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リネンや麻を織る日々をつづっています。
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リネン日記
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2014年01月24日
今日は織機の調整。織筬の手前にあるはずのレピアバンドがスムーズに走るためのスウェードっぽい感じのもの貼り付けた2mmくらいのベニアで作ってあるライナーがどこかに行ってしまっている。長さが150cmほどあるものなんで自然になくなることはない?誰が捨てたのか。危ない問題。

これを修理するにはスウェードっぽいテープが必要なのだが、それが見当たらず断念。急ぎの分はライナー無しで織り進むことにするが、レピアが宙に浮いたような形で糸の引渡しを行う大丈夫か?レピアの左右のヘッドがぶつかる交通事故が起こらないか心配。

それ以外に、横糸をうまく持っていかない問題がある。糸ピッカーのヘッドを交換したり研磨したり、糸道油を塗ったり、糸調子を揃えるが難しい。全然関係がないのだが、もしかするとある原因だろうと思って縦糸に調整を掛ける。何時間掛けて1mを織るのが難しかったものが、やはり、急に織れるようになって調子よく動き出す。原理としては、織前が下がって強く横糸が打ち込まれすぎて、打ち込んだ瞬間に横糸の耳そばが筬で糸切れを起こしてしまうのだろう。そういうことに気がつくのと気がつかないのとでは、引き受けた仕事ができるできないの雲泥の差となる。織物の仕事というのは怖いなあと思える。

送りが正しく送ることができなくなっていることもなぜなのという問題だが、縦糸のビームローラーの径を図る送り出しレバーの取り扱いなどに問題があり、調整が大きくずれてしまうのではなかろうかと思う。
2014年01月23日
一年で一番寒い時期にさしかかろうとしていて、仕事をしていても寒さを感じる。織物の仕事の原点に帰るとすれば、冬の寒い夜にコツコツと織るのが麻織物の本来の姿。手機の時代は体を動かして仕事をすることで寒さはまぎれたのだろうと思います。暖かい環境がほしい人というのは、織物の仕事では家での内職が向いていたのだと思います。

働く環境というのは、よくすれば生産性が上がるのかというと、よくなった働く環境というのは逆戻りできないという問題があります。常にゼロからでも自分で仕事を立ち上げていく覚悟している人がいないとならず、そういう人がいる会社というのは強いなあといえます。
2014年01月22日
今日はあるブランドでお世話になった方からお電話をいただいて、この3月で会社を去られるというご報告をいただきました。アパレルの業界というのは、仕事をしているといっても舞台の出番が来たかのような状態で、私よりも弊社を担当下さった、お若いみなさんが会社を移り変わられるということを多く経験しています。アパレルに居られた方というのは、アパレルの仕事が好きな方がほとんどで次もアパレルの仕事に就きたいとおっしゃっておられる方が多い分、競争も激しく、移り変わりも激しいのだろうと思います。

ブランドさんでも時代とともにターゲットが上がっていくタイプのブランドさんというのは、中で働いている人も安定しているのでしょうが、特定の年代をターゲットとしたブランドさんだと、やはり、そのブランドで働く人の年齢というのもターゲット層と似通っている層がマジョリティでないとギャップが生じてくるのだろうなあと思えます。たとえば、低価格路線で攻める大手SPAさんは、10代、20代がターゲットなために、お店で働いている人も、20代の方が多いですが、あと10年後、そのお店で働いている人が同じお店で働き続けることが、お店のイメージと整合するのだろうかという問題があります。10年先というのは、アパレルの業界では大手さんにしても常に闇の状態だろうと思うのです。

世代交代をうまくしているところは実際に生き残っていく可能性は高く、世代交代ができないと次の世代が育たずに、主力世代が交代時期を迎えると会社の力ががくんと落ちるということになり、そこで会社は終わってしまうのです。日本的雇用形態といわれた年功序列型賃金制度や終身雇用制度というものにしても戦後の良い時代にみた夢のようなもので、実際に年金制度などと同じで問題を先送りにしているだけのことであるのだろうと思えます。

世代交代にしても、今の世代よりも次の世代のほうが強くなければ、産業も発展するはずがないのですが、今の若い世代というのは最初から失敗も許されないし、働く時間も制限されすぎているので経験を積む機会すらもなく、仕事をしていても昔の人ほども仕事のいろいろなことを知るまもなく仕事を終えるというケースが増えているのだろうと思うのです。

製造業で考えると、仕事を分業化し、マニュアル化してしまいパーツ化してしまうと誰でもができる仕事になるのでしょうが、特別、上手な人もいなくなる原因の一つに繋がり、長年でみていくと現場の人が実際になぜそのような手順が必要なのかがわからないままに仕事しているとか、自分の作っているものに何になるのかすらわからずにモノづくりしているとか素人集団がものをつくっている状態に近づいていくもので、特別なものを作るとかの力を現場の人に求めることすらできなくなってしまいます。
2014年01月21日
今は、世界規模で経済も動いているので、日本人が海外の企業で働くこともあったりで、それほど国を憂うことはなかろうかと思うのですが、日本人で日本の国の将来を心配している人というのは多いかと思います。

国家予算90兆円の半分が足りず(年金基金の計上先送りや特別会計計上で実質は66割り、7割が足りない状況)。既存企業にしても、毎年毎年、国からの徴収額は増して意気、苦しくなっていくことがほとんどで、経営努力という理想的な夢ごとを企業に求められても、温度差というものの大きさを感じることばかり。

バブルのときですらも国というものは経営が成り立たないのですから、厳しい時代には、蟻とキリギリスでいうなら、冬にキリギリスが蟻が働いた部分を横取りするような構造。国会議員にしても、キリギリスのような方が増えすぎて、蟻のような方が国会議員になってほしいと思うばかり。国会議員となっても自らの言葉を発することのできない政党政治の限界を感じます。

小泉政権のときに、赤字国債発行を30兆円に抑えるという目的で、外資優遇、金融が引き締められ、日本の代々やってきた零細企業や商店が次々と潰れていきました。また、アメリカのサブプライムローンに出資した日本の金融機関なども多く。国が国内の支援以上に海外の企業を支援してしまえば、日本国内のぎりぎりでやっている企業の資金繰りが悪化し破綻していくという当たり前のことを国を上げて実践したにすぎません。

モラル的にも、サブプライムローンなどは、低所得者騙しという結論、でそういうもの便乗してモラルハザードがないのも、バブル崩壊を経験した日本の金融機関といえども、アメリカのマネー哲学しかないというのが残念。日本の金融庁すらもがその方向に向いたら、いくら精神でなりたっている日本的な企業経営といえども成り立たなくなってしまいます。
2014年01月20日
大根が安かったので3本買って、1本1cmの厚さに切っておでんにしてみた。一回炊いて冷まして、2回目炊いて冷まして、3回目に暖かくして、ようやく柔らかくなって味が中まで浸透し非常においしい感じ。冬の終わりになると毎年農家で白菜や大根を破棄する風景が見られる。今の時代は恵まれた時代だなあと思う。ハンバーガーショップでハンバーガーを食べるよりも何倍も体によいんじゃあないかと思う。実際、おでん大根、食べた後の体の雰囲気が非常に良い。

今、日本の農業は自由化されようとしているが、決定次第で稲作農家の運命が決まるといってよい。それだけでなく、農地の維持が不要になり社会構造や風景までもが変わることになる。維持するのにも必要以上にいびつな力が掛かっていたとはいえるので、それでも限界点に達していると考えれば改革が必要だろう。でも、農家としてやっていこうという気持ちの高い人がいれば、採算性とかそんなしょぼいものに目を当てないで、もっと大きなビジョンで応援をしてもよかろうかと繊維業界の流れをみて思う。

イタリアやフランスの生地産業が華やかで世界のファッションのトレンドを形成しているのも国の大きな力が働いているから、産業がピークを超えたときにその後というものは、働いている人の能力も年毎に落ちるので、国として雇用を維持がひつようならその対策をすべきだし、産業の中での世代交代を促すような法改正も必要だったろう。今、高齢化で次の世代のないといわれる農業に関してもそのことが言われているなかでの、自由化問題。

別に新しい産業や商品なんてものはいつでも来るもの拒ます去るもの追わずでよいかもしれないけれども、定番的な、昔から続いているものが一旦途絶えるともう戻ってくるということはほとんどない、戻ってきたとしても本来の価値観が失われてしまって、損得勘定ありきのものになってしまっていたり。
2014年01月18日
今日はシャトル織機の調整。捨て耳がどうもうまく行かないので、捨て耳のローラーチューブの緩みをとるため短くしてみる。でも、まだ駄目、捨て耳のカッターが鈍くなっている感じで、研磨が必要と考え研磨してみる。捨て耳は改善したがレピアの横糸のピックアップミスが多い。この原因はピッカーのタイミングのほか、ピッカーのカッターの切れ味が落ちていることが原因だろうと、ピッカーのカッターも研磨。問題なく織れるようになる。

織物というのは織るだけが仕事ではなく、周辺作業もあれば、また、織機の調整なども織物の仕事のうちで、修理なども織物の仕事のうち。部品がなければ部品を自分で作ることも必要。織機の調整や修理のできる人というのは織機を使っても壊すことは少ないけども、織るだけの人というのは織機のバランスを崩していくことが多いので、現場では役に立たない。

昔の現場の人というのは、分業体制が整っていたので、一つの仕事をしていればそれでよかったが、今の人の少ない現場では、複雑な仕事を理解し正確に並行してこなしていく能力の高い人が必要となる。今の時代の織物の現場、つねに自分自身を研ぐことのできる人でないと仕事をこなしていくのは難しい。
2014年01月17日
三越伊勢丹新宿本店、銀座店、日本橋店のキッチンコーナーで、この2月から林与が織らせていただきましたキッチンクロスをくらしものさしプロジェクトで取り上げていただき、販売がスタートします。やや厚地のハニカムキッチンクロス。私、林与自身が一枚一枚をシャトル織機を動かしながら織るという形。

私自身が織るときも、他のことを忘れてゆっくりとシャトル織機に向かいながら、キッチンクロスが一枚一枚織りあがっていく達成感を味わいながらのまったりとした時間です。私自身は、仕事という言葉よりは作業という言葉のほうが好きで、仕事という言葉、仕事だから仕方ないみたいな味気なさ好きじゃないのです。時間という言葉のほうが素敵に思うのです。

実は私は仕事を仕事と思ったことはほとんどなく、私にとっては織物はライフワーク、ご飯を食べる以上に大事な部分で、蜂が巣を作るのと同じ本能的なものでなければならないと思うのです。私が本来、職人たちに期待するのもその域でですが、作業に無心で没頭できるようなタイプの人というのは本当に少なく、30年、40年、携わった職人ですらも通常は、その域には達することはなく、まだ、逆に学生で気持ちを持った人や、夢や情熱をもって取り組める人のほうが経験をしっかりと積めばよいものが作れるものです。

己惚れるでもなく、外から見て自分に力がなければそれまで、仕事もなく食べてもいけないので、本業が成り立たなければ、外の仕事でお金を稼いで材料や試作する費用をつくって、夢を実現するというのが、なんとしても本業を成り立たせるあり方だと思っているので、自分で覚悟がない人との取り組みはやったとしても後味の悪いだけのこと。
2014年01月16日
あるプロジェクトでアイテムを作りました。もうちょっと煮詰める必要があろうかと思うのですが、ドラフト的なサンプルは自分の中では70点くらいまで到達していていい感じです。

今日は、滋賀県の方から補助金の案件でお電話をいただきました。海外向けにリネンの細番手のプロジェクトを展開していこうと考えており、今の仕事が落ち着いた時期に、ビンテージアイリッシュリネン生地なども生産をする予定です。

昨年の原材料のフラックスの作柄は良いと聞いているので、この春からのリネンの細番手を思い切って展開できると考えております。今年は、5月のプレミアムテキスタイル、9月のヨーロッパ、10月の上海、12月のハーベスト、2月のヨーロッパの展示会に向け、この3月から自社の細番手サンプルをつくる時間を見つけて動きます。
2014年01月15日
今日は午前中、糸商さんが来られて、普段は電話で、2年ぶりくらいでしょうか。近況報告などのあと、仕事の案件で解決方法の提案と、新しいアイテムに関しても相談など。

午後から、デザインに関して滋賀県の発明協会のかたのご紹介で、デザインに関しての専門家が東京からお二人お越し下さいました。国際的に意匠を保護しようとすると、非常にコストが掛かるというお話などを聞きまして、どのように対応すべきかというアドバイスを受けました。

展開する展開の仕方で、準備しないといけないことも違ってくるし、結果も違ってくるだろうといえ、ものづくり以外の部分で準備が必要だろうといえます。海外との仕事をするときに、すべてを用意しておくということが大事だなあと思えることが多いのです。すぐに同じものが出せるような体制でないと、その仕事だけに追われるということになりかねません。

今日は、テキスタイルマルシェを運営されている方からの、2月に計画されています大阪でのトライアルマルシェのご紹介をいただきました。テキスタイルマルシェは若手の皆さんが力強く展開をされている即売会企画でなかなか布の世界で販路開拓が難しい中、非常によいイメージで展開されているので遠巻きに関与せずとも応援の気持ちで見守りたい気分でおりました活動です。参加できることになりましたら、自分でどう応援できるのかも含めて考えていければと思います。
2014年01月14日
今日は朝一番で銀行の方が新年のご挨拶に来てくださり、近況報告など。その後、東京と大阪からお客様で、2015SSに向けての企画が始まりました。1年を掛けて企画を練るというスタイルが業界の中でも珍しくなり始めている流れの中でも、やはり国内でも老舗のアパレルメーカーさんだけにしっかりとしたスタイルを保っておられます。

今日は、企画のお話の後の雑談で、ヨーロッパでアンゴラウサギの製品ボイコットの話を聞きました。毛足の長いアンゴラウサギの毛は、アパレルなどにも使われるのですが、その毛を取るときに、毛を毟り取るということが行われているそうで、その動画がインターネットでも広がりボイコットに繋がっているとか。

バリカンを使って毛を取るよりも、効率良く長い毛がとれるでしょうから、経済的にはベストな方法なのでしょうが、苦痛に悲鳴をあげるウサギの姿というのは可哀想すぎで、そこまでしてアンゴラのもので製品をつくって商売をすることがモラル的に大丈夫なのだろうかというところだろうといえます。

ウサギが可哀想という問題を超えて、自分のスタイルと他の人のスタイルとの違いのぶつかり合いなのかもしれないなあと思ったりもします。オーガニックなプロジェクトに関しても、仕事を生み出すものの農薬を使わないことで人に過酷な労働を強いる結果になります。生産現場となる途上国での残虐な行為に思われるかもしれませんが、それは違って、先進国の需要から生み出されるものなので、結局は、先進国の中でのモラル対決なのだと思います。

高校のときに、キリスト教の授業で、その先生は夏に自分の教会でのキャンプで鶏を殺して食べるという経験を子供たちに体験させることで、スーパーで買い物する文化的な生活の裏で隠されてしまっている部分を考える機会を持っているという話をしておられました。誰かが動物を殺して解体するような仕事をしないとならないのも避けられない現実です。そこに動物を苛めて喜ぶような要素が入ると別問題だろうとは思いますが、動物を殺すという残虐に思われる行為の上に、人の食生活が成り立つのも事実で、そういう部分は隠されがちでそれを知るチャンスというものは少ないものです。ものづくりの現場にしても作り手は伝えようとするものの、知ると消費される方の考え方が変わることは多いものです。
2014年01月13日
今日は成人の日の祭日。朝の7時ころまで仕事で、東京からのお客様の時間まで仮眠を取ろうとするとお客さまからの電話で目が覚め、寝過ごしました。駅に迎えにあがって普段は電話でやりとりながらもお久しぶりに対面。

東京からのお客様を駅までお送りしたあと、会社の年末調整の書類を公認会計士の先生に教えてもらいながら自分の会社で作る。今回は自分の会社の中でやってみようと指導を受ける。納税に関することは基本的で大事なことながらも、複雑化だらけのままというのも、行政と民間とのサービスの大きな違いだろうと思える。今でも源泉徴収のシステムはすでに複雑だが将来はもっとつぎはぎだらけになってしまうのだろう。

一方で、日本でもアメリカをはじめとする大手企業のタックスヘブンを利用した脱税行為が指摘されているが、そういうのは、国をしてもアンタッチャブルな世界なのだろうと思える。法の目に引っかかる企業と引っかからない企業の差は大きいといえる。引っかかるか引っかからないも力関係の匙加減で法の沙汰も力次第なことも多い。

消費税に関しても、輸出企業は法の目を逃れる恩恵を受ける。輸出に関しても販売税という名前にすれば不平等がなくなるならよいと思う。
2014年01月11日
東京ではいろいろな皆さんとお会いできて充実。東京から戻って、シャトル織機の調整。シャトルが噛んでしまうということで、シャトルのステッキの角度を調整し、バッファーの長さを長くして調整が完了。シャトルを打つスピードも片方が弱いので強くする。モーターのVベルトの3本のうち1本が緩んでいるのが原因かモーターの回転の伝わり方が不規則でシャトル織機の動きが不安定。

シャトル織機の縦糸がよく切れるので、縦糸に2つの調整を加えて縦糸切れを改善。べつのシャトル織機も、一部の箇所、糸切れを起こすというので、何が原因なのか確認してみると、4枚目のソウコウ枠から片側のロッドバーが外れているし、シャトルもキズが多く手入れが必要、これじゃあまともには織るのは難しい。開口が左右で異なるのも非常に気になる。

私自身が織機と向かえる時間はほんとうに限られていて、短時間でいろいろな問題を見つけて解決しないといけないのは、危険だったりもする。問題がある箇所を調整することができなければ、問題のない箇所を調整してしまい、織機のバランスが余計に崩れ始める。調整を掛けるときには必ず、自分が調整をかけた分を元に戻せるように、記憶しながら調整をする。それが出来ないと勘で調整するようなもので微妙な調整は難しい。

いつも織機に調整を掛ける前には自分が調整をして他の人に迷惑が掛からないよう、はじめの状態を覚えておくということが、基本中の基本。多くの人はどこをどう調整したのかということを説明できないので、織機が不調になった原因を探ることが難しい。織機を修理する仕事というのはお医者さんの仕事と似ているところがあるのかもしれない。
2014年01月10日
テキスタイルツリーの成田典子氏が編集長をつとめておられる「つなぐ通信」の第四号が年末に創刊されました。今回も興味深い、タネ屋さんの話から始まります。小さなタネ屋さんの裏にドラマがあるのが面白い。トマトの話は、最近他の寄り合いで農業に詳しい方から聞いたこともあって、みんなトマトの違いに気がついているんだなあと。

他に、東京の澤井織物さんの工場の紹介があり、東京で織物に興味のあられる皆様にも興味深い内容であろうかと思います。同じ織物の業界にいて、お若い皆さんが働いておられるのを見てうらやましいなあと思いながらも、実際には生産するのは一つ一つが大変だろうなあと。その大変なものを乗り越えておられるのがすごいのだろうと思えます。生み出すとか残していくって言うのは気持ちのある人の力そのものな気がします。

つなぐ通信は年間4回の発行で、フリーペーパーで、東京都内だとお見かけになられるケースも多いかと思います。興味のあられる方は、年間4回を送料分1000円で、購読できるシステムもあるので、ぜひ一度手にとって見てください。昭和の時が流れています。
2014年01月09日
昨日は、朝二番目に、銀座メルサ4Fにある久留米絣の藍木野さんのお店を拝見させていただきました。地下鉄の銀座の駅でどの出口からでるべきだろうかと、立ち止まって出口の案内を検討していたところ、滋賀の麻糸商会さんの中保さんが後ろから声を掛けてくださりびっくりで、出口を教えていただいて助かりありがたいこと。

また、藍木野さんにいるときにはファブリカ村の北川陽子さんからお電話いただいてお客様をご紹介くださるとかで、あいにく東京ですみませんという形になりましたが、私自身も、藍木野さんにもファブリカ村のことをご紹介するとすでにご存知で、先月お会いしましたということ。

藍木野さんの銀座のお店では、お店にある久留米絣のいろいろなものを見せていただきました。しばって防染することで糸に絣を出す手法で、四軒の機屋さんの生地をお使いということですが、久留米絣であってもそれぞれ作風が違うといえども、色柄に久留米絣としてまとまったものを感じるのは産地というものを感じます。

生地の感じとしては着物生地らしくしっかりと織り上げてあり、素朴ながらも味わいのある仕上げ、そういうものに高級感を感じることができるのが実際には日本人が布に求めてきた世界。最近では、展示会でも感じるのは、世界中が日本の着物の素朴ながらも手の込んだ布というものに布に詳しい人ほど畏敬の念を持って接して下さること。

藍木野さんのお店に並ぶのは、久留米絣を使った洋服で、着物用の小幅の生地が使われています。小幅ながらも縫製職人さんの柄合わせで、継ぎ足しているのが分かりにくく、布を大事に手仕事で仕上げておられるのを感じました。
2014年01月08日
今日は、朝一番で東京早稲田にある富田染工芸さんにお邪魔しました。ルーブル博物館などでも型紙で捺染したストールを販売されているのですが、麻のシリーズも展開されたいということで、林与のリネン素材や本麻素材を検討下さっておられます。私自身も近江上布柄の展開を考えたときに、シルクに捺染ということで分野が違うものの型紙捺染に関してはネットで調べて、日本の型染の世界で一番気になっていたのが富田染工芸さんでした。

今回、特別のストール用の麻生地を探しておられるということで、JETROさんからのご紹介をいただきお会いする機会をいただきました。お会いしてお話をお聞きするとものづくりに対する考え方というものがまったく同じで、仕事に対する姿勢や繊維業界を見つめる目も仕事における価値観を守っていこうとされるときに目指される方向性も同じなのです。

お話をしていて、やはり、親方の大変なのは技術的なことではなく、仕事があっても成り立たせるということだろうかと思うのです。お話を聞かせていただいた後で、工房を見学させていただきました。普通は型紙の多さに目がいくのでしょうが、私が興味深かったのは、蒸し器や糊抜き機、加工までも自社で持っておられ、社内で一貫した生産ができること。

型紙を使って捺染するだけじゃなく、すべてに精通されているところがまさに魅力。わたしも、子供の頃の近江上布を生産していたころの家の現場と似ているのです。ものづくりするということは、やはり自分のなかにすべてを持っていないと難しいのだろうと思いました。人の力を感じるのです。給料なしでも弟子入りしたい気分になるような世界です。
2014年01月07日
今日は、朝、加工工場に加工出し。年明けを感じるのは、年明けの第一週、第二週が行事やお客さんで埋まってしまって、今年の秋冬やすでに来年の春夏に向けての企画の話。

一般のお客様も秋冬素材探しから春夏素材探しに動かれて問い合わせなども多く、業者さん関係でも3月だとまだ生産のキャパが空いているので、3月の生産の検討をお願いする。この2年ほど、新しい見本も作れないほどに忙しく仕事に追われている。

この忙しさというのは、会社の中においても仕事のできる出来ないの偏りから生まれていることも多いと思う。織物会社が織物を織っていればよいというのが本来は理想の形だろうが、材料から販売まで、他の部分でできないといわれることを不本意ながらもしわ寄せを吸収することで、自分のやった仕事というのが売れるものがつくれ、売れる形となっていく。

自分自身で仕事することを増やすことが仕事の獲得に繋がっていくのだが、それをされる人というのは世の中見ても少ないもので、自分が仕事をせずに他の人に頼むと結局、そういうのは長続きせず自分自身の仕事自体がなくなっていく。日本企業が海外で生産をし始めると結局、海外メーカーが仕事をしているということになるのと同じだろう。
2014年01月06日
この3日間、正月ということで京都の染工場に無理をいい、現場を借りて詰め込みでの後染の作業。一度ではうまくいかないばかりか、何度も色を出しなおして、浴比の問題なども含めて、簡単ではない問題を乗り越えないといけない。

日本の染色も含めて織物の世界というのは引退間際の方が指揮されていることが多く、どこの工場に頼んでも5年先に同じものができるのかという確約はないもの。この案件以外にも見本を作って本生産のところに差し掛かって、引退されてしまわれるというようなこともあったりで同じものが出来るという約束がひっくり返って大変なこともある。

1着が100万円を超えるような高級な絞り染めの染め工場で3日間仕事をしたことで、染色工場の社長の話を聞きながら、京都の染工場の中での作業というものの流れも勉強が出来たという大きなメリットもある。普通の家に見える建物の中に、染浴が並べてあって作業が行われている。

京都で仕事をするということは、滋賀県で仕事をするというのとは違った制約がある一方で、京都の人のほうが仕事しないと生きていけないという感覚を持っておられるのも感じる。田舎は広く裕福ということで働いている多くの人に焦りがないというのもあるのだろう。
2014年01月02日
年末に、菱沼良樹氏からメールをいただき、林与の生地をプリントベースにお使いいただいたアヤメのグリンのドレスが、シンガポールでのクチュールコレクションでの新聞記事に掲載されたことを教えていただきました。

シンガポールでのクチュールショウでは世界から40名のデザイナーが招待され、日本からは菱沼氏の他、丸山敬太氏、小篠順子氏、桂由美氏が参加。高級ラインでの日本人デザイナーの存在を発信されています。

私自身の今年の目標は、国際展を含む4つの展示会に出展することで、仕事以上の力を展示会に使うことになろうかと思えます。私自身は展示会で見せるものと売るものは別であってもよかろうという気持ちが多く。デザイナーのように自分の作りたい生地を提案するという一番の基本の部分を大事にしつつ、その布がどこまでデザイナーの皆さんに語りかけることが出来るのかというあたりを、信じています。

実際には、布を作る工程や技法などよりも、人生観とかが大事で、布というのはそれを表現するための言葉のようなものに過ぎません。たぶん、織物を作るものとして力を注ぐという部分大事にすることが、デザインとかよりも大事に思うところで、それを抜きにした色柄風合いなどの見たくれだけのものに偏り手を抜いてしまうなら、古い織機に頭を悩ませながら織物を作り上げる意味などなかろうかと思うのです。

自分が何をしたからどんな風に考えて、どんな織物をつくることになったのかとか、誰とであったからこんな織物を作ろうと考えたとか、織物の本質を考えたときにどんな織物を自分自身で経験しておくべきだろいうかとか、他の人には関係のない制約などがあってこそ自分らしい布が出来上がってくることになり、そこに意味があるのだろうと思えるのです。
2014年01月01日
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

ジャガード織機の調節を繰り返しながら年を越しました。年末年始というのがピークのときなので、仕事をしなければピークのときに仕事をしないお店を開かないようなものなのかなあと思うのと、私自身は普段時間におわれて仕事をしているので、外の世界が止まっている時間に時間のかかる仕事をできるのはよいことだなあと思えます。

私自身はこういうのが織物の世界での職人的な気質ではなかろうかと思うのです。普通にしていれば織物なんて特別なものは出来てこないし、技術にしてもタイムオーバーばかり。自分自身で覚悟の努力しなければ人よりも上の技術は身につかないだろうと思います。

昔は、織物の世界にも神とか鬼のような技術をもつ人がいたのだろうと思います。たとえば、昼に田畑、家の仕事をして、夜に時間を費やしながら手機を動かしたようなおばあさんにしても、仕事は今の時代以上に厳しく美しいものです。そんなおばあさんが今の時代にいるのかというといないだろうと思います。

私自身はメンタリティの面でもそういう昔のおばあさんを当たり前に超えていないと、らしいモノづくりはできないと思うので、普通の生活とは違う生活の中でのモノづくりというものの中で、普通とは違うデザイン的な感性も高まろうかと思えます。仕事に対する感覚も特別であるのが大事だろうと思っています。

展示会などでも、70歳手前あるいは超えておられるであろう機屋の方が、毎回何件か、はじめましてとご挨拶に来て下さることがあるのです。40半ばの人間の話をわざわざ聞きにこられても得るものは少ないでしょうが、意気込みみたいなものを見守りに来て下さるのだろうと思うのです。

数ヶ月の経験が一生の経験を上回ることも普通にありえるのが織物の世界で、そのためには素直さが一番大事だろうと思います。お話をしていて競争心むき出しの方が居られたりするのですが、自分のできる範囲がすべてですので、出来上がったものにしても他の人と競争をする必要はないと思っております。

自分がつくるものが自分のつくったもの、人がつくったものは人のつくったもの、価値はまったく別物で、人の作ったものがよく見えて真似ようとすると自分を失い、邪の道に入ります。たまたまでありますが、林与がテレビを見ないのも、流行を追わない自分のスタイルの発信に繋がっているだろうと思います。麻織物の価値観というものは麻織物を作るものが自分の中にもってこそ一番意味があろうかと思うところです。また、そこに家ごとの布の特色もあらわれてよいんじゃあなかろうかと思います。
2013年12月31日
今日は、大晦日。昨日、工場の外で水の落ちる音がするのでどこかの水が出しっぱなしになっているのかと心配になって調べてみると、工場の屋根の上の雪が解けて、トユから水道の蛇口一杯に開いたくらいの水が流れている。それほど雪が積もっているようには思えないのだが、やはりたくさんの雪があるのを見えないけど感じる。

年越しながらも寒くないのが救い。いつも冬に思い出すのは、子供の頃、工場にたくさんあったツララ。笑えるほど大きく、長さ1mほどの巨大なツララが工場の屋根の淵に冬の間いつも何十本もぶら下がっていた。一つの重さは5kとかあったろうと思う。子供のいたずら心というのはそういうものを破壊するのを楽しむ。一方で、壊さずにそれをどうやって取るか考えたり。

あんな大きなツララは他の場所では見たことがあまりない。工場の熱が屋根に伝わり、ツララが巨大化していたのだろう。冬にそれを見るとなんとなく嬉しかったのを思い出す。他の冬の思い出といえば、冬に織物の仕事が忙しかったこと。今の忙しさとは違う忙しさで、景気が悪いといっても当たり前に、毎日何十反もの出荷。

家の中での生活といえば寒い。火鉢に当たりながら、外を見ると雪だらけの前栽。でも、時々、来る小鳥を眺めたり、時間が止まっているかのような感覚。それでいて、キーンと張り詰めたようなものがあるのが冬らしさ。この冬の厳しさがあったからこそ、麻の織物が近江の湖東地域で昭和の時代にも残りえたのだろうと思う。今は、それほど厳しい冬ではないので、麻織物の産業の存続すらも難しいのかも知れない。
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