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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2014年07月27日
近江湖東の産地というのは織物に関しては恵まれた環境が続いているので、追い抜かれ気味です。たとえば、綿の手ぬぐいの産地の織物は、糸、織、加工含めて卸値の相場が1mが40円。白無地でプリント向けの浴衣地や手ぬぐいになったりするそうですが、日本国内でもそういう厳しい織物の世界があるのを知るとまだ恵まれているなあと思えるのです。
2014年07月26日
今日は、お隣の東近江市で今日の日本全国での最高気温38.8度が出たということ。まあ、林与の愛荘町も似たようなもので、工場の中は熱地獄です。暑い中で、窓を開けたり、水分補給は必要だと、スーパーの無料の水を貰いにいくと。スーパーの中は涼しくて天国です。

林与にも、工場の中には水冷式のクーラーがありましたが、スーパーの中と同じで、「心地よいということ=仕事ができる」とは限らないのです。また、心地よいのが当たり前になると少し考えないといけないことや手間なことが面倒でできなくなるというのが普通だったりして、やはり、麻の織物を織るような作業では、我慢してでも乗り切れるような精神力は必要です。

一番、大事だと思うのは自分自身が仕事を前に進めることができること。そのためには作業を広範囲に知っていないと駄目ですし、他人事の部分をできるかぎりなくしていく必要があるのです。そのため織る以外の糸のこと、染のこと、加工のこと。ほかの分野の方が連動して解決できない問題の原因を正しく見つけ解決していく。できるかぎりベストな答えを出すというのが企画の部分だろうといえます。

また、現場作業においても汚れるのを気にしていたら駄目で、機械の下にもぐり麻ほこりまみれになったり、機械油で手を真っ黒にするのも仕事のうちで、それが特別のことのように思えるなら織という作業はなかなか難しいものです。どれだけ覚悟があるかなので、働きやすい環境とか求めているとできることも限られてくるものです。

設備なんかにしても今では、新興国のほうが、最新の設備で人も豊富。それと同じものを求めても日本では成り立たない。半導体でも無理なのですから。日本のものづくり、要は人の力じゃないでしょうか。暑さ我慢比べでも新興国の人に負けているようでは、案外追いつかれるスピードというものは早いもので、一世代も掛からないものです。
2014年07月24日
奈良のミルツルさんが、7月31日21:30~NHK教育「素敵にハンドメイド」に出演されます。林与はテレビをほとんど観ないので、テレビが家にないので誰かに頼んで見たいと思っております。リネン日記をご覧の皆さんで、ハンドメイド好きの皆さん、ご興味のあられる皆様はご覧くださいね。

日本の場合、アトリエ活動で食べていける力の持ち主というのも限られているもので、一人でやっておられる方というのは逆に仕事も0から10まで、ものづくりも0から10までのタイプの方が多く強いなあと思えます。

ミルツルさんのサイトは、http://mille-turu.com/ です。
今月はじめに、お越しいただいたときの写真なんかもブログでご覧いただけます。
こちらでは弊社がおつくりさせていただいたミルツルオリジナルテキスタイルなども作品の形でご覧いただけます。
「3626サシコ」 ←ブルーに白の3本6本3本6本でミルツル
「つばめダンサーズ」・・・刺繍の基布 ←リネンのトップ糸を使用
「花野」・・・染め下生地 ←シルクラミーのしなやかなる生地
ミルツルさんのイラストとかデザインが載るとほのぼのとした生地になります。

すてきにハンドメイドは、http://www.nhk.or.jp/kurashi/hand/
今度の番組の詳細や予告辺など見ていただけます。7月31日は、ミルツルさんが講師で、リネンのパンツを作るという番組です。
2014年07月23日
今日は朝から大阪、朝駅に向かう途中、集落の運動公園でのラジオ体操の小学生が目に入る。父兄も参加しているが、印象、昔とくらべると子供の人数は少ないなあ。田舎で年寄りの数が増え子供の数が減るのかわかる気もする。伝統的な地場産業の衰退と同じような問題を抱えているように思う。小さな地域の枠に縛ってしまうと外の世界が見えず、いつまでも時代の流れに対応ができないもので、次の世代はないという流れを生みやすい。腕白でもいいたくましく育ってほしい丸大ハムみたいなのでないと、理想的に見えるうわべだけのまとまりでは、典型的な田舎社会や伝統的な地場産業を支えて行くのすら難しいんじゃあないだろうか。

午前中は、アパレルさんに出向いて商談。商談のあと、テキスタイルマルシェでお世話になっている朝比奈さんの事務所に伺った。始めて知ったのだが、国産の蚕からシルクの糸を取るというプロジェクトがあるそうで、気の遠くなる話なのだが、テキスタイルマルシェの東さんも、365コットンプロジェクトで国産の綿を育てるところから。産業としては衰退しきってしてしまった一番川上の存続が難しいところから立て直して行くと、競争とは違う新たな価値観というのが見えてくるものだし、自分たちがつくるとかつくる人を支えるとか、そのためにはどういう考え方や、ものをつくる以外の部分で成り立たせるためには何が必要なのかというところも見えてくるだろう。

困難な事業だとは思えるけど、そういうのに取り組める人の存在こそが貴重なんだろうと思う。繊維でもう一つ難しいのは分業で成り立つというところ。技術はあっても分業体制の中では人という要素の問題が常に付きまとう。何年も育んでも、どこか欠けるとたちまち存続が難しくなるというような話にもなりかねない。これは、日ごろ仕事していても数年前にはできたものが今はできなくなってしまっているということを多く経験しているので、最初が良くてもそれが長く続くというのは限らないというところも考慮にはいれておかないと、永続的な事業として長く続けることは難しいという辺りだろうと思う。

国産蚕のシルクの糸、本当に綺麗。皆さんの夢がいっぱい詰まっている分、余計に光っているように思えます。
2014年07月22日
レピア織機の捨耳カラミソウコウは独立したカム機構で動いているが、これが厄介なことが多い。何で独立している必要があるのかというと、レピアが糸を話すときに糸がフリーになると、糸がテンサーの力で引っ張り戻されループが出来たりする。本体の組織よりも早めに閉じるようにして糸を押えてから、糸をリリースする形。

レピア織機の横糸切れを感知するセンサーというのは、糸をリリースするちょっと前くらいのタイミングで、糸が動いているかどうかを感知して、糸が動いているなら糸は切れていないという判断をする。

捨て耳の絡みソウコウの枠にしても、半田付けした部分に大きな力がかかりがちで壊れやすいので、生地本体ではなく、捨て耳がうまく絡まないことに泣くことが多い。昨日の夜は、永久磁石タイプのカラミソウコウを使って、絡みにくい捨耳の問題を解決しようと取り組む。

シャトル織機はその点、捨て耳がないので簡単といえば簡単だが、綺麗に耳を織らないといけないので、耳を綺麗にすることに泣くことが多い。耳の問題で一番怖いのは耳つり、耳が攣って生地本体はたわんでしまう状態で縫製工場から、裁断できないといわれる。着物の時代からその問題はあったので裁断現場での簡単な解決方法はあるのだが、なるべく織りの段階で解決しておくのが一番。

綿の場合だと耳は共耳っぽくなることが多く問題はすくないだろうが、麻の場合は、耳は綿を使うことが多いので、異種の糸を使うことになり、耳つりの原因になりやすく、特に生地本体の組織がゆるいと耳というのは平にしがちで耳つりは起こりやすい。
2014年07月21日
今日は朝から長浜のDENさんが来られた。生地をお渡ししてお話を聞いていると、注文をたくさんいただいていて生産が間に合っていないということ。比較的小ロット対応が可能だといわれる縫製でも、お客様の一人一人のリクエストに応えての1点1点のものづくりというのは大変だろうなあと思う。

朝、月曜日なのに電話が少ないので、今日は休日だということに気がつく。外が休日だと追われずに仕事ができるので一日猶予をもらえた気分になるのだ。

工場の中では、L25番手のやや厚地をシャトルじゃなくてレピアで織っている。本来ならシャトルでしっかりと織るべきなのだろうが、縫製の仕様を見ると四辺を縫製の形がよいだろうと思えるのでレピアで織ることにした。四辺三巻というのはあまり厚い物には向かない。最高で9枚の布が重なる部分ができてしまうからである。試してみないと判らないので一度作って試す段階。ミシンも自分で確認してできるかどうか見極める。駄目なら別の方法を考える。

こういうものづくりというのは、糸から商品になるまでを網羅したものづくり。ありきたりのものに終わるより、自分らしい顔ができあがればよいなあと思う。ものが出来上がったときに、いまいちだなあと思っていても、何年か後にそれをみるとよく自分が作れたなあと思えることがある。これは若い頃の自分の写真を見たときに、そのときは変な写真に思えても10年後には、昔はいい感じだったように思えるのと同じなのかもしれないが、そう考えると、今できることをいろいろやっておくことが大事に思う。
2014年07月20日
昨日夜中仕事していて工場の外に出ると、用水路の上に張ってある鉄板のど真ん中の上に、カブトムシのメス。持ち上げると元気に動く。この前逃がしてあげた場所から数メートルなので、同じカブトムシだろうと思うが驚く。この前も、家の入り口のど真ん中、今回もど真ん中。誰かに見つけてもらえるようにSOSを送っているっぽい。が、下に注意していなければ踏み潰してしまいそうなよろしくない場所なので、また、木の下に逃がす。

近年は、蝶も少なくなり、蛍も少なくなり、トンボも少なくなり、スズメも燕もほとんど見かけることがなくなった。この30数年で何百年、何千年続いてきたことが途絶えかける。商店街にしてもそうだろうし、麻織物にしても、似たような理由の存在で消えるのだろうと思う。

大工センターで売っているカブトムシは、オスが600円、メスが200円。男女差別じゃないのかという感覚が働いてしまうが、そこまでの比喩は、人と動物の区別もつかないのかという別問題に繋がるだろうけど、考えてもみれば、日本人が持つ人生観にしても、蚊や虫も生き物で殺してはなりませんよというような仏教の教えからくるような共存の精神があったはず。

人は人同士の対立も激しく食べるためだけでなく、人の世界はどうしようもない対立ばかり、戦争が多くの命を奪う裏で、戦争が金儲けにつながるのも事実。宗教や民族、政治対立でよく見かけるのは、純な人や無関係のものたちを前線で犠牲に追いやり、先導者は最後まで後ろで逃げ続ける形。動物の中で人の欲というものだけが無限だったりする。
2014年07月19日
トマトが安かったのでスーパーで買った。自分のことではないのだが、サラリーマンしておられた近所の方が、退職後、昨年トマト農家としてビニールハウスを建てられて本格的にトマト栽培の道を選ばれた。昨年は、トマトが高かったのを覚えているが、今年はトマトは案外手軽に買える。一年で明暗が分かれ、農業というのは豊作でも成り立たないという怖さを持つ。

お米だと流通が安定しているし一年経っても食べられるのだが、トマトは全国を飛び回っている野菜の一つ。ビニールハウスで育てることで、通常栽培のものが出回らなくなったときに販売のチャンスがあるのだろう。よく知っている近所の方の新しいご商売、成功していただきたい。

今日食べたトマトは、スーパーの特売品。なんとなく味が熟してはいないけど、やはり、本物の野菜をよく洗ってそのままかじるというのは、気分的には贅沢。トマトが食べたいという欲望があるのが自分の中でも健全だなあと思える。

倉庫に行くと、倉庫の入り口に何歳なのかわからない柿の木で、道に出る枝は邪魔者で、切り取られるもそのせいか古い枝から元気に青い葉っぱと青い柿の実が若々しく生えている。今年は柿がたくさん成りそうだ。こんな田舎でも柿を取って食べる家は少なくなっている。梅の木、お茶の木、買ったら済みそうなものまで、それらを毎年楽しみに自分たちが使うように収穫し加工し食べる。柿はおいしかったが、子供の頃の記憶では、梅干は塩辛く、お茶は苦く、味が濃いのだ。
2014年07月18日
今日は朝、家の入り口付近で、カブトムシの匂い。でも、見当たらない。夕方、雨が少し降った後、家の入り口の戸のまん前にカブトムシのメス。拾ってみると、元気だ。こんな場所だと踏み潰してしまう可能性もあるので、事務所の前の木の下に逃がしてあげる。さなぎから孵って数週間の日の目を見る。狭い籠に閉じ込め食べ物貰うより、広々とした空の下自由にその数週間を全うしてほしい。

都市部は正反対かもしれないが、過当競争気味な滋賀圏内のコンビニでの生き残りをみていると、見事に人間の3大欲求を満たして生き残っている。まずは、食欲を食べ物。そして、排泄欲をトイレ提供で満たし、最後に睡眠欲、駐車場を大型トラック運転手に提供し睡眠の場とする。人が一番必要なものを満たしており人が集まらない訳がない。ほかにも冷暖房の完璧さや雑誌や無料情報誌提供で情報社会の情報に飢えた人にも対応している。

食べ物が売り切れても数時間で補充されるし、田舎のコンビニはご自由にお使い下さいというところが多い、また、車を長時間駐車して下さいという姿勢でニッチェな超大型車両を運転しているような固定客を確保。24時間お店が開いているというのが売りなだけでなく、お金を貰う物品に対する対価以上の付加価値を提供している。

一人勝ちに見えるコンビニも熾烈な生き残り、レストランのサービス、駐車場のサービス、ホテルのサービスの一部を含有している。いまやビジネスホテルやシティホテルなんかはコンビニがあるかないかが気軽に泊まれるかどうかの指標。

100円ショップが雑貨関連のお店のサービスを代用したように、コンビニがレストランなどを代用する。残るお店というのが、100円ショップやコンビニとはまったく対極に見える路線でないと生き残れないだろう。どこでもあるサービスじゃないここにしかないサービスの路線。しかしながら職人特有の勘違いの己惚れは駄目で他力本願だと傾いて当たり前、唱えるばかりではなく、続けるためには地を這う努力が必要なものだ。昔ながらの繊維産業にしても商店街がそうであったように間接的にはコンビニや100円ショップとの戦いだったりもする。
2014年07月17日
今日は暑すぎるので、作業用の短パンがジーンズのようにしっかりしたものなので重くて疲れるので、近くのショッピングモールにズボン代わりのおしゃれステテコを買いにいく。触ってみて、綿のものがほとんどで、普段麻を触りなれている林与からすると、どれも冷感が足りない気がする。でも値段が、おしゃれステテコ一つ500円と安すぎ、でも、殺到して買おうというようなお客さんのムードでもなく、そのが当たり前。それすらが定価っぽい危なさ。

とりあえず、軽そうなタイプを2枚買った。履いてみると快適なのだが、ポケットが一つもついていない。これは困った、はさみも車の鍵も小銭も何もかも手で持って歩かないとならない。ポケットのありがたみを知る。

ほかにも夏物で、インド綿のプリントパッチワークワンピースが900円とか。中国製では国内市場の価格競争を乗り越えることはできず、インドやバングラディッシュ製が日本でも浸透してきた。
2014年07月16日
今日はシャトルの台に、長ピンのドロッパーの機をセッティング。シャトル織機は基本短ピンなので、長ピンにしたくなかったのだがこの機を長ピンにした理由というのは、本数の多い機ながらもいろいろな柄を短期間で作りたかったので、タイイングマシンで繋げるようにするため。

長ピンだとアゼを取りやすいので、途中でビームを上げたりすることも可能で、自由度は高くなる。しかし、シャトル織機が何十年も使える理由は耐久性ではなく、自由度の高さにあろうかと思う。耐久性の面からすると自由度が高いので一回で大きなクラッシュになりやすい。鋳物でしっかりと作られているので、各部品は丈夫。また、いざというときには壊れるものは壊れなさいという配慮。

シャトルが木で出来ているのも壊れやすくあるべきだということなのだろう。木なので、ささくれたりもするけれども、それを磨いて引っ掛かりが少なくなるようにしたり、完璧じゃない形のものでも役をなすという部分は、私の中では高評価の部分。部品が少し消耗したからといって交換して精度を守らないと正しいものができないので、交換というのが理想なのか?

私は半導体工場で働いたことがあるけど、そこでは、部品にライフというものが決められていてある程度つかったら交換という形。ある程度使うと消耗して交換が前提なので、もともと部品も丈夫に出来ていないということもある。

織物で使うのは織機の部品だけでなく、はさみも道具の一つだがはさみの概念からしても、一生モノとして使う挟みと、消耗品として使う挟みの使い分けはあろうかと思う。これはしいて言えば、職人についても同じで一生仕事を貫きたい人もいればその日だけの考えの人もいる、出来上がるモノにして同じだろう。

2014年07月15日
今日は、夏らしい太陽がまぶしく、気温は高いのに湿気がなく、スカッとした気分。倉庫に行くときに1分ほど太陽の下にいるだけで干しあがりそうなので、私自身は熱中症対策に過敏になるのは今時の甘えではないかと思うものの、私自身の体がついていけてないのを感じます。

最近、繊研プラスさんで、近江上布プリント柄の件を取り上げて下さいました。
繊研プラスさんのサイトご覧ください。
http://www.senken.co.jp/news/linen-ramie-hayashiyo/

林与の近江上布柄のプロジェクト応援ありがとうございます。布を作ったり売ったりが、単なるビジネスではなく、作りたいものをつくってみるとか、追い求める理想や夢みたいなものがあってもよいのかとも思います。

実は、林与の生地をお買い上げいただいた皆様に、お配りさせていただいている「林与」ロゴも、今、創作したものではなく、與一じいさんが作ったロゴなのです。林与という文字を取り囲んでいるのは、與一の一ということのです。私が思うに、與一じいさんというのも自分をどう表現するのかというあたり、今の林与が林与の大きなロゴ看板を作ったりするのと同じような感覚ではなかったでしょうか。

商売の中で、十分なオッサンでありつつも、お金の計算とかではなく、そういうことに情熱を賭けたりというところが林与です。貧乏な学生にも負けませんよ。
2014年07月14日
今日は午後から3件のお客様。あいにくの雨の中です。

いつもお客様に来ていただくときに、布をどう整理しようかと思うこと。反物やマス見本はなるべく引っ張り出さないほうが良いのは判っていても、それをやっちゃいがちで、収拾がつかなくなる。スワッチの状態では実際の生地感というものは伝わらないことも多いので、大きい目のマス見本のままや大きいサンプルのまま残しておいたほうが、特別な提案の仕方でよいだろうというのが林与の見せ方。展示会のようなハンガーが苦手で、今度のミラノウニカ向けには、会場で提案しやすいようにハンガー整備する予定。

サンプルというのは営業マンだといわれます。あるいは、サンプル自体も作品として作り上げることが大事であるということでしょう。糸見本などをみると、普段の糸とは見え方が違うので、正直に、これって綺麗過ぎますよね、というと。分かりますか、つやを出すためにオイリングしてあるんですよ、と。

自分が今使っているものよりも綺麗に見えるので、つい使いたくなる衝動をもたらすのだろうが、それを見破れる人というのは少ないだろう。届いた糸がマットな感じで別物に思えてもそれは正常の感覚。

これはスーパーに並ぶ野菜にも共通。綺麗に見えるリンゴやブドウが本来の姿ではなく、ワックスが掛かっているから。ワックスが掛かっていない食品をみても白っぽく見えて光沢がなく良いものに思えないからでしょう。

今日の最後のお客様は何軒も回ったあとになんと自分の脚で駅から歩いて、普段から侮れないと思いながらもやることガッツがあって頼もしい。昔のようには今は仕事がないのを嘆いて仕事をもらえるのが当たり前のようにいわれる昔の人があるけど、外の世界は自分自身が一つ一つ仕事を取るために種を撒いて育てるところから。自分がする仕事がなければ、自分で仕事をするために種を撒くことから、そういうのがまともな精神で、職人のものづくりの正しい感覚を維持するのにも役立つ。
2014年07月13日
ジャパン・テキスタイル・コンテスト2014のお知らせをいただきました。
作品を出される方ばかりでなく、布好きの皆さんは、テキスタイルコンテストの作品を一宮の産地に見に行かれるのも楽しいのではなかろうかと思います。

詳細は、http://www.fdc138.com/jtc/ でご確認下さい。


ジャパン・テキスタイル・コンテスト2014



作品受付
期間:平成26年10月27日(月)~11月14日(金)

審査会
日程:平成26年12月8日(月)・9日(水)

特別企画
審査会前後に、一般の部応募作品を(一社)日本アパレル・ファッション産業協会のアパレル・デザイナー等へ公開し、ビジネスへの強化を目指します。
更には、コラボ企画として、デザイナー自ら選んだ応募作品を使用してプロモーション用衣装を製作します。
(事前に応募者に対して本企画への参加意思を確認します。)

賞の発表
・一般の部のウール賞・入選、学生の部の各賞は審査会終了時に発表
・一般の部のグランプリ・準グランプリ・優秀賞はグランプリノミネート作品として審査会終了時に発表
http://www.fdc138.com/jtc/index.html
・グランプリ以下各賞はセレモニーにて発表

セレモニー
日時:平成27年2月4日(水)10:00-
(総合展「THE 尾州」オープニングセレモニー後)
場所:一宮市総合体育館(愛知県一宮市)
内容:
グランプリ以下各賞の発表
学生の部を含めた受賞者の表彰
審査員、受賞者をはじめ関係者による懇親会

優秀作品展
会期:平成27年2月4日(水)~6日(金)
場所:一宮市総合体育館

2014年07月12日
今日は午前中、東京、午後は大阪からのお客さま。来春に使う素材選び。小さな会社で仕事には常に追われてしまっていますが、いろんな皆様から仕事を相談いただけることはありがたいことです。なかなか難しいのは弊社内でのものづくり以外の部分での制約が大きく、そういう制約がなければものづくりというものはもっとスムーズにでき仕事はこなせるのですが地場産業的な分業の壁ではあろうかと思います。

中規模の会社ならできることが零細企業だと出来ないというあたりは、突き詰めていけば、海外との競争などには勝てるはずがないのです。海外では1500人とか2000人が一つの企業、糸からアパレルまでを一貫生産。洋服を作るというより売ると決めたら何の制約もなく形にしてしまいます。売り場までをももった供給牽引型、日本のSPAと同じ形。

日本の場合はジャストインタイム的な需要牽引型を採用しているところが大きく、問題は、自動車や電気のような組み立て産業だとまだしも、実際の製造業では無駄を節約するというよりは無駄が大きすぎるというところ。売れるものをつくって売っていくというほうが無駄が少ないのは当たり前なのですが、小ロットになる分、材料を落とすなどコストが高くなるので安い方法を選んでしまうという悪循環に陥りがち。一番の問題は、売れるものがよいもの、売れないものは悪いものという判断で、安く化かせる素材に流れて本質的によいものが作れなくなること。

良い物を扱われている問屋さんとお話したときに気がついたのが、よいものでは利益は求めておられないこと。そういう戦略でいかれるのはさぞしんどいかと思いきや、売れるもので利益をぶつけてよいモノづくりを守っておられるとのこと。

戦後産地に麻織りを残し麻織物の本場として近江湖東産地がありつづけたのも、売れる売れないじゃなく、良い物を作ろうとして麻を織り続けることを行った。そうでなければ、今は近江湖東産地も他産地と同じく、「かつての麻織物の産地」と呼ばれていた可能性は高い。麻織物の産地として名前が残ったこと、結局は売れる売れないよりも、麻織物の産地としてはそれが意味のあることじゃないのかと。林与のような小さな会社が産地の麻織物を引っ張ってきたということもあるので、私もそこに意味を感じて産地での麻織を守る。それはかつては農家のほとんどが麻を織っていたという日本の麻織物文化を形は変われど絶やすことなく守るに繋がる。

織物なんてどこでも織れるといわれるかもしれないけど、本場の産地でほど、高級な名前があるので名前を利用しやすく、産地外で織った他産地ものが産地物に化けがちで、名前だけが一人歩きして有名無実になりがち。私自身、有名無実にならないよう気を付けたい。
2014年07月11日
台風が過ぎて、日差しがまぶしい。夜中もコンビニに、休憩用の冷たいお茶を買いに行くと、涼を求めてたくさんの車が並んでいる。工場でエアコンを使わないので、作業中に着る服というものも作業しているときの身軽さ涼しさが大事。本来なら麻のシャツを着て仕事したいけども、織機の下にもぐったりするとすぐに汚れてしまうので、安物の通気性のよいものがベスト。

暑い寒いを我慢して仕事できるかどうかというのと、単純な作業を我慢して仕事する忍耐力というのは共通的にかぶる要素だと思う。また、織物の仕事で仕事で快適を求めないことも大事なのは、織機に問題があったときには、狭い織機の下で埃や油にまみれて
調整が必須であったり、快適を求めはじめるとそういうのは精神的には無理だろう。

いろいろなことを我慢して仕事をするのだから、仕事が成り立つようにものごとを運ばなければと思う気持ちは多い。織物の仕事なんかも昔は何十倍の量が流れていたので、それは成り立ちやすいのだが、今は何十分の一の世界。生産量が何十分の一になっても、仕事量を減らしては駄目だろう。厳しいというなら、生産量は減っても逆に仕事量は増やさないと駄目だと思う。
2014年07月10日
縦にリネン、横にカシミヤの織物を織る。この織物の問題は、カシミヤの糸が太すぎることで毛番の6番手。通常の織物のようには糸が扱えない。見本のときにその問題に直面して対策を考えた。うまく行って見本はクリアできた。

今、本生産。心配をしていたことが起きる。また、対策を考える。うまくクリアできた。こういうのをノウハウというのだろうけども、仕事を受けたからには出来ないというのは、それがたとえ糸の問題であっても自分で解決をしないと目の前の仕事も進まない。今までの経験というのでは仕事にならず、どんな問題でもつぎつぎに解決していく能力がないとやりかけだらけの仕事ばかりになってしまってどうしようもなくなる。

新しいものを作るときには、ぎりぎりクリアしていることが多いので、少しコンディションが違ったりすると織れなかったりすることも多い。リネンなんかは糸のロット差だけで、十分に糸が違うと思えるほど、ぎりぎりの調整で織る織物というのは微妙。リネンの太い糸の場合はカシミヤ以上に厄介だったりする。

糸が扱いやすいのは、やはり40番手近辺だろう。毛番でいうと26番手。なんで、糸の番手が違うのかというと。たぶん、通常使う糸のレンジを、50番手を普通くらいの糸という風にあらわしたかったという人間の心理が働いているのではないだろうか。100番手くらいで、通常の糸としては太さの上限となろう。林与の想像でしかないけども正しいんじゃあないだろうか。

糸なんて湿度によって水分率が変わるので、昔だとそれほど厳密には番手計算はできなかったろう。紡績してすぐというのは、リネンの場合だと水分率が高い状態のはずだ。基本、リネン糸の場合、公定水分率は12%といわれているが、水分率が0でないと駄目なくらいに、箱に入っている糸の重さというのは計ってみると少な目であることがほとんど。ヨーロッパ、アジアの糸共通の問題である。日本の糸の場合は正しい重さで送られてくる。その辺りも文化の違いそのものだろう。
2014年07月09日
東円堂の田んぼで今年は今の時期に大よそ半分ほど田んぼに稲が植えられていない。草が生えているだけ。たぶん、減反政策がなされているのだろうと思うが、高齢化が進み、米の消費が減ってきているのを感じる。日本の国に余裕があるのかというと余裕すらないのに、こんなことをしているとTPPを加速してしまう。外との戦いの前に、中での正しい努力は必要な気がする。

日本の米というものにも己惚れがあるのは、1990年代後半のコメ不足のときの国の対応。コメがなくて国民が困っているときにも、海外のコメなんて食べられたものじゃないというような定評をつくろうと愚策に走ってしまった。国民が困ったときには、農業行政のプロに任せるよりも素人に任せたほうがおいしいコメを海外から引っ張ってくることが可能だろう。国民が食べるものがないような困った状態でも、力を持つものは保身を考えてしまうものだ。それは食べるものを育む現場の農家の考え方とはまったく違う気がする。

商売なんかしていても怖いのは、やっていれば成り立っているというような安心した感覚に陥ること。成り立たなくなっているという意識が現場にないと、自助努力もなく続けていてもどうしようもない結果が膨らむだけ。仕事がないときに仕事を生み出す力がないとならないのだがそういう努力をできる人というのは少ないもので、突き詰めていけば、本業として食べていく力がないという厳しい現実なのかもしれない。布の世界でも、現場で仕事している人のほうが趣味の人よりも布に対する知識も少なく創造する意欲がないなんてのもよくある話で、そこからなんとかしていかないと仕事も増えるはずがない。

10仕事して、2から3の仕事が成り立つくらいの状態を続けていると、日の目をみない7から8の部分もほかにない底力として生きてくる。最初から仕事としてなりたちそうな2から3だけの仕事をやっているだけでそれに慣れてしまうと、やっていれば成り立っているような感覚から抜けきれず、その2から3の仕事が10の仕事に思えて、成り立つ仕事も成り立たなくなってしまうものだろう。
2014年07月08日
今、近所でもいろいろなところで太陽光発電パネルが設置され、発電が身近に始まっている。太陽光発電の設備はあまりに小奇麗過ぎて、更地の上に設置されているものが多いが、エコを考えると本来下は草が生えているほうがよいのではないだろうかと思ったりする。

愛知川の花火大会が近づいてきたけれども、今年は打ち上げ花火は行われないということ、仕掛け花火などが行われる予定で、その理由が、太陽光パネルに花火の燃えカスが落ちて破損するからということらしい。花火大会もできて、太陽光パネルをお持ちの方も喜んでもらえるなら、太陽光パネルを守るような水に濡らした麻布くらいででよければ地元の思いの詰まった行事のために作って無償提供したいくらいだが、風で飛ばないような一工夫は必要だろう。

10数年ほど前、当時、80過ぎた林与のおばあさんが、花火の音が聞こえ、花火が観たいというので、事務所の三階の窓から見せてあげた。外に出ることもほとんどなくほとんどの時間部屋にいたおばあさんだが、花火が観たいというのですごく遠くからの小さな花火だけど見えたと思う。花火の日の昔の楽しい思い出が心の中には巡っていたのだろうと思う。
2014年07月07日
今日は七夕。数日前、東円堂のある家の軒に五色の短冊が掲げられた。七夕なんだなあと思う。七夕の儀式にしても、古来からのもので、棚機女(タナバタツメ)の信仰からそう呼ばれるとされる。中国の牛郎織姫の伝説も似たような内容なので、日本人の祖先も中国人の祖先も同じ出所ではないのかと思い、私自身が徐福が弥生時代をもたらしたと考え、日本の皇族の始まりにも深く関係していると思うのだ。

織物の仕組を考えたときに、今以上に精密な織物を昔の人が織ることができたことはなぞであったが、製鉄の技術にしてもたらら製鉄の存在をしってしまうと、渡来人の持ってきた技術の高さというものは現在の技術に匹敵するものがあり、鉄筬くらいは簡単に作り上げていたであろう。

織物で思うのが、機の構造ではなく、糸の作り方。シルクの糸にしても、麻の糸にしても、それが日本と中国別々のところで生み出されたとは思え難い。渡来人が、糸を績む技術も日本にもたらしたと考えてよいのではなかろうか。近代以降、紡績の時代が200年ほど続いて糸をつくることも変わり果てたが、それまでは、徐福一行が日本に来てから2000年の間、持ち込まれた技術が日本の中で継承されていたと考えてよいのだろう。

物語は語り継がれるだろうけど、その中に出てくる織物を織るということが継がれなくなってしまっている。七夕の話を聞いて、機織の話が出てくるからかろうじて、機織というものを小さな子供が知ってくれているのだろう。
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