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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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2014年09月13日
日本にもどった、今回は中国経由。行きは北京でのトランジットだったけど、帰りは上海での乗り換え。上海では一度、中国入国と出国という形で、日本行きの便に載ることになる。浦東国際空港のなかの味千ラーメンを食べた。手持ちの中国元がないので、日本円で支払えそうなお店だろうと思ったから。

ラーメンの味は、日本国内で食べるラーメンからすると味が劣るが、空港で食べるものということを割り切るなら、円で支払いを受け付けてくれるだけでもありがたい。早朝で空港内が寒く、暖かいものを食べたい状況だったので嬉しい。

関空まで戻ってくるともう普通の日常。1週間旅行していたことが遠い過去のことのように思われる。夕方、家に戻り、仕事モード。飛行機の中でも普段以上によく寝ることが出来たし、今回は時間にも余裕があって大きなトラブルもない海外だった。準備し忘れた物もなかったし。

ミラノウニカ仕様のブースもよく出来ている、ハンガーを並べるだけでそこそこの雰囲気が出て、また、ブース内にテーブルを置くだけでほかに置くと邪魔にみえるくらいなので、ハンガーとメモだけあればよい感じの出展ができるのだ。これなら次回は展示会当日の朝に1時間で準備も可能に思える。

林与の出展で、生地ハンガーの展示だけじゃなく、ストールとワンピースという製品の形での展示にしたので、それが目立って、ブースの奥まで見に来てもらえる一つの要因になったのではなかろうかと思う部分もある。ヨーロッパの方にも受け入れられやすい柔らかさにしたのも正解であったろうと思う。ストールなどは頬に擦り付けて肌触りを確認されていた。

普段は注文数量や在庫の有無で値段なども変わってくるので、ハンガーに値段を表示しないのだが、今回は言葉が通じ難いので値段をすべてのハンガーに値段も記載した。ヨーロッパの方でも、林与のリネンの値段を見て驚かれることが多い。細番手のアイリッシュリネンなども効果ながら混ぜておいたが、アイリッシュリネンを選ばれた方は本当に多い。手が出ないけども、スワッチを少しでもよいのでほしいとおっしゃって下さる方もおられ、こういうリネンがあるということをヨーロッパの方に知ってもらうことも展示会出展の意義だと思う。

林与の細番手リネンに置き換えて近江上布の柄を展開するプロジェクトは、十分受け入れられたと思う。ヨーロッパでも近江上布のアーカイブを何十人ものデザイナーさんたちが食い入るように見てくださった。始めてこんなのをみたと驚いてくださるケースがほとんど。林与が恵まれているのは歴史的な背景にも恵まれていて、おじいさんの時代のモノづくりが今世界の人を魅了する。さて、私がどうそれを引き継いでいけるのかだが、一つはプリントという形、もう一つは絣での再現もあろうか。

戦後の麻の禁制が解けた後の15年のモノづくりが布の世界では人々に感銘を与える。仕事を超えて、フランス人のファッションプレス関連のデザイナーの方やイタリアのデザインの先生と初対面で一時間とか二時間、ものづくりがどうあるべきか話をしたり、その方たちというのが60歳くらいの方々だったりして、初対面で打ち解けて話せるというのも布の力の持つなんじゃあないだろうかと思うのだ。

今回のミラノウニカは、大満足の結果に終わった。林与自身の力だけじゃなく、たくさんの皆さんに助けてもらっての成果で感謝したい。ミラノウニカに来ておられる皆さんというのは前向きに動いておられる方ばかりで、そういう日本チームの一員として参加させていただけたことも、日本の繊維業界の元気な皆さんとの出会いをいただけてよかったと思う。

地元の能登川の駅で迎えの車に乗ろうとすると、ファブリカ村の陽子さんもお客さんを送ってこられたようでお出会いしてちょこっと雑談。イタリアから帰ってきたというご報告すると、麻組合さんもこの9月パリのメゾンデオブジェに出展されているお話。パリでも日本の伝統工芸の展示は好評価を得たのではないかと思う。
2014年09月12日
今朝は、ホテルをチェックアウト。このホテルに滞在して、カドルナの町の雰囲気が体験できてよかった。ホテルも日本のホテルとは違って、門を開けた向こう側の世界。1階はホテル事務室、2階はホテルで、3階以上はアパートかマンションで普通にイタリアの人が生活している建物なのだろうと思う。門の外は路面電車トラムが走るが、門の中はすごく静か。洗濯を干す場所もなく、建物は古く見えても部屋の中は近代的な設備が備わっているのだろう。

カドルナの街並みは鉄格子の窓が並ぶので、これはきっとずーっと昔から泥棒対策なのだろう、それともデザインなのだろうか。夜になると通りには自動車がならんでいるだけの石の文化を感じさせる。歩いていても土を踏むことがなく石の上を歩く生活。木の文化の日本とは違うファッション感覚が生まれるのは当たり前なのだろう。

今回は、接客は通訳の方が担当してもらい、帰国後スワッチ送付ができるように帳面の管理を私がやった。いつも展示会では接客していて書き留めるまもなく次から次にお客さんと話すという形が多いが、あとで思い出してもあやふやなことが多いので、今回のような形のほうがよいのだろうと思った。17日からはテキスタイルマルシェなのだが、スワッチ送付も1週間以内に終われるようにしたい。

ネットのお客様も在庫確認お待ちいただいている状況で、13日からまだご送付出来て折らないお客様の在庫確認を行います。お待たせしておりますが、よろしくお願いいたします。
2014年09月11日
ミラノウニカ最終日、朝のうちのお客さんが少なめのうちにお隣の福田織物の社長とお話してて、ファミリーオリエンティッドな会社というのはやはり似たような境遇をお持ちなのだなあと。それでいて、境遇の違い、経験の違い、考え方の違いなんかが、ものづくりやビジネススタイルの違いも生み出したり。

何が正しいのかはタイミングによって変わることも多いし、自分と他の人との組み合わせによっても変わるだろうと思う。全部がうまく回らないと一つの仕事も完結しないもので、ものづくりといいながらも技術じゃない人のメンタリティ的な要素のほうが、仕事があってもうまく行かない原因を作り出すことも多い。

今日はお客さんは最終日で少なめだったが、最終日というのは、よいと思った生地をサンプルを送ってもらって検討というよりも、これに決めたみたいな感じのお客さんが多いように思う。少しお客さんが少なくなったタイミングに山梨のブースもお邪魔させてもらった。シルクの世界のものづくりのお話を聞かせてもらったが、正絹は光沢がよいのかと思いきや、光りすぎるのは嫌われる傾向にあるという。そうなると、シルクの糸は、光沢のあるのがよい糸だと思っていたのに、糸の価値観からして変わってしまうのが怖いところ。

ミラノウニカ3日。思った以上にお客さんにも来て貰え、見て貰えた。新しく作った生地に対する反応をみることができて非常によい。ピックアップされたスワッチなども発送準備するときにどういう傾向があるのかを再度確認したい。

夜は、山梨チームがレストランで打ち上げされるのに誘っていただいて、これぞイタリア料理みたいな料理を食べた。おいしかった。終わってから一人、12時過ぎ、地下鉄にのってホテルに帰ろうとしたが、ドーモの駅で最終の地下鉄が出てしまい。地下鉄のゲートも鍵がかかって出られない。

なんとか職員をみつけて外にでて、ドーモを記念撮影。さてどうやってホテルまで帰るのか。歩いて帰るにも地図もないのだ。所持金20ユーロ。明日の枕チップ1ユーロと空港までのマルペンサエクスプレス12ユーロは残しておかないとまた明日ややこしくなるので、タクシーには乗れない。

目の前を走っている路面電車トラムにのって帰れるのじゃあないかと、カドルナ駅行きのトラムを探して、なんとか帰れた。トラムも始めて乗ったが市内の風景が眺められて気持ちいい。
2014年09月10日
林与がミラノにおりまして、留守のものでは確認のできない在庫がありご発送が遅れてしまっております。すみません。13日には在庫確認を行いますのでよろしくお願いいたします。

今日は、ホテルで朝食を食べてから出発、2日間使えるメトロチケットを買って、水なども仕入れて会場入り。最初の1時間くらいはお客様も少ないが、その後はお客様が続く状態。空いた時間には日本チームの皆さんがしゃべりに遊びに来て下さり和やかな一日。

通訳の方とも話をしていて共通した感触は、海外のデザイナーの皆さんが昔の近江上布に関心をもってくださるということ。力のこもった布なので私もよく分かる。これを昔のように一年に何百反もつくれる力が残っていればと思うが、将来また倉庫から昔の道具を取り出して、やりたいなあという気持ちには傾くが、自分の時間がどれだけあっても足りなくなるだろう。

イタリアの国に来て総じて思うのは、イタリアの国でも織物をつくるのは今の時代には難しいだろうなあというのを、イタリアの国に来てイタリアのライフスタイルをみても感じる。みんな親切なのだが案外アバウトなのだ。日本以上にイタリアの織物の産業を継承というものは難しいだろうと感じる。

カドルナ周辺の重厚さは、レオナルドダビンチの最後の晩餐の世界を髣髴させるのだろうか、外の世界というのは鬼がいるかのごとく門で閉ざされた世界、楽園を門の中に求めるような生活スタイル、そこに強いコミュニティ意識が芽生えるのだろう。








2014年09月09日
初日はお客さんがずーっと続くような状態で、イタリアのお客様というのは、日本や中国での展示会とは違って、順番に見に来てくださる感じ。ブースのお客さんがいなくなったら次のお客様が来てくださるような。パニックがないのでありがたい。

イタリアはやはりイタリア語でコミュニケーションを取れることが大事なのだろうと感じたのは、通訳の方の活躍。日本でもなかなか社長気分にはなれないが、イタリアに来て始めて社長気分での展示会。通訳の方は、元繊維関連におられたので商談対応も適切。一部、セレクトの少ないお客様にはその場でスワッチを渡して、帰ってからのスワッチ送付のことを頭に叩き込むことが出来る。

林与の出展もストールやワンピースでの展示で近江上布柄を乗せてのいて人目を引いているとは思う。AWのコレクションで麻を出展して、見てもらえる人が続くというのは、ありがたい話である。お生み上布プリント柄の柄ベースとなる昔の近江上布アーカイブも展示したが、こちらのほうか皆さんの関心を引いて、そのもの自体は非売品なのだが、そういうものを始めてみた人というのが多く、ほかでは見たことがないといってくださるケースが多い。多くの方に見てもらえて関心を持ってもらえたことはありがたい。

一時間に5組から6組くらいは来られると思うので、50組以上の方には見て触っていただけたろうと思う。日本の麻機屋のものづくりの存在があることをイタリアの皆さんに知ってもらうにはミラノウニカはやはり絶好の機会である。ジャパンパビリオンのあるHALL2は4階の会場なので、ジャパンパビリオンにお客さんが来られるのかという心配もあったけども、すごく多い人の流れでどのブースも盛況であった。

夜には、別会場のイタリアの食文化を体験できるEATELYという場所での記念イベント。各フロアーごとに違うワインを飲めるということらしいが1Fで何倍も飲んで大満足モード。2Fでは、赤ワインを飲んだ後、水を調達。3Fでは魚のバーベキューを食べたり。パンを食べ過ぎたか、地下鉄の駅に向かって帰る途中、アナフィラキシー。道も間違えずに帰れて、ぎりぎりホテルにたどり着いてセーフ。
2014年09月08日
今日はミラノウニカ準備日、朝食を食べた後、ハンガーの準備。午後1時出発でホテルを出て、プリントアウトできるお店を捜したり、両替できる銀行を探したり、入り口を捜したりして、会場に入ったがぎりぎりの4時くらい、ハンガーを並べるだけで済む形なので、展示方式としては非常にシンプル。自社ブース内の設営だけなら当日の朝でもできそうな感じ。

展示会場も含め周辺は工事ラッシュ、来年の万博開催に向けて工事が進んでいるということらしい。私としては、コルドナ周辺の雰囲気がすごく好き。イタリアも赤の色が好きな国であるなあと思えるのは駅などの近代的な建物の色。

夜には、日本の主催や出展者が集まって市内のレストランでの食事会。最寄の駅について場所を歩いて捜すが、地図にある地下鉄のMのマークがマクドナルドのMのマークと似ているので、マクドナルドがあるのかと思って地図を見たので失敗で、レストランまでの道程は遠い。歩いて動くというのは実際の街を知るということではよいことだと思う。

ミラノに来て困ったのは両替できないこと。市中の銀行では両替できないところが多く、ホテルでも両替をしているところは少ないようだ。みんなクレジットカードでキャッシングするというのが普通らしい。現金が必要なら日本で両替していくのが正解のようで、昔の旅行を思い出す。

ホテルに地下鉄で帰ったのは夜中12時近く、普通のお店というのは閉まっていて、部屋に前日買ったミネラルヲーターとビールがあったので歩いて疲れた分の水分補給した。日本のようにコンビニがどこにでもあるような形ではない。買える時に買っておかないと買えないというのも、実は当たり前のことでよいんじゃあないだろうか。
2014年09月07日
関空9時の便、北京経由のCA。関空に向かうはるかに乗ってしまうと、あとは、ホテルにたどり着くまでの長旅だが、余裕のあるスケジュール。いつもぎりぎりでスケジュールを組む林与なのに、珍しいパターン。

北京の国際線乗継は、チェックが厳しく、ガムの包み紙ですら金属反応をする。トランジットに2時間の余裕があったがうち1時間以上検査で費やすことになった。セブンイレブンんおおにぎり100円セールで大きなおにぎりをいくつかかっておなかが空いたら食べようと思っていたが、パソコンケースの中で、押しつぶされた2個のコンビニおにぎりをチェックされる、これは恥ずかしい。このチェックの厳しさというのは、北京は国の要人が飛行機に乗るからだろう。

イタリアのマルペンサ空港の入国審査通関は非常に簡単、迷うかと思ったが、マルペンサエクスプレスに乗って、カドルナ駅について、ホテルまでグーグルアース見ながら迷わず歩いて着けた。ミラノも歴史のある街なので看板などの規制があるのだろう、町並みが歴史を感じさせ、ごちゃごちゃした看板などなく素敵だ。体力の消耗は最小。ホテルもパスポートを見せるとチェックインは終わり、こじんまりとしたホテルながらも素敵に思う。

イタリア、フランス、イギリスがファッションの世界で強いのはやはり歴史を感じさせるからだと思う。普通の生活が歴史に包まれて変わらない価値を保ち続ける。出来たときが一番でなく、出来上がってから価値が増していき、ほかからすると超えることのできない価値を持つ。

夜はぐっすりと眠れた。徹夜で飛行機に乗って首を傾けるとコリコリと音がなるほど肩コリがひどかったが、ぐっすりと眠ったおかげで頭に血が循環してすっきりとしている。
2014年09月06日
イタリアに行くので散髪くらいはしておかないと駄目だろうと、以前から何回か通った理髪店に行くともぬけの殻。そのビル自体は空洞化しているようには思っていたが、一番繁盛していたように見える理髪店も廃業なのか。

商売というのは、働いて、お金を儲けることもあれば失うこともある。なぜ失うこともあるかといえば主な理由の一つは固定費用が大きく、売り上げが伴わないと続けていくのが難しいということがあろう。

空店舗があれば数年のうちには新しいお店が始まっているように思うが、人の寿命以上に商売の寿命は短いことがほとんど。本来続いていないとらならいはずの地場産業と呼ばれるものでも20年で半減し、また20年すれば半減するだろう。人の寿命を80年とすると今ある産業の規模は、16分の1の規模になるということだ。

今日は徹夜での準備になりそうだ。明日は早朝の出発。結局、留守にする分の仕事の準備。ジャガードの紋紙を交換、レピアのオープナーの調整、整経の巻き取り、留守の間に出荷する予定の荷物の発送先をを留守のものに伝えたり、染まりあがってくる予定の糸の状況確認。間際にご注文をいただいた商品などを発送のものに伝えたり。展示会よりも留守にする会社のほうが心配。
2014年09月05日
もうすぐ出発。出発前に遣り残した仕事を片付けるのと、私が会社を留守にする間の会社の中の仕事の段取りを準備しておくこと。いつも私自身の仕事よりもほかの人の仕事の準備をすることが自分の仕事になることが多いので、仕事というのはやっぱり人だろうなあと思う。

加工工場で、一つ手がけていたラミーの超細番手の織物が加工から上がってきた。加工途中もトラブルがあったようで、加工に入ってからお盆も挟んだこともあって加工だけでも1ヶ月くらい掛かった。どうせつくるなら満足のいくところのものを作りたいと思って、それなりに、試行錯誤し、自分の頭の中にある仕上がりのものが出来上がって嬉しい。

売れる売れないじゃなくて、自分がつくりたい形のものを追い求めて、それが達成できればそれでよいのだろうと思う。加工工場の専務さんがおられて、塩縮関連の生地を見せてもらい説明を受ける。それらを観て自分の求めているものなのかというと違うところもあったりなのだが、そういう技術的な可能性を知っておくことは、自分のやりたいことに応用が出来たりするので大事だと思う。

自分自身の中に、主観的にどんな風合いが自分の求める風合いなのかがあるのが幸いな気もする。また、それに近づけていくために一つ一つの要素を調整していくのも最終の生地の仕上がりをよくするためには必須の要素で、現場の専門の人以上にこういうことができないだろうかとか切望していることも多い。
2014年09月04日
今日は、経理のものが会計ソフトを起動しようとして起動できないという状態で、朝8時くらいから10時半まで格闘。電話でユーザー登録してサポートと話しても、駄目な様子で、すべて消えてしまいますが再インストールしかないといわれて、自分で解決法を探すモードに。

エラーの詳細ボタンを押して詳細を確認して、ポップアップを閉じたとたん一気に起動した。入力したデータも残っている。再インストールでこの9ヶ月の入力をすべて失うのとは天と地の差である。ソフトメーカーのサポートも対応できない類のバグというのは存在するのは当たり前だと思う。ソフトメーカーですらも、OSの仕様自体にバグがたくさん有ったりするもので、それを解決しようとし始めると今後のアップデートなどでややこしくなるのだろう。

話は変わるが、若い頃は織物の仕事よりもコンピュータの仕事を別腹として考えていた。コンピュータを使えることが織物の仕事には役に立っている。昔は読み書きそろばんといったけども、今は、デスクワークでは仕事でコンピュータを使えることが最低条件であろう。が、私は、コンピュータグラフィックスとういものに芸術性は感じない、というのは組み合わせでしかないように思える。

デザインは最終的には色柄ではなく、哲学なのだろうと思うことが多い。テイストじゃなく、哲学をもったデザイナーの方と会うと本物のデザイナーに会えたと思う。結局、服にしてもデザイナーの生き方の一部を表現し、布にしても機屋の生き方の一部を表現しているのだと思う。物の中につくり手を見ることができる。
2014年09月03日
今日は午後に大阪からインテキ上海に絡んだ取材の方が来てくださり、近況などをご報告。インテキ上海は、林与の場合、中国以外のバイヤーさんが半分くらいで、中国のブランドやお店のバイヤーさんが半分くらいのイメージ。

最初、インテキ上海に出たときには、「麻」を売ろうとしていることが珍しいという人が多かったのを覚えている。中国では「麻」というのは、綿よりも安いイメージが昔からあるようで、日本の企業が「麻」を高級素材として打ち出しているのを不思議に思われる方が多かった。それでも、5年もすれば、「麻」や「リネン」というものの認識は変わり、高級素材として、中国の現地の方が競って求められる注目素材となっている。

昔は、中国の百貨店を見ても、ナチュラルなテイストのブランドというのはほとんど見かけなかったが、今は、台湾がそうであるように、中国にも日本のファッションというものが浸透し始めていて、ナチュラル素材がやはり合成繊維よりも高いということもあって、ナチュラル素材を高級なブランドが使用する傾向にある。

海外という場では言葉が通じにくいこともあろうが、素材というものが共通の言語となってコミュニケーションが取れることも多い。値段が高くても買ってくださる方や毎日来て下さるお客様がいてくださったり、それも一つの楽しみだったりする。4日の展示会というのは長すぎ、2日目なのか3日目なのかいつもわからなくなる。世界的な麻ブームの流れの中で、麻についていろいろと私と話をしたい方が話に、聞きたい方が聞きにきてくださるとう感じで良いと思う。インテキ上海は10月後半。

今日は夕方、加工工場にラミーの超細番手の織物の上がりを見に行く、なるべく綺麗な仕上がりにしたいと思っているが、まだ試行錯誤の状態。見本というのは2つ、3つに分けて加工したい気持ちもあるが、すべてを試すことはできず、ベストと思われるような加工方法を採用する。

夜には、糸を巻くおじいさんのところに糸を取りに行く、黒を先に巻いてと頼んでおいたが、紺から先に巻き上がっている。年配の職人さんというのは一般的にほかの人の指図どおりに動けることは稀なのだが、このおじいさんに仕事をしてもらうときにはいつも正しかったので今回は例外で、なにか順番が逆になった理由があろうと思える。
2014年09月02日
今日は、午前中に竜王の佐川で営業所止めの反物を受け取り京都に納品。納品のあと加工の件でプリント工場へ相談に伺う。帰りの高速道路でも、本質的な解決方法があるのかを考える。

会社に戻って、途中になっている整経などを行う。これも会社では私にしかできないタイプの整経で、ほかのものに説明して正しくやってもらえる確立が低いので私が担当。

来春向けの注文が入ったのでその計画なども考える。ナチュラルな仕上げのタイプなので、通常の加工以上に時間と手間が掛かり、私もミラノウニカで不在にすることもあって納期が間に合うのかちょっと心配。

9月の阪急うめだ本店でのテキスタイルマルシェの詳細が届き、9月17日から23日に行われるということ。頭の中では15日からと思っていたので、帰った翌日が準備になると思っていただけに、1日でも余裕ができて助かった気分。
2014年09月01日
今日は、午前中お客様、午後から来春物の件でお客様。夕方には地場のお店の関連。糸が染まりあがってそれを糸を巻くおじいさんのところへ。糸を持っていって、おばあさんと久しぶりにお会いした。カセ染めの糸をチーズに巻き上げるチーズ屋という商売だけでは難しいので、牛乳や保険、運送のいろいろな代理店などをおばあさんは若いときから動いておられた。

いつも電話すると聞こえてくるのが、「林与の社長さんやで、にいちゃんやない」でと、おっちゃんに電話を代わられるときに言っておられるのが聞こえてきて、おっちゃんも大変やなあと思いながらも、おばちゃんが私を盛り上げようとしてくださっているのが伝わってくる。

今日も、午後のお客さんがいっておられたのが浜松でも織るところが少なくなってきたということ、また、別件でウールが織れないかと電話いただいて、近い方からのお話なので織れない事はないのだが、林与の織機は幅が狭いので規格が合わなかったのだが、一宮でも織るところが少なくなってきたという話。どこの産地も機業においては、戦後のひと世代が終わろうとしていて次の世代がないといえる。

織物というのも同じものを織るなら技術的にはそれほどは難しくない仕事なのだが、小ロット多品種的なものづくりとなると話はまったく別で、あえて難しいものをつくろうとするのだから技術も必要となる。今日はほかにもプリント案件の仕上に関して、加工工場やプリント工場と相談。単に織るというところだけでなく、理想とする最終形に近づけるために何がどこまでできるのかという辺りは、糸から始まって最終の生地まで考えないとならないことは多い。
2014年08月31日
麻織物というのは味のあるモノづくりができるジャンルだと思う。手と機械的な道具で作り上げる伝統工芸品と、工業製品の違いは、同じもののコピーをつくるのか作らないのかという辺りにあろうといえる。作品をつくるのか製品をつくるのかというところ。

伝統工芸の世界では定規を使うよりも目や手が道具となり、微妙に違うことの面白さがある。直線が直線ではないところが伝統工芸の良さなんだろうと思う反面、それでいて高度化しようとすると人間の感覚や忍耐の限界に達する。

工業製品は無機質なもので実用性が重視されるのだろうが、伝統工芸品の場合には豪華さや美しさ、あるいは奥ゆかしさが感じられないとならないと思うが、それが職人から出てくるようなものであるのが理想であろう。職人が工業的にしかものを作れないと、どこでも作れるようなものに終わってしまうことも多く難しいものだったりもする。
2014年08月28日
今日はインテキ上海のトレンドコーナー向けの提出素材をパリのネリーロディエージェンシーにフェデックスで出荷。インテキ上海のトレンドコーナー向けというのは始めて。インテキ上海も上海での展示会ではあるが、フランスのファッションの影響がやはり強いなあと思える。

日本もかつては洋装化したときに、高級なゾーンでは、フランス、イタリア、イギリスの文化を取り入れ、カジュアルなところはアメリカからジーンズ、Tシャツ文化を取り入れた。でも、日本の場合には早くからブランドを立ち上げたので、生地に関しても独自のファッションセンスが大事にされてきたと思える。

それはセンスだけにとどまらず、器用さや根という部分がかつてのモノづくりには流れていたと思う。トレンドという大きなファッションの流れの中で、それについていくというのも一つの強い形ではあるけれども、一方でトレンドに流されないというのも一つの強い形だったりして、自分のよいと思えるスタイルを形を変えずに貫いてみたいなのの典型は、シーアイランドコットンやハリスツイードなど。イギリスは変わらないいいものに評価が高いなあと思える。

そういうのって原料や生地の世界に力があるということなのだろうが、量が限られているものを限られたままに守る気骨さがないと駄目で、安くたくさん作って儲けようとする人が中にいたりするといっぺんに崩れてしまうような価値観なのだろうと思える。

ウールも細くて柔らかいことが良質であることの証みたいな価値観がある中で、硬いウールがもてはやされるというのも面白いと思いませんか。ハリスツイードを作っている人たちが柔らかいハリスツイードを売り始めたら、相当に売れるでしょうけど、ハリスツイードが守ってきたものが崩れ始める瞬間だったりするものです。売れるものを追うことがよいとは限らないのです。林与も着物の生地はしっかりと織って硬く仕上げ、アパレル生地は柔らかくと使い分けを行っています。

デニムなんかでも重くて硬いことが良いとされながら、正反対の軽くてやわらかいことがもてはやされ、ストレッチが主流の時代。正統派?は、レアとなり自己主張の強いファッションとして生き残る。フェラーリが個性的なコンセプトと形と性能だけでなく、色がフェラーリ=赤なのも面白い。ファッションにおいても、流行を身に付ける形と個性を貫く形があろうかと思います。仕事の打ち合わせなどで、デザイナーの方とお会いすることも多いですが、さすがにデザイナーの方たちはそのブランドを代表するようなイメージの方ばかりです。
2014年08月27日
今年は、トンボをよく見かける。秋になったということだけでなく、地球環境が少し昔に戻り始めているのか。でも、とんぼが赤とんぼじゃないのは、違和感。昔とは違う種類のトンボなのだ。赤とんぼと大きさは似ているが茶色のトンボ。赤とんぼは一つも見かけない。

赤とんぼの赤も日本の色彩の一つなのだ。赤にもいろいろあるけれども、赤とんぼの赤が赤なのだ。もみじの赤が赤なのだ。実はああいう深い赤の色は麻を染めるのは案外難しい。糸の中までしっかりと染まっていないと、中が白いと浅い赤の色に見えてしまう。

今のリネンの糸というのは強くなってどこでも織れる様になったのだが、濃色ではよくわかるのだが中まで染まり切らないという現象が見られる。これは染めの問題だけではなく、糸の硬さの問題が影響していると思う。撚糸にしても昔はリネンも撚糸すると落ち感が出てソフトになったものだが、今は撚糸するとコリコリでザラザラになってしまう。

一方で、昨日は、今までとはちょっと違った風合いのものにたどり着き、秋冬に向けたリネンとして提案ができる気がするのだ。もう少し原因を分析などしないと、何が違うのか完全には判らないのだが、自分がよいなあと思える風合いのものに出会えて嬉しい。

風合いなんかでも、昨日は雨が降っていたからソフトに感じたというだけのことだったりということもある。糸の中の水分量が飽和状態までに増しているとソフトで柔らかい感じになる。乾燥してしまうと同じ布でもぱさぱさで硬く感じるものだ。
2014年08月26日
昨日は、整経作業、糸を割ったり。整経も準備作業のほうが時間がかかることが多い。糸をチーズワインダーという機械にカウンタをセットして必要なだけ小割する。これが結構時間の掛かる作業で、他の仕事をしながら糸を割る。

今日は工場の織機は、もうすぐ、本麻のチェックが終わる。この本麻のチェック、以前すごく人気で、ネットで販売したところ2週間ほどで在庫の1反がキズモノなのに売り切れて、再販のリクエストも多かった。4年ぶりくらいでしょうか、ようやく、再生産です。プラス2配色つくりました。縦にはコンニャク糊加工糸を使い、本麻の手もみシリーズの経黒と共通の規格です。

人気の有った一つの配色以外の2つの配色は、林与が倉庫の糸の中から糸を選んでミックスして作りました。一つの柄に8色使い。こういう多色使いの本麻は、国内の生地屋さんでもほとんど販売されていませんので、お洋服にして召していただくと高級感もあって、見栄えすると思います。9月の阪急うめだ本店でのテキスタイルマルシェにも持って行く予定で作りました。

林与が麻の世界で、一番くらいに特色をもっているのもこの本麻の先染です。こういうガチがのもというのは、正絹やカシミヤと並ぶほど費用が掛かってしまうので、大量に流れるというものでもなく、林与の本業のほうでも最近はたまにしか作る機会がありません。

昨日は加工工場から連絡があって、先日加工工場に織って納品した生地の幅に関して問い合わせがあり、もしや、規格幅を計算ミスしたかとあせりましたが記入ミスというだけで、ほっとした一幕もありました。一つの仕事というのは内部の準備作業だけでも普通は1週間以上掛けて行っているので、単純なミスでも、一週間のやり直しの仕事になるのです。

始めてつくる生地などは最終の幅などが決まっている場合に、縮率なども想定計算しますが、どうしても最初は出来上がってみるまで何センチに仕上がるのかというのは想定で進むことになります。仕上げ幅というのは、引っ張ればあわせることが出来るのですが、引っ張り出すことに頼ると縮率が悪くなるもので、普通に仕上げて希望の幅になったという通し幅がベストなのです。実は、これが買った生地を水通しするかしないかのポイントになるのです。
2014年08月25日
ミラノウニカ展ですが、9月9、10、11日で、あと2週間に迫ってきました。飛行機のチケットもホテルも、いつも以上に早めに取ることができ、また、今回は現地通訳まで用意できたので、イタリアの現地の人とも話が通じそう。(イタリアのデザイン系の方というのは、あまり英語を話さない方が多いという印象がある。デザインの世界ではイタリア語が強いからだろう。)

思い返せば2年前、テックスワールドでも脚が腫れて大変だったけど、よい経験になった。自分ひとりで行って、ヨーロッパの人が興味を持ってくれるだろうかと心配もあったが、生地に対する評価はよい感じだったので自信になった。

今回は、JAPAN OBSERVATORY という日本パビリオンでの展示形式で、単独での出展より、より多くのお客さんの流れがあると思う。多くの方に生地を見てもらえることが楽しみで、生地だけでなく、ヨーロッパの人と日本のことなどいろんな話をしたいと考える。

リネンの細番手に、近江上布の柄をプリントで載せてストールやワンピース生地として提案することで、得意とするリネン素材の通年提案というだけでなく、日本人の感性や日本の伝統工芸の世界観を伝えたい。近江上布のアーカイブも持ち込む予定で、日本の織物の世界を強くPRしたいと思う。出展企業のなかでも一番か二番目くらいに日本らしさを含む布なんじゃあないかと思うので、ジャパンパビリオンのジャパンらしさにも貢献できればと思う。
2014年08月24日
コンビニが3軒ある道路にさらに一軒新しいコンビニが出来た。田舎なのにコンビニだけがまだ増える勢い。もとは、宴会料理屋が何十年かやっていた。持ち込み可能な料理屋さんだったが、宴会なんかが田舎でも少なくなった影響と田舎はやはり車が必要なので飲酒運転の取締りが厳しくなったこともあろう。

タバコやアルコールを買うときに年齢確認が厳しくなったことも、一般の自動販売機を置いていたタバコ屋さんや酒店を締め付けたことになる。法制度もコンビニの進出を加速させた。微妙な法律の運用の匙加減でお店そのものが廃業になった、代々やってきたタバコ屋さんやお酒やさんに止めを刺した形だ。

地元の格安に販売していたお酒屋さんの量販店ですら、廃業になった。経営を切り詰めての地元の格安販売店の価格が、大規模なチェーンスーパーの通常価格に敵わないのだ。夜間の売り上げに貢献していた酒類の自販機の撤去もコンビニにお客を取られてしまう要因になった。

商店街の家族経営のお店がつぶれることは商売云々以上に、自立してつつましく生活を立てていた人が、仕事をあきらめ自立できない立場に回ってしまう。一番強いものしか生き残れない競争社会的な社会構造の社会の負担というものは大きいものだ。その一番強いものというのが、もはや日本企業ではなく海外企業だったりで、国策というものが産業に止めを刺すみたいなこともよくある。

日本のように何をやろうとしても許認可の国で、なにをやっても成り立ち難いシステムができあがっている。自由競争の中では大きなハンディキャップなのだが、日本の国内においても、日本企業には厳しい規制がかかるが、外国企業は放置ということも、政治力の差が出てしまって、日本の政治の内弁慶ぶりなんとかならないのかと思える。
2014年08月23日
今日もきつい雨が降る。今年の夏は週末は豪雨に襲われることが多い。東近江地区は今日が地蔵盆のようだ。郵便局に出荷に行く途中、地蔵盆らしい様子を見かける。夕方前に豪雨で、夜は雨が止んだ。今日は、とんぼが飛んでいるのが目に付いた。大型の水鳥が群れをなして愛知川の上を川下に向かって飛んでゆく、移動の時期なのだろうか。もう、すでに稲刈が始まっているのを見かけた。

かなり体調も回復して、夕方から糸を繋いだ。風邪薬を久しぶりに数日飲んだ。どこかの持続性カプセルだが、ピリン系で眠気を誘うが、縦糸つなぎなどはほんと単純な作業、すっきりとしない頭でも手が自然に動けば、何時間すれば仕事としてはそれなりに出来ていることになる。

織物の仕事なんて本来は誰にでもできる仕事だと思うが、頭で考え始めるとできなくなるのだろう。なんで私がこんな作業をしないといけないのかとか、あまり考えないで仕事するタイプのほうが仕事が進みやすい。
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