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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2014年09月08日
今日はミラノウニカ準備日、朝食を食べた後、ハンガーの準備。午後1時出発でホテルを出て、プリントアウトできるお店を捜したり、両替できる銀行を探したり、入り口を捜したりして、会場に入ったがぎりぎりの4時くらい、ハンガーを並べるだけで済む形なので、展示方式としては非常にシンプル。自社ブース内の設営だけなら当日の朝でもできそうな感じ。

展示会場も含め周辺は工事ラッシュ、来年の万博開催に向けて工事が進んでいるということらしい。私としては、コルドナ周辺の雰囲気がすごく好き。イタリアも赤の色が好きな国であるなあと思えるのは駅などの近代的な建物の色。

夜には、日本の主催や出展者が集まって市内のレストランでの食事会。最寄の駅について場所を歩いて捜すが、地図にある地下鉄のMのマークがマクドナルドのMのマークと似ているので、マクドナルドがあるのかと思って地図を見たので失敗で、レストランまでの道程は遠い。歩いて動くというのは実際の街を知るということではよいことだと思う。

ミラノに来て困ったのは両替できないこと。市中の銀行では両替できないところが多く、ホテルでも両替をしているところは少ないようだ。みんなクレジットカードでキャッシングするというのが普通らしい。現金が必要なら日本で両替していくのが正解のようで、昔の旅行を思い出す。

ホテルに地下鉄で帰ったのは夜中12時近く、普通のお店というのは閉まっていて、部屋に前日買ったミネラルヲーターとビールがあったので歩いて疲れた分の水分補給した。日本のようにコンビニがどこにでもあるような形ではない。買える時に買っておかないと買えないというのも、実は当たり前のことでよいんじゃあないだろうか。
2014年09月07日
関空9時の便、北京経由のCA。関空に向かうはるかに乗ってしまうと、あとは、ホテルにたどり着くまでの長旅だが、余裕のあるスケジュール。いつもぎりぎりでスケジュールを組む林与なのに、珍しいパターン。

北京の国際線乗継は、チェックが厳しく、ガムの包み紙ですら金属反応をする。トランジットに2時間の余裕があったがうち1時間以上検査で費やすことになった。セブンイレブンんおおにぎり100円セールで大きなおにぎりをいくつかかっておなかが空いたら食べようと思っていたが、パソコンケースの中で、押しつぶされた2個のコンビニおにぎりをチェックされる、これは恥ずかしい。このチェックの厳しさというのは、北京は国の要人が飛行機に乗るからだろう。

イタリアのマルペンサ空港の入国審査通関は非常に簡単、迷うかと思ったが、マルペンサエクスプレスに乗って、カドルナ駅について、ホテルまでグーグルアース見ながら迷わず歩いて着けた。ミラノも歴史のある街なので看板などの規制があるのだろう、町並みが歴史を感じさせ、ごちゃごちゃした看板などなく素敵だ。体力の消耗は最小。ホテルもパスポートを見せるとチェックインは終わり、こじんまりとしたホテルながらも素敵に思う。

イタリア、フランス、イギリスがファッションの世界で強いのはやはり歴史を感じさせるからだと思う。普通の生活が歴史に包まれて変わらない価値を保ち続ける。出来たときが一番でなく、出来上がってから価値が増していき、ほかからすると超えることのできない価値を持つ。

夜はぐっすりと眠れた。徹夜で飛行機に乗って首を傾けるとコリコリと音がなるほど肩コリがひどかったが、ぐっすりと眠ったおかげで頭に血が循環してすっきりとしている。
2014年09月06日
イタリアに行くので散髪くらいはしておかないと駄目だろうと、以前から何回か通った理髪店に行くともぬけの殻。そのビル自体は空洞化しているようには思っていたが、一番繁盛していたように見える理髪店も廃業なのか。

商売というのは、働いて、お金を儲けることもあれば失うこともある。なぜ失うこともあるかといえば主な理由の一つは固定費用が大きく、売り上げが伴わないと続けていくのが難しいということがあろう。

空店舗があれば数年のうちには新しいお店が始まっているように思うが、人の寿命以上に商売の寿命は短いことがほとんど。本来続いていないとらならいはずの地場産業と呼ばれるものでも20年で半減し、また20年すれば半減するだろう。人の寿命を80年とすると今ある産業の規模は、16分の1の規模になるということだ。

今日は徹夜での準備になりそうだ。明日は早朝の出発。結局、留守にする分の仕事の準備。ジャガードの紋紙を交換、レピアのオープナーの調整、整経の巻き取り、留守の間に出荷する予定の荷物の発送先をを留守のものに伝えたり、染まりあがってくる予定の糸の状況確認。間際にご注文をいただいた商品などを発送のものに伝えたり。展示会よりも留守にする会社のほうが心配。
2014年09月05日
もうすぐ出発。出発前に遣り残した仕事を片付けるのと、私が会社を留守にする間の会社の中の仕事の段取りを準備しておくこと。いつも私自身の仕事よりもほかの人の仕事の準備をすることが自分の仕事になることが多いので、仕事というのはやっぱり人だろうなあと思う。

加工工場で、一つ手がけていたラミーの超細番手の織物が加工から上がってきた。加工途中もトラブルがあったようで、加工に入ってからお盆も挟んだこともあって加工だけでも1ヶ月くらい掛かった。どうせつくるなら満足のいくところのものを作りたいと思って、それなりに、試行錯誤し、自分の頭の中にある仕上がりのものが出来上がって嬉しい。

売れる売れないじゃなくて、自分がつくりたい形のものを追い求めて、それが達成できればそれでよいのだろうと思う。加工工場の専務さんがおられて、塩縮関連の生地を見せてもらい説明を受ける。それらを観て自分の求めているものなのかというと違うところもあったりなのだが、そういう技術的な可能性を知っておくことは、自分のやりたいことに応用が出来たりするので大事だと思う。

自分自身の中に、主観的にどんな風合いが自分の求める風合いなのかがあるのが幸いな気もする。また、それに近づけていくために一つ一つの要素を調整していくのも最終の生地の仕上がりをよくするためには必須の要素で、現場の専門の人以上にこういうことができないだろうかとか切望していることも多い。
2014年09月04日
今日は、経理のものが会計ソフトを起動しようとして起動できないという状態で、朝8時くらいから10時半まで格闘。電話でユーザー登録してサポートと話しても、駄目な様子で、すべて消えてしまいますが再インストールしかないといわれて、自分で解決法を探すモードに。

エラーの詳細ボタンを押して詳細を確認して、ポップアップを閉じたとたん一気に起動した。入力したデータも残っている。再インストールでこの9ヶ月の入力をすべて失うのとは天と地の差である。ソフトメーカーのサポートも対応できない類のバグというのは存在するのは当たり前だと思う。ソフトメーカーですらも、OSの仕様自体にバグがたくさん有ったりするもので、それを解決しようとし始めると今後のアップデートなどでややこしくなるのだろう。

話は変わるが、若い頃は織物の仕事よりもコンピュータの仕事を別腹として考えていた。コンピュータを使えることが織物の仕事には役に立っている。昔は読み書きそろばんといったけども、今は、デスクワークでは仕事でコンピュータを使えることが最低条件であろう。が、私は、コンピュータグラフィックスとういものに芸術性は感じない、というのは組み合わせでしかないように思える。

デザインは最終的には色柄ではなく、哲学なのだろうと思うことが多い。テイストじゃなく、哲学をもったデザイナーの方と会うと本物のデザイナーに会えたと思う。結局、服にしてもデザイナーの生き方の一部を表現し、布にしても機屋の生き方の一部を表現しているのだと思う。物の中につくり手を見ることができる。
2014年09月03日
今日は午後に大阪からインテキ上海に絡んだ取材の方が来てくださり、近況などをご報告。インテキ上海は、林与の場合、中国以外のバイヤーさんが半分くらいで、中国のブランドやお店のバイヤーさんが半分くらいのイメージ。

最初、インテキ上海に出たときには、「麻」を売ろうとしていることが珍しいという人が多かったのを覚えている。中国では「麻」というのは、綿よりも安いイメージが昔からあるようで、日本の企業が「麻」を高級素材として打ち出しているのを不思議に思われる方が多かった。それでも、5年もすれば、「麻」や「リネン」というものの認識は変わり、高級素材として、中国の現地の方が競って求められる注目素材となっている。

昔は、中国の百貨店を見ても、ナチュラルなテイストのブランドというのはほとんど見かけなかったが、今は、台湾がそうであるように、中国にも日本のファッションというものが浸透し始めていて、ナチュラル素材がやはり合成繊維よりも高いということもあって、ナチュラル素材を高級なブランドが使用する傾向にある。

海外という場では言葉が通じにくいこともあろうが、素材というものが共通の言語となってコミュニケーションが取れることも多い。値段が高くても買ってくださる方や毎日来て下さるお客様がいてくださったり、それも一つの楽しみだったりする。4日の展示会というのは長すぎ、2日目なのか3日目なのかいつもわからなくなる。世界的な麻ブームの流れの中で、麻についていろいろと私と話をしたい方が話に、聞きたい方が聞きにきてくださるとう感じで良いと思う。インテキ上海は10月後半。

今日は夕方、加工工場にラミーの超細番手の織物の上がりを見に行く、なるべく綺麗な仕上がりにしたいと思っているが、まだ試行錯誤の状態。見本というのは2つ、3つに分けて加工したい気持ちもあるが、すべてを試すことはできず、ベストと思われるような加工方法を採用する。

夜には、糸を巻くおじいさんのところに糸を取りに行く、黒を先に巻いてと頼んでおいたが、紺から先に巻き上がっている。年配の職人さんというのは一般的にほかの人の指図どおりに動けることは稀なのだが、このおじいさんに仕事をしてもらうときにはいつも正しかったので今回は例外で、なにか順番が逆になった理由があろうと思える。
2014年09月02日
今日は、午前中に竜王の佐川で営業所止めの反物を受け取り京都に納品。納品のあと加工の件でプリント工場へ相談に伺う。帰りの高速道路でも、本質的な解決方法があるのかを考える。

会社に戻って、途中になっている整経などを行う。これも会社では私にしかできないタイプの整経で、ほかのものに説明して正しくやってもらえる確立が低いので私が担当。

来春向けの注文が入ったのでその計画なども考える。ナチュラルな仕上げのタイプなので、通常の加工以上に時間と手間が掛かり、私もミラノウニカで不在にすることもあって納期が間に合うのかちょっと心配。

9月の阪急うめだ本店でのテキスタイルマルシェの詳細が届き、9月17日から23日に行われるということ。頭の中では15日からと思っていたので、帰った翌日が準備になると思っていただけに、1日でも余裕ができて助かった気分。
2014年09月01日
今日は、午前中お客様、午後から来春物の件でお客様。夕方には地場のお店の関連。糸が染まりあがってそれを糸を巻くおじいさんのところへ。糸を持っていって、おばあさんと久しぶりにお会いした。カセ染めの糸をチーズに巻き上げるチーズ屋という商売だけでは難しいので、牛乳や保険、運送のいろいろな代理店などをおばあさんは若いときから動いておられた。

いつも電話すると聞こえてくるのが、「林与の社長さんやで、にいちゃんやない」でと、おっちゃんに電話を代わられるときに言っておられるのが聞こえてきて、おっちゃんも大変やなあと思いながらも、おばちゃんが私を盛り上げようとしてくださっているのが伝わってくる。

今日も、午後のお客さんがいっておられたのが浜松でも織るところが少なくなってきたということ、また、別件でウールが織れないかと電話いただいて、近い方からのお話なので織れない事はないのだが、林与の織機は幅が狭いので規格が合わなかったのだが、一宮でも織るところが少なくなってきたという話。どこの産地も機業においては、戦後のひと世代が終わろうとしていて次の世代がないといえる。

織物というのも同じものを織るなら技術的にはそれほどは難しくない仕事なのだが、小ロット多品種的なものづくりとなると話はまったく別で、あえて難しいものをつくろうとするのだから技術も必要となる。今日はほかにもプリント案件の仕上に関して、加工工場やプリント工場と相談。単に織るというところだけでなく、理想とする最終形に近づけるために何がどこまでできるのかという辺りは、糸から始まって最終の生地まで考えないとならないことは多い。
2014年08月31日
麻織物というのは味のあるモノづくりができるジャンルだと思う。手と機械的な道具で作り上げる伝統工芸品と、工業製品の違いは、同じもののコピーをつくるのか作らないのかという辺りにあろうといえる。作品をつくるのか製品をつくるのかというところ。

伝統工芸の世界では定規を使うよりも目や手が道具となり、微妙に違うことの面白さがある。直線が直線ではないところが伝統工芸の良さなんだろうと思う反面、それでいて高度化しようとすると人間の感覚や忍耐の限界に達する。

工業製品は無機質なもので実用性が重視されるのだろうが、伝統工芸品の場合には豪華さや美しさ、あるいは奥ゆかしさが感じられないとならないと思うが、それが職人から出てくるようなものであるのが理想であろう。職人が工業的にしかものを作れないと、どこでも作れるようなものに終わってしまうことも多く難しいものだったりもする。
2014年08月28日
今日はインテキ上海のトレンドコーナー向けの提出素材をパリのネリーロディエージェンシーにフェデックスで出荷。インテキ上海のトレンドコーナー向けというのは始めて。インテキ上海も上海での展示会ではあるが、フランスのファッションの影響がやはり強いなあと思える。

日本もかつては洋装化したときに、高級なゾーンでは、フランス、イタリア、イギリスの文化を取り入れ、カジュアルなところはアメリカからジーンズ、Tシャツ文化を取り入れた。でも、日本の場合には早くからブランドを立ち上げたので、生地に関しても独自のファッションセンスが大事にされてきたと思える。

それはセンスだけにとどまらず、器用さや根という部分がかつてのモノづくりには流れていたと思う。トレンドという大きなファッションの流れの中で、それについていくというのも一つの強い形ではあるけれども、一方でトレンドに流されないというのも一つの強い形だったりして、自分のよいと思えるスタイルを形を変えずに貫いてみたいなのの典型は、シーアイランドコットンやハリスツイードなど。イギリスは変わらないいいものに評価が高いなあと思える。

そういうのって原料や生地の世界に力があるということなのだろうが、量が限られているものを限られたままに守る気骨さがないと駄目で、安くたくさん作って儲けようとする人が中にいたりするといっぺんに崩れてしまうような価値観なのだろうと思える。

ウールも細くて柔らかいことが良質であることの証みたいな価値観がある中で、硬いウールがもてはやされるというのも面白いと思いませんか。ハリスツイードを作っている人たちが柔らかいハリスツイードを売り始めたら、相当に売れるでしょうけど、ハリスツイードが守ってきたものが崩れ始める瞬間だったりするものです。売れるものを追うことがよいとは限らないのです。林与も着物の生地はしっかりと織って硬く仕上げ、アパレル生地は柔らかくと使い分けを行っています。

デニムなんかでも重くて硬いことが良いとされながら、正反対の軽くてやわらかいことがもてはやされ、ストレッチが主流の時代。正統派?は、レアとなり自己主張の強いファッションとして生き残る。フェラーリが個性的なコンセプトと形と性能だけでなく、色がフェラーリ=赤なのも面白い。ファッションにおいても、流行を身に付ける形と個性を貫く形があろうかと思います。仕事の打ち合わせなどで、デザイナーの方とお会いすることも多いですが、さすがにデザイナーの方たちはそのブランドを代表するようなイメージの方ばかりです。
2014年08月27日
今年は、トンボをよく見かける。秋になったということだけでなく、地球環境が少し昔に戻り始めているのか。でも、とんぼが赤とんぼじゃないのは、違和感。昔とは違う種類のトンボなのだ。赤とんぼと大きさは似ているが茶色のトンボ。赤とんぼは一つも見かけない。

赤とんぼの赤も日本の色彩の一つなのだ。赤にもいろいろあるけれども、赤とんぼの赤が赤なのだ。もみじの赤が赤なのだ。実はああいう深い赤の色は麻を染めるのは案外難しい。糸の中までしっかりと染まっていないと、中が白いと浅い赤の色に見えてしまう。

今のリネンの糸というのは強くなってどこでも織れる様になったのだが、濃色ではよくわかるのだが中まで染まり切らないという現象が見られる。これは染めの問題だけではなく、糸の硬さの問題が影響していると思う。撚糸にしても昔はリネンも撚糸すると落ち感が出てソフトになったものだが、今は撚糸するとコリコリでザラザラになってしまう。

一方で、昨日は、今までとはちょっと違った風合いのものにたどり着き、秋冬に向けたリネンとして提案ができる気がするのだ。もう少し原因を分析などしないと、何が違うのか完全には判らないのだが、自分がよいなあと思える風合いのものに出会えて嬉しい。

風合いなんかでも、昨日は雨が降っていたからソフトに感じたというだけのことだったりということもある。糸の中の水分量が飽和状態までに増しているとソフトで柔らかい感じになる。乾燥してしまうと同じ布でもぱさぱさで硬く感じるものだ。
2014年08月26日
昨日は、整経作業、糸を割ったり。整経も準備作業のほうが時間がかかることが多い。糸をチーズワインダーという機械にカウンタをセットして必要なだけ小割する。これが結構時間の掛かる作業で、他の仕事をしながら糸を割る。

今日は工場の織機は、もうすぐ、本麻のチェックが終わる。この本麻のチェック、以前すごく人気で、ネットで販売したところ2週間ほどで在庫の1反がキズモノなのに売り切れて、再販のリクエストも多かった。4年ぶりくらいでしょうか、ようやく、再生産です。プラス2配色つくりました。縦にはコンニャク糊加工糸を使い、本麻の手もみシリーズの経黒と共通の規格です。

人気の有った一つの配色以外の2つの配色は、林与が倉庫の糸の中から糸を選んでミックスして作りました。一つの柄に8色使い。こういう多色使いの本麻は、国内の生地屋さんでもほとんど販売されていませんので、お洋服にして召していただくと高級感もあって、見栄えすると思います。9月の阪急うめだ本店でのテキスタイルマルシェにも持って行く予定で作りました。

林与が麻の世界で、一番くらいに特色をもっているのもこの本麻の先染です。こういうガチがのもというのは、正絹やカシミヤと並ぶほど費用が掛かってしまうので、大量に流れるというものでもなく、林与の本業のほうでも最近はたまにしか作る機会がありません。

昨日は加工工場から連絡があって、先日加工工場に織って納品した生地の幅に関して問い合わせがあり、もしや、規格幅を計算ミスしたかとあせりましたが記入ミスというだけで、ほっとした一幕もありました。一つの仕事というのは内部の準備作業だけでも普通は1週間以上掛けて行っているので、単純なミスでも、一週間のやり直しの仕事になるのです。

始めてつくる生地などは最終の幅などが決まっている場合に、縮率なども想定計算しますが、どうしても最初は出来上がってみるまで何センチに仕上がるのかというのは想定で進むことになります。仕上げ幅というのは、引っ張ればあわせることが出来るのですが、引っ張り出すことに頼ると縮率が悪くなるもので、普通に仕上げて希望の幅になったという通し幅がベストなのです。実は、これが買った生地を水通しするかしないかのポイントになるのです。
2014年08月25日
ミラノウニカ展ですが、9月9、10、11日で、あと2週間に迫ってきました。飛行機のチケットもホテルも、いつも以上に早めに取ることができ、また、今回は現地通訳まで用意できたので、イタリアの現地の人とも話が通じそう。(イタリアのデザイン系の方というのは、あまり英語を話さない方が多いという印象がある。デザインの世界ではイタリア語が強いからだろう。)

思い返せば2年前、テックスワールドでも脚が腫れて大変だったけど、よい経験になった。自分ひとりで行って、ヨーロッパの人が興味を持ってくれるだろうかと心配もあったが、生地に対する評価はよい感じだったので自信になった。

今回は、JAPAN OBSERVATORY という日本パビリオンでの展示形式で、単独での出展より、より多くのお客さんの流れがあると思う。多くの方に生地を見てもらえることが楽しみで、生地だけでなく、ヨーロッパの人と日本のことなどいろんな話をしたいと考える。

リネンの細番手に、近江上布の柄をプリントで載せてストールやワンピース生地として提案することで、得意とするリネン素材の通年提案というだけでなく、日本人の感性や日本の伝統工芸の世界観を伝えたい。近江上布のアーカイブも持ち込む予定で、日本の織物の世界を強くPRしたいと思う。出展企業のなかでも一番か二番目くらいに日本らしさを含む布なんじゃあないかと思うので、ジャパンパビリオンのジャパンらしさにも貢献できればと思う。
2014年08月24日
コンビニが3軒ある道路にさらに一軒新しいコンビニが出来た。田舎なのにコンビニだけがまだ増える勢い。もとは、宴会料理屋が何十年かやっていた。持ち込み可能な料理屋さんだったが、宴会なんかが田舎でも少なくなった影響と田舎はやはり車が必要なので飲酒運転の取締りが厳しくなったこともあろう。

タバコやアルコールを買うときに年齢確認が厳しくなったことも、一般の自動販売機を置いていたタバコ屋さんや酒店を締め付けたことになる。法制度もコンビニの進出を加速させた。微妙な法律の運用の匙加減でお店そのものが廃業になった、代々やってきたタバコ屋さんやお酒やさんに止めを刺した形だ。

地元の格安に販売していたお酒屋さんの量販店ですら、廃業になった。経営を切り詰めての地元の格安販売店の価格が、大規模なチェーンスーパーの通常価格に敵わないのだ。夜間の売り上げに貢献していた酒類の自販機の撤去もコンビニにお客を取られてしまう要因になった。

商店街の家族経営のお店がつぶれることは商売云々以上に、自立してつつましく生活を立てていた人が、仕事をあきらめ自立できない立場に回ってしまう。一番強いものしか生き残れない競争社会的な社会構造の社会の負担というものは大きいものだ。その一番強いものというのが、もはや日本企業ではなく海外企業だったりで、国策というものが産業に止めを刺すみたいなこともよくある。

日本のように何をやろうとしても許認可の国で、なにをやっても成り立ち難いシステムができあがっている。自由競争の中では大きなハンディキャップなのだが、日本の国内においても、日本企業には厳しい規制がかかるが、外国企業は放置ということも、政治力の差が出てしまって、日本の政治の内弁慶ぶりなんとかならないのかと思える。
2014年08月23日
今日もきつい雨が降る。今年の夏は週末は豪雨に襲われることが多い。東近江地区は今日が地蔵盆のようだ。郵便局に出荷に行く途中、地蔵盆らしい様子を見かける。夕方前に豪雨で、夜は雨が止んだ。今日は、とんぼが飛んでいるのが目に付いた。大型の水鳥が群れをなして愛知川の上を川下に向かって飛んでゆく、移動の時期なのだろうか。もう、すでに稲刈が始まっているのを見かけた。

かなり体調も回復して、夕方から糸を繋いだ。風邪薬を久しぶりに数日飲んだ。どこかの持続性カプセルだが、ピリン系で眠気を誘うが、縦糸つなぎなどはほんと単純な作業、すっきりとしない頭でも手が自然に動けば、何時間すれば仕事としてはそれなりに出来ていることになる。

織物の仕事なんて本来は誰にでもできる仕事だと思うが、頭で考え始めるとできなくなるのだろう。なんで私がこんな作業をしないといけないのかとか、あまり考えないで仕事するタイプのほうが仕事が進みやすい。
2014年08月22日
今日は午前中はお客様、午後からはプリントの件での電話での打ち合わせなど。ここ数日に関しては夏風邪気味であまり体調がよくないが、いろいろな案件が動いているので、織機も立ち上げ、調子が悪いと見る必要がある。織物というのは織るのが仕事かというと、実際に織るという仕事は手織りではないので切れた糸を繋ぎなおすという作業だけのこと。非常に初歩的な繰り返し。代わりに、問題なく織れる様に織機を調整するというところが織物でも大事な部分になってくる。

他にも糸の管理なども重要な部分で、糸を準備したり糸を管理したり、そういうのが正しく出来ないと、糸があるのに見つからなかったり、目の前にある糸がなんの糸だか判らなくなったり、ロットの違う糸を混ぜてしまったり、織物をするのには相当記憶力が必要で、自分のやった仕事を思い出せる人でないと頼りにならず織物の仕事は難しいなあと思える。

愛荘町の広報が届いて目を通すとまちじゅうミュージアムという構想がある。シャッター通りの商店街に活気、すなわち人を呼び戻そうとする試み。一旦、廃れてしまったものを元に戻すことは難しい、麻織物というのも消えて行く流れの中にあるのでそう思う。小さな200軒ほどの集落で、昔から麻織物を織っていても、集落の人でも同級生でもなければ、私が何の仕事をしているか知らない人も多いが、それは当たり前のことだろうと思える。ひっそりとでも地道に続けている、それが、現実的な仕事を続けて行くという意味だと思う。田舎で地味な仕事しながらも、世界中に自分の布の世界をPRするみたいな華があってもいいんじゃあないかと。

近くのお菓子屋さんの息子さんにしても、たまにクロネコで合うけど、百貨店向けに商品を卸して仕事を確保するなど、行き詰った境遇を自分で切り開いて行っているのは自分だけじゃなく、私よりも若い子がそういうのこなしているのみて、自分もがんばらんとなあと思う。恐れるべき相手は年配の人たちではなく若い人たちであろうと思うと同時に、そういう次の人たちに担ってもらうよう力を注いでいかないと産業の衰退や過疎化は進むだろう。

仕事なんかでもやっていることを否定するのではなく、自分の思うようにとことんまで一つ一つ実際にやってみろみたいなところが大事で、昔のしきたりやしがらみにとらわれたりしてたら、残せるものも残らない。私自身にしても、先代までは糸商からの糸の仕入れ、販売は問屋さんという、昔ながらの形だったが、今までのルートも残しながら、自分自身で糸を紡績工場から仕入れて自分で個人の方、お店やアパレルさんに販売して行くという形に変えて、おかげさまで目の前のしないとならない仕事は一杯という状況。

織物を織るだけに終わらずに製品まで手がけるのも大事なことで、最終製品をつくるときの工程やイメージなどもっていないとものづくり、断片的な加工業に終わり、何が問題なのか、どういうものが必要なのかもわからないことも多い。やることが一杯であふれていると自分自身のなかで過疎化とか産業の衰退なんてのも重要じゃあなくなってくる。何事でも、動こうとしない人を動かそうとするのは邪魔するような力が働くことが多い、自分が動いて自分の世界を作り上げるのが大事だろう。
2014年08月21日
今日は、ある方から電話をいただいてタイミングというものは非常に大事だなあということを実感。3ヶ月前に糸が手に入るということでお客様と進めて、その数週間後に実際の話をしようとすると糸がないということで流れて、糸の入手の見通しがつかない状況では仕事を計画することは難しい。今回も糸があると思って話を進める間にまた本生産用の糸がないということもこの前の流れからするとありうる。私自身9月がすでに仕事がほぼ埋まり始めている状況で、ミラノウニカ出発前に終えておかないとならない大事な案件が二つある。

卵が先か鶏が先かの議論と似ていて、発注が先か準備が先かという問題。準備しても途中変更はありうるし、発注をまって準備だと準備にも,原料発注や外注発注が伴うので同じように在庫があるなし納期、生産スケジュールの問題が絡んできて発注通りにできないことも多い。

最近あった話が、いつまでにどれだけ注文を入れますかと注文の催促があって、準備次第では投入がずれ込む可能性があるので確約することはしたくなかったが、相手の事情を飲んで投入量と時期を約束した。そして実際に準備できて投入しようとすると、一杯で到底無理でできませんという話なのだが、そういう失敗は仕事ならあったとしても出来る限りの努力をするものだが、へっちゃらなタイプというのが一番困る。
2014年08月20日
仕事の現場で、教える人の努力よりも教わる人の努力が大事なのだろうと思う。見様見真似というのは本能の一つだろう。これが案外大事で、仕事のできる人というのはとにかく知らなくても同じような動きをすることで仕事をこなす。

仕事を二人に教えて、一人は出来て、もう一人が出来なかったときに、別に何も厳しくいっているわけでもなかったのに、泣けて泣けて仕方なかった人がいたが、自分自身何事もうまくこなして来た人が自分が出来ないという恥ずかしさを大人になって始めて経験したからだろう。最初はこんなことで自然に泣けてしまって弱い子だなあと思ったけども、仕事ができないことをそれほどまでに恥に思えるほど、その子は正しくそれまで仕事してきたのだということ。昼休みにしたが、昼休みを自分で返上して追いついた。仕事が出来る人は、出来ない仕事を出来るようになる力を持っているものだ。

日本の繊維業界のピンチは、現場で働く人の少なさ。また、実際に仕事が出来る人の少なさで、仕事を準備してもらわないと自分の仕事も何をしてよいのかわからないというレベルでは正しく仕事をできることも少なくなる。
2014年08月19日
ものづくりのことを考えたりしている中で、それは荒れ狂う世界情勢の中で幸せなことだなあと思えるが、結局はそういうことを大事に育んでいけることが大事で、平和な世の中においてもそういうのどうでもよく損得だけみたいな基準で戦いあうみたいなことなると、平和な繊維の世界というのも荒れ狂う世界情勢とかわらんのだろうと思える。

大の大人が繊維のような世界で必死になっているのは、馬鹿げていることなのだろうと思うかもしれないが、もう80歳ほどになられる染工場を廃業された方と電話でお話していたときに染に命を掛けていたといわれるのを聞いてそこまでの気持ちで仕事をしてもらえていたことにありがたい気持ちになる。

荒れ狂う世界情勢もモラルの戦いではなく、裏では利害関係の対立が見え隠れし、安全なところにいてテロを煽ることで莫大な金を得るために、たくさんの命が踏み潰されているのを感じる。イラク戦争でも数兆円の利益を上げる企業が存在するが、やはり戦争というのはテロそのもので、人を恐怖心に追いやり、死に追い詰めることで、国を成り立たせる国家規模のビジネスなのだろうと思う。

育める人が少ない国というのは、育める人が多い国に追い越されがちで、法律や制度を作り上げてその力関係が逆転しないように正当化するが、働かない国というのは自分の立場を守るために戦争というハチャメチャな力に頼らざるおえなくなるものだ。先進国がしっかりと働いて育めるような力をもっていれば、途上国との力関係の逆転現象は起こらず、戦争も減るだろうと思う。
2014年08月18日
今日は盆休み明けのところが多いだろう。今年の夏の行事というのは雨で多くが流れたところも多いと思う。昔は天気次第で順延ということが多く行われてきたが、今は、伸ばすことを嫌って雨の中でも実行したりすることが多い。これも人の行事に対する気持ちの重さの移り変わりがあろうといえる。

このお盆中、シャトル織機でリネンを織り続けた。付きっ切りで織って1時間およそ2mほど。でも、シャトル織機で織っただけにふっくらとしたパンのような生機に思える。縦糸も10%くらいは余分に織り込まれる感じ、レピアだと通常5%くらいの織縮みだろうか。同じ企画で5%の違いというのは案外大きいものだ。横もゆったりとした糸が斜辺的に打ち込まれるので3%くらいは多く使われると思う。シャトル織の目に見えない贅沢。

こういう織物が作られ続けてもよいと思うが、一番の要素は人という要素だろう。私もお盆なしに夜寝ないで織ったのでなんとかなった話である。普通だと3倍くらいは時間が掛かってしまい、なかなか成り立つ話ではないのだ。今は昔とは違う、昔はみんなが無理し合ってピンチを乗り越えることができて、そこに仕事が生まれたが、仕事が生まれてしまうこと自体がマイナス要素に言う人が多い。

そういう人にはこういうふっくら感というのはまったく意味のないことだろうが、私自身、普通とは違った目で仕事を見ることができるので続いているのだろうといえる。仕事自体はそれほど難しくないが、人の問題こそが大変というのがどこでも聞かれる話。
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