないのかと思います。倉庫で鉄板のケースに入れておくような感じです。細菌だけでなく、虫を寄せ付けないことも大事です。新聞紙で包むというのは、理想的な方法です。新聞紙でくるまれた部分は劣化していませんが、箱の中に入っていても、新聞紙から出てしまったところは糸が駄目になっていました。昔の人の知恵ですね、と簡単に言いたいですが、昔の人というのは科学的にもなぜかというのを解明できていたのではないかと思います。解決方法だけを後の時代のものは活用しているのではないでしょうか。最初私が見たときに、新聞にくるまれた糸をみて、昔の人は再利用に長けていたと感じたのですが、そうではなく、新聞紙がベストな選択だったのだといえます。偶然にも新聞紙にくるまれていることで、いつの時代の糸なのか日付が確認できたのは幸運です。

リネンの糸に関しても、北アイルランドで作られる糸がなぜ細く強く、ゴールドだったのかというアイリッシュリネンの特徴に関してその部分がかなり見えてきました。それが今作れないのも、原料の製造工程の違いや紡績の技術的な問題だけでなく、そういう超付加価値のものを大量に受け入れられるような市場の存在が前提となってきます。ヨーロッパに綿が普及し、合成繊維が普及したことがリネンからのシフトを促したと思います。アイリッシュリネンの問題を考える中で、昔の近江上布に関する謎もいろいろと解けてきたような気がします。
2011年04月15日
今日は、急に追加で生産する反物ができてしまって動き始めました。最初から納期を考えて生産が簡単になることを前提に準備したものなので、そういうものは、非常にスムーズに生産が可能で、週明けには加工出しになります。

朝のうちに、シャトル織機のソウコウ枠に使うソウコウを通すロッド棒が200本届きました。鉄の平たい棒なのですが200本でも非常にコンパクトに包まれていてました。ですが、持つとたぶん片方で30kgくらいはあります。手が抜け落ちそうです。

このロッド棒は新しい機(ハタ)を作るのにつかいます。今までの機がたくさんあるのでそれをバラして使えばよいのですが、せっかく出来上がっている機を壊してしまうのは人間の労働が詰まったものだけにもったいないのです。機をバラしてしまうとその機で織った布というのは作ることが難しくなります。機を残しておくことで特色のある布を守ることができるのです。

お昼頃、近くの住宅内装関連の工場に伺いました。その工場は、被災地で使われる仮設住宅用の備品を製造している下請けの工場で、贅沢なことを言わないでがんばれるだけがんばろうということで、今、忙しく動いておられます。普段は、数人で仕事されている現場に、20人くらいの方が働いておられました。なかには、70歳、80歳の方が何人もおられて、昔その仕事をされていた方に応援を求められて対応されています。
2011年04月14日
今日は暖かな日で、林与のある豊国地域では桜が満開になりました。満開の桜をみると何を感じるのかというと美しさもありますが、それ以上に力強さを感じます。1日違うだけで、その力強さというのは何倍もの違いで、その差を感じることができるのは、まだまだ、自分の中の感性も生きているのだなあと思います。

その桜の木の中で、私が生まれる前からそこに生えている木が何本もあるのです。それらの木というのは、小さな頃から見続けて来た木なので、他の新しい木のほうが美しくても、昔から変わらぬままそこにあり続ける木のほうに思い入れがあります。その木があり続けていることがすごいなあと感じるのです。強いなあ。

夕方は、プレミアムテキスタイルジャパン向けのインデックス素材などを用意しています。トレンドコーナーに展示される用の素材で、林与が今回選んだのは4点です。リネンの先染、リネンの蜂の巣、リネンの細番手素材、リネンのガーゼ。リネン麻織物の産地の林与らしい生地を提出したいと考え、リネン100%で4点です。見た目はどれもが違うように見え、他社さまの素材ともかぶりにくいかなあというものを選びました。
2011年04月13日
そろそろプレミアムテキスタイルジャパンが1ヶ月前と迫ってまいりまして、コマ割のご連絡が届きました。アイリッシュリネンプロジェクトの2年目の企画もより先染らしいものを目指して動いています。乗り越えないといけない壁みたいなものがあって、そこが良いところです。

昨年のジャパンクリエーション2011AW展ではリネン40番手のキッチンクロスをプレゼントさせていただきました。今年は、ブースへのご来場者の皆様には、ビンテージ物ではありませんが、オフ白の100番手クラスのリネンハンカチをプレゼントさせていただこうかと考えております。

リネン120番手クラスの糸の出物が海外で見つかりましたので非常に少量ながら手配もすみました。アパレル素材向細番手プロジェクト用の手配でプレミアムテキスタイルジャパンを一つの発表の場にすることを目標に動いています。また、林与も長年の案件でありましたリネンのインナーアイテム向けの素材提案の形も、ある方との出会いから今回のプレミアムテキスタイルジャパンの場でのお披露目となりそうです。

プレミアムテキスタイルジャパンは、バイヤー様限定でご入場にはご招待状などが必要となります。ご来場をお考えの皆様は当サイトまでご連絡ください。詳細は、プレミアムテキスタイルジャパンのサイトでご確認くださいませ。http://www.ptjapan.com/index2.html

リネン100番手を超える細番手に関しましては、さまざまなトライアルを昨年行いました。昔は、リネン100番手といいますと高嶺の花みたいなイメージだったのですが、今では、中国での紡績技術の発達により手の届くところにまできたような気がします。織るのは難しく、段などもできやすいので、縫製の技術も含めての商品開発になっていくものかと思います。

プレミアムテキスタイルジャパンに向けて動いているのが本麻の小幅織物の世界です。インターテキスタイル上海などでも着物をご提案されましたブースが日本らしく非常に人気ではありました。夏の日本の着物といえば本麻織物、この一年のいろいろな皆様との出会いから感じたのが、林与に昔ながらの小幅織物のご提案を期待くださる声も多く、林与もちょっと昔にもどりましてプレミアムテキスタイルジャパンで日本の麻織物らしい顔も見せて行きたいと考えております。
2011年04月12日
朝一番に、「幻のリネンプロジェクト」に使う機材の件で電話をいただきました。簡単なテストは終わりまして、本数を増やすために機つくりからはじめています。実際にリネンの600番手とか800番手を超えるような織物が織れるかどうかはやってみないと分からないので、とりあえす、失敗をしても、それが経験につながるので前に進みたいと考えています。林与自身も、ビンテージアイリッシュリネン140番手の糸で細番手プロジェクトは形になりましたので、次は、どうせやるなら人類未踏のリネンの細番手の領域に挑戦できないかという気持ちで着手し始めました。影で支えてくださる皆様が多いのに感謝いたしております。

お昼前に加工工場に反物を取りに行きました。仕上げ場のおじさんはいつも私の顔を見るだけで私が取りに来るのが分かっていたかのようにその反物がどこにあるのか教えてくださいます。昔からずっと作業をしておられれる方なのでかなりお年もとられてきたとは思うのですが、すべてにおいて若い人に勝る力をもっておられるのでその現場を守っておられる感じがします。仕事に無駄が見られないのが素敵です。

昼過ぎからは出荷関連とそのほかの事務処理を行いました。4時ころに岡山からミセス・モトコの社長ご夫妻がお越しくださいまして、初めてのお出会いでいろいろとお話をお聞かせいただきました。明日からジェイアール名古屋タカシマヤさんで催し物をされるということで、途中滋賀県を通られる際にお立ち寄りくださいました。ハイミセス向けのブランドさんですのでご興味のあられます皆様はジェイアール名古屋タカシマヤさんに脚をお運びくださいませ。

一番感じたのがものづくりへのこだわりを持っておられることです。昔の布がなくなるということで温度管理のされた倉庫に布を保管しておられ、それを将来に残そうとされているあたりのお話もさすがだなあと思います。素材からしまして昔のものに価値を感じておられるところ、トレンドが終わったものに対しても価値を感じ続けられる目というのはものづくりの側から見る目なのだと思います。ブームのときに作ったものとブームでないときに作ったものとの価値は作る側からするとそれほど変わるわけではないのです。

「糸はどこの糸ですか」というご質問をいただくことが多いのです。作っているものがどこまでわかっているかというのは微妙なところだと思います。たとえば、アイリッシュリネンにしましてもそうですが、フレンチリネンという言葉にしましても、本当にフランス産なのかというと、フランスに紡績工場があるのかという問題になり、また、大手メーカーさんなどもフレンチリネンを謳いながらも、最近は、フラックス原料は、フランス産あるいはベルギー産という表現に書き換わって来ているのは、販売や企画される側の皆さまにも少しづつリネンに対して正しい知識が浸透し始めてきたのだと感じます。私自身、同じメーカーの糸を使っていても染めの問題やいつもとは違う癖のあることがあったりしますので、グレードが変わったのかなどと問い合わせることもあったりはします。糸に関して言えば、最終的な品質を守るためには糸自体も大事ですが、その糸を販売される人の考え方が同じく大事だと感じます。
2011年04月11日
今日は一転して冬並みの寒空です。昨日、桜を見ておいて本当に良かった。子供のころというのは、桜を見るというものにはなんの興味も示さなかったですが、それは、春になると、モンシロチョウやアゲハチョウ、秋には赤とんぼで、桜というのはとりわけ特別でもなく、普通の光景に近かったのだと思います。

昨日、清水寺で見た桜以上に、私がいいなあと思う桜が、より普通に咲いている桜です。鴨川の川縁に咲く桜なんか、より人の手が掛けられずに凛としています。帰り道、大原の山の中に咲く桜なんかは、同じ木でもある日急にピンクの桜が咲くのには、その桜の木の下に何か秘密があるような気がします。また、自然の中で美しいものというのは儚いというのが美しいものをより美しく感じさせるところだと思います。

昨日散策した京都の御池を下がった通りに昭和レトロな豆腐屋さんがありました。昨日は日曜日だったのでやってられませんでしたが、その豆腐屋さんのたたずまいはそのものが芸術です。他のお店が建築業者さんが日本風に作ろうとするのに、その豆腐屋さんはトタン張りですが、何十年も続く本物であり、錆びたような色味なども歴史の重さを感じるのです。他のお店は、常に新しく見せないとお客様の目を引くことが出来ないのに、このお豆腐屋さんは普通に生活しているその本物なスタイルが素敵です。

こういうところにあるお豆腐屋さんが、スーパーと同じものを扱っているのではなく、京都の文化の一端を担っておられるようなところがあるんだと思います。京都には料亭などたくさんありますが、京都に高級料亭が残り続けるのもこういう昔ながらのお豆腐屋さんがあるからではないかと思うところです。

あいにく私は不在だったのですが、夕方、先日お越しいただきました糸加工工場の社長様が数十年前の本麻糸を持ってきてくださったようで、形にして京都の和装の世界にご提案できないものかと思っております。京都に行きまして春だったのですが、昔風な本麻のものというのは店頭では見かけることがありませんでした。祇園祭でも昔から近江上布だったといいます。京都のお店の店頭などにも近江湖東産麻布の世界が日本の伝統や文化を語る上で残っていて良いのではないかと思います。

夜に、生地屋さん向けの10日納期のものがまだ上がってこないので、加工工場さんに反物を取りに行きました。遅すぎてもう閉まってしまってて、明日出荷できるとよいなあと思います。外はすごくすごく冷たい、雪が降りそうな風で、店頭ではこれからリネン生地などが並ぶことになるのに心配ですが、今年の夏の生活スタイルは、昔の日本の夏になるのではないかと多くの方が予想を立てておられます。涼しげな麻のものを着て夏を過ごすスタイルというのが見直されるかもしれません。
2011年04月10日
今日は、思い切って桜を見に清水寺に行きました。すごく良いお天気の一日で桜もほぼ満開の状態で申し分なかったです。その後、大学のときに時々食べてたシェイキーズのピザを食べて店内では1980年代のディスコソングが流れ続けていて、ここだけは変わってないじゃないかと感じました。

新京極や寺町通のお店をじっくり見て回るというのは、高校大学の時にはしたことがなく、ほとんどのお店が生地を主役とするような商品構成のお店がこんなにもたくさんあり、しかも、それらが若い方を中心に人気であるのは、京都というのは着物の町で、布が集まる町なんだと実感しました。

四条河原町には、コエトイロというアンテナショップさんがあって、以前弊社にもお越しくださって一度見せていただければと思ってて立ち寄らせていただきました。ウールやシルクの着物を中心としたアイテムを扱っておられ、着物のお店というとなかなか敷居が高くて入りずらいかと思うのですがとても入りやすいイメージのお店です。

その後、アパレル関係もウィンドウショッピングしました。ベネトンさんにも入ったのですが、なんか、私の中でのベネトンさんのカラーリングがナチュラルなカラー展開に変わってしまっていて、昔のビビッドでカラフルなベネトンさんのイメージも、今のナチュラル志向の流れにあわせてあるのかなあと思いました。
2011年04月09日
小さな郵便物をお送りするときに林与織物と書かれた封筒を使用することがございます。3年ほど前まで、社名は株式会社林与織物でした。麻業界の中ではずっと昔から「林与」で通っておりましたが、私が引き継いだときに「林与」にしたいなあと自然に思いました。先代がいるときにはそんなことは考えてもいなかったので、啓示的なものを感じます。

初代の林與次右衛門商店からはじまり、二代目与一のころは林与織物工場、三代目與志郎のときに株式会社林与織物、そして四代目の私のときに株式会社林与という流れになっています。林与というイメージは、二代目ころから定着していたものと思われます。「林与」ロゴは、昔の近江上布の反物の箱にもあしらわれており、昭和20年代の後半、あるいは昭和30年代前半くらいからは使い始めており、戦後復興した近江上布の反物を入れて京都や大阪の問屋さんに送るのに「林与」ロゴの入った箱が使われました。

近江麻布にも用途の違いがございまして、愛知川の川を挟んで、愛知川地区の機屋というのは服地、能登川地区の機屋というのは座布団地というようなイメージです。服地の世界と座布団の世界とでは、業界が異なるかのごとくに分かれていて、服地をするところは服地専門で、座布団をするところは座布団専門という形だったのです。それは、販売先というのが明確に分かれていたことにあるといえます。

着物屋さんとのお付き合いをするのか、座布団屋さんとのお付き合いをするのかで、専門とする分野が明確に異なったのだと思います。両方を手がけることがなぜ難しいのかは、織機の幅にもあったと思います。服地は1尺ほどで、座布団用の織機というのは倍ほど広いのです。林与の場合でも、昭和30年代後半から、和服が売れなくなったからといって、手織りの座布団をつくることは出来なかったのです。

私の想像ですが、地区ごとに明確に生産物が分かれているのは、強い規制があったからというわけではなく、地域というのが血縁関係で成り立っていることも多く、家業の延長として親戚に仕事を世話するような形で成り立っていたことにあるのだと思います。織物にしましても現代よりも高度なものを作っていたので、ノウハウの蓄積は重要で、誰にしか出来ないというような独自の技術や特色が家系ごとにあったのだと考えます。
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